ダンジョンでできちゃった婚をするのは間違っているだろうか 作:胃痛
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「ふふ、はははっ!」
堪えきれぬとばかりに哄笑が零れ落ちる。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」
我慢をやめて、呵呵大笑。夕暮れ時のオラリオにテンションを振り切った男の笑声が響き渡る。
それは不気味さすら孕んだ上機嫌。己の気分の良さをこれでもかと外に押し出した大笑いにほかならなかった。
その声は辺り一体に響き渡るだろう大きさであり、視界に入った者たちは皆一様に何事かと視線を向けざるを得ない。
そうやって視線を向けた先にいるのは、呵呵大笑する【貴き者】。あきらかに関わってはいけない人だったので揃って目を逸らした。
何せ都市最強の一角である。誰も機嫌を損ねて不興を買いたくない。買取を担当した職員は目と耳を塞いだ。
だが、端的に言って彼は近所迷惑だった。
何せ煩い。騒々しい。喧しい。
笑うにしても場所を選べというものである。
よりにもよってギルドでそんなクソでかい声で笑わないでくれ、というのが一同の意見だった。
誰もがドン引きする中、そんな光景に気がつくことも無く笑い続けた男は五分ほどで駆けつけた翡翠髪のハイエルフにどつかれ、静かになって帰っていった。
※
そこは黄昏の館にアイズたっての希望により超特急で確保された、アルスとアイズの為の部屋。
彼らが穏やかに過ごせるようにと暖色で彩られ、真新しい木製の家具と武具を安置するための銀の立て掛けが調和した部屋は、二人部屋であることを加味してもなお広い。
そんな広々とした部屋に響くのは静かな怒りの声であり、帰ってきてから一時間ほどとある姿勢で放置されたアルスの苦悶に満ちた声である。
「──で、ギルドで大笑いして不用意に目立った馬鹿はどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「フィンと結託して内密に単騎でウダイオスを討伐した阿呆はどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「妻子を地上に待たせながら階層主の単独討伐などという不必要な愚行を犯したのはどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「レフィーヤとティオナを鍛錬でボロ雑巾にしたのはどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……」
「帰ってきて早々に私を無視してギルドまで走り抜けたのはどこの誰だ?」
「不肖のわたくしめでございます……ッ!」
大量の拳骨によって彼は既にボコボコだった。
そこに自分の罪を突きつけられて精神もボロボロだった。
床の上に足を畳んで座る、極東より伝わる正座を強制して肉体を痛めつけた上で精神を抉るハイエルフ。
恐怖を体現したその姿に、はじめは庇おうとしたアイズも近くで震える他はなかった。
正座で足の限界を超越しつつあるアルスはいい歳こいて半泣きだった。
情けないにも程があるが、
誰かが通りかかれば呆れと共に憐れみを抱いただろう。
きっとこの男は生涯彼女たちに敗北し続けるだろう。
リヴェリアの口から滔々と語られる説教とアルスがいなかった間のアイズの様子。
前半は彼の植え付けられたトラウマを刺激し、後半は己の罪過による心の苦しみを味わう苦痛だった。
三十分もしない内に真っ白に燃え尽きたアルスに嘆息したリヴェリアは後をアイズに任せて部屋を出た。
「…………鬱だ、死のう」
「むぅ」
「冗談だから足つつくのだけは許して」
「やだ」
「嘘だろおい」
ツンツン、ツンツン。痺れる足。つつかれる足。悶え苦しむ男の姿がそこにはあった。
「ぐああああああああああああ!?」
「懲りた?」
「懲りました、もうしません……」
瞬く間に敗北宣言。全面降伏だった。
階層主を単独で討伐出来ても勝てない相手はいるらしい。
アルスの宣言に満足したのか、アイズは足をつつくのをやめて寝台に腰掛ける。
「……おいで?」
そのまま膝を叩きながら誘えば、灯りに惹かれる蛾のようにアルスはふらふらと寄って頭を乗せた。
細いが骨ばった感触ではなく、しなやかな筋肉と柔らかさ。鼻腔を擽る香りに表情が緩む。
「おつかれさま」
「……おう、ありがとう」
「身体は大丈夫?」
「問題ないよ。かすり傷もない」
「……それなら、よかった」
そっと髪を梳く細い指は擽ったく、薄く微笑む少女の頬におもわず手を伸ばす。
そのまま滑らかな頬を撫でた。
擽ったそうにしながら頬を薄く染めて含羞む姿は見慣れた彼の思考を溶かすほどに愛らしい。
彼らに闇雲に身体を重ねて愛情を求める必要はない。互いの熱情に溺れる必要も無い。
積み上げた時間が齎す精神の結び付きはそれだけで心を溶かし、胎に命が宿るという事実がその愛を証明する。
愛していると口にすることはなく、好きだと口にする必要も無い。
ただ優しく触れ合い、互いの熱に触れるだけで今の彼らは満たされていた。
「なぁ、アイズ」
「……なに?」
「ごめんな」
「…………?」
その唐突な謝罪が何に対してのものか、アイズには分からなかった。
二日も放置したことへの謝罪なのかもしれない。
彼女を置いてダンジョンに潜ることへの謝罪なのかもしれない。
或いはもっと別の何かへの謝罪なのかもしれない。
とにかく分からない。分からないけれど、込められたのは真摯な意思であることに間違いはなかった。
だからまあ、浮気じゃないなら赦してあげようと彼女は思った。
「うん、いいよ。──謝らなくて、いいよ」
だから彼女は、謝っている内容が分からなくても赦すと告げた。
夫婦だから、相棒だから、家族だから。
理由は沢山あるけれど、言わなくてもきっと分かってくれるからそこは省いてただ赦した。
それが正しかったのかは分からないけれど。少し嬉しそうな彼を見て、きっと間違っていなかったのだと思う。
「──でも、浮気はしちゃダメ」
「するわけないだろ?」
「むぅっ……」
苦笑いするアルスだが、アイズの見立てでは彼に這い寄る敵は何人か目処が立っている。
特に妻が妊娠している時にこっそり浮気する男は多いとの情報が匿名希望のエルフから齎されているし、気をつけるにこしたことはないのだ。
酒で酔いつぶれたところを一発キメにくる悪逆非道の徒がいないとも限らない。
もし、仮に、ありえない話ではあるがそうなってしまえば、アイズは泣いて喚いて塞ぎ込む自信があった。
そう思った途端に、一気に不安が込み上げてくる。
心の中で小さなアイズが泣き出した。
考えれば考えるほど悪い方向に思考が向かう。
有り得ないと一蹴できるはずの暗い想像を振り払えない。
身体が良くない熱で、内側から沸騰する。
黙り込んだ少女を見て何かを察したアルスは身体を起こし、考えに耽って微妙に雰囲気が暗くなった彼女を優しく抱き締めた。
「……アイズ」
「なに?」
「いや、やっぱりなんでもない」
抱き返した少女に何かを言うことをやめて、背中に回した腕に少しだけ力が篭る。
苦しくはならないが強く、集中すれば互いの心臓の脈動が分かる程度の抱擁。
アルスは不安定な少女に言葉を尽くすのではなく、温もりを共有して乱れる心を鎮めることを選んだ。
リヴェリアにこういう状況になる可能性を口酸っぱく言われていたこともあるが、それ以上に彼は彼女にかける言葉を持たなかった。
常ならば抱かなかった不安に駆られ、心の乱れやすい状態にあるとされる時期の少女に「大丈夫」とか「心配ない」みたいな言葉をかけても効果があるとは思えなかった。
だからどうすればいいのかなんて答えはなかったけれど、彼の経験上ならこうしていればそのうち落ち着いてくれる。
そうして抱き締め合う間、感じるのは互いの温もり。
服を挟むとはいえ感じる体温、聞きなれた吐息の音色、僅かに伝わる脈動、心地良い香り。
静寂に満ちた部屋の中で、ただ温もりを分かち合う。
それはきっと当たり前の幸福に満ちていて、誰もが当たり前に求める幸せの形だった。
どれほどの時間をそう過ごしたのだろう。
始めた時間が分からないから時計を見ても分からないのでアルスには知りようもなかったが、少女は規則正しい呼吸と共に寝入っていた。
背に回された腕を解き、起こさないようにそっと寝台に横たえる。
「変わったな……」
幼く痩せ細っていた少女は細身程度に育った。頬は痩けていないし、血色もいい。
眠る姿も折れてしまいそうな危うい儚さではなく、可憐な花のような儚さと美しさを宿していた。
初めて出会った頃とは大違いだと微笑んで、寝台に横たわろうとしてから風呂に入ってないことを思い出した。
流石に良くないな、と判断したアルスは音を立てないように気をつけながら替えの衣服を用意して部屋を出た。
※
人の気配が薄いホームを暫し歩いて辿り着いた浴場には、どうやら先客がいるようだった。
湯船に浸かって寛ぐ気配に足が少し止まる。
言い方は悪くなるが、弱い下部団員の前にアルスが姿を出すと恐縮されたり畏怖されたりでお互いに気が休まらないのだ。
団員の全てを同じ【ファミリア】、同じ神を親とする『家族』だと看做すアルスの思考は、それだけで人間関係が纏まるものではない現実によって偶に負ける。
まあ、だからどうしたと言える精神を持っているからこそ彼は彼なので、そのまま脱衣を敢行。
ラウルだったらビビらせてシバくとか考えて、シャワーを浴びる。
勢いよく浴びせられる熱湯に心地良さを覚えながら、明日からの予定を少し考える。
遠征が近いため、ダンジョンに潜るのは必要にかられない限りなし。
装備の整備は必須だが急務ではなく、ポーション類の補充は必要ない。
そうなるとアイズと過ごす事が最優先で問題ないことになり、気分の良さを感じながら溢れる熱湯を止めた。
湯船に浸かっていこうと歩みを進めれば、見覚えのあるドワーフが一人で酒を飲んでいた。
「む、アルスか? 一杯どうじゃ!?」
「なんだ、ガレスか」
お前風呂で酒飲むなよなー、と小言を言いながら一杯受け取る。
時間的にも寝酒には丁度いいという判断からであり、度数もそう高くはなかったのでアルスはそれで満足した。
米酒、極東の酒の類だなと当たりをつけて、今度高いのを見繕うことを決める。
「一杯だけで満足なのか?」
「アイズもいるしな。一杯なら別に匂わんだろうけど、それ以上は流石にな」
「そうかそうか!」
酒を断られたというのにガレスは上機嫌だった。
残念そうにすることもなく、返事を聞く前よりも嬉しそうに酒を飲んでいる。
彼が酒を豪快にがぶがぶと飲むのではなく、お猪口に注いでじっくり飲む姿は非常に珍しい。
鯨飲するのが常のドワーフに何があったと思うが、ここしばらくの出来事を考えたアルスは尋ねることも無く納得した。
この男も、リヴェリアではないが嬉しくて仕方がないのだ。
リヴェリアはもちろんのこと、ガレスもアイズを愛している。それはアルスに対しても同じことだ。
彼らにとって自分たちは子どものようなものだという自覚があったし、それなりにやんちゃをして心配をかけた自覚がある。
「……あのチビッ子が、随分と大きくなったもんじゃ」
「まあ、子どもだったからネ」
「よく言うわ。あの頃の方が今よりよほど大人だったじゃろうに」
「やさぐれてた時期の話はやめてくれ……」
相当恥ずかしいのだろう、そっぽを向く横顔は赤かった。
「本当に、大きくなった」
「ガレス?」
思い出に耽けるように虚空を見るドワーフに、彼はそれ以上の言葉を紡げなかった。
「思う存分に酒盛りが出来んのは些か不自由じゃがのう」
「そこはまあ、リヴェリアが厳しいしな」
「お主も相当じゃろうて……」
自覚がないのか、惚けた顔をするアルスにガレスはにんまりと笑って背を叩く。
子どももいないのに、孫がいればこういうものなのかと二人を見てきたドワーフは、背を叩かれた男が噎せる姿を見て豪快に笑った。
「大して痛くはないけど吃驚するんだがッ?」
「なぁに、孫娘を奪う男なのだ。甘んじて受け入れておけ!」
「もしや俺は孫ではない!?」
「それとこれとは話が別よ……ッ!」
「そもそも似たようなくだりで殴り合わなかったっけ!?」
「儂は何度でも構わんからな!!」
ガッハッハッ、と豪快に笑う。
空っぽになった徳利が倒れ、少ししてお盆がひっくりかえってお猪口は徳利と一緒に湯船に浮かんだ。
背を叩く手は止まらない。上機嫌なガレスは酒がなくなっても止まることはなく、アルスの背中に微妙な痛みを与え続ける。
しばらく続いたそれは、新たに浴場に訪れた誰かの気配によって中断された。
「なんだ、やけに騒がしかったけどもういいのかい?」
「フィンか! 酒はもうないぞ!」
「いや、湯船に浸かりながら飲む気は無いかな」
苦笑と共に
小柄ながらも鍛え抜かれた肉体は逞しく、その身体には古傷が幾らか見える。
小さくとも戦い抜いた戦士の肉体だった。
しっかりと鍛え上げた肉体が三つ、湯船に浸かる。
普通にむさ苦しいことこの上ないが、子どもにしか見えない容姿の若作り男が現れたことで僅かな緩和を得ていた。
同時に、背を叩く手が止まったことにアルスが心の中で感謝した。
「それで、何を話していたんだい?」
「なに、小さかったこやつらが子までこさえたじゃろ。大きくなったと喜んでおったところよ」
「ああ、なるほど。確かに大きくなったね」
「なんか恥ずかしいから上がっていいか??」
そんなことを彼らが許す訳もなく、アルスは抵抗虚しく湯船から離脱できなかった。
「まあ実際、僕も嬉しくは思うよ。食堂を壊したこと以外はね」
「うっ……」
「ぐぬっ……」
「アルスはいつも僕の胃を苛めるから、そこはまだ子どものままかな」
「誠に申し訳なく……」
謝罪に乾いた笑いを返してくるフィンに眉根を下げるアルスだったが、弁明のしようもないので黙ることで対抗する。
それを見てガレスがガハハと笑い、フィンが意地の悪い顔をするので拗ねたアルスが顔を逸らした。
「まあ胃が痛くなったらまた失踪するのでそのつもりで」
「……【勇者】の名が泣いてないか?」
「なに、その程度で揺らぐ名声じゃないさ。それに戦略的撤退もまた勇気ある決断だとも」
「どうせ事務処理はラウルあたりに押し付けるんじゃろ。小狡いやつじゃ」
「ノーコメントで」
「フィン……」
いないところで犠牲者にされる男を憐れむ者はここにはいない。
一頻り談笑したところで十分に温まったと判断したフィンが初めに湯船を出たのを切っ掛けにして、アルスとガレスもそれに続いた。
これ以上の長湯は無意味との判断である。
三人仲良く並んで体を拭いて、それぞれが寝やすさを優先したシャツとズボンを纏った。
「ああ、そうだ」
じゃあおやすみ、と別れようとしたところでフィンは不意に二人を呼び止めた。
立ち止まった二人がフィンに顔を向け、それを受けて少しだけ表情を引き締めて口を開いた。
「リヴェリアにも明日伝えるつもりなんだけど、最近どうも嫌な予感がする」
「いつもの親指か?」
「いや、もっと漠然としたものだ。正直な話、僕も困惑していてね」
ふむ、とそういったことを感じていない二人は唸った。
とはいえ、フィンのその手の話は気をつけていて損は無い傾向にあるので無視などしない。
少々不気味だが、直近で何かあるならば遠征かと二人は結論を出した。
「心当たりはないが、儂も気をつけておこう」
「俺もだな。暇な時にでも色々と手を回しておく」
「ありがとう、助かるよ」
今度こそ、三人はそれぞれの部屋へと戻った。
変わらない日常と迫る遠征。
何が起こるかなんて誰にもわかるはずはなく、暗がりの中を歩くように。彼らは導なき旅路を行く。
それを、いつかの誰かは『冒険』と言った。
【次回予告】
アイズさんのにちじょー