狩人を引退しようとした男のお話。

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──あの日剣を置いた全ての同胞達に捧ぐ。

 


狩人の世界

 手のひらの皮が、少し薄くなっている気がした。当然といえば当然なのかもしれない。もう、己を磨く為に剣を振ることも無くなってしまったし、滲む汗で滑りそうな太刀の柄を握り直すこともめっきり無くなってしまったのだから。

 

 ──どうして、俺はまだここにいるんだろう?

 

 防具すら着けずに、狩人が集まるギルドの集会所で酒だけ呷る日々。狩人を辞めた今でも尚、この場所に足を運んでしまう。まだ未練があるのか、或いは今でも尚、居場所を求めてしまうのか。

 

 集会所は活気溢れるハンター達で賑わっていた。これから狩猟へ向かうべく、英気を養う為に温泉に浸かる者、狩猟を終え、仲間達と祝杯をあげる者、力比べの為に腕相撲をする者、それを見て口々に応援や野次を飛ばす者……その誰もがこの世界に生きており、俺のようなこの世界から弾き出された者には目もくれなかった。当然だ、この世界は弱肉強食。死人に目を向けていられるほど、甘い世界ではない。

 

 温い麦酒が喉を通る。この麦酒が美味いと感じてしまうことが、或いは弾き出された証拠なのかもしれない。何も成せず、何も成そうとしていない時の酒が美味いわけが──

 

 

「お兄さん、ハンターだよね?」

 

 

 ──声を掛けられた。

 狩人から弾き出された──自ら逃げ出した男に、声を掛けるハンター等、いるはずも無いのに。

 

 

「お兄さん、ハンターだよね?昔ジンオウシリーズ着てた……太刀使い?だっけ」

 

 

 その声の主は、レイアシリーズを身にまとった紛れもない「ハンター」だった。声と顔から女性であることは解るが、鎧の隙間から見える肉体は明らかに一般的な女性の筋肉量を越えている。よく見ると頬には痛々しい傷跡までついており、一目見るだけでも幾多もの死線を潜ってきた熟練の女ハンターであることは予想出来た。

 昔ジンオウシリーズを身に着けていた太刀使い。それは紛れもなく声を掛けられた俺だ。だがそれはあくまでも昔、「過去」の話である。今の俺に狩人としての面影はない。だから何故、彼女が俺に声を掛けたのか、そこに至る理由が見当たらなかった。

 

「……確かに、俺は昔ジンオウシリーズを着けて太刀を使ってたよ。でも昔のことだ。俺はもうハンターじゃない」

 

「えー、どうして?」

 

「…………色々あるんだよ」

 

「そっかー。ジンオウガの狩猟依頼があったから、お兄さんと行けたら倒せるかなーって思ったんだけど……それじゃあしょうがないのかな」

 

 彼女はあっけらかんとした声色で、思いの外すぐに諦めてくれた。語尾こそ少し残念そうではあったが、邪魔してごめんねと一言だけ残し、狩人達の喧騒に紛れていった。

 俺は、その背中を見送ることしか出来ない。麦酒を呷る。さっきより、味が薄くなっている気がした。

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

「お兄さん、みてみて〜!ロアルドロスを狩猟したんだけどさ、この鱗!普通のロアルドロスの鱗より綺麗じゃない!?」

 

 

 

 ──その日も、彼女は俺に声を掛けてきた。

 相変わらず狩人の喧騒に塗れた集会所。その喧騒の最中にいるべきであろう彼女は、喧騒の中から外れた俺に声を掛ける。麦酒の味は、今日もまた薄かった。

 

「……解らない。ロアルドロスの鱗なんてもう何年も見ていないから、普通の鱗がどんな色だったか覚えてないんだ」

 

「そっかー。すっごい綺麗だと思ったんだけどなー。お兄さんならわかってくれるかも!って思ったけど」

 

 解るわけないだろ。俺はどうして君が声を掛けてくるのかすら解らないんだ。

 麦酒を口に含む為に、ジョッキを持ち上げる。俺はジョッキを口に付けるその瞬間まで、もうその中身が無くなっていてジョッキがすっかり軽くなっていることに気が付かなかった。

 

 

 

 ─────

 

 

「お兄さん!秘薬ってどうやって作るの!?教えてくれない!?」

 

「……なあ、何度も言ってるだろ。俺はもうハンターじゃないんだ。秘薬の調合の仕方ももう忘れた」

 

 彼女は何度も何度も、もう狩人でない「はず」の俺に話しかけてきた。ずっと、あっけらかんとした声色で、どこか楽しそうに俺に話しかけてきた。

 

 ──その姿は、かつて狩人として刹那を生きていた俺の過去に少し被るような気がしていた。

 その姿を忘れる為に、彼女に話しかけられる度に麦酒を呷る。その味は、日に日に薄くなっている気がした。あんなに美味かった筈の麦酒が、今は何も美味に感じられない。彼女に最初に話し掛けられたその日から、その味を忘れてしまったかのようだ。

 

「私調合すっっっごく苦手でさ!お兄さんならもしかしたら調合出来るかな〜って思って!」

 

「……出来ない、忘れた。俺もハンターだった時、調合は得意じゃなかったから」

 

「そっかー……残念」

 

「…………ギルドストアに調合書が売ってた筈だろ、それを読みながらやれば少しは解るんじゃないのか」

 

「……あ、そっか!なるほど!調合書読めばいいじゃん!ありがとうお兄さん!」

 

 彼女はにこやかに微笑み、そして喧騒に消えていった。空になった麦酒のグラスを眺める。……おかわりを頼む気には、何故かなれなかった。

 

 

 

 

 ──────

 

 

 

 

「お兄さん!今日は私も一緒に飲んでいい?」

 

 その日も、また彼女は俺に話しかけてきた。

 その日、初めて彼女は俺と同じ机で同じ麦酒を頼んだ。

 断る理由はなかった。だが、何故彼女がそうしているのかの理由もまた、ないようにすら思えた。少なくとも、俺には解らなかった。

 

 だから──

 

 

「……別に構わないが、一つだけ教えてくれ。どうして、お前は俺に声を掛けるんだ?」

 

 

 ──解らなかったから、それを理解しなくてはならなかった。味のしなくなった麦酒の理由を、軽くなったグラスに気が付けなかった理由を、今この場で彼女にそれを聞いた理由を、理解しなくてはならなかった。

 彼女のあっけらかんとした表情が、いつも変わらないその表情が、今日は何故かとても怖く感じた。それは恐らく、俺が今から訪れるであろう返答を怖がっているということ。何を怯える必要がある?お前は昔、轟竜ティガレックスの咆哮を幾度となく聞いてきたじゃないか。それに比べたら彼女の言葉なんて鈴の音よりも優しい筈だろう?……それでも怖いものは怖い。

 

 彼女が、口を開く。

 

 

「うーん、どこから話そうかな……私さ、いろんなハンターズギルドに籍置いててさ。いろんな集会所をほっつき歩いてるんだけどね。三年くらい前かなー、このユクモ村の集会所に来た時さ。すっごい楽しそうなチームがあったんだよね」

 

 

 三年前。ああ、そうか。三年前か。

 

 ──俺が、ハンターとしてチームを組んでいた頃だ。

 

 

「そのチームはさ、私がいつ集会所に来ても楽しそうにしててさ。狩猟に失敗したー!って叫びながら次こそは狩る!って言いながら笑顔で作戦会議してたり、今日戦ったホロロホルルの羽は普通のホロロホルルより綺麗だった!ってはしゃいだり、あんなに大きなジンオウガは見たことがなかった!って大袈裟に驚いたりさぁ……ホンットに楽しそうだったんだよね」

 

 いつの間にか、彼女の表情はあっけらかんとしているいつもの表情から、何かに思いを馳せているような、何処か少し……普段の表情より、少し楽しそうに見えた。

 麦酒が温くなっていくのも気にする暇が無いほど、俺は彼女の話を聞いていたと思う。

 

「羨ましかったんだぁ。ああ、ハンターって、モンスターハンターってあんなに楽しくやれるんだって。私は一人でふらふら適当にやってたんだけどさ。あのチームは皆で、ハンターという職業を、この弱肉強食の世界を、ホンットに心から楽しんで生きてるんだなって思うとね。本当に、本当に羨ましかったんだ」

 

 

 

「──お兄さん、ジンオウシリーズ着けてた時、そのチームにいたよね?」

 

 

 

 

 ──ああ、そうだよ。

 

 喉が何故かカラカラで、肯定の言葉を出したかったのに声が出なかった。だけど、今は温くなって味もしない麦酒を飲む気にはなれなかった。飲めなかった……否、飲むわけにはいかなかった。

 

 そうだ、俺はあの時あのメンバーで、あの世界を、本当に楽しんでいた。生きるか死ぬかの境界線を何度も潜り、その度に死ぬほどの恐怖を覚え、足が棒になるまで走り、腕が上がらなくなるまで太刀を振るい、手が痺れるまで鉱石を掘り、気が遠くなるまで魚を釣り、腰を痛めるまで草の根を掻き分け……それらが、おかしいくらいに楽しかった。あいつらと生きる時間が、あいつらと戦っていた時間が、本当に楽しかった。

 

 確かに、俺は。彼女が言うジンオウシリーズを身に着けていたその時の「ハンター」だった。

 

 

 

「私はそこからしばらくここの集会所には来てなかったんだけどさ。三年間、いろんなハンターズギルド、集会所を巡って、いろんなハンターと狩りをして、いろんなハンターとお話して、いろんなハンターを見てきたんだけどね。お兄さん達のチームが一番楽しそうだった。一番「生きてる」って感じがしたんだ──だから、三年振りにこの集会所に来て、あのチームがもう無いことにびっくりした。すごく……寂しかった」

 

 

 

 ああ、俺もだ。

 

 俺も、すごく寂しかった。そうなんだ、寂しかったんだ。

 

 

 

「看板娘さんに聞いたんだ、あのチームは、あのチームにいた人達はどうしたんですか?って。そしたら……一人を除いて皆、狩猟中に亡くなったって聞いてさ。それで、お兄さんもハンターをやめたって聞いたんだ」

 

「……ああ、そうだよ。俺はあの時、楽しかった、生きていた時間を全て奪われた」

 

 

 どうしてそんな事を話す時だけちゃんと声が出るんだ。

 確かに、俺はあの時楽しかった、生きていた時間を全て奪われた。だがそれでも尚、また新しく生きていく為の時間を作ろうと。一人でも、狩猟に向かおうとはしたんだ。だけど、一人で狩りに出向いたその日、俺はあの時間はあいつらがいたから生きていられたんだって思わされてしまったんだ。きっと、俺は狩人としての時間は好きではなかった。「あいつらといる時間」が好きだったんだ。

 

 

「──お兄さん、私ね。お兄さんと行きたいクエストがあるんだ」

 

「…………やめてくれ。俺はハンターの仕事が好きじゃなかったんだ」

 

 違う。

 

「──私は、あの時あんなに楽しそうに生きていたお兄さんが、大好きだった」

 

「…………確かに、あの時は楽しかったよ。でもそれは「ハンターが」じゃない、「あいつらといた時間が」楽しかったんだ」

 

 違う。

 

 

 

 

 

「──じゃあどうしてお兄さんは、今でもこの集会所で酒を飲むの?」

 

 

 

 

 

 ──喉はカラカラに渇き切っていた。

 冷えた麦酒を寄越せと脳が騒ぐ。そう、冷えた麦酒。美味い美味い麦酒が飲みたい──

 

 

 ──あの、クエストを終えた後の、最高に美味い麦酒が飲みたい。

 

 

 もう、味のしなくなった麦酒は、唯座っているだけの麦酒は飲み飽きてしまった。

 

 手のひらの皮は、もう薄くなってしまっている。筋肉量も減った、防具を着けて走り回れるはずが無い。武器も満足に振り回せるとは到底思えない。

 だけど、あの時の感覚を思い出したい。あの時の感覚に憧れていた、彼女が。もう弾かれたと思っていた、弾かれてしまいたいと思っていた自分に声を掛けてくれた、彼女が。もう一度だけ、自分を狩人にさせてくれるというのなら。

 

 

 

「…………お兄さん、一緒にクエスト、行ってくれる?私に、あの時の楽しさを教えてよ」

 

 

 

 答えは──イエスと言わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

 

 

「お兄さん、みてみて〜!セッチャクロアリいっぱいとれたよ!」

 

 レイアシリーズを見に纏いながら、一心不乱に虫あみを振る彼女。その脇で俺も同じように虫あみを振っている。虫あみ自体は全く重くないのだが……防具を着けていると、こんなにも連続で振り続けると、こんなにも大変だっただろうか。

 

 彼女が俺と行きたい、と言ったクエスト。それは「渓流の採取ツアー」だった。どうやら採取ツアーチケットを持っていたらしく、渓流で様々なアイテムや武具の素材集めがしたかったらしい。久々の狩場になった俺にとっては採取ツアーはモンスターと戦う必要も無く、武器を振るう必要が非常に少ない為有難いクエストとも言える。

 

「あとは……ハチミツと鉱石類がもうちょっと欲しいな……お兄さん、ハチミツってどこにあるの?」

 

「ハチミツは……確かエリア5の森林地帯にデカい蜂の巣があったはずだ。そこの蜂の巣からかなりの量のハチミツが採れたはず……だけどブルファンゴや、場合によってはアオアシラも出る地帯だから気を付けろよ」

 

「流石お兄さん、詳しい〜!」

 

「……三年前の知識だけどな。生態が変わっているかもしれないからあんまりアテにするなよ」

 

「うん!じゃあ早速エリア5に行こうよ!」

 

「わかった。ここはエリア7だから……そっちの方向だ。途中、エリア6で鉱石が採掘出来るポイントもあった気がする」

 

「おっけい!」

 

 水に濡れたジンオウシリーズを揺らしながら、南へ向かう。久々に着けたアイテムポーチの中には、回復薬や食料、各種手投げ玉等が揃っていた。恐らくは手投げ玉を使うことは無いだろう……あっても、今の俺はちゃんとモンスター目掛けて投げられるのだろうか。

 背の高い水草が生えているエリア7を抜けて、この渓流という狩場を象徴するような滝があるスポット、エリア6へと移動する。モンスターの狩猟依頼等が出た場合はこのエリアが主戦場となることも多い為、俺もこのエリアには様々な思い出があった。初めてアオアシラと相見えた時、ジャギィの群れに囲まれた時、ドスファンゴに勢い良く突進されて水浸しになりながら地面を転がった時、そして──ジンオウガと死闘を繰り広げた時。

 

 ジンオウガと初めて戦った日は、ちょうど今日のように、何かの採取クエストをしていた気がする。偶然、狩猟環境が不安定になっていて、突然の咆哮が聞こえて、驚いて……。

 

 ──嫌な予感がする。何故そんな予感がしたか?と言われると根拠は一切なかったが、或いは……鈍り切っているであろう狩人の本能が、少しだけ危険予知を働かせたのかもしれない。

 

「……なあ、ひとつ聞いていいか?」

 

「どしたの、お兄さん?」

 

「……お前、さっき虫あみで虫を捕まえてた時。雷光虫を一匹でも捕まえたか?」

 

「雷光虫?……いや、今日はそういえば一匹も捕まらなかったね」

 

「……俺もだ」

 

 雷光虫はそんなにわんさか居る……という訳では無いが、俺達は相当虫あみを振り回した。そんな中で雷光虫が一匹も採れない、ということは……少なくとも今までの俺の記憶ではあまりない。

 考えられる可能性は二つ。一つ目は雷光虫の天敵、ガーグァが相当数棲息しており、雷光虫を食い荒らした。しかしこの可能性は恐らくほぼゼロだ。何故かというと、さっきエリア7にガーグァが居なかったから。三年前の記憶では、ガーグァは渓流では主にエリア1とエリア7を縄張りにしていた筈だ。その二つのエリア両方に棲息していたならガーグァが雷光虫を食い荒らした可能性もあるが、エリア7に居なかった以上、その可能性は無いと思っていいだろう。

 

 なら、考えられる可能性はもう一つの方に絞られる。それは……ジンオウガに引き寄せられている、という可能性。

 ジンオウガは雷光虫を集めて電気を溜め込み、超帯電状態という状態になり運動を活性化させる。雷光虫もジンオウガの電気を浴びて帯電することで超電雷光虫となり、互いに互いを助け合う共生の関係となるのだ。もし、今渓流にジンオウガが棲息しており、渓流の雷光虫を集めて帯電していたとしたら──

 

 

 

「──伏せろっ!!!」

 

 

 反射的に声を出して、同時に俺も伏せていた。刹那、全身を駆け巡る、凄まじい程の「圧」。圧倒的な強者を前にした時、いやでも感じてしまう恐怖心。三年間忘れていた感覚が、恐怖が、死が、突然自分に帰ってきた。

 

 ああ、俺はこんなに怖い思いをしながらずっと戦ってたんだな──。

 

 地面が揺れる感覚と、ズシンという重厚な地面を踏む音。伏せていた頭をゆっくり上げてみると、そこにいたのは──碧色と金色に身を固めた牙竜種の大型モンスター。無双の狩人、ジンオウガそのものだった。俺の嫌な予感は的中していたらしい、背中には帯電した雷光虫が嫌という程集まっている。

 

「お、お、お兄さん!あ、あいつ……」

 

「ああ、ジンオウガだ!落ち着け、まだなんとかなる!」

 

「で、でも!私、この前あいつの狩猟に失敗し──」

 

「──吼えるぞっ耳を塞げっ!!!」

 

 

 ──空気を揺らす程の凄まじい咆哮が、滝の奥まで、森の中まで、川の底まで響き渡った。俺達はただその凄まじい爆音に耳を塞いで蹲ることしか出来ない。それは俺達──人間が弱者であることの紛れもない象徴、恐怖の体現。無防備な時間を晒してまで、そうせざるを得ない弱さそのものだった。

 やっと爆音から解放され、耳から手を離す。そして彼女の方を振り返り、まずは彼女の安全を確認しようとした──が、ジンオウガがそんな隙を簡単に作ってくれるはずが無い。超帯電状態による凄まじい運動能力で俺に向かって飛び掛ってきた。その体躯で押し潰されれば、俺は一切の祈りの間も無く死を迎えるだろう。とてつもなく不格好な横っ飛びでその巨体を躱し、背中の太刀に手を掛けた──だが。

 

 太刀が抜けない。震える手が、上手く柄を握ってくれなかった。

 

「くっ……落ち着け、落ち着け……!」

 

 怖い、怖い。三年前、どうやって動いていたのか、どうやって戦っていたのかが全く思い出せない。太刀を振れる気がしない、あんな巨大なモンスターに本当に三年前勝っていたのか?

 

 

 ──刹那。

 

 

「お兄さんっ!!目ェ閉じて!」

 

 

 彼女の声が聞こえた。反射的に目を閉じる。その一瞬後、閉じたまぶた越しに凄まじい光量を感じ、そしてジンオウガの忌々しそうに呻く声が聞こえた。目を開けると、どうやらジンオウガは目を潰されたらしい。十中八九、閃光玉だろう。手投げ玉の一種で、投げて衝撃を与えると凄まじい光量を放ち、モンスターの視界を一時的に奪うアイテムだ。

 

「今のうちにエリア5に行きましょ!」

 

 彼女が一気に駆け出すのが、視界の端で確認できた──まずい。

 鈍り切ってきた狩猟感覚が、少しずつ戻っていくのを感じる。閃光玉によって視界を奪われたモンスターは、大きく分けて二パターンのうち、どちらかの行動を取る。視界が回復するまでその場に留まり、威嚇行動を取って牽制するだけか、視界が回復するまでの間、無差別に当たり構わず攻撃を始めるかのどちらかだ。超帯電状態のジンオウガは気性が非常に荒い。どちらの行動を取るかは容易に想像出来る──

 

 ──気が付けば、全速力で彼女の方へと走り出していた。

 俺が彼女に向かって走り出すタイミングと、ジンオウガが無差別に暴れ始め、偶然にも彼女の方へ突進を始めようとしたタイミングはほぼ同時だった。体躯、運動能力、全てに於いて向こうが上だ。間に合うかどうかは……はっきり言って紙一重。

 

「──っ!?」

 

 彼女が迫り来るジンオウガに気が付き、恐怖と驚きで足が止まってしまった。つまり、俺が間に合わなければ彼女は──無事では済まない。

 三年前と比べて、足が重い。思うように身体が動かない。俺の全速力は、こんなにも遅かっただろうか?強走薬を予め飲んでおけばよかった!

 

 だが、それでも間に合わなければならない。彼女が、あの時の楽しさを教えてくれと言うなら。彼女が、俺にあの時の楽しさを、生き方を思い出させてくれるというのなら。俺は、ここで掴み取らなくてはならない。あと三歩、あと二歩、あと一歩──

 

 

 

「間に合え────っ!!!」

 

 

 

 全力のダイブ。どれだけ格好悪くたっていい。そうだ、この世界でそれを笑うやつなんていなかったはずだろ。皆、必死になった時のダイブなんて似たようなもんだったじゃないか。

 決死のダイブで彼女を抱き掴み、そのままの勢いで二人で地面に倒れ込み、更に一気に地面を転がる。その一瞬、本当の刹那の後。背中を凄まじい風圧が襲った。ジンオウガがほんのさっきまで彼女がいた場所を全速力で駆けた後だろう。間一髪、彼女と俺は「生」を勝ち取った。

 

「お、お兄さん!」

 

「大丈夫か!?」

 

「うん──な、なんとか!」

 

 だが、まだ終わりではない。まだ、ジンオウガから逃げられた訳では無いのだ。──否、寧ろ逃げるのが大変なのはこれからだろう。もう間もなく、閃光玉で奪った視界も回復する筈だ。そうなれば今度は無差別ではなく……俺達を明確に狙って攻撃してくる。鈍りきった俺と、恐らくジンオウガを狩猟できる程の実力ではない彼女の二人で、無双の狩人に勝つことは不可能。なんとしても、逃げなければ。

 どうやって?閃光玉は二度目以降はモンスターも慣れてしまう為効果が薄い。そもそも今の俺は手投げ玉を狙った所に投げられるのだろうか──?

 

 ──そうだ、あるじゃないか。この状況を打開出来て、確実に狙った所に投げられる手投げ玉が!

 

 

「──これだっ!!」

 

 

 アイテムポーチから「それ」を取り出し、そして彼女と俺の丁度間、その地面に叩き付ける。

 

「逃げるぞっ!!」

 

 それ──モドリ玉はドキドキノコと素材玉を調合することで作る事が出来る手投げ玉の一種だ。衝撃を与えると辺りにドキドキノコの催眠胞子を撒き散らし、それを吸った人間の帰巣本能を強く刺激し、催眠状態へ陥らせてとてつもない速度で安全な場所──ベースキャンプまで帰ることが出来る、緊急脱出用のアイテム。これなら地面に叩き付けるだけで良いから、狙いをつける必要も無い。

 叩き付けられたモドリ玉は直ぐに緑色の煙と共に胞子を撒き散らし、俺と彼女の帰巣本能に発破を掛けた。緑色の煙はジンオウガにとっては煙幕となり、きっと一目散に凄まじい速度で逃げる俺達を少しでも隠してくれているのだろう。

 

 やがて催眠状態が浸透し、意識が飛んでいく──

 

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 次に気が付いたのは、ベースキャンプのテントの下でゼェゼェ言いながら倒れている瞬間だった。

 モドリ玉の催眠状態はバカにならない。全身は強い疲れを発信しているが、身体中の何処にも大きな怪我は見当たらない。

 それは──横で同じようにゼェゼェ言いながら伸びている彼女も同じだった。

 

 二人共、無事に生きていた。

 

 

「はぁ……はぁ……お兄さん、ありがとう」

 

「………………くくっ」

 

 

 そうだ、生きていた。

 

 あんな大きなモンスターと遭遇したのに、二人共無事に生きていたんだ。

 三年間鈍り続けていた身体でも、生きていた。三年越しに味わった刹那の恐怖を味わっても、生きていた。それって、とても素敵じゃないか?生きていたんだ、こんな格好悪くても!

 

 

「……くくっ、あはは、あははははっ!!」

 

「……お兄さん、どうしたの?」

 

 

 ああ、こうやって俺は生きてきたんだ、こうやって生きたんだ。

 そうだ、勿論「あいつらがいたから楽しかった」。それは間違いではなかった。けれど、それと同時に俺はこんな刹那の瞬間を、生きている瞬間を、それすらも楽しんでいたじゃないか!「ハンターとして生きる」自分を、楽しんでいたじゃないか!

 

 

「生きてた、生きてたんだぜ、俺達!ただの採取ツアーの筈なのに、突然ジンオウガが現れるなんて、そりゃあもう死ぬほどビックリしたよ!!だけど、必死に逃げたんだ!それで生きてたんだ!逃げることしか出来なかったのは……ちょっと悔しいけど」

 

 

「…………ふふっ、そうだね。お兄さん、三年前に私が見た時に戻ったみたい」

 

 ──何故、どんどん麦酒の味がしなくなっていっていたのか。それは、きっと狩人から弾き出されていた自分自身に退屈を感じていたから。その退屈を、彼女に突き付けられたから。

 

 俺はきっと、もう一度「ハンター」になれる。ハンターとして、生きていける。

 

 

「──ありがとな。お前のおかげで生きることができた」

 

「……お兄さんが私をジンオウガから助けてくれたのに、変な人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─────

 

 

 

 

 

 

 

 冷たくて、美味い麦酒を飲むようになってから十日が過ぎた。

 俺は三年間のブランクを取り戻す為、小型モンスターの討伐依頼と採取クエストを数件こなしつつ、太刀を振る筋力や体力をもう一度付ける為の基礎修練をやり直している。久々過ぎてどれもこれもが大変に思えるが、きっと大丈夫だろう。すぐまた慣れやカンを取り戻して、きっと前のように動くことが出来るさ。

 

 

「お兄さん!みてみて!これすごくない!?」

 

 

 ──彼女は相変わらず、麦酒を飲む俺に声を掛けてくる。いつものあっけらかんとした表情で、さも俺に話し掛けるのが当然かのように……否、当然になったのかもしれない。俺はもう狩人から弾き出されていた死人ではなく、狩人として生きる同じハンターなのだから。

 

「今日は何を見つけたんだ?」

 

「これ見て!」

 

 彼女が俺に見せたのは、どうやら何かの資料らしい。そこに記されているのは……見たことも無い小型のモンスターの姿。俺の記憶にはない姿をしていた。

 

 

 

「ガルクっていうんだって!!」

 

「ガルク?」

 

「そう!アイルーちゃんみたいに、私達に懐いてオトモしてくれたりするモンスターなんだって!カムラの里っていう所で見られるらしいよ!」

 

「カムラの里……聞いたこともないな」

 

「だよねだよね!私も聞いたことない!……ねえ、行ってみたくない?」

 

 

 

 

 ──彼女は、右手を差し伸べてきた。

 

 

 

 

 

 

「──君も、一緒に行こうよ。カムラの里!」

 

 

 

 

 

 

 その手を取るのは────君だ。




──最後の文字は、遠い遠い世界の誰かに宛てられたメッセージらしい。だが、曇って読めなくなっている……。武器を研ぐように磨けば、伝わるのだろうか?


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