ガリアの魔王と商人聖女   作:孤藤海

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ガリアの狂王

今は南朝と呼ばれているガリア王国の首都、リュティス。

 

ロマリアの教皇に“狂王”、今は北朝の女王であるシャルロットからは“簒奪者”と呼ばれている南朝の王ジョゼフが、どこまでも美しい庭で辺りを睥睨していた。ジョゼフが立つのは、季節折々の花々で咲き乱れるヴェルサルテイルでも一番の花壇、南薔薇花壇だ。

 

ジョゼフにとって、長らくソリティアとこの花壇の散策だけが、退屈な日々の孤独の慰めであった。国中の庭師たちが、贅と技術の粋を集めて作った二キロ平方メイルほどの土地に、数万本もの色とりどりのバラが植えられた地上の楽園。この薔薇園に投じた巨費は小国を一つ経営できるほどにもなる。

 

「まこと、見事な薔薇園ですわ」

 

ジョゼフの隣で一人の女性が感嘆の声をあげている。

 

「どうして、この薔薇園をお造りになられたんですの?」

 

「壊すためだ」

 

「まあ! また、ご冗談を!」

 

「冗談? ああ、そうだな。そう聞こえるだろう」

 

誰もジョゼフの心を理解してはくれない。唯一、ジョゼフの心の端に触れた自らの使い魔であるシェフィールドとも連絡は途絶えた。けれど、それすらも少し残念というだけで心を痛めるには及ばない。

 

「陛下に質問がございます。陛下は、わたくしを愛してくださいますの?」

 

「当たり前だ」

 

「そうならば、もっと優しくしてくださいまし。愛する殿方に邪険に扱われるのは我慢できませんわ」

 

そう言ってさめざめと泣く女をジョゼフは驚きをもって見つめた。

 

「余を愛していると言ったのか? それは真か? この無能王を? 国内外からそしられ、姪からは簒奪者と罵倒される余を、あなたは愛していると言ったのか?」

 

「はい。なぜそのように驚くのですか」

 

「あなたは金と地位が目当てなのだと思っていた」

 

そういうと、女はさらに涙をこぼした。

 

「わたくしは、たとえ陛下が平民だろうが物乞いだろうが、変わらずお慕い申し上げます。わたくしは、陛下がガリアの王だから愛したのではありませぬ」

 

「では、なぜ愛したのだ?」

 

「陛下が寂しいお方だからです。世界の富を集める王でありながら、ひとりぼっちであるからです。わたくしは、そんな陛下のお心を癒したいのです。差し出がましい女だとお思いにならないでくださいませ。それが愛するということなのですから……」

 

「あなたは優しい人だな。余はあなたを愛そうと思う」

 

そう言うと、ジョゼフは恍惚とした表情を浮かべた女の胸に短剣を突き立てた。ゆっくりと刃を引き抜くと、女が地面に崩れ落ちた。

 

ジョゼフは倒れた女には見向きもせず、そばに置かせていた壷の油をぶちまけた。火打ち石を用いて火を放つと、手塩にかけて育てた薔薇園は瞬く間に燃え上がった。

 

「余を愛すると言ってくれたものを殺しても、大切にしてきた薔薇園を焼いても、やはり胸は痛まぬな」

 

弟を殺して以来、ジョゼフの心の中は空虚なままだ。最後に心を震わせた弟の死。そのときと同じように、何か大切なものを失えば再び心が震えてくれるのではないかと思ったのだが、今回も無駄であったようだ。

 

ジョゼフは炎に背を向けてしばらく歩く。そうしてテーブルに置かれた伝声用の鉄管を取り上げた。風魔法が付与された、声を遠くに伝えるためのガリアならではの魔道具だ。

 

「両用艦隊司令に繋げ」

 

すぐに、王都に参内させていた両用艦隊の海軍大将に繋げられる。管の向こうの提督に、ジョゼフは短く命令した。

 

「両用艦隊、軍港サン・マロンより出港せよ。目標は北朝を名乗る反逆者どもだ」

 

「了解しました」

 

管をテーブルに叩き付けるようにして、ジョゼフを通信を終える。両用艦隊は薔薇園に負けず劣らずの巨費を投じて作り上げたハルケギニアで最強の艦隊だ。

 

その艦隊を先のトーナミ川の戦いに投入しなかったのは、必勝の戦など面白くないという実にくだらない理由だ。そもそも、その前のサガミールの丘での戦いにおいてもつまらぬ司令を派遣し、攻略にてこずっても更迭をしなかったのも、同じく僅かながらシャルロットに勝利の目を残すためだった。シャルロットは今のジョゼフにとって大切な娯楽。簡単に潰えてもらっては面白くない。

 

九割がた勝利というジョゼフの見立てを打ち破ってくるのが面白い。ただそれだけのくだらない理由のために、僅かな敗北の目を残し、掛け金として民の命を投じる。それもすべてはジョゼフの心にある、どうしようもない渇きを満たしたいという思いからだ。

 

「ああ、おれは人間だ。どこまでも俗な人間だ。なのに愛していると言ってくれた人間をこの手にかけても、この胸は痛まぬのだ。神よ! なぜおれに力を与えた? 皮肉な力を与えたものだ! “虚無”! まるでおれの心のようだ! “虚無”! ああ、ああ、それはまるでおれ自身じゃないか!」

 

いっそのこと人間らしい感情を望む心すら残っていなかったならば、ジョゼフはこれほどまでに苦しむこともなかった。喜びも悲しみも奪っておきながら、それを渇望する心だけは残すのだ。ジョゼフが神を憎み、ロマリアを潰そうとまで考えたのも無理なからぬことではないだろうか。

 

「ああ、おれの心は空虚だ。腐った魚の浮き袋だ。中には何も詰まっていない。からっぽのからっぽだ。愛しさも、喜びも、悲しみも、憎しみすらもない。シャルル、ああシャルル。お前をこの手にかけたときより、俺の心は震えんのだよ。まるで油が切れて、錆びついた時計のようだよ。自ら時を刻めず、ただ流れ行く時間を見つめることしかできぬガラクタだ」

 

ジョゼフは天を仰いだ。その頃になって、燃え盛る花壇に気づいた衛士たちが大騒ぎを始めた。火を消せ、宮殿に燃え移ったら大事だ、との声が響き渡っている。しかし、ジョゼフはまったく意に介さない。

 

「さあ行くぞ、シャルル。お前の娘を倒しに。さあ行こうシャルル。あらゆる美徳と栄光に唾を吐きかけるために。すべての人の営みを終わらせるために。どうだろう。そのときこそおれの心は涙を流すだろうか。哀しみにこの手は震えるだろうか。しでかした罪の大きさに、おれは悲しむことができるだろうか。取り返しのつかない出来事に、後悔するだろうか」

 

ジョゼフは笑った。天使のように、無邪気に笑った。

 

「シャルル、おれは人だ。人だから、人として涙を流したいのだ」

 

「父上!」

 

一人で悦に入っていたところを大声で邪魔し、近づいてきたのは、娘であり、王女であるイザベラだった。王族ゆかりの長い青髪をなびかせ、つかつかとジョゼフの元に歩いてくる。その顔は蒼白にゆがんでいる。

 

「いったい、何があったというのですか? この火事は何事です!」

 

「興味が失せた玩具を処分していただけだ」

 

「今や国の半分が北朝に寝返っているというのに、父上は一体、何をしているのです」

 

「国の半分が寝返った、か。それがどうした?」

 

煩さそうに言うと、イザベラの瞳に恐怖が宿った。愚かな娘はようやくジョゼフが化け物であることに気付いたようだ。

 

「ち、父上のおっしゃることが、まったく理解できませぬ! 王国がなくなりそうじゃありませんか! わたくしはどうなるのですか!」

 

「知ったことか。気に入らぬなら国を出て行け」

 

「……いったい、父上はなにをお考えなのですか?」

 

「去れ。お前を見ていると、自分を見ているようでイヤになる」

 

逃げるように去っていく娘を見送り、ジョゼフは再び笑みを浮かべた。

 

「さあ、シャルロット、両用艦隊を破って見せろ。そのときこそ、お前のために用意した、真の絶望を見せてやろう。お前の母の心を奪った憎き仇の作り出した絶望を見たとき、お前はどんな顔を見せてくれる? 俺にどんな感情を抱かせてくれる?」

 

ジョゼフの視線の先には、ヴェルサルテイルの端にある礼拝堂がある。そこにいるのは、シャルロットの宿敵たるエルフのビダーシャルだ。そこでビダーシャルが作り出したものを脳裏に浮かべ、ジョゼフは再び哄笑を始めた。

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