ローゼマインが帰還してから一週間後、タバサは各地の諸侯の軍と合流して南朝の王都であるリュティスへと向けて進軍を開始した。南朝方の諸侯を牽制するために各地に部隊を残しながらも、総数は五万にもなっている。
対する南朝方のジョゼフの元に残った兵は二万ほど。幾度も圧倒的な不利を覆してきて、歴代最高の戦上手とまで称されているタバサの前に、メイジはともかく平民の兵たちの士気は低いらしい。
次の戦で必ずジョゼフの首を挙げる。そう宣言してタバサは北朝の五色備えを総動員してリュティスへと迫った。布陣は前衛部隊として北からマヤーナ子爵の白備え、モローナ侯爵の赤備え、リョシューン子爵の青備え。その後に中軍としてタバサの黄備え、最後尾に後方警戒するシバー伯爵の黒備えが続いている。
あたしはジャンやマチルダと一緒にタバサの側に控えている。今日の戦はあたしたちを危険に晒すことなく終わらせるとタバサは言っていた。勝利のために捨てなければならなかったとはいえ、未だガリアの趨勢を決める戦はガリアの人間の手で行うべきという気持ちは強いのだろう。
「シャルロット殿下、前方に敵軍の姿を確認いたしました。旗印を見る限り、敵の前衛部隊の大将はニッダー伯爵。その後にジョゼフの本隊が続いている模様です」
高度を下げてきたシルフィードの上には、今日は女性護衛騎士のクリステルがいる。そのクリステルからの報告を聞いたタバサの顔が強張る。
「最後まで王宮に閉じこもったままかとも思っていましたが、ようやく自ら軍を率いる気になったようですな」
「ジョゼフはただの無能王ではない。十分に注意しなければならない」
北朝の首脳部の間ではジョゼフが虚無の担い手であることは共有されている。あるいはジョゼフがルイズ並みに強力な魔法を使える可能性もあるのだ。そうなればジョゼフの首を挙げるどころではなくなる。
とはいえ、ここまで来て進軍の足を緩めるわけにはいかない。まずはジョゼフの軍の動きに注意しながら、敵前衛のニッダー伯爵の軍を破らねばならない。
「クリステル、ジョゼフの軍の動きから目を離さないように。あと、できればジョゼフがどこにいるのか位置を把握してほしい。ただし無理は禁物」
シルフィードもタバサにとっては大切な存在だ。ジョゼフの位置を探ろうと無理をしてシルフィードが傷つくような事態は避けたいのだろう。
「心得ています。ご心配なく」
そんなタバサの思いは護衛騎士ならば当然、知っている。クリステルからは苦笑交じりのオルドナンツが戻ってきていた。
ほどなく南朝の前衛のモローナ侯爵と北朝の前衛のニッダー伯爵の軍が戦闘に突入する。モローナ公爵の兵は一万二千、ニッダー伯爵の兵は一万。両将の兵力だけならば、ほぼ互角。ただし、北朝側には両翼にマヤーナ子爵とリョシューン子爵の部隊が控えている。
しばらく両軍の間で激戦が繰り広げられていたが、やがてマヤーナとリョシューンの両子爵の軍も戦闘に加わると、南朝方ははっきりと劣勢になった。ニッダー伯爵の軍は耐え切れず、ずるずると後退を始めている。
味方は圧倒的に優勢。けれど、タバサの顔に笑顔はなく、むしろ表情は緊迫の度合いを増していた。
「おかしい。なぜジョゼフの本隊は全く動かない?」
その理由は、前衛部隊のニッダー伯爵の軍の苦戦にも関わらず、後方のジョゼフの本隊に全く動きが見えないことだ。何か策があるのか。そう疑わざるを得ないけど、明確に何かがあるわけでもないのに前線に後退を指示するわけにはいかない。
事態を見守っているうちに、予想はいい意味で裏切られる。前線より指揮官のニッダー伯爵を討ち取ったという報が届いたのだ。
「もしや単に何も策が思い浮かばないため、静観しているしかなかったのでしょうか?」
カステルモールがそう言ったとき、太陽が落ちたかと思うような鮮烈な光が平原の中に現れた。すぐに護衛騎士たちがタバサを取り囲んだ。
「何だ!? 何事が起った!?」
カステルモールが杖を片手に声を張り上げる。しかし、周囲からは答えの声はない。
あまりの光にあたしも少しの間、視界が真っ白に染まっていた。けれど、少しずつ視力が戻ってくる。
「何よ、これは……」
けれど、戻った視力が捕らえた目の前の光景が現実だとは、とても思えない。
「馬鹿な……」
同じくカステルモールも言葉を失っていた。あたしたちの前にはモローナ侯爵の率いていた一万二千もの兵たちがいて、更に潰走を始めていたとはいえ、一万もの南朝方の兵たちもいたはずだ。その兵たちが忽然と姿を消していた。
いや、正確に言えば兵たちがいた名残は残っている。あちこちに転がる黒焦げの人形のような物たち。それは強烈な炎で焼かれた、少し前まで人であったものなのだろう。その証拠に少し離れていたマヤーナ子爵とリョシューン子爵の両軍には火傷を負って苦しんでいる兵たちの姿が見えている。
「まさか、これがジョゼフの虚無の魔法なの……」
戦慄を隠し切れない声でタバサが呟く。けれど、本当にそうなのだろうか?
「ねえ、それは少しおかしくない? こんなに強力な魔法が使えるんだったら、もっと早くに使っておくべきじゃないの?」
すでに両軍は乱戦状態にあった。その状況で使ったので、ニッダー伯爵の軍の兵たちも全滅させてしまっているのだ。もっと早く、モローナ侯爵の部隊とぶつかる直前に北朝方の兵たちだけが犠牲になるように放っていたら、味方は総崩れになり、この戦はジョゼフの勝利に終わっただろう。
「なるほど、そちらの女が言っていることは正しいな。だが、それでは面白みがない」
唐突に後方から聞こえてきた声に慌てて振り向くと、そこには青髪の偉丈夫がいた。
「ジョゼフ!」
カステルモールの叫びで、相手がタバサの宿敵であるジョゼフだとわかった。
「面白みがないってのはどういうこと?」
一体、どうやって自分たちの背後に忍び寄ったのか。その理由を考える時間がほしいのもあり、あたしは尋ねてみる。
「可愛い姪は、おれの手で討たねば面白くないではないか」
「させるか!」
叫んだカステルモールがアイス・スピアーの魔法を放った。しかし、魔法が撃ち込まれた先に、すでにジョゼフの姿はなかった。
「カステルモール、おれはお前をただ頭を下げるしかない、おべっかつかいだと思っていた。おれは実に、人を見る目というものが欠けているな」
その声はあたしの右から聞こえてきた。見ると、ジョゼフは今度はそちらにいた。
「偏在? いや、違うわね。偏在なら魔法が当たってから消える。けれど、ジョゼフは魔法が当たる前に消えていたように見えたわ」
「そちらのお嬢さんはなかなか慧眼だな。この呪文は“加速”というのだ。虚無の一つだ」
予想外に答えを言われて、あたしは却って戸惑った。真実なのか、あたしたちを惑わせるための偽りか判断がつかない。
「あら、そんなこと、あたしたちに教えてしまっていいのかしら?」
「知ったところで、何もできはしまい。希望の中でこそ、絶望はより深く輝くのだ。さあ、俺に絶望を見せてくれ」
そう言い終わると同時に、再びジョゼフの姿が消える。
「ぐっ……」
直後、あたしの左側から呻き声が聞こえた。見ると、タバサの護衛騎士のアリスが左脇腹を押さえてうずくまっていた。自分たちの気付かぬうちに仲間が負傷させられたのを見て、アルヌルフ、ソワッソン、フランソワといった他のタバサの護衛騎士が杖を片手に警戒を高める。
それでジョゼフの言葉の意味を理解した。単純に早い相手にはどんな魔法も命中させることはできない。タバサの護衛騎士たちが懸命に魔法を放っているが、スクウェアクラスのカステルモールの魔法でさえ、かすりもしない。
「そろそろ終わりにさせてもらおう」
そう言ったジョゼフの姿が消える。周囲を見回したあたしが見たのは、タバサの背後に立つジョゼフの姿だった。タバサの首をめがけて、ジョゼフが短剣を振り下ろすのが、あたしの目には、やけにゆっくりとした動きで見えた。