イザベラは自らが率いる北花壇騎士団所属の騎士六名と、東薔薇騎士団から借り受けた五十名と一緒に、リュティスの西三百リーグの位置にある森の中に潜んでいた。イザベラの目的は、近くここを通るガリア南西部の雄、フォンサルダーニャ侯爵を討つことだ。
フォンサルダーニャ侯爵は比較的早期にジョゼフからシャルロット側に鞍替えをした諸侯の一人だ。けれど、その心はシャルロットよりもロマリアにある。フォンサルダーニャ侯爵がシャルロット側に転じたのは、ジョゼフに恨みがあったことと、何よりロマリアの影響が大きい。自身が保有する北花壇騎士団の密偵からの情報、そして潜入させたイザベラ子飼いの“地下水”からの情報により、イザベラを含めたガリア首脳部はそう判断した。
他の諸侯ならば、捨て置くこともできただろう。けれど、フォンサルダーニャ侯爵の領地はロマリアとガリアをつなぐ“虎街道”のガリア側にある。
“虎街道”は左右を切り立った崖に挟まれている谷底に幅数十メイルの細長い街道が、火竜山脈を南北に突き破るように、直線で十数リーグも続く要衝。もしもガリア軍が谷を抜けた後でフォンサルダーニャ侯爵が裏切り、谷を封鎖したら全滅は必至だ。
フォンサルダーニャ侯爵が明確にガリアを裏切るという確証まではない。だが、仮に裏切りが発生すれば、一気に敗戦となりかねない。その危険性は無視をできず、ガリア首脳部はフォンサルダーニャ侯爵の処断を決断した。
方法としてはロマリアとの和睦の可能性について意見を聞くという建前で侯爵の呼び出しを行い、その途中で刺客をもって誅殺するという原始的なもの。その後は謀反の疑いにより処刑ということで公表される。
一応、命を奪う方法の他、王宮まで呼び寄せた後で、ティファニアの忘却の魔法で信仰心を忘れさせるという案もないではなかった。それならば、フォンサルダーニャ侯爵と妻子や護衛の命、そして領民たちの命も失われることはない。けれども、忘却の魔法で相手の重要な記憶や思いを忘却させると、どうしても言動が不自然になってしまう。
その後、すぐに処断するつもりならば構わないが、忘却を使った後に家族の元に返せば、言動の不自然さは顕著になる。王宮に呼び出されて、帰ってきたら別人のようになっていたとなれば、何やら怪しい薬でも使われたのではないかという憶測が立つ可能性は高い。
ただでさえ、シャルロットはジョゼフの薬で母の心を壊されたことがある。その話は公にこそされていないが、知っている者は知っているのだ。同じような手段を取ったのではないかと噂になることは避けられない。
誅殺されるというのは恐ろしいことだが、誰にでもわかる行為でもある。それよりも誰にもわからないうちに心を壊されることこそ、人は恐れる。フォンサルダーニャ侯爵に忘却を使用することは短期的には利が大きいかもしれないが、長期的に見れば重大な禍根を残すことになりかねない。
そのような経緯から、イザベラはこの地でフォンサルダーニャ侯爵のことを待ち構えている。他にガリア南西部で戦っていたこともあり、地理に明るいリョシューン伯爵が青備えの精鋭三千騎を率いて密かにフォンサルダーニャ侯爵の領地へと進軍している。
イザベラがフォンサルダーニャ侯爵一行を討ち果たしたなら、即座にオルドナンツを飛ばす。そして、リョシューン伯爵は間髪置かずにフォンサルダーニャ侯爵の領地へと攻め込んで残った一族を討ち果たす。それがイザベラたちの計画だ。
その計画を現実のものとするためには竜籠でリュティスまで来てもらうと困る。そのためリュティスへの道中に領地を持ち、フォンサルダーニャ侯爵と親交のある貴族を抱き込んで、侯爵夫婦に加えて長男夫婦を宴に招待をしてもらった。
宴への参加となれば、衣装も侍女も用意しなければならない。そうなると人数や荷物を積めない竜籠は不向きだ。フォンサルダーニャ侯爵は狙い通り馬車を手配して招待をしてくれた貴族の邸宅へと向かったいる。
潜伏を続けることしばし、偵察のため先行している騎士からフォンサルダーニャ侯爵の馬車を確認したというオルドナンツが届く。それを受けてイザベラは全軍に攻撃用意の指示を出した。
具体的な作戦としては火のメイジが前方に火柱を立て、まずは馬車の足を止める。それと同時に背後への道を騎士が塞ぎ、しかる後に森の中から一斉射を行って護衛を減らし、最後は切り込みを行って掃討を行うという流れだ。
全軍が攻撃準備を整える中、フォンサルダーニャ侯爵一行の四輌の馬車がイザベラたちの前へと迫ってくる。護衛の数は二十名でメイジらしき者は八名。侯爵と長男夫婦の移動ということで護衛はそれなりに厳重だ。
だが、ここにいるのは精鋭のメイジばかり五十名。戦力としては十分。
イザベラが静かに腕を真上に上げ、振り下ろす。それを合図に侯爵一行の馬車の前方に火の魔法が放たれた。
「敵襲!」
侯爵の護衛たちが即座に動き出した。それなりに経験を積んでいる者たちであることが、迅速な対応から窺えた。けれど、こちらはそれ以上の精鋭部隊。手はず通り侯爵一行の馬車の後方を押さえて逃走を防ぐと、森の中から魔法を放っていく。
「メイジ!? しかも、こんなに大勢だと!?」
森の中から飛来する魔法の多さに警備隊長と思しき者が驚愕の声をあげる。その間にも護衛は次々と討たれていく。
「これはシャルロット陛下の手勢の仕業か!」
そんな中、突如として馬車の扉が開き、中から出てきたフォンサルダーニャ侯爵が叫んだ。さすがに野盗を偽装するには戦力が過剰過ぎたかもしれない。この間にも馬車の中では親交のある貴族へのオルドナンツが準備されているかもしれない。
このままシャルロットが暗殺を行ったと広められるのは拙い。仕方なくイザベラは森の中から姿を見せた。
「これはイザベラ様、一体、どういうことですか? この私がなぜこのような襲撃を受けねばならないのですか?」
「それは侯爵が一番ご存知なのではありませんか?」
「そのような心当たりなどないから尋ねています。かの継承戦争の折、私が南部諸侯の誰よりも早くシャルロット陛下の元に馳せ参じた忠臣であったことは、イザベラ様もご存知なのではありませんか?」
「侯爵は自らを忠臣と自称しましたが、それならば、なぜロマリアと頻繁に連絡を取っておられるのでしょう? 直近だと、確か三日前でしたか?」
そう尋ねるとフォンサルダーニャ侯爵の顔色が変わった。“地下水”からの情報で、文のやり取りを行っていることまではイザベラも掴んでいる。ただ、文の内容までは把握できていない。だから、これは一つの賭けだったが、どうやら文の内容はガリアにとっては都合の悪いものであったようだ。
「侯爵、大人しく捕縛されるのならば、この場での命は保証しましょう。手向かうならば、謀反の罪でこの場で処断します」
「おのれ、神を軽んじる大罪人の一族め! 簡単に私を討てると思うな!」
「侯爵を討ち取れ!」
フォンサルダーニャ侯爵が杖を掴み、詠唱を開始するのと同時にイザベラは護衛に囲まれたまま森の中へと退く。逆に東薔薇騎士団の騎士たちは一斉にフォンサルダーニャ侯爵の一行へと襲い掛かった。
元より数も練度もこちらが圧倒的に上。フォンサルダーニャ侯爵は奮戦したが、妻と長男夫婦とともに怨嗟の声を残して討ち取られた。
「リョシューン伯爵、神の背を覗かんとする者は神罰を受けられました」
予め決めてあったフォンサルダーニャ侯爵の暗殺の成功を知らせるオルドナンツを送り、イザベラは騎士たちに侯爵のみ首を取り、他は森の地中深くに埋めるよう指示を出す。結果的に誅殺することにはなったが、フォンサルダーニャ侯爵個人に恨みはない。せめて侯爵の家族や部下の遺体が魔獣などに荒らされることを防ぐための手段だった。
その作業を見守っていると、リョシューン伯爵からフォンサルダーニャ侯爵の館を襲撃して一族の悉くを討ち果たしたという知らせが届いた。シャルロットがガリアの魔王と恐れられ始めたのは、このときからだった。