エイザーンを落としたガリア軍だったが、その直後からロマリアとの戦線は膠着状態に陥った。というのも、いよいよ憂慮されていた大隆起の最初の一回が発生したためだ。
場所はアクレイアからも視認できる火竜山脈の一角。その光景を見たアクレイアの民の中には、これこそ神の怒りと言いだす者もいた。もしもそのとき、教皇がそれを肯定するような声明を出していたら、ガリアはあるいは一度、アクレイアから軍を退かなければならなくなったかもしれない。けれど、そのような声明は出されなかった。
その場のことしか考えないなら、声明を出した方がよかっただろう。だが、隆起が神の怒りでないことなどは、ヴィットーリオの方がよく知っている。安易にそのような声明を出してしまって、今度はロマリア国内で隆起が発生してしまえば、逆に致命傷になってしまう。そのような博打には出られなかったのだろう。
ともかくガリア軍はエイザーンに籠って情報収集に励むことになった。一方、ロマリア側もガリアが得意の野戦築城術を用いてエイザーン周辺の防備を固めたのと、ガリア同様に大隆起という事象に対して民たちの動揺を抑えることが必要になった。
大隆起が起きたのは人里離れた山の中であったため、人的な被害はなかった。けれども、山の一部が失われたことにより川や水脈にどのような影響が発生したのかは全く読めない。周辺の情報収集は急務だった。大隆起の第一報が届いてすぐに、シャルロットはイザベラにオルドナンツを送って調査を命じた。
それと並んで、今のうちにトリステインとゲルマニアに使者を送ることにした。ブリミル教徒との対立が先鋭化している現状では、旗頭として出馬をさせたマザリーニを派遣したトリステイン国内でも対立が発生しているおそれがある。関与を促した者として、まずは謝罪しておくべきだ。
「キュルケ、トリステインとゲルマニアへの使者を頼みたい。これは今後のロマリアとの戦の趨勢を左右する大事な任務になるけど、行ってくれる?」
ロマリアが大人しく軍を退いたのは、ブリミル教徒が圧倒的な支持を受けている現在のハルケギニアでは、ガリアが聖堂をいくつも焼いたという事実は、他国から義勇軍が駆けつけるのに十分という読みもあるためだろう。ただでさえガリアは軍を駐留させておくだけで国力の消耗を強いられる長距離遠征の中にある。黙っていては、時間はロマリア側に味方する。両国の貴族がロマリアに味方しないような調略は必須だ。
「任せておいて。ガリアを勝利に導くため、全力を尽くすわ」
「わたしたちの中で、トリステインのアンリエッタともゲルマニアのアルブレヒト三世とも交渉を行えるのはキュルケだけ。わたしたちの命運、キュルケに委ねる」
「ちょっと、あまりプレッシャーをかけないでよ」
キュルケの言葉にシャルロットと、同じ場にいる参謀のオーギュストとエドゥアルドが笑い声をあげる。
「コルベール、キュルケのことをよろしく頼む。トリステインとゲルマニアの両国に、無事に送り届けてほしい」
「わかりました。キュルケのことはお任せください」
今回の両国の訪問にはオストラント号を用いる。オストラント号が最大船速を出すには、この二人が適任だ。けれど、もう一つ言えば、次の戦にはさすがに二人を出陣させたくないという思いもあった。
ガリア軍十二万に対してロマリア側の兵力も十万近くになると予想されている。これは、多くの義勇兵たちも参戦してくるという予測の元に出された数値だ。
兵の装備と個々の実力と練度の高さ、加えて兵を率いる将たちはガリア統一戦争を戦い抜いた猛者たちが揃っている。兵の数にそれほど差がなくとも、純粋な戦力だけならガリア軍は正面衝突では負けようがないように思える。
けれど、ガリアの民もまたブリミル教徒たちだ。国の王の入れ替えを図るなどという教皇の暴挙に怒りを見せる者もいれば、信じる神の指導者に対して刃を向けることに迷いを抱える者もいる。その意味で士気は旺盛であるとは言い難い。
一方のロマリア側は戦意旺盛で、ガリア許すまじという強い気持ちを持っている。義勇軍の割合が多いため、指揮命令系統は怪しいものだが、正面の敵と戦うという限りにおいては比類なき戦闘力を見せることも予想される。
ひとたび指揮を乱せれば烏合の衆と化す可能性も高いが、地形などは地元のロマリア側の方がよく理解している。ロマリアの裏をかく奇襲が可能かと言われると、難しいと言わざるをえない。
死をも恐れぬ狂信者たちを正面から打ち破るのは難しい。最終的には策を用いて敵を崩すことになる。けれど、策を為すためには最初は敵と正面から激突することになる可能性が高い。お互いに、ただ相手を殺すためだけに刃を、杖を振り合う。そのような狂気の戦場には自分たちだけで十分だ。
「じゃあ、早速、出発するわね。シャルロット陛下、ご武運を」
そう言ってキュルケとコルベールはまずはトリステインへと出発した。その後ろ姿を見送るとシャルロットは軍議の場に移動する。
軍議の参加者は、護衛騎士のカステルモール、クリステル、五色備えを率いるアルヌルフ、マヤーナ、シバー、リョシューン、参謀のオーギュストとエドゥアルドの八人だ。
「さて、時間はある。今のうちに打っておける手はなにかないか?」
シャルロットはガリア統一戦争では幾多の罠を使ってジョゼフの軍を破った。そのことはロマリアも知っている上に、時間が経つごとにガリアは遠征の負担の重みが増してくる。住民のいないエイザーンはすでに急ぎ奪還をしなければならない場所でなく、アクレイアについてはガリア本国が近すぎ、攻めるのは怖い。ロマリア側からエイザーンやアクレイアに攻撃を仕掛けてくることは考えにくい。事態を打開するのはガリア側になる。
もたもたしていたら不利になるとはいえ、エイザーンの攻略中のように早く決断をしなければ敵に背後を突かれるという焦燥感はない。現状を明確にするためシャルロットは敢えて、時間はある、という表現を使った。
「その通りですね。今のうちにやれることをやっておきましょう」
オーギュストの言葉はシャルロットの意を汲んだものだ。
「ひとまず陛下がキュルケ殿に託された策が成った場合と果たせなかった場合の二通りを考えなければなりませんな」
「その場合は、我らの働き次第なのでしょうが、その前に戦場はどこになると想定されているのでしょう?」
言ったエドゥアルドに対して、シバーが戦場の想定を尋ねてくる。シバーの部隊は次の戦では先鋒を任されることが、ほぼ決定している。陣立てを考えるためにも先に戦場の状況を把握しておきたいのだろう。
「キュルケ殿からの連絡を待ち、我らはエイザーンを発ち、ロマリアの街へと進軍を開始いたします。ロマリア側が我らを待ち受ける場所は、十万の兵を展開するに適した、さほど広くはない平原であると予想されます」
「ロマリアの軍勢は寄せ集め。初めに持ち場を決めて、後は正面の敵と戦うのみというのが望ましいですからね。さすれば、戦場と想定されるのは……」
オーギュストの言葉を受けて、リョシューンが地図上に指を滑らせる。
「ここ、ガセキ平原……ですかな」
ガセキ平原は小山に挟まれた盆地の中にある平野であり、そこは十万のロマリア側が布陣するのにちょうど良い広さだ。南北の小山には一定の別働隊は置けるものの、中央の十万近い大軍に打撃を与えられるほどではなく、ロマリア側が望む正面からの戦いにはもってこいの場所だ。
「迂回して他の道を進むことは?」
ロマリアの注文通りの進軍は癪だ。そう言ったマヤーナに対してはオーギュストが静かに首を振る。
「迂回して進んでいる間にロマリア軍にエイザーンを攻められれば、我らは敵地にて孤立することになります」
十二万の大軍を動かすには確かな補給線が必要だ。それが断たれれば大軍であればあるほど、たちまちのうちに瓦解する。
「では、この地の決戦で勝利するために、我らは策を練らねばならぬというわけですな」
「その通り。我らがこれから打つ手は全て、ガセキ平原での決戦でロマリア軍に勝利するための布石となろう」
アルヌルフの言葉を受けて、シャルロットは改めて軍議の方向を皆に示した。