これは、日本一慈しい鬼退治
お兄ちゃん 帰ろう 家に帰ろう
闇の中に声が響く。
帰りたい 俺も家に帰りたいよ禰豆子 本当にもう疲れたんだ
深い深い闇の中、肉の檻に埋もれながら竈門炭治郎は独り呟く。今すぐにでもこの檻を抜けて皆の居る場所へと帰りたい。だが、肉の檻はがっちりと彼を捉えて離そうとしなかった。
ぞぶり
全身に走る嫌な感触 また、誰か大切な仲間を俺の手で傷つけてしまった
謝りたい 皆を傷つけてしまったこと 戻って謝りたい
唯一動く右手を祈るように掲げる
――――手、手
どこからともなく誰かの声が聞こえる。
――――手、握って
声はするが匂いはしない。一体どこから誰が話しかけているのだろう。
伸ばした右手を握るように掴むと、そこには誰かの手があった。手はがっちりと炭治郎の手を握り返し、幾本も幾本も増えていく。そして、肉の檻から炭治郎の肉体だけを無理に引き剥がす。
「ありがとう……ございます……」
――――皆が、いるよ。音のする方へ向かって
手は力尽きたかのようにぼろぼろと崩れていく。
てん、てん、てん、ちりん、ちりん、ちりん
どこか遠くから音が聞こえてくる。炭治郎は一度だけ振り返り、音のする方へと向かった。
てん、てん、てん、ちりん、ちりん、ちりん
音はどんどん大きくなる。
――――こっちじゃ、こっち。帰り道はこっち
てん、ちりん、ぽぽん、ぽん
鞠をつくような音に別の音が混ざる。
ぽぽん、ぽん、てん、ちりん
――――小生たちが道を示そう。迷わず帰れるよう
音に導かれて炭治郎は歩き続ける。ふと、どこからともなく藤の花の匂いがした。
(上……?)
炭治郎は天を見上げる。だが、匂いはほんの微かで上を見上げても無限とも思える闇が広がっているのみ。
(どうすれば、帰れる……?)
――――私たちが
――――送ってあげるよ
足を止めた炭治郎の両腕に細い糸のようなものが絡みつく。糸は炭治郎をしっかり巻き取り、上へ上へと巻き上げる。それは、さながら釈迦の垂らした蜘蛛の糸。善行を一つだけ果たした大罪人ですら救済の手は差し伸べられるのだ。ならば、鬼にすら優しさを見せるこの少年に救済が無かろうはずもない。
「行くな、戻れ、炭治郎!!」
闇の中に何者かの怒声が響き、上へと誘われようとする炭治郎の身体を幾本もの腕ががっちりと掴む。
「お前は私の意志を継ぐ者なのだ!」
続々と増える腕は炭治郎の自由を再び奪い肉の檻へと引き戻そうと絡みつく。腕の引く力に負けて糸が軋み、千切れようとするその刹那
――――お前みたいなお人好しが鬼の王なんざ似合わねえんだよなぁぁ
――――目障りだからとっととあっちに帰るんだよ
鎌が、帯が、炭治郎に縋りつく腕を切り裂く。ばらばらと腕は千切れ飛び、糸は再び炭治郎を上へ上へと誘う。
「前を向くな、人を信じるな、希望を見出すな」
だが、それでも炭治郎に縋った腕の残骸が一塊の肉塊となり彼に憑りつき希望を砕かんと罵り続ける。
「自分のことだけを考えろ 目の前にある無限の命を掴み取れ」
――――行け、竈門炭治郎
際限なく肥大し炭治郎を呑み込もうとした肉塊が拳の連打で花火のように砕けばらばらと無間の底へと落ちていく。
(藤の花の匂い……どんどん近く……)
もはや糸に導かれるまでもない。竈門炭治郎は上へ上へと昇っていった。皆の待つところへと。
――――帰れたかな
闇の中、誰かの声が響く
――――あそこまで行けば大丈夫だろう
――――そうじゃ、きっと皆が迎えに来よる
――――私達の出番はこれでおしまい
――――たとえ邪魔が入っても大丈夫だろう。彼には今まで繋いできた絆がある
――――後は人間どもがなんとかするわ
――――鬼は鬼らしく地獄に退散だぁ
取り返しのつかない罪を犯した
己の欲望のために他者を踏みつけにした
罪から逃れるために更なる罪を重ねた
全てを呪い最後に残った大切なものも打ち捨てようとした
空っぽなままかつて生きた証を穢し続けた
そんな私達にすらもあなたは優しさを見せた。だから、私達もあなたの助けになろう。
これは貴方の優しさの積み重ね。日本一慈しい鬼退治の結末。
もし、私達が赦される時が来るのであれば、幾星霜の彼方で人として出会おう。そして伝えよう。
ありがとう、と
鬼滅の刃の最終盤の流れとキャッチコピー「日本一慈しい鬼退治」から自分が妄想していた流れが出てこなかったので最終巻発売記念に書きました。
炭治郎の見せてきた優しさが報われて欲しかったのです。
珠世さんの薬がその集大成だったのかも知れませんし、無惨のところに他の鬼が一切出ないことで炭治郎との対比になっているのかも知れません。でも、それでも、炭治郎の優しさに最期に触れられた彼らに出て来て欲しかったのです。