1
極北の風が吹きすさぶ中、北極海を進む「シャルンホルスト」の艦橋だけは、熱い空気が満たされていた。
主役となるのは、結ばれたばかりの新郎と新婦。
エアルとシャルンホルストは、幕僚や艦橋要員に祝福を受け、幸せの極みにあった。
「いや、本当にめでたいッ 今日はなんて日だ」
自身も涙ぐみながら、ヴァルターが前に出る。
「提督、シャル、本当におめでとう」
「ありがとう、ヴァルター」
「うん、ありがとう」
3人は長く戦ってきた戦友である。
2人を長く見て来たからこそ、ヴァルターの感激はひとしおだった。
軍服の袖で涙をふくと、ヴァルターは改めて2人を見た。
「では提督、祝賀ムードも高まったところで、私は後部艦橋に移らせてもらいます」
「ヴァルター……」
「雑事はどうか、全てこのヴァルターめにお任せを。提督は、存分に本懐を遂げてください」
そう言って、恭しく頭を下げるヴァルター。
この忠実な副官の存在は、エアルにとって正に支柱のようだった。
彼がいたからこそ、大戦初期のつらい戦いを切り抜けられたと思っている。
「ありがとう、ヴァルター。あなたの献身は決して忘れない」
「光栄です。そのお言葉だけで、人生の全てが報われた気分ですわい」
そう言うと、エアルとヴァルターは、硬い握手を交わす。
踵を返すヴァルター。
最後に、新妻となったシャルンホルストの肩を軽く叩くと、ヴァルターは艦橋を後にした。
一方、
北極海を進むドイツ艦隊を捕捉するべく、イギリス本国艦隊も、着々と戦闘準備を整えつつあった。
空母「ヴィクトリアス」「フォーミタブル」から、次々と艦載機が発艦していく。
戦闘機のシーファイア、シーハリケーン、攻撃機のバラクーダ。
発艦すると、それらの機体は空中で隊形を整え、機首を北へと向ける。
先程、先行する形で放った偵察機が、ドイツ艦隊を発見。
その報告を受けて、フレイザーは攻撃隊の発艦を命じたのだ。
次々と翼を翻し、北へと向かう攻撃隊。
その様子を、フレイザーとバーネットは旗艦「サンダラー」の艦橋から見つめる。
「あれだけの数の攻撃隊です。我々が到着する前に、片は付きそうですが」
「さてな。果たして、そううまく行くか……」
呟くバーネットに、フレイザーは静かな口調で返す。
圧倒的不利ともいえる状況で、敵は敢えて出撃して来たのだ。
何かしらの策がある、と見るべきか。
期待と不安。
その両方の感情を抱きながら、フレイザーは北の彼方へ飛び去る攻撃隊を見送った。
イギリス海軍が攻撃隊を放つ頃、ドイツ海軍もまた迎撃の準備を整えていた。
航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」では、準備を整えた機体が飛行甲板へと上げられていく。
ドイツ艦隊の動きは素早かった。
朝の段階で既に、偵察機に捕捉されている事は把握している。
つまり、敵はまず、空から来る。
そう判断した時点で、エアルは対空監視を厳としていた。
そして数分前、「シャルンホルスト」のウルツブルク・レーダーが、接近する機影を捉えたのだ。
間違いなく、イギリス軍の攻撃隊。
その報告を受けると同時に、「グラーフ・ツェッペリン」航空隊には、発艦命令が下った。
「良いか、まずフォッケウルフ隊が先行して上がれッ メッサーシュミットは次。俺の機体は一番最後の発艦だ!!」
大声で指示を飛ばすクロウ・アレイザー。
最期の戦いに向けて士気は高い。
彼も、兄が示したこの戦いの意味を正しく理解している。
故に、手抜かりは無かった。
「ここまで来たんだ。戦闘開始後は、細かい指示は出さない。各員、己のできる最高のパフォーマンスに期待する!!」
『ハッ!!』
クロウの言葉に、整列したパイロット達が敬礼で答える。
格納庫での整備を終えた機体が、次々とエレベーターで飛行甲板に上げられていく。
最期の出撃に備えて、整備は万全だった。
そこへ、空母少女が歩み寄ってくる。
「大尉、本当にこれで出るのか?」
不安そうに声を掛け、傍らの機体を振り仰ぐツェッペリン。
それはアントワープ沖海戦に先立ち、何かの手違いで送られてきた機体。
今まで使う機会がなく、格納庫の片隅で無聊を囲っていたのを引っ張り出して来たのだ。
クロウは機体のボディを、軽く叩く。
「勿論だ。整備は万全にしてもらった。それに、今まで何回か試しに飛ばしているから、操縦も問題ないしな」
「いや、そうじゃない」
嘯くクロウに対し、ツェッペリンは真剣な眼差しで詰め寄る。
「この機体、発艦はまあ、できるだろう。だが着艦はまず無理だ。完全に片道出撃になるぞ」
飛び立ったが最後、帰って来る事は出来ない。
それ即ち、クロウが再び、生きてツェッペリンに会う事はない事を意味している。
「…………構わねえよ」
「大尉ッ」
「なあ、ツェッペリン」
言い募ろうとするツェッペリンに、クロウは告げる。
「俺、お前には感謝してるんだぜ。あのベラルーシでの戦いに負けた後、お前が俺を迎えに来てくれた。あの時、色々あって俺、結構へこんでてさ」
「それは…………」
ベラルーシでの戦場は地獄だった。
バグラチオン作戦を発動したソ連軍の大攻勢を前に、ドイツ軍は成す術も無く蹂躙された。
迫りくる怒涛の如き大軍勢に、次々と飲み込まれていく味方。
ヒトラー以下上層部の判断ミスにより、味方の命が無為に失われていく戦場にあって、クロウ達空軍は、それでも奮戦を続けた。
しかし結局、戦線は崩壊。撤退したクロウに残されていたのは、ただ只管の徒労感のみ。
あまりにも理不尽な状況に、怒りのやり場すら無かった。
「そんな時に迎えに来てくれたお前がさ、何て言うか……こんな事言うと何だ……笑われちまうかもしんないけど……お前の事が、天使みたいに見えたんだ」
「てん……し?」
「ああ、絶望の中にいた俺を救ってくれる天使に、さ」
照れくさそうに頭を掻くクロウ。
だが、目は真剣にツェッペリンを見る。
「だから……だからさ、最後までお前と一緒に戦えて、本当に幸せだったよ」
そう言うと、クロウはツェッペリンをそっと抱き寄せる。
対して、
ツェッペリンも、抵抗する事無く身を委ねる。
そして、
2人はお互いに、唇を重ねた。
飛行甲板を蹴り、艦載機が次々と発艦していく。
短くも栄光あるドイツ海軍航空隊。
その最後の出撃である。
鉄十字を描いた翼たちが、二度と帰らぬ大空を目指して飛び立っていく。
そして、
クロウの番が来た。
既にエンジンには灯が入っている。後はカタパルト射出を待つのみ。
ふと、艦橋脇に目をやる。
そこに佇む少女。
ツェッペリンと目が合うと、クロウは笑顔で敬礼する。
ツェッペリンもまたほほ笑むと、片手を振る。
わずかな時間に交わされる、2人の最後の挨拶。
やがて、その時が来る。
前を向くクロウ。
すさまじい勢いと共に、機体が射出される。
うまく行くかどうか不安はあったが、どうにかなったようだ。
エンジンが唸りを上げ、機体を加速させる。
「さよなら、ツェッペリン」
聞こえるはずの無い言葉を残し、クロウは飛び去った。
「さよなら…………クロウ」
飛び去る、想い人の翼。
その姿を、ツェッペリンはいつまでも見送っていた。
2
イギリス本国艦隊を発した攻撃隊は、真っ直ぐに北を目指す。
偵察機の情報を元に、ドイツ海軍第2艦隊の現在位置を割り出し、全機が向かう。
少数の艦隊故に、発見は困難を極める。
各機は海面下に神経を集中する。
視界の先に艦影、もしくは航跡の類が無いか、皆が視線を向けていた。
だからこそ、
より高空から、自分達を射貫く目があるなどとは夢にも思わなかった。
大気を切り裂く翼。
その圧倒的な加速力を前に、
誰もが、
反応できなかった。
次の瞬間、
砕け散るバラクーダ。
「全機、攻撃開始ッ 『シャルンホルスト』には1機たりとも近付けるんじゃないぞッ!!」
マイクに向かって叫びながら、クロウは機体を引き起こす。
異形とも言える機体。
航空機なら当然ある筈のプロペラは無く、機首は鋭角的に尖っている。
やや後方に向かって角度の付いた両翼に1機ずつ、円筒形のエンジンが搭載され、その後方から炎が噴き出している。
メッサーシュミットMe262「シュワルベ」。
ドイツ空軍が開発、実戦投入した世界初の実用ジェット戦闘機。
西部戦線を中心に猛威を振るうこの機体は、何の手違いか、アントワープ沖海戦に先駆けて「グラーフ・ツェッペリン」に搭載された。
長らく乗り手がいなかった、この最強戦闘機だったが、この最終局面において、クロウ・アレイザーと言う最強の乗り手を得て大空に舞っていた。
クロウは機体をロールさせつつ降下。敵を眼下に収める。
急降下。
最高速度870キロを誇る機体は、他のどんな機体であっても真似できないスピードで、敵機へ肉薄する。
照準器の中に捉えるシーファイア。
機首に搭載した4門の30ミリ機関砲が火を吹く。
狙われたシーファイアは、何が起きたのかすら分からないまま砕け散った。
駆け抜けるシュワルベ。
遅ればせながら、複数のシーファイアが追随してくる。
が、その時には既に、クロウのシュワルベは、遥か彼方に駆け去っていた。
ジェットの加速力は、プロペラ機の比ではない。
クロウの機体に追い付けるイギリス軍機は皆無だった。
そこへ、更に援軍が現れる。
クロウに後続する形で戦場に到着したドイツ軍の直掩隊が戦闘に介入したのだ。
「良いか、攻撃機を中心に狙えッ 奴等を艦隊に近寄らせるな!!」
命令を送りながら、機体を再び加速させるクロウ。
自身も、バラクーダに狙いを定める。
武装の切り替えコックを捻る。
翼下に搭載した武装を選択。
照準器の中に入った瞬間、クロウは発射ボタンを押し込む。
次の瞬間、
シュワルベの翼下から、白煙を引いた火矢が射出される。
小型の空対空ロケット弾である。
小型と言っても口径は55ミリあり、1発の威力は機関砲を遥かに上回る。
6発1セットのロケット弾を4組。合計で24発搭載している。
その内の1セットを発射したのだ。
直撃弾を浴びたバラクーダは、ひとたまりもなく粉砕された。
このロケット弾、実のところ命中率についてはそれほど高い方ではない。
しかしクロウは、東部戦線にいた頃に何度も使った事があり、照準のコツを掴んでいた。
しかも、6発同時発射である。
1発でも当たれば、航空機にとっては致命傷だった。
吹き飛ぶバラクーダ。
クロウは更に翼を返し、別のバラクーダに狙いを定める。
だが、イギリス軍も黙ってはいない。
1人の勇敢なイギリス軍パイロットが、愛機のシーファイアを駆って、クロウのシュワルベに追いすがる。
「やるッ だがな!!」
クロウは急加速でシーファイアの攻撃を回避、
と言うより、振り切ってしまった。
同時に機体を反転させて肉薄する。
機関砲を1連射。
シーファイアは砕け散るのだった。
交戦を開始する独英両軍。
上空を睨むエアルの視界の中で、翼を連ねて向かってくる機影が見える。
クロウ達の奮戦があっても、やはり全てを防ぎきれるものではない。
一部の攻撃隊が、ドイツ直掩隊を突破して第2艦隊へと迫って来たのだ。
「左90度、高角30度、バラクーダ15!!」
「来たか」
呟きながら双眼鏡を下ろすエアル。
既にシャルンホルストは自分の席に座り、艦の制御に集中している。
後続する「プリンツ・オイゲン」「グラーフ・ツェッペリン」「エムデン」からも、戦闘準備完了の報告が届いていた。
「左対空戦闘用意、主砲、アントン、ブルーノ、ツェーザル、1番、2番、全門タイプ・ドライ装填!!」
3基の主砲を左舷側に向けて旋回させる「シャルンホルスト」。
使用砲弾は、同盟国日本から導入したタイプ・ドライ、三式対空砲弾が装填されている。
「距離1万5000、更に接近ッ」
「主砲、撃ち方始め!!」
轟音とともに火を吹く、「シャルンホルスト」の40センチ砲。
放たれた砲弾は、飛翔すると時限信管を起動して炸裂する。
蒼空に広がる焔。
接近するイギリス軍攻撃隊が飲み込まれる。
3機のバラクーダが、火を吹いて落ちていく。
「少ないですね。もう少し、一網打尽にできると思ったのですが」
「いや、あれで良い」
エアルは冷静な言葉で返す。
今回の戦いの目的は、勝つ事でも、自分達が生き残る事でもなく、船団が安全圏に逃れるまで、いかに敵の目を長く引き付けるかにある。
その為なら使える物は全て使うし、極僅少の戦果を上げる為に、高価な砲弾を海に捨てる事だって厭う気は無かった。
そもそもこの先、砲弾を残しておいても意味は無い。ならば、ここで盛大に使い切ってしまって構わない。
タイプ・ドライ回避の為に、散開していたバラクーダが再び集結して向かってくるのが見えた。
「対空戦闘、撃ち方始め!!」
エアルの命令を受け、「シャルンホルスト」の対空砲が火を吹く。
まずは合計11基22門に及ぶ、60口径12.7センチ砲が火を吹き、更に機銃群が続く。
高速で航行しながら、両舷の対空砲を撃ち放つ。
低空に舞い降り、「シャルンホルスト」の左舷側から雷撃を試みるバラクーダ。
そのまま雷撃態勢に入るつもりだ。
「機関全速、取り舵一杯!!」
エアルの命令を受け、増速する「シャルンホルスト」。
同時に左へと回頭する。
波濤が瀑布を上げながら、艦首を振る。
1機のバラクーダが、「シャルンホルスト」が放った高角砲弾を正面から食らって砕け散る。
更に1機、砲弾炸裂のあおりを受けて海面に突っ込む。
残りの機体は突っ込んでくるが、隊形は乱れ、連携が取れているようには見えない。
投下される魚雷。
しかし、その時には「シャルンホルスト」は回頭を終え、魚雷の進路から外れていた。
「雷跡、左舷に抜けますッ」
「戻せェッ 舵中央!!」
程なく、直進に戻る「シャルンホルスト」。
そこへ、今度は右舷側から爆弾を搭載したバラクーダが迫る。
「機関最大ッ 全速前進!!」
「右舷対空砲、全門射撃!!」
エアルの命令を受け、「シャルンホルスト」は最大戦速の35ノットに速力を上げ、右舷側の対空砲で応戦する。
しかし、バラクーダは「シャルンホルスト」からの対空砲火を回避して肉薄すると、搭載した爆弾を投下する。
派手に突きあげられる水柱。
直撃弾は無い。
元より、水平爆撃は命中率が低い。そこに来て、相手が35ノットで航行する巡洋戦艦とくれば猶更だ。
結局、3機のバラクーダが投下した爆弾は、1発も「シャルンホルスト」に当たらなかった。
逆にバラクーダ1機が、離脱中に機銃の集中攻撃を受けて墜落した。
ニヤリと笑みを浮かべるエアル。
良いぞ。
この艦の武運はまだ尽きていない。
いや、自分が指揮し続けている限り、最後まで尽きさせはしない。
その想いを胸に、対空戦闘を見守る。
だが、
他の艦は「シャルンホルスト」ほど武運に恵まれているわけではない。
圧倒的な数の航空機に殺到され、力尽きる艦が出るのは必然だった。
最初に犠牲になったのは「エムデン」だった。
ドイツが再軍備宣言後、初めて建造した大型戦闘艦である「エムデン」。
かつてのミュラー提督の乗艦から、栄光ある名を頂いたこの軽巡洋艦は、その低性能ゆえに前線で砲火を振るう機会こそ少なかったものの、輸送船の護衛や通商破壊戦、空母の護衛で活躍して来た縁の下の力持ちである。
その隠れた殊勲艦の命運も、今ここに尽きようとしていた。
低空で進入してきたバラクーダが、大型爆弾を投下。
その内の1発が、「エムデン」の薄い上部甲板を貫通。
艦内で炸裂した爆弾が機械室を破壊し、最古参軽巡は一気に速力を低下させる。
そこへ更に、艦首にも1発が命中。前部砲塔から先を切断するほどの大ダメージを与える。
完全に停止する「エムデン」。
そこへ魚雷を抱いたバラクーダが殺到。
投下された魚雷が艦腹を抉った。
次の瞬間、海上で大爆発が起こり、「エムデン」の姿は一瞬で飲み込まれていった。
「エムデン」轟沈。
その様子は、「グラーフ・ツェッペリン」の艦橋からも確認できた。
既に軽巡洋艦の姿は、水中と爆炎に飲まれて見えなくなっている。
上空を振り仰げば、尚も多数の敵機が見て取れる。
その様子を見て、ツェッペリンは決断した。
「艦長、そろそろ」
「良いんだな?」
問いかける艦長に、ツェッペリンは頷く。
これは事前に取り決めておいた事。覚悟は既にできている。
「艦載機のいない私は、もはや鉄の箱に過ぎない。それよりも今は、『シャルンホルスト』を生かす事が肝心だ」
それは効果的な取捨選択。
「グラーフ・ツェッペリン」と「シャルンホルスト」。
どちらを長く生き残らせた方が、より利益になるか?
断然、後者。
自分達の作戦目的を考えれば、自ずと判り切っている事だ。
そっと、自分の両手を広げて見るツェッペリン。
その手のひらには、一度だけ抱いたエミーリアの柔らかい感触が蘇る。
あの子を守る。
その為ならば、この身など聊かも惜しくは無かった。
「取り舵一杯ッ 機関全速!!」
艦長の命令を受け、舵輪が回される。
同時に機関出力を全開まで上げる「グラーフ・ツェッペリン」。
隊列を離れた独空母。
そこへ、イギリス軍の攻撃隊が殺到した。
「グラーフ・ツェッペリン」が隊列を離れる様子は、「シャルンホルスト」からも確認する事が出来た。
「おにーさん、ツェッペリンがッ」
シャルンホルストの悲し気な叫び。
エアルは無言のまま、「ツェッペリン」のいる海面を見やる。
回頭しつつ、隊列を離れる空母。
その後ろ姿を、エアルは黙して見送る。
「止めないの?」
「止めて、どうするの?」
妻からの問いかけに、エアルは首を振る。
止めたところで意味はない。
そもそも、自分達は生き残るために戦っているわけではないのだから。
敬礼するエアル。
それに倣うシャルンホルスト。
艦橋に入る幕僚や要員たちも皆、死にゆく空母へ敬礼を施すのだった。
隊列を離れた「グラーフ・ツェッペリン」。
それをカモとばかりに、イギリス軍が群がる。
「グラーフ・ツェッペリン」は回頭しつつ、両舷の対空砲で応戦する。
最高速度の35ノットで海上を疾駆するドイツ空母。
その高速性能を前に、バラクーダもなかなか射点を確保できないでいる。
取り付こうとしたバラクーダが1機、対空砲火のあおりを受け、海面に突っ込む。
更に1機、正面から高角砲弾を受け、火球となって砕け散った。
群がる敵機を対空砲で追い払い、高速で航行しながら魚雷や爆弾を回避する。
しかし、
そもそも空母は、自身が直接的に戦う艦ではなく、艦載機があって初めて価値のある艦となる。
その艦載機を全て出撃させた今、いかに奮戦しようが、空の空母にできる事はたかが知れていた。
それでも奮戦する「グラーフ・ツェッペリン」。
右舷側から、4機のバラクーダが低空で迫ってくる。
魚雷を投下するつもりなのだ。
「面舵一杯!!」
艦長の声が響き渡る。
全速で航行しつつ、右へと回頭する「ツェッペリン」。
基準排水量3万3000トンの巨体が、高速で旋回する。
その動きに追随できず、バラクーダが放った魚雷は「ツェッペリン」の右舷側を通過していく。
しかし、凱歌を上げる暇はない。
今度は左舷側からバラクーダが迫る。
高度が高い。
今度は水平爆撃のようだ。
左舷側の高角砲、機銃が一斉に射撃を開始する。
同時に「グラーフ・ツェッペリン」は、舵を中央に戻し、全速力で直進を開始する。
直進しながら撃ち上げられる対空砲は必然的に命中率が上がる。
2機のバラクーダが、上空に到達前に撃墜される。
残ったバラクーダは「グラーフ・ツェッペリン」の軸線から外れ、投下した爆弾も命中せず、派手に水柱を上げるにとどまった。
奮戦を続ける「グラーフ・ツェッペリン」。
「シャルンホルスト」と「プリンツ・オイゲン」の援護もあり、群がる敵機を返り討ちにしていく。
だが、イギリス軍の攻撃は、途切れる事なく続く。
そして、
ついに、その時が来る。
1機のバラクーダが、対空砲火を顧みず、「グラーフ・ツェッペリン」の艦首方向から突っ込んできた。
機銃弾を浴びて、炎上する機体。
しかし、バラクーダはバランスを崩して失速する直前、最後の力を振り絞るようにして抱えてきた爆弾を投下した。
飛来する爆弾。
「ッ まずいッ!!」
ツェッペリンが叫んだ瞬間、
衝撃が襲ってきた。
爆弾が飛行甲板中央に吸い込まれる。
次の瞬間、
巨大な爆炎が踊った。
「グラーフ・ツェッペリン」が爆炎を上げる様子は、「シャルンホルスト」からも確認できた。
対空戦闘を行いつつ、進路を西に向けようとする「シャルンホルスト」。
その艦橋から、彼方で炎上する空母が見える。
「『グラーフ・ツェッペリン』被弾、炎上の模様!!」
「…………」
報告を聞き、エアルは黙したまま、炎を噴き上げる「ツェッペリン」を見つめる。
尚も敵機が群がり、攻撃を受けている。
「ツェッペリン…………」
背後から、シャルンホルストが悲しげな声で呟きを漏らす。
元より、この戦いは生還を度外視しての出撃。その事は、全員が覚悟の上。
しかし、
それでも、込み上げる感情は抑えられなかった。
右舷艦首に、突き上げられる水柱。
先の爆弾命中を機に、集中攻撃を受ける「グラーフ・ツェッペリン」は、敵機の波状攻撃に晒され、損害は蓄積しつつあった。
「クッ!?」
微かに走る痛みに、ツェッペリンは顔をしかめる。
「艦首右舷、魚雷命中ッ 浸水発生!!」
「応急修理ッ ダメージコントロール急げ!!」
ただちに応急修理班が、被雷個所へ急行する。
しかし、動きが鈍ったところに、更なる攻撃が殺到する。
バラクーダが投下した爆弾が、飛行甲板左舷に命中。そこへ大穴を開けると同時に、左舷側の4番高角砲を破壊する。
更に、魚雷が左舷中央にも2本命中、更なる浸水を引き起こす。
シーファイアやシーハリケーンが低空に接近し機銃掃射を敢行。対空要員や、甲板で作業中の乗組員を薙ぎ払っている。
艦橋にも機銃掃射が襲い負傷者が出る。
吹き上げる炎は消火が追い付かず、煙が甲板を満たす。
徐々に満身創痍になる「グラーフ・ツェッペリン」。
「まだだッ」
艦橋では、激痛に耐えながら、ツェッペリンが椅子のひじ掛けに掴まって立ち上がる。
「まだ、敵を引き付けなければ…………」
脱出船団から敵の目を逸らす為、何としても敵の目をこちらに引き付けなければならない。
その為には、敵の攻撃を受けながら、それでも長く浮かび続けなければならない。
二律背反とも取れる状況に置かれているドイツ艦隊。
そうしている間にも、直撃弾が飛行甲板を叩き、魚雷が艦腹を抉る。
それでも、前へと進み続ける歴戦のドイツ空母。
だが、
無情にも訪れる限界。
投下された爆弾が、飛行甲板を貫通し内部で炸裂する。
艦内で炸裂した大型爆弾が隔壁を食い破り、炎で席巻する。
「ガァッ!?」
口から喀血し、床に膝を突くツェッペリン。
全身を襲う痛み。
いや、むしろ痛みは、身体の中から湧き上がってくる。
何か、致命的な部分がやられた。
そう感じた瞬間、報告が届いた。
「敵大型爆弾、艦後部を直撃ッ 舵機室全滅!!」
「……そういう、事か」
自嘲気味に呟くツェッペリン。
先ほどの攻撃で、後部の舵機室が直撃を受けたのだ。
これにより「グラーフ・ツェッペリン」は、舵を用いた機力操舵が不可能となった。
制御を失った舵は水流で勝手に動き、同一海面で旋回を始める「ツェッペリン」。
「人力操舵、切り替え急げ!!」
どうにか操舵能力を取り戻そうと奮闘する、「グラーフ・ツェッペリン」の乗員たち。
まだ、諦めるわけにはいかない。
せめて、「シャルンホルスト」が、敵の空襲圏外に逃れるまで、敵の攻撃を惹き付けないと。
しかし、イギリス軍側でも、「グラーフ・ツェッペリン」が行動の自由を失った事に気付いたのだろう。
腐肉に群がるハゲタカの如く、瀕死のドイツ空母に寄ってくる。
甲板に更なる爆炎が踊り、飛行甲板はずたずたに引き裂かれる。
更に投下された魚雷が艦腹を抉る。
旋回によって自動的に回避できた魚雷もあったが、それでも左舷に2発、右舷に1発の魚雷が命中する。
一気に速力が低下する。
既に10ノット近くまで低下した速力。
それでも、這うように動き続ける。
艦橋ではツェッペリンが、もはや立っている事もかなわず、艦橋の床に座り込んでいる。
顔を上げる空母少女。
その視界の先では、死神の使者たる翼が、不気味な唸りを従えて迫ってくる。
魚雷を投下するべく、高度を落とすバラクーダ。
「……これまで、か」
呟くツェッペリン。
せめて、最後まで抵抗した証しとして顔を上げる。
次の瞬間、
迫るバラクーダが、一瞬で砕け散った。
駆け抜ける疾風。
高空で鋭くターンを決める異形の翼。
急降下と同時にロケット弾を発射。
「ツェッペリン」に襲い掛かろうとしていたバラクーダを吹き飛ばす。
呆然と見上げるツェッペリン。
視線の先で舞う、異形の翼。
世界に類を見ない、その戦闘機を誰が操っているかは、ツェッペリンが一番よく知っている。
コックピットに座して、笑みを浮かべるクロウの顔が見えた。
「…………まったく」
何で来たんだ。放っておけば良い物を。
呆れ気味に思う反面、
彼が、自分の危機に駆け付けてくれた事への嬉しさが溢れる。
「クロウ……ありがとう、来てくれて」
涙で滲む空。
その中で、クロウのシュワルベは鋭くターンする。
操縦桿を握る手に力がこもる。
眼下を見据えながら、クロウは鋭い眼差しで獲物を捕らえた。
「テメェ等…………」
速度を上げて急降下に入るメッサーシュミットMe262。
「俺の女に……手ェ出してんじゃねえよ!!」
急降下と同時に1連射。
上方から攻撃を喰らったバラクーダが、胴体を叩き折られる。
更に機体を反転、宙返り様にロケット弾を浴びせる。
正面から食らったバラクーダは、その場で木っ端みじんに砕け散った。
クロウの存在に気付き、殺到してくるイギリス軍機。
しかし、急加速するメッサーシュミットに追い付ける機体は存在しない。
シーファイアの追撃を振り切ると、クロウは再びバラクーダに肉薄する。
最期のロケット弾を発射。
炎を上げるバラクーダを眼下に、機体を急上昇させる。
「残る武器は、機銃だけッ」
だが、
それで充分!!
武装切り替えを機銃に戻す。
残弾は多くない。
それでもクロウは、構わず向かっていく。
ツェッペリンを、
愛する女を前に、無様な戦いは出来なかった。
機銃を1連射。
シーファイアを海面に叩き落とす。
追いすがるシーファイアを軽く引き離し反転。
照準器に捉えると同時に、機銃を放つ。
獅子奮迅のクロウ。
ジェット戦闘機の高速性と、卓抜したエースパイロットの技量によって、一騎当千の戦いぶりを示す。
永遠に続くかとも思えるクロウの戦い。
誰もがクロウの影すら捉えられない。
しかし、言わずもがな、いずれは来る、必然的な限界。
一瞬、
クロウが気を抜いた。
その瞬間、
急接近した1機のシーファイアが、シュワルベの右翼と激突。
翼端を削り取る形で通過していった。
「クッ!?」
衝撃に耐えて、機体の安定を保とうとするクロウ。
激突したシーファイアは、先にバランスを失って海面へと突っ込む。
対して、
クロウは操縦桿を操り、どうにか機体を水平に戻す。
しかし、それが限界だった。
既に比類なき速度性は失われ、片方の翼を失った機体は、徐々に出力を落とし始める。
操縦桿を動かしても、もはや機体は何の反応も示さない。
エンジンも、どうあっても出力は下がり続ける。
フッと、笑みを浮かべた。
「…………そう、だよな。イギリス軍にだって、勇敢な奴はいる、よな」
誰だって、守りたいものの為に戦っている。
その想いに、敵も味方も無かった。
機体の高度が、緩やかに落ち始める。
ほんの掠めた程度だったが、既に限界を超えていたシュワルベには、それが致命傷となった。
そして、クロウ自身にも。
右エンジンから火を吹くシュワルベ。
その様子を、
コックピットのクロウは、脱力した様子で眺めていた。
火を吹くエンジンが、まるで他人事のように認識される。
「…………やりきった、よな」
誰にするでもなく、問いかけられる。
徐々に、高度を落としていくシュワルベ。
最期の力を振り絞って、「グラーフ・ツェッペリン」へ視線を向ける。
既に海上に停止し、炎と黒煙に包まれている「ツェッペリン」。
だが、
艦橋に立つ少女の姿だけは、しっかりと目に焼き付いた。
手を振る少女。
クロウもまた、コックピットの中で手を振り返す。
交わされる笑顔。
次の瞬間、
機体は、衝撃を伴って海面に突っ込んだ。
クロウのシュワルベが墜落する。
その様をツェッペリンは、「自身」の艦橋で眺めていた。
既に艦内は爆炎と煙に席巻され、生きている人間は殆ど居ない。
総員退艦は発令されていた。
「クロウ…………」
愛する男へ、そっと呼びかける。
「あなたは、私があなたを救った、そう言ったな。けど、それは間違いだ」
フッと笑う。
「本当は、あなたが、私を救ってくれたんだよ」
あの時、
ベラルーシから撤退して来たクロウを、ツェッペリンが訪ねた時。
あの時クロウは、ツェッペリンからの誘いを断る事も出来たはずなのだ。
だが、クロウは受けてくれた。
迷いもあっただろう。心残りは勿論。
だが、クロウはツェッペリンの手を取ってくれた。
その事が、ツェッペリンには何よりうれしかった。
「寂しい想いはさせない」
言いながら、膝を突くツェッペリン。
「私も、すぐに行くから」
そう言うと、そのまま艦橋の床に倒れ込み、
そっと、目を閉じた。
「グラーフ・ツェッペリン」通信途絶。
その報告は、旗艦「シャルンホルスト」艦上のエアルの下にも齎された。
「グラーフ・ツェッペリン」は沈んだ。
そして、
それは同時に、エアルの最愛の弟、クロウの運命をも、如実に物語っていた。
「おにーさん……」
「…………」
気遣うシャルンホルストの手を、強く握るエアル。
覚悟はしていた。
だからこそ、今ここにいる。
この最果ての海へ。
「提督、間もなく予定ポイントです」
報告が入り、エアルは顔を上げる。
間も無く始まり、
そして終わる。
自分達の運命が、近付いていた。
「行こう、シャル」
そう言うと、妻の手を握り直す。
巡洋戦艦「シャルンホルスト」は、最後の戦いに向けて速力を上げ突き進むのだった。
第91話「最果てへの標」 終わり