MH4,チコ村で我らの団と筆頭チームがわだかまっていたあたりの小話。
筆頭リーダーがネームドになってしまったので供養に
最初は、ほんの出来心みたいな思い付きだった。
気心の知れた狩仲間と下らない話をしながら、集会所のテーブルで飯をかき込んでいた時の事だ。むくつけき容姿からはかけ離れて可愛い、但し本名を知っていれば成る程なと笑えるハンターネームを付けられてる奴がいる。メインウェポン:狩猟笛という申告とあいまって可憐な姿を想像し「一狩りいこうぜ!」と言い寄ってくる一見のハンターが絶えなかったりするのだが、集会所のクエストボード前、本人がのっそり現れるとあっ……とばかりに場に走る絶望と緊張。
本人に非はないとは言え怒りにも似た感情が沸くのも無理はない。硬派を気取りつつも正直なところ、殺伐とした狩りの最中でも華やぎを求め、助平心を満たしたいと思うのは生存本能のなせる業なのだ。男なんだから仕方ない。仕方ないんだけれど男なのだ。だけど、しかし。
数瞬の間の逡巡の後。装備もスキルも、もちろん本人のハンターランクも頼もしさ抜群なもんだから、一見さん達はそのまま一緒にクエストに出てしまう。微妙な目配せと焦りの空気で満ちた一団、腹を抱えながら見送る俺達。お陰で最近、そいつと一緒に狩りに行けなくて寂しいのだが、田舎の娯楽の少ない集会所恒例イベントとなってるから仕方ない。仕方ないのだ。良い狩りを!
それで、ふと思った。筆頭リーダーにも丁度いい、少し愛嬌のある渾名でも付けて呼んでやればどうだろうか、と。
「っうぷ」
俺は想像しただけで口元に不随意の圧がかかって息が漏れた。あの堅苦しい顰め面が、滅茶苦茶可愛い、しかしちゃんと本名に因んだ愛称で呼ばれて振り返る姿。出来れば嫌々、呼ばれる度に律儀に返事をしながら抗議するような不本意な渾名。場合によってはおかしいと気付かないで普通に受け入れちまうっていうのもありでどうだ?
それだ。俺のハンター生活に今必要なのはそういう潤いだ。善は急げと言うか悪戯は鮮度を保て。約束のクエストを手早く済ませると即、俺は筆頭ランサーの所に駆けつける事にした。
筆頭ガンナーだと真意を察してるのか何なのか、意味ありげな笑いを頂戴して怖い気持ちになる予感しかしないし、ルーキーの声は不必要に遠くまで響くから、リーダーに筒抜け台無しになる可能性が高い。と言う訳で、俺はチコ村の浜辺で筆頭集団の良心、金色のハンターを探した。
大柄の男はすぐに見つかった。木陰の砂地に片膝を衝き、アイルー達に請われて何か小さな物を吟味している。何事かと思えば、色とりどりの貝殻を並べられて鑑定をせがまれているようだった。珍しい品種だったんだろう、時々飛び上がっては小躍りする猫達に、ランサーは頷きながら優しい笑顔を見せる。すげえ、人間が出来すぎている。一体何でこの人が筆頭集団のリーダーじゃないのかね?そう思いながら俺は足を向けて挨拶した。それから、
「どうした、大当たりが出たか?」
はしゃぎっぱなしのアイルー達の耳の後ろをちょっちょっちょっと掻いて回りながら輪に混ざる。
「おや、クエスト帰りかな」
頭部の装備を外しながら俺は頷いた。太くてよく響く、だが控えめな声が直接耳に届く。心地良い。猫も落ち着く喋り方だ。
「どんぐり拾ってきたけど、今は貝がトレンドかな?」
じゃらりと布袋を持ち上げると、そいつは別腹ニャーとばかりに躍り上がる尻尾共。それを報酬にちょっとだけ俺との会話の時間を分けて貰った。
「今日はリーダーは?」
「船の執務室でギルドへの報告書を纏めているよ。正確には、ルーキーの提出した書類の添削をしているんだが」
ははは、と大きな口で笑う。この人の声は本当に嫌みがない。教育機関に身を置いていれば、相当に慕われる教官になっていただろう。
「彼に用事かい?特に期限のある書類ではなかったはずだから、声を掛けてやって構わないよ。気分転換にもなるだろう」
よっ、と立ち上がって膝の砂を払う。近くで見上げると実感するがやはり大きい。
「邪魔したら眉間の皺がもんのっすごく深くなりそうですが」
「そんな事はないよ。彼も喜ぶだろう」
いやいやいやいやいや。確かに会話の機会はそこそこ多いけれど、俺達そんな良好な仲じゃないし。俺は手を振って否定する。不思議なものを見るような目。ちょっと良心が痛む。
「それに、今回はリーダーじゃなくて、ランサーさんの方に教えて欲しい事があるんですよ」
「ふむ?」
自分への用件だと聞いて、彼は改めて俺に向き直った。俺も背筋を伸ばす。そうしないと存在感に圧倒されそうだった。
「差し支えなかったら、なんですが」
何となく手持ち無沙汰で、俺は兜を小脇に抱えながら手甲の留め結びを摘む。
「リーダーの名前、教えて欲しいんです」
「ほう?」
珍しい頼みだが何故だね、とばかりにランサーは俺を見下ろしてきた。初めて間近に見る瞳は深い緑で、思慮深そうな相貌にとても似合う。
「我々筆頭集団の氏名は公開情報の扱いだ。彼も問題には思わないだろう。しかし、どうしてまた急に?」
気軽に答えて貰って終わりだと思っていたのに理由を問われて、少し焦る。まさか本当の理由を伝える訳にもいかず、俺は頭を掻きながら順当な言い訳を捻り出した。
「えーと、俺、別にあいつの同僚って訳でもないし、名前で呼んでみた方がお互いしっくりくるかなって思って」
後、彼と話してるとつい名前を聞きそびれるんで、と付け加えた。ほら、何時もこんな顔だからあいつ、と眉間の皺を表す人差し指を額に走らせて。
「なるほど、君は彼の名前を……面白い試みだね」
微笑ましい話だ、といった風情の笑顔。ちょっと心外だが、本心を悟られるよりはだいぶましだ。合わせて俺は曖昧に笑い返す。
「呼ぶ前に一応、彼に了解を取るつもりではいるんですが」
と付け加えて、心証の向上も抜け目なく図る。一頻りの説明に、企みを知る筈もないランサーは朗らかに頷いて見せるので、俺の胸の隅っこに再び若干の痛みが走る。確かに彼は気安い。けれど、だからこそ俺は相手の選択を間違えたかもしれない、と少しだけ思う。
「まあ、あいつが俺をどう思ってるか今一つ解らないですが……狭い村で暫く一緒に過ごすんだし、ちょっとは親しみを持ってくれるかな、ってね」
「うむ……そうだな。彼のあれは君を警戒している訳ではないんだが、なにぶん生真面目な性分でね」
知ってはいます。あいつのアレは警戒とはそもそも別の…なんだろうなあれ。
「私もいい機会だと思う。ギルド外での、任務を置いた付き合いを覚える事は、彼にとっても有益だろうしね」
というランサーの口振りから察せられるのは、お役目優先、四角四面で規範通りに日々の任務と業務をこなしていくだけの一日が繰り返される。味気ない暮らし。ぞれだけしか見えない男。想像通り過ぎて苦笑しそうになるのを必死で抑える。そんなあいつが不意を突かれて余裕をなくし、眉間の皺を過去最大に深めるイベント、やはりこれは是が非でも見届けたいじゃないか?
「……そうですね」
俺は口元の震えを愛想笑いに無理矢理形成して、無害そうににっこりして見せた。
「では、彼の名前だが――」
ひとつ頷くと、ランサーの口が無警戒に開いた。ふむふむ、名前のどこを取れば丁度いいおもしろ愛称が出来るかよく聞き取っておこう。格好いいやつかな、意外と可愛いやつかな、まあ割と何処にでもいるありふれた名前って可能性が大きいだろうけど、大穴で俺と同じって事は……見た目の人種的にまず無いだろうな、等々、上の空で考えていたら。
「――――だ」
「……え?」
今のは何だ?
確かに短音を連ねた一塊の波が数個、男の口から放たれた。だが、決して言葉には聞こえなかったのだ。少なくとも、人の名前には。俺が唖然としているの気が付いて、
「ああ、すまない。早口に過ぎたかな?」
ランサーは改めて俺に向き直った。
「すみません、あの……ちょっと聞き取れませんでした」
俺は正直に答えた。名前と言う話題でそこまで正体不明のフレーズを聴かされるとは思っておらず、チャンネルの合っていない俺の耳の中には一音も入ってこなかったのだ。
「そうか、まあ無理もない。少々難しい名前だからな。もう一度言おう」
彼は頷いてから再び口を開いた。一拍置くのは、はっきりと緩やかに発音してみせるからね、という合図。ありがたい。
「彼の名は、――――。ああそうだ、ちなみにルーキーは……」
「え、も、も一回……?」
俺は慌てて手を差し上げ続きの話題を止め、申し訳なくも繰り返しを頼んだ。しかしランサーの口からこぼれるのは、三度呪文。やばい、無理だ聞き取れない。しかしこれ以上聞き返すのは流石に憚られた。
「……すんません、ちょっとここに」
俺はハンターノートを取り出し一番裏のページをめくると、ポーチに挟んでいた細目の黒鉛棒を添えて差し出した。
「うむ」
その方が確実だろう、と頷き俺の手からノートを受け取るとさらさらと書き付ける。綴られるのは大きな手に似合わない丁寧で繊細な文字。しかし。
「すげえ、読めねえ」
粗末な紙の上に、母音と子音が見たことない順番で組み合わさった一節が書き付けられていた。脳内再生が余裕で出来ない。何これ。そもそもこれ名前なの。眉間の皺をくるんと一周回りそうなくらいきつく寄せ、紙を睨んで悩む俺を見て、ランサーは笑った。
「はは、もしや君は東方の出身か。そちらの地方で使われる言葉は、我々の言語体系とは子音と母音の構成からして違うと聞いているよ。とは言え、私にも彼の姓名は少々独特に感じるがね」
「……長ったるさが古代詩みたいだ」
俺の思わずの呻きに、ランサーは大きな口で一際快活に笑った。
「ああ、そうだな、詩だ。それほど間違ってはいない」
返ってきたのは肯定。意外な反応に俺はランサーを仰ぐ。その意味を眼で問うが答えはない。ただ、急に緑の双眸が何かを思って夢見るような遠さを含んだ。そうか、つまり何らかの由来を含んだ命名なのだ。
「……ロマンチストだなぁ」
「それは君の方だろう」
彼の名をそう例えたのは、君が初めてだ。彼は目を細めて言う。俺は冗談のつもりだったのにそう好意的に評されて、何だか尻がむず痒い。
――それとも。
俺は手元の文字を眺める。もしも彼の邦の言葉が解るなら、詩のように歌う名の意味を共に味わえたのだろうか。今の俺にはただただ、酷く遠くから来たのだと思い知らされる、そんな響きでしかない。
「彼に渾名とかは、ありませんか?」
俺はその欠片だけでも拾おうと尋ねた。
「渾名、か……」
彼はふと、言葉を途切らせる。俺達の間を、潮の匂いが通り抜けた。凪が終わって海からの風が舞い戻る時間だ。木陰は少し肌寒くて、装備のままの俺はふるっと体を震わせた。
「……私はついぞ聞いたことがない」
リーダーらしいな。寝起きを共にする仲間でも任務期間中は私事を持ち込まないんだろうな。と思ってたら。
「……彼に、そのような間柄の、親しい友が居れば良かったのだが」
ぼっちかよ。ぼっちの方かよリーダー。俺は脱力に襲われがっくりと肩が落ちる。見たまんまそのまんまのぼっちなのかよ。そうだろうなって気はしてたけど、こんな温厚な人から寂しそうな声で聞きたくはなかった情報だぞリーダー。親友の一人も居ないなんて、それを心配されてるなんて、俺の胸の方が痛いじゃないか。あんたはもう、十分大人の筈なのに。
俺はランサーの目を憚るのも忘れて思わず天を仰いだ。頭を掻きながらこぼれたのは溜息。気軽な悪ふざけのネタにと糸を投げたのに、湖から釣り上がったのはひどく繊細な形をした、空っぽの小箱。
自分をもう少し図々しく無神経な気質だと思っていたけれど、意外にも善良なる良心が僅かなりと体の中に生きてたようだ。気まずさにもう一つ、溜息が漏れる。俺はこの、胸に蟠るどうしようもない居心地の悪さを一体どう飲み下したらいいんだ。
「……あ」
俺はふと思い付いた。この人はハンターだけど、同時に学者でもあった筈だ。それならば。
「ねえランサーさん」
俺は、大きな男の物憂げな横顔を見上げ、ノートを差し出した。
「ここの横っちょに発音記号、書いといてくれませんか」
俺の言葉に、見下ろす緑の瞳がふっと和らぐ。
「ああ……それがいいな。それがいい」
そう微笑むと再びノートを受け取る。先ほど書き付けた文字列を暫く見つめてから、黒鉛棒の先を置いた。かり、かり、かり。時々唇を音なく動かしながら名前の横に、丁寧にゆっくり記号を書き付ける。間違いがないよう読みを口の動きで確認しているんだろう。繰り返し、繰り返しその音を味わいながら。
その仕草を眺めつつ、俺はふと思いあたる。不自然なまでに堅くぎこちないリーダーの言葉遣い。もしかしてあれは、彼の母国語と共通語がひどくかけ離れているせいなのでは、ないだろうかと。
「あいつの口から由来を聞く前に、あっちの国の歴史とか昔話とか……一冊いいやつ見付けとくかなあ」
こんなに言葉が違うんじゃ、文化も暮らしも相当異なってるだろう。からかう前にそういった下地を知っておきたい。思わぬタブーがあるかもしれないし、言祝ぎの作法に触れるかもしれない。そういった事への最低限の敬意くらいは払っておかなきゃならないだろう。
俺の独り言を耳にしてランサーの太い眉が跳ね上がる。彼は顔を上げ、ぱっと嬉しそうに笑んだ。
「いい考えだね、実にいい」
その顔からすると思い付きは正解だったようで、俺も笑い返そうとした、がふと気が付く。
「でもここ、あんま本が手に入らなそうなんだよな……」
辺境の小さな、しかもアイルーばかりの村ゆえに書籍どころか物資の流通すらもおぼつかない。最寄りの集会所も小さなギルドストアを維持するのが精々という感じだった。ランサーもふむ、と眉を寄せて考え込む。
「さきほど雑貨屋店主と話をした際に、書物も取り寄せられないことはない、と語ってはいたが……」
語尾が濁る。そうだよな、狩りに関係したものならともかく、書名も著者も指定無し、漠然とした要望で望みの本が届くのは宝玉入手率以下の可能性しかない。まあでも。
「いい機会だし、五、六冊誤爆してもそれはそれで」
楽しいもんだろうし、とランサーに答えた。例えば伝承の本を頼んだつもりで伝統料理の本が届いたとしても、その中から人々の暮らしが伺える事には違いない。何をどうやって食べるか、それだけでも独立した一つの文化だ。何を収穫して何で調理して、何に盛り付けて、誰とどうやって何時食べるのか。何を旬とし、何を祝って、何を忌避して、何をもてなしとするのか。細々とした風俗は目に見えない背景として、幼少から成人するまでの間にゆっくりと人格を形作っていく。俺がそうして今の俺になったように。
断片でもいい、彼の生まれた邦に関する雑多な知識を拾い集めていけば、たとえ詳細を記した大著に触れられなくても、おぼろに浮かんで見える景色もあるだろう。
俺は思い起こす。点と点でしかなかった知識のかけらがある日突然一つのものに繋がって、思わぬ世界へ誘う扉を開く鍵になる――あの、言葉にならない快感。開けた風景に圧倒され、手にした地図の粗末さを知る高揚の瞬間。
悪くない。リーダーがきっかけというのは若干癪だが、久々に心がそわそわする。この感覚は悪くない。
「……あいつ、何食ってたのかなぁ」
「ん?」
思わず口から零れた呟きをランサーに聞き咎められ、俺は慌てて頭を掻いて誤魔化した。自覚するより彼の事を気にしている自分、それに気付いて何だか無性に照れくさかった。
「いえ何でも……そうだ、竜人問屋のじいさんや団長も随分あちこち回ってきたらしいから、一杯飲ませてみればおもしろいネタが聞けるかもしれないなぁ」
今は何の手掛かりもないけれど、探索の糸口になる事物が一つ二つ拾えれば、後は芋蔓式で体系作っていけるだろう。忘れかけていたが、俺はそういう回り道が好きだった。道すがら拾い集めたがらくたを細々と書き込んで、どこにもない自分だけの地図を作る、そんな一人遊びが。
口に出しては言わなかったが、俺の考えている大体はランサーも察したようだった。
「まぁ、流石に百冊二百冊ってなったら、懐が危ないですけどね」
そう付け加えるとランサーは愉快そうに笑った。こういう会話も久しぶりで、心のどこかが潤うようにくすぐったい。この仕事に就いてから考え方も習慣も切り替えて気楽になったつもりでいたけれど、俺は存外渇いていたらしい――そう、思った時。
「ああ、そういえば君は、ハンターになる前は絵を描いていたと聞いたよ。好奇心が旺盛なのはそのせいかな?」
心臓が跳ねた。さっと背筋が粟立って冷や汗が滲む。
「えっ、あ……その」
どうしてその事を。あまり知られたくない情報が思わぬ人物の口から飛び出して、俺は絶句した。動揺した手元が不随意に空を掻いて、小脇に抱えていた兜が支えを失い転げ落ちる。とさり、と軽い音を立てて洗われた砂に紅の兜が沈んだ。
「あっ」
慌てて拾おうと屈んだが、深い白砂に足を取られよろめき膝を突いた。さりっとめり込む甘い音と共に、地面が近くなって焼けた砂の匂いと波の音が強くなる。血の圧が変化に耐えられず耳の奥で膨張し目眩を引き起こした。
「はは……っと、しまったな」
兜の丸みに手を置いて息を整える。狼狽を悟られるのも恥ずかしくて、俺は兜に損傷がないか心配している風を装った。両の掌で持ち上げると入り込んだ砂がさららと零れる。柔らかい浜は装備の重みを優しく受け止めて、被害はせいぜい滑り受け金具のグリースに細かい砂がまとわりついた程度だった。
「大丈夫かい?」
「……ええ、まあ」
どうにか口から出せたのは、返事になっていない曖昧な相槌。視線が無意識にさまよう。胃の腑をじわりと炙るのは羞恥に似た苦み。俺は涸れた喉に無理矢理唾を飲み下して潤し話題を逸らす言葉を継ごうとした。だが駄目だった。
「その、多少、ですが」
うまく言葉が出てこない。さっきはあんなに心にもない誤魔化しがぽろぽろと幾らでもまき散らせたのに。
「絵を描いていたのは、多少なんですが、ええと……まあ結構前の事で……」
歯切れ悪く答えながら俺は立ち上がった。前職の事なんて一体誰が彼に話したんだ? 団長? お嬢? 料理長? 加工担当?それともリーダー……はないか。
「リーダーからね、聞いたのだよ」
まさかの名前に俺は腰が砕けてかくんと座り込みそうにる。危うい所で膝に手を衝き耐えたが、一番大穴過ぎて心臓にきた。確かに姿勢の悪さを質された時に仕方なく答えたけれど、あの時のリーダーは相変わらずの顔色で、興味を持ってる風には微塵も見えなかった。一体、何でまた、よりによってこの人とそんな話題に。
「とても意外に思えた、が」
頭上から降る声は静かに落ちた音調で、俺は思わず顔を上げる。すると緑の瞳がじっと見ていた。俺の視線を待っていたのだろうか。
「話しているうちに成程と納得した、と言っていたよ」
「……」
胸がちくりと疼いた。ランサーに対して感じた後ろめたさとは別の場所が別の痛みで。それで俺は少し落ち着いた。乱流に浚われそうだった千切れ羽がピンでさくりと留められたように、浮つく意識が胸元に戻る。
「そんなに猫背直ってなかったかなあ・・・」
俺は思わず首の後ろに手を回して呟いた。今更だが俯き気味になっていた背筋を伸ばす。誰かに対して俺の事を話題にするリーダーなんて想像した事もなく、眉間にきつく皺の寄った顔しか知らない俺は絵面が浮かばなくて戸惑った。そんな俺の様子を見てランサーは頭を振りながら笑う。今まで見せていた快活なものではなく、優しい、気遣うような控えめの微笑み。
「いや、そうではないよ」
静かなままの声が、ゆっくりと話しかける。
「初めて見た物の姿を人に伝えるのが巧い、と言っていた。目の前に絵が浮かぶように話すのだと。自分と見ている物が同じでも、感じる部分が違うらしい、ともね、話していたよ」
「……」
心に、痛みを追ってむず痒いものが走る。追い払うために一つ、俺は息を吐こうとした。だが上手くいかず喉が突っかえ短く噎せた。全くの不意を突かれて言葉に詰まる。彼が俺を。彼がそんな風に、俺を。それを今この瞬間で知るなんて。
なんだあいつ、意外と饒舌なんだな。そんなどうでもいい感慨が惑った思考を上滑る。そして思う、悪戯を企んだバチにしちゃ、これはちょっとキツいんじゃねえかな、と。
俺は海の方へ顔を向けた。蒼と白に果てしなく開けた視界に意識をやって無理矢理にも気分を引き上げさせる。黙していても仕方がない。今日は多分、"そういう日"なんだ。
「正確には……絵で物語を綴っていました」
「ほう?」
俺が手掛けていた仕事の詳細、それはまだ誰にも明かした事がなかった。こちらにはそもそも相当する職種が存在しない。だからこそ体に染み着いた癖から経緯を悟られ詮索される心配もなく、ごくごく気楽に今の身分に収まれたのだ。
語り始めた俺に安堵したように、ランサーの目尻が緩んだ。装備に固められた大きな肩が少し下がる。
「こっちで言う、絵巻物に近いかな。俺のところの地方にしかない仕事で……近いっても、事件を記録するとか後世に残す為とかそういう大仰なものじゃなくて……」
どうやって伝えたらいいのだろう。そもそも存在しない職能に意義はなく、言葉にする必要もないのかもしれない。だけど俺は考えた。今の自分を、そしてこれまで何をしてきたかを伝える為に。動揺と狼狽の正体を解きほぐし殺して飲み込む為に。
「空想の物語を考えて、その中に生きる人々の暮らしを描くんです。何を思ってどう暮らすか、日々や季節の出来事、そこから繋がって生まれる年代記みたいなもの……何て言うのかな、そういった細々した事を、絵と文字で綴って本にして売る、そんな仕事でした」
ゆっくり語りながら、自分の中の苦みを噛みしめる。しかし踏み込もうとしても、どうしても思考がぬるぬると核心から逃げていく。そうじゃない、それじゃ何も伝わらない。俺が何のためにその仕事を選んで、そして諦め捨てたのか、実体も実感も全く芯を突いた言葉になっていない。
思っていたより俺は、自分の体に走った生理的反応に打ちのめされて動揺していた。過去なんて何の感慨もなく置いてきて、あっさり現在の暮らしに切り替えたつもりでいたのに、その程度のものだったんだと拍子抜けしてたのに。そっか、くそ。俺は心の中で自分に悪態をつく。俺はただ、そう思いたかっただけなんだ。駄目なんだ、まだ。
不意を突いて思い知らされる、自分でも目を逸らしていた本心。納得ずくのつもりだった。だけどいざ突き付けられてみれば動揺する事に動揺する程度の覚悟。なあ俺、まだ何一つ諦め切れてないじゃないか。砂を噛みながらも踏み留まってじりじりとその先へ進んだ、そして何かを得たかもしれないルートを、未練たらしく思っているんじゃないか。
反射的に羞恥や忌避感が襲うのはつまり、それは俺にとってどうしようもないほど深い"挫折"だったって事だ。
「……つまらない、大した足しにもならない仕事ですよ」
脳裏で至った結論に胃の底が冷えて足下の感覚が曖昧になる。それ以上思いつく言葉も無くなって、俺は笑って誤魔化した。その途端、陽を遮るように大きな影が被さってくる錯覚。間近に打ち合う黄鉄の音。ランサーが俺の正面に向き直り真っすぐに見下ろしていた。
「そんなことはない、物語は人の暮らしに必要なものだ」
彼は強い声できっぱりと言い切った。
「私は不作法者だから、そういった方面の善し悪しを判ずる事はとても出来ないが……意義のない仕事などありはしないよ。君の事情は解らない。しかし、卑下する事だけは――過去の君の為にも、止すべきだと思うよ」
真摯な瞳は瞬きもせず俺を見つめていた。揺らがない大樹のような、傍にいるだけで安心してしまう圧倒的存在感がそこにあった。彼の本当のところは解らない。だが必要な時に安寧を保証してくれる、力強く大丈夫だと言ってくれる存在、自身の役割をそう位置付け受け入れ、沿おうと決めた男の、目だった。
「ありがとうございます、ただまあ、昔のことなんで」
俺は努めて明るく言って切り上げた。聡明な彼は、自分の切り出した話題が俺にとってあまり愉快でないものだったと、とうに察しているだろう。これ以上不安定な挙動を見せて、彼に負担をかけたくなかった。
だが、ランサーから返された言葉は意外なものだった。
「団長の旅が終わる事があって、君がその後を特に考えてなかったとしたら……書士隊に同行してみないかい」
推薦するよ、と彼は強く言う。俺は思わぬ提案に息を飲んだ。
王立古生物書士隊。それは王立学術院管轄の研究及び書誌編纂を目的とした組織だ。この世に存在するあらゆるものを調査・研究し、また散逸しそうな資料を収集・整理編纂する為に世界を巡る事を職務とする集団。その中でも古生物書士隊はモンスターを含む未知の動植物の生態研究を中心としている部署だ。任務の遂行には相当な危険を伴う為、他の書士隊と異なり研究員たる書士と熟練ハンターの混成を常態として構成されていると聞く。
「知識があり、慎重かつ好奇心が旺盛であることが隊員の適正として必須なのだが――なにより絵が描ける者がいると、とても助かるのだよ」
この大陸では写真技術は失われたままだ。標本として持ち帰れない乃至保存不能で損なわれるような資料、更に生きている時の姿などは未だ隊員の素描に頼っているらしい。
「そういや、モンスターの書でも、たまに似ても似つかない挿し絵とか見るもんなぁ……」
倒して剥ぎ取るまで、目的のモンスターだと気が付かない時があるもんな。
「ああいったものは、古い素描が訂正されないまま使い回されているんだが……描いた者もいささか不本意だろうね」
と、ランサーは一応の擁護をするが、言外に不出来だと言ってしまっている。
「書士隊、かぁ……」
見知らぬ世界で誰も知らない生物と対峙する。それはどれほど興味深く刺激的な仕事だろう。しかも身分の保障と給金つき。だけど俺という人間をよく知りもしないうちに、王族直轄の組織へ勧誘するなんて何とも危なっかしい話だ。団長の保護下とはいえ、俺は所詮どこの馬の骨ともつかないゴロツキとかわらない。この真面目さはある意味流石リーダーの先輩だなと思う。
俺は、息をついた。溜息ではなく、淀んだ肺腑を澄んだ大気で洗い流す為に。ランサーの提案、それはおそらく社交辞令の類ではなく、純粋に好意から言ってくれている事だとは解っていた。冗談にしたり無碍に断ってしまうのは礼儀に悖るだろう。
「面白そうだけど何時になるかなぁ」
団長の行状を思い返しつつ溜息混じりに呟くと、察したのかランサーは眉を下げ笑む。そして、風に逆らい遠く海を振り返る。磨きたての黄銅鉱のように力強い金の髪が踊って、俺はその流れで夕暮れの気配を知った。水平線にはほんのりと甘い花の色が宿っている。
「先輩!」
不意に風を切った声に俺たちははっと振り向く。三つ並んだ椰子の木の向こう、狩猟船の甲板から筆頭リーダーが身を乗り出していた。雑務の合間に出てきたはずなのにきっちりと装備を着込んで、長めの髪を丁寧な編み込みで纏めている。いつも通りの何も変わらない端正な姿。
「先ぱ…ランサー!」
巨体の陰に俺の姿を見付けたのか、リーダーは繰り返しかけた呼称を慌てて直す。
「先輩…?」
意外な気持ちで該当しそうな男を見上げると、
「私の事だ」
狩猟船を見やったまま、ランサーは少し苦笑して答えた。おそらく筆頭ハンター集団のリーダーに任じられる以前の習慣が抜けないのだろう。俺やルーキーに対する時とは明らかに違う、厳しさの抜けた控えめな声が耳に新鮮だった。なんだ、意外と年相応の青年らしいところがあるじゃないか。俺は油断した呼びかけの中に、甘える事の出来る気配を嗅ぎ取りふっと、彼を近くに感じる。
「お話し中…でしたか」
どうやらリーダーは、相手が俺だと気付いていないらしい。この村に今いる人間の男は、筆頭ハンターの四人を除くと団長と俺だけっていうのを忘れているのか。妙に改まって慇懃な様子がおかしい。
「どうしたんだね、何か問題でも?」
俺の頭上、よく通る太い声が問いかける。
「……いえ、急ぎの用ではありませんので、そちらのお話が終わられてからでも――」
「よ」
このまま気を遣われているのもむず痒くなった俺は、ランサーの巨体の影から一歩踏み出し、いつも通り片手を挙げ軽く挨拶した。
「……君か」
声の調子が一音下がる。背に隠れていた人影が俺と解って、元々うっすらと寄っていた眉間の皺がくいと深くなった。露骨な反応に俺は吹き出しそうになったが、唇をきつく引いて耐えた。彼は顰めた顔そのまま、ランサーに視線を移して話を続ける。
「――確認していただきたい書類がありますが、特に急を要するというものでもありませんので、そちらの話が終わられてからで構いません」
低く、堅い調子で言い直される。厳格で素っ気なし、何を喋っても取り付く島もない、いつも通りの彼。だが俺は何となく気が付いた。きつく見える態度に他意はなく、それはそれで彼なりの私事と職務への線引きなのだろう。
不器用だな。俺はぼんやりと思う。
「後で、船の執務室に」
「解った」
ランサーが答えると、リーダーは一つ頷いて乗り出していた体を戻した。ぴんと背筋の伸びた美しい姿勢が、元々背丈のある彼の体を、よりすらりとさせて見せる。黄金に輝く甲板の照り返しを受けて銀の髪がきらきらと光を遊ばせていた。ああ綺麗だな。初めて会った時から思っていた。綺麗な男だ、とても。
急ぎではないと言いつつ、リーダーは船内へ引っ込むでもなくそのまま甲板上に所在無げに突っ立っていた。顔こそ俺たちの方から少し逸らして村内を見回す風だったが、ちらちらと視線の端でこちらを伺っているのが解る。
「急ぎかな?」
「そうかもしれないね」
俺たちは苦笑した。
「彼は不器用なんだ 言葉も、行動も、人に自分の思いを伝えるのも」
「…みたいですね」
先程思った通りの事を、ランサーは口にした。
似ていない。俺はふと思う。俺と彼は本当に何一つ似たところがない。経歴も所属も立場も性質も、話し方も他人との接し方も言葉遣いも真面目さも、アイルーが苦手なところも背筋のぴんとしたところも友達が居ないところも、生まれた場所も育った世界も、そしてこれから目指していく先も。何もかも。
それなのにどうして、俺は彼をこんなにも構いたいのだろう。
「では、戻るとしよう」
ランサーはもう一度俺に向き直る。
「先ほどの書士隊の件、君の心の隅にでも留めておいてくれ」
改めてそう言った。社交辞令ではないよ、と念を押すように。
「はい」
その時、一際大きな風が俺達を撫でた。海の向こうから呼ばれたような錯覚に、俺は思わず振り返った。茫洋とした海の果て、雲の生まれる空との境に、陽炎に融けた陽が落ちていこうとしていた。あと四半刻もしないうちに宵闇が追って星が瞬き始めるだろう。
「見つけて、名付けて、世界を知る」
潮の音に紛れることのない、よく通る心地良い声が呟いた。
「その繰り返しで人は世界を広げていった。一度失われかけた人の営みだが、小さく脆く独善に縛られていると思うのだが」
彼も海を見ていた。その向こう、果てしなく広がる未踏の地を夢見ながら。己の中に疼き続ける、希求して止まない性を噛み締めながら。
「この荒々しい自然へ分入り切り開き、知り尽くそうと力強く足掻く姿、その【好奇心】が――私は愛おしいのだよ」
だから、どこまでも深く追っていく。生物を、その暮らしと生態と脅威と、存在の何もかもを。名も無き森、名も無き海、名も無き遺跡、名も無き地底の洞。本能の渇望は途切れることなく新しい対象を求め、少しづつ、少しづつ手と足で、拙い地図を紡いでいく。
「それは、人と人とでも同じ事なんだろうとね、私は思うんだ」
彼は手元に目を落とした。掌の中には夕の風に小さくはためく安紙の束が握られたままだ。そこに書き付けられた、俺の喉に余る名前を思い出す。
「何時か……そう、叶うならば」
目を上げず、だがどこか遠いところを見るような顔で、彼は言った。
「彼の名を、呼んでやってくれ」
その名前の中に、書き付けた文字の中に、リーダーの姿を越えて彼は何の景色を観ているのだろう。俺の知らない豊かな世界、もしかしたら少し悲しい古の物語を。
大きな手がノートを丁寧な仕草で閉じた。黒鉛棒と共に受け取りながら俺は頷く。彼は右手を差し出した。握手なんて久しぶりで俺はちょっとどきりとする。見上げれは真摯な瞳。俺は応えて掌を重ねた。くっと握り返す力は柔らかく、その眼差しのように温かくて面映ゆい。
頼んだよ、そう彼に言われた気がした。彼の為だけでなく、君自身の為にも、と。
「……」
離れていく手の温もりに、ふっと名残惜しさがこみ上げる。それは心とは別の場所、本能からくる衝動。忘れかけていた、人と結ぶ絆の気配だった。
ランサーの肩越しに覗く青い影を見やる。いつの間にか空は夕暮れの朱をたたえ、リーダーのくっきりとした目鼻立ちに濃い影を落とし始めていた。孤独な男、そう思っていた彼の僅かな隙を知って俺の胸には小さな、本当に小さな甘い痛みが宿り始めていた。リーダーは俺と目があった事に気が付くと、一瞬眉を寄せた後、ほんの僅か身じろぎする。居心地悪げな反応にがおかしい。人に慣れていないんだ、本当に。
俺は笑った。そうすることで喉に残っていた苦い気持ちを飲み下し、いつもの自分を呼び起こした。視線の先にはまだ彼の姿。遙か、遙か遠い見知らぬ冬の国から来た男。そんな彼の名前を彼の国の音で呼ぶ、俺の声で。それがきっと一番の悪戯になるだろう。そうして俺は君を知り始める事に、なるのだろうか。
「……何時になるか判りませんけど」
俺は大きな男を見上げ、苦笑を装いながら答えた。それから頷く。誰かと約束するのは、久しぶりだった。
まるで共犯のような、約束は