起きたらドデブスの魔女に生まれ変わっていた俺の話、聞いてくれる?   作:サイスー

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プロローグ
カリステファス


 腹が重い。単純に肉が積み重なった結果だ。ケツが分厚い。その理由も同様。歩くと股ずれを起こしそう。下を向こうとすると顎の肉に邪魔されるし、身体を動かすのがとてもおっくうだ。腕の可動域の狭いこと狭いこと。背脂が邪魔をして、天使の羽(肩甲骨)なんて恥ずかしがってすっかり埋もれちまった。

 

 そっぽを向いた鏡を久しぶりにこちらに向けると、映った姿に絶句した。誰だこれ。俺か。もともと顔の造りは薄いほうだったので、完璧にパーツが埋没してしまっている。アゴはどこへ行ったんだ? ああ、悲しきかな、デブだ。まごうことなきデブだ。知ってる。

 

 一生でこんなに愛することはない、と思えるほど愛した彼女に振られ、暴食に走った結果がこれだ。食べているあいだは不思議と寂しさが和らいだ気がした。なにかを常に口の中に入れておきたかった。

 

 顔はイマイチだったが、同性の友人は多く、女友達だってそれなりにいた。背の高さとそれなりに高いコミュニケーション能力で、人並みの暮らしは送っていた。

 

 世間は正月。去年は彼女とコタツでふたり寄り添って笑いあっていたのにな、とほろりと涙をこぼしながら、ぶんぶんと首を振る。

 

 いつまでも考えていたって、なにも変わらない。暴食はすこしのあいだ寂しさを紛らわせてくれていたけれど、残したのは盛大な贅肉だけ。

 

 新年、心機一転変わるしかない!

 

 そう決意して、おっくうな身体を引きずり、最近普段着と化しているぶかぶかのスウェットのまま外へ走り出したのがつい先ほど。夜なので人目はないが、車のライトが見えるたびにびくびくした。豚が畜舎から逃げ出していると思われかねない体型だからだ。俺は養豚場から逃げ出したんじゃねえ、新たな未来へ向けて駆けだした豚だ。紅の豚だ。かの有名な豚は言っていた。走れない豚は、ただの豚だと。

 

 走り始めて十分も立たないうちに膝の痛み、足首の痛みと、関節という関節が肉の重みに負けてきしみだす。おまけに呼吸は死ぬほど苦しい。ひゅーひゅーと喘息音が身体中をこだまし、口のなかは血の味だ。なにから、いや、何者からも逃げるように俺はただただ走り続けていた。

 

 そして。意識が途切れた、のだったか。

 そうだ、走っている最中から記憶がないから、どうやら気を失っていたらしい。

 なら、ここはどこだ?

 うす明るい天をめがけて、ぐんぐんと意識が浮上していく。上も下もよくわからない空間だけれど、なんとなくそちらが上のような気がする。

 やけに重い瞼を開くが、目がかすんでまわりがよく見えない。

 薬草、のような香りが漂っている。おだやかにあたたかな気温で、すこしばかり湿度が高い。

 

「やっと起きましたか」

 

 心底嫌そうな男の声に驚いた。部屋に男はいない。寂しい男一人暮らしだ。間違いない。

 ここは、病院?

 何度も瞬くと、白い霧は晴れた。

 

「誰」

 

 やけに不愛想な声が出た。不愛想で不機嫌そうな声だというのに、いつもよりも随分と高い声だ。不思議に思いながらも、条件反射で苛立ったのは、自分をのぞき込む見知らぬ男の顔がモデルのように整っていたからだ。

 

「俺の家で何してる」

「俺とは……実に嘆かわしい。その見た目で俺っ子の需要はありませんよ」

「はァ?」

 

 嘘くさい仕草でハンカチを目に当てるやけに綺麗な男。赤い目なんて初めて見た。カラコンだろうか。異様に白い肌といい、悪魔みたいな男だ。長身痩躯の彼はモデルになれば売れっ子間違いなしであろう。ニヒルな笑みを浮かべて、男は形のよい唇を開いた。

 

「わたしは高位使い魔カリステファス。あなたはいつもわたしをカロスとお呼びになる。そして貴女は、魔女のグラジオラス」

 

 頭沸いてんじゃねえか、こいつ。

 失礼なことに心の底からそう思った。だが魔女だとか使い魔だとか、ばかげたことを当たり前に口にするこの男は、おそらくおつむが弱いのだろう。さらには、俺の性別すら間違うとは、痛々しいにも程がある。

 

「お言葉ですが、弱いのはあなたのお頭ですよ。まわりをよくご覧なさい」

 

 そう言われ、寝転がったまま視線だけを巡らせると、見覚えのないものばかりがある。全体的に木造りだ。素朴な丸いテーブルに、椅子がひとつ。花瓶には食虫植物かと見まごうゲテモノが刺さっており、天井のシャンデリアは古びた雰囲気を醸し出している。ベッド脇の棚にはティーポットが置かれており、湯気のたつカップから薬草のかおりが漂っているらしかった。部屋は狭く、調度品の類は安物だ。不釣り合いなのは古ぼけたシャンデリアくらいで、ふつうの明かりにすりゃあいいのに、と思う。

 

 とりあえず俺ン家じゃない。あと、病院でもない。

 

 気になるのは、かけられた布団が体のかたちにこんもりと膨らんでいることだ。悲しいほどに腹が膨らんでいる。

 

 起き上がろうとすると、カロスが背中に手を添えて手伝ってくれた。見目麗しい青年がボランティアで老人の介護をしているような、そんな風景が広がっていることだろう。

 

 腹の肉が邪魔で邪魔で、気を抜くとこてんと後ろへ転がってしまいそうだ。

 

 目の前に姿見があった。やけに遠くのものが明瞭に見える。眼鏡をかけたまま眠っていたのだろうかと考えていた思考が、衝撃でぶっ飛んだ。

 

「ド……」

「……ど?」

「ドデブス!!!」

 

 とんでもないデブのとんでもないブスが姿見に映っていた。ぱちくりと瞬くタイミングも同じ、そばに美青年をはべらせているのも同じ、となるとあれは、俺か?

 いやいやいやいや、こんなにドデブのブスではなかったはずだ。もうちょっと小ましだった! いろいろと! なんかわからんけど、たぶん。しかもドデブスなのになんか女っぽい!

 

「主様、お気を確かに。それは現実です」

「失礼だな、お前。いろいろと」

「いやはや正直な性分でして」

 

 悪魔のくせに、と考えて首をかしげる。

 

「どうかなさいましたか? わたしは悪魔で間違いありませんよ」

 

 先ほどから心のなかを読んだようなタイミングで、的確な答えを返してくる。何者だ。

 

「悪魔でございます。類稀なる高位の悪魔カリステファス。わたしを使い魔とできたことを誇りにお思いになるとよろしいかと」

 

 疑問を遮るように、彼は一枚の便箋を差し出してきた。見たことのない文字だが、読める。読めるのだ。

 親愛なるグラジオラスと書かれた封筒を開けると、なかには流れるように美しい文字が書かれている。

 

 グラディス、最近どうしているのかしら。あなたのことだから、また家に引きこもっているのでしょう?

 ブスはどうにもできないけれど、デブはどうにかできるのだから、その見苦しい肉をそろそろどうにかしたほうがいいわよ。あなたったら、もう三世紀も太ったままじゃない。といっても、わたくしとあなたの付き合いなんて三世紀しかないのだけれど。ほほほ。

 そろそろカリステファス様をわたくしに引き渡してはどうかしら。彼もそのほうが喜ぶと思うわ。だってわたくしのほうが美しいのだから。魔力と知識だけが取り柄のあなたとは違って、わたくしはそのうえに美貌と金もあるのよ。

 さて冗談交じりの本気はここまでにして、本題よ。

 あなた、最近王からのオーダーを無視しているそうね。本当にのたれ死んでんじゃないかと思って手紙をしたためた次第だけれど、カリステファスがいる限りそれはないかしら。

 返事くらいよこしなさい。あと、さっさとオーダーをこなさないと面倒なことになるわよ。

 

  美の魔女ダリアより

 

 なんだか心底腹が立ったので、手紙は燃やしておいた。燃えろ、と念じると青白い炎が手のひらから出てきて、なめるように手紙を屠っていったのだ。熱さはさほど感じなかったし、手の皮はただれていない。それができると、俺は確信していた。手から炎が出るなど、ふつうに考えてあり得ないことだというのに。

 

「魂が変われども、相変わらず魔法だけは見事なものです」

 

 うん? 今こいつ、聞き逃せないことを言いやしなかったろうか。俺がこの身体に見覚えがないこと、その答えをこの悪魔は当たり前のように認識しているような。

 

「わたしほど高位の悪魔が魂が入れ替わったことに気づかぬはずがないでしょう。しかし貴女はグラジオラスとして生活するに、他はありませんよ」

 

 何を言ってるんだこいつは。

 

「本当にお頭の弱いことで……嘆かわしい。貴女は異世界から魂だけを飛ばし、それがグラジオラスに宿ったのです。グラジオラスの魂は、わたしがいただきました。それが契約でしたので。

 すでに貴女の魂とわたしの契約は終えています。貴女が死ねば、その魂はわたしのものとなる、ということです。グラジオラスの魔力はとても美味だ。

 わたしは芳醇な魔力に満ちた魂を得る、右も左もわからぬ貴女は有能な使い魔を得る。お互いに利のある素晴らしい契約でしょう。お分かりになりましたか?」

「いや、お分かりにならん。何勝手に契約してんだ。クーリングオフだ、クーリングオフ。それに俺は男だ。この身体は女だ。いろいろとおかしいだろう」

「魂に男女の概念などありませんよ。男に生まれれば男として生きる。女に生まれれば女として生きる。郷に入っては郷に従え、と貴女の故郷では言うのでしょう?

 それが受け入れられぬ者が巷ではトランスジェンダーなどと呼ばれていると。郷に入っては郷に従えぬ者たちのことです」

「いや、それも違うと思う」

「やれやれ。反論するのがお好きな方だ」

 

 ドラマか映画に出てくる鼻につくイケメンのやれやれ、という仕草。

 少女漫画ではそんな男の姿に黄色い声をあげるその他大勢と、唯一何も反応しない主人公との恋が繰り広げられるのが定石だったっけ。

 妹の買い集めていた少女漫画を暇つぶしに読んでいた俺は、実際に目の前で繰り広げられるその光景に腹立たしさしか感じない。この悪魔、愛憎劇の末に交通事故やら記憶喪失やらで不幸のどん底に落ちればいいんだ。母のハマっていた韓ドラみたいに。

 

「貴女の思考回路はぐちゃぐちゃとしていて要領が得ませんね。で?」

「"で?" なんて言われても、俺は一言も言葉になどしていないはずなんだが。勝手に俺の思考回路に口をはさんでくるんじゃねえ」

 

 パチン、と悪魔は指を鳴らした。すると、悪魔は濡れるような長く艶やかな黒髪に、柘榴のような赤い瞳の豊満な身体をした美女へと変じた。

 挑戦的な上目遣いで俺を見あげ、蠱惑的な笑みを浮かべて顎に手をかけてくる。むっちりとした白い胸が押し付けられ、俺は自然と鼻息荒くその谷間を見下ろした。

 

「女の身体になれば、女としてふるまう。容易なことですわ」

 

 再びパチンと指が鳴り、絶世の美女はいけ好かない男に戻ってしまった。

 

「さっきの女! 女の姿で暮らせ! 命令だ! 主の命令だぞ!」

「小物っぽ……ごほん。主だと仰るのならば、そのように振舞っていただかないと」

 

 その整った容姿といい、人を小ばかにした態度といい、何もかもが鼻につく男だ。

 

「ああ、そうでした。貴女が眠っているあいだに、また借用書が届きました。右肩上がりの贅肉と比例して、借金の額もどんどんと増えていっておりますよ」

「贅肉は余計だ。……借金?」

「はい。王からのオーダーをこなさぬペナルティが課されたようです。そろそろ金ではなく魔力搾取の刑が実行されると思われます。そうなるとわたしとしても困りますので、ここはひとつ簡単なオーダーからこなしてまいりましょう、主様」

 

 

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