起きたらドデブスの魔女に生まれ変わっていた俺の話、聞いてくれる? 作:サイスー
やわらかくてあたたかい、ふわふわのベッドの上で自分の好きなだけ眠る。うむ、この世の天国だ。
決まった時間に出社する必要はないし、煩わしい人間関係もない。人に期待されることもなければ、プレッシャーのかかる仕事もない。
ああ……俺はもしかすると今、とても自由なのかもしれない。至福だ。うむ、実に幸せなことである……はずだ。
相変わらず身体は重くて寝返りをするのでさえやっとだが。
自分で蓄えた脂肪ならまだしも、人がせっせと蓄えた脂肪が纏わりついているというのは、妙に嫌なものである。このラード、何を食って身についたのだろうか。
万が一俺の身体に違う人間の魂が宿っているなら、本気のスライディング土下座をかますところだ。地面に頭をめり込ます勢いで謝罪できる。それくらいに不快だ。
なんて思考を巡らせるくらいに暇だ。
自由ではある。だが、暇なのだ。
暇すぎて暇すぎて、嫌気が差してくる。これから先何も起こらず平穏にゴロゴロゴロゴロ……それが何年も続くと思うとゾッとする。
ブラック企業に勤める社畜に聞かれたらナイフで刺されそうなもんだが、暇なものは暇なのだ。
俺に息子がついていた頃、サザエさんの時間帯になれば物悲しい気持ちになっていたものだったが、この世にサザエさんはいなけりゃドラえもんもいないし、世知辛い会社もない世界だ。
俺はなんのために生まれ変わってしまったんだろう。そんな仕様もない堂々巡りの思考に陥る。だからあえて考えないようにしている。
あーあ、のどが湧いたなあ。
「カロス、お茶」
「主様。もう1週間も食っちゃ寝、食っちゃ寝だらしのない。そんなことでは豚になりますよ」
「おい、俺ってお前の主人だったよな?」
「はい」
「涼しい顔でいけしゃあしゃあと……。
くっそ、あるじサマは気分を害したぞ! 謝罪しろ!」
「ああ……はい。豚さん申し訳ございません」
「俺にだ! ……俺に言ったのか?」
す、と差し出された冷えた茶。俺は上半身をわずかに持ち上げて、ベッドに寝転がったまま受取る。
「堕落の極みですね。少しは運動してはどうですか」
「母ちゃんか、お前は。……まあ、たしかにそろそろ動かねえとなあ」
ゴキブリでも見るような冷えた目にビビった訳ではない。断じてない、うん。心底俺のことを軽蔑しているらしいとよくわかる冷えた視線が痛い。悪魔ってやつは感情表現が随分と得意な生き物であるらしい。
そりゃ奴の気持ちもわからないでもない。
自分があくせく働いているなかで、ごろごろとベッドで眠るだけの怠惰な姿を見せられるのだ。ベッドから出ればいいのにとか、ちょっとくらい起きればいいのにとか。なんか寝てる姿を見ているだけで腹が立つだとか。思わないこともないだろう。
実際俺がカロスの立場に立てば、寝転がって食料と時間を浪費するだけの豚は殺処分したくなることだろう。
「なかなか自虐的な思考で。殺処分など恐れ多い……しかし、どんな悲鳴をあげるのでしょうね、貴女は」
ブラッドルビーの瞳が妖しく細まり、俺は背筋を震わせた。
そうだこいつ悪魔だった。
この身体の持ち主であり、カロスに食われてしまった以前のグラジオラスはどんな人間――いや、魔女だったのだろうか。
契約に従ってグラジオラスの魂を食ったと言っていたが、俺はいつカロスに食われることになるのだろう。痛いのだろうか。痛いのは嫌だ。でもこのドSの具現のようなこの男のことだ。きっと無駄に拷問とかするに違いない。
「しばらくは自由にしてさしあげるつもりでしたが、主様がお望みならば今すぐにでも」
「バカバカバカ、やめろ! ほんとお前……当たり前のように俺の思考を読んでるのな」
「主様の状態を把握するのも、わたしの仕事のうちですので」
カロスは俺の身の回りの世話を余すことなくしてくれる、よくできた使用人のような存在だ。見目麗しく有能な執事。これで俺が小柄な貴族の坊ちゃんであれば、大人気漫画の原作にもなれただろう。復讐に燃えているとなおよし、だ。おっと話が逸れた。
ふつうに一人暮らしをしていると、何から何までやらねばならないのは自分だ。掃除も、洗濯も、食事作りも。郵便物なんて適当に家の前にでも置いておいてくれればいいのに、取りに行かねば配達員の地獄のループが始まってしまう。配達員さんに申し訳ない。
面倒くさがって家事を放置していてもやってくれるドラえもんは現れない。可愛い幼馴染がお節介を焼きに来てくれることもない。
また明日やればいいか、と洗濯物やら今日のやるせなさやらが積み重なっていくだけ。
何もかもを後回し、後回しに生活していると、やがて何をするにも気力がなくなってくる。口さみしさに食べ物ばかりを身体に詰め込んで、ぶくぶくと太っていくんだ。味わってなどいないから、満足しようはずもない。
どうして彼女は俺を振ったんだろう。何がいけなかったんだろう。答えのない押し問答をずっと繰り返して、可哀そうな自分を自分で慰める。俺はそんな生活をしていた。
元カノをオカズにするたびに妙にやるせな気分になって、余計に自信をなくしていた。ははっ、辛え。
そんな自分に心底嫌気が差して逃げるように走り出したのが、あの日のことだ。
走るのを辞めてしまえば、死ぬような気がしていた。実際のところは走り続けて死んだわけだが。まあ、あれだ。気持ちの面でだ。止まりたくなかったんだ。止まれば、また同じことの繰り返しに引き戻されるような気がして。
俺はどうやら心の底から追い詰められていたらしい。
誰が追い詰めたでもない。
俺を振った元カノが悪いわけでもない。
自分で自分を虐げ、嫌悪し、貶めた。そうして自分自身に追い詰められたんだ。
俺を殺したのは、俺自身だ。
俺は自分を大切にすることができなかった。
自分を大切にできない人間が、どうして人から魅力的に見られるだろう。
自分に自信のない人間が、どうして人から慕われることだろう。
だからといって自分、自分と我が強いだけのやつなんてもっと糞食らえだが。
一気に飲み干したカップにはすぐさま茶が注がれ、気の利く悪魔にありがとうと一声かけてズズズとすする。なんだよ、その目。言いたいことがあるなら言えよ。
カロスは特に何を言うでもなく、きょとんとした表情のまま軽く首を振った。
俺は思考に戻る。
自信なんてないのに張りぼての仮面をかぶって生活している人間が、人に慕われていたとしたら。きっとその人は心からの満足を覚えやしないことだろう。人からの称賛を素直に受け止められず、人を疑い、それでも己の被った仮面のせいで不安を誰かに打ち明けることができない。そうやって追い込まれていくんだ。
まあ、以前の俺だな。
変化やら転機ってやつは、待っていれば突然訪れる。なんてことはない。
少しずつでも自分が行動を変えねば、なにも変わりはしないのだ。
俺は変化への一歩を、死ぬ前に踏み出していた。
その一歩の先に続く未来が、輝かしいものであったのか、それとも絶望することになったのかは分からずじまいだ。
俺は自分自身に誇れるような人間になりたかった。
誰がどう言おうと自分の意思を主張できる、自分を信ずる人間になりたかった。
***
膝をついての腕立て伏せ、上がるところまでの腹筋、背筋、椅子の背に手をかけてのスクワット。それらを10回ずつ5セット。
初めこそ奇妙な虫でも見るようなカロスの視線が痛かったが、習慣となればカロスも慣れてくる。俺だって慣れてくる。カロスの目に。
まるで気にせず筋トレを終わらせ、外に出た。
家の裏には広大な薬草畑が広がっている。
暗雲立ち込める灰色の空は、雲の切れ間が赤く染まって禍々しい。ちなみにこれが晴れらしい。
茶色と白の煉瓦で区分けされ、畝の設けられた薬草畑はこんもりと盛り上がった土に多種多様な薬草が植えられている。
ほわほわとした丸い塊がえっさほいさと昼夜を問わず土を耕している。ずっと夕方みたいな暗さだから、いつが朝でいつが夜かもわかりゃしないが。
あのほわほわの白い毛玉はニヒムというらしい。まっくろくろすけの白いバージョンみたいだ。ほじくれるような目玉はついてないが。ストラップでもつけりゃあ、女子高生がよく鞄につけてる毛玉の出来上がりだ。
ニヒムは土の精霊で、難しい植物を育てるときには必ず手を借りなければならないという。ニヒムが住まう田畑は、収穫量や質が桁違いに高いと言われている。知識のなかにあった。
目につくほとんどはグラジオラスの知るものであるらしく、俺が見覚えのないものでも当たり前のようにその名前や役割が浮かんでくる。優秀な身体だなあ。
そんなニヒムがわらわらと住まうこの薬草畑は、きっと良質な薬草が育っているのだろう。
前世ではいろいろぶっ飛ばして駆け足をしてしまったが、この身体ではウォーキングからだ。基礎もクソもありやしない脂肪の塊が突然人並みに走れるわけがないのだ。死ぬ死ぬ。ていうか、死んだ。
広大な薬草畑を脂汗をだくだくと流しながら歩く。何がうれしいのかニヒムが俺の歩いた後をわらわらと群を為してついてくる。以前カロスに聞いてみたら、汗に混じった魔力やら俺の体液そのものに引き寄せられているということらしい。ちょっとマッシロシロスケが怖くなった。
毛玉を引き連れての行進を1時間ほど続けて家に帰ると、カロスが薬草茶を用意して待っている。
「お帰りなさいませ、主様」
「おう、ただいま!」
一人暮らしの長かった俺は、おかえりだなんて言ってもらえることはそれこそ元彼女が泊まりに来ていたときくらいのものだった。
初めこそなんだか照れ臭かったが、1週間も続けると随分慣れた。それを言い出したのはカロスからであった。野郎にお帰りなさいませなんて言われて喜ぶ趣味はなかったはずだが、不思議と悪い気はしなかった。
自分の居場所がここにあるんだ、とすとんと思った。
カロスらしからぬ棘のない物言いだったからかもしれない。
カロスが用意してくれた脂肪燃焼効果の高い薬草茶は、俺が調合したものだ。以前のレシピに改良を加えて飲みやすさを追求した。氷を入れればぐいぐいと幾らでも飲み干せる。運動前と運動後に呑むようにしているが、多量飲んでも身体に害はない。はずだ。
以前の脂肪燃焼薬草茶の味は酷いなんてものではなかった。口に含むごとに吐き気がこみ上げて、口のなかはどぶ臭さと謎の甘さで息をするのも辛いほどだった。とてもではないが、一杯飲み干せるようなものではなかった。
良薬は口に苦し、とでも言えばいいのか効果は高かった。耐えがたい吐き気的な意味で食欲の減退効果という作用もあったのだが、なにせ続かない。そこで俺は効果をそのままに味の改良一点絞りで研究を進めた。
そうして完成した改良版の脂肪燃焼薬草茶は、商品化して魔女通販サイトのカタログにのせてもらった。女性を中心に結構な売れ行きであるらしい。
「一週間も続くとは思いもしませんでした。以前の貴女は痩せる痩せると口ばかりの痩せる詐欺魔女でしたから」
「はっ。人に宣言することでダイエットや禁煙が続くなんて言われてるが、お前に宣言したところで大した抑止力にならなかったんだろうよ。
とりあえず簡単なところから始めてはみたが、まだまだ先は長いな」
「いつまで続くか見ものです」
「ねえ、キミは素直に応援できないの?
皮肉を言わないと息ができないの?」
ふんと鼻をならす俺に、カロスが楽し気に笑い声をあげる。
目的のないダイエットは続かないものだ。だが俺には命の危機という切羽詰まった理由もあるし、なによりこの悪魔に罵られないようにする、という崇高な目的がある。
あと。自己管理のなっていなかった己の過去の身体を重ね合わせて、それなりにちゃんとしたいと思ったんだ。
置かれた場所で咲きなさい、とはキリスト教の修道女の言葉だったか。熱心な修道女でも、まさか魔女の立場に置かれた俺のことなんて考えもしていないだろうが、せっかく設けた命だ。咲いてやりたいじゃないか。
俺は、今度こそきちんと信念を貫いて生きていきたい。己を恥じるばかりの人生じゃなくて、己を誇ることのできる人生を送りたい。
その機会が与えられた。とんだドデブスの魔女の身体だとしても、ありがたいことだ。
実に不思議なことではあるが、人間動くといろいろとやる気が出てくる。とりあえず簡単な作業からでも始めてみると、さらにほかのことも、と手が伸びていくのだ。
滞納していたらしい注文票の品を作り、自分のために化粧水や乳液、薬草茶を作った。だってほら、せっかく女の身体なわけだし綺麗になってみたいじゃん。
ああ見えて甘味好きらしいカロスのためにクッキーを焼いた。口は悪いが、手を抜くことなく家事をこなしてくれることへの感謝を示したかったんだ。悪くないです、なんて耳を真っ赤に染めて言っていた。ツンデレかよ。多く作りすぎてしまったかと思ったが、痩せの大食いらしいカロスがすべて食べつくした。俺が食べれたのは一枚だけだった。ダイエットすると決めたのだし、別にいいんだけどさ。
身体を動かすことにもなるから、と掃除をしようかと思ったのだが、どこもかしこもホコリひとつついていない。洗濯物もいつの間にか綺麗に洗って畳んでなおされている。布団はいつもお日様の匂いがするふかふかなもので、野菜中心にとオーダーした料理は、一級品の美味さだ。カロスは自分で有能だと言うだけあって、非の付け所のない仕事ぶりだ。
あいつの減らず口にもすっかり慣れてきた俺は、カロスのことを親しい友人に似たなにかに感じ始めていた。
俺が気にしなくなっただけなのか、それとも俺がチクチクと嫌味を言われる前に動いているからなのか、カロスのことは最近それほどウザくない。美人は三日で飽きるというが、美男にも三日で慣れた。
時折思い出したようにイラっとすることはあるが、まあ……俺の心の狭さが平常運転ってだけだ。だってイケメンむかつく。羨ましい。劣等感がビリビリと刺激される。きっとモカラみたいな美少女もみんなメロメロになるんだぜ。あーーーー、羨ましい。
めらめらと嫉妬の炎を滾らせてカロスを睨みつけていると、彼はそういえば、と口を開いた。
「随分前に王妃様より届いた手紙、まだ返信をなさっていないようですが」
「はぁ?! 王妃様ってーと……魔王の嫁の?」
「それ以外に何か」
「いやいやいやいや、ンなもん知らねえぞ!」
「お渡し致しましたよ。ほら、こちらに」
机の上に山積みになっていた手紙からひょいとカロスが取り出したのは、美しい便箋。
確かに見覚えがある。ひと際綺麗な便箋なうえにものすんごく汚い字だったから覚えている。汚すぎて解読する気が失せて放り出したんだったか。
「えぇー……王妃様って……嘘だろ、めっちゃ字汚ねえぞ、これ」
「王妃様の悪筆ぶりは魔界でも有名ですから。代筆でないとは実に珍しいことです。それだけ重要だったのでは? もしくは内密にしたい事柄か」
「それ無視してるってやばくないか?」
「ですから催促の手紙が山のように来ているのでしょう」
「悪質なイタズラかと思ってたぜ……」
誰かに何通か送らないと死ぬ、みたいなチェンメ的なやつかと。
ミミズがのたくった様な汚い文字が綺麗な便箋に書き散らかされている。これなんてほら、ミミズとミミズが尺取り虫みたく縮こまってキスしてる図にしか見えねえ。これが文字だってか。
何枚も届いているところを見るに、お怒りなのは間違いない。
なんでもっと早く教えてくれないんだ、と思わないでもなかったが、無視したのは完全に俺の責任である。恨み言が漏れないように口を引き結び、カロスを睨みつけた。涼しい顔で佇むカロスに、まったく気にした様子はない。
「解読してくれ」
「王妃様から主様宛の手紙を拝見するなど、恐れ多いことでございます」
「どうせ俺の思考を読んでんだから、変わらないだろうに。
許可するから、読んでくれ」
「……畏まりました。少々お時間を頂いても?」
「ああ、これ全部頼むな」
「くっ……わたしに不可能なことなどありません、受けて立ちましょう」
今から戦場にでも行くような悲壮さを漂わせるカロスの姿に、俺はにんまりと笑みを深めた。
カロスを困らせるなんて、王妃様。会ったことねえけどあんた最高だぜ!
にちゃあ、と汚い笑みを浮かべつつ俺はカロスがミミズの解析をする間、借金返済のために薬草を煎じることにした。
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