起きたらドデブスの魔女に生まれ変わっていた俺の話、聞いてくれる? 作:サイスー
空腹だった。最近は空腹ばかり感じている。
ぐぅぅぅとやかましく腹が鳴ったので、ナッツを5粒ほど食べて水を飲む。とにかく水を飲んで空腹を紛らわせるのがコツだ。それでも空腹感は消えなかったが、なんとか水で腹を膨らませる。
食べるものがあれば手当たり次第に詰め込みたいくらいには腹が減っている。日本にいた頃は少し足を運べばコンビニがあって、ストックに大量のカップラーメンを置いて、と空腹を覚えることなんてなかった。手に届くところに食べ物があると、意思の弱い俺なんかはついつい手が伸びてしまう。ダイエットを本気でするなら不必要な食べ物は処分するのが望ましいんだろうな。といってももったいない精神でついつい取っておいてしまうんだけど。
空腹には2種類ある。本当に身体が栄養を必要として、お腹がぐぅぐぅと鳴る空腹が一つ。心が「あれ食べたい」と美味しそうなものを見て訴える偽物の空腹がもう一つ。後者をエモーショナルイーティングと言い、空腹とは区別する。俺は本物の空腹に悩まされていた。ナッツは残り僅かで、フリージアも好んで食べるため(って言っても微々たる量だが)ストックが切れそうだ。
本当に腹が減るまで、ご飯は食べなくていいのだとガンジーのような生活をして悟った。食べ物のおいしさが桁違いだ。味覚が敏感になり、なにを食べてもめちゃくちゃうまい。若干ナッツには飽きてきているが、それでもナッツの香ばしさや種類ごとの味わいが空腹という最高の調味料によって彩られる。
フリージアは頭のいい猫で、俺の言ってることを理解している節がある。高い金を出して買った猫缶は絶対に食べてくれない。
猫の身体に悪そうな俺用の非常食や、外から見つけてきた果実をちょいちょいと食べるくらいだ。
「フリージアお腹すいてないか?」
「にゃにゃん」
「そっか。ならよかった」
小さく首を振るフリージアをなでる。
今日は生憎の雨で、簡単な筋トレとストレッチを終わらせた俺は、めちゃくちゃスローペースジョギングができずに身体の気持ち悪さを覚えていた。走れなくて気持ち悪いなんて、過去の自分じゃあ一生思うことがなかった。
さて、本題に戻る。俺は大いなる空腹の危機に陥っているのは、なにも言わずとも時間になれば飯を用意してくれていたカロスがこの1週間ストライキを起こしているからだった。俺がフリージアを飼うことを決めたのが、どうしても許せないらしい。いつも余裕の顔で笑っていたカロスが心底憎々し気にフリージアを睨んでいる姿は、黒猫と白猫が互いにバチバチと火花を散らしている姿にも見えた。
フリージアは俺の庇護下にあることを十分理解しており、最近カロスを馬鹿にしたような行動を見せていた。俺から見れば愛らしい行動でも、初っ端から嫌いだと明言している存在に馬鹿にされたカロスは「このわたしが獣畜生に馬鹿にされるとは」と暗い笑みを浮かべて笑っていた。周囲の気温が5度は下がる静かな怒りっぷりであった。
当たり前のように食事が現れ、当たり前のように風呂が沸かされ、当たり前のように薬草が手渡される。なに不自由ない生活に慣らされていた俺は、カロスがいなくなってから1日で「なあ、カロ……」と呼びかけて、彼がいないのを思い出す、といった繰り返しをしていた。洗濯物はどんどんと溜まっていき、新しい服がなくなった。同じような服のストックを着ていたのだが、衣服がなくなって初めて困る。家のどこを探しても洗濯機のようなものがない。洗剤はないが、水はある。仕方なしに桶に水を汲んで手洗いをし、あまり日の差さない外に簡単なつっかえ棒を置いて洗濯物を干した。ハンガーもないのでそれはもう適当な干し方になってしまったし、洗剤を使っていないので綺麗になっているのかもわからない。
魔女のもとには魔女通信という通販カタログみたいなものが送られてくるので、仕方なしにそこで食料を注文した。
ついでに生活魔法大辞典という本を見つけたので、それも注文した。初日に注文したのだが、そろそろ1週間なのだがまだ届かない。
野暮ったいローブも新調することにした。借金返済にあてねばならないので、あまり金はないのだが、仕方がない。外に干していても日光がなく、洗った衣服がすべて生乾きの臭いになってしまったのだ。急激に痩せてきて衣服がだぼだぼになってきたことだし、無駄にはならないだろう。
魔女通信を読んで、世にはいろいろな魔女がいることを知った。彼女らは時代遅れな俺のローブとは全く違うお洒落な服装をしていた。有名な魔女のなかでもカリスマ的先導力を持っているのが、ダリアとネモフィラという魔女だった。魔界の住民ならば誰しもが知る有能な魔女らしい。彼女らが売る品物も魔女通信に掲載されていたが、俺の売る薬品とは桁が違う。それほど効能が高いのだろうかと疑問に思うが、俺の商品よりも俄然売れ筋商品で、何カ月も待つことは当たり前だという。
薬品を作ってはカラスに渡す(カロスがやっているのを真似したら普通にできた)単調な毎日。腹の立つ奴だと思っても、会話をできていたのはありがたかった。フリージアに言葉は伝わっている気がするのだがにゃーんとしか喋れないため、会話ができない。俺が一方的にしゃべり続けているだけだ。フリージアは自由に部屋のなかを散歩したり、外に遊びに行ったりするほかは俺のポケットのなかに入り込んでいた。
今もポケットのなかでひょっこりと顔を出していたが、ひゅんっと頭を引っ込めた。
床下のくすんだ魔法陣が光る。
「呼ばれて飛び出てモモモモーン! モカラ参上! 魔女通信のお品物をお届けに参りましたー!」
「モカラぁぁぁぁぁぁぁ!!!!! 待ってた!! 待ってたよぉおおおお!!!」
「うわ! グラジオラス様、随分と小さくなって……! なんだか魔力の質も変わったような……」
たんまりと物が詰まったリュックを持ち、桃色髪の美少女がお決まりの文句と一緒に現れる。
人の言葉を聞けたのがうれしすぎて泣ける。ぶわぁと涙を流す俺に、モカラが大きな目をさらに見開く。
「どどどどどどーされたのです?!」
「カロスがいなくなってよぉ……! いや、それはいいんだ。品物見せてくれるか?」
「はいな! 生活魔法大辞典なんて頼まれることがなかったので随分探したです」
新しいローブ×3着、生活魔法大辞典、食料。頼んだのはそれだけだ。
「生活魔法大辞典って、なんで今更必要になったですか?」
「今更っていうか俺生活魔法とかわからないからさ」
「生まれたときから使えるような簡単な魔法ばかりですよ? グラジオラス様ほどの魔力であれば、いちいち詠唱などしなくてもできるです。モカラでもできるです!」
「いや、その魔法がどんなのか知らないからさ……」
不思議そうなモカラは小首を傾げながらリュックいっぱいに詰め込んだそれらを長机のうえに陳列した。「お値段は3金カとんで8銅カと5銭カになりますです」うっ、と衝撃が走る。この1週間薬品を作り続けた売り上げがほぼすべて飛ぶこととなるからだ。カというのは魔界の通貨で、金銭面もカロスが握っていたため、オーダーをこなしては届けられる黒カラスの持ってきた金をちまちまと貯めていた。巾着袋に入れていた銭たちを出してモカラに渡す。
「はいな! 確かに頂戴しました! グラジオラス様とてもとても顔色がお悪いですが、本当にダイジョブですか?」
「モカラの顔を見たら元気が出てきたよ。ありがとな」
「ホントですか! モカラの顔、もっといっぱい見て元気になってくださいです!」
にこにこ微笑みぴょんぴょん跳ねる美少女。まじ癒しだ。
「モカラはすぐにお金を届けにいかないといけないですが、困ったらいつでも呼んでくださいね?
あ! 大事なことを忘れてたです! これ、王妃様からのお手紙です! きちんと渡したですよ?」
「え……うん。読めるかな……。返事は遅れると思うって伝えといてくれるか?
ほんとありがとな、モカラ」
「はいな! きちんとお伝えするです! またのご利用をお待ちしております!」
教え込まれた綺麗な礼を披露して、モカラが魔法陣で消えていく。
ポケットのなかにすっかり入り込んでいたフリージアが再びひょこりと顔を出し、テーブルのうえへとポケットのなかから器用にジャンプして移動するのだ。
「ああ……帰ってしまった……俺の癒し……。そしてすっからかんになってしまった……薬品作らないとなあ」
俺とてダリアやネモフィラみたいに強気な価格設定ができれば、あっという間に借金返済できるだろう。だが、魔女の序列によっておおよその相場が決まっているのだ。過去グラジオラスの魔女序列は2位だったという。ことごとく王からのオーダーを無視し続けたために、グラジオラスの序列は下げられた。
こつこつと働いていれば、また2位になれるはずだ。いや、そんなことでは甘い。どうせならば1位を狙わないと。
1位というのは魔界のなかでもほんの一握りしかおらず、魔女序列1位は空席だ。何世紀ものあいだ生きる魔女であっても、いずれ死ぬ時がくる。序列1位の唯一の魔女は1世紀前に死んだばかりだという。それがグラジオラスの師匠だと、グラジオラスが書きしたためていた手記で知った。
「さて、と」
生乾きの衣服を脱ぎ、新しいローブに袖を通す。とりあえずLサイズを頼んでみたが、結構いい感じだ。身体のラインもすっきりとして見えて、痩せたんだなとしみじみ思う。
肉球で目を隠していたフリージアに「似合うか?」と訊ねると、にゃんにゃんにゃんにゃん首を縦にふって肯定してくれる。
「そーかそーか、ありがとなあ」
気分の変わる白いローブだ。白は膨張色だが、乳と尻が目立つ体型のおかげでグラマラスに見えないこともない(ちょっと無理はあるが)と思う。フリージアは自分の毛皮をぽふぽふしたあと、にゃんっとかわいい声とともに俺のぽふりと叩く。
「んん?」
「にゃんにゃん、にゃんっ」
毛皮ぽふぽふ、俺ぽふ。
「んんん??」
「にゃんにゃん、にゃんっ!」
毛皮ぽふぽふ、俺ぽふ。
「ああ! お揃いっていいたいのか?」
「にゃん!」
「そうだなー一緒の色だなぁ」
俺はやに下がった顔ででれでれとフリージアを撫でる。頭もいいし愛らしいし、どうしてカロスはフリージアを毛嫌いしているのだろうか。
「もしカロスが帰ってきたら、ちゃんと仲良くしてくれよ?」
「にゃぁぁぁ……」
テーブルのうえで毛づくろいするフリージアはまるで聞いちゃいない。
「おーい、俺の言うことわかってるんだろう?」
くしくしと前足で顔をかいている。かわいい。
怒る気にもなれず、俺は生活魔法大辞典を開いた。目次から清潔の欄を見つけてページを開く。除菌・消臭・汚れ落としなどの基本魔法のあと、香り付けの応用魔法が書かれていた。魔力を満足に扱えない子どものために詠唱もあるらしい。
脱いだばかりの生乾き臭がするローブにさっそく消臭魔法をかけてみる。
「えっと、まず消臭対象に集中するっと。そんで……"腐ったチーズ……ブルーチーズ……ラフレシアも逃げ出す消臭力……かかれ、消臭魔法"……! え、これが詠唱?」
きらきらとした粒子がローブのまわりを舞う。
おそるおそる手に取って臭いをかいでみる。
……臭くない!
「マジかよ」
他のローブのもとへと急ぎ、俺はローブに集中して「消臭魔法」と呟いた。きらきらした粒子が発生する。
「……臭くない! こんな簡単だったのか……!」
どうりでモカラも生まれた時から使えると疑問に思うはずだ。だがその便利で当たり前の存在でも、知らなければ使えない。随分といい値段がしたが、必要経費だと涙を呑む。
それから俺はいろいろな生活魔法を試み、どれもこれも失敗することなく成功して満足した。