五条がトリコの前に立ち塞がった理由は、挙げればきりがなかった。
交流会で合流する前に、トリコが忌庫から
トリコが虹の実を高専職員に振舞ったことだとか。
そもそも、普段から好き勝手しすぎだとか。
とにかく色々ある。
「五条? どう申し開きするつもりだ?」
「あのね……私も忙しい身の上ですから、そんなにトリコを制御したいなら1級にでもなんでもすればいいでしょ。
あんたら、トリコに関わりたくないだけでしょ」
「なんだと!」
五条は上層部と言い合った。
呼び出されたかと思えば、嫌味ばかり言われて、流石の五条もイラついていたのである。
で、ふと思った。
そういえば、トリコだけ言うほどの制裁は受けていない。
上層部もトリコと関わるのを避けているかのように、責任を五条に押し付けるばかりである。
トリコが何をしようと、一方的に五条が責められるようになっているのだ!
五条は激怒した。
上層部の態度もそうだが、上層部の曖昧さをいいことに好き放題するトリコに怒りがあった。
しれっと責任逃れをしているトリコを一度はシメねばならない、と本気で思った。
「よっしゃー! 五条先生! 私らに変わってそこのアホをシメてくれ!」
「大体なんだよ虹の実事変って!? あたしらも共犯みたいじゃないか!?」
「そうだそうだ! 大体、なんで職員にも振る舞ってるんだ!
勝手に騒ぎ大きくしてるんじゃないぞ!」
「しゃけしゃけ!」
東京校の釘崎と2年生を中心に罵声があった。
抗議の声である。
先の虹の実事変で、
全てがトリコの独断で、止めようにも、虹の実の感動でそれどころではなかった。
別にそれで彼らが損をしたわけではない。
騒動の最中に口にした
それにしたって自分たちが参加した宴が、高専の業務を一時的にでも滞らせるような大事になっていれば文句の1つも言ってやりたくもなる。
その騒動に名前が付けられて広がりかけているとなれば、なおさら。
結果、一部の穏健なものやトリコの信奉者と化した東堂を除いた全員が、殺気立つ事態となる。
「ははは! いいじゃないか! 賑やかで! お前らも楽しんでたろう!」
「「「ふざけんじゃねーぞッ!」」」
両手を腰に当てて笑うその姿は、太々しい。
しかし、それだけに腹が立つことこの上ない。
東京校を中心に巻き起こる罵声に内心だけで同意するものも多かった。
一方。
「ちょっと、五条!? あんたまさか本気でやるつもりじゃないでしょうね?」
京都校の良心の1人。
生徒を東京校まで引率してきた歌姫は五条を問い詰める。
言うまでもなく、五条は最強だ。
術式だけじゃない。
呪力操作の精密性だけでもない。
体術や戦略眼、その感性など全ての要素が桁違いなのである。
現在、五条を含めて3人と数少ない特級術師の中ですら隔絶した力を持っている五条が本気になれば、いくらトリコと言えど一瞬で塵になる。
余裕で死にかねない。
教師が生徒を殺してしまう事態を恐れるのは無理からぬことである。
「ははは! 大丈夫だよ歌姫。ちゃんと死なない程度に加減するからさ」
「そんなことで大丈夫かよ? ひょっとしたら勢い余って俺があんたを殺してしまうかもしれないぜ!」
「……へぇ、そんなこと言うんだ? 僕もちょっと本気出しちゃおっかな?」
「だから、ダメだって!? トリコくんも挑発しないの!」
トリコの軽い挑発に五条は簡単に乗りかける。
五条は割とガキだ。
今でこそ多少は落ち着いているが、それでも、歌姫が知る限り性格は未だにクソだったりする。
ちゃんと手加減できるんでしょうね、と。
そんな歌姫の視線に、五条は答えた。
「大丈夫だよ。だって、トリコはいつか僕を超えるかもしれない男だからね。
本当に殺そうとしても、そうそう死にはしないよ」
「へ?」
自分に
天地がひっくり返っても五条からは出てきそうになかった台詞に、歌姫は仰天する。
その真意に想いを巡らせる暇もなかった。
トリコと五条がついに対峙した。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
ナイフとフォークを模した手刀。
左右の手から繰り出される技は、五条には当たらなかった。
至近距離である。
もっと言うならトリコの間合いである。
手刀の速度も半端なものではなく、切れ目なく放たれる技は、その余波だけで観戦している一同が目を庇うほど。
仮に、そこに立っているものが東堂であれば、不義遊戯を使った位置変えによってトリコを翻弄していただろう。
漏瑚なら炎の術式でトリコに対抗していたことだろう。
しかし、五条は術式を発動するそぶりもなく、回避と防御を織り交ぜて純粋な体術で対抗している。
「ちぃッ! どうした、五条先生! お得意の
「使う意味も必要もないからね……って言うか、マイノリティワールドって何ッ!?
無下限のことッ!?」
トンチキな会話にペースを乱されるも、その程度では超えることのできない差があるのだろう。
トリコの攻撃がクリーンヒットする兆しはない。
虎杖は驚愕した。
「嘘だろ!? あのトリコが手も足も出ないなんて……」
「信じられない、あのトリコさんが……」
「あんたらテンプレみたいな台詞吐いてるわね。
五条先生が相手なんだから、当たり前じゃないの?」
順平も同様に驚いている。
しかし、釘崎の言う通りだった。
トリコは確かに強い。
それでもなお五条悟は最強だ。
トリコと互角の特級呪霊ですらも一蹴できるからこその最強なのだ。
そういう意味では、目の前の結果は驚くに値しなかった。
「……俺はあいつと組み手とかしてたからさ。ひょっとしたら、五条先生といい勝負ができるかもって思ってた」
「ああ、たまに居なくなってたのは、やっぱトリコと会ってたんだな」
「そういうこと? 道理でこそこそしてたときがあったわけね」
「いや、それはごめんて」
「別に怒ってないわよ」
時期的には交流会が始まるまでの数ヶ月。
具体的に言うのならば、五条がトリコを死んだことにして匿っている時期。
その真相を伏黒と釘崎は知らなかった。
数少ない例外だった虎杖だけは、生徒の中で唯一トリコとの接触を許されていたのである。
特級呪霊との遭遇で自身の弱さを思い知り、虎杖はどうしても強くなりたかった。
そんな虎杖がトリコという実力者との組み手をしないわけがない。
単に実力が上というだけならともかく、自身を圧倒的に上回る膂力の持ち主は、虎杖にとっては貴重なのだった。
だから、虎杖は嫌というほどトリコの強さを体感している。
「僕も特級呪霊を圧倒しているトリコさんしか見たことないから」
「そっか。吉野は、任務途中のトリコと遭遇したんだっけ」
「うん。あのときは大変だったなぁ……」
「……お察しするわ」
順平も順平で、釘崎と伏黒が同情する経緯でトリコと出会い、その強さを間近に見た。
虎杖と順平は、最強の術師を知る前に、トリコという強さを体感した点は共通していた。
そんな2人にとって、いくら最強が相手とはいえトリコが手も足も出ないのは、驚愕すべき事実だ。
それに──。
「五条先生が強いことは知ってるけど……あんまり強い相手と戦うところを見る機会がないから。
あ、本当に強いんだなぁって」
「あ~~、確かにそうかも」
「僕はそもそも五条先生が最強ってことさえ知らなかったよ」
「お前ら真面目に観戦しろよ」
五条悟は最強。
それゆえにわざわざ挑むような奴もいない。
結果、生徒の前で強敵と闘う機会はない。
実力の半分でも発揮できる相手すら皆無である。
だから、最強の最強たる所以を実感する機会は、今の今まで存在しなかった。
意外な盲点である。
「仕方ないな
「ゲェ! 東堂!?」
「五条悟の最強たる所以、この俺が解説してやる!
しっかり聞くんだぞ!」
「ちょっと、虎杖、あんたこのゴリラと同中でしょ。ちゃんと相手してやりなさいよ」
「ひぃいいい。僕は同中じゃないのに」
「俺だって同中じゃねぇよ!」
割り込んできた東堂に虎杖は怯えた。
初日に会ったときは、波長が合ったからか、トリコという馬鹿と付き合い続けていた影響か、東堂が宣っていた『存在しない記憶』を受け入れていた。
虎杖はその影響下からすでに脱していたが、東堂は未だに『存在しない記憶』に固執し続けている。
その上、隙あらば『存在しない記憶』を刷り込んでくる有様だ。
虎杖にとっては恐怖でしかない。
順平にとっても、筋肉ムキムキのマイペース野郎など畏怖の対象だ。
が、東堂はどこまでもマイペースな男である。
2人の様子を気にする素ぶりなど見せずに、解説を続けた。
「五条悟の強さは大きく分けて2つある。
まず1つ目!
無下限って聞いたことあるか?」
「え、えーっと。そういえば、先生がどっかのタイミングで言ってた気がするけど、詳しくは分かんねぇわ」
「ここでは原理を説明しない。
気になったら後で本人にでも聞いてみるといい。
簡単に言うなら、五条悟は近づいてくる物体を止めることができてしまうんだ」
「無敵じゃん!」
「……でも、五条先生、術式使ってないよね?」
「そうさ。そこが五条悟が最強たる所以なのさ」
トリコと闘っている五条に術式を発動している様子はない。
体術での攻撃を解禁したのか、撃ち合いの様相を呈している。
しかし、トリコの攻撃は全ていなされている。
「2つ目の強み。
それは、五条悟は術式なんか使わなくても、体術と基本的な呪力操作だけでもぶっちぎりで強いってことだ。
現に、五条悟は
基礎能力だけでもこれだ。
ここに術式による防御と攻撃が加われば、もはや、誰も敵うはずがない。
正確には、五条は拳に敵を吸い寄せる無下限を纏っていたりするが、術式頼りの防御は使っていないので、その体術のレベルに差があることに変わりはなかった。
「組み手と呼べるものが辛うじて成立している時点で、
「……俺にはトリコが一方的にやられてボコボコになってるようにしか見えないけど」
「だからさ。普通のやつは五条悟がボコボコにする前に終わってる」
いくら手加減していても五条悟は最強。
大抵の相手はボコボコにするまでもなく、技の応酬など起こり得ない。
その点、やり込められてはいても、戦闘が続いている時点でトリコは大したものなのだ。
もっとも、東堂の眼から見てトリコは未だに本気ではない。
攻防そのものに手ぬかりはなくとも、未だに切っていない手札を持っている.
仮にそれを使ったところで戦況が覆ることはないだろうが、多少は展開が動いたほうが面白いというもの。
少なくとも、五条が将来的には自身をも超える、と評するだけのものは見せてくれなければつまらない。
と。
2人が示し合わせたように静止した。
「流石は五条先生。真正面から接近戦を挑むんじゃ勝負にすらならないか」
「最近は特級と戦って食べるを繰り返してるせいか、だいぶ強くなってるけどさ。
それで僕といい勝負できると思ってるのなら正直甘いよ」
構えてはいるものの、リラックスしている五条。
ナイフとフォークを模した手刀を構え、緊張感あふれるトリコ。
雰囲気からしても、向き合う2人の差は歴然だった。
このまま手をこまねいてるだけでは何も起こらないのは明白で、故に──。
使わせてもらうぜ。
そう独白してから、トリコは腕を大きく振りかぶって振り下ろした。
「フライングナイフッ!」
猛烈な勢いで、呪力の刃が五条へと迫った。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
フライングナイフ。
投球にも似たフォームで放たれる呪力の刃は、その構えの通り人類最強の武器である投擲力を存分に生かした技でもある。
身長が2メートルを優に超え、かつ、人外の身体能力を誇るトリコがそれを行えば、その威力と速度はともに規格外の領域にまで至る。
生半可な特級呪霊をダース単位で両断する刃は、ほとんど目視不能な速度である。
「フライング……フォークッ!」
トリコはさらにそれを連続して放った。
大振りなくせに素早く切れ目のない動きにより、ほとんど2つ同時に五条へと接近した、呪力の刃。
五条はそれを素早く払った。
ほとんど手打ちにしか見えない、呪力が籠った掌打は景気のいい音を立ててナイフとフォークを払う。
払われたそれらは一直線に地面に向かい、大地に大きな切れ目を刻み込んだ。
「やるじゃねえか……なら、これでどうだ? フライングゥゥウウ……レッグナイフッ! フォークッ!」
次に放たれたのは、足で象られたナイフとフォーク。
腕のものよりも数倍は威力も速度も大きく、余人には大地の裂け目が土を鋭く巻き上げながら五条へと伸びるという、余波しか見えない有様だ。
この場にいる誰しもが五条の回避を予測。
だが、しかし──。
「へぇ! 同じ技でもこれだけ威力が違うんだ!」
五条はそれすらも払った。
掌打ではなくしっかりと腰を入れた打撃ではあるものの、まだまだ余裕。
少なくとも遠距離攻撃をぶっ放したところで現状に変化はなさそうである。
「……はぁ、あんまり使いたくない手だったが……フライングナイフッ!」
「その技はさっき見……ッ!? 煙たッ!?」
性懲りも無く同じ技。
五条は呆れた声が漏れるも、すぐそれを中断した。
ナイフは地面に斜めの軌道で、五条の側に着弾したのだった。
土煙。
それが五条の視界を遮るように巻き上がる。
仮に視界が封じられようと六眼は呪力を見透かす。
この程度の視界封じが機能するはずはない。
そのはずだった。
「連射追尾型……フライングナイフッ! アンドフォークッ!」
「へぇ、連射で出来るんだそれ!」
トリコが繰り出した技は連射型のフライングナイフとフォーク。
その数、合わせて100本超!
五条はそれらを1本1本、処理していく。
威力と射程は1本のみのものよりも格段に劣っている。
おそらく自身の五感と呪力とリンクさせているため付き纏ってくるも、一度弾けば追尾してこないため、大した脅威ではない。
しかし──。
トリコがどこにいるのか本格的に分からなくなった。
なるほどね……宙に残り続けるナイフとフォークをデコイにしてるわけか……いたなぁそんな奴。
五条はそう思う。
追尾してくるナイフとフォークに、トリコは気配を完璧に紛れさせている。
位置を探ろうにも、視界を封じられていて、呪力も探知できない。
そんな五条の不意を突くように側面から拳が飛んできた。
呪力のこもった拳には五条をして生身では受けたくないほどの威力がある。
防御し、即座に反撃をするも、五条の拳は空を切る。
その先からトリコと入れ替わるように、ナイフとフォークが押し寄せてくる。
ナイフとフォークの処理に手間取っている間、息を潜めていたトリコが一撃を入れて、また、気配を隠す。
適宜、土埃とナイフ・フォークの供給をすることも忘れない。
それがトリコの選んだ戦略なのだろう。
らしくない、なんともいやらしいヒットアンドアウェイだった。
それも有効な戦い方に違いはなかった。
しかし、それも五条が術式を使わなければの話。
「術式順転・蒼!」
無下限の術式に呪力を流すことによって生じた引力の塊。
それを大雑把に振り回す。
ただ、それだけのことで連射型のナイフとフォークは一掃される。
一瞬で開けた視界の中、五条は視線を奔らせる。
術式を発動する一瞬前に感じた、強い呪力へと目を向けた。
「なに!」
だが、そこには人をすっぽり覆えるほどの巨大なフォークが刺さっていた。
フォークシールド。
展開することで盾として利用できるフォークを生み出す技。
トリコは生み出したフォークを地面に突き刺したのだ。
呪力で構成されているフォークはその大きさ相応の呪力を放っている。
トリコ本体と勘違いしかねないほどの強さで。
視界が開ければ、トリコはそこに姿を現す。
そう思っていた五条はまんまと裏を掻かれたのである。
「へッ! 気の短いあんたのことだ……面倒くさくなったら大雑把に解決してくると思ってたぜ!」
その隙を突き、トリコは至近距離にいる。
もう、構えは完了しており、その顔は計算どうりと言わんばかりであった。
全身から呪力が滾り、それを拳という一点に集中していく。
これこそが──。
「20連……釘パンチッ!」
釘パンチだ!
呪力の塊を一瞬のうちに何度もぶつけることで、一度に複数回の打撃を打ち込む必殺技。
1発の威力は黒閃には劣るものの、炸裂するごとに奥に奥に突き刺さっていく、黒閃にはない特性を持っている。
ある程度の溜めが必要とはいえ、狙って出せる安定感を加味すれば、破格の性能である。
しかし、この技には弱点があった。
「なッ!? 不発ッ!」
術式発動後の後隙を狙ったため、いくら五条でも回避は不可能。
ゆえに五条は拳で迎え撃ち、2つの拳が宙空でぶつかり合った。
わけであるが、弾かれたのはトリコの拳であった。
「なんで、釘パンチが発動しないんだ!?」
「拳を弾いたんだ!
釘パンチは打撃と呪力がほぼ同時に衝突するが、黒閃と比較すればタイムラグがある!
そのわずかな時間差が命取りになったんだ!」
呪力が衝突した瞬間に、五条の拳がトリコの拳と接触していれば、遅れてやってきた呪力が何重もの衝撃になっていただろう。
しかし、五条はそれよりも早く万全の呪力を纏った拳でトリコの拳を弾いている。
弾かれた拳はあらぬところで呪力を発散するだけに終わったのである。
「やるね……術式はあんまり使わないつもりだったけど、君が相手じゃちょっと難しいのかな」
「ちょ、ちょっと! 五条、その技はッ!?」
「今度は僕の番かな。みんなにも見せてあげるよ……無限ってやつを!」
五条の指先に赤い光が収束する。
それは通常生徒に使うのはあり得ない技の前兆で。
生徒にその技を使う五条が正気には思えず、歌姫が悲鳴に近い声を上げた。
トリコもその技の脅威を正しく認識。
この距離、この体勢、このタイミングでは避けるのは不可能。
ならば、せめてもの防御のためにとフォークシールドを展開せんとし──。
「術式反転・赫」
トリコの視界全てが真っ赤に染まった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
地面がすり鉢状に抉れていた。
術式反転・赫を喰らったトリコは、その爆心地から大地を削り取りながら、吹っ飛んだ。
半径5メートルほどはありそうなクレーターから切削されたかのように伸びた溝は、高専付近の森まで続いていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと、五条!
あ、あんた……生徒が相手だってわかってんの!?」
歌姫が喰ってかかった。
その破壊痕は模擬戦の範疇から明らかに逸脱したものであり、いくらトリコがイカれているからといって、公開殺人はまずい。
明らかにトリコが死んだとしか思えない破壊規模に、歌姫の声は上ずっている。
やはりというべきか、東堂は平然と腕を組んでいるものの、始まる前は騒いでいた面子も、流石に沈黙している。
最強の最強たる所以。
それが、あの
歌姫以外もトリコが死んだのではないか、と思った。
しかし、五条はそんな一同の思いを他所に平然と言い放った。
「え、大丈夫でしょ? トリコはこんくらいで死ぬほどやわなやつじゃないよ」
「こんなの喰らったひとたまりもないわよ!」
「も〜〜。心配性だな。僕が大事な生徒を殺すわけないでしょ」
「現に殺してるじゃないのよ!」
「大丈夫大丈夫。あいつぶっちぎりでイカれてるし……ひょっこり姿を現すでしょ」
が、そんな五条の言葉とは裏腹にトリコが姿を見せる気配はない。
トリコを吹っ飛ばしてから5分前後。
トリコならば、もう戻ってきているはずである……。
肉体的には戦闘可能な程度の、瀕死からは程遠い、ダメージしか与えていないつもりなのだから。
歌姫と呑気に問答している五条も、潮を引いたような周囲の反応は居心地が悪い。
特にあれだけ騒いでいたのに、やっちまったなぁ悟、と言わんばかりの東京校メンバーの視線は結構応えた。
一刻も早く、トリコの無事を証明してやる。
そう思い立った五条はすぐさまトリコの着弾地点に赴いたのだった。
「……ちょっと、トリコ? なにやってんのさ」
「おう、五条先生か、いや、まあ、ちょっとな」
着弾の衝撃で土と木々を押し除けたのであろう。
開けた場所でトリコはたそがれていた。
言うまでもなく、5体満足の無事で、その態度からして余裕そうである。
あくまでも肉体的には。
「だ〜〜……くそッ! 五条先生、あんたやっぱり強いな。まだ、勝てないのかよ」
「はッ。僕に負けて本気で悔しがる奴なんて相当珍しいよ」
精神的にはそれなりにくる物があったらしい。
悔しがっている。
本当に勝つ気で挑んだからこそ悔しがっているのである。
それが微笑ましい。
五条の頬も緩んだ。
もっとも──。
「俺は使える技は全部使った。それを踏まえて聞きたいことがある」
「ん? なに?」
「俺はグルメ界で通用するか?」
「知らねーよ、そんなの」
「なるほど、力や技は通用しないでもないが、環境に瞬時に適応する力が足りない……と」
「だから知らねーって!? どこだよそれ!?」
すぐさま飛び出すイカれた言動。
油断も隙もない男である。
トリコはなおも話を続ける。
「あ、そうだ。もう一個、聞きたいことがある」
「もう下らない質問はごめんだよ」
「今日のトーナメントをどう見た。
「想像以上だったよ。僕は食べないけどね」
どれほど美味しそうであっても、六眼という優れたセンサーは、その由来が呪霊であることを否応なしに突きつけてくる。
生理的に受け付けないのは仕方がない話だ。
「で、実際どう思った?
「へぇ……気づいてたんだ」
五条は察した。
呪霊による乱入騒ぎ。
その裏ではとんでもないことが起こっていた。
忌庫からの呪物流出。
前代未聞の大事件である。
さらにその呪物には──。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
呪霊の巣くつ。
見た目は南国の海岸ビーチという美麗な場所に、彼らは集まっていた。
「真人いい加減に、覚悟を決めてくれないか?」
その中心で渋い顔をする真人に、夏油が言った。
真人が手に持っているのは、忌庫から盗み出した
彼らは混乱に乗じて忌庫から特級呪物と
盗み出したものにはそれぞれ役割がある。
特級呪物は、受肉させることで戦力を補充するため。
そして、
真人の衰弱は著しく、その姿は少年のそれにまで退化している。
トリコから逃走する際に魂を分断した代償は大きく、万全の状態に快復するためにはそれなりの供物が必要だった。
「って言ってもさぁ……あのトリコが喰ってるもんだよ。
頭おかしくならないかな?」
トリコは呪霊の筆頭たる真人を以てしても、異次元の狂い方をしている。
意味不明な造語。
脅威的な理論。
それらがトリコの
「真人。駄々を捏ねるな。
儂とてあの男のものを利用するなど、虫唾が走るが今は我慢するよりない。
なにせ、次のハロウィンまでに貴様を動ける状態にしなければならんのだからな」
漏瑚が忌々しげに呟いた。
その格好もまた煤と灰に塗れており、大きなダメージを負っていることが窺える。
極ノ番を破られた。
その衝撃は大きく、漏瑚は屈辱を受けるのと同時に、現代の術師への侮りは影を潜めている。
奴らと戦うためには戦力がどうしても必要。
真人の快復は、呪霊が真の人間となるための絶対条件だ。
であるならば、利用できるものはなんでも利用しなければ、花御に申し訳がない。
「花御の死を無駄にするな。
これを盗み出すためだけに、死んだようなものだからな」
「……わかったよ」
花御のことを持ち出されれば、拒否権もない。
真人は仕方がない、といった様子で
そして──。
「……うっまぁあああい!」
口内を満たす
呪霊は食事をしない。
人間から漏れ出た呪力の集合体に食事など必要ないから。
呪力は常に供給されている。
恐れが尽きない限り、わざわざ、食事などを摂らなくても、存在を維持することが可能なのだ。
だから、これが初めての食事だった。
味覚を使ったことすらなかった。
「もっと! もっとだ!
もっと食わせろ!」
真人が
それと同時に、真人の身体も凄まじい速度で快復していく。
魂の欠損が埋められていく。
真人が食欲に目覚めた瞬間だった。
○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○
五条は、トリコの質問に端的に答えた。
「僕にとってはともかく、一般的には驚異的だろうね」
「やはり、そう思うか?」
「呪霊が呪霊を食った場合の具体的な効果はよく分からない。
呪術への適性が高い人間が食べたときと同じように術式、もしくは呪力量が上昇するだけでも、相当な驚異だろうね」
それがどこまで呪霊にも適用されるかは不明であるが、確実に戦力の向上を齎す。
「そうか……」
そう呟いて、トリコが遠くに目線をやった。
敵の目的は、
だとするなら、トリコの術式はまんまと利用されたことになる。
トリコの様は、奪われた
五条は、トリコがいらぬ罪悪感を抱いたのではないか、と思って声をかけようとして。
「トリコ。今回のことはお前が気にするようなことじゃな──」
「クックック、たまんねぇな」
「は?」
トリコの予想外の台詞に思考が止まった。
先ほどの、影のある素ぶり嘘だったかのように、深く笑っている。
「今日、襲撃を仕掛けてきた
だとするなら、連中は真っ先に
奴には直接、釘パンチを叩き込んでやったからな」
敵が、それも特級が、強化されて戦線に復帰する。
どう考えても喜ぶ要素はない。
そんな疑問も次のトリコの台詞で氷解する。
「
奴の
グルメ細胞とは、深海に棲む幻のクラゲが持つ、特殊な万能細胞のことだ。
優れた再生機能を持つこの細胞が、他の細胞と結び付けば、その組織の長所を驚異的に伸ばすことができる。
旨いリンゴはより旨く。
美味しい牛肉はより美味しく。
すなわち──。
「奴の
もしかしたら、
クックック……奴の味がどこまで熟成されるか、想像するだけでもよだれが止まらないな」
普通に考えれば、こんなものは戯言だ。
忌庫に保管されていた呪霊が盗み出されたのは、トリコのせいではない。
しかし、呪霊を
仮に自分のせいでなくとも、自らの行いが敵の強化に繋がったとなれば、多少なりとも気を病むものだろう。
だから、どれだけ前向きなことを言おうと、そこには無理が生じるものだ。
仮に本気だったとしても、無意識に抱いている罪悪感を感じずにはいられない。
それも、言っているものが普通の人間ならば、だ。
あいにくトリコは普通じゃない。
トリコを名乗るこの転生者は、前世で漫画『トリコ』に傾倒するあまり、今世でトリコを名乗っている。
ぶっちぎりの異常者だ。
漫画『トリコ』とは全く世界観の異なるこの世界で呪霊を狩り食しているこの男は、この世界の価値観で見ても狂人だ。
そんな狂人が、本気で、言っているのである。
それはまるでお気に入りの食材を熟成させている美食家のようであり。
実際、トリコはそういう意識なのだろう、と思わせる態度だった。
「全く……熟成ときたもんだよ。
困ったやつだ」
五条は苦笑した。
敵が強化されることに間違いはないだろう。
だが、この馬鹿とその馬鹿に感化された生徒たちならば。
きっと乗り越えてくれるに違いない。
五条はそう思わずにはいられなかった。