一般冒険者少女ちゃん(?)がいつもの日常を送るはずだったお話。一話完結。カクヨムにもnnamminn名義で公開中。

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たとえまやかしであろうとも

「起きろねぼすけ!」

「ふぁい!」

 

 甲高い怒声にぼんやりしていた意識がすぐさま覚醒し、イブ・フォルスラは飛び起きた。寝癖だらけの頭も気にせず、目を白黒させる。

 

「もうごはん出来てるよ。顔洗ってさっさと食べちゃって」

 

 ベッドの横で腕組みしている声の主は、ツヤン・デレール。黒檀のように艷やかな黒髪が朝日を照り返し、気の強そうなアーモンド型の瞳がイブを見下ろしている。

 

 イブは寝ぼけまなこをこすりつつ強烈な違和感を覚える。

 

「……えっ、ツヤンが朝ごはん作ってくれたの? なんで?」

「別に、そういう気分だからさ。あとこれからは毎日私が作るからそのつもりで」

「ええー?」

 

 ツヤンは家事をほとんどやらない。もともといいところの貴族だったせいか、同居しているイブに洗い物や薪割り、炊事など事あるごとに押し付けてくる。特に朝、イブが寝坊して朝ごはんの支度が遅れるとひどく機嫌を損ねたものだった。

 

 イブは言われるがまま顔を洗って食卓の方へ向かう。ツヤンのアトリエと食卓を兼ねた一階には、魔法の大釜やフラスコ、ビーカーなどの魔法使いの道具と一緒に簡素なテーブルがあった。

 

 いつもどおり二人で腰掛け食べていると、さらなる違和感がイブを襲う。

 

「ほら、口の周りが汚れてる。よく噛んで食べるんだぞ。味付けはイブに合わせたけど、どうかな?」

「いやアンタ誰」

「どーゆー意味さっ!」

 

 ツヤンが気持ち悪いほどに親切なのだ。イブの知っているツヤンといえば、意地っ張りが高じて常にツンツンしていて、そのくせ根は優しいから素直になれない自分に陰で落ち込むタイプ。だのに今のツヤンはツンツンどころかデレデレだ。

 

「昨日のことなら気にしてないよ?」

「……何の話だい。なんでもないったら」

「ふーん」

 

 心当たりといえば昨日、冒険者ギルドで多少気まずい空気になったことくらい。しかしイブ自身はあまり気にしておらず、ツヤンも話題にしたくないらしい。イブは話を切り上げてさっさと朝ごはんを平らげた。

 

 おいしかったと感想を残して自室で着替える。軽装の鎧と小剣を身に着けて下に下りると、ツヤンが泡を食って駆け寄ってきた。

 

「ちょっと、どこ行くつもりだい?」

「仕事に決まってるじゃん。早く行かなきゃ割のいい依頼取られちゃうもん。いつものことでしょ」

「いつもの……」

 

 そう、いつものことだ。イブとツヤンは朝ごはんをきちんと食べて、毎朝仕事に向かう。今更確かめる必要のない日常だ。

 

 ツヤンはどこか遠い目をしたものの、間もなく「すぐに用意する」と自分の支度に取り掛かる。こうして二人のいつも通りな日常が、幕を開けるのだった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 イブとツヤンは冒険者のコンビだ。十七歳の女の子二人組ながら、数少ない一流のBランク冒険者としてそこそこ名が通っている。

 

 アトリエから石畳の町並みを徒歩で十分のところに、冒険者ギルドはあった。酒場と受付を兼ねた広場と、依頼書を貼りつけたクエストボード。主に街の外にはびこるモンスターの討伐依頼がぎっしりボードを埋めている。

 

 割のいい仕事を探していると、イブがあっと声をあげる。

 

「あの悪魔の依頼書がないや。もう誰か倒したのかな」

「それか、もう別のところに行ったのかもね。レイドボスにならなくて良かった」

 

 昨日あったはずの高難度依頼がなくなっていた。西方の谷底に住み着いた、スピリット系最上位といわれる悪魔の討伐依頼だった。悪魔は願い事を叶えてくれる言い伝えもあるが、それ以上に周囲のモンスターを活性化してしまう迷惑で強力な性質がある。誰かが倒してくれたなら安心だ。

 

「そういえば昨日は活性化したモンスターが大変だったよねー。ツヤンのおかげでほんと助かったよー」

「……そう、だったかな?」

 

 気のない風なツヤンに対し、イブはそうだそうだとまくしたてる。というのも、イブにとっての昨日はまさに生死の瀬戸際だったのだ。

 

 そこそこ腕の立つ二人には取るに足らないモンスターが相手だった。しかし悪魔の瘴気で異様に強化されており、あやうく前衛のイブが致命的な攻撃を受ける寸前まで追い詰められてしまった。とっさにツヤンが機転を利かせてくれなければ、イブは依頼達成どころか生還も叶わなかっただろう。

 

「……これにしよう」

「え、ちょっと」

 

 ツヤンは昨日の話をしたくないらしい。適当な依頼書をとってカウンターへ歩いていった。昨日の大苦戦はイブにとっても苦い記憶だから、ツヤンの気持ちも分かる気がした。

 

 何気なくクエストボードへ視線を戻すと、違和感。イブの記憶と目前の光景がどこか食い違っている。昨日あった依頼書がいくつかなくなっているのは当たり前だ。それでもやはり、何かがおかしい。

 

 結局違和感の正体には気づけず、イブはカウンターで手続きするツヤンのもとへ向かった。

 

『ゴブリン討伐

数:10〜15 場所:北方開拓地 締め切り:王暦746年11月4日 備考:Cランク以上推奨』

 

 ありふれた討伐依頼の依頼書にギルドの承認印が押され、その写しがツヤンに手渡される。依頼書と一組になっているこの写しはクエストに欠かせないが、達成するとただの紙切れなので気づけばポケットに溜まっていたりする。

 

 ふと自分のポケットが気になりイブが手をつっこむ。昨日受けた分の写しが一枚だけ入っていた。

 

『オーガ討伐 数:5〜10 場所:西方の谷付近 締め切り:──』

 

 くしゃくしゃに丸めてもう一度ポケットにつっこむ。達成した以上はもうゴミだ。後で捨てておこうと決めるイブだが、こういうものはすぐ捨てないと忘れてしまうものだ。

 

「行こう、イブ」

「はーい」

 

 案の定、ツヤンに呼ばれたときにはもう忘れていた。イブはあまり頭のいい女の子ではなかった。

 

「おや」

 

 受諾手続きを終えイブとツヤンが外へ向かうそのとき、受付の職員が目を丸くする。その視線がまじまじとイブを見つめていたことに、二人のどちらも気づくことはなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 二人の住むデイドリームタウンには、開拓地と呼ばれる地区がある。モンスターのはびこる草原に直接している街の外縁部のことで、畑やスラム街が多い。増えすぎたモンスターはそこから街へ侵入を図るので、これを防ぐのが冒険者の仕事の一つだった。

 

「援護よろしく!」

「クリエイトゴーレム!」

 

 畑を荒らすゴブリンの群れに、小剣を携えたイブが突っ込む。その後ろでツヤンが杖を掲げると、地面から土が盛り上がり三体の泥人形を形成。突進するイブを守るような配置につく。

 

 一流の二人にとって、ただのゴブリンの群れなど脅威にならない。イブの剣が閃き、ゴーレムがゴブリンの反撃を受け止め、またたく間に数を減らしていく。

 

 元から相手にならないだけでなく、イブはかつてないほど調子がよかった。頭が冴え体は羽のように軽く、後ろに目があるみたいに背後のゴブリンの動きまで分かるし、試しに目をつむってみれば空気の流れで全方位の状況を理解できた。どう考えても昨日のイブには出来ない芸当だ。

 

 戦いよりも違和感の方に気が逸れ出したころ、ゴブリンの殲滅が終了する。

 

 イブが剣をおさめ、ゴーレムたちは護衛の使命を果たし自壊して、土に戻る。依頼書の写しを見てみると、ちょうど魔法のインクが『達成』の文字を浮かび上がらせるところだった。

 

 後はこの写しをカウンターに見せて報酬を受け取るだけ。時間と体力には思いのほか余裕があるので、もう一件くらい受けてもいいかもしれない。違和感の考察も必要だ。

 

 しかしイブのその目論見は、ツヤンの方を振り返ったとたん立ち消えになった。

 

「ツヤン!? どうしたの!?」

「な、なんでもない……」

「どこが!」

 

 ツヤンは膝をついて杖にすがりつくようにしていた。息が荒く顔も青い。

 

 イブが肩を貸して木陰まで移動すると、ツヤンは震える手を懐に入れ、赤い錠剤の詰まった瓶を取り出す。中身を数個呑み込むと、心持ち顔色が良くなった。

 

「それは?」

「風邪薬、みたいなもの」

「んもー」

 

 今朝、仕事に出かける前変な反応をしたのは体調が悪かったからなのだろう。それならそうと言えばいいのにとイブは頬をふくらませるが、何も言わない。少しの弱みも強がりで隠そうとする、臆病なのがツヤンだと知っているからだ。不満顔から一転、しゅんと肩を落とす。

 

「ごめん、気づけなくて」

「なんで君が謝るんだ。悪いのは私じゃないか」

「そうかもだけど……ごめん」

「もうっ」

 

 ツヤンの手がイブの顔に伸び、頬を左右からぐにぐにした。言葉に意味がないと悟ると、ツヤンはいつもこうするのだ。イブは変な顔にされながらも、ツヤンの手の暖かさになんとなく気分が上向いてくる。

 

 やがてツヤンは調子を取り戻し、立ち上がる。

 

「昨日の戦いで結構な量の魔力を使った。たぶんそのせいだろうね」

「ほほー? そんなんじゃ、クリエイトゴーレムで最強無敵の戦士作るなんて夢のまた夢じゃん」

「ふん、楽勝だよ」

 

 ツヤンは土属性の魔法使いだった。もっとも基礎的なクリエイトゴーレムによる援護を得意とし、ゆくゆくは魔法の道を極めゴーレムで最強の戦士を作ると豪語している。そのゴーレムは自律思考と行動を可能にする人間と同等の頭脳を持ち、腕っぷしはどんなモンスターにも負けない。ただし今の魔法だけで作れるのは外見だけが人間のゴーレムだけで、自分で考えて動くものはまだ作れない。だからツヤンは、革新的な魔法を作って不可能を可能にすることを夢見ていた。

 

 ツヤンならできる、とイブは信じている。才能があるし勉強熱心なので、きっと十年後くらいには。

 

「いや、そんなには……かからないかもね」

「そうなの?」

「うん。それよりごめん、今日はもう休んでいい?」

「だから誰よ」

「私だよ!?」

 

 おそろしく物腰柔らかなツヤンにイブは戦慄した。普段なら「私はまだまだ余裕だけどイブも疲れてるだろうから今日はもう休もう、うん、私は余裕だけどイブがねっ!」などとまくし立てて負い目を押し付けてくるのに、今のツヤンは別人かと思うくらい素直だ。

 

「もしかしてあなた、ツヤンが創ったゴーレムなんじゃ……?」

「私は私だよ! もうっ、何だい何だい人が素直になってやってんのに! さっさと帰るよ!」

「はーい」

 

 ぷりぷり怒って歩いていくツヤン。多少いつもの調子が出てきたので、イブは内心ほっとしつつ後に続いた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「うーん」

 

 ギルドで完了報告を終えたイブは、石畳の道を歩きつつ一人唸っていた。ツヤンは一足先にアトリエで休んでいる。

 

 イブを悩ませているのはいくつもの違和感だ。何かがおかしいクエストボード、妙に調子のいい自分の体。さらに、先程の冒険者ギルドの様子も奇妙だった。

 

 日の上った時間帯になると、ギルドは新人からベテランまで多くの冒険者たちであふれる。そんな中イブとツヤンが完了報告に訪れると、一斉に視線が集まった。

 

 ほんの一瞬のことだし、二人は冒険者には珍しい若い女の子として注目を集めやすい。とはいえ先程の視線は珍しいものを見るそれとは質が違った。経験があるからこそイブにはその違いが分かった。

 

 目が覚めてから、何かがおかしい。でもその奇妙さをじっくり考えようとすればするほどモヤがかかって思考がまとまらない。

 

 頭を抱えているうち、イブは目的地に着いていた。

 

 デイドリームタウン、聖教区の一角にぽつんと建つ教会。『アライブライフ孤児院』の表札の通り、教会の保護のもと孤児たちが暮らしている。居住部を兼ねているため教会の建物はちょっとした宿屋よりも大きい。表には広い中庭、裏手には墓地があるが、陰気臭くて子どもたちは誰も近づかない。

 

 勝手知ったる様子でイブは正面の扉を開ける。がらんとした礼拝堂で、一人のシスターが笑顔で迎えた。

 

「お母さん、神は死んだ」

「ええ、死にましたよ」

 

 あいさつと共に抱き合うイブとシスター。この孤児院はイブの故郷であり、シスターは義理の母なのだ。

 

「毎度思うけど、教会でこのあいさつはどうなの?」

「教会だからこそ、ですよ。酒場で言ってもただの肴です。神の御前でこそ冒涜のしがいがあるのです」

「お母さんはたくましいね」

 

 シスターに信仰心はなかった。神が存在するなら不幸な孤児など生まれるはずがないし、あえて孤児たちを見過ごしているようなら信仰する価値はない。ではなぜ教会でシスターの恰好をしているのかと聞かれると、「ありがたい聖書を読み、手を合わせるだけで教会はお金を出してくれるのです。子どもたちを育てるのにお金は欠かせません」と笑みを浮かべる、そんな女性だった。

 

 イブは抱擁を済ませると、小さな布袋を差し出す。今回の報酬の一部だ。

 

 シスターは困り顔ですぐに受け取る。

 

「ありがたいのですが、いいのですか? この教会では遠慮という概念を教えません。持って来られると、必ず受け取ってしまいますよ」

「いいよ、あんまり使いみちないし。それよりチビたちは?」

「……」

 

 いつもなら元孤児の子どもたちがわらわらと群がってくるはずが、今日はがらんとしている。

 

 シスターは貼り付けた笑みのまま沈黙し、ややあって口を開く。

 

「お使いです」

「……え、みんな?」

「ええ、みんな」

 

 イブの目が点になった。

 

 たしかにこの教会では年長組をリーダーにしてグループを作り、買い出しに行かせることはある。ただ、イブの居たころも全員が一斉に出ることは一度もなかった。

 

「薪と水と食べ物がすっからかんになってしまいましてね」

「あー、お母さん計画性ゼロだもんね」

「そこに納得されると釈然としませんが」

「私もなにか手伝おうか?」

 

 報酬の寄付ついでに子どもたちと遊んでいくイブの企みは潰えた。一人で冒険者の仕事を受ける気にもなれないし、アトリエに戻っても熟睡中のツヤンはかまってくれない。夕飯の支度までは教会にいよう。

 

 そんな風に考えたイブだが、シスターは笑顔のまま「いいえ」と断言する。

 

「今すぐ帰りなさい。そして──ツヤンさんのそばにいるのです。出来る限り、近くに」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 シスターに諭されてからというもの、イブは本当に可能な限りツヤンのそばに控えることにした。

 

 考えてみれば仕事のパートナーであり同居人の女の子が体調不良なのに、放っておくのは良くない。違和感の考察は後回しにしてツヤンの体調が戻るまで、イブはかいがいしく世話を焼いた。

 

「あーん」

「じっ、自分で食べられるから! 重病人じゃあるまいし!」

「ダダこねると口移しだぞー」

「く、口ぃ!? 近い近いちょっと待って分かったってば!」

 

 ツヤンはイブのほとんど無神経な急接近介護にあたふたしきりで、むしろ逆効果の可能性もあったが、二日後には「元気いっぱい!」と自己申告して復活を遂げた。

 

 冒険者稼業をいつもどおりに再開して、たまに教会へ顔を出す。しかしイブがいつ行っても子どもたちとは会えず、まるでシスターが会わせないようにしているようだった。おそらく何か事情があるとイブは察し、教会のことはしばらく考えないようにしてツヤンの近くにとどまった。

 

「一緒に寝よう」

「ばっ、ばばバカバカ子どもが出来たらどうすんのさっ!」

「ウソでしょアンタ」

 

 いっそ寝室も風呂も一緒にしちゃえとイブが言い出すと、ツヤンはぐるぐる目を回して赤くなりながらイブを部屋から締め出した。十七歳とは思えないうぶな反応を思い出し、イブはベッドに一人横になり忍び笑いをこぼす。

 

「イブ……」

 

 すると出し抜けにイブの部屋の扉が開き、寝間着姿のツヤンが顔を覗かせる。頬を朱に染め、枕をぎゅっと抱きしめている。

 

「やっぱり、一緒に……いいかな?」

「えーっ!? いいけども!」

 

 驚きと嬉しさ半分でイブが承諾すると、ツヤンはとことこベッドに寄って来てイブを背中から抱きしめ、本当に同衾しだした。背中いっぱいにツヤンの体温を感じ、うなじのあたりに吐息をかけられるたびビクリと体が震える。

 

(どうしちゃったの、ツヤン……!?)

 

 イブはどぎまぎして耳まで赤くなった。

 

 今日のツヤンは何かがおかしい。ツヤンは照れ屋かつ意地っ張りで素直になれない。一度断った添い寝を自分からせがんでくるはずがない。

 

「ねえ、イブ。私たちの出会いを覚えているかい?」

「う、うん。三年前のこの時期だった、よね」

「……そう、三年前だ」

 

 夢見心地のツヤンが語り始める。耳元で囁かされているイブはくすぐったくて身を捩らせるが、ツヤンの腕が絶妙な力加減で離さない。しだいにツヤンの声のまま過去の情景を回想していく。

 

 ツヤンは魔法貴族の出身だった。血統的な魔法の才能で権勢を伸ばし、成り上がった一族。才能の特に優れた者は王都に出向して近衛騎士団になることもある由緒正しい家だ。

 

 そんな家の末子に生まれたツヤンは、才能のある兄弟姉妹たちと比べられ落ちこぼれ扱いを受けていた。必死で勉強して小さなゴーレムによる人形遊びが出来るようになっても、鼻で笑われゴーレムを踏み潰される。この扱いに耐えかねついには家を出て、ほとんど行き倒れのような形でここ、デイドリームタウンにたどり着いた。

 

 そこで出会ったのがイブだった。

 

『あ、やっと起きた。痛いところある?』

『わ、私をこんなところに連れ込んで何のつもりだっ! 死ね!』

『いったぁ!?』

 

 パニック状態なツヤンのポカポカパンチを受けながら、イブは倒れたツヤンを見つけ馴染みのある孤児院に連れ込んだことを説明。シスターが姿を見せたことでやっと落ち着いた。

 

『冒険者?』

『うん。お金を稼げるし魔法の腕も鍛えられるよ』

 

 しばらくしてツヤンは冒険者になった。イブに誘われてのことだったが、どのみち子どもがまともに暮らせるだけのお金を得る方法は、下世話なものを除けば冒険者くらいしかない。

 

『ゴーレムってすごいねー! ただの土がまるで人みたい!』

『ふっふーん、そうだろそうだろ! 土属性魔法は最強なんだぞ!』

 

 魔法を初めて見るイブは事あるごとにツヤンを褒めそやし、実は褒められて伸びるタイプのツヤンはめきめき実力を伸ばしていった。二人は間もなく最下等ランクから一流のBランク冒険者へと昇格し、デイドリームタウン期待の新星として一躍有名となった。

 

『最強無敵のゴーレム?』

『理論上は可能なんだ。どんなモンスターにも負けない、土魔法を極めた先にある境地。それを実現してあのいけ好かない実家のやつらを見返すのが、私の夢さ』

『かっこいー! がんばれがんばれー!』

『そう思うなら集中させてくれないかなぁ!?』

 

 魔導書とにらめっこするツヤンにしつこく絡むと、夢のことを教えてくれた。その日を生きられれば十分なイブにとって夢という考え方は新鮮で、未来を考えるツヤンがとても大人っぽく見えた。

 

「あの日」

 

 そして今に至る。

 

「あの日、君に会えてなかったらと思うとぞっとする。私は世間知らずだった。きっと何もできないまま野たれ死んでいたよ。だから──」

 

 ありがとう。

 

 その言葉を最後に、ささやき声が静かな寝息へと変わる。

 

 耳元のくすぐったさがやっとなくなったから、イブは非難がましく首をひねって背後を見やる。息を呑むほど安らかなツヤンの寝顔がすぐそこにあった。

 

 ゆっくりと身をよじって対面になり、ツヤンの体に手を回す。目を閉じると温かさと吐息に全身を包まれる気分になって、深いまどろみに落ちていった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 そうして睦まじく過ごすある日の夜、イブはふと目を覚ました。この日はツヤンとは別々に寝ていた。

 

 窓の外は暗い。ほのかな星あかりに墓石のような色合いの町並みが浮かび上がっている。その中を人魂のようなオレンジ色の灯りがふよふよ飛んでいた。

 

 スピリット系のモンスター。剣に手を伸ばしかけたイブだったが、すぐに誤解だと気づく。あれはろうそくだ。ろうそくを持って誰かが歩いている。

 

 異常に冴えた五感を集中してみると、暗闇の中でもはっきりその人物の顔が見えた。

 

「ツヤン……?」

 

 次の日、イブはツヤンに昨夜のことを聞こうと思った。どうしてあんな時間に散歩していたのか。

 

 が、聞けない。暗闇の中に浮かび上がった、今にも泣き出しそうな、触れたら崩れてしまいそうな脆い表情を思い出すと、言葉が詰まってしまうのだ。

 

 直接聞けないならせめて行き先だけでも知っておきたい。目的地のない散歩ならそれでいい。イブは二度目の夜の散歩を待ち伏せ、後をつけた。

 

 夜道をふらふらと歩くイブは、やがて見知った建物の前で立ち止まる。

 

「教会……?」

 

 孤児院のある教会、イブのホームだ。

 

 行き先は分かった。でもそれ以上に訳が分からなかった。おまけにクエストボードの違和感や体のこともある。

 

 混乱したイブは、ツヤンが敷地内に入っていくのを尻目に、アトリエへ帰った。

 

 やっぱり何かがおかしい。もやもやした疑念が膨らんでいく。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 ツヤンの体調は浮き沈みを繰り返している。

 

 一度良くなっても仕事中や魔法薬の調合中に発作のように体調を崩し、薬を飲んでしばらく休むと復活して、また発作。いっこうに良くなる気配がなく、むしろ発作は悪化しているように思える。

 

 イブはツヤンと出会って今年で三年になるが、持病があるとは聞いたことがない。ただの風邪とも月のものとも思えない。しかし医者か聖職者を呼ぼうとすると、「大丈夫」の一点張りだ。

 

 かといって業を煮やしたイブが無理やり医者を呼ぼうとしても、

 

「あとちょっと、ちょっとだけ、だから……」

 

 機嫌を取るように弱々しく笑うツヤンを前に、イブは何も言えなくなってしまう。高飛車で高圧的で上から目線で意地っ張りなツヤンは、もうそこにいなかった。

 

 せめて負担を抑えるために、イブは一人で冒険者の依頼を受けるようになった。ツヤンはアトリエにこもって魔法薬を調合し、片手間に家事をこなす。当初は寂しかったものの、ツヤンが「おかえり」と出迎えてくれる生活に、イブはまんざらでもない気持ちだった。

 

 が、疑念は消えない。もやもやした謎と違和感を抱えながら、イブは新しい生活を受け入れていく。

 

 そうしてある日、ついにその疑念が爆発する。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「ドラゴンだ、ドラゴンが出たぞ!」

「久しぶりのレイドクエストだぜー!」

 

 昼頃、完了報告のためギルドに戻ってきたイブを荒々しい怒声が迎える。ギルド内は男たちの活気と熱で満ちており、クエストボードの横に大きく張り出された用紙の前に人だかりが出来ている。

 

『レイドクエスト

討伐対象:ドラゴン

開始予定日時:王暦746年12月3日正午以降』

 

「うえ、レイドやだなあ」

 

 レイドクエストのお達しだった。

 

 一般的なモンスターとは一線を画す強力なモンスター、通称レイドボスを討伐する特殊依頼。原則ギルド所属のすべての冒険者が参加し、クリア後にはそれぞれの参加証に貢献度が記され、それに応じて報酬が支払われる。

 

 毎度お祭り騒ぎになるこの形式をイブはあまり好まない。どうせAランクのパーティーが勝手に指揮を取って報酬も総取りだし、何よりツヤンがいなければイブはぼっちだ。すでに早く帰りたい気持ちでいっぱいである。

 

 居合わせた以上は帰ると文句を言われるので、しぶしぶ開始時刻を待つことにする。冒険者たちはイブを一瞥し、遠巻きに盛り上がり出す。

 

 やっぱり奇妙だ。イブはひじをついて考え込む。

 

 いかつい男たちの多い冒険者たちは、よくイブに絡んできた。なのに今では誰も声をかけない。

 

 レイドクエストの用紙も引っかかる。強烈な違和感がある。クエストの種類、討伐対象、日付──

 

「来たぞ!」

 

 思索をさえぎるように地の底から響くいななきが聞こえ、冒険者たちが色めきたつ。槍、剣、弓、それぞれの得物を構えて我先に外へ駆けていった。職員の嫌味ったらしい視線を受けイブもしぶしぶ後に続く。

 

 戦場は街のすぐ外にある草原だった。イブが着いた頃にはもう戦いが始まっていて、草原の一部が焼け焦げ、血に染まっている。

 

「撃て撃て! まずは地上に落とすんだ!」

「クソが、一発当てるにも苦労するぜ」

 

 雲一つない青空を、真っ赤な巨体が疾駆している。地上から放たれる魔法の光と矢を掠らせもせず、真っ赤なそれはぐんぐん地上へ近づいて、人の群れを薙いだ。鮮血が舞い、冒険者たちが文字通り蹴散らされる。

 

「ブレスを使ってない、おそらく幼体だ! 降りてきたところに反撃しろ!」

「無茶言うな!」

 

 赤いドラゴンは自在に空を舞い、気まぐれで降りてきては爪を振るって犠牲者を増やしていく。地上に近づいたところで反撃すれば確かに攻撃は当たるが、馬よりもはるかに速く突っ込んでくる刺々しい巨体に、どう立ち向かえというのか。お祭り騒ぎは負け戦と化しつつあった。

 

「くそ、騎士団の応援を待つしかないか……!」

 

 指揮をとっていた高ランク冒険者が苦虫を噛み潰したような顔で呻く。

 

 一方のイブはその光景を前に、信じられない言葉を口にする。

 

「普通に楽勝じゃないの?」

 

 リーダー冒険者がぎょっとして目をむく。その横を素通りして、イブは草原の中央、ドラゴンの目につきやすい場所に歩いていく。

 

 止まって見える。

 

 時折リング状の衝撃波すら発しているドラゴンの動きが、イブには止まって見えていた。鋼鉄のように重厚な鱗や甲殻すら、なぜか紙よりも薄っぺらに思えた。

 

 その感覚は違和感の塊だ。イブはなぜ自分が脅威を感じないのかが分からない。

 

「危ない!」

 

 ドラゴンの巨体が急激に、しかしイブには緩慢な動きで迫りくる。小剣に手を添え、抜く。

 

 するり、と。

 

 下から軽く振り上げた一閃は、鱗と甲殻の隙間をすり抜けて肉に到達し、さらに鋼線に等しい筋繊維の間隙を縫って骨、骨髄すらすり抜けて。ドラゴンの首を見事に通過してみせた。

 

「え?」

 

 周囲には何が起きたのか分からない。ただ、冗談のように巨大なドラゴンと小さな少女が交錯したとたん、血が舞った。そしてドラゴンが激しく草原を削って墜落し、土をめくりあげて止まる。中空で回転したドラゴンの首は、一拍遅れて少女の横に落ちる。

 

 風の音すら聞こえない沈黙の中、イブが血振りの後納刀。快い金属音が冒険者たちの耳朶を打ち──やがて、歓声に包まれた。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 イブは歓声をあげる冒険者の男たちにもみくちゃにされた後、遅れてやってきた騎士団に詰め所まで連行された。もちろん咎めを受けるのではなく、最大の功労者として特別な報奨が出るとかで、聖書の言葉を絡めたありがたいお説教と共に金貨のぎっしり詰まった布袋を渡された。一抱えもあるような袋を渡されても持ち帰るのに苦労するのだが、騎士たちは頓着せず笑顔でイブを送り出した。

 

 金貨の袋は重いはずなのに、大して重いと感じない。それでも抱えて歩くと目立つので、帰る前に冒険者ギルドで荷台を借りることにした。

 

 古びた木の扉を足で蹴り開ける。すると、中からわっと冒険者たちが寄ってきてイブを取り囲んだ。

 

「お前ら道を開けろ、英雄様のお帰りだ!」

「お前少し見ない間にあんなに強くなってたんだなぁ!」

「幼体とはいえドラゴンだぞ。それを一撃ってお前、お前のほうがモンスターじみてらぁ! あっはっは!」

「うるっさいおっさんくさい退けーい!」

 

 イブは緊張する猫みたくおっさんどもを威嚇するが、野太い声にかき消され通じていない。おっさんたちは構わずやんややんやとイブの強さを囃したて、しだいにイブも良い気分になって「ふっふーん、あんな空飛ぶトカゲ百匹いても楽勝ですぅー」と調子に乗るのでおっさんたちは笑いながらブーイングを返した。すごいのは確かでも笠に着られると腹が立つ、面倒なおっさんどもである。

 

 そうこうしているとおっさんの一人がイブの抱える袋に目をつけ、それは何かと問う。イブは数秒迷った末、半分程度確保できれば十分だと割り切って、気前よく告げた。

 

「私のおごりです、祝勝会といきましょう!」

 

 歓声が建物を揺らし、どんちゃん騒ぎが始まった。ケガ人の治療費や見舞金も込みで金貨の半分をギルドに支払っておく。

 

 運びやすくなった袋を抱えすぐに去ろうとしたところ、言うまでもなく呼び止められる。

 

「まあまあ、少しは楽しんでいけよ」

「ん……まあこれ飲み切るくらいは」

 

 指揮をとっていたリーダー冒険者だった。彼が周囲のおっさんたちに目配せすると、波が引いたようにおっさんたちが身を引き、二人きりの空間が出来上がる。イブは彼と並んで壁にもたれ、渡されたジュースのジョッキをちびちびやる。

 

「今回は本当に助かった。お前たちが帰ってきてくれてギルドも大喜びだ」

「はあ」

 

 もやもや。違和感が再燃する。

 

 その出どころを胸中で探るイブに、リーダーは当たり障りのない称賛と感謝を繰り返し告げる。わずかな間を空けて、探るように切り出した。

 

「今、ツヤンはどうしてる? この前ここにも来ていたらしいが」

「体調不良で寝込んでます。なのでそろそろ帰りますね」

「そう、か。お前は」

 

 イブは空っぽのジョッキを手に、もう歩きだしていた。その背中を切実な呼びかけが縫い止める。焦燥と心配に満ちたリーダーの声音に、目を丸くして振り向くイブ。

 

「お前は、大丈夫なのか」

「見ての通りピンピンしてます」

「そりゃそうだが、しかし──一年だぞ?」

「へ?」

 

 リーダーがゆっくりと距離を詰める。気づけば好き勝手に騒いでいたおっさん連中も、かたずを飲んでイブたちを見守っている。

 

 一年。唐突なその言葉を咀嚼するにつれ、イブの鼓動が高まっていく。

 

「一年も眠っていたのに依頼を受けて、しかもその一ヶ月後の今日にはレイドボスだ。さすがに心配にもなるさ。本当に大丈夫か」

「ちょっ、ちょちょっと待ってください。一年?」

 

 イブはジョッキを落とした。手と声が震え、困惑顔のリーダーにすがりつく。

 

「何言ってんですか。そんなに長い間人が眠れるわけ……そ、そうだ、あの悪魔は?」

「なんだって?」

「だから、一ヶ月前のことですよっ! 悪魔の討伐依頼があったじゃないですか。私とツヤンがゴブリン退治に出かけた前日にはありました。あの悪魔は、どうなったんです?」

 

 おっさんたちの間でいくつのも囁きと視線が交錯し合った。まさか、ウソだろなどのどよめきがギルド内を満たす。

 

 その動揺をリーダーは渾身の渋面で表現してから、努めて冷静にこう言ったのだ。

 

「悪魔は討伐される前にどこかへ消えた。依頼書も一緒にな。そしてこれは──一年と一ヶ月前のことだ」

 

 考える前にイブの体は動いていた。おっさんたちの人垣を超人的な脚力で飛び越え、受付カウンターのすぐ横、クエストボードの前へ向かう。

 

 相変わらず無数の依頼書が表面を覆い尽くしている。ゴブリン、オーガ、コボルト、スライム、薬草採取。種類も目的も様々だが、イブが注目するのはそこではない。どんな依頼書にも共通で記載される情報──締め切り期日、である。

 

『──王歴746年──』『746年』『746』

 

 依頼書の貼り出しているその日から数えて、期日が年をまたぐことはない。王国は聖書にのっとり、年の末と初めに働くことを厳しく禁じているからだ。冒険者ギルドも例外ではない。つまるところ現在の王暦は746年で確定する。

 

 すかさずイブはポケットに手をつっこみくしゃくしゃの紙くずを取り出して、慎重に広げていく。一ヶ月前に目覚めたあの日、ポケットに入っていた依頼書の写しだ。

 

『オーガ討伐 数:5〜10 場所:西方森林地帯 締め切り:王歴745年──』

「……っ!」

 

 抱えていた違和感が氷解し、同時に大きな疑念と困惑がイブの心中を満たす。

 

 イブが一ヶ月前に目覚めたあのとき、昨日のことだと思いこんでいた出来事は、一年前のことだった。まる一年眠っていたのにイブは気づかないまま過ごしていた。

 

「そうだ、ツヤンは……でもなんで……」

 

 思い返せばツヤンはあの日から様子がおかしかった。妙にイブの世話を焼いたり頻繁に体調を崩すようになっただけでなく、『昨日のこと』に言及すると必ず言葉を詰まらせていた。

 

「こんないつ死ぬかも分からん商売、子どもがやるもんじゃねえからさ」

 

 いつの間にかイブの隣にはリーダーが立っている。呆然と見上げるイブに、リーダーは苦い顔をする。

 

「お前ら二人が来なくなって、俺ら安心した。もうすぐ一年たつ、きっと別の生き方見つけたんだろうってな。でも二人して戻ってきちまうから、どう接したらいいか分かんなくてよ。子どもに説教できる人生送ってねえもん」

 

 だけど、と。イブの背中を押して、微笑を浮かべるリーダー。

 

「こんくらいは助言できるぜ。とりあえず腹ぁ割って話してこい、悩むのはそっからだ」

 

 そうだそうだと便乗するおっさんたちの取り巻き。イブはあまりのむさ苦しさに苦笑してギルドを飛び出す。

 

 ツヤンがどうして一年の空白を黙っていたのか、その間に何があって、ツヤンは何をしていたのか。予想のつかない真意を聞きに行くことは怖い。それでも話をしなきゃ前へ進めない。

 

 覚悟の決まったイブは、ツヤンの元へ風のように駆けていった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「ツヤン!」

 

 アトリエの扉を壊しかねない勢いで押し開け、二階の私室へ飛び込む。そこに部屋の主の姿はなく、机とベッド、本棚が寂しげに佇んでいる。

 

 どこへ行ったのか手がかりは見当たらない。ただ、いたずらに不安を掻き立てる痕跡はあった。

 

 粉々に砕けたガラス瓶。中に満載していた赤い錠剤が床一面に飛び散っている。体調不良の症状がひどくなったとき、ツヤンが服用していた薬だ。

 

 イブは夢中でアトリエを飛び出しながら、頭だけは冷静さを保っている。ツヤンが外出する心当たりといえば、魔導書を取り扱う古書店、薬の材料を扱う魔法薬店、食料品のための中央市場、そして──夜中にこっそりと通う、孤児院。

 

 関係があるかはともかく、一年前のツヤンは隠れて孤児院に通うことなどなかった。空白の期間に何かそうするきっかけがあったのかもしれない。そもそも孤児院のシスターはイブの不在をどう捉えていたのか。

 

 頭にいくつもの疑念が渦巻くのを感じながら、イブはもっとも近い孤児院へと直行する。いつの間にか空が黒黒とした暗雲で覆われ、昼下がりの町並みが陰鬱な空気に沈んでいる。

 

 孤児院の門扉の前に立つと、中庭で子どもたちが遊んでいるのが見えた。

 

「あ、姉ちゃん」

「姉ちゃんだ姉ちゃんだ、囲めー!」

「今まで一年間もどこ行ってたのよー!」

「ええと、その」

 

 何度通っても示し合わせたように会えなかった子どもたちにあっさり会えたので、イブは反応に困る。涙目の子どもたちに囲まれて泣き付かれるとますます動けなくなってしまう。

 

「みなさん、離れてください。イブお姉ちゃんが困っていますよ」

「お母さん……」

 

 それを見かねたのか、教会からシスターが顔を出して鶴の一声。子どもたちはぐずりながらも身を引く。

 

 シスターはすべてお見通しと言わんばかり、親指で教会の裏手を指し示す。

 

「ツヤンさんなら墓地にいます。じっくり話してきなさい」

「お、お母さんはどこまで──」

「知っているか、と聞かれれば全部と答えましょう。ですが、今問答すべきは私とではありません」

 

 イブはごくりと喉を鳴らす。シスターは本当にすべてを知っているのだろう。子どもたちに出会えなかったのは、空白の一年について子どもたちがボロを出しイブに感づかれるのを防ぐため。だから空白に気づいたとたん子どもたちに会えたのだとすれば、イブには納得できる。シスターは底しれない人だから。

 

 ともあれ、シスターの言う通り今はかまっている暇はない。教会の建物をぐるりと回って裏手に回る。イチイの木立が並ぶ薄暗い小道をくぐると、灰色の石が整然と並ぶ墓地が広がっている。

 

 はたしてツヤンの姿は、墓地の中央にあった。よく手入れされた墓石の前でぽつねんと、イブに背を向ける形で立っている。

 

「ツヤン! 平気!?」

 

 半ばほっとして声をかけるとツヤンの肩がびくりと揺れる。思いの外力強い声音で「うん、平気」と返ってきたが墓石に向かったままで、イブの方は見ない。

 

「もしかして瓶が割れてたの見た? 出る時うっかりしちゃって、後回しにしてたんだ。心配かけたね」

「そ、そう。ならいいんだ。えっとね……」

「聞きたいことがあるんだろう?」

 

 先回りするのが流行っているんだろうかとイブは少し呆れた。しかし立て続けにツヤンが口を開くにつれ、イブは愕然としてしまう。

 

「大方冒険者たちが口を滑らせたか。どうして空白の一年を私が黙っていたのか、その間に何があったのか。そんなところ?」

「そうだよ! もう、分かってるなら目が覚めたときに教えてくれてもいいじゃない!」

「うん。でもその前に。イブ、あなた一年前のあの日のこと、どれだけ覚えてる?」

 

 あの日。イブが昨日のことだと思いこんでいた、今から一年と一ヶ月前の日のことだ。

 

 もちろん覚えている。前日にイブとツヤンは軽い口論になり、多少気まずい雰囲気を残したまま冒険者の依頼を受けた。悪魔の瘴気で強化されたモンスターたちに苦戦したものの、どうにか倒して街に帰り、完了報告の後はいつもどおり二人でアトリエに戻って寝た。

 

 イブがそう答えると、ツヤンの横顔に寂しげな笑みが浮かぶ。

 

「はあ……もしかしたら本当のこと、思い出すんじゃないかと期待したけど……ありえるはずもない、か」

「どういうこと? ツヤンが何言ってるのか全然分かんないよ!」

「こういうことさ」

 

 ふいにツヤンがしゃがみ込み、墓石を愛おしげに撫でる。イブが墓地に来てからずっと凝視していたものだ。地方の実家を飛び出した家出貴族のツヤンに、墓を立てるほど親しい誰かがいたのだろうか。

 

 疑念と少しの嫉妬を込め、イブは墓石をちらりと見やる。

 

『イブ・フォルスラ(728〜745)』

 

 そこに刻まれた文字を読み取ったとき、まずイブが考えたのは同姓同名の可能性だった。何しろイブ・フォルスラとはこうして墓地に駆けつけツヤンと相対している少女であって、他の誰でもないのだから。

 

 知らず滝のような冷や汗を流すイブに、しかしツヤンは断言する。冷酷に、残酷な現実をつきつける。

 

「君はもう、死んでいる」

 

 

 

ーーー

 

 

 

 その日はツヤンとイブの二人にとってなんの変わりもない、普通の一日になるはずだった。

 

『ふざけんじゃねえ! どう考えてもギルドの怠慢だろうが! お前らのせいでアイツは死んだんだ!』

 

 違ったのは悪魔の依頼書が貼り出されていたことと、早朝からカウンターの職員にがなり立てる冒険者がいたことだった。

 

 年配のその冒険者は想定外のモンスターに遭遇し仲間を喪ったらしく、それをギルドの情報不足のせいだと難癖をつけていた。ツヤンはうっとうしげに冒険者を押しのけて、強引にその日の依頼書をカウンターへ提出。

 

 子どもにぞんざいな扱いを受けた冒険者はまなじりをつりあげ、ツヤンとイブへ猛然と食ってかかる。しかし二人が話題の新人Bランクだと見てとるや、振り上げた拳を引っ込め忌々しげに唸りだす。暴力では敵わないと判断したのだ。

 

 無視をきめこむツヤンと、おろおろするイブ。そんな二人に冒険者は舌打ちまじりにこう吐き捨てた。

 

『ちっ、薄汚えスラムのガキがよぉ』

 

 ツヤンは杖で冒険者を殴った。

 

 落ちこぼれ貴族やお嬢様などと言われても、ツヤンは我慢できただろう。でもイブの生まれをどうこう言われるのは、到底耐えきれなかった。

 

 徹底的に殴りつけるつもりのツヤンだったが、イブに羽交い締めで止められる。そのまま逃げるように街の外へ向かった。

 

『どうして止めるんだ! あの男は君のことを言ったんだぞ!』

『もう慣れてるよ、あんなの。でもツヤンが怒ってくれたのは嬉しいな。ありが──』

『慣れてる、だって?』

 

 ツヤンは腹が立った。なんでもないように笑って、慣れてるとまで言ってみせるイブに。イブに慣れるくらいの罵倒を浴びせ続けた周囲の全部が憎らしくて仕方なかった。

 

『このバカ! 悪く言われたのになんで怒らないんだ! 君にはプライドってものがないのか!』

『えっ、えっ』

『ふん、もういい。さっさと依頼を済ませて帰るぞ!』

 

 血筋の違いかもしれない。落ちこぼれとはいえ貴族の出であるツヤンは、悪罵への耐性が低かった。殊に自分よりも大切なイブの侮辱だけは、絶対に許すわけにはいかなかった。

 

 それでもイブ当人は気にしていないから、モヤモヤした不満と憤懣を抱えたまま仕事へ向かう。文句の付けようのない仕事をして、あの冒険者のような非難を寄せ付けないほどの名声を欲した。

 

『ツヤン、撤退しよう! こいつら強すぎる!』

『だ、ダメだ! どうにか作戦を考えるから、それまでは……!』

 

 だから、撤退の判断もできなかった。

 

 デイドリームタウン西方の谷。切り立った崖に挟まれる谷底に出没したオーガたちは、近場に住み着いた悪魔の影響ですさまじく強化されていた。瘴気で硬質化した皮膚は剣もゴーレムの拳も通さず、大樹のように盛り上がった腕はひと振りで岩を砕く。一流であるはずのツヤンとイブでも歯が立たないほどに強かった。

 

 イブはツヤンの判断を信じて回避行動を続け、その間にツヤンはどうにか必勝の作戦を思い立つ。谷底の立地を利用する作戦だ。

 

 ツヤンは土属性の魔法使いである。谷底を形成している切り立った崖に魔力を通し、崩落させてオーガを圧死させるのだ。魔力の浸透にかかる時間はきっとイブが稼いでくれる。

 

『──というわけで、時間稼いで!』

『ま、任せて!』

 

 ツヤンはイブの実力を信頼していた。イブはツヤンの頭脳を信頼していた。その頭脳が余計な意地で鈍ってしまい、無理のある作戦を立てたことなんて、二人は考えもしなかった。

 

 その代償は重かった。

 

『イブ?』

 

 必死で回避を続けていたイブの体が、横っ飛びに吹っ飛んだ。オーガの巨腕に轢き潰されたその体は、無残に歪んでいた。

 

 同時にツヤンの魔力が浸透し、崖が崩落する。オーガたちはまとめて大質量の下敷きになり、依頼は達成された。

 

『イブ、起きてよ、ねえ。ねえったら』

 

 イブの体はひどい有様だった。骨が突き出し、血にまみれ、四肢は千切れたり折れ曲がったり。幸運にも損傷の少ない頭部にはめ込まれた眼球は、光を失ってうつろにツヤンを見返していた。

 

 即死。

 

 その事実を認識した瞬間からしばらくの間、何があったのかツヤンは覚えていない。

 

 次に意識を取り戻したのは、谷底のさらに奥地。薄暗がりに湧き出た泉の前に、亡骸を抱えて棒立ちしているときだった。

 

『ああ、かわいそうなお嬢さん。あなたはきっとこう願うつもりだろう。「イブを生き返らせてくれ」と』

 

 モンスターの生息地には似つかわしくない礼服と、シルクハットを身に着けた老人。泉の水面に佇む彼は、ひどく芝居がかった風に喋り続けた。

 

『しかしそれはできない。君の持つすべてを代償にささげても、彼女は生き返らない。なぜか? 死神がすでに彼女の魂を運んでしまったからだ。彼らから魂を取り返すのはとても骨が折れる』

 

 彼は悪魔だった。代償に応じて願い事を叶えてくれる。

 

 けれど不幸なことに、ツヤンの差し出せる代償は乏しかった。命、魔力、寿命、体、何を捧げてもイブを助けられない。

 

 悪魔がさも残念そうにそう告げたとき、ツヤンは頭の中で何かが割れる音がした。腕から力が抜け、イブの亡骸が無造作に投げ出されてしまう。それにすら目もくれず、ツヤンは新たな願いを告げた。

 

『力が、欲しい』

『と、いうと?』

『最強の、土属性の魔法使い。その力を』

『ふうむ、それなら……君の貧相な寿命すべてで、どうにか賄えるだろうねぇ』

 

 悪魔は願いを叶え、ツヤンは最強の土属性魔法使いの力を手に入れた。杖のひと振りで地形を変え、大地を揺らし火山さえ湧き立たせ、山のように大きなゴーレムを創造することもできる、圧倒的な力。

 

 が、それだけの力をもってしてもツヤンの企みは実現困難だった。

 

 企みとはイブの生き写し──すなわち『イブ・フォルスラ』という名の生きたゴーレムを創造することである。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 イブはツヤンの言っていることが理解できなかった。たっぷり数分間の沈黙の末どうにか理解が及んでも信じられないし、信じたくもなかった。今こうして考えている自分が偽りの命であるなどと、ありえるはずがない。

 

「信じられないなら、過去を考えてみるといい。私と君が出会った三年前……違うね、四年前よりも昔のことを、君は思い出せるかい?」

「……っ!」

 

 ツヤンの言うとおり、イブの記憶には空白ができていた。孤児院を出てから冒険者になった知識はあっても、具体的にどうしてそうなったのか分からない。孤児院で過ごしていたころの記憶がない。あるものといえば、ツヤンと出会ってからの思い出──ツヤンと共有した時間だけだ。

 

「創造主たる私の知り得ないことは君も知らない。あの日死んだことも。そんな風に『設定』したから──っぐ……!」

「ツヤン!?」

 

 唐突にツヤンが胸を抑えて膝をつく。イブが駆け寄ると、ツヤンは苦しげに顔を歪め呼吸を荒くしている。

 

「は、はは……もう、時間切れみたいだね」

「時間切れ……?」

 

 ツヤンはイブのような何かとは目を合わせず、どこか遠くを見たまま苦笑を漏らす。

 

「悪魔からもらった力は本物だった。でもイブとそっくりのゴーレムを創るとなると一筋縄じゃいかなくてね。一年もかかってしまったんだ。分かるかい? 寿命をすべて捧げてから一年も、だ」

 

 ゴーレムはハッとして息を呑む。ツヤンのみずみずしい顔から生気が失われていく。手足の末端から燃え尽きた灰のようにポロポロと崩れ始めた。

 

「大丈夫、創造主が死んでも君は生きられる。なんたって最強無敵のゴーレムだ、レイドボスだって一撃だし、耐久性も不死身に等しく設定してあるから……」

「どうでもいいよ! どうなってるの、ツヤン、体が……!」

 

 ゴーレムの指の間をさらさらとした灰がすり抜けていく。その様を見ながらツヤンは自嘲の笑みを浮かべる。

 

「あの薬は延命薬さ。ただの死体にさえ擬似的な命を与える魔法の薬だよ。副作用は見ての通り肉体の崩壊と──魂の消滅」

「そんなっ、や、やだよ、やだっ!」

 

 魂は循環する。死と共に死神が然るべき場所へと運び、新たな生命に宿る。しかし悪魔の力を利用すれば、循環から外れ消えてしまう。創造主と知識の一部を共有するゴーレムにはそのことが理解でき、ツヤンの体にすがりつく。

 

「なんで、なんでそこまでするの! そんなことしたらっ」

「うん、生まれ変わったイブに会えない。でもイブは死んだんだ。生まれ変わった彼女はもう、私の知ってる彼女じゃない」

 

 ツヤンの体はみるみる崩れ去っていく。手足はとうに灰と化し、続いて胴体が崩れ始める。

 

 ツヤンはゆっくりと視線を上げた。ゴーレムはやっと目を合わせてくれたことに安堵するが、しかしツヤンはゴーレムの中にいる別の誰かを見ているようだった。

 

「私って意地っ張りだからさ」

 

 くしゃり、と泣き笑いを浮かべるツヤン。

 

「ありがとうもごめんなさいも全然言えないんだ。いつもそう思ってるのに、口に出そうとすると別の言葉になっちゃう。だから──」

 

 君を創ったんだ、と。

 

 あふれた涙が、ツヤンの頬に添えられたゴーレムの手を濡らす。

 

「ありがとう。意地っ張りな私に付き合ってくれて、たくさん助けてくれてありがとう。いつもいつも本当に感謝してる。迷惑かけてごめんなさい。素直に思いを伝えながら、君と生きたかった。赦してもらいたかった」

 

 ツヤンの首元から頭にかけてが灰になっていく。ツヤンの存在が世界から消えていく。肉体と共に魂ごと消滅していく間際、ツヤンは怯えたように最期の言葉を口にする。

 

「ごめんなさい。私を赦してくれる?」

 

 ゴーレムは刹那、返答を迷った。ゴーレム自身はツヤンに罪があるとは考えてもいないし、そもそもツヤンが求めているのはイブの言葉であってゴーレムのものではない。

 

 それでも創られたゴーレムは刻まれた使命の通り、機械的に口を動かした。

 

「うん、赦す。気にしてないよ」

 

 ツヤンはやっぱり泣き笑いのまま、完全に灰と化した。

 

 

 

ーーー

 

 

 

「彼女は望みを叶えました」

 

 呆然として動かないゴーレムの背後から、シスターが歩み寄る。ゴーレムのすぐ横にかがみこんだ彼女は、ツヤンの灰を小さな壺へ丁寧に回収していく。

 

「もっとも、果たしてそれが救いになったのかは誰にも分かりませんが」

「……分からないんだ」

「ええ。それこそ悪魔にも死神にも、ね」

 

 分厚い雲が空いっぱいに立ち込め、今にも雨が降り出しそうだ。暗鬱とした墓場にシスターが何かの作業をする音だけが、淡々と響いている。

 

 ゴーレムは虚ろな少女の目をイブの墓標に固定しながら、口を開いた。

 

「知ってたの?」

「全部、と答えたはずですよ。イブが死んだ次の日、ツヤンさんはみんな教えてくれました」

「だったらなんで……!?」

 

 シスターを睨みつけたゴーレムは、絶句した。

 

 ツヤンの着ていた衣服と、灰をおさめた壺。シスターはその二つを繊細な手付きでまとめ、墓穴に収める。爪が剥がれ、指先は傷だらけなのに、構わず土をかぶせて最後に上から優しく叩く。

 

 穴の前、イブの墓標の隣にあたるそこにはもちろん墓標。『ツヤン・デレール』の名が刻まれている。

 

「ことの次第に加え、ここにこうして弔うようにもお願いされましてね。ではどうして、ツヤンさんを止めてくれなかったのか。真相を教えてくれなかったのか、とお考えでしょう」

 

 ゴーレムは何も言えない。ツヤンが死んだ事実を目前に突きつけられた。しかもシスターの言うことはすべて図星だったから。

 

 はたしてシスターは、「止められるわけないでしょう」と絞り出した。

 

「イブは言わずもがな、願いを叶えたツヤンさんもすでに死体同然でした。どんな言葉も届きません。ささやかな望みを叶える、そのお手伝いをして差し上げるほか、何が出来るというのです」

 

 悪魔と契約した時点でツヤンはすべての寿命をなげうっていた。魂を売り、次の生という希望さえ捨てて、イブのゴーレムを望んだ。もう取り返しがつかなかった。

 

 そうだ、取り返しがつかない。ツヤンが死んでしまったけれど、それよりもっと前、ゴーレムが生まれる前に救いのない未来は確定していた。そう考えたとたんゴーレムはゆっくりと立ち上がり、ふらふらと墓地の出口へと足を向ける。

 

「死ぬつもりですか」

「当たり前でしょ」

「せっかくツヤンさんが命を与えてくれたのに」

「……誰がっ」

 

 弾かれたように振り返ったゴーレムの目には涙がたまり、絶叫と共にこぼれ落ちる。

 

「誰が創れって頼んだのよ! ふざけないでよ、勝手に創ってイブの代役するために命与えられてさ、残された方はどうすりゃいいのよ! ツヤンのありがとうもごめんなさいも、結局私じゃなくてイブに言ってるじゃない! ツヤンが望んだ日常なんてどこにもない……全部まやかしだよ……使命を終えた私も、全部、全部……っ!」

 

 ゴーレムはゴーレムだ。与えられた使命に沿って行動する。それは究極の土魔法によって創造されたこの個体も例外ではなく、『ツヤンの望みを叶える』使命のために活動しているので、ツヤンがいなくなった以上残された道は自決しかない。

 

 不幸なことに、ゴーレムは魔力供給がなくとも半永久的な自律行動のできるよう設定されている。ほぼ不死身の体を殺す手段を探さねばならない。

 

 ツヤンがまやかしの望みを叶えたように、ゴーレムもまた自身に与えられたまやかしの命を、偽物のイブの自決によって完結させる。それこそが新しい使命だった。

 

「な、なに……?」

 

 悲しいのか怒っているのかも分からないまま泣きじゃくるゴーレムの前に、シスターが立っていた。涙で歪む視界の中で、優しい微笑を浮かべているようだ。

 

 と、ゴーレムが気づいた次の瞬間。

 

「たとえまやかしであろうとも」

 

 シスターはゴーレムを抱きしめた。

 

「ツヤンさんの望みも、あなたの使命も、みんなまやかしであったとしても。あなたはここにいます。自分で考えて、真実にたどり着き、心が壊れそうになってるのに必死で生きています」

「ち、がう……ただの、設定だから……」

「いいえ。だってあなたは泣いている。生きながらに死んでいる子は、泣くことができないんですよ」

 

 ゴーレムの脳裏にここ一ヶ月のツヤンの顔が浮かんだ。ツヤンは今まできちんと泣けていただろうか。

 

 シスターは抱擁の力を強め、「ですから」と続ける。

 

「ですから、死ぬなんて許しません。あなたは生きている。使命だの生きる意味だの、そんなものは路傍のどこにでも転がっているもんです。それを見つけるのもまた、命の意味なのですよ」

 

 ゴーレムの眼窩から壊れたようにとめどない涙が溢れ出し、たくさんの感情が心中で破裂していく。シスターはそれ以上何も言わずゴーレムを抱き続け、しばし墓地には産声めいた泣き声が響いた。

 

 ようやく落ち着いたころ空を見上げると、どんよりした雨雲に無数の裂け目ができている。天上から差し込む幾重もの陽光は、デイドリームタウンに架けられた光の階梯のようで、泣き腫らしたゴーレムの瞳に、いつまでも焼き付いて離れなかった。

 

 

 

ーーー

 

 

 

 辺境の街、デイドリームタウンには最強の冒険者がいる。

 

 名をイブ・フォルスラ。その剣技は幼体のドラゴンを一刀両断するとされ、実際に複数のレイドボスを斬り捨てる様が目撃されている。自由人気質のため、都のS級冒険者や近衛騎士団の勧誘を断って様々な地方を旅して回っており、その道中で北方の魔法貴族デレーン家と親交を深めたらしい。

 

 数年の旅の末、彼女は悪魔と呼ばれるレイドボスを単騎で討ち取ることに成功する。しかしその直後「ちょっと死神に喧嘩売ってくる」と言い残したのを最後に消息不明となった。

 

 これを受けた多くの冒険者や騎士団、山賊など、彼女と交流のあった人々は安否を案じて右往左往。時が経ち生存は絶望的との見方が広まった。

 

 イブの故郷である孤児院の子どもたちも例にもれず、暗い面持ちでシスターに尋ねる。

 

「お母さん。イブ姉さんはどこに行ったの? ツヤンさんも消えちゃったし……」

 

 シスターは二つのお墓を手入れしながら、その子どもに向き直った。彼女はまだ字を教わっていない。

 

「生きる意味を果たしに行ったのですよ」

「生きる意味? なあにそれ?」

「そうですね、たちの悪いペテン師や、見えない運び屋に八つ当たりしたり……まあ、中身はどうでもいいのです」

「どうでもいいの?」

 

 そう、きっとどうでもいいのだろう。

 

 生きる意味も生まれた意味も、大した問題ではない。重要なのは命尽きるとき、心の底からやりきったと思えるかどうか。その是非こそが生と死を分ける唯一の区分であり、内実はなんでもいいのだ。その果てに何一つ得られずとも、失うだけであったとしても──

 

「たとえまやかしであろうとも、ね」

 

 シスターはにっこり笑って空を見上げた。

 

 抜けるような青空が、どこまでも広がっていた。


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