どうぞ。
12月31日。大晦日。時刻は午後11時30分を越えた頃。
「……で、なんでうちにいるんですか?」
ベッドに座っている僕は隣に同じように座っている女性に話しかけた。
「なんでって……恋人の家にいるのに理由が必要かしら?」
女優でアイドルで、そして僕の恋人の白鷺千聖さんは不満そうに応えた。僕の言い方が不味かったかな。これだと千聖さんに居てほしくない、みたいに捉えることができてしまう。それは本意ではない。
「いや、だって、千聖さん言ってたじゃないですか……年末年始は仕事で忙しいみたいなこと」
芸能人にとっては繁忙期だって。そんなようなこと言ってた。ちゃんと記憶にある。
「確かに言ったわ。でも大晦日はスケジュール空けておいたのよ。貴方といるためにね」
あ、すごい嬉しい……
「いやいやちょっと待ってください。『空けておいた』ってどういうことですか? 『空いていた』の間違いじゃないんですか?」
「さあ、どうかしらね」
悪戯っぽく微笑む千聖さん。身長差、体格差を生かした斜め下からこちらを覗き込む彼女の視線は試すような、挑発するようなものだった。
これはおそらく、きっと多分、十中八九、千聖さんの冗談なんだろう。最初からスケジュールは空いていたんだろう。千聖さんが仕事を投げ出して僕のところに来るなんていうのは考え難い。
もしこれが本当に彼女の要望で空けたものなら土下座もんだ。いや僕が土下座したところで何の意味もないんだけど。
「冗談ですよね? 最初から空いていたんですよね?」
「……そうよ。貴方の言う通りよ。仕事は入ってなかったわよ」
千聖さんはつまらなさそうにしながら僕を下から覗き込むのを止めた。
「騙されなかったわね」
「まあ慣れてきたからね」
「……可愛くないわね」
「男の子なんで可愛くはないですよ」
素で拗ねた顔をしてる千聖さんを見て、僕は笑ってしまう。ああ、可愛いなあ、なんて思いながら。
「もう。なに笑ってるのかしら」
「拗ねた顔の千聖さんが可愛かったから」
「もうっ」
そんな風に僕を嗜めるが、それが可愛い。
「ほんと生意気」
「いだだっ」
千聖さんは僕の耳を抓んで引っ張った。痛い。
「反省しなさい」
「いやです」
「……もっと強くするわよ」
「それでもです」
だって千聖さんが可愛いのは不変の真理だ。反省などする必要がない。
「…………馬鹿」
千聖さんは呆れた顔して、引っ張った耳を離してくれた。はあ、痛かった。
「話を戻しますけど……千聖さんがうちにいる理由はわかりました」
「そう。わかってもらえて嬉しいわ」
あっ、その女優スマイル(大人びた笑みのこと)好きぃ……
「じゃなくてっ。なんで僕に事前に何も言わなかったんですか」
「あら、ごめんなさい。サプライズのつもりだったのよ。嬉しいでしょう?」
「嬉しいですよ! 嬉しいですけど、なんでうちの両親は千聖さんがいることを当たり前のように受け入れてるんですかっ」
「だってそれはご義両親には事前に伝えてあるもの」
えぇ……なんで僕には伝えないんですか……。と思いつつ、いつの間にかうちの両親と千聖さんの間でホットラインが結ばれてる事実に驚く。いやほんといつの間に。
あと『りょうしん』の漢字なんかおかしくない。僕の気のせい?
「貴方が私の狙い通り驚いてくれて、サプライズした甲斐があって良かったわ」
そりゃ驚くよ。目が覚めたら千聖さんが僕の部屋にいるんだもん。しかも一日中ずっとうちにいるって言い出すし。
「それにしても貴方ね、いくら休みとはいえ昼過ぎまで寝てるのはどうかと思うわよ」
「う」
いいじゃんか、折角の冬休みなんだから。
「私とデートしたくないのかしら」
「……千聖さん、忙しくてあんまり時間ないじゃん」
今日は例外みたいなものだ。いつも女優にアイドルにバンド練習に学校に、なにかしらで忙しそうにしてる。なんなら友達とかプライベートでも予定入ってることあるし。
「拗ねてるの?」
千聖さんが嬉しそうにニヤッとしていた。
「そんなことはないですけど」
拗ねてない。ツンデレとかではなくて。
「……ふふっ、そう」
あれ? なんか勝手に納得された。しかもなんとなくだけど僕が望んでない方向で。
「いやほんと拗ねてないですよ」
「そういうことにしておいてあげる」
「しておいてあげるじゃなくて、事実ですって」
「そうね」
ニコニコで微笑んでいる千聖さん。これは何を言っても言い訳としてしか捉えてもらえていないなぁ。可愛いからいっか(脳みそ色ボケ)。
色ボケしてる内にふっと気がついたことがあった。
「千聖さん、さっき『仕事は入ってなかった』って言ってたじゃないですか」
「ええ」
「じゃあ、プライベートの用事は……例えばパスパレのメンバーとかに今日遊ぼうとか、誘われなかったんですか?」
もしそうならなんか申し訳ないな、と僕は思う。千聖さんともっと一緒にいたいと思うけど、それと同じぐらい千聖さんにはパスパレのみんなやお友達と仲良くしてほしいと僕は思ってる。だからちょっと会えないのも我慢できる、多分。
「うふふっ」
「意味深な笑みは止めてください」
僕のちょっと気まずそうな顔を見てか、からかうように怪しげな微笑みを浮かべる千聖さん。
「どうだと思う?」
「質問を質問で返さないで」
あとその質問すっごい答えにくい。
「ふふっ……安心して。今日は他のみんなの予定が入ってたのよ。家族の用事、とかね。だからみんなとは別の日に集まろうってことになってるのよ」
僕をからかう様子を十分に楽しんで頂けたようで千聖さんは僕の質問に答えてくれた。うん、安心した。
「ねえ貴方はもし私が貴方と……そうね例えば彩ちゃんに誘われたとして、私にどっちを優先してほしい?」
「丸山さん」
その質問に考える必要なんてない。僕の答えは決まってる。僕以外を優先してほしいに決まっている。彼女にとって大切なことだから。
「…………」
千聖さんはなんか不満そうだけど。口を『へ』の文字みたいに歪ませている。
「……なんで自分って言わないのよ」
ちょっと怒った口調だ。
「あー……だってパスパレの活動上で必要なことかもしれないですし、そうじゃなくても友達との時間って大事だと思いますから」
そんな千聖さんに僕は圧倒されて、身体を千聖さんから逃げるように引いていた。僕の言葉は段々と小さくなっていくのは千聖さんが怖いからだ。千聖さんの能面みたいな笑みも怖いけど、こういうガチギレも怖い。……あれ? まるで千聖さんが怖いだけの人みたいだ。そんなことはないんだけど。
「……私は貴方に『自分のところに来い』って言ってほしいわ」
僕から顔を背けて、自分の頬に手を当てて、千聖さんは言った。顔色が隠れる。
ズルい。可愛い。なにそれ演技。いやどっちでもいいや。演技でもいい。喜んで騙される。本心なら舞い上がるぐらい嬉しい。演技とか本心とかとは別に千聖さん可愛い。宇宙の真理だ。
顔が熱い。顔を俯かせて額に手を当てる。
「……次から気をつけます」
「……そうして頂戴」
俯いたまま、千聖さんの顔を見ずに僕はそう言った。言葉を絞り出したともいえる。なんとか出てきた言葉だった。
一瞬だけ顔を少しだけ上げて千聖さんを見る。相変わらず僕から顔を背けていた。耳が赤かった気もする。気のせいかもしれないけど。
「…………顔、真っ赤ね」
しばらく二人して黙り込んで、その後最初に口を開いたのは千聖さんの方だった。やっぱり女優だから切り替えが早いのかな。逆に僕は引きずっていた。
「…………それは千聖さんもでしょ」
引きずってただやられっぱなしっていうのも釈然としなくて、言葉を絞り出してささやかな反撃をする。
「あら、何のことかしら」
がその反撃も千聖さんに軽くいなされて、すっとぼけられた。にこにこしながら僕を見てる。
「そういえば、さっきの年越し蕎麦」
話題を露骨に変えてきたよ、千聖さん。
「私もお義母さまのお手伝いさせてもらったのだけれど、感想は?」
「普通に美味しかったですよ」
「つまらない感想ねぇ。『千聖さんの料理、舌が蕩けそうなぐらい美味しいです』ぐらい言えないのかしら」
普通の蕎麦で流石にそれは無理でしょう。というか料理って、お手伝いって言ってたじゃんか。
「……もうっ、少しぐらい褒めてくれもいいじゃない」
千聖さんは口を尖らせる。恋する乙女みたいだ。
「褒めてほしくて、そんなこと言い出したんですか?」
「……そうよ、ニブチン」
話題を変えるだけじゃなくてそんな意図もあったみたいだ。
「また顔赤くなっちゃうけどいいの?」
僕は鎌をかけるつもりで言った。本当のところを確かめたくなって。
「………………いいわよ別に」
期待するような目で僕の顔を覗き込む。
もうすでに彼女の頬は赤く染まっていた。千聖さんは気付いているのかいないのか、僕にはわからない。
「……千聖さんの料理、美味しかったですよ。すごく」
そんな千聖さんの表情を見ながら言うのはなんだか僕まで恥ずかしくなる。ほんとこんなの恥ずかしがるような台詞じゃないのに。
「そう」
千聖さんが望んだ僕の言葉に彼女が返したのは短い言葉。でもそれだけで十分だと思う。それ以上はその表情で見せてもらったから。
僕の考えていることがわかっていたのか、すぐに顔を背けてしまう。もうちょっと見たかったのに。
「あ」
千聖さんが何かを見て声を上げる。気になって僕は彼女の視線の先を追う。そこにあったのは部屋にかけられた時計。長針は11を少し過ぎたところを指し、短針は12の近くを指していた。
「今年も、もう後少しね……」
千聖さんのその言葉はしっとりしていて、僕まで感慨深くなった。
隣に、すぐ近くに、僕のベッドの上に、千聖さんがいる。奇跡みたいだなって、一年の終わりに色々振り返って改めて思う。数年前じゃこんな綺麗で可愛い人が恋人になるだなんて想像できなかった。
「今年も色々あったわね」
そう言いつつ、千聖さんはベッドの上の僕の手をそっと握りしめる。彼女の綺麗な手に包まれる。
「まあ、色々あったみたいですね、パスパレも」
僕もそう言いつつ、その手を握りしめ返す。
「あら、パスパレだけじゃなくて貴方とも色々あったでしょう?」
「……そうでしたっけ」
「そうだったわよ」
千聖さんの握る手の力が強くなった。痛い。
「暴力反対ー」
「これは暴力じゃないわ。教育よ」
教育という名の暴力じゃん。
「というか心当たりがないんですが」
僕の記憶の中には少なくともなかったと思う。
「思い出させてあげるわよ。時間はまだまだいっぱいあるのだしね」
ひょっとして初日の出までずっとお説教タイムかな? 勘弁して……。イチャイチャタイムの方がいいです(切実)。
「でも、その前に」
千聖さんが時計をもう一度見た。僕も見る。時計は23時59分を指し示し、秒針は残り30秒を切っていた。
「ね」
「……うん」
千聖さんの言わんとすることがわかった。お説教は一度置いておいてくれるみたいだ。
手のつなぎ方が指を絡め合うような握り方に変わる。千聖さんがすすっと僕の側によって来て、肩と肩がぶつかる。
「10、9、8、7、6」
10秒前になって千聖さんが秒針を数えて読み上げる。僕も心の中で数えて呟いた。
「5、4、3、2、1――」
そしてその時が来る。時計の秒針が頂点にやってきて、全ての針が12を指し示す。千聖さんが僕の顔を見て、口を開く。僕たちはきっと予定調和の挨拶を交わし合うんだ。それがずっと続くことを僕は夢想した。
「明けましておめでとう。今年もよろしくね」
今年もお世話になりました。
2021年もどうぞよろしくお願いします。