ある正月の朝、実家の手伝いをする歌鈴に、藍子から「猫を拾った」と電話がかかってくる。
なぜ自分に? いぶかる歌鈴の前に現れたのは――




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猫を拾った日

「ね、猫ですか!?」

 道明寺歌鈴は電話口に問い返した。つい出した大声に、実家の禰宜やアルバイトの巫女が一斉に振り向き、すぐ初詣客の対応に顔の向きをなおす。賑わう表を離れ、歌鈴は林に面した廊下に楚々と歩いた。

「そう、猫……なんですよ」

 ややいいよどんで肯んじるのは高森藍子である。東京にいるはずの藍子も周りが騒がしいのか、声が近い。

「拾っちゃったから、歌鈴ちゃんに相談したくて」

「わ、わたしに? お父さんとかお母さんとかのほうが……あっ、もう飼うことに決まってるとかですか?」

「飼うのは……だいぶきびしいですね、この子は」

 藍子の声に悩みの粒子が多分に含まれていることは、それを擬似的に再現するスマートフォンのスピーカーからでもよくわかる。真面目な話であるを感じると同時に、歌鈴は首をかしげた。家にも、あるいは担当プロデューサーでもなく、なぜ自分に? 信頼は嬉しくとも疑問は募る。

「この子のことはきっと歌鈴ちゃんに訊くのがいちばんだと思ったんです。それで、いま歌鈴ちゃんのところに向かってて……たぶん」

「どういうでふかっ!?」

 丸くした目を歌鈴が白黒させるのは、あやふやな言葉を訊き返した一秒後のことだった。

「こういうことなんです」

 藍子の声が二つ、歌鈴の鼓膜を打つ。一つはスマートフォンから、もう一つは正面から。……歌鈴の実家のお社の、裏手の藪のそのなかから、東京にある自宅で正月休みを過ごしているはずの藍子が現れた。隣には軽自動車ほどの大きさの、漆黒の……つまりつやつやした黒い毛むくじゃらをともなって。

「えっ、えっと、えっと……?」

 歌鈴に指さされて、その毛むくじゃらがひと鳴きした。牙の咬み合わさる三日月の口、レモンのような目には黒い針の瞳孔。指ほどの太さのひげがピンと伸びていて……。

「ね、ネコ……」

「そう、猫というか、ネコバスです」

 歌鈴はうめいた。ネコバスはスタジオジブリの作った、アニメ映画のなかの存在のはずである。なんでとやっと絞り出した声に、藍子は答えるべきものが多すぎて眉を困らせた。

「ええと、初詣、歌鈴ちゃんのところの系列の神社がいいかなって、ちょっと遠出をしたんです。その途中でちょっと、天気がよかったから、“ん~”ってこう、伸びをしたら」

 藍子はそのときの再現をしてみせた。かかとを浮かせて、まっすぐ上げた腕の先で手のひらは正面を向いている。

「すごい風が吹いて、この子が横につけてて……」

「ネコバスが……?」

「はい、それで、この子はネコバスにしてはちっちゃいですよね?」

「たしかに……こねこバス?」

「こねこバスはもっとちっちゃいんですよ。小学生一人乗りくらい」

 歌鈴はいつだか、井の頭にあるジブリ美術館でそんなフィルムが見られると聞いたことがあったのを思い出した。おなじ課のアイドルが、吉祥寺に遊びに行ったときの土産話だったろうか。

「この子は大人二、三人乗れるくらいあるから、ネコタクシーかなって」

「あっ、それで“拾った”っていったんですか」

「えへへ、はい。手を上げて停まったのが決め手です」

 藍子がぺろりと舌を出した。ようやく歌鈴も緊張がゆるみ、ひとなつこい視線を向けてくるネコタクシーに手を差し出した。斜め上を向けた手のひらに、ネコタクシーの頬が乗せられる。短毛種とはいえ、人間よりも大きいネコタクシーである。ふつうの長毛種よりもその毛は長く、多い。その黒い毛皮をそっと撫でると、両目を弓の形にして喉をゴロゴロ鳴らす。

「かわいい……」

「顔もふかふかしてる……。すぐ乗っちゃったから、ちゃんと触るのはじめてです」

「シートもふかふかでしたか?」

「シートはもうちょっと毛足が短くて……毛布にくるまってるみたいでしたよ」

「いいなぁ~……」

 歌鈴が声をワンオクターブ上げる。ネコタクシーが目を開き、顔を上げた。歌鈴の感嘆よりはいくらか低い声で、どこか頼もしそうにして鳴く。二人に対して向けた体の側面の、窓が一つ広がった。

「乗れっていってるんですか?」

「私が乗ったときもこうでしたよ」

 やや躊躇があってから、歌鈴は広がった窓からネコタクシーに乗りこんだ。身を沈めたシートの、ベロアより毛足の長い、焦げ茶のなめらかな毛皮が巫女装束の上からも心地よい。隣に藍子も座ると、窓はもとの大きさになった。

「歌鈴ちゃんはどこか、行きたいところってありますか?」

「ええっ、い、いきなりいわれても……」

 ネコタクシーは体を震わせている。発進前にあたためているのだろうか。本物の車みたいだと、あわてる頭の片隅で歌鈴は考えた。

「そうだ、車……。むかし、二月の連休に連れてってもらった場所が」

「家族旅行ですか?」

「そうです、珍しく一泊かけてずっと南のほうに。この季節だけのすごい場所で……」

 乗り出して話しはじめた歌鈴の上半身は、次の瞬間シートにひきもどされた。ネコタクシーが走り出したのだ。

「ば、場所わかるんですかっ!?」

「わかるみたいですよ。私も、この子に乗って“どうしよう、そうだ歌鈴ちゃんなら”って思ってたらこうなっちゃいましたから」

 おだやかに笑う藍子を見ると、歌鈴は自分の不安がずいぶんと小さく思えた。もし思っていたのとちがう場所についても、藍子ちゃんと一緒ならきっと楽しい。小さく何度も頷いて、歌鈴は正面を向いた。座面に軽く握った手をそっとあたたかいものが包む。藍子の手のひらだ。歌鈴はもぞもぞと指を開いて、自分の手をひっくり返した。指と指のあいだにおたがい、ぬくもりを感じながらネコタクシーと視界をおなじくする。アニメ映画で見たように、車よりも速く地面を走り、よける木々のあいだをまっすぐに駆け抜ける。ときには瓦屋根の上をすいすいと、ときおり犬に吠えられながら。思っていたより揺れる車内で、藍子が手をつないだ理由がどうやらここにもあることを察する歌鈴であった。

「あれっ?」

 雪の山中にはいって、揺れがおさまってきた。手はつないだまま、藍子ともたれあう歌鈴は、バックミラーになにかがついてくるのを見た。その声に藍子は、“やっぱり……”と声をまじめにした。

「なにかついてきてますよね?」

「まさか、東京からずっとですか?」

 藍子は頷いた。息を呑んで、歌鈴は右の手でシートを撫でる。ネコタクシーも、どこか緊張しているような気がした。

「ちらっと見えたと思ったら木立に紛れちゃって、ううん……」

 座ったままバックミラーに背伸びして藍子がもどかしがった。その肩を歌鈴がそっと、シートに落ち着かせる。車内の揺れをふんばりながら、寒風に赤みざす藍子の耳朶に、紅を引いた唇を歌鈴は寄せた。

 

 ……ネコタクシーが足を止めたのは、静まりかえった白銀の世界だった。降り立った二人は大きい黒猫の頭を撫でて、もどりを待っていてねと微笑む。任せろとばかり大きく頷くネコタクシーから離れて、歌鈴と藍子は白い雪の上を、銀色の壁へ歩く。

 それは凍りついた滝である。およそ二七〇度の弧をえがいて、五メートルの岩肌を流れ落ちる湧水のすべてが時を止めている。銀竹は真昼の太陽を淡い虹色にして幾本も連なり、滝壺の凍ったしぶきが磨かれた水晶のようにかがやく。二人じめした氷瀑の絶景に藍子は嘆息しきりだ。その赤い頬を見る歌鈴もまた、顔をほころばせている。

 二人を氷瀑に見送ったネコタクシーは来た道を眺めていた。ずっと彼を観察していたものが来るのを、八本のもこもこの足を伸ばして緊張の面持ちで待ち受ける。雪がすべての音を吸い取ってしまったように、凍てついた沢は静かだ。真っ白く昇る息のゆくえを、気を紛らわすようにネコタクシーは見上げる。猫たちには金色に見えるという空は冴えわたり、風の音が彼の耳の毛を揺らす。正面の遠くで雪が音を吐き出した。高い木から雪の塊が落ちたのだ。はっとして、次の瞬間には左を見る。雪をしたたかに踏む音がしたのだ。彼の薄金色の視界にはただ、木立が雪をまとってさんざめくのみである。そうしてその半秒ののち、彼の視界に影が差す。待ち構えていたものが、ついに目の前に現れた。

 それはミニバスほどの三毛猫だった。ネコミニバスは厳しい視線をネコタクシーに落とし、ゆっくりと右の一番前の脚を持ち上げた。

「待って!!」

 二匹は驚いた。その巨体でほとんど飛び上がるところだった。白銀の滝壺でデートに興じているはずの二人の人間が、沢の左右から二匹のあいだに飛び出してきたのだ。ネコタクシーをかばうように両腕を広げ、その視線は勇ましい。三毛の右前脚が宙を揉んだ。街でよく見かける恰好したほうが先に口を開いた。

「あなた、この子をずっと追いかけてきてましたよね」

「この子がなにかしたんですか? 東京からずっと追いかけるほどのこと」

 ネコミニバスが三日月の口のままゆっくり頷いた。二人は眉を寄せる。

「ぶ、ぶって済むなら、私にしてください!」

「あ、藍子ちゃん……!」

 三毛の前脚がすべて雪の上についた。瞳孔も口も小さくして、あっけにとられている。藍子をさらにかばうように歌鈴が一歩進み出た、そのとき、背後でネコタクシーが鳴いた。二人の脇腹に挟まって顔をこすりつけ、頼もしげな目をしてもういちど鳴く。ネコタクシーは二人のあいだからぐいぐいと前へ出て、ネコミニバスの鼻先に緊張して立った。ネコミニバスの右前脚が上がる。二人はまた叫んで割ってはいろうとする。三色の毛の前脚は黒いふかふかの頭の上に下ろされた。とてもゆっくりと。

「あ、あれ?」

 歌鈴が間の抜けた声を出す。ネコミニバスは嬉しそうな顔で喉を鳴らすと、風とともに氷の沢から姿を消した。残されたネコタクシーは輪をかけて得意げに、高くひと鳴きする。頭の上に、一匹のネズミが乗っている。

「えっ……。ネズミを、くれたんですか?」

 藍子の言葉にネコタクシーが何度も頷く。嬉しさを顔じゅう、体じゅうからほとばしらせて。ネズミはネコタクシーの頭から、屋根の上に登った。その中央でしゃがむと、ほんのりと体を光らせる。

「まさかこれ、タクシーの提灯……」

「ひょっとして、一人前になるための試験みたいな……? 私を乗せて、ちゃんと送れるかって……?」

 いかにもそのとおり、帰りもちゃんと送ります。黒いネコタクシーの鳴き声は、そんなふうに聞こえた。

 

 

(了)




※作中のネコバスの設定は「となりのトトロ」のものとはたぶん違います。生態についてはまったく謎なので……。
※pixivにも同じものを投稿してあります。

1/2 験担ぎで否定形ナシにしたつもりが1つあったので修正しました。

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