Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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四面楚歌

スウェーデン=ノルウェー連合王国、それは本来であればそれぞれに1905年独立していたはずの存在だった。

しかし、それは日本という欧州外部からの力によって書き換えられた。

 

1809年3月、スウェーデンでは軍事クーデターが起こされ、対ナポレオンの急先鋒であった国王グスタフ4世アドルフが廃位されようとしていた。

北欧の力は既に地に落ち、バイキングの名も今は遠い昔となっていた当時、もはやナポレオンに敵対するには力が少なすぎると、軍は考えていたのだろう。

 

その時、国王派に雇われていた日本国の傭兵団の隊長浅井 鎮西将 高智(あざい ちんぜいのしょう たかあきら)を中心とする部隊は倍とも言われる軍を相手に、職業軍人という強みを生かした柔軟な戦術により、戦列歩兵というもの粉砕した。

 

機動力が勝る方が勝つと言うものを決定付けた。

これにより、廃位を免れたグスタフ4世アドルフはより一層ナポレオンに対抗すべく国を纏めた。

なお、これは日本が表で動き英国が裏で動いた最初の事象である。

 

それが、この世界でのスウェーデン=ノルウェー(以後、瑞・諾と呼称)である。

 

 

さて、時は流れドイツ帝国はこの国に対して中立でいて欲しいと、外交上の儀礼の基通達した。

ナポレオン戦争の時の一応の同盟?国のようだったから、まあその言葉に乗ってやっても良いかと考えていた矢先、1916年2月中旬事件が起きた。瑞・諾の所有する船舶を誤ってUボートが撃沈したのだ、ドイツに激震走る。

 

なぜこのような事が起きたのか、それはその船舶が英国行であったが故にである。

未だ無限潜水艦作戦が開始されていないにもかかわらず、この時の潜水艦U-87は何を血迷ったのか確認もせずに瑞・諾国旗を掲げたこの船舶を撃沈した。

 

潜水艦内部で何があったのか、それはわからないが船員の内数名に重傷者が出ていた事からヒューマンエラーが起きたのは確実である。

 

なお、攻撃を受けた船舶は英国経由スペイン行であった事から、スペイン政府の逆鱗にも触れる事となる。

 

瑞・諾政府はこの事件に対してドイツに抗議文を提出すると共に、今後如何なる軍事行動も北海・バルト海を通してのものの一切を禁止するよう求めた。これは、事実上の最後通牒である。

何故ならばドイツ海軍の存在するのは北海・バルト海である。

 

これを制限されると言うことはドイツ海軍の機能停止を意味するとこで、到底受け入れられるものではない。

事、ここに至りドイツは1916年5月下旬、瑞・諾に対して宣戦を布告。これにより同盟軍は全方面に対して戦線を抱える事となり、同盟国による勝利は絶望的なものとなる。

 

さて、間に挟まれたデンマークはたまったものではない、いつ自分がベルギーのように侵攻されるかわかったものではない。

そんな時英国が囁いた、海峡を通してくれれば我々連合を守ろう。(何をとは言ってない。)

デンマークは板挟みの中決意した、連合軍に無害通行を許可することを。

 

 

1916年6月上旬、日本軍東部戦線方面軍は部隊を、伴って一路瑞・諾へと向かっていた。

ある程度氷も溶け、ラトビアのリガから出港し、瑞のストックホルムに到着するとそこから南下する事に…

 

東部戦線は塹壕線の構築が完了し、いつでも攻勢を開始できるようブルシーロフが着任した。

日本軍が抜けた穴を、彼は巧く補填出来るかは神のみぞ知るものだろうが、あそこから押されるようではいずれ国として崩壊するのは、明らかだ。

 

日本軍はそれに任せ、デンマークへと上陸する。始め彼等からは奇異の目で見られる。

なんせ英国が来るとずっと思っていたところに東洋人が現れたのだから、期待はずれか?と

 

大規模な軍団の移動のようだから一見すればドイツに気取られる筈だった、だがイギリスはやってくれた。

ドイツ軍に侵攻を誘発させた、既に戦線の後退が見られたドイツ軍は勝利を欲し、ヴェルダンへと戦力を集中させた。

 

その間、ドイツ諜報部隊は西部戦線へと目線を逸らされ日本軍の監視が空いたのだ。

冬と春の間のバルト海を抜けるのはそれは容易な事ではなく、普通であれば通らない。

そこを強行することで、ドイツは気付かぬまま遂にデンマークとドイツの国境線に日本軍は到達する。少ない防衛戦力、塹壕すらないそこは柔らかい腹部だ。

 

そこで日本軍は全周波数に向け“タマネギ”と信号を打った。

6月下旬、その大攻勢は始まる。作戦名は『皮を剥く』である。

 

攻勢前

 

【挿絵表示】

 

 

 

ヴェルダンで戦闘を行っていたドイツ軍にある一報が届いた。イギリス軍がベルギー・ヘントに於いて攻勢を、開始したと言う情報だ。まさかの2正面戦闘にドイツ軍はしてやられたと、現在ベルギー方面は手薄となっている、そこを突かれれば戦線は一気に崩壊する危険があるのだと。

 

ヴェルダンでの攻勢はそこで止まり、急ぎヘントへと一部部隊を、向かわせる。 

そこでドイツ本国へとまた一報だ、東部戦線に置いてルーマニアが宣戦を布告同時攻撃によってブルガリアがギリシャからの背後を突かれた形で危機に瀕していると、またロシア軍が一大攻勢を仕掛けてきた。

 

後方の予備兵力を使いなんとか抑えようと試みるも、更にイタリア方面からの突き上げが始まり、そして中立国であるデンマーク国境から日本軍が姿を表したと。

絶望的であろうなんと5正面での防衛戦だ、もう兵力が足りない。

 

唯一の救いはこの時の日本軍はデンマーク国境線から30km地点で止まり防衛線を構築しつつオランダを目指した事だろう、救いであるかはわからないが、それでも西海岸に出られるのは不味い事は確かだ。そんな中、オランダで親ドイツ派によるクーデターが起き、分割された。

海岸線を砲撃する艦艇はみなドック入りしている為に、まともに止めるすべはない。

 

 

一体何があったか、ユトランド沖海戦である。

 

これは史実より少し早い5月20日〜21日に掛けて行われた。経過は史実通りであったが、途中日本軍欧州派遣艦隊がドイツ艦隊を、挟み込むように現れた。

30.5cm砲で強力な防御を破ることは難しいものの、ドイツ艦隊の悉くが艦上構造物がグチャグチャとなる。だが沈む事はなかった、貫徹力が足りなかった為であろう。ただ一隻ケーニヒ級ケーニヒが、日本軍からの過激な砲火を浴び爆沈する。

 

結局反航戦であったが故に、そのまま双方離脱したもののこの戦いでドイツ艦艇は皆ドック入りし、その後の戦闘で姿を表すことはない。海上封鎖された海軍は、要塞化された海峡を突破出来なかったからだ。

 

その結果西部戦線のドイツ軍の後方に突如として出現した日本軍は、後方からドイツ軍を脅かす。

直接的な戦闘を行わずとも西部戦線を締め上げるには十分すぎる。尚かつ、ベルギーやオランダ内部の反独組織の抵抗が表面化すると、ベルギー方面の補給が途切れる。

西部戦線は混迷の中、連合有利へと傾く。

 

そして1916年、10月攻勢は終了し戦線は再び膠着するものの、同盟軍は虚を突かれた形で、戦力の凡そ10%を損失する。 

更に戦闘機による優位もこの時には既になく、連合もプロペラ同調装置付きの機体でドイツ機を落としている。

それでも戦いを辞めないのは異常なものだが、時代を考えると当然なのかもしれない。オスマン帝国は遂に孤立し、戦線が崩壊し始める。

 

攻勢後

 

【挿絵表示】

 

 

1916年11月欧州でそんな事をしている時、日本海軍の第二次欧州派遣艦隊が米国から兵員を満載した輸送艦と共に、英国へと到達する。今まで戦線に立っていなかったと言う事から、オランダ方面に配備される彼らを待っていたのは、夢のような英雄譚ではなく、機関銃陣地に突っ込んでくる白人を機関銃で薙ぎ払う、東洋人による殺戮現場である。

 

中には発狂するものもいたが、そういう奴は問答無用に足の指を骨を折られる(比喩に非ず)

発狂したものは屍よりも面倒であるから、不名誉除隊にするのが望ましい。首を刈られなかっただけ温情であろう(未だに残っている文化。)

後にこの事から再び日米関係は冷え込む事となる。

 

 

第二次欧州派遣艦隊陣容

 

石見型4隻

 

夕張型6隻

 

峰風型15隻

 

もはや艦隊戦が起こることは無いかもしれないが、それでもこの艦隊の到着は同盟軍にさらなる不利をもたらす。

しかし、最後の艦隊戦と呼ばれることとなるボーンホルム島沖海戦で、第一次、第二次派遣艦隊は活躍することとなる。

 

 

 




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