Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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皆様お気付きであると思いますが、私は一度も航空母艦に対して言及していない事に。


軍縮と改造

各国要人が永世中立国であるスイスジュネーブにある、パレ・ウィルソンに集結する。

英国の発案である国際的な平和維持を目的とした、組織を設立するために集められたのだ。

 

1921年代1月10に設立されたこの組織は、史実よりも日英の協調があったが為に、史実から一年遅れたこの日に設立された。

この組織の加盟国は国際的に認められた唯一の国である、それ以外は国ではないと、された。

 

同地にはソ連とその周辺に位置する防共条約機構の国々も参加し、日英の属国となっている地域からも参加する者たちがあった。

最初の加盟国、その数は54ヶ国。英国の連邦構成国や、フランスの構成国はカウントされず、純粋な独立国である。(片側斜線の国は、独立国であるがその国の経済勢力圏にある国。)

 

第一回に開かれた会合に出席した国は、多かれ少なかれ領土問題を抱えている。

永世中立国であるスイスが議長国となり、各国の領土がこの時初めて明文化され、それが公式のものとなった。

 

勝手な拡張が不可能となった事に様々な国が疑問を持ったが、これが世界で初めて秩序立った会議となった。

この時の首席者達の並んだ写真は、当時の国々の関係を非常にわかり易く示した物と言われている。

 

この時ソヴィエトは防共条約機構の国々の事を認めることは出来ず、断固抗議すると発言するが、そもそもソヴィエトはロシアの後継に非ずという意見が大部分を締め、ロマノヴァ大公国の存在がそれを後押しすることとなった。

 

 

 

さて、そんな会合が終わると次に軍縮、特に問題視されたのは海軍の軍縮であった。

各国は、大戦の折り大量の戦闘艦を保有し特に戦艦という存在が財政を圧迫している状態になりつつあった。そこで、英国が海軍を保有する国家に、相応の国力と必要数の概算による保有枠を決定することを提案する。

 

もっとも、大型艦艇である戦艦。その次たる戦力となる巡洋艦に対するその条約は日本の長門型戦艦に対する一つの対策と影で言われた。

それもそうだろう、既存艦艇よりも強いものを量産された場合、海戦において圧倒的な力を誇示させることになる。

如何に友好国といえど、それは許容範囲を超えていた。

 

日英は、広大な範囲を取得しているためにそれ相応の数が必要と言うと、

保有枠

日英:50万

米:30万t

仏伊17万5000トン

 

基準排水量3万6000t以内

 

5:5:3:1.67:1.67(英 日 米 仏 伊)

 

とされこの時米国は猛反発したという。『なぜ、日英のみあれほどの保有数なのか』と。理由は単純で、広大な海域を保有しているからというものだった。また、英国は新規に16インチ砲の建造を開始するも、米国にそれは許されなかった。

 

何故ならば新規建造した38糎砲戦艦が、既に保有枠一杯であったためである。

それでもと言い続けるも、世界大戦の後のインフルエンザ蔓延の責任を取れるのならば一向に構わない。と英国に言われれば黙る他なかった。

 

日本は、旧式戦艦を全て廃艦とし薩摩型戦艦以前のものは、その姿を消すことになる。巡洋艦もまた、装甲巡洋艦のほぼ全てをスクラップや標的艦に割り当てられた。

 

だが、この時英国は日本の考えを甘く見ていた。

彼等は、『戦艦の事など別にどうでも良い』かのように直ぐに条約を受け入れていた。彼等は密かに航空機の大規模運用を目的とした艦艇の建造を開始していたのだ。寧ろ長門型は、その隠匿に使われたものとも知らずに、戦争に対して彼等は過剰なほどに心配症である事を。

 

海軍軍縮は思った以上に日本と英国の大勝利で終わる。英国は、難しい相手の力を制限することが出来た事に、日本は誤魔化しきれた事に。

後日日本へ監視団が訪れたとき、やけに平らな甲板を持った艦艇が目に止まるが、それが何なのかその時は解らず仕舞いに終わる。

 

 

 

さて、軍縮は世界的潮流となり、陸軍もまた軍縮を始める。

人員の削減というのは非常に難しいもので、これまでの人数の凡そ8割とするとしても、30万の無職者が出てしまう。

これではいけないと考えるに、一つの結論が出る。

 

また、軍隊の経験からそのまま運動学校(後の体育大学)等の学校を設立するものや、横の人脈により多種多様な営業活動を行うものなど、それぞれの能力に相応しい企業を設立していった。

だが、開拓団に行く者たちが半数を超える。北部地域やロマノヴァ大公国に移住するもの、中東等で新たに石油開発を進める者たちが現れる。

 

そんな中、幾十人の者たちが集まり要人警護を行う、雇われ者の会社が設立される。民間軍事会社の設立であった。1年内に凡そ2百人程の就職先となるこれは、一大事業を展開していくことになる。

 

軍は人員の削減を行った反面、新規に兵器の導入を開始する。もっとも、旧式となった戦車の売却や戦車に排土板を取り付けた車両を導入したりなど、減った人員に対する機械化が顕著になる。

際立ったのが、後に自動小銃と呼ばれる分類の銃であろう。

 

塹壕戦の経験から得たのは、ライフル銃の取り回しの悪さと自動拳銃の意外な活躍があり、ライフル並の威力と塹壕での取り回しやすいような大きさと、連射能力を付与されたそれは時代を先取りしたものだろう。もっとも、フルサイズライフル弾であるためバトルライフルに類別されるだろう。

 

八十二式自動小銃

 

【挿絵表示】

 

 

これのコンペティションに破れた

八十二式短機関銃

 

【挿絵表示】

 

こいつは戦車兵等に好まれるようになる。また民間軍事会社は好んでこれを使用した。

 

 

 

さて、日本は兼ねてからの計画通りに鉄道網と道路網の構築に力を入れていくことになる。

日本の国土は非常に広いため、正直車だけで経済を回すのはとてもではないが不可能で、多様な方向へと力を加えなければならない。

 

幸いにして海軍の金が浮いたので、早速それの一部を転用して鉄道の整備に着手した。

樺太海峡大橋の建設から始まったこの一大プロジェクトは、最終的にはユーラシア・北アメリカ貫通トンネルの開通をもって完了するまでの一大プロジェクトとなる。(凡そ80年かかった)

 

既存路線と新規路線

 

 

【挿絵表示】

 

 

車両の電化は思ったよりは進んでいるがまだまだ北部の地域、即ちアリューシャン列島や極北等の極寒地ではまだまだ蒸気機関が主流である。寒さに耐えきれないからだ。

 

そんな中でも弾丸列車構想というものが浮上する。時速200kmを超す、この列車を作るにはまだまだ時間がかかるし、

第一空気力学がまだまだ未熟な時代、列車が浮上して脱線なんてことになったら、それこそ恥である。

 

また、道路網の構築も同様に進んでいくが朝鮮と満洲の間がネックとなっている。

清を潰すのは簡単なことだが、もし他国に介入されれば最悪の場合フランスとの戦争や米国との戦争に成りかねず、負ける事はないがそれでも苦しい戦いになるのは明らかだ。

 

であるならば、地道に内部から切り崩して行くほかなく長い時間を掛けることに苛立たしい事となった。

だが後に朗報が届く。1923年頃に清は滅びるからだ。それまで煮え湯を飲まされた感覚を持っていた日本は、直ぐ様一つの軍閥を支援しそれ等は独立国を建国するが、それはまた別の話である。

 

1921年11月初旬、この日日本で初めて歩行者用信号機が点灯した。今まで、1896年車両用信号機を導入して27年経ち、自動車事故が多発したのが原因である。

また、退役軍人の増加により車両の保有数が1000万台を突破していた。

 

道路はもともと馬車が通るために広くは造られていたが、それでも車に対しての広さとはまた違い、速度を出してのカーブは非常に危険である。

そこで、自動車に対する免許制度が始まる。結果として事故発生率は10年間で5割減するもそれでも多い。

道路交通法の改正が凡そ15年間ぶりに行われた。

 

 




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百尺規制のビル郡ってなんか美しくありませんか?

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