Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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東欧戦役3

征西大将軍記

 

1939年11月5日

 

征西派遣軍の司令部は蜂の巣をつついたような状態となっていた。

この事態は想定の範囲内というべきであるが、もう少し後だと考えていただけに私の思考を上回る事態となったのだ。

 

本国との距離は程遠く、補給線は確実に断たれた。勿論中東方面からの支援物資が期待されているが、それもそれ程多くはないぞ。何よりアフリカは仏の領土、どんなにもがいても英仏の戦闘は避けられない。

 

よってそちらの方にも中東の物資を送らなければならないから、私の事務仕事は増える。

一応こちらの人間を司令官として任命し、防衛に当たるだろうが些か地の知が足りぬだろうから、防衛部隊も動員せざる負えないだろう。

 

ちょうど近くにはインドが存在する為に、補給には事欠かない筈だが非常に不安だ。

 

 

11月6日

 

インドへの通信が何者かによって妨害されている。電話回線が最も安全で確実であっただけに、これは嫌なものだ。そう思っていたのだが、偵察機によると電信が途中で木で切断されているようだ。これは、事故か。

 

 

 

11月7日 

 

航空機による伝令を採用した、どうやらイランで反政府勢力による戦闘が勃発しているようだ。なるほど、その為に電信が破壊されたのか。

モールスは傍受される可能性が高く、また暗号を使用しようにも共有の暗号を決めていないために、使いようがない。

一応の為に29冊のブリタニカを送っておこう。

 

 

 

11月9日

 

さて、暗号として機能させたのは良いが、どうやってここまで運んで来るか、それが問題だ。果たしてイラン政府が無害通航を許可してくれるだろうか?

それと、最近ソ連軍に動きが無い。

こちら側への攻勢を辞め、どうやら北部から潰す魂胆のようだ。我々に北欧を助ける術はない。

 

 

11月15日

 

どの戦線も膠着状態、前進すること叶わず。計画通りといえばそうだが、如何せん弾薬の消費が激しすぎる。東欧各国との武器の規格の違いがここで足枷になろうとは、やはり同盟は同盟で規格を統一せねばならん。

 

それとやっとインドからの補給物資が出立したと言う報告が入った。各戦線での弾薬量は、残り約半数か。機関銃の発射レートの低下とより精密な砲撃で対応しなければならない。

幸いなことか、我々は防戦一辺倒で相手する。消耗は向こうの方が遥かに多いさ、一つの戦線で見れば我々の方が少ないが全ての戦線では我々の方が多い。

 

 

11月26日

 

補給部隊の第一陣が到着した、しかし戦車等の車両や航空機の部品だけは存在しないのだ。共食い整備が続くか。人員に対しては

出来得る限り損耗しないようにと、最大限努力しているが些か敵の数も多い。最も、冬も本番に入る。数日中にも敵の補給路は凍り付いて、砲撃が緩やかになるだろう。

 

 

12月6日

 

やはり零下の中の戦闘は敵にもこちらにも戦闘意欲を削ぐには十分過ぎるものであった。

これに伴い攻勢準備の一貫として、とあるものの完成がこの日成った。

 

八木式1号無線受映器と八木式映像受信機、航空機搭載用の八木式映像発信機だ。私個人として受映器での映像を見るのは初めてであったが、どうしてこれはとても良いものだ。

偵察機からの即時の戦況確認が出来ると言うのは、革新的なものだ。これで、作戦の立案がどれ程楽になることか。

百聞は一見に如かずと言うが、正しくこれこそその言葉の通りに扱えるものだろう!

 

 

12月13日

 

フィンランド方面からの定期連絡があった。どうやらソ連の攻勢を押し込む事に成功したらしい。

ロマノヴァが密かに軍事技術である対戦車車両を、我々の許可なく輸出していたのが功を奏したのだろう。黙認していた者としては、まあ良かったと思うが少し複雑なところだ。

 

だが、安心している場合ではない。ポーランド方面は最悪な事になっているようだ。何があったのだろうか、第3防衛線であるヴィスワ川まで後退するはめになっている。情報が錯綜している今、我々に確認するすべはないが恐らくドイツ主力部隊の半数が仏方面へと引き抜かれた事が大きくなっているのだろう。

 

だが、反攻は可能だろう。計らずも戦場の形は鶴翼の陣となっている。今こそ反撃の時か?だが、我々にある物資は後2度攻勢を掛ければ無くなってしまう、やるのなら博打打ちにならねばならぬ。

ロマノヴァが宣戦布告しないのは、何か理由があるのだろうか?

あの国が戦線を構築してくれれば、確実にこちらの有利に事が運ぶのだが。

 

 

12月23日

 

インドとこちらを結ぶイランの補給線。軌道によって繋がっているそこに、どうやらソ連?いや、米国の工作員による破壊工作があったようだ。これは、もはや戦争行為に他ならないがこれを本国に届けるには相当の時間がかかるだろう。

 

証拠も調査をする筈の国際組織が機能していないのだから、しらばっくれる相手をどうすることも出来やしないさ。しかし、米国か。もしも、あの国が我々の国に戦線を布告した場合苦しい戦いになるのは目に見えている。

 

生駒、彼奴ならば上手く戦うだろう。もっとも軍人の数が足りるか解らぬが。

 

 

12月31日

 

大晦日のこの日いい情報が入った。

本国が遂に蘭印を降伏させたようだ、これで滞っていた物資も入ってくる。この二月の間、英国に対する借款が出来てしまったからそれを払ってくれるだろう。

 

それにしてもたった二月で終わらせるとは、南方はそれ程までに戦力が少なかったのか?まあ、これで補給線も安泰だ物資が来るまで二週間、耐えてみせねばな。あぁ汁粉が飲みたい。

 

 

 

 

1998年

コーカサス方面(日本名東欧戦役)は、戦史上意外な程に文章での記録が少ない。

少ない理由として上げられるのは、映像として記録に残されたものが大半であったと言うところだろう。

まだまだ、フィルムもどれ程の年月で劣化していくなど考え付いていないそんな時代、恐らくはフィルム万能論によってそれは行われた。それが俗説だ。

 

私はそれに疑問を投げかけたい。最近発見された様々な手記、公にされた記録と共に見えてきたのは、征西第将軍等の大将軍達。

私は五大将軍と呼んでいますが、これ等の大将軍達は前大戦後もずっと秘匿されていたと言うのが、最も大きな鍵だと考えています。

 

彼等は、たった5人だけ選抜された各方面の軍事に対する最高責任者。言うなれば征夷大将軍と同じような役目を持っていた、そう記されています。

ですが、彼等は秘密裏に選抜されているため記述に名が残る事は殆どありません。

 

唯一私の高祖父は、戦前から名を多くの者たちに知られていた、所謂英雄と言われるそんな存在です。

ですが、高祖父はそれを隠れ蓑に使っていたようである。態々自分名義で命令文を出しては、その文章中にあえて別の暗号をいれる程に。

 

五大将軍にはどうやら手記を書かせると言う記録のされ方がされており、これ以外では記録されていないのだ。

殆どの戦闘が彼等の提案によって行われていたようだが、名義は全くの別人からだとか大本営からとかになっている。

 

今はまだこれらに対するこの考え方は推論の息を出ないものだが、いずれそれらに対する解答が出てくるだろう。

私は高祖父と言う一つの証拠を持っているのだから。

 

 

と、ここまで書いていて思った。これでは論文ではない、何かしらの出版物で何よりすごく痛いのだ。

書き直しだとそう思ったとき、ふと高祖父の墓に行ったことが無いことに気がついてしまった。

 

凄い人だったのだろうから、きっと墓もすごいに違い無いとそう思っていたのだが、大伯父曰く「骨は遺言どおりに海に撒いた」そう言われた。

どうやら、墓というものには酷く無頓着だったようだ。それと同時に遺言で燃やしてほしいと言われたものがある事を、思い出したようだ。数日後それを見せてもらう約束を取付けた。




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