Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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軌道を回せば

海軍が新型戦艦について話をしている時を同じくして、陸軍もまた新しき兵器を考えていた。

旅順要塞や、トーチカへの接近の際に塹壕を掘り進めていたのだが、やはり歩兵への直接支援火力は迫撃砲だけでは足りたものではない。

 

だが、野砲を前面に持って来ようにも榴弾砲の雨霰の中前に出れば、目立つ野砲はかえって的になり死者を増やすこと必至。

特に機関銃の最大射程と野砲の有効射程は被っているために、野砲は流れ弾でさえ被害を被るだろう。

 

そこで、移動しながら尚且装甲を保有した車両の開発が急務となった。また、迅速な展開を視野に入れていた騎兵科も、この開発に参画する事となり、機動力主体の騎兵科。攻撃防御力主体の歩兵科とで棲み分けが行われる。

更にそこに砲兵化が載っかると言う、じゃあもう全兵科で共同研究しようぜ!が始まった。

 

最初は輜重科が保有していた33年式輜重貨車を素体に、装甲を施したり砲を取り付けようとしていたのだが、巨体の割に被弾に滅法弱いと言う弱点が発覚してしまう。

砲兵は牽引車として使用したことがあるからこそ、同じようなものを欲していたが如何せん機動力が無い。

 

更に車輪が巨大であるため、少しでも何か棒のようなものが挟まれば進まなくなってしまう。

確かに輜重科には向いているが、道なき道を突き進む歩兵科や騎兵科には向かない。砲兵科には向いているかもしれないが、なお輜重科は、新式の貨車を導入した。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

砲兵科もそれに右を習えで、この車両を導入する。重砲を牽引するには丁度良いと考えたのだろう、実際速度が早すぎればサスペンションの無い重砲はバラバラになってしまう。主に車軸の関係上だが。

機動力が求められる野砲は、そうも行かないようだ。

 

歩兵科と随伴出来て、野砲も牽引していけ尚且、騎兵での運用も可能な車両…そんなの無理だ。塹壕や不整地を突破出来る車両なんか、第一車輪では輜重科だとかなら良いけれど接地圧が大きすぎる。どうしても塹壕の前では泥濘んでしまう。

 

いっその事、線路でも引ければ別なのに。そんな一言を言うと、誰かが言った

『どこかで無限軌道とかってありませんでしたか?』

誰が言ったかわからぬその言葉、一同は無限軌道?と言う具合だったが、やって見る価値はありますぜ!

 

といった具合に、開発を始めた。何よりまずは無限軌道からだったと、1から始める道は困難を極めた。

まず、どういうものなのかといったところだ、実はこの国に無限軌道は入ってきていなかった。

 

現実問題、そもそも無限軌道を使う場面に一度たりとも遭遇するような事もなかったのだ、仕方ないと言えば仕方ないが誰か考えつかなかったのだろうか?

海外から写真を取り寄せて、見よう見真似で作っていくが、最初のうちは上手くことが進まない。

 

ある時誰かが鎧兜を見てひらめいた、穴を開けて格子状にすれば強度が上がるのではないか?と。

早速やって見れば、なる程砂地や泥にも容易に食い込み尚且、太めの格子は車重を支えるのに十二分に機能している。

 

やったやったと手を上げて喜ぶも、速度が出ないし曲がるのも一苦労。

だったらと、片側だけしか動かないようにしようと試行錯誤を行い、試験に次ぐ試験。

 

いつの間にかエンジンも変わり果て、最初の設計からは思いつかない程に洗練されていく。

ただ、そこで思わぬものにぶち当たった。

現在の車体では野砲を搭載したとき、どうも容積が足りないのだ。

 

じゃあどうするかと、だったら新しい小型の砲を作るしかない、どうせ塹壕やトーチカを破壊するのだから、75ミリも大きさはいらない37ミリあれば良い。

そこで、低反動の小さな砲が作られた。

42式37ミリ戦車砲である。

 

最終試験は多くの観衆が見守る中行われた。

小さくもそれなりの火力を持った小型の砲を携えて、無限軌道を備えたそれは起伏が多い大地を駆け回る。

その姿は、まるで庭で駆け回る犬のごとし威圧感はあまり無いが、鉄の塊が走ってくれば基本は人は逃げようとするだろう。

 

それが、停車してトーチカの眼の前で砲を撃てば見事に貫通するではないか。

拍手喝采、更にその車両は野砲を牽引して前へと進み相応の運搬能力を見せつけた。

因みに元号が変わったその年にお披露目となった、また兵器類はこの年から皇暦で表記される事となった。

73式装甲戦闘車

 

 

【挿絵表示】

 

 

さて、この車両の武装は取り外し可能なものだ。万が一故障した場合を想定している、要するに機械的な信頼性が良くわかっていなかった。なにせ世界で初めての戦車なのだから。

しかもまだまだ生産ラインが整っていない、良くて月産8両程度であろう、主に金の問題で。

 

数が20両ほどまでなったとき、これらを使用した新たな戦術の研究がスタートした。

騎兵科はこれの機関銃タイプを配備したが、結局歩兵科との連携をせねばならず次第に歩兵科と騎兵科の枠が曖昧になっていく。

 

もうそれならばと、騎兵科は廃止となり変りに機械科と言うものが産まれる。

騎兵科の財政をそのままに、更に歩兵科の取り分と砲兵科の野砲部隊との連携を主眼に置いた混成部隊。

より効果的に、より安く済むようにするにはそれしか方法がなかった。

 

更に言えば、機密保持の観点からこの車両は海外に輸出されることはなく、紛争地帯への小規模な傭兵の派遣には、装甲車両としては対外的に存在していないようになっている。

その代わりと言っては何であるが、対戦車砲を歩兵火器に組み込み、歩兵自体の火力を底上げした。

 

機関銃をも配備され、もはやただの傭兵ではない。更に言えば、ここまで言ったら設備費用もばかにならない、従って傭兵と言っても使い潰せない。雇い主は殆どいないであろう。

 

因みに機関銃は当時採用していたオチキス式のものを独自に発展改良されたものである。いわゆる44年式機関銃作動機構はホッパー給弾である。

 

 

さて、無限軌道軌道の研究がかなり進んでいく中で、これを民間に転用出来るのでは?と考えつくものだろう、実際これらのアイデアを元に企業し、日本のモータリゼーションを加速させていった奴等がいた。

 

最初に参入したのは、あの陸軍初の自動貨車を納入した会社であった。

道路に土砂を入れる際、それまで人の手を使って土を薄く伸ばしていたものを、排土板を取り付けた車両によって作業する。

というものを取り入れさせた。

 

この会社は後にこういったインフラ整備用の車両で、大々的に発展していく。機械式ショベルが、この会社の代名詞とでも言えるであろう。

33式で発展した牽引用の巻取り機が強く発展に寄与した形だ。

(この時代にユンボだとか油圧式ショベルカーは存在しない。初期型が出来るのは1914年頃で、実用に耐えうるものでは戦後1940年代まで待たねばならない。)

 

ワイヤーを使用する車両型のクレーンもこの頃独自に開発し、土木建築の世界はこれによりある程度余裕と、より大きな建築物の建築が行われていく。

 

戦後の国内整備計画に基づき、幹線道路の確順が求められている。特に内陸部との連絡道路の整備は急務であるから、これらの機械は大いに役立つであろう。

 

それに触発された者たちもいる、国内の輸送を行っている鉄道各社だ。

国の後押しで行われているそれを見て、危機感を覚えていたのだ。このままでは、我々は取り残されるのではないか?と。

 

実際その可能性が高いのだから、焦りもわかる。特に鉄道省、その隷下の国営企業たる東海道幹線や東北道幹線等は、競争する気である。地方に分配された力を結集し、車両開発を加速させ、より安全で早く到着するためにはどうすれば良いか、考え始める。

 

それを横で見ていた船舶事業もまた、同じように焦りだす。

 

日本国内は内需で成り立つ、傭兵の国は傭兵で金を稼がない。

だが、それも数年間の話で直ぐに戦争が始まった。それも、それまで誰も体験した事のないほど、大規模なものが。

 

欧州大戦の幕開けである。




世界地図を検討中、この世界の日本の勢力図を載せてあります。

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