Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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フロリダその勃興

フロリダ民主共和国とは何なのか、それは1945年の米国降伏時に遡る。

当時フロリダには、多くの避難民達が北アメリカ中部から押し寄せてきていた。

 

彼等は基本的に、日本軍の手によって土地を奪われたり農地を荒らされたりした人達だ。

戦略物資である食糧を、米国の手に渡らせない為にも農場そのものを焼き払うそんな手を実行したりしていた。特に反抗的な者達には見せしめのように、断固たる決意で行ったという。

 

その被害者たちは日本軍から逃げるように北米大陸東海岸に集結するが、そこに待っていたのは食べ物もなく痩せこけた人々、住む場所すら存在せず雨ざらしとなった家具。

テントの群れがそこかしこに点在し、疫病が蔓延する一歩手前にまで行った景色。

すべてが高祖父の計略のうちの一つであるが、所謂兵糧攻めを国単位でされた。

 

まともな土地も無いのに、逃げた人々はどうにかして食べ物にあり着こうと必死に移動を続け、米国では比較的にマシな部類であったフロリダに自然と集まっていったようだ。

 

フロリダがどうしてマシであったのか、それは亜熱帯の気候から授けられる。砂糖や柑橘系の果物、そして豊富なスイートポテトの栽培である。日本で言う薩摩芋がこの地に大量に植えられたのは、飢えから逃げるためであった。

 

商品作物だけで飢えを凌ぐことは出来ない、そして気候からか小麦は育ち辛い。稲作はノウハウが無い、そこで目をつけられたのが当時世界的に広く知られていたこの薩摩芋だ。

その亜熱帯から来るそれは、休む間もなく栽培されていき民衆の腹を満たす。

かつてスイーツとして食べられていたものが、ここに来て主食となったことは何たる皮肉か。

 

それでもなお、戦争が終盤に差し掛かると次に目をつけられるのは自分たちではないかと、内心ビクビクと彼等は過ごす。当たり前だろう、同じことが起きる可能性は充分あるのだ。

 

そして、それは違う意味でそれを証明した。米国東海岸とフロリダを繋ぐ弱々しい鉄道路線というインフラが爆撃の為使用不可となり、米国東海岸州に食糧を送ることが出来なくなってしまった。

 

これでフロリダは完全に孤立した。

幸いな事か、食料だけに困ることは無い何せそこら中に植えてあるのだ、肥沃な土地は民衆を潤し米国への忠誠心や帰属意識よりもより優先すべき、家族を守るようになる。

 

戦争も終わり頃、英国軍がメキシコ湾から上陸してきた。そこでの州知事の判断がフロリダを米国からの独立へといざなった。

知事は徹底抗戦を表明したが、それに反抗する勢力。いや、大多数の民衆によって吊るし上げられ、英国軍が作戦を開始する頃には、反乱軍の旗がはためいていたという。

 

それが、フロリダ民主共和国の始まりだ。

 

 

戦争が集結した頃、その暫定政権はアメリカ共和国と合併する話が出たが、独裁主義的な政治理念と自由民主的な思想とが相容れることはなく、また英国の意向の元2つの国が東海岸に短期間存在した。

 

食料自給率の非常に高いフロリダはその生産能力を背景に、米国の南部の人間に働きかけ、自分たちの側へと来ないかと耳障りの良い事を言いながら吹聴していく。

終戦直後の米東海岸の人たちはその言葉に耳を傾ける者達が比較的に多く、それがさらなる軋轢を生むきっかけとなった。

 

食料を分け与える変わりに自らに従うよう働きかけるフロリダに、ジョージアとサウスカロライナが同調しアメリカ共和国からの鞍替えをしようとする。

流石にそれを見てみぬするほど、米国は臆病でもないが当時の米国は実際かなり困窮していた。

 

止めようにも、止められるだけの食料を確保することすらままならない状況であるのだ。

そこで、当時のアメリカ共和国首相、ダグラス・マッカーサーは日本国の援助と引き換えに、向こう99年間のニューヨーク租借を宣言する。

荒廃したニューヨーク等、当時の米国にはいらぬもの日本国はそれを承諾し、食料と武器弾薬を格安で米国に売却する。

 

それに呼応するかのようにフロリダ民主共和国には、英国からのお下がりの武器弾薬が供与され、ジョージア、サウスカロライナの民兵及び州軍に配備され一触即発となる。

 

再軍備を始めたばかりの米国は、退役軍人を中心とした全く新しい組織、国防軍の設立が始まったばかり。

慣れない日本製の武器、弾薬の共通化のできていないかつての自国の余った大量の備蓄弾薬。

それらを処分しながらも、彼等は少しずつ力を蓄えていく。

 

それに対して、戦中英国の進駐を快く受け入れた彼らには非常に深く英国の武器が根付き、よく言えば慣れたもの。

悪く言えば、その姿は英国軍そのものであり軍事顧問ですら派遣する英国に、その司令部は完全に頼りきった。

それでも、当時の米国軍にしてみれば非常に強大な敵であったことは違いない。

 

だがいに互いがいがみ合い、サウスカロライナ国境線でその事件は起きた。どちら側が先に撃ったのか未だにわかることはない。

(私見であるが欧州連合が起こした可能性がある)

一発の銃声により凶弾に倒れた少年の名を取りカルロ紛争が始まった。

1950年、世界最初の日英代理戦争の開戦である。

 

 

 

 

 




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