Mercenary Imperial Japan   作:丸亀導師

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東部戦線集結

第一次世界大戦序盤ドイツはシュリーフェン・プランのもとベルギーへ侵攻を開始、計画通りに事が進むと思われた。

しかし、ベルギー軍の思わぬ抵抗の為に初手から計画は躓いた。結局2個軍団を反抗勢力に向けなければならず、ドイツ軍右翼は疲弊した姿でフランス国境線へと現れた。

 

イギリスはその間にベルギーの中立を保護するためロンドン条約に従って行動を開始、ドイツ宰相は紙切れ一枚と嘲笑するも、イギリスはドイツに対して宣戦を布告、日本に対しても参戦を求めるも『まずは近場から、絶対にトルコとの戦端は開かないこと、』を条件にトルコ以外のドイツ並びに同盟国に対して宣戦を布告。

 

同日日本軍は、直ぐ様青島へ軍を派遣。海軍は小型艦艇のみとなったドイツ海軍を撃破後、陸軍の揚陸を支援しつつ海上からの砲撃を実行する。陸軍は日露戦争での損害を考慮に念には念を入れる周到な火力を揃え、航空機による偵察や敵機への対空戦闘を行う。

 

練りに練った対要塞戦用の戦術である浸透戦術を実行に移す。これにより、短期に損害を少なく効率的に敵を屠り、一月の内に青島は陥落した。

この戦闘には73式装甲戦闘車が、投入され歩兵への直接的火力支援、高機動による包囲前線の急激な縮小にドイツ軍は対応すら満足に行かず降伏した。1914年10月31日〜11月2日という短期間での攻略である。

 

 

黒色の部分がドイツ領域

 

【挿絵表示】

 

 

 

青島攻略後、日本帝国は満洲鉄道を利用してロシアに対して支援を、開始する。極東方面からロシアに送られるものは主に食べ物であったが、ロシアにとってはこの上ないものとなる。

冬場に移行しようとしている中、食料の備蓄が少ないものとなっていた為か、この時点でロシアは備蓄を決めた。

 

日本軍は、食料を満載させた車両が発信後12月16日満洲からモスクワまで列車での旅となる。

日本帝国が用立てた車両はE形51の蒸気機関車、当時最も馬力があり、その巡航速度は80km/hに達していた。

それを2両編成で連結しおおよそ10万の兵力を輸送した、数日に渡る車両での移動は非常に退屈であった。

また、寝台の台数が足りず椅子等に雑魚寝するものもいたという。この事から戦後弾丸列車構想が現れる。

将棋などのボードゲームを簡単に遊べるよう、折り畳みの盤等に

この頃良く売れることとなる。

 

到着した後に、日本軍はまず仮設住宅の建設を始めた。

モンゴル民族のゲルを参考に造られた簡易住宅は、その見た目からは想像を超えるほどに保温性の高いものである。

簡易住居とは思えないほど充実しているそれは、前線から大凡200kmほど離れた所へと建設された。

 

200km等あっという間に過ぎる距離であるが、そこは輜重科の役割である補給と同じように、戦線の流動化に伴い迅速に移動するようになる。

未だに使用されている蒸気式の33式輜重貨車は、うまい飯や発電等に役立っている。

 

こいつはどこで破棄されても良いように、最前線にまで駆り出され、ロシア軍にまでその料理は振る舞われた。温かい食べ物はそれだけで士気を高める。

そしてそのまま新年を迎えると、日本料理である餅が振る舞われた。甘い蜂蜜を練り込み、固まらなくなった温かい餅は評判なものであった。

 

ドイツ軍とロシア・日本連合軍の睨み合いは続くが、1月31日連合軍の拠点の一つのボリムフ近郊にて、モクモクと煙のようなものがドイツ陣地から連合陣地へと風に吹かれて立ち込めてくる。

この時日本軍は戦慄した、あれは化学兵器の類に違いないと。

 

学のないロシア軍と違い日本軍の殆どの人間には、最低でも中等教育が施され、化学等を習う。

その中で、戦争で最も扱ってはならないものに、土地を汚す化学兵器があった。

 

そんなものを使ってくるのだ、やばいと思った日本軍は直ぐ様塹壕の後方へと退避する。

ロシア軍の連中も連れての退避だ、相応に時間がかかるが全滅するよりは良い。

 

ふと風の向きが変わる、煙はドイツ軍陣地の中へと戻っていく、それを見るや直ぐ様反転し所定の位置に戻ると、混乱するドイツ軍の塹壕線の兵器の配置を、確認する。

機関銃手も慌てて飛び出しているのを見るに、かなりの量が見て取れた。

 

既に一月同じ飯を食うも、学がない者たちに戦い方を教えるのは骨が折れたという。誰しもが教員になれないのと同じように、教えることは教えるプロが必要であるのだ。

毒ガスがどれ程危険なものか、改めてロシア軍の二等兵までも教える羽目になる。

ああやって逃げるのだと、教えるも次は無い可能性もある。

 

そして、その数日後の1915年2月7日ドイツ軍が、日露軍の守る陣地に向けて攻勢を、開始した。

 

日本軍が到着してから、塹壕の構築速度は凡そ2倍となり、守りは非常に頑強であった。

悪天候の中突撃するドイツ軍を、指定された防衛線に到達した瞬間から猛烈な砲撃が始まる。

 

距離に応じて様々な銃砲弾が次々と降り注ぐ中、一人また一人と倒れ伏し遂には動くものもいなくなる。

哀れなるは、その死体は埋葬されずに放置されるであろう事だ。日本軍は、化学兵器を使用した瞬間から親の仇を見るようにドイツ軍を蔑視した。

 

それでも尚、諦めの悪い事に今度は包囲を企図したのだろう、マズーリ湖北部からぐるりと回るようにロシア軍の薄い部分を攻撃していき、あわやと言うところで日本軍がその側面を突いた。

突然の側方からの攻撃に半包囲状態となったドイツ軍を、砲弾が向かい入れる。

 

いや、砲弾ではない。周囲に砲兵は皆無だ。ではどこからか?歩兵が何やら筒のような物を持って、射撃しているではないか。それは擲弾筒、60ミリ口径の迫撃砲並みの威力がありながら、その実態は歩兵でも扱える支援用火力。

 

それがドイツを襲う。攻勢が一転、追い込まれるドイツ軍、これはいかんと退却を開始する。

窮地にたっていたロシア軍だったが、今こそ逆襲の時と息巻いたが日本軍の将に落ち着けと諭される。

「悪戯に兵を消耗するは、悪将のする事。ここは少し落ち着かれよ、さもなくばその方は悪将とその名を刻まれよう。」

頭に来る言い方だろうが、それを理解したのか逆襲は中止された。

 

あの蒸気車両が今度もまた役に立ったのだ、車両が牽引する無限軌道型の貨車。それに人が乗って移動する。走るよりも速く。

日本軍が良く使ったこの戦い方は、後に機動防御と呼ばれるようになる決戦を避ける(・・・・・・)戦い方である。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

日本軍は本来であるならば早期に決着を付けたい、だが今回に限ってはそれが不可能である。

多くの原因は補給線だ、シベリア鉄道その輸送量はお世辞にも多いとは言えない。

 

未だに虚弱なこの路線の強化を推し進めるに、ロシアの財政は潤ってはいなかった。だいたいの原因が日本にあるのだから仕方のないことだと、日本自体も割り切っていたが、それでも戦車を運ぶには時間が掛かるものだ。

 

ガソリンに関して言えばロシアからの提供があったにせよ、37㎜砲弾は日本の独自規格故に輸送に頼り切るしかない。

そういった事が積み重なったことで、日本軍の機動戦術の根幹をなす部分が未だに無かったのが大きい。

もっとも防御のみに徹すれば、前述のドイツとの戦闘のように切り抜けられるのだ。

 

この戦闘の結果、ドイツ軍は一個軍団を消費した。数的にロシアに劣るドイツにとって、この戦闘での敗北は非常に痛手である。

もっとも、不幸中の幸いである事にロシア軍に反撃するほどの組織力がなかったところであろうか?

日本軍が消耗に消極的であったところであろうか?

 

それでもドイツ軍が苦しいことに変わりはなく、西部戦線ですら膠着状態であるにも関わらず、こちら側東部戦線ですら前に出ることは愚か押し込められている状況を打開することすら出来なかった。

 

兵の士気は未だに高いままであるが、このまま行けばジリ貧であることに変わりはない。

もしも、ここに日本軍がいなければ、巧みな防御戦術を行う者たちがいなければと司令官は苦虫を噛み潰したような顔であったであろう。

 

 

 

 

 

 

 

 




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