ちょっと痛そうな描写があります。
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かつては賑わいを見せた都であったその場所は、今はただ枯れ草が北風に打ち付けられて揺れてるばかりの場所だった。
人が住まわなくなって随分久しく、その場所の名前すら誰も思い出せないくらいに。
民家は蔓草に呑み込まれ、商店の並びも朽ちてかつての面影すら残さない。旅人達は道すがらに廃墟の群れを眺めては、漠然とその奥にある「塔」を見る。石畳の道が疎らに続く、唯一建造物としての形を残すのが塔のみだからだ。
古い資料によるならば、今ほどハンターズギルドのシステムが整っていなかった頃、今でいう観測隊の拠点の一つとして利用されていたのではとの説がある。なかなかの広さと雲を貫かんとして聳える塔は、驚くことに特筆すべき点が何もないのだ。囚人を閉じ込める檻も、権威を象徴する玉座もない。ただ、雄大なほどの高さだけを積み重ねた場所だった。
ここで休みましょう。そう提案したのは自分だったと語るレオは、罪悪感と無念で泣き出しそうなものだった。
旦那、ここで休みましょう。薬草を探してきますと申し出たのだと。
ヘビィボウガンを担いだ男は、すまないと力ない笑みを返した。見てわかる。説明の必要がないくらい、彼は満身創痍であった。回復薬はとっくに尽きてしまっていたのだ。
…………
老齢だと自らを指すヘビィガンナーは、鍛え抜かれた肉体のせいか、あるいはハンター稼業を営む気力がそうさせるのか、白髪を覆う兜を被ればまだまだ壮年に見えるくらいだ。
鎧の内にも外にも、数え切れない古傷がある。それらがベテランとしての貫禄を強調しているようで、若者にはない凄味があった。
……だけど、もう。本人は浮かぶ思考をそこで断じる。
〝もう〟……その先に続く言葉を今はまだ口にするべきではないからだ。先の狩猟で追った傷が、利き腕の感覚を曖昧にしたことも、既に布で覆って止血した片目が潰れたことも、この生業の節目とする理由には十分すぎる。それでもまだ、決意は決意として発声されない。
それを述べるのは、帰還した後ユクモの温泉に浸かってからにしようと決めた。自らと同じくハンターの道を選んだ、息子達や娘を最初に伝える相手にしようとしたのだ。今頃必死に草根をかき分ける相方のレオに伝えるのは、多分最後になりそうだ。きっと悲しい顔をするから。
とにかくまずは、生きて帰ってからだ。なにもかも、それからなのだ。
薬草を求めて走り去るレオの後ろ姿は子供のようで、彼はまだ七つの娘を重ねた。相方は出会った頃とあまり変わらないのだ。
子供達は思い思いの武器を選んだが、娘だけは自分と同じくヘビィを選んだ。弾の知識や射程距離、モンスターの弱点を細かに教えれば、枯れた大地に水を垂らしたように吸収してゆく。
「いいか、ガンナーの強さは知識で決まるんだ」……口を酸っぱくして伝えた言葉だ。
相手の肉質、弱点、クリティカル距離、怯みのタイミング、行動の先読み、火力を最大限にするスキル構成。全部を理解出来て〝当たり前〟だ。そして出来なきゃ死ぬ。ヘビィボウガンとはそういう武器だ。ガードもできない、防御力も紙のようで、動きも遅い。だからこそ最強のDPSを持っている。
娘がヘビィを使うのは、なんだか照れ臭くて嬉しかった。きっと良いガンナーになるだろう。
二番目の子、次男は兄弟の中でもピカイチだ。さっぱりしていて、どこか無骨で好戦的な性格だから、ハンマーを選んだ時はなるほどなあと妙な納得をした。俺は斬るより撃つより、殴るのがいい。そう言って選んだ武器だった。
三男はランスを選んだし、四男はチャージアックスだ。長男は弓だ。同じガンナーだから共感もあったが、大概は論争になった。ヘビィもライトも弓も、ガンナーと一括りにするにはあまりにスタンスが違うものだった。
ハンターの数だけ価値観があり美学がある。だからきっと、狩猟を通して広い世界に触れられた。彼は上手く動かない右腕を見、その生涯磨き続けた技術が終わる予兆を感じてた。それも間近に。
惜しいとは思わなかった。たくさんの竜を殺してきた。だからこれも、そういうものだろう。
旦那、薬草ですよ。相方のレオが走り寄ってくる。少しばかり生えていたのだ。
旦那、飲んで下さい。そしたらそんな怪我治りますよ。今日はもう寝ましょう。ユクモに帰ったらゆっくり温泉入りましょう、背中流しますから。
相方とてベテランと呼ばれるだけの場数を踏んでいるというのに、そんなふうに笑顔を零す。無理矢理明るく振舞っている。きっと目が潰れているのも、右腕が再起不能なくらい重症だとも気付いてるのに。そんなふうに言ってくるのだ。相方はそういうやつだった。
「ありがとうよ」
老齢ハンターがそう言って、差し出された薬草を受け取った。焼け石に水……とは言えなかった。
-2-
曖昧な声が耳を掠めて、一瞬後にそれが自分へ語りかけられた言葉と気付いた。
近くで口を動かす相方の、声がまるで彼方から聞こえたように聞き取りにくい。もしや、と思い顔を反対側に向けてみたら、今度は幾分はっきり聞こえた。潰れたのは右目だったが、もしかしたら耳もやられてるのかもしれない。右側に座る相方の声がひどく聞き取りにくいのだ。こりゃあ鼓膜がイカれたのかと、納得したのち苦笑した。
あいつは本当に恐ろしい奴だったと、相方はそう言っていたのだ。先の狩猟の話だろう。赴いたその場所で、相対したのはテスカトという学名を持つ古龍だった。テスカトの雄をテオ・テスカトルと呼ぶ。通称、炎王龍だ。
古龍種の中でも特に凶暴で攻撃的な性格をしており、広大な砂漠一帯を一夜で焼き払ったという報告もある。
素早く、力強く、かなり賢い。王の名を冠するのに相応しいほど恐ろしく、凛々しい姿は見るものが息を止めてしまうほど美しい。灼熱の炎を纏いながら現れた、その姿はあまりに洗礼されていたのだ。
ああ、そうだな、と頷いた。テオ・テスカトルは恐ろしい。全身に纏った龍炎も、まるで行動を先読みしたかのような突進も、鱗粉を駆使した爆発も。
だが何より凄まじいのは、彼の利き腕の機能を殺し、右目を潰し、右耳の鼓膜も破壊した〝アレ〟だろう。スーパーノヴァと呼ばれてる。滞空しながら大量の塵粉を放出し、自らを巻き込んで大爆発を巻き起こすのだ。あれには参った。回避しきれなかった右半身がまとめてこんなざまなのだ。それはもう、回復薬だの秘薬だのって次元でなかった。
動き回る炎王龍の尻尾に、あんな的確に通常弾をあてられるのは旦那くらいですよ。相方は賞賛の眼差しでそう言った。物理攻撃弾の単発ヒットで最強火力を誇るのが通常弾のレベル2だ。彼はそれを、ひたすら炎王龍の尻尾に撃ち続けた。痛撃のスキルを持って尻尾を集中攻撃するのが、相対する王を前に彼が選んだ戦法だった。
「そりゃお前、もう何十年こいつを担いだか覚えてねえぐらいなんだから。そんくらいできなきゃ、銃に嫌われちまうだろう」
愛銃を撫でながら答える顔は、今日までヘビィボウガンだけを使い続けてきたことを誇らしげにしたようだった。
此度のクエストは偵察だった。だのにばったり会っちまったもんは仕方ない。
ビビリ腰の相方の背中をばしんと叩き、撃退するぞと武器を構えた。ベテランの彼がそう言うだけで、相方の目にも闘志が宿る。モンスターと相対する恐怖はいつも、ベテランの彼が気合を入れてやるだけで吹き飛んだ。それは信頼に他ならなかった。
すっかり暮れた陽と入れ違うように、月が登り藍色の空を照らしてる。星はあまり見えなかった。月明かりが強いせいだろう。夜行性の竜の声がどこかに聞こえる。無事な方の左目は、美しい月夜に今日までの狩猟の日々の追憶を映した。
旦那、次はなにいきましょうか。怪我が治ったら……。相方が眠気にうつらうつらしながら言った。
もし孤島に行くなら、ちょっと釣りしたいなあ。あそこのマグロは最高なんです。あ、でもこの間食べたら中からフエールピッケル出てきて……。旦那、聞いてます?ロアルドロスの亜種が最近出るそうですよ。解毒薬忘れないようにしましょうね。旦那、旦那。
瞼を重そうにするくせに、相方の口が止まらないのは、冒険の日々が今日で最後かもしれないからだ。きっとなんとなく察してるのだろう。旅先のベースキャンプで肉を齧りながら、思えば色んな話をしてきた。彼の知識を、相方はいつも目をキラキラさせて聞いていた。
「もう寝ろよ。明日は早いぞ」
眠気に朦朧としたせいか、相方は同じ話題を二度繰り返した。それがおかしくて、彼はくつくつ笑ってた。
旦那、自分は旦那の力になれてましたか。最後に相方はそう聞いた。ちゃんと、仲間として意義のある存在だったか……そんな疑問を紡ぐのだ。自分を卑下するのは悪い癖だろうと何度も言ったのに、馬鹿な質問をしてくるものだ。
当たり前だろう。お前との狩りが楽しいから、すっかり野良をしなくなったんだよ。
そう答えたら、相方は安心したように寝息を立てた。
-3-
深夜だった。目が覚めた理由を、彼は上手く説明できない。が、言うならばそれは長年の勘と呼ばれるものだ。
睡魔を瞬時に蹴散らして、腕がざわざわと鳥肌を立てたのだ。無事な左目が周囲を見たが、辺りは眠る前と変わらず何もない。静寂だった、怖いくらいに。
呼吸は無意識にゆっくりになる。彼の癖だ。心臓が早鐘を打つ時、冷静さを保つため反比例するように肺をゆっくり動かすのだ。
やがて風が吹いた。途端、塔が風鳴りを起こした。吹き抜ける風が塔の内部を通り、窓や石垣の隙間からまるで咆哮とも呻きともつかない音を出す。原理自体は笛と一緒だが、巨大な建造物のために低く大きな音となるのだ。だが疑問があった。風ならずっと吹いていたのに、何故突然風鳴りなど起こしたのか。彼は指先に唾を着けて風の向きを探った。
……ああ、なるほどなあ。
すぐに答えが出る。風は〝上から下〟へ吹いていたのだ。こんな高い塔の更に上から、下に向かって風が吹く。その理由は、推理するまでもないことだ。緊張感とでもいうのだろうか、空気が張り詰めたような気さえする。寒くもないのに、吸い込む空気が冷たくなった。そんな感じだ。やがて羽ばたく音が降りてきた。
邂逅に備えてリロードするが、その動きはいつもよりずっとぎこちないものだった。やはり右手が……というより右肘から先が上手く動かない。
それにしてもこんな高い塔にわざわざ飛んでくるのはどこのどいつか。飛竜種なのは間違いないだろう。そんなことを考えながら顔を上げる。
刹那、輝く月を背景に、朽ちた塔の頂上へ天空の王者が舞い降りた。月の光に輝く鱗は、しかし白銀色に煌めいていた。赤でも青でもない。銀色だ。原種でも亜種でもないということだ。
骨格も翼も面立ちも良く知る火竜のものなのに、神々しい光に満ちてる。それに身体がかなり大きい。
────なんだ、こいつは。
いや間違いなくリオレウスだ。間違いなくリオレウスなのに、なぜ銀色に光っているのか。
鱗の一枚一枚が月光に反射して、自ら光を放ったかのような存在感がそこにある。光源のない塔の上が、そのためぼんやり明るくなった。
……白銀の太陽。なにかの書物で耳にした、その言葉が脳裏を掠める。
もしかしたら、リオレウスが天空の王者と呼ばれたのは〝こいつ〟が始まりかもしれない。
不意に彼はそう思う。王とは、〝王者〟とは、こういうものだ。
視線が交わる瞬間に、彼の全身にビリビリと振動が走る。鼓膜の破れた耳に反応が遅馳せる。咆哮は原種や亜種より更に大きなものだった。
直後に眼前へ火の玉が爆ぜた。そうだ、戦いは始まっている。見惚れている場合ではない。だのにあの銀火竜が、あまりに洗練されてるものだから。
風圧に上半身がよろめく。雄大な翼がはばたくたびに、足場の小石がぱらぱらと舞う。二度目の炎は上空から放たれた。紙一重で真横へ回避が間に合ったけど、転がるだけで身体の右半分が酷く痛い。
色が違っても身体が大きくても、リオレウスであることに変わりはないはずだ。ならば攻撃パターンもベースは同じでなかろうか。彼は攻撃の機会を見計らう。空を飛ぶ相手と、ガンナーの相性はいいはずなのだ。だがどうして、身体が思うように動かない。彼は痛覚が疎ましかった。いや痛みだけじゃない。右目が見えれば、右手が動けば、この世にも珍しい銀色の火竜を味わえたのに。
起き上がり様に二発撃った。狙ったのは頭部であった。
弱点特効のスキル構成で、肉質の柔らかな部分を集中攻撃する、それが彼のスタイルだからだ。初めて見る希少種の、最初に頭を狙ったのは経験則からなるものだった。弱点とは、たいていの場合は頭だからだ。
ところがどうだ。たった今撃った通常弾の着弾音やヒットの感触を吟味する。無意識に彼は舌打ちをした。
……駄目だ、頭じゃない。それどころか酷く硬い。これでは駄目だ。
単発威力最強の通常弾と、連射性能に優れた銃を持ち、弱点特効で一気に沈める。そのためには肉質の柔らかな部分を見つける必要が先ずあった。
痛撃と言われるこのスキルは、モンスターの肉質を数値化した時、45以上でないと効果を発揮しないのだ。この数値は低いほど硬く、逆に高いほど柔らかいということになる。肉質が柔らかいということは、フルフルなどの例外を除いてはイコール弱点ということだった。
また通常弾のクリティカル距離は発射直後から始まる。これは威力が上昇する距離のことで、ガンナーにおいてこれほど重要視しなければならないことはない。立ち回りは全て、クリティカル距離の維持圏内で行わなければならないのだ。
彼は通常弾の最大威力を保つため、ガンナーという打たれ弱さでありながら、常にインファイトを繰り返してきた。そこに回避性能や弾道強化の恩恵を得ないところが、磨き続けた技術の表れと言えるだろう。
通常弾は反動軽減の制約を受けない。そして連射性能の最高峰を誇る彼の銃は、しゃがみ撃ちの最高弾数の五割を一度のリロードで可能にしていた。これはリミッター解除してしゃがみ撃ちを封印して尚、持ち味であるDPSを更に向上させる結果となった。一度リロードする機会を挟めば、本来ならしゃがまなければならない弾数を瞬く間に撃ち込めるからだ。
……こっちか?
彼は更に竜の死角へと転がって、腹と背中に弾を当てる。直後に尻尾にも。
しかしどれも鈍い着弾をするばかりで、威力の期待できない感触だった。こいつの弱点はどこだ。彼は考える。希少種ということに囚われすぎたのだろうか。原種なら、対弾撃の効果的な部位は頭と……脚だ。
タイミング良く銀火竜が飛び上がる。このモーションは知っていた。何度となく亜種や原種と戦ってきたのだ。飛びかかった後毒を含んだ爪で刺し、体内に毒を与える気なのだろう。
着地の一瞬を狙った標準は後脚に定まって、彼の竜の頭を模した銃口から火が吹く。
着弾の感触は、弱点を抉る時の柔らかさに間違いないものだった。ついに弱点を見つけたのだ。
そしてわかってしまえば、もうカタがついたも同然だった。ベテランたる彼は弱点を外さない。そして飛竜ほど、都合の良い相手もないのだ。なにせ飛ぶほど脚が狙いやすいじゃないか。
痛みに驚き銀火竜が滞空で僅かによろめいた。彼はそれすら見逃さず、すかさず両翼へ弾を放つ。ダメージでなく落下を狙ったものだった。
神々しいほどの希少種を、撃ち殺すとは業が深そうだ。だがこれは〝試合〟ではない、殺すか殺されるかの二択しかない。それが今日までの人生で、今更変えられようはずもない。
勝ったら殺すものだ。そして負けたら死ぬものなのだ。
「悪いな」
短く言葉を落とす頃には、ぎこちなくなったリロードも終わってる。人の頭ほども巨大な銃口が、密着して銀火竜に冷たい感触を与えていた。
弾撃におけるもっとも効果的な部位であろう脚部に、ヘビィボウガンが食い込むように密着してる。通常弾は発泡直後に最高威力を発揮するという性質がある。
弱点特効をベースに組んだスキル構成が、その威力を最大限に発揮する瞬間がこれだろう。
爆ぜるような音がした。発射される鉛玉が、直接体内を抉っているのだ。
銀火竜の悲鳴が上がる。悪いな、このまま死んでくれ。閉じかけた傷が再び開いて、だらだらと血に赤く染まる半身を尻目に彼は言う。
「旦那!!」
相方の声がした。なんで一人で行っちゃうんですか、なんで起こしてくれないんですか。相方の文句はそんなところだろうか。険しく顰めた眉の形に、長い付き合いは自然と思考を読み取らせる。
「……これでも死なないのか、希少種は違えなあ。そう思わねえか」
ダウン中にこれでもかと言うほど撃ち込んでやって尚、銀火竜は生き絶えることなく闘争心を露わにするのだ。原種亜種ならまず間違いなく葬れるほどのダメージだったと手ごたえはある。要するに、一段上の生き物ということだ。
ぶつりと途切れる音がした。瞬間、彼の世界からぴたりと音が消えてしまった。
体制を立て直した竜は飛び上がりながら咆哮するし、相方は慌てて走り寄ってくる。風は強く轟々と吹き荒れているというのに、音だけがない。代わりに耳鳴りがちくちくと脳に痛みを与える。おかしな話だ。音はないのに耳鳴りはあるのか。彼は苦笑する。この現象をすぐに理解出来たのだ。
目前で相方が口をぱくぱくさせる。矢継ぎ早に、身振り手振りでなにかを訴えているようだった。
「……悪い。耳がイカれた。聞こえねえよ」
いや耳だけじゃない。身体の半分が、もうぴくりとも動かない。皇帝、テオ・テスカトルに与えられた傷の作用だろう。先の狩猟は辛すぎたのだ。それを後悔もしていないけど。
旦那、旦那。相方の口の形がそう繰り返す。泣きそうなツラで。
見れば手には、僅かな薬草を握ってた。今更そんなもんでどうにかなる次元でもないのに、旦那って泣きながら差し出すのだ。少しでも、少しでも回復してくださいって、そんな風に。音の消えた世界というのに、不思議と相方の声だけは聞こえた気がした。
今夜は、美しい夜だ。ただの一歩も動かない足で、だけど膝は地につかない。膝も尻もつきたくないのだ。いつか免れない敗北が目前に迫ったとして、自分は立ったまま倒されたい。彼には、そんな美学が仄かにあった。
「……薬草か。ありがとうよ」
彼は手を伸ばした。辛うじて機能する左半身を動かしたのだ。
相方の目が僅かな希望を映した気がした。
「生きろよ」
指が薬草を握りこむ。最期に彼は笑ってた。
…………
伸ばされた片腕の肘から上が、炎にのまれたのは一瞬後だ。
足から頭まで凄まじい業火に飲み込まれ、さながら一帯が爆破されたようにも見えた。
灼熱が周囲の気温を上げる。昼間のように明るくなった。これが白日の竜、白銀の太陽たる所以だろうか。レオの前髪がちりちり焦げて、やがて鼻は肉の爛れる匂いを捉えた。
眩しさに薄っすらとしか開けなかった視界の奥に、黒く染まる人影を見た。業火の中にありながら、人影は毅然としたままだった。大仰なボウガンのシルエットは竜の頭とよく似ていて、それが炎の中へと還ってしまうようではないか。
名前を呼んだ。「旦那」とではなく、彼の名前を大きく叫んだ。聞こえないと、言われていたのに。
尊敬する一人のベテランハンターは、炎のあとに骨すら残すことはなかった。骨まで焼けてしまったのだ。銀火竜の放つ業火は、それほどまでに恐ろしく強力なものだった。
肘から先が足元にぼとりと落ちている。
その掌は、薬草をしっかりと握っていた。
-4-
「……親父が、銀のリオレウスに?」
知らせを最初に受けた男は、ベテランハンターの息子であった。手入れをしていたハンマーをそっと地面に置いて、悔しそうな顔をする。
「……確かに、親父の腕だ」
持ち帰った肘から先をまじまじと見て、ハンマーの男はそう言った。肌の色、爪の形、古傷の位置。父親のそれを、見間違えるはずもない。
焦げた切断面をまじまじと見て、手練のその男は銀色だったというリオレウスの強力さを噛み締めているようにも見えた。
それだけしか、残らなかった。泣きながら一部始終を話す相方に、ハンマーは黙ったまま相槌を打つ。
実に親父らしいのだ。レオから語られた父の最期は、ハンマーの中にある父〝らしさ〟をこれでもかと体現してる。そのことと、目の前にある千切れた腕が、語られた全てが真実である証拠であった。
一族皆父を追うようにハンターになった。集落にこの人有りと言われた一人のヘビィガンナーが、銀の竜に討ち取られたのだ。
横で話を聞いていた、幼い妹が涙を落としながら家を飛び出す。レオがそれに罪悪感を刺激されたのか、悲痛な目で追いかけようと立ちかけた。止めたのもハンマーだ。
「レオ、お前が悪いんじゃない」
ハンマーは言う。でも、と言いかけたレオの言葉にかぶせるように。
「腕を……腕だけでも、親父を連れて帰ってくれてありがとう。〝死ぬ〟よりな、〝行方不明〟が一番辛いんだ……こんな稼業じゃ。だからありがとうな」
既に痛ましいほど泣き腫らしたレオの瞳が、また雫を溢れさす。どれだけ泣いても泣き足りないのだ。短い付き合いでなかった。それこそ仔猫の頃から、ずっとヘビィガンナーの〝相方〟として、共に狩猟に赴いてたのだ。
「オトモなのに……オトモの僕が生き残って、旦那が死んでしまいました。僕が回復笛を吹けたら、ガードが上手かったら、アシストが出来たら、旦那は死ななかったのに。攻撃しかできないんです、だから旦那は死んだんです。僕が駄目なオトモだから」
レオが泣きじゃくる。今でもはっきり覚えてると。
自分は顔に傷を持ち、毛並みも上等とは言えないような、可愛げのないアイルーだった。ポツンと樹海の水場に腰掛けて、みずほらしい装備で空を見ているだけの、ひとりぼっちのアイルーだったと。
時折ハンターが通りかかると、勇気を出して声をかけるのだ。ハンターさん、ハンターさん、僕を雇ってください。頑張って戦いますから。強くてカッコいいオトモに、ずっとずっと憧れてたんです。
そう言って、おずおずとすれ違うハンターに申し出た。
ある人は装備の脆弱さに、またある人はレベルの低さに立ち去ってゆく。時折足を止めてくれる人もいた。とても戦力になりそうもないレオを見てから、思案しながら尋ねるのだ。回復や解毒は出来るか?罠を貼ることは?なら採取は得意か?
次々にくる質問に、申し訳なさそうに首を振る。どれも出来ない。出来るのは攻撃だけだ。あと笛が少しだけ、攻撃力を上げる効果のある笛だった。
頑張って戦います。攻撃をたくさんします。剣もハンマーも、ブーメランでも、武器はこれから全部覚えます。だから……
だから。その先を聞いてくれた人はいなかった。ハンター達は決まって落胆した表情で背中を向ける。小さくなってゆく人影を、樹海の真ん中でいつまでもいつまでも眺めてた。
「そんなことあるもんかよ。やれレオがスタンを取っただの、尻尾を斬ってくれただの、親父はいつも自慢した。お前が駄目なオトモなわけがない」
ハンマーは言った。父は目の前のアイルーを「オトモ」だとは呼ばなかった。いつも、「相方」と言って可愛がってた。
苦労して手に入れた古龍の素材の端材が出来て、売ることもできたのに惜しげもなくレオに与えた。これでアイルー用の防具を作れと。だから父と目の前で泣くアイルーは、いつも揃いの防具をしていた。
「旦那が拾ってくれるまで、樹海で空ばかり見てました。旦那がお空に行っちゃったら、また空ばかり見ることになる」
泣き止まない。思い出があまりに多すぎたのだ。
ある時、もう何人に雇用を断られたか数えるのもやめた頃。通りかかった一人のハンターに、レオはおっかなびっくり声をかけた。
どうせ断られるとやさぐれてたし、強いオトモになるなんて夢も、半ば諦めかけてた頃だった。
〝そのハンター〟は大砲みたいな銃を背に、弱く小さなアイルーをまじまじ見たあとこう尋ねた。「お前、なんて名前だ?」
そんな問いかけは初めてのことで、暫し瞬きを繰り返す。決まって罠がはれるかとか、採取は得意かとか、回復だとか、ハンターが尋ねるのはそんなことばかりのはずだったのに。
どうして名前なんか聞くんだろう。不思議な心地で初めて名乗った。ぼくは、レオです。
ハンターは笑った。からからと、気持ちの良い声だった。
「なんだお前、ネコなのにレオっていうのか。レオってのは獅子のことだ。ネコなのに獅子なのか」
そう言って、その腕はレオに差し出されたのだ。あの日の腕だけ、今も目の前に残ってる。
〝今日からお前は相方だ。よろしくな、レオ〟
あの日差し伸べてくれた手が、まるで自分の全てのような気がしてる。なのにもう、その人は腕だけになってしまった。
泣きじゃくる一匹のアイルーを、ハンマーがよしよしと撫でてやる。
「お前は親父のオトモじゃねえ。オトモじゃなくて、相方だったんだ」
ハンマーもまた、泣いていた。