9月12日 昼間 シンの家
まず、端から数えてみる。
ライドウへの巨大はちみつ瓶、お菓子、調味料。ゴウトへのツマミ、猫用おもちゃ。モルガナへの貝殻の首飾りと、シーフードジャーキーが大量に。
机の真ん中には、一見異様なオブジェがいくつか。火山の女神『ペレ』を模した仮面らしい。
この前双葉が被っていた中華風の仮面に負けず劣らずの大きさだ。木彫りだが、案外軽い。強気な表情で笑みを浮かべている。これはもちろん双葉用。
カメハメハ大王のフィギュアもある。ハワイで見てきた通りのポーズで、全身金色の装飾を身につけている。
なんと、これらの兜、槍、マントなどを着せ替えられる優れものだ。なんの意味があるか知らないが、関節の可動数がやけに多い。双葉は部屋の飾りからカスタマイズ性のあるものが好きだろうと思い、これにした。
他にも、蓮に指摘され値段を下げたマスターへのコーヒー、結局自分用に買った五万円の豆、竜司がふざけて買った実寸大マヒオレのレプリカ、男組で揃えたアロハシャツと造花のレイ……。
「…………買いすぎたな」
明らかに買いすぎた。リビングのテーブルを隙間なく埋めつくしている。ハワイから郵送した荷物も帰宅とほぼ同時に届き、順に開封していったら想定を遥かに超えていた。
特に、土産に困ったら渡すための、自分用も兼ねて買ったお菓子やら保存食がスペースの大半を占めている。賞味期限は長いものが多いが、量が量なので早めに配った方がいい。今日のうちに渡してくるか……。
どの順で周るのがいいか思案していると、携帯に着信が入る。画面には春の名が表示されていた。
「……もしもし。無事に着いたか?」
『もしもし?私は今お家に着いたところ。シンくんは?』
「もう家だ。郵送した荷物のあまりの量に驚いていた」
『ふふ、びっくりするぐらい買ってたもの。渡す相手がたくさんいるのね』
「そうでもない。一人当たりに買いすぎたんだ。どれが誰に良いか迷って、片っ端から買いすぎた」
『シンくん、真面目だから。すごく悩んでたもの』
「もっと適当でよかったな。……それで、どうした?わざわざ電話する理由があったんじゃないのか」
『……あのね、今夜お父様が帰ってくるの。会うのは、久しぶり……』
「…………そうか。どうするかは、もう決めてるんだろ?」
『うん。この前話した通り。会社のこと、従業員の方たちのこと、お父様自身のこと……。直接、聞いてみる』
「まだ足りない」
『え?』
「春自身のことも、だ」
『……うん。ありがとう。少し、正直になってみる。この前言われたように、私自身で戦ってみる』
「ああ。後で話を聞かせてくれ。……少しは落ち着いたか?」
『もう、お見通しなんだから。マコちゃんとシンくんには隠し事はできないね。……ありがとう。私、頑張るから。……それじゃ』
電話を切り、少し春のことを考える。気丈に、覚悟を決めたように振る舞ってはいたが、電話越しでも不安げなのが伝わってきた。俺は、直接助けにはなってやれない。
それでも、少しでも励ましになっただろうか。気分転換になればいいんだが。
俺にも芽生えた一抹の不安を、一度思考の隅に置く。気にはなるが、俺が首を突っ込んでどうにか出来る問題じゃない。
困ったことになればまた相談に乗る。それでいい。そもそも、俺が気にするまでもなく、春ならきっと臆さず戦える。
とりあえず、今は土産を配る順番を考えよう。まずは渡す相手と物が多い、ルブランからだろうか……。
9月12日 夜 奥村邸
その夜。奥村春は、父の帰りを遅くまで待っていた。
先日間薙シンとした約束……。父の真意を問う、という一世一代の『戦い』に挑むのだ。
父の予定は把握している。多忙な父だが、今夜は帰ってくる手筈になっている。なにせ帰ってくること自体が少ないのだ。多少夜更かししてでも待っていないと、次に顔を合わせるのはいつになるか分からない。
話したい内容は、会社と従業員をどう思っているのか。悪い噂は真実なのか。そして、杉村との婚約を解消したい、ということ。
使用人に父が帰ったら声をかけてくれるよう告げ、自室で待機する。部屋に置かれた趣味の物品にも手が付かない。
春は怯えとも緊張ともつかぬ感情でその時を待っていた。
時刻は深夜1時を回ったころ。とうとう、控えめなノック音が部屋に響いた。
「……はい」
「お嬢様?旦那様がお帰りになったようですが……」
「ありがとうございます。…………」
鼓動が加速していくのが感じ取れた。数年振りのわがままだ。それも特大の。……様子が変わってしまってからは、初の。
深呼吸し、気分を落ち着かせる。もう一度。大きく身体を伸ばして、ゆっくりと息を吐ききった。…………行こう。
父の執務室の前。春は何度目かも分からないため息を繰り返していた。覚悟は決めたつもりだった。しかし、汗が滲む。室内は空調完備だ。暑さのせいではないだろう。
……よし。春は軽く三度、柔らかくも揺るぎのない音を響かせた。
「入りなさい。……春か。早く寝なさい。学校があるだろう」
父、奥村邦和は少し疲れた様子だった。柔らかな革張りの椅子に深く腰掛け、目頭を押さえていた。実際、早く休みたいのだろう。言葉は素気無く、すっぱりと追い返そうとしているのがわかる。
しかし、この程度は想定していた。帰れと言われて大人しく引き返すほど、春は甘い覚悟でここを訪れてはいない。
「ごめんなさい、お父様。けれど、大事なお話があって参りました」
「……言ってみなさい」
「では、まず……。最近、会社がどう噂されているか……ご存知ですよね。それについて、お父様の真意を知りたい」
「お父様は、この先どこを目指しているのか。噂されている従業員の待遇は事実なのか。……答えて、お父様」
春の問いかけに、父は面倒そうに席を立つ。やれやれ、とでも言いたげだった。
「社員が会社に身を捧げるのは当然のこと。私は会社のために最適な経営をしているに過ぎん」
「社員の方たちの人生をなんだと思ってるんです!?彼らは共に奥村フーズを支える仲間ではないのですか……!?」
「仲間だと?それは違う。奴らはオクムラフーズの名に惹かれ集まっただけの人間だ。私はその対価として、彼らに働きを求めているだけのこと」
「成功には相応の犠牲が伴う。それすら受け入れられん者に、豊かな生活など手に入らん。私は彼らに、成功するための努力を教えているのだ」
「本当に、そう思っているのですね……」
「私の目指しているものについては……まだ、聞きたいことがあるんだろう。それも言ってみなさい」
「……杉村さんとの、婚約を解消させてください」
春の言葉を聞くと、奥村は眉間に皺を寄せ、深くため息をつく。そして、諭すような口調で話し始める。
「そんなところだろうとは思っていた。一応、理由を聞いておこう」
「私は……彼とでは幸せになれないと気づいてしまった。私は幸せに生きたい。奥村の富に浴しておきながら、都合のいいことを言っている自覚はあります。それでも……」
「奥村の家に生まれ、有力な家に嫁ぐ。お前の幸せは保証されているだろう。どこに不満がある?」
「彼は、私を一人の人間として見ていない……!そんな相手と、どうやって幸せな家庭を築けと言うのですか!?」
「……残りの質問の答えは、政界進出だ。有力議員の息子である彼は重要なコネクションとなる。お前はそのための娘だ、春」
「私の政界進出とともに、オクムラフーズとお前を彼が引き継ぐ。そういう約束になっている」
「ふん……幸せな家庭だと?彼もいずれ政治家に成る身。一生涯飢えることはなく、裕福な暮らしは保証される。これ以上の幸せなどないよ」
「質問はこれで全てか?やはり、くだらない時間だった。そんなことより、もっと奥村の家のためになるよう努力しなさい」
父は心底呆れたように吐き捨てた。聞き分けのない子どもの相手を面倒がるような、冷ややかな視線だった。
「そんなこと……!?……よくわかりました。そこまで私の尊厳を無視されて、この家にしがみつく気はありません!私は今日をもって、この家を出ます!」
「……はあ。困った娘だ」
春が部屋を、そして家を飛び出そうとした時。奥村は机の引き出しから紙束を取り出した。そして次の瞬間父の口から飛び出したのは、春にとって予想だにしなかった名前だった。
「『新島真』」
「……え?」
「『間薙シン』、『雨宮蓮』、『高巻杏』……。まだまだいるな。杉村くんはお前のことを気にかけてくれているらしい。やはり、彼は優秀だよ」
「まったく、余計な借りを作ってしまった。私に隠れて、ずいぶん『いい友達』を作ったようだ」
春はただ、読み上げられる名を黙って聞くことしかできない。父と杉村が、この情報を手に入れた意味はよくわかっている。
彼らは、躊躇も容赦もしない。
「……私の言いたいことがわかるな?」
「…………はい」
ああ、理解してしまった。
逃げ場は、ない。
9月13日 放課後 屋上
修学旅行も終わり、土産も無事昨日のうちに配り終えた。
数日ぶりに訪れた菜園は、片付けてから旅行に出たので当然何も植わっていない。春から聞いた予定では、今日は秋頃に植える作物の準備で土を交換するらしい。
春はまだ来ていない。屋上の片隅にある土袋に、ゴミを取り除きながらプランター内の土を詰めていく。
……そういえば、この土は春と初めて会った日に運んだ土だ。あれから四ヶ月ほど。気づけば、もうそんなに経っていたのか。
何度も作物を育ててくれた土に感謝しつつ、袋に放り込んでいく。
春の話だと、この土は日光熱で殺菌したあと、腐葉土と水を混ぜ込んで置いておくのだとか。それだけでまた使える土に戻るらしい。実際はもう少し色々混ざるらしいが。
しばらく作業を進めていると、背後から階段を登る足音。春のものだ。
しかし、それはドアの前で立ち止まったまま、開かれようとしない。
不審に思い作業の手を止め様子を伺う。俺が振り向くのと、ようやく扉が開くのはほぼ同時だった。
まず目に入ったのは、目元を拭った痕。赤く充血した瞳。一筋、乱れた髪。俺は思わず言葉を失う。
「……春?」
「……シンくん。ごめんなさい。もうここには来ないでください」
春の第一声は、更に俺を混乱させた。
嫌われただけならいい。どうして、そんな泣きそうな顔で言うんだ。
『戦う』と、言っていた。それがこの結果か。俺が背中を押したせいで、春はこうなったのか。
考えがまとまらない。────春、逃げよう。そう言おうとして、春はもうそれが出来ない状況になったと、間抜けな俺は遅れて気づいた。
「…………待て。待ってくれ」
「ごめんなさい。私にはそれしか言えないの。……わかって。……お願いします」
そう言って頭を下げる春の瞳から、また一つ涙がこぼれた。その滴がやけにゆっくりと落ちていくように見えた。
春の意思じゃない。そんなことは明白だ。それなら、なぜ春は逃げることもできず泣いている?
『海外にでも逃げてしまおうか』。わかっている。あれは本気だった。春自身へ悪意が向けられたのなら、一も二もなく実行しているはず。そう出来ない理由?春の行動を縛れるものとは?
その瞬間、海で見た男の顔がふと過ぎった。……わかった。春の逃げられなくなった理由が。春は以前から俺たちと遊びに行く時、携帯で予定を確認していることが多かった。
渦巻いていた思考が冷ややかに形を成していく。
…………相手は、あの男だろう。海であんな態度を取っていた男が、何度も誘いを断られることを軽く流すはずもない。この前、俺たちは全員あの男に顔を見られている。ここから導く答えは一つ。
ならば、俺がすべきは?
「……そうか。わかった」
かろうじて返事をする。あとは、動くだけだ。
途中の作業もそのままに、俺は私物をまとめてカバンを肩にかける。
きっと、春が別れを告げたのは俺だけじゃない。
今日遅くなったのは、おそらく生徒会室へ行っていたのだろう。
「ありがとう。……どうか、お元気で」
『お元気で』。返事はできなかった。ドアノブを回す軋みだけが、屋上に残った。
思考がまとまらない。…………いや、そうじゃない。答えは出ている。考えることが止められない。この感情はなんだ?
きっと失望だ。春の言う、一途に仕事をしていた、優しかった、春自身を見ていた頃の奥村邦和への。
生徒会室の扉を開ける。やはりそこに真はいた。俺の想像とは、まったく違った様子で。
「真」
「あ……シン……。あ、違うの、これは……!」
床に座り込んだ真の目は真っ赤に腫れていた。先程の春よりも酷い顔だ。拭ったそばから涙はこぼれ落ちる。
ドアを開けた俺に気づいた瞬間、真は涙を止めようとギュッと目を瞑り、呼吸を止めた。しかし、無理に押し殺した呼吸はかえって大きな嗚咽となり、堪えた涙はより大きなしずくとなってこぼれ落ちる。
初めて目にする真の脆さは、俺の脳裏に強く強く焼き付いた。
その涙は、きっと別れを告げられた悲しみからじゃない。真もわかってしまったのだ。春が、どんな気持ちでそれを言ったのか。
想像してしまったのだ。春が、どれだけ追い込まれたのか。
真は床に座り込んだまま何とか呼吸を整えようとし、嗚咽混じりに口を開いた。
「シン……春が、もう会えないって……」
「ああ、知ってる」
「あの子、泣いてた。きっと本心じゃない」
「それもわかってる」
「…………春、奥村社長と話してみるって言ってたわよね。その時、なにかあったのかしら……」
「あの男だ」
「あの男……?ああ、それってこの前海に春を迎えに来た?……けど、だとしてもどうして?春、いざと言う時は家出してでも逃げるって言ってたのに」
「逃げられなくなったんだ。……真。お前も金城に、姉の情報を握られてただろう」
真の顔からさあっと色が引いた。元々白い肌だが、倒れそうな程だ。すぐに俺と同じ結論に至ったらしい。
真はもう一度ぐっと顔を拭い、頭を切り替えるようにバッと立ち上がった。未だ潤むその瞳には、それでもいつもの強い意志が戻り始めていた。
「まさか、私たちの情報を?」
「俺はそうだと睨んでる。この前海で見られた全員分だろう」
「春はいざとなれば、家を出る覚悟ぐらいはしていた。昨日の昼までは間違いなく」
「それが一日でこれだ。俺には他に考えつかない」
「でも……奥村社長だって実の父なのよ?娘に対してそこまで……」
「もしそうなら、春は直談判するまで追い詰められるのか?」
真は、じっくりと考え込んだ。確証は無い。しかし、この推測を否定する材料も無いはずだ。
「俺は行く。春を助けなければ」
「待って!……一応聞くけど、何をするつもり?」
真の質問はもっともだった。俺にはみんなと違って異世界ナビは無い。奥村にパレスがあったとしても、俺には一度誰かと侵入し入口を知るまで、パレスを探索する手段がない。
現実で奥村に接触したところで意味はない。奥村もあの男も、俺たちのデータは大事に保管しているだろう。
「データは利用者がいなくなれば使われないな」
「やめて!きっと方法はあるはず。手荒な手段を使うのはまだ早い。でしょう?」
「…………冗談だ。少なくとも、どんな親でも春が悲しむ」
「だが、このままにしておく気はない。絶対にだ。お前たちは、奥村をどうする?」
「ちょうど今日、そのことについて話すって。双葉から、お姉ちゃんのデータの解析が終わったからルブランに集まるよう、連絡来てたでしょ?」
「奥村社長が逃げる訳でもないわ。もう少し情報を集めてからでも遅くはないはずよ」
「……わかった。とりあえずルブランへ向かおう」