『眚』 = 目に陰が生じる病気。過ち。災い。
この間の間欠泉騒動の際も、神社へと向かおうとしていた霧雨魔理沙に対して、ほぼほぼまともなダメージを与えられもできずに通してしまった。
その際にも「幻想郷での挨拶の仕方を学んだ」と、啖呵を切ったにも関わらず、そんな結果になってしまった事を思い、これから先どうすれば良いかを必死に考え、実践して頑張った筈だったというのに。
眼前の赤い光弾を避け、必死の思いで落ちてくる拳をくぐり抜け、目前の新たなレーザーを這々の体で回避し、
その先で見越し入道が、目の前で大きく拳を振りかぶった状態を見て、
(また……今回も負けてしまった)
そう、思ってしまった。
諦めがついてしまった所為か、やけに周囲の状況が遅く感じられる。
尼のような格好をした少女が、冷めた目で私を見ている。
自身に向かって動き出した拳は、先程よりも力が抜けているように見えて、
(ああ、見抜かれて、呆れられてるんだな……)
そんな淀みきった心を自覚する前に、────『音』が聴こえた。
弾幕ごっこ用の弾を撃つような音でもなく、ましてや、その弾幕が相殺される時のような音でもない。鳥が羽ばたく時のような音でもないし、遠く前方に浮いている船から聴こえている駆動音でもない。
その音を例えるならば、何かを蹴った時のような、あるいは、風船を針で割った時のような、はたまた、太鼓を叩いた時のような、────そんな、『意識を集中』させるような、そんな音。
その音が鳴り響いた瞬間に入道の拳が止まり、上の方向へと少女と共に向き直って、新たに構え直すのが見えた。
巫女はそれを判断し終えてから、ようやく彼女達が注目した上空へと目を向けた。
地上から数百メートル上にある船の、更に上空から飛来してくる黒い物体。
音の発生源であろうそのシルエットは、凄まじい勢いで真上から落ちてきている。
その姿が人形で、そして着物姿の少女だということを全員が気付いた瞬間に、その少女は大きく右手を引いた。
それはまさしく、落ちている先に居る入道が構えているポーズと、全く変わらなかった。
「
尼のような格好をした少女が呼び出し、雲山と呼ばれた入道が狙いを定めて、落ちてきている少女に拳を放った。
巫女へ打とうとしていた際の拳にはなかった気迫を拳に込めて、────それは東風谷から見ても、弾幕ごっこで使用するべきではないほどの威力となっていた。
『例え自身の状態が万全であっても、あの拳を受け止めてしまえば致命的なダメージとなる』
そう判断できるほどの威力が込められた、着物姿の少女よりも更に大きい拳が、直撃しようとしていた。
東風谷早苗はそれを見て、────そこまで分かっていて、それでも動けなかった。
あの少女が何者なのか、人間なのか、それとも妖怪なのか、一切の判断ができないから。
例えあの攻撃を防ごうとしようとしても、その実力が自身には備わっていないから。
何よりも、既に負けている私が何を……と、心が追い付かないから。
何も
例え少女の姿形をしていても、その外見が実力が示すバロメーターとはならず、寧ろ少女然としている妖怪の方が余程脅威である事を、知識として東風谷は知っている。
しかしそれは博麗の巫女や普通の魔法使いのように、感覚や実力を計ることがまず前提という認識ではないというのが大きな要因でもあった。
少女と雲山と呼ばれた見越し入道のサイズは、明らかに釣り合っていない。下手をすれば手の内で握り潰す事も噛み砕く事もできる程に、その2つのサイズは掛け離れている。
また、その見越し入道が拳に込めている妖力の量を見れば、そこらの妖精や雑魚妖怪であってもまともに受ければ粉微塵となるのではないか、という程に力が込められている。
それにも関わらず、
真正面から拳をぶつけ合い、見越し入道を腕ごと弾いて、
そのまま顔面すら蹴飛ばして跳躍するなんて、誰が予想できたことか。
▼▼▼▼▼▼
「ぐぬっ!?」
「やぁ、早苗。久し振り。いきなりでアレなんだけど、肩貸して?」
「は!? え!? し、え? なんで?」
……あれ、なんか、予想以上に早苗が混乱してるな。
肩を踏んづけながら、彼女の様子が少しおかしいことに気付く。
あ、こら、上を見るんじゃない。裾から内部が見えるじゃないか。
上を見ようとする早苗の頭を脹脛で抑えながら、雲山と打ち付けあった右拳の回復を完了する。
流石に妖力をあれだけ込められちゃあ、衝撃全反射であってもその前にダメージを負ってしまう……。
────まぁ……んなこたぁ、どうでもいい。
「さぁ〜て……早苗、これ、どういう状況?」
「へっ? いや、私も何で肩に仁王立ちされてるのか訊きたいんですけど……?」
「私が飛べないから。以上」
「……ああ、はい……えっと、状況でしたっけ……?」
やけに早苗の元気がない……ということの方が気になりつつあるけど、まぁ、まだ置いとく。
「えっと、私は船を調べたくてここまで来てて……さっきまで弾幕ごっこをしてまして……」
「よく言うよ。完全に諦めてた癖に」
「ッッ……」
いやぁ、これは中々に淀んでるっぽいねぇ……まぁ、私も人の事言えないけどさ。
そんな事を考えて方向性を変えようとしても、気分というのは中々戻って来てくれない。
自分は気分屋だと思ってたんだけどねぇ……紫との大喧嘩の時もそうだったけど、一回火が付くと中々鎮火してくれないっぽんだよなぁ……。
「それで、終わった弾幕ごっこに乱入してきて、雲山の拳を完全に弾く貴女は何者ですか?
「私はいつだって知り合いの味方だよ。────今回ばかしは、かなり例外だけどね」
ああ、一輪の言葉で……更にムカついてきた。
確かに、あの寺で過ごした日々は一ヶ月にも満たない短い期間だった。
宴会っぽいことは行ったけれど、その後すぐにあの事件だ。覚えてないのも仕方ないと思う。
私の人間嫌い発症もあったし、封印されたとは聴いてたけど、それをどうこうするという発想はそもそもなかったのだから。
寧ろ鬱になりかけた過去だから、私も思い出そうとすることもなく、そのままにして忘れようとしていた、というのも、間違いではない。
────だからと言って、勝手に他人の
────
ああ、いいさ。
別にそっちがそれなら、それでいいさ。
契約や式神があろうとなかろうと、幻想郷に対する賢者に、手段や方法の是非を問おうという気にはならない。
……お姉ちゃんが行おうとすることが果たして私の精算なのか、今回の事件で起きる何かなのか、そこまでは私も分からないけれど。
私がそう思い込んでいるだけで、別に勘違いなだけかもしれないし、お門違いかもしれないけれど。
そういうことならやってやるさ。
────だからと言って、このムカツキを抑えられるかどうかは話が別だ。
はぁ……。
やだやだ、こんな事で腹が立つ自分も嫌だわ……全く。
「まぁ……貴女がそこの巫女のように、賊だというのなら相手をしますよ」
「賊のつもりはないけど、船の行く先に興味はあるかな」
「……ふぅん……?」
二回目の直感の時に見えた虹色に輝く結界。
あれが多分、この船の行く先だ。
彼女がまだ封印されているとするならば……多分、結界の向こうが、彼女の居る場所だ。
今になって雲山と一輪が復活して行動しているというのが少し引っかかるけども、解放の為に行動を起こしているというのなら、分からなくもない。
早苗の上で腕組みをしながら、入道と入道使いを観察する。
忘れられたとは言え、それでも懐かしい二人だ。
そんな事を考えながら見ていると、ふと雲山の方が一輪に耳打ちをし始めた。
あいも変わらずシャイらしい。似合わねー。
「……そこの巫女、貴女が持っている飛倉の破片、それが私達には必要なの」
「え? え?」
「素直に渡してくれたら、私達もこれ以上攻撃しないし、そこの妖怪の話も聞いてあげる」
「だから早苗は帰れ、って?」
「実力のないものを無理に引っ張っていくのは無謀というものじゃないかしら?」
ま、その考えは間違いじゃないとは思う。
飛倉、というのが一体どういうものなのか、私には分からないけれど早苗が持っていると雲山が言うのなら間違いじゃないんだろう。当の巫女は言い返せなくて悔しそうな表情してるけどさ。
うーん。
一輪と雲山の言う事も分からんでもない。
とは言え、『彼』の幼馴染の早苗を蔑ろにしたくもない。
そして単純に、────私のこのムシャクシャも発散したい。
「────じゃあ、アレだ。私と早苗、ペアでもう一回戦おう」
「「は?」」
「そっちも二人じゃん。問題は一切ないでしょ?」
「う……まぁ、それは……」
そう提案し、反論してみれば一輪は引いてくれる。
根が真面目な彼女だし、雲山もまぁ優しいタイプらしいし、こう言えば通るだろう。
寧ろ問題は、早苗の方かな。
「へっ、いやいやいや、無理ですよ!」
「どうしてそこで諦めるかなぁ……」
肩から跳ねて、早苗の背中に抱き着く形で飛び降りる。
掴み損ねたら地上まで真っ逆さまだったし、衝撃は調整できるけど重さは変えようがなく、また早苗が「ゔっ」という少女らしくない悲鳴を挙げたけど、まぁ、まだどうでもいい。
これからやることはミスティアに対して行った、心の衝撃を弄る事、
感情そのものを揺さぶる事と変わらない。
今回はそこに、私の悪意と、私からの誘惑があるかどうかの違いだ。
体を密接させて、彼女の心から感じる衝撃を深く探っていく。
そうして、顔を彼女の耳元に近付け、悪魔のように囁いてやる。
彼女の霊力・神力を受け流し、体臭すらも私のものと混ぜて、その奥の心を鷲掴む。
ああ、寧ろ今の気分は復讐者というような感じだけどね。
それに、これはこれで、悪くない……そう唆す妖怪の私が居るのも確かだ。
息をゆっくりと吸い込む。呼吸すらさせてあげない。その吐息も私のものだ。
他人の感情をごちゃまぜにするのが楽しいと感じる。
この愉悦や悦楽は、紛うことなき私の本性の一つだ。
悪意を何も考えずに曝け出して、後先考えずに他人を染め上げる。
一度と言わずにやってみたかったことでもある。
一言で言うなら……そうだなぁ……。
────────────堕ちてしまえ。
右手をゆっくりと伸ばし、早苗の頬を上へなぞっていく。
彼女の体の震えが、体温と共に伝わってくる。
右手が、私の誘惑の途中で落ちた目蓋に掛かり、柔らかい感覚器の感触を楽しむ。
一輪や雲山には決して届かないように調整した
このまま完全に堕ちてしまえば、まぁ、操り人形にして発散するだけだ。
一輪が居るからアレだし、『彼』にはすまんと思うけど、持ち帰ってつまみ食いもしても良いかもしれない。────と、考えた所でそうしたら彩目と守矢神社に殺されるな、と気付いた。
まぁ、既に実行している時点で止められないんだけどさ。
いかんなぁ。ちょっと本気でブチギレかけてるのかもしれない。
そこまで考えて、───いきなり早苗から、神力が強く発生し始めた。
それは
「……詩菜さん。だめですよ……この身は渡さない」
「私には確かに、錦を飾って帰りたい、家族が居ます。でも、今回は大手を振って、なんて帰ることは出来ません……私は負けてしまいましたから……」
「でも、……それでも!
確かに、負けたままで居続けるのもイヤです!
貴女がチャンスをくれるなら、くれるというのなら!
私はそれに縋りたい! まだ諦めたくない!! 負けたくない!!
────私は
力を貸しなさい!! 『
ああ……これだから人間は良い。妖怪よりもよっぽど単純だ。
おバカで面白いからこそ、人外はより人間に惹かれるんだろう。
人間を貶そうとする妖怪が私の一面というのなら、
────人間に絆される妖怪も、私の一面だろう。
「ああ、力を貸そう! 『東風谷早苗』!!」
尤も、鎌鼬や霊体化などして、完全に取り憑くことは性質上出来ないけれど。
神力を同調させて、巫女の力を引き伸ばすことには何ら問題ない。
彼女の活性化していく霊力に合わせて、私の神力を同調させていく。
もちろん、宣言通り妖力は一切混ぜない。
勇儀との決闘で使い切ってしまった神力はわずかしか回復してないけれど、微量でも彼女の力と融合してしまえば、多少の操作は私でも出来る。
今回の私の役目は、早苗の力の使い方の高効率化操作と、第三者視点からの身体の使い方の教授、ってところかな。
いやぁ、企みなんぞ関係ない所で無駄に頑張れるって楽しいなー!
「さぁ……もう一度っ!! 再挑戦です! そこの入道使い!!」
「やれやれ……やったろうじゃないの! 掛かってきな、詩菜!!」