主人公はショタだ。やったね。
テオは四つん這いで石畳の床を睨むように見つめていた。
奥歯をギリギリと噛みしめていて、伸ばした腕は筋肉の陰影をはっきりと浮かび上がらせながら細かく震えている。
テオは、椅子にされていた。
背中に人が座っている。
彼の体には相当の重圧がかかっていた。重さは背中を中心にして流動状の鉛のように体全体に広がっていた。
背中に座るのは、黒い皮服に身を包んだガタイのいい男である。
眉が常に釣り下がっていて眉間にしわを寄せている不機嫌そうな男。髭面で相手をいつも見下しているひどく人相の悪い男。
テオの所属するモレクファミリアのリーダー、バラムであった。
バラムは同じファミリアの幹部たちと丸テーブルを囲み、食事を楽しんでいた。
他の幹部が座る椅子もやはり、四つん這いになった弱い団員たち。
ここでは自然なことである。
「だっはあぁ うめえええ」
バラムは言いながら骨付きの肉をかじった。透明な油が口の端から垂れていく。
町でも富裕層が食べるような上質な肉だ。
それを遠くの壁沿いで、ただ食事も無しに立たされているテオと同じく身分の低い団員たちに見せつけるようにして喰らっていた。
「あ゛あ゛~゛ お前らは雑魚だから食べられないで可哀想だなぁ~」
バラムが顔を歪めてわざとらしく嘲笑う。
それでも立って見ている団員たちは一切反論せずに顔色一つ変えない。
犯行の意志を見せようものならダンジョン内にて容赦なく殺されてしまう。団員たちは仲間があっけなく容赦なくバラムの持つ槍によって口元から貫かれる様を、身動きできない状態にしてモンスターハウスに放り込まれる様を、幾度となく見てきた。
力こそが全て。力至上主義。それがモレクファミリアの方針である。弱さこそが悪なのである。
だから、バラムがいくら弱い団員たちを笑っていても、バラムと共に食卓を囲む団員がバラムに同調してニヤニヤと下卑た笑みを浮かべていても、咎めるものなどは誰もいないのである。
「ほうら、良かったなぁ おめえの飯だぞ」
そう言ってバラムは身の無くなって貧相な骨のみになったそれを、テオの見つめる床の上に投げ落とした。
床を小さく跳ねた骨。
テオは視界に入ってきた骨に目を見開いた。
お腹を空かせていた。胃は全くの空っぽと言っても良い。
無意識に開いた口の舌先からよだれが垂れる。
ファミリアの中でもダントツに弱いレベル1のテオは、満足にご飯にありつくことを許されていなかった。
”雑魚にやるなんざ食材の無駄だ”とはバラムの言葉だ。
テオが食事としてありつけるものは、こうしてレベルの上の団員が気まぐれに落とす残飯以下のものと町のごみ箱を漁って見つけたものくらいである。といっても生ゴミは同じように力ない冒険者のなりそこない達や団員が常に奪い合っていて、ろくに食べれないことも多い。
テオは常に空腹だ。
骨は、首を伸ばして届くか届かないかの位置にあった。
テオは鼻息を荒くして、骨に顔を近づける。骨の端っこにこびりついていて、食べられることのなかった肉のカスを求めた。
首を伸ばす。
ベロを伸ばす。
肉に意識が集中する。それ以外に眼中が無く、身体の重さなどは忘れていた。
テオは自分の椅子としての責務を怠った。
今までバラムが座りやすいようにピンと伸びていた背中を仰け反らせてしまっていた。
「あ゛あ゛?」
座り心地が悪くなった椅子に気づいたバラムは、顔を後方下に向けて自分の椅子を睨みつける。
視線にテオは気付いていない。貴重なご飯を求めて顔を近づけている。
もうすぐありつける。
ようやく舌先が触れる程に顔を近づけた時、とても些細で惨めな幸せを感じたテオだったが、それは一瞬で消え去る。
「はい ぽーん」
ふざけた声と共にバラムが足を横に伸ばし、骨を遠くへ蹴とばしたのだ。
骨はテオをあざ笑うように渇いた音を立てて転がっていった。
遠くへ転がっていく骨を目で追うテオだったが、バラムに引っ張られるように髪の毛を掴まれ強引に上を向かされた。
「おいおいくそ雑魚がよー、てめえは椅子だっていう自覚が足りねえなぁ!?」
小動物なら怯えて逃げ出すようなドスの効いた声と、虫けらを見つめるような見下した視線をテオに向けた。
テオはその顔を見ても何も答えない。
無気力な真っ黒な穴みたいな目で、ただバラムを見つめ返す。
「っち、くそゴミがよおぉっ」
バラムは苛ついたように声を荒げると、手に持っていたビール入りのグラスをひっくり返しながら振りかぶった。
”べちゃあっ”と音を立てて、中の液体が全てテオの顔に叩きつけられた。
テオの顔はずぶ濡れになって、顎先からはたくさんの雫が垂れている。
「おぉい、床にこぼれたの全部拭いとけよぉ」
バラムが口の端を釣り上げながら言った。周りで見ていた幹部たちも、テオの無様な姿を見て腹を抱えて笑っていた。
「おらあっ! 何ぼさっと突っ立ってやがる!! とっとと新しいビールもってこい!!!」
バラムが壁際に立つ部員に怒声を上げるのを聞きながら、テオは床にこぼれたビールを舐めとっていた。
テオは生まれた時からモレクファミリアの一人だった。
両親がモレクファミリアだったから、テオもまたモレクファミリア。親のファミリアを子が引き継ぐことはオラリオでは常識である。
だがテオは、自分がモレクファミリアであることを嬉しいと思った瞬間は今まで生きてきて一度も無かった。むしろ最悪と言っていい。
お父さん、お母さん、僕に命を与えて下さりアリガトウゴザイマス。
でも、モレクファミリアに僕を産み落としたことを僕は一生恨みます。
親に会ったら言いたい言葉だった。テオが生まれてすぐに死んだので、言うことは一生叶わないが。
familiar。ファミリア。家族。
家族?
テオにとってモレクファミリアは全く安らぐ場所ではなかった。
テオは弱かったのだ。戦闘のセンスがまるでなかった。低層に出現するヤモリの戦士<ダンジョン・リザード>にも舐められるほどである。
弱い者はモレクファミリアでは奴隷同然の扱いを受ける。
テオも幼いころから11の歳になる今まで、ぼろ雑巾のような扱いを受けてきた。
椅子の代わりに使われるのは前述の通り。皿に盛られたご飯も食べたことが無い。幹部は気まぐれに特訓と称して、テオ達弱者をサンドバッグにして殴って蹴って遊ぶ。戦闘ではサポーターを命じられて、身体の限界を超えた荷物を持たせられる。しかし潰れたものはダンジョンに置き去り。水は最低限。
顔を知っている者の屍をテオはたくさん見てきた。
しかし、次の日には新しい新入りが補充される。
モレクファミリアはギルドの犯罪者を受け入れているのだ。
罪人を受け入れることでギルドは管理する手間が省け、モレクファミリアも悪事を見過ごしてもらえる。悪循環だ。
そしてテオは育ての契約とやらで改宗が不可。テオの悪夢はこれからも終わることが無いのは確定している。
いっそ死んだ方が楽だとさえ思っているが、テオは何の呪いか今まで生き残ってしまっている。
命ある者、簡単に生への執着は捨てられないらしい。
だから道ですれ違う他のファミリアの者たちが和気藹々としているのを見ると、うらやんでしまう。
最近では、路地裏で膝を抱えてしゃがみ込んでいるのをよく見かけていた銀髪の赤目のウサギみたいな少年が、主神を見付けらしく仲良さげに喜びあっていたのを見て羨ましく思った。
彼は僕みたいな希望のない人生を送ることは無いだろう。
いいな。
僕も力があったら支配される地獄から抜け出せるのに。
そうしてテオは今日もダンジョンへと連れていかれる。
最近モレクファミリアで流行っている遊びは、弱い団員をモンスターの前に放り出して、誰が逃げ延びるかに金を掛ける遊びだ。
テオと他数名の団員が、縄で身体を縛られてオークたちの前に転がされた。
団員たちは遠くの物陰でにやにやしながら見ている。これから起こる殺戮を楽しみに待っているのだ。
テオは縛られた身体で必死にもがいて、縄をほどこうとしていた。
オーク数匹がやってくる。
獲物たちを鼻息荒く見下ろす。
テオは身体をガタガタ震えさせた。死にたくはなかった。
オークたちは持っていた槍を振り下ろす。
テオは横で、仲間の断末魔と飛んできた血しぶきを浴びた。
テオの正面からもオークの振るった槍が迫る。
テオは不自由な体を地面の上でくねらせて、精一杯槍の軌道の先からずらした。
がんっ
と地面に槍先が当たる鈍い音がする。槍はテオの体の横を逸れて、間一髪を逃れた。さらに幸運なことには、逸れた槍先がテオの足を縛る縄をかすれて、切っていた。
動ける。
テオは自由になった体でオークに背を向けて、死に物狂いで走った。素足で石をいくつも踏んだ。鋭い痛みが走るし、血も垂れ流すがそんな事は気にしていられない
やがて団員たちのブーイングと歓声が聞こえた。後ろを振り向けば、テオ以外の縛られた団員は、皆穴だらけの血だるまにされていた。
テオはまた生き残った。
生き永らえてしまった。
「ああ・・・」
安心はしても、嬉しさはなかった。
テオは、死に場所を探している。
そのきっかけを探している。
ある日テオは、バラムから食材の買い付けを言い渡された。
「とっとと買ってこいくず」
バラムはそう言って、テオの背中を蹴り飛ばして玄関から外へ出した。
バラムが苛ついているわけでは無く、気まぐれのありふれた行為の一つである。
地面に伸びていたテオはのっそりと立ち上がると、言われた通り買い物へ向かい始めた。
夕方である。
広い道を歩けば、たくさんの者とすれ違っていく。鎧を着た、ダンジョン帰りの者が多い。
誰もテオには見向きしない。
オラリオは沢山の種族の者がいろいろな背景を抱えて生きている。ボロボロの布服を纏ったテオが歩いていても誰も興味を示さない程には格好もそれぞれだ。
出店が並ぶ通りは、たくさんの人が行き交って賑わいを見せていた。出店の美味しそうな匂いもたくさん漂っている。
中でも、背の小さい店員がやたら元気な声で客を呼び込んでいるじゃが丸くんの出店からは、香ばしい芋の香りが漂ってきていて、ダンジョン帰りの冒険者たちの列が作られていた。
匂いだけでもサクサクの衣と溢れる肉汁が想像できて、涎が垂れてくる程に美味しそうだ。皆が食べたくなるのも納得である。
しかし、テオに出来ることは、唾を飲み込むことだけだった。
テオの持っているお金は自分のお金ではない。ファミリアのご飯(それも自分は食べられないのだが)を買うためにバラムから渡されたお金のみであり、いくらテオが空腹だろうと自由に使うことは許されない。
それに、買い物から戻れば所持金を全て没収されて、消費分と釣り合うかをきっちり計算される。その際に少しでも釣り合わなければ、たちまち蹴とばされて転がされて顔目掛けてバラムの槍が振り下ろされるだろう。
だから今だって、袋の中に入れた硬貨は大事にポケットの中にいれてあった。
テオは目的の店を目指して、人混みの間を縫うようにして進んでいく。
すると不意に、肩が誰かにぶつかった。
テオは反射的に振り向くが、そこにあるのはやはり人混みで誰がぶつかったかは分からない。
しかし何か違和感があった。
何ともなしにポケットに手を突っ込めば、違和感の正体が分かる。
硬貨を入れた小袋が無くなっていた。
「!?」
テオはを瞼を開いて慌てた表情で辺りを見渡した。
誰かが盗ったに違いなかった。オラリオでは盗難・窃盗は頻繁に起こる。
見る者見る者みんな背中を向けていたが、一人、見慣れた袋を片手に握っている者がいた。
フードを頭まで被った、背の低いテオと同じくらいの身長の後ろ姿。
あいつだ。
テオはすぐさま追いかける。盗人も追いかけられていることに気づいたようで、慌てた様子で人混みの中をかき分けていく。
テオは執念で追いかけまわした。
人波に揉まれながら、ずっとずっと後を追った。
自分の命の為にも盗られたままでは許されない。
やがて人混みも抜けて開けたところに出る。そこでテオが見たのは、路地裏に入っていく盗人の後ろ姿だった。
テオは一瞬足を止めた。
盗人が行く先はダイダロス通りと呼ばれる場所で、幾度もの区画整理によって迷宮のように入り組み、入ったら確実に迷子になると言われている場所であった。
テオもゴミを漁りに何度か訪れてはいるが、テオも知らない、ダイダロス通りの奥深くまで入られると帰れなくなる可能性があった。
しかし、だからこそ迷っている暇はない。深くまで入られる前に早いところ取り返さなければいけない。
金を奪われたままでは、迷子になるより恐ろしい未来しかない。
テオはすぐさま盗人を追いかけて、路地裏に入った。
人が一人通れるほどの狭さの道が伸び、両脇を同じような建物が立ち並び、それらが入り組んで迷宮になっている。道の脇にはドラッグで死に損なっている人間が何人も転がっていた。
テオは遠くに辛うじて見える盗人の背中を追いかけ続けた。
だが。
曲がり角。曲がり角。また曲がり角。
盗人は追手の巻き方を熟知しているようだった。たくみにテオの視界から逃げ続け、気付けばテオは盗人の姿を見失ってしまった。
一度見失った今、もう見つける事は不可能だった。
テオは膝に両手を置いて荒い呼吸を繰り返す。
疲労とは別に冷たい汗が身体中に流れていた。
顔は真っ白だった。
絶望があった。
自分の臓器でも売り飛ばさなければならないかと、本気で考える。それほどに追い込まれた状況。
しかし、不意にテオに話しかける者がいた。
見れば、地面に広げた布の上に座っている商い老婆だった。
老婆は”へっへっへっ”としゃっくりとも笑い声ともつかない声で不気味に笑っている。
その顔にテオは見覚えがあった。
いつも決まって道の端っこで布の上に商品を広げ、怪しい薬などを売っている年寄り婆であった。
「なんですか・・・」
テオは目を細め、不信感を隠さずに低めた声に乗せて尋ねる。
敬語は使わないとバラム達団員が”底辺のゴミが、、気に入らねえっ”と殴るので自然に使うようになった。
老婆はテオの訝しむ目を見るとより笑みを深め、顔の皺を深くする。
「さっきなぁ お前さんと同じくらいの少年が通ってねぇ」
「追っていたんです」
「ああ、見てたさ」
そう言って老婆は懐からなにやら取り出した。
「お前さんが欲しかったのはこれじゃないかい??」
片手の平に乗せて見せつけてきたそれは、小袋。
まさしく。
テオの探していた小袋だった。
「っ!?」
テオは目を見開いて、飛びつくように近寄った。
「へっへっへっ ダイダロス通りで金目の物を見付けたら盗まん奴は当然おらんよ」
テオには、老婆がそれを盗人からどうやって盗ったのか、方法がまるで見当がつかなかったがしかし、手の平に乗るそれが老婆の言葉を何よりも雄弁に証明していた。
「その小袋を返していただけませんか?」
「ああ、いいさ」
老婆はテオが予想していたよりもあっさりと提案を受け入れた。間違いなく渋ると思っていたテオは拍子抜けである。
しかし、老婆はそれと引き換えにある提案をした。
「返すのはいい ただし、あたしの商品を1つ持っていきな」
そう言って布の上にいくつか置いてある紙の小包を顎で指し示した。
「タダでいいさ」
「なんでですか」
「へっ あんたは貧しそうだからね、老婆の親切さ」
嘘である。実際はテオを薬に溺れさせようとしているに過ぎない。
老婆の売る粉薬はどれも中毒性が高かった。そのため摂取すれば、テオが薬を求めて再び老婆の元にやってくる可能性が高い。その度にテオには代金や労働を要求していけば、いま手にある小袋の中の硬貨よりもずっと高く儲けられる算段であった。
だが、テオも馬鹿ではない。
薬をやってちゃらんぽらんになって道端に転がっている者は、何人も見たことがあった。
それでもテオは薬には興味があった。頭がおかしくなって死ぬのならば楽だろうと思っていた。少なくともバラム達にこき使われて死ぬよりはましで楽な死に方だろうと。
テオは効能が書かれている小包を、1つづつ順番に見ていく。
「これは、、」
テオはその中の一つを手に取った。
”強化”と袋には書かれていた。
「そいつあ、ごっくんすればあら不思議 たちまち最強になる薬だよ」
老婆は胡散臭い言葉で言う。
曖昧な説明しかしない。何をもって強くなるかはわからない。所詮は怪しい薬だ。
それでもテオは興味深そうに薬を見つめた。
怪しくても何でも、強くなれるならそれでよかった。
自分が弱いことは重々自覚していた。だからせめて、薬を使ってでも強くなってみたいと思った。藁にもすがる思いともいえる。
死ぬ前に一度でいいから強者の気持ちを味わってみたいという想い。
テオはその薬をポケットに入れた。
「まいど」
しわがれた声が言った
半月が昇っていたその日の夜中。
テオはこっそりファミリアを抜け出した。
ダンジョンを目指した。
1階層。
ダンジョンの壁は黒みがかった青色の鉱石のような素材でごつごつしていた。
奥に続く空間はどこまでも薄暗い。空気中には肌にまとわりつくような湿った空気が広がっていた。まるで化け物の胃の中の様である。
テオはダンジョンの中に立っていた。
恰好はおよそ冒険者には見えない。ぼろ布を纏った浮浪少年である。見た目は野良犬の方がまだ近いだろう。
金が無いので装備も揃えられない。当然のことである。
それでもモンスターを狩るための長身のナイフは腰に差してあった。
武器屋近くの路地裏なんかでは、職人が捨てたであろう武器が良く拾えるのだ。
それを使って今からモンスターを狩る。
テオはポケットに手を突っ込んで、老婆から貰った小包を取り出した。手の平の上で包みを開けば、白い粉が現れる。
これを飲めば僕でも強くなれるかな。
包みを細く窄めて口元に近づけると、テオは微かな望みをかけて白い粉を口の中へ滑らせた。
苦い。まずい。薬って言うのはこういう味なのか。
テオはケホケホと少しせき込んだ。
全ての白い粉を飲んでも体に直ぐに変化が訪れたわけでは無かった。
テオは効果を待つように壁をじっと眺めていたのだが、やがて体が熱を持ち始めたのに気が付いた。
心拍の鼓動がうるさいくらいに身体に響いている。血流は勢いを増して血を巡らせ体をごうごうと流れる。
瞳孔が開く。口から熱のこもったと息を漏らす。肌に血管を浮かび上がらせる。
凄まじい興奮状態だった。
心は過去最高の昂りを見せ、テオにかつてない自信をもたらした。
「あはっ あっはっ あはははははははっっ」
テオは顔を天井に向けて高笑いした。
感情の高ぶりが抑えられない。ダンジョン中に笑い声を響かせる。
今なら勝てる。
テオはにやりと深い笑みを浮かべている。
正面からは人の気配を察知したゴブリンがやってきていた。
あはあ?
テオははっきりと開いた目でゴブリンの姿を捉えると、
あはあ!
次にはゴブリンに向かって駆け始めた。
今までのテオならそれあ自殺行為に等しい。だが今のテオには恐怖心など微塵もない。興奮が死のイメージを丸呑みしていた。
あっという間にゴブリンとの距離が縮まっていく
ゴブリンは迫ってきたテオに対して、棍棒を上段に構えて身構えていた。
相手がゴブリンと言えど、テオは鎧も着けていない貧弱な人間。棍棒が頭にでも当たれば一発で死ぬ。
それでもテオはまるで足を止めない。遂には目と鼻の先の距離まで接敵した。
「いっひい~」
ゴブリンと目を合わせたテオは、にんまりと笑った。
ゴブリンは奇声をあげながら、すかさず棍棒を振り下ろす。至近距離。しかしテオは間一髪のところで身体を横にずらし避けた。
そして反撃とばかりにナイフを引き抜き、その緑色の首へ振るった。
狙うは魔石。緑の肌に埋め込まれた魔石。壊せば一発で死ぬモンスターの急所。
そこへ刃先が触れた。
魔石が割れる。
「.@::.@,[@["('("5&"(!$!/;,」
ゴブリンが首を締め上げられたような醜悪な断末魔を上げながら、弾けた。
ゴブリンは消滅してしまった。
テオの勝利である。記念すべきテオの初勝利。
テオは手に握ったナイフを見つめた。
「あひゃ!あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」
テオの不気味な笑い声がダンジョンに響いていた。
それからテオはまるで猪のようにダンジョンの中を走り抜けていく。
眼球をぎょろりと動かし、”あひゃひゃひゃひゃ”と奇声をあげながら突っ走る姿は狂人のそれである。
やがて正面からコボルトが飛び掛かってきた。
身体が人型で犬の頭をした魔物である。
テオは、今まさに口を開けて飛び掛かってきていて頭を丸呑みしようとしてきているコボルトのその口の中に自分から腕を突っ込んで、ナイフで内側の首の柔らかいところから強引に切り裂いた。
勢いよく血しぶきが飛ぶ。浴びる。しかし止まらない。
「へっへっへえ!!!」
歪な笑顔を浮かべて走る。
正面から、ヤモリの化け物であるダンジョン・リザードが現れた。
長い舌を伸ばしてナイフを持つテオの腕に絡みつき拘束する。
これではナイフを振るえない。
しかしテオはまるで怯まない。
ナイフが駄目なら”歯”がある。
ビヨンと伸びて腕に巻き付けられているその長い舌の中腹、テオとリザードの間で寄る辺なくぷらぷら揺れているその舌の中間部分に狙いを定め、そして噛みついた。
「))$"=(%)#'%")%」
リザードは鳴き声を上げながら痛くて舌を必死に戻そうとするが、テオは決して離さない。
歯を立てて噛みついたまま頭を横にぶんぶんと振るう。野生の獣のように。
振るって振るって、そして噛みちぎった。
リザードは悲鳴のような鳴き声を上げた。
その目は完全に怯えを示す。背後を向けて逃走を企てるが、テオは ”え゛っは゛ぁ!゛ と歓喜の声を上げながらその緑色の背中に向かって突進、ナイフを一突きした。
魔石が壊れ消滅した。
その後もダンジョンを駆け続けひたすら魔物と対峙した。
目が合えば襲い掛かった。どちらか魔物かもはや分からない。
しかしここまで好戦的なテオではあるが、戦術などはあるわけではない。
そもそも薬を飲んでテオは強くなったわけでは無い。
恐怖を感じなくなっただけだ。
今まではテオがモンスターを前にすると無意識に恐怖を感じていて、戦うこと自体に身体が消極的になり、知らぬ間に身体にセーブが掛かっていた。
その枷が異常な興奮によって外れたのだ。
強くなったわけじゃない。端的に言えば気が大きくなっただけ。
人間の子供が無鉄砲に向かっているだけ。
だから気付けば身体中傷だらけだった。布の服は穴だらけで、肌に走る傷がいくつも明らかになっている。漏れ出た血液は黒々と凝固して、布と肌をくっつけていた。
右肩からも大量の血を流していた。いつからか分からない。巨大な単眼のカエルであるフロッグ・シューターの舌で身体を吹っ飛ばされて壁に強く打ち付けた時かもしれない。
だがどうでもいい事だった。
興奮状態のテオにとっては痛みさえも興奮を煽るスパイスだった。
テオはダンジョンを駆け抜け続けた。
やがて壁がドーム型の空間に辿り着くと、立ち止まった。
天井の一点を中心に壁が弧を描いて放射状に広がっていて、テオはその中心の真下に立つ。
不気味に広く、静謐な空間。壁は黒に緑色を合わせたような汚い色。
何もいないが、身体にのしかかるような重たくて禍々しい空気が漂っている。
それもそのはず、テオのいるその場所はウォーシャドウの巣穴であった。
ぴきりっ
壁が音を立てる。それはモンスターの産声でもある。
ヒビが入って、そのヒビを広げるように黒い腕が出てきて黒い足が出てきて黒い頭が出てきた。
地面に降り立った。
人型で全身を真っ黒に染めたウォーシャドウだった。
一匹だけじゃない。何匹何匹も壁を破って生まれてくる。生まれたウォーシャドウたちはみな、身体をテオに向けてゆっくりと迫る。
テオはあっという間に囲まれた。
多対一。しかもウォーシャドウは”新米殺し”と呼ばれる異名を持ち、テオのような未熟な新米たちの命を何人も奪ってきている。
絶体絶命。テオは追い詰められた状態だった。
しかし、テオは笑っていた。
自らを囲むウォーシャドウたちを見渡すと、にやりと笑い興奮したように鼻息を漏らした。
テオの標的とするモンスターだった。多くの新米冒険者は偉業を成し遂げて強くなる。格上のウォーシャドウを倒すことはテオにとっての偉業で間違いなかった、
今ならいける!
テオはウォーシャドウをじっと見据えてその瞳に自信を浮かべていた。
腰のナイフに手を添えると、一気に駆け出した。
狙うは胸元の魔石。
ナイフを正面に向けて一匹のウォーシャドウに真っ直ぐに突進していく。
しかし相手も抵抗しないわけがない。鋭く伸びた爪を振り下ろし、ナイフの刃先を止めた。
ぎいぎぎぎぎぎ
ナイフと爪、互いに力が拮抗し合って、擦れる。
テオは歯をぎりぎりと嚙み合わせながら、腕先に力を込める。
しかし刃はその先に進まない。
テオが正面の敵に歯を向けている間に、周りのウォーシャドウは背後に回り込み、その背中に爪を勢いよく振り下ろした。
鋭利に緩い弧を書いている爪が、テオの背中の肌を抉る。
肌色の肌に5本線で真っ赤な線が刻まれる。
肉の赤だ。
服が破られ、爪に抉られて見えていた。
何度も何度もウォーシャドウは爪を振り下ろす。
背中は真っ赤になった。
それでもテオは痛みで声を上げたりなどはしない。痛みなど感じてないからだ。ただ不快感はある。
テオは正面のウォーシャドウの爪が固くて刃が通らないと見ると、急反転しながら背中のウォーシャドウに身体に向けてナイフを振り抜いた。
油断していたらしい背後にいたウォーシャドウは、魔石を貫かれそのまま四散。
「えあっはあっ」
テオは歓喜の声を上げる。
しかしウォーシャドウはまだまだいる。
休む暇もなく爪を振り下ろして襲い掛かってくる彼らに、身体中をズタボロにされていく。
戦力には圧倒的な差があった。だがテオは諦めない。
「え゛え゛え゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ゛っ゛」
テオは興奮で雄たけびを上げながら、ナイフを振るい続けた。
テオは壁にもたれかかって座っていた。
身体中血だらけで赤い。目も虚ろで視界はぼやけている。
テオを囲むようにウォーシャドウが立っていた。
テオはもう体を動かすことが出来なかった。
「いたい・・・いたいよお・・・」
薬の効果が切れていた。
身体から闘争意欲は完全に消失して、代わりに今まで身体に負った強烈な痛みを今頃になって味わっていた。
元々戦うスキルがあるわけでもなかった、数でも負けている。気持ちだけで戦っていた。
勝てるわけがなかった。
テオの頭の中ではテオを罵倒する言葉がたくさん繰り返されていた。
雑魚。
生ごみ。
何もできないくず。
役立たず。
いない方がまし。
死んだ方が良い。
ぐるぐるとテオの存在を否定する言葉が絶え間なく聞こえ続ける。
薬の副作用だった。
最高の興奮で現実を忘れた次は、最低の自己否定で現実を思い起こさせるのだ。
テオは過去の記憶を思い出す。
「おめえは弱いなああ、、、あーー弱者弱者! 生きてる価値がねぇよ~!」
いつだったか、テオの頭を踏みつけながらバラムが言っていた言葉だった。
間違いない。
自虐する。
テオは自分の弱さを実感していた。
やはり自分は、グズでのろまで役立たずで惨めな雑魚だった。
薬に頼っても結局勝てなかった。
どうしようもない弱者。
テオは瞳の端から涙をこぼす。血に触れて直ぐに赤い雫になって肌を滑っていった。
周りにいたウォーシャドウたちがやがてじわりじわりと距離を詰めてくる。腕を上に構えて、爪を振り下ろそうとしている。
頭に食らえば死ぬだろう。
テオは薄笑いを浮かべた表情でウォーシャドウを見つめる。
もう死のう。
僕が生きてる価値なんて無い。
もういい・・・
テオは諦めていた。
身体から力を抜いて腕をだらんと地面の上に垂らしてその時を待つ。
ウォーシャドウがとうとう爪を振りおろす。
ひどい人生だったな
テオは目を瞑った。
身体が引き裂かれる痛みが直ぐに来るはずだった。
身体がぐちゃぐちゃになる痛みが。絶命するその瞬間が。
・・・しかし、来なかった。
代わりに地面に巨大な槌を叩きつけたような巨大な衝突音がすぐ正面から聞こえた。
テオはゆっくりと目を見開く。
女が、柄を片手で握って身長程もある大剣を地面に向かって突き刺していて、大剣の先ではウォーシャドウの頭が地面にめり込んでいた。
「よお、大丈夫か」
テオは身体の限界を迎えて意識が遠くなる最中、そんな声を聴いた気がした。
テオはぱちぱちの火の鳴る音を暗闇に聞いて、ゆっくりと目を開けた。
ダンジョン特有の暗褐色でごつごつした岩肌の天井がある。開けた空間のようだ。
身体には毛の布団が掛けられていた。頭には柔らかい感覚がある。布が敷かれていた。
まだ死んでない。
テオは理解する。
ここはどこだと、顔を横に向ければ、薪を燃料に盛んに燃える焚火とその傍にあぐらをかいて座りこみ、串に刺した大きな肉を炙っている若い女がいた。
肌の露出が多い最低限の身軽な服装に、褐色で筋肉の引き締まった逞しい身体つき。
アマゾネスである。
ただ頭に二本の角が生えているというのは、初めて知る。そういう種もいるのかもしれない。
女はテオの視線に気づくと、口角を上げた。
「起きたか 運がいいね」
テオは身体を起こす。
布団がめくれて裸の上半身が空気に触れた。
ウォーシャドウの攻撃を受け止め上の服は跡形もなくなっていたのを思い出す。
傷だらけだったはずだ。真っ赤っかの。見るも無残な姿。
そう思ってテオは自分の体を見下ろすと、驚いた。
酷い裂傷ばかりであったはずの体の傷が、どれも綺麗にふさがっていた。肌も血に濡れていない。まるで戦いが無かったかのようである。
「泉に沈めりゃ、どんな傷もあっという間ってもんさ」
女は驚いてるテオを見てケラケラと笑った。
顎で指し示す方向には、確かに泉があった。水面が宝石のようにキラキラ輝いていて綺麗だった。
女が言うには泉には凄まじい治癒機能があるらしく、傷だらけのテオを見た女は、テオを泉まで担いで連れてきて少しの間沈めたらしい。おかげで薬も身体からすっかり抜けていた。
「あなたが僕を助けた」
「ああ たまたま通ったからな」
女は串の肉にかぶり付きながら答えた。
肉汁を炎の上に垂らしながらガツガツと咀嚼する。
じゅわじゅわ
「あんたも食べるかい? リザードの肉だ」
「いや、いいです」
テオは視線をずらして炎を見つめた。
炎は薪をぱちぱちと鳴らして燃えながら、揺らめいている。
女も炎を見つめながら、何ともなしにテオに尋ねた。
「にしてもあそこで何してたんだい? 見たところ道具もなければ装備も無い、なんなら仲間もいない あんたみたいなひよっ子が一人でウォーシャドウの巣にいるなんて自殺行為じゃないか」
「それは・・・」
言い淀む。
しかし少しの間をあけて口を開いた。
「死にに行っていたんだと思います」
「はぁ?」
女は地を這うような低い声を出した。
怒気を孕んでいた。
鋭い目つきでテオを睨み、顔をくいっと動かし、続きの言葉を促す。
テオは女を見つめ返しながら怯まずに言う。
「僕は弱い冒険者なんです それもひどく弱い雑魚です それでファミリアでもゴミみたいな扱いを受けてて、、僕はもう嫌なんです どうせいつまでもこのままなら、さっさと終わりにしようと思ったんです」
「・・・それで死ぬためにダンジョンに来たのか??」
「はい」
「っちぃ ふざけやがってよ」
女は舌打ちをして苛立った。
「せっかく助けたやつが死にたがりのごみ野郎だとはな!」
「すみません」
「はあ~」
女は呆れたように盛大なため息をついた。
テオは申し訳なさそうに俯いている。
助けてもらったことに一時の感謝はあれど、死への欲望は消えなかった。
戻ればまた地獄のような日々が続くのだから。
「んじゃあ悪いことしちまったな」
「・・・」
「お詫びと言っちゃなんだが、あんたの望みかなえてやるよ」
「え」
「ついてきな」
女はそう言って立ち上がると、ダンジョンの通路の方へ歩き始めた。
テオがその背中を目で追っていると、
「早く来い」
と急かす声が飛んできた。
テオは慌てて立ち上がると後を追った。
「ここだ」
女が言った。
テオは立ち尽くす。
そこはダンジョンがずっと奥まで開けた場所で、一面を覆いつくすほどの白い草が生えていた。
ダンジョンにも植物は生えるらしい。所々に白い幹の木が生えていた。
「ここで待ってれば直ぐにオークがくる 一瞬で頭ぺしゃんこさ」
女は言う。
テオのために、オークの生息地へと案内したのだ。
女は元来た道を引き返していき、背中越しに”じゃあな”と言い残して去っていった。
残されたテオはぼうっと立つ。
咲き誇る白い草花たちは美しいどこまでも広がる庭を作り出している。
まるで天国の様だった。これから死ぬのにはぴったりな場所だとテオは自虐的に笑った。
やがて遠くの方から足音が聞こえてくる。
地響きを伴った足音は、一歩ずつゆっくりと近づいてきていた。
オークの足音だ。
死の迫る音でもある。
ただテオは逃げる事などはしない。死を待っていたからだ。
だが一歩、また一歩と足音が近づき、遂には、テオよはるかに大きい4m程のずっしりとした筋骨隆々の体が見えた時、テオの体は震えが止まらなくなった。
否が応でも本能がテオに恐怖を知らせる。
ぐらりぐらりと地面が揺れて、一歩、また一歩。オークが近づいてくる。
テオは瞳を閉じた。
今までの人生を振り返る。
碌なものでは無かった。
だから命を捨てる。
命を捨てて自由になる。
自由になる。
・・・。
自由になるのか。
そもそも自由ってなんだ。
命を捨てた後の自由ってなんだ。
それは死んでるから自由も何もないだろ。
今は自由だ。
身体が動かせるし、喋れるし、寝れる。
ただ苦しい。
どうしようもないくそみたいな支配が苦しい。
くずみたいな団長が、団員が自分を苦しめる。
そのごみのせいで僕は命を捨てるの?
惨めじゃん。
自由じゃなくて逃げてんじゃん。
あああ、情けない、、
幸せになりたかった、、
ああああああああ、、
あ゛あ゛あ゛あ゛
あ゛あ゛。
「生゛き゛た゛か゛っ゛た゛あ゛ぁ゛」
テオは大粒の涙を流しながら叫んだ。
テオの正面には既にオークが立っていて、頭上まで持ち上げた棍棒をテオの小さな体に向かって一気に振り下ろし始めていた。
棍棒が迫る。
死を悟る。
目を見開く。
時が止まる。
瞬間。
「お゛ら゛あ゛っ゛」
棍棒が止まった。
テオの視界には女の背中があって、女が伸ばした片腕の手の平が、棍棒を握りこむようにして受け止めていた。
テオは死なずに済んだ。女に助けられた。
生きることを望んだから。
そのまま女は棍棒を掴む片手を握りこむ。
めきめきと指先が棍棒の硬いい石の素材にめり込んでいって、やがてはあっけなく砕け散った。
オークが驚く間に、女は飛び上がりながら逞しい足をしならせた回し蹴りを顔面に放ち、オークは弾丸のような速度で広いダンジョンの彼方へと吹っ飛んでいった。
静寂が訪れる。
「”生きたい”って言ったよな」
呆然と立ち尽くすテオに、女が顔だけ後ろに振り向かせて尋ねた。
「確かに言ったよなあ!」
「は゛い゛っ゛」
「あんた、強くなることに興味ある?」
「あ゛、、」
「強くなりたいのか雑魚のままがいいか、どっち!」
女は語気を強めた。
テオは涙ながらにはっきりと言った。
「つ゛よ゛く゛な゛り゛た゛い゛!゛!゛」
「よおし」
女は笑みを浮かべて振り返ると、テオを見下ろして言った。
「あたしが強くしてやるよ」
女が”アジトに向かうからついてくるように”と言った後、ダンジョンを黙々と歩くので、テオもその後に大人しく従って歩いていた。
女の背中をずっと追いかけている。
露わになっている背中の素肌には、たくさんの傷があった。切られたのか肌が裂けたのを示すように、地肌の褐色の中に横線の白い傷跡が残っていたり、火傷の跡だろう、広範囲にわたるピンク色がかったあざが残っている。
テオはじっと背中を睨みながら、この人はただものじゃないと思っていた。
さっきのオーク戦でもそうだ。自分よりもずっと体格が大きいオークの攻撃を余裕で受け止めて、まるで石ころでも蹴とばすようにオークの体を蹴り飛ばしていた。
それに先ほどからダンジョンを歩いているが、現れるモンスターのほとんどが女の姿を見ると怯えて逃げ出し、逃げなかった少数のモンスターも、女が目にもとまらぬ速さで右手に握る大剣を一振りすれば軒並み一瞬のうちに真っ二つにされていた。
振り終えた剣筋を追いかけるように暴風が発生するのも恐ろしい。一振りごとに、まるで断末魔を上げられないモンスターたちの代わりとでも言うように、悪魔のような風の唸り声がダンジョンに響き渡るのだ。
何者かは知らない。猛者であることだけが分かる。
テオは女の背中越しに、意を決して問いかけた。
「あなたは誰ですか」
女はぴたりと足を止めた。そして後ろを振り返る。
「そうか、自己紹介がまだだったな」
女は思い出したように言った。
「あたしはアレクだ アマゾネスのアレク」
「・・・え」
テオは思わず間抜け面をして驚きの声を漏らした。
”アレク”
女は事も無げにそう言った。
テオはその名前を知っている。聞き覚えがあった。
オラリオに住むものならだれでも知っているような、古い言い伝えの中で登場する人物の名前だ。
昔々、メルポファミリアというファミリアがあって、そのファミリアにアレクと言う女がいた。
アレクは他を寄せ付けない圧倒的な”武”の才を有していた。
しかしある時アレクはその力に取り込まれ、我を忘れ、友を忘れ、遂には神をも殺した。
彼女を恐れた神々は、ダンジョンの奥深くへとアレクを封印した。
力に呑まれるなという戒めの込められた言い伝えである。
だがこれはあくまで言い伝えであって、事実ではないとテオは思っていた。
そんなことある筈がない。
テオは半信半疑で訊いた。
「あの、、メルポファミリアを知っていますか」
「お、あたしのファミリアの名前じゃねえか ガキの癖に良く知ってんなあ」
「っ!?」
「いやあ懐かしい」
アレクは微笑を浮かべて遠い目をする。瞳に思い出を浮かべていた
テオは勿論驚いた。
昔話の登場人物がいきなり目の前にいるとして、誰が驚かないと言うだろうか。
「なあ、あんたの名前」
「え?」
「名前まだ聞いてないんだけど」
アレクがじっとテオを見下ろして言った。
「あ、はい テオです ヒューマンです」
「敬語は抜きでいい なんかうざいからな」
「・・・テオ」
「テオ・・・神の贈り物か 良い名前だ」
「どうも、、」
テオはアレクの視線から眼を逸らして答えた。
アレクは目つきが悪いのだ。それは猛禽類のように鋭い。さらに口角を上げれば剥き出しになる鋭くて白い歯と合わさって、獲物を狙う肉食獣のように見えた。だから怖い。
「突っ立ってたらいつまで経ってもつかねえぞ」
アレクは再び歩を進め始め、テオは後を追う。
言い伝えのことは揶揄われただけだろうと思うことにした。
しばらく歩いたときに、道はT字路のような構造に差し掛かった。
正面には壁があり、左右に道が分かれていた。
「あれを見て見ろ」
そういってアレクは左の道の先を指さした。
テオは素直に顔を向ける。
視線の先では袋小路になっていて、鱗を纏った蛇のような体つきに立派な翼と鋭いかぎづめのある大きな二つの足を生やしたドラゴンが、身体を丸めて眠っていた。
身体の下には藁が敷かれている。どうやらドラゴンの寝床の様だった。
「あれは美味そうだ」
アレクはそう言ってにやりと笑う。
捕食者が獲物を狙う邪悪な目つきだ。
アレクは右手に持った大剣を肩に担ぎながら、少しずつドラゴンと距離を詰めていく。
テオは近づいていくアレクを緊張した面持ちで見ていたのだが、唐突に目を見開いた。
アレクの背後へと接近する黒い影があった。
もふもふの細身の黒い犬。
ヘルハウンドである。
ヘルハウンドはもう一つの道である右の曲がり路からアレクの背中目掛けて加速して襲い掛かってきていたのだ。テオが気付いたころには既にアレクの背中の近距離まで迫っていた。
口からは今にも炎を吐き出さんと、赤い光が口の隙間から漏れ出ている。
至近距離で炎で浴びれば、アレクといえどもたちまちに消し炭になるだろう。
アレクは背後を見ていない。
「危ない!」
テオが叫ぶのと、ヘルハウンドが口を開けようとするのは同時だった。
しかしヘルハウンドは炎を吐き出せなかった。
アレクには野生の勘があるらしい、アレクが正面を向いたまま後ろに手を回して、見えていないはずのヘルハウンドの開きかけていた口をふさぐように掴んでいた。
「お、ちょうどいい」
アレクがそう言ってヘルハウンドを見つめると、ヘルハウンドの口元を握る手が、薄紫色に怪しく発光した。
細身だったヘルハウンド体が風船のように膨らむ。
アレクがヘルハウンドの魔力をいじったのだ。魔力を感じ取り、それに自らの魔力を込める。それによってヘルハウンドの魔力の流れはアレクの思うがまま。
ヘルハウンドは吐き出すはずだったガスが体に溜まり、膨らんだ。
アレクは楕円型のボールみたいになったヘルハウンドを、眠っているドラゴンへと勢いよく投げつける。
ヘルハウンドは回転しながら真っ直ぐにドラゴンへと向かった。
モンスターが宙を舞い、モンスターに投げつけられる。冒険者でもなかなかお目にかからない異様な光景である。ヘルハウンドもまさか投げられるとは思っていなかっただろう。
ヘルハウンドはドラゴンの顔に当たる瞬間、勢いよく爆発した。
テオはまるで何が起こっているか分からずに目を丸くしている。
ドラゴンは突然の衝撃で目を覚ました。
とはいえドラゴンである。鱗で覆われた体は丈夫で、煙を纏いながらも表面に軽い傷が入っている程度である。
だが、気持ちのいい眠りを妨げられたドラゴンは怒っていた。
ドラゴンは犯人を捜すように辺りを見渡して、テオとアレクの姿を鋭い眼差しで捉えた。
殺気を含んだ目で睨みつけながら、怒りの咆哮を上げる。
音圧が空気を震わせてびりびりと体を伝わっていく。
テオは”こくりっ”と息を呑んだ。ドラゴンの圧倒的な迫力を前に、人間の方が立場が下だと、自分たちがやられる側だと自覚させられたような気がした。
だがアレクは怯まない。
剣を持たない左手の平をドラゴンに向けてかざした。
すると手の平の真ん中に紫色の玉ができ、それを中心に風が集まっていく。そうして突進してくるドラゴンに向かって手をかざせば、円状に渦を巻く巨大な風の筒が真っ直ぐに放たれた。
トンネルのような風はダンジョンの壁を削り取りながらドラゴンを囲った。
鋭い風がドラゴンの体を切り裂いていく。
ドラゴンはただ身体を暴れさせる。
抵抗できない。
血が舞い散る。
ドラゴンは悲しそうに断末魔を上げると、やがて地面に項垂れて死んだ。
「まあこんなもんか」
アレクは死体を見下ろして一息ついた。退屈そうな表情は、手ごたえがまるで無かったと言っているようである。
しかしドラゴンは弱くない。
今までに多くの冒険者を食らっている33階層のモンスターであり、ダンジョンからはその動向を警戒されていた。
アレクはそれを片手間で倒したが。
アレクはその巨大な体を背中に担ぐと、再び歩き始めた。
「いくぞ」
アレクの声に反応して、ぼうっと立っていたテオもようやく歩き始める。
神話を見せつけられている気分だった。
テオには、アレクが自分と同じ冒険者であるとは到底思えなかった。
アレクはダンジョンの一角の行き止まりで立ち止まった。
「ついたぞ」
アレクが言った。
だが二人の前にあるのは一見何の変哲もない壁である。
ダンジョンの赤黒い壁。胃の外壁みたいな壁。
テオは不思議に思う。アジトへの入り口はどこなのか。
テオが辺りを横目で見渡す中、アレクがおもむろに壁へと手を触れた。
アレクは目を丸くする。
壁が唐突に地面に溶けて、大きな扉上の通路が現れたのである。
「戻ったぞーー」
アレクが響く声で言いながら通路を抜けていき、テオも置いて行かれないように後に続いた。
そして視界に入ったものにテオはさらに驚かされた。
まるで巨大なドームのような空間が広がっていて、様々なモンスターが二人を待ち構えるように立っていた。
例えば、巨大なクマで、人間の体など一瞬で切り裂けそうな鋭い爪を光らせるバグベアー。
一角の生えた後ろ足で立つウサギの姿が一見可愛らしくも、油断した新米冒険者に突撃して串刺しにするアルミラージ。
赤い鱗に覆われた人型の蜥蜴で冒険者の弱点を的確に狙って剣を突き刺してくるリザードマン。
立派な牙を持つ虎で噛まれたらひとたまりもないライガーファング・・・その他、多くの魔物が二人を、特にテオを注視している。
数十体、小さいのも大きいのも。ずらりと並ぶモンスターたち。
じわりじわりと寄ってきて、テオとの距離を詰めてくる。すさまじい圧を放っている。
テオは近づく彼らを見ながら顔を引きつらせた。
鍛えるとは言ってたけど、まさかこいつらと戦えってことなのか。
テオの顔に恐怖が浮かぶ。
無理だ。勝てるわけがない。それはアレクも分かってる筈だ。
テオは横に立つアレクにぎろりと目を向ける。
騙したのか。
テオは声を荒げる。
「アレク!!嵌めたな!!!!」
「ちげーよ」
「いるじゃないか!モンスターが!!」
「ちげえって」
アレクはさも大したことないという風に否定しているが、モンスターたちは現に近づいてきている。
命を狩られる瞬間が近づいている。
テオは腰に下げたナイフを抜くと、モンスターたちに向けた。
その手は震えている。
体が震えている。
せめてもの抵抗だった。
そんなテオをしばらくじっと見ていたアレクだったが、やがて”くっ”と笑みを噴き出した。
「くはははっっ」
「なんだよ!」
「あいつらは敵じゃないさ」
「はあ!?」
「仲間<ファミリア>だよ」
テオが疑問符を浮かべる。
モンスターが仲間とは意味が分からない。
困惑するテオを見てアレクがにやりと笑みを浮かべた。そしてモンスターたちの方を見ると大きな声で言った。
「みんな、仲間が増えた 新入りだ!!」
アレクが言うと、まるでその言葉を合図にするかのようにモンスターたちが一斉に駆け出した。
凄まじい地響き。舞い狂う土煙。乱れ飛ぶ鳴き声。
「いいいいいいいい!!!??」
テオは急速に距離を縮める大群に悲鳴を上げる。
その間にアレクはさっと腕を伸ばし、一瞬のうちにテオのナイフを取り上げた。
丸腰のテオだ。
テオがどうしようもなく固まっていると、あっという間にモンスターたちとの距離は無くなった。
獲物にされるんだ。
テオは恐怖する。
目を閉じた。
・・・もみくちゃにされた。
「うわああああああああああ!!!???」
テオはモンスターたちの間で回る回る。
「ねえねえねえねえねえねえねえねえ」
「ニンゲン、ナカマ、ウレシイ」
「どこから来たんだ?地上か??」
「)”’(”&%)%’”%#&」
あらゆる方向から声が聞こえ、テオの視界はぐるぐる回る。
ウサギ、ゴーレム、インプ、ゴブリン、バトルボア・・・
モンスターたちは腕を差し出し鼻を伸ばし口を近づけ、テオを取り合っていた。
もみくちゃにされるテオを見て、”かかかかかかっっっっwwww”とアレクは腹を抱え爆笑していた。
「ねえねえねえねえねえねえねえ」
「アソブ、オレ、アソブ」
「良い匂いするじゃねえか」
「)#’%’’(”&」
「やめてええええええええええ」
”いひひひいひひwww”とアレクが地面の上に転がりながら笑っているのが視界の端に見えた。
テオはしばらく回されていた。
やがて、
「おーい お前らいい加減にしろー」
とアレクの間延びした声がかかり、テオはようやく解放された。
自由になったテオは地面の上にポケェっと座っている。
状況を掴めず、周りを取り囲むモンスターを呆然と見ていた。
「テオ もう分かったと思うけど、こいつらは仲間だ」
モンスターの波をかき分けながらやって来たアレクは、テオの首根っこを掴んで立たせた。
「襲われた、、」
「スキンシップだ」
「スキンシップ・・・」
テオは先ほどの惨状を思い浮かべ、そこではたと気付く。
「何で喋れる?」
モンスターは通常喋ることが出来ない。少なくともテオが今まで見てきたモンスターは喋ったことがなかった。
しかしここにいるモンスターはほとんどが喋っていて、中には人語をしゃべるものもいる。
テオには初めての経験だった。
アレクはテオからの疑問に、遠くを見て少し考える仕草をした後にこう答えた。
「まあそう言うモンスターもいるってことよ」
何か事情があったが省いたのだろうと、賢いテオは直ぐに察した。
だが追及はしない。
オラリオでの暮らしで面倒な事情などは、誰にでも、幾らでもあると知っていた。
非常識が常識のオラリオだ。
テオも深く知ろうとしないという感覚を自然に養っていた。
テオはあらためてモンスターたちを見る。
モンスターたちは、多くは表情が無い。
ただ敵意が無いということは人間のテオにも分かった。
「これから、こいつらと私であんたを鍛えてやる」
アレクが言う。
「ただし条件がある」
アレクはテオの瞳を真っ直ぐ見つめて言った。
「一つ目は強さを求め続ける事」
テオの顔の前に人差し指を一本差し出した。
テオは自由のために強さを求めている。
問題ない。
「二つ目は地上に戻らない事、テオを通じて足が付いたら困るからな」
いったい何が追ってくるのかテオには分からない。
だがもともとモレクファミリアに帰るつもりはなかった。
モレクファミリアでは朝の点呼というものが行われる。そこにいないものは脱走したとみなされ、次に団員に見つかった時は、袋叩きの末、容赦なく殺されてしまうのだった。
今更戻れない。
問題ない。
「条件は守る」
テオは力強く言った。
「そりゃあいい」
アレクは微笑を浮かべた。
「ただ一つ聞いておきたい」
「なんだ」
テオには確認しなければならないことがあった。
それはオラリオで学んだ知恵。
「なんで僕を強くしようとする アレクにはどんないいことがある?」
言葉には必ず裏表があることをテオは経験で知っていた。
旨い話にはそれ相応の対価がある。
テオは緊張した面持ちで唾を飲み込む。
しかしアレクはテオの予想に反して、随分とあっけらかんと答えた。
「あたしの退屈しのぎだよ 要は暇なのさ だからあたしを退屈させないぐらい強くなれ」
アレクはまた、今まででも特別人相悪く笑って言った。
「とりあえず、あたしに大剣抜かせるくらい強くなれよ クソガキ」
アレクとの会話を終えると、周りで、ずっとタイミングを伺ってうずうずしていた幾らかのモンスターがようやくとばかりにテオに質問してきた。
一斉に喋っている。声が重なり合っていてよく分からない。
ただ、興味を持たれることはテオの人生ではほとんどなかったのでうれしかった。
テオはみんなを落ち着かせると、
「順番に答える」
と言った。
最初に話しかけたのはアルミラージだ。
ウサギで背の低いアルミラージは、立っているテオを見上げながら話しかけた。
「ねえねえねえねえねえねえねえ 君の名前は何なの!?」
テオはしゃがんで視線を合わせる。
凄く興奮した様子の声であるが、実際のアルミラージの表情は一切動かないウサギそのものなので、ギャップが少し面白い。
「テオだよ」
「テオ?? テオ!! 良い名前!」
「ありがとう」
テオの言葉を聞いて、周りを囲んでいるバグベアーやらハーピイが”テオ・・・”と口々に言っている。
覚えようとしているようだった。
「ねえねえ、下の名前は??」
「下?」
「あえ?上?」
「ああ、それ以上の名前は知らないんだ ただファミリアの団員から”テオ、テオ”って生まれた時から呼ばれてたから、テオなんだなって」
事実テオは親の名前も知らなかった。
生まれた時に死んでいる。知る前に死んでいる。
モレクファミリアでは団員が死んで増えてが日常茶飯事のために、いちいち死人の名前など誰も気にも留めないのだ。もちろん記録にも残されない。
「そーなんだー」
と意味をよく理解していないアルミラージに代わって、黒いモフモフ狼であるヘルハウンドが口を開く。
「アマイ、ノ、スキカ? ニガイ、ノ、スキカ? カライ、スッパイ・・・」
「んん、甘いも辛いも苦いもよく分かんない あんま食べたこと無いから」
「オレ、アマイ、スキ」
「僕は酸っぱいものなら嫌いじゃない、良く食べるから」
テオの食べる物は腐った食べ物が多かったから、酸っぱい匂いのする食べ物が多かった。
無駄に腹は丈夫だ。
ヘルハウンドの後にもテオに質問するモンスターはたくさんいた。
新入りの人間であることと、アレクがほとんど地上のことについては話さないこともあって、みんな興味津々だった。
「なあ、なんでここへやってきたんだ??」
「(”$’$2’%(#)」
「地上のこと教えてよ!」
「俺のこと好き!?」
テオは一つずつ丁寧に答えて言った。
やがて彼らの興味が尽きれば、今度は、バグベアーの子供や肉食恐竜であるブラッドサウルスの子供やハーピイがテオを連れ出す。
「「「地上の遊びを教えて」」」
モンスターたちは目を輝かせて言った。
テオは口を結び、言葉を詰まらせた。
アレクのアジトに来たのは鍛えるために来たからであって、遊びに来たわけでは無った。
テオが答えに窮していると、横から声がかかる。
「おおー遊べ遊べ」
見ればアレクが立っていた。
「ガキ同士仲良くしとけ <ファミリア>じゃ、キズナっつーのは大切だかんな」
アレクが言いながら、テオのぼさぼさの髪に手をやってワシャワシャするのでさらにボサボサになった。テオは不機嫌そうにその手を振り払った。
テオはモンスターたちに影踏みを教えた。
オラリオの広場で子供たちがやってるのを、ずっと羨ましく思いながら見ていた遊びだった。
テオは遊びを通して、初めて誰かと心を触れ合わせる楽しさを知った。
テオはアレクとモンスターたちと生活を共にした。
朝はファイアーバードに抱き着かれる形で暖かな羽毛に包まれてすやすや眠っていることが多かった。
ファイアーバードはテオを抱き心地が良いと抱き枕の代わりにするのだ。
その羽は暖かくて柔らかく、テオも気持ちが良かった。
それで日が昇りきっていない早朝の時間になっても寝ていることがあったが、そうするとアレクがやってきて眠るテオの額をデコピンで弾いた。
圧倒的な剛腕から放たれる音速のデコぴん。甲高い音が響く。
その時は骨の髄まで染みわたる痛みが走り、テオはたちまち飛び起きることになる。
「いくぞ」
「んん」
それから二人は食糧調達へ向かう。
早起きはそのためだ。
モンスターたちの食糧は、他のモンスターの肉やダンジョンの植物が主だった。
彼らはそもそも他のモンスターを同族とは捉えていないようで、特別気後れすることも無いようだった。
そして食糧調達はテオの特訓も兼ねている。
例えば、シルバーバックの生息する階層で、アレクが木に成っている黄色や赤の美味しそうな果物を採集している間、テオはひたすらにシルバーバックに追われていた。
シルバーバックは真っ白な体毛に覆われて、両腕の筋肉が異常に発達している猿である。
それを背後に何体も引き連れて、テオは死に物狂いで走っている。
アレクにヘイトが向かないようにする、いわば囮だ。
それをほとんど戦闘経験のない少年に任せるのは鬼畜の極みではあったが。
「足止めるなー 死ぬぞー」
「死ぬうううううう」
アレクは何とも楽しそうに見ていた。
鬼畜である。
テオは、時々放たれる拳を紙一重に身体に掠めて避けながら延々走らされた。
他にも、鎧を持ったアルマジロであるハード・アーマードの柔らかい肉を求めるとなれば、やはりテオは走らされた。
背後にゴロゴロと転がるハード・アーマードの群れを、アレクの待ち構える場所まで連れていく。
「足止めるなー しn」
「死ぬうううううううううう」
言われるまでも無く分かっている。
テオはひたすら走らされている。
食糧を調達し終えてアジトに戻れば、みんなで食糧を囲む。
テオは大体モンスターの膝上に乗せられていた。
アレクによるテオの扱い方を参考にしたモンスターたちの間で、テオは漏れなくガキ扱いされていたためである。
年長のゴーレムやバトルボアなどからは特にテオは可愛がられた。
膝に乗せて、愛でられた。
テオはガキ扱いされることはそんなに好きじゃなかったが、みんなで食事をとることはとても、とても、嬉しかった。
嬉しすぎて、初めてみんなでご飯を食べた時は勝手に涙がこぼれたほどだった。横にいたアルミラージがすごく心配していたのを覚えている。
嬉しかった。
温かい食事が美味しい事を知った。いろいろな味があることを知った。
何よりもみんなで食べるご飯が美味しい事を知った。
みんなで楽しくわいわいと食事を囲む景色は、バラムの椅子をしていた頃では決して見ることのない光景であった。
英気を養えば、やがて本格的な特訓が始まる。
戦闘訓練。
ルールは簡単。
テオは武器としてナイフを使い、相手の首元に突き付けられれば勝ちである。
だが戦闘の経験がまるでないテオにとって、これは何よりも難しい事だった。
モンスターたちは戦いに慣れていた。
アレクが暇つぶしと称して、モンスターたちに戦闘のやり方を仕込んでいたためである。誰でも、かわいらしいハーピイまでも、見事にテオをあしらった。
相手は都度変わった。
アルミラージが相手をするときがあった。
テオよりもずっと小柄な一角のウサギである。
だがテオはまるで歯が立たない。
ナイフを振るっても軌道上に鋼鉄のように固い角を合わせられ、ナイフの動きは封じられる。
力が拮抗してつばぜり合いが起これば、アルミラージが角を上に勢いよくせり上げて、テオのナイフを手元から吹っ飛ばし、そのまま腹に突進。
怯んだテオが尻もちをつけば、すかさず首元に角が向けられた。
「動きが単調」
腕組みの姿勢で見ていたアレクが言った。
リザードが相手をするときもある。
人型の蜥蜴。
賢いリザードはテオの単調なナイフでの攻撃を自身の剣で全て捌ききる。そうして自棄になって闇雲にナイフを振るうテオを、
「アマイ アマイ ナハハハハ」
と、存分にからかうと、適当なタイミングであっという間に距離を詰めて首元に剣を突きつけた。
「もっと頭使え」
あぐらをかいて膝上に頬杖をついていたアレクが言った。
アレクももちろん相手をするときがあった。
彼女に武器などは必要ない。
素手で十分。
まるで思考が透けているかのようにテオの攻撃を全て躱して、一瞬のうちにテオの懐に入り込むと、足払いをして体勢を崩す。バランスを失ったテオが地面に転がれば、すかさず馬乗りになって、邪悪な笑みでテオを見下ろした。
「負けだ」
テオは実践特訓で負ける度に、悔しい顔をした。
敗北が己の弱さを痛感させる。
アレクは勿論のこと、他のモンスターにもまるで通じないのは惨めだった。
やるせなく、気晴らしに石ころを蹴っていることも多かった。
そんなとき、アレクはテオに良く言った。
「雑魚なんだから負けるのは当たり前だ 相手から技術を盗め 真似しろ 話はそっからだ」
アレクはあまりに強くて、だからテオはアレクの言葉をよく信じた。
テオの頭の中ではいつも、テオを負かしたものたちの動きが、何度も何度も繰り返されていた。
次は負けないようにするために、何度も。
訓練の後はまた夕食の食糧調達に駆り出される。
「はs」
「死ぬううううううううう」
戻れば水浴びをする。
広い空間であるアジトには、端の方に、大きく広がる泉がある。
ダンジョンの壁の隙間から湧き出る水が壁を伝って流れ落ち、地面の窪みに大きな泉が作られている。
そこでモンスターたちと共に水浴びをして疲れを癒す。
テオが驚いたのは、テオの前でも関係なしにアレクが裸になろうとすることだった。
テオは顔を赤くしながらアレクに理由を尋ねたが、”家族だからいだろ別に”っと軽く返された。
”よくないっ!”と抗議すると、”かかかっ マセガキだな”とアレクに大笑いされたのが、テオは恥ずかしかった。
一日の終わりには決まって行う重要なことがあった。
ステータスの更新である。
しかしそれには本来、主神の力が不可欠である。
主神が眷属の背中に手を触れてステータスを更新するのである。
だからテオは最初、アレクから”ステータスの更新をする”と言われた時驚いた。
当然アジトに主神はいない。
アレクは言った。
「どうやって神が眷属のステータスを更新すると思う?」
テオには分からない。
首をかしげる。
「元々経験値ってのはそいつ自身じゃ体に還元できないもんだ だから経験値は体の中でぷかぷか溜まってる それに神が力を加えることによって、経験値を眷属の体へ橋渡しする形で吸収させるってわけだ」
アレクが言ったが、テオにはいまいちわからない。
呆けて微妙な表情をしているテオにアレクは説明を続ける。
「それでだ その橋になるものってのがここにある」
アレクはそう言ってテオの前に手の平を差し出した。
上には紡錘形の真っ赤な魔石が乗っていた。
「なんでかはしんねーけど、魔石を食うと神の力を借りなくてもあたしたちはステータスを更新できる」
テオは驚きで目を丸くした。
「多分、魔石・・・っていうかモンスターは、そもそも神がつくったんじゃねーの? それで神の力が魔石にも残ってんのかもなー」
アレクが微笑を浮かべて言った。
「知らねーけど」
ちょっとした冗談のように言った。
テオはアレクの言葉がまるで信じられなかった。
少なくともオラリオにいた頃にはそんな話は聞いたことが無かった。
だが知らないだけとすれば、納得はするかもしれない。
ダンジョンに潜る冒険者にはみんな主神がいるし、魔石は貴重な収入源で石でもあるから、わざわざ食べようなどと考える者がいなかったからかも、とテオは多少強引に理由づけた。
「まあ、食ってみろ」
アレクはそう言って、”ほれっ”と手の平の魔石を転がす。
テオは言われるままに魔石を手に取った。
ヘルハウンドの魔石。真っ赤に輝いている。
食べると何が起こるか分からない。
テオは緊張した面持ちでじっと見つめた後、恐る恐る口元へ運んだ。
ごくりっ。
飲み込む。
「んんんんんんんっっっ!!??」
突然テオは地面に倒れうめき声を上げた。
身体に電流の流れるような痛みが走っていた。
身体が内側から弾けそうな痛み。
驚きと痛みで混乱した。
テオは身体をぎゅっと丸め込んで痛みに耐える。アレクはそれをしゃがみこんでじっと見守っていた。
少し経って。
やがて痛みが治まった。
テオは身体から力を抜いて地面に横たわる。
「はあっ はあっ」
荒い息を吐く。
体中汗だくである。
テオは視界に散らばる地面の石ころを見ながら、痛みが治まったことに安堵した。
「まあ副作用みたいなもんだ そのうちなれる」
アレクはケラケラと笑いながら呑気に言ったが、テオは全く慣れる気がしなかった。
それから毎日のように特訓をした。
テオはどんどん強くなる。
弱さの原因には、元々経験が不足している部分があった。それを実践的な特訓で補う。さらにモンスターに追い回されることで身近な死の恐怖に慣れながら、技術的な指導をアレクから受けられるというのは、強くなるのに効率的な環境と言えた。
テオは多くを学んだ。
対アルミラージなどでは、最初はテオがでたらめにナイフを振るいそれを角に防がれてばかりだった。
だがそのうちにわざとナイフと角を噛み合わせて相手の動きをコントロールすることを覚え、やがてはその角をへし折る芸当をみせた。
「きゅぴいいいいいいいいい!!!!???」
当時、アルミラージが驚愕と絶望の鳴き声を上げて、確認するように何度も角の折れた部分を触っていた。
力の加え方次第では硬いものでも断ち切ることが出来るらしい。
テオは流石に可哀想なことをしたと思ったと同時に、ようやくアルミラージを負かすことが出来たという喜びを感じた。
リザード相手でもリザードの見事な剣捌きを真似て自身のナイフを素早く振るうことを覚え、更に一手でも多く振るって攻撃するのが強いと知れば、いかに手数を増やせるかに邁進した。
怒れる蜂のようにナイフの刺突の連続で激しい攻撃をするようになったテオは、気付けばリザードも圧倒するようになった。
「テオ、ヤルナ、ナハハハハハ」
リザードに褒められたのが嬉しかった。
テオは黙々と特訓に励んだ。
そんなテオの様子を見て、アレクはある日言う。
「そろそろレベル上げをする頃合いだ」
テオは首を傾げた。
「レベル上げってなにするの?」
「偉業を成し遂げりゃ、レベルが上がる」
「偉業?」
「無茶しろってことだ」
いまいち言葉の意味を飲み込めていないテオにアレクは言う。
「まあついてこい」
アジトの壁に手をかざして入り口を作り出し、抜け出ていくアレク。
テオも後を追う。
やがてしばらく歩いたところでアレクは立ち止まった。
テオは道中で既に、向かってる場所がどこであるか察していた。
だから表情が曇っている。
アレクの横に並ぶ。
一気に視界が広がる。
そこは遠くまで見渡せるほど広い空間。一面真っ白な花が咲き乱れていて、純白の絨毯を形成している。
懐かしい場所。
死にかけた場所。
オークの巣であった。
「今から一時間したら戻って来るから、それまでオークを殺し続けろ 途中で投げ出したら殺すからな」
「・・・」
「じゃあな」
ある程度予想していたがそれよりもよほど絶望的な展開だった。
顔を白くして言葉を失うテオを他所に、アレクは振り返る。口笛を吹きながら、陽気に来た道を戻っていく。
最後に入り口付近で立ち止まると、しゃがみ込んで地面に手を触れた。
地面に薄紫色に発光する紋様が浮かび上がる。
魔法陣である。
その上に通るものがあれば、誰が通ったのか魔力を通じてアレクには分かるようになっている。
つまり、テオには完全に逃げ道が無くなった。
アレクが背中を向けて後ろ手に手をひらひら振るのを見送った後に、テオはようやく状況を飲み込み始めた。
これから一時間、無限にダンジョンの壁から湧き続ける荒くれもののオークをひたすらに続けざまに倒し続けなければならない。
以前殺されかけたオークを。
逆に殺さなければならない。
・・・できるだろうか。
テオを自らの身体を見下ろした。
武器は腰に下げたナイフ一本のみ。
装備は防御力皆無の布服だけ。
アレクが”死に鈍くなっちゃいけねえ、それに当たたらなければいいだけだろ?”と言っていたのを真に受けて、テオも装備は着けていなかった。
テオが真似すれば”かかかかかっっっ”とアレクが愉快そうに笑っていたが、着けておけばよかったと今更ながら後悔している。
しかし、悔いてる場合ではない。テオは現実を見なければならない。
やがて正面から地響きが迫ってきた。身体が揺れる。鼓膜が揺れる。
忘れもしない。
オークの足音だ。
テオがナイフを手に持って構えれば、すぐに一匹のオークが正面から現れた。
筋骨隆々な体型も、口の側面より飛び出て天に反り立つ立派な牙も、まさしくオークである。
オークは鋭い目つきでテオを見下ろした。
虫けらを見る目。
なわばりに入ってきた人間が気に入らないようだった。
だが、テオも負けじと睨み返した。
恐れない。恐れてはいけない。気持ちから勝負は始まるのだ。
目を合わせるのは、オークにとって戦闘意欲のある証だった。
オークは鼻息を荒くした。口の隙間から、興奮したオークの吐息が白い蒸気のように漏れていた。
「ぐおおおおおおおおおおおお!!!!」
オークが雄たけびを上げた。
ソレが合図だった。
最初に仕掛けたのはテオだった。地面を蹴とばして、急速にオークに接近する。ナイフを構えて、弾丸のように突撃する。
しかしオークもそう易々と近づくのを許さない。
手に持っていた棍棒を素早く振り上げると、突っ込んできたテオに向かって勢いよく振り下ろす。
棍棒が空気を裂く音がテオの鼓膜を揺らす。
見てる余裕はない。
テオは足を地面に突き刺した自身の勢いを殺し、そのまま横へと飛び跳ねた。
棍棒が少し遅れてテオの元居た位置に振り下ろされる。地面を抉って、咲いていた白い花がぺしゃんこになった。
テオも喰らえば例外では無いだろう。
テオは身体を素早く起こすと、そのままオークの懐に再度駆け出す。
オークは棍棒を振り下ろした余韻で少しの間動けないようだった。
そのうちにテオは接近すると、ナイフをオークの胸に突き刺した。
しかしテオは目を丸くする。
オークの発達した筋肉によって刃先が深くまで入り込まないのである。
どれだけ力を込めようが進まない。その隙にオークは首元にあるテオの顔に狙いを定めると大きく口を開けた。
ばくうっ
オークが素早く噛みついた。
が、テオは間一髪のところで身体をそらし、頭が噛み砕かれるのを回避した。そのまま横に飛び跳ねてオークと距離をとった。
テオは考える。
胸の内部には魔石があるが、テオの力では到底刃先を届かせそうになかった。
だったらどこを狙えばいいか、、
テオが考えている間にオークは、その巨体で突進を仕掛けてきた。
「ぐおおおおおおっっっ」
でかい図体がすさまじい圧力と共に迫る。
テオははっと驚いた後に、迫るオークを迎え撃つ形で走っていき、ぶつかる寸前に身体を斜めにずらした。
オークの横を通る瞬間、その野太い足元に平行方向に握ったナイフの刃先を添える。
オークの片足が当たる、
ぶちりぶちりと肉の切れる音がして、次いで真っ赤な血がナイフに着いた。
テオが振り返れば、オークは片膝をついていた。
足を切った。
テオはオークを追撃する。
今度は胸では無く柔らかい首元へ。
オークは近づくテオを見ると棍棒を横に薙ぎ払った。テオはそれを飛び越えて交わす。そのままオークの背後を取って、首元に思いっきりナイフを振り下ろした。
「ぐええええええええっっっっ」
オークが断末魔とばかり醜い悲鳴を食う気に響かせたが、それでもテオは手を止めずに、何度も何度もその太い首元にナイフを振り下ろした。
抜いて。
おろして。
抜いて。
おろして。
噴水のように血を飛ばして。
やがてオークは動かなくなった。
まず一匹。
テオは大きくため息を吐くが、すぐさま気を集中させる。
すぐに背後から棍棒の振るわれる気配を感じて、テオは横っ飛びをした。
やはり次のオークだった。
オークの振り下ろした棍棒は死体になったオークの頭蓋骨に当たり、木っ端みじんに粉砕していた。
一匹だけじゃない。周囲を見渡せば、たくさんのオークがテオを狙っていた。
テオは眼光を鋭くした。
「へえ」
アレクが再びオークの巣に戻って来たとき、思わず感嘆の声を漏らした。
一面咲いていた筈の白い花は、全て真っ赤に染まり、血みどろの絨毯になっていた。
その中央には身体を真っ赤に濡らした少年が俯いて立っている。
片手に握るのは刃こぼれしたナイフ。
散らばるオークの肉片。
彼こそが地獄を作り上げた主で間違いなかった。
アレクはたくさんの死肉を踏みつけながら、彼に近づいていく。
辺りには、ケモノの臭いと血の生臭い匂いと花の甘い匂いが入り混じる鼻のひん曲がりそうな悪臭が漂っている。
アレクの口角は自然に上がってしまう。
大好きな香りだ。
やがてアレクは少年の、テオの、背後に立った。
身体は傷だらけで穴だらけだ。
「生きてっかー」
アレクは言いながら肩に手を伸ばした。
瞬間。
テオが振り返りながら、アレクに切り掛かってきた。
アレクは動揺しない。冷静にテオのナイフを握る手首をつかんだ。
アレクとテオは向かい合う。
テオの瞳孔は開いている。歯をむき出しにして威嚇している。
それはまさに野生の生き物であった。
だがアレクの顔に驚きはない。微笑を浮かべてすらいた。
アレクは知っていた。
人間も極限状態までいけば、思考を通さずに我を忘れて行動するケモノになることを。
「よくやった」
アレクはつぶやくと、テオの額に思いっきりデコピンした。
ばちんっと乾いた音が響くと共にテオの体は軽々後ろへ吹っ飛び、そのまま意識を失った。
「おいしょっと」
アレクはテオを担ぐとアジトへ戻った。
アジトではモンスターたちがみな驚いていた。
わらわらと寄ってくるモンスターたちをアレクは鬱陶しそうに手で追い払いながら、泉でテオの血を洗い落として、毛布でくるんで寝かせた。
それから三日三晩眠ってテオは目を覚ますことになる。
テオはレベル2になった。
それからも特訓の日々は続く。
レベルが上がろうとも、アレクには依然敵わないままだ。その背中に掛けた大剣は抜かれていない。
アレクとの約束は守れていない。
テオはレベルが上がっ
て身体能力が格段に上昇した。壁を駆けることが出来る程に足が早くなった。
しかしテオと実践形式の特訓を行えば、テオが地面を蹴ってアレクに接近したその瞬間に、頭を掴まれて、勢いを殺され、そのまま地面へと叩きつけられて埋められる。
「早いだけじゃしゃあねえぞー」
まだまだ差があった。
また、たくさんのオークの血を吸ったテオのナイフは錆びついて、まるで使い物にならなくなってしまっていた。
なまくらである。
テオはなまくらをフレイムロックに上げた。溶岩から生まれたモンスターである。
彼は美味しそうに食べていた。
むしゃむしゃ。むしゃむしゃ。
変わったやつ。
テオは新たな武器を探しに、安全階層である18階層の『リヴィラ』の街に向かおうかと考えていたが、向かう前にアレクが声をかけた。
「これやるよ」
そう言って、アレクが手の上に乗せて差し出したのは一本のナイフである。
持ち手は白を基調としていて、所々に植物のツルのような赤い線があしらわれている。また持ち手の端には、紅い文字で”椿”と彫られている。
刀身は、持ち手とは反対に黒い。漆黒である。全てを吸い込むような黒である。
大きさも形も依然使っていたテオのナイフに似ているが、なぜだか見ていると圧倒されるような、何かに踏みつけられるような圧迫感を感じた。
「これは?」
「昔、知り合いにもらったんだ カドモスの牙を欲しがってたから、いっぱいくれてやったらそのお礼つってな」
「カドモス!?」
知識の乏しいテオでも知っている。
51階層にいる強竜であり、強さでは最上位に位置するとされるモンスターである。
「あたしはでけえ剣しか使わないからいらねえのよ」
「ああ、うん」
「一生刃こぼれしないってよ」
「・・・」
テオは言葉が無かった。
テオは、モンスターたちと共に日常を過ごす。
特訓の日々。
繰り返す日々。
穏やかであった。
だが、穏やかじゃない日もあった。
それはある日の食事の際。
「ねえねえねえねえ アレク!ドラゴンの卵食べたい!アレク!」
アルミラージが思い出したように言った。
すると共に食事を囲んでいたモンスターたちも次々に、
卵!卵!
と言い始めた。
テオを膝に乗せている年長のゴーレムさえも卵!卵!と腕を振り上げて騒いでいる。
テオの体がぐあんぐあん揺れる。
嗚呼、スープが、、
悲しみ。
テオがアルミラージに理由を聞けば、どうやらアレクが過去に11階層に住むインファント・ドラゴンの卵を盗ってきたことがあるらしかった。
それは非常に大きな卵で、ゆで卵にしてみんなで食べたが、口の中に広がる甘味が形容し難いほどの美味だったとか。
皆はそれを忘れらないでいて、最近の食糧が肉ばかりなこともあって、みんなが騒ぎ出したようだった。
しかし、
「ああーーーうるさいうるさい」
アレクは面倒くさそうにして、まるで聞く耳を持たなかった。
耳を塞いで、徹底抗戦している。
「あれとってくんの面倒くせーんだって」
「「「BOOO! BOOOO!」」」
モンスターたちが一斉にブーイングするが、アレクは無視して肉に噛り付いていた。
アレクは嫌がっている。
こうと決めれば梃でも曲げないのがアレクである。
それをみんな分かっている。
とすれば、他にダンジョンを自由に動き回れるのは・・・
みんながテオに視線を向けた。
「「「おねがい」」」
「・・・え」
「「「おねがい」」」
こうしてテオはタマゴハンターの役割を担うことになった。
最初の予定は、インファント・ドラゴンの巣に忍び込んで、卵を回収して、すぐに戻ることだった。
インファント・ドラゴンは巣を空けてることも多い。
隙を突けば簡単な作業に思われた。
しかしアレクが面倒くさがったのにはちゃんと理由があった。
テオが無事に巣に忍び込んで、卵を持ち上げた時、それは起こる。
ダンジョンの壁に張り付いてテオの一連の動きを見ていたコウモリが、突然甲高い鳴き声を上げた。
ドラゴンは不用意に巣を離れていたわけでは無く、コウモリと言う監視役を付けていたのである。
鳴き声は超音波に近かった。ダンジョンの洞窟をどこまでも響き渡って、やがて親ドラゴンにも届いた。
モノの数秒で、インファント・ドラゴンが巣に戻って来た。
真っ赤な体に大きな翼。
殺気のこもった眼がテオを射抜いていた。
テオは身体を強張らせる。
入り口を見れば、コウモリが何十匹という群れを成して埋め尽くし、テオが逃げられないように閉じ込めていた。
振り返り、眼を見開く。
インファント・ドラゴンが大きく口を開いた。
炎のブレスが包み込んだ。
アレクは鼻歌を歌いながら、インファント・ドラゴンの巣に向かっていた。
テオが大変な目に合う未来は知っていた。
インファント・ドラゴンはテオよりも格上のモンスターである。子育て期の彼らを怒らせて殺される冒険者も多い。
しかし止めなかった。
テオが死にかければ死にかける程、それが強くなるきっかけに繋がるためである。
死んでいたらそれまで。
生きていたら賞賛を。
冒険者とはそういうものだ。
アレクはやがて入り口にやってきて、蓋をするコウモリたちを大剣の風圧で漏れなく吹き飛ばした。
中の景色が広がる。
果たして。
テオは全身丸焦げで血まみれになりながら生きていた。
近くにドラゴンの首も落ちていた。
テオはまた勝利を積み上げたのだ。
アレクはテオと卵を担いでアジトに戻った。
心配で寄ってくるモンスターたちを蹴散らしながら、テオを泉に沈めた。
テオはそのうちに目を覚ました。
テオはレベル3になった。
この頃になるとテオはダンジョンの上層~中層に潜ってモンスターを狩るようになった。
野生のバグベアー(巨大なクマ)の群れに飛び込んで、襲い掛かってくるバグベアーをひたすら捌く。テオを中心に円を描くようにしてバグベアーの死体が山ほど築かれていく。それを乗り越えてバグベアーが襲い掛かる。それが死ぬ。積み重なる。乗り越える。襲い掛かる。死ぬ。
テオの縦横無尽の身のこなしと振れば血を描くナイフ捌きは、まさに達人そのものであった。が、テオの心中は、いつ死ぬとも知れない恐怖を背負いながら、それに抗うべく一時の気の緩みも許さない圧倒的集中の境地であった。
この極限の経験こそがテオの能力を向上させるのだ。
夕食の時間が近づけばテオはアジトに戻り始める。
みんなで食事を囲むのが何よりも尊いものだとテオは知っていた。それにみんなで食べたほうが美味しい。
初めて手に入れた”家族”。
少年の数少ない大切なモノ。
して、足の早まるその帰り道だった。
テオは一匹のヴィーヴルに出会うことになる。
ヴィーヴルは上半身が人型で下半身が蛇のラミアである。額の赤い宝石は国を変えるほどの値段が付くとも噂される。
希少性の高いモンスター。
それが、羽の生えた小悪魔であるインプに囲まれて、身体を小突かれていじめられていた。
「)”’%(’)(Y」
「)’’(#&%)!’$」
「やめてよ!いたいよお!」
インプがニヤニヤと笑みを浮かべているのに対し、ヴィーヴルは眼に涙を湛えている。
テオはその声を聴いて目を丸くした。
ヴィーヴルが自分にもわかる言葉を喋っていた。
つまり、ヴィーヴルはアジトのモンスターたちの仲間ということになる。
ダンジョン内において、他に喋るモンスターと遭遇することなど今まで無かったばかりに驚いた。
助けよう。
テオはナイフを握りしめた。
テオがアジトへ連れ帰ると、モンスターたちはテオの時と同様に、歓迎とばかりに一目散に集まってきた。アレクも遠くで壁に寄りかかって、見ている。
「みんな、恐がってるから離れて」
テオが言う。
ヴィーヴルは皆の視線から避けるように、テオの背中に隠れていた。
ヴィーヴルはどうやらモンスターが怖いらしかった。
それはテオに見つけられるまでに、ダンジョンのモンスターたちに酷い目に合わされてきたことが要因である。
双子の妹と共にダンジョンに生み出されたが、はぐれてしまい、それからダンジョンを移動して探し回っていた。道中、様々なモンスターにいじめられていた。
たとえ、全く敵意のない歓迎さえする同族の喋るモンスターが相手だろうと、簡単に恐怖はぬぐえない。
だからヴィーヴルがファミリアに入ることになってからも、皆の輪にうまく入れなかった。
唯一心を開いたのはテオだった。
暇されあればくっついていた。
寝るときは寝床に忍び込んでくっつき、ご飯を食べるときはあーんしてくっつき、水浴びをしている時もくっつき虫。
妹がいない寂しさを埋めるように。
そうしてやがて。
テオがダンジョンに潜るとき、邪魔にならないように気付かれないように、こっそり後をついていってしまった。
「きゃああああああ」
テオがダンジョン内の狩場に向かう途中、背後から悲鳴が響いた。
驚いて振り返る。
そこにはヴィーヴルの体を背後から拘束して身動きを取れなくしているゴブリン二匹と、その背後に立つバーバリアンがいた。
ミノタウロスのような筋骨隆々な肉体に真っ赤な体毛を生やし、巨大な2本の巻角が頭から伸びている。
ゴブリンとは当然種が違う。
だが、ゴブリンは本来群れで生きる生き物ゆえに群れから追い出される個体もまた存在し、それが新たな主を求めた結果、強者たるバーバリアンにいきついたのだろう。
バーバリアン。推定レベル4。筋肉だるま。
破壊の化身。
「テオ、、ごめん、、」
ヴィーヴルが言う。
当然テオは逃げない。
ヴィーヴルは家族だ。
地面を揺れ動かすような咆哮を上げるバーバリアンに、剣を向けた。
やがて体がボロボロになった少年をヴィーヴルが担いでアジトに向かう。
テオは勝った。
ぼろぼろだが。
勝った。
ダンジョンを二人でゆっくり進む。
テオはヴィーヴルに背中に担がれながら、ヴィーヴルの耳元に口を寄せた。
「ヴィーヴル・・・」
「テオ?」
「僕はあのデカイの、すごく怖かったけど、立ち向かった」
「うん」
「だからヴィーヴルも怖いだろうけど、みんなと話してみて」
「・・・うん」
「約束だよ」
「約束」
アジトに戻れば、ヴィーヴルは泣きながら事の顛末をみんなに説明した。
テオは数日後に目を覚ます。
テオはレベル4になった。
レベル4というのはテオにとっては一生届くことが無いと思っていた高みだった。
地上にいた頃は考えもしなかった。
レベル2になるだけでも相当に難しいことだ。レベル4にもなればオラリオでもなかなか見受けられない。
事実モレクファミリア内でもほとんどいなかった。
中堅ファミリアでは頭を張ることが出来るし、迷宮の弧王であるゴライアスだって一人で相手取ることが出来る。
優れた冒険者で間違いない。
だからテオは今までよりも強い自信をもって、アレクに挑む。
テオとアレクは一定の距離を開けて向かい合っている。
二人の周囲にはモンスターがギャラリーを作っている。
二人の戦いを見守るのは恒例行事である。
「お、良い面構えじゃねえか」
アレクがにやりと笑った。
テオは引き締まった表情でアレクのことを見据える。
今日こそ一矢報いる気でいた
レベルが上がった今なら、その背中の大剣を抜かせることが出来るんじゃないかと、そう思っていた」
「いくよいくよいくよ!よおいすたーーとぉ!」
周りを取り囲むギャラリーに混じって、アルミラージが始まりの掛け声を上げた。
仁王立ちするアレクへ、テオは駆け出した。
自信をもって。
負けた。
また、負けた。
テオが地面に伸びていて、その背中にアレクが座っていた。
近い地面。
テオを見下ろす余裕そうなアレク。
何度も繰り返した光景である。
レベル4になっても尚、テオはアレクに大剣を抜かせることが出来ないでいる。
それからも挑戦する日々が続く。
負ける。
負ける。
負ける。
負けた。
負け続けた。
どれだけ挑んでも差が縮まっている気がしない。
レベル4ともなれば、そもそもステータスを上げる事にも難儀する。
緩やかで微々たる成長。
いつになったらアレクに追いつく?剣を抜かせられる?
自問するうちに、テオは最近思うようになった。
アレクに敵わないことはそんなに悪い事だろうか。
そもそも強くなりたかったのは、自由が欲しかったからだ。モレクファミリアの支配から逃れられる自由が。そのための強さが。
でも、もう手に入れただろう、それは。
大体の冒険者なんて返りうちに出来る程に、今の僕は強いはずだ。
それに、憧れた”家族”も今はいる。
アジトのモンスターたちとアレク。
皆との日常は十分幸せだ。
これ以上に何を求める必要があるんだろう。
強くなる必要なんてあるのか。
いや、それが約束ではあるけど。
分かってるけど。
でもこれ以上強くなるなんて、どうすればいいかわかんないし・・・
何回やってもどうせ負けるし・・・
勝てないし・・・
弱気になっていた。
今までは漠然と強さを求めていた。自分が弱いという焦燥感があったから。
だが。今は、無い。
強くなったから。
そして、アレクに追いつけないことが当然であるから。
そしてテオは再びアレクと向かい合う。
「おい、浮かねえ顔してんなぁ?」
アレクが茶化すように言う。
しかしテオの気持ちは乗らぬまま。
今日もまた負けるんだろう。と、心の中で呟いている。
アレクはそんなテオを、先程までの揶揄う表情とは一変して厳しい目で見つめた。
やがて戦闘開始を告げるアルミラージの掛け声が掛かった。
テオは、やはり負けた。
”やっぱりな”と、感情の伴わない無気力で力のない目をして地面に転がっていた。
ちっっ
立って見下ろしていたアレクが、大きく舌打ちをした。
明らかな苛立ちが籠っていた。
アレクはテオの胸倉をつかむと、強引に立ち上がらせる。
テオはアレクに目を合わせないよう、横を向いていた。
「あんた、いらないわ」
アレクが吐き捨てるように言った。
テオが少し遅れて、ゆっくり顔を上げる。
瞳を開いて驚いていた。
「強くなる気が無い奴なんていらない」
「え・・・あ・・・」
「ゴミクズだ 今のあんたは、初めて見たときと変わらない屑だ」
テオは言葉を詰まらせる。
アレクの声色は海の底のように冷たかった。
「ファミリアから出てけ あんたはここに相応しくない」
そう言って、アジトの出口の方面へと放り投げた。
地面を転がるテオ。
慌てたように顔を起こす。
口を開けて何か言葉を紡ごうとしたが、
「早く失せな! でなければ殺す!!!」
アレクが怒声を轟かせた。
殺気の籠った声だった。
眉を吊り上げ、般若のような表情をしている。右手は背中の大剣の持ち手にかかっている。
テオの体は意識せずとも震えていた。
防御反応だった。
自らの切り刻まれる姿が、アレクのたった第一声で容易に想像できてしまった。
周りのモンスターたちも震えていた。
「さあ! 消えるか! 死ぬか!」
テオは慌てて立ち上がると、逃げるようにアジトを去った。
「ねえねえねえねえ」
「あ?」
「あそこまで言わなくてもよかったんじゃない??」
「・・・あいつには強くなってもらわなくちゃ困るんだ」
「でもでもさあ」
「強くなくちゃいけないんだ」
「・・・」
「いずれあたしの代わりにあんたたちを任せるんだから」
「・・・悲しいこと言わないでよ」
テオはダンジョンをとぼとぼ歩いていた。
ファミリアにはもう戻れない、そう思うと悲しかった。
しかしこうなったのは自分の腑抜けた気持ちが原因であることもまた、理解していた。
でもどうすればいい。
テオは当てもなくダンジョンを歩いていた。
気付けば9階層にやってきていた。
特に目的があったわけではない。テただ何となく歩いていた。
ふと顔を上げる。
通路の奥、遠くのルームからなにやら物音がするのにテオは気が付いた。
剣が弾かれるような音。獣の唸り声。地響き。
その激しさは戦闘が行われることを容易に想像させる。
テオはほんの気まぐれでその様子を覗いてみることにした
狭い通路を進んでやがて大きく開けた空間が現れて、その中央では一人の少年と一頭のミノタウロスが睨み合っていた。
ウサギみたいな赤目のヒューマンである。
体の線も細い。
対するは、どういうわけか通常種よりもさらに筋肉質に身体を発達させているミノタウロス。
手には剣を持っている。なぜか。
普通は15階層にいるモンスターがここにいる。なぜか。
困惑する。
だが、この場を包んでいる刺すような緊張感はまさしく決闘の緊張感であって、両者が命を懸けた殺し合いを行っている事だけは確かに分かった。
緊迫した空気に動きが起こる。
少年が手をかざして、球状の炎を解き放つ。
「ファイアボルトッッッ!!」
火球はそのままミノタウロスの頭へと着弾した。
ミノタウロスの顔が煙に包まれる。
だが二足で立ったまま微動だにしていない。つまりまるで効いていない。
少年も分かっているらしい、何度も何度も呪文を詠唱して、火球を飛ばした。
連続で当たる。
全て当たっている。
だが煙が抜けて露わになる逞しい身体にはほとんど傷が入っていない。
筋肉の装甲は少年の魔法をも弾き返すようだった。
「ぶもおおおおおおおおっっっっ」
ミノタウロスが天井に向かって咆哮した。
”こちらの番だ”と主張するように、空気に轟いていく。壁を振動させる。
やがて前を向いたミノタウロスは、その鋭い目を少年に向けた。
少年の体はびくびくと震えている。顔も引きつっている。
恐怖が体にのしかかっている。
ミノタウロスは前傾姿勢になると、そのねじれた角を少年の体に向けて、一直線に走り出した。
土煙を背後に引き連れながら一瞬のうちに加速する突進は、放たれた矢のようである。
あっという間に距離が縮まる。
少年は恐怖で身体が固まっている。
がきぃぃぃっっ
あっという間に角が少年の鎧に触れた。ミノタウロスはそのまま頭を振り上げれば、少年の体は宙に勢いよく投げ出される。
まるでボールのように。軽々と飛ばされる。
やがて体を地面に強く打ち付ける。
”う゛う゛っ゛と痛みにうめく声が聞こえていた。
ミノタウロスはさらに追い打ちをかける。
落下地点に向かって再び突撃をして、地面に落ちた少年の鎧に角をねじ込ませると、放り投げる。
それを何度も繰り返す。
その間少年は抵抗できずに投げられっぱなしである。
やがて何度目かの突進を食らった時、とうとう少年の鎧が壊れてしまった。
地面に破片が散らばって、丸腰になる。
少年は身体を角で貫かれながら、腹に貫通させながら、やがて角をぶるるっと勢いよく振るわれ、ひときわ遠くへ飛ばされる。
壁に背中を強打した。ずりずりと壁に血をこすりつけながら体を降ろし、やがて地面の上で電池の切れたように力なく横たわった。
死んだのか。
テオは思った。
だがよく見れば、少年の腕が微かに動いている。
まだ生きてる。
だが圧倒的に劣勢な事実は変わらない。少年がこと切れるのはそう遠くない未来だとテオは憐れむ。
これはもう諦めるな。
テオは自分だったら、と思った。
地面に転がってる少年は、自分がアレクにやられている時と姿が似ている。
ミノタウロスが少年より圧倒的に格上だということも、また似ている。
こんな状況になって勝てるなんてとても思えない。
しかし、少年はといえば、立ち上がった。
ゆらゆらと頼りない足取りでも、幽鬼のようにのっそりと立ち上がった。
テオは瞠目する。
絶望的な状況でも立ち上がることを選んだこともそうだが、それよりもその目。
少年の目が確かにミノタウロスを睨みつけていた。
まだ勝負の意志を漲らせて、勝利への執念をミノタウロスに見せつけていた。
少年は諦めていなかった。
なんで。
テオには分からない。
でも惹かれた。
ミノタウロスは少年の目が気にくわなかったらしい。
再び前傾姿勢をとると、怒涛の勢いで突撃をかます。
少年の体は立つだけでもボロボロだ。だから避けられない。
直撃して、角が振り上げられて、また少年の体は飛ばされる。
おもちゃのように何度も飛ばされる。
でもその度に少年は立ち上がった。
ただ殺気の籠った眼をミノタウロスに向け続けた。
そこでテオはふと気づく。
少年の右腕が輝きを帯びていた。
見たことがある。アレクが魔力を溜めるときとよく似ている。
彼は無抵抗に無鉄砲にただやられていたわけでは無かったのだ。
やがて再びのミノタウロスの突撃。
迫る角と肉体。
それに合わせるように少年は手をかざした。
歯を食いしばって目を見開いていた。
そして雄たけびを上げるように叫んだ。
「フ゛ァ゛イ゛ア゛ア゛ア゛ボ゛ル゛ト゛ッ゛ッ゛ッ゛!゛!゛」
勢いよく放出された火球がミノタウロスの口の中にぶち込まれた。
火球は込められたエネルギーの分体内で炸裂して、眼玉から口から傷口から炎の光を放出した。
遂には、ミノタウロスは煙を吐きながら倒れた。
少年が勝った。
あれだけ絶望の淵に立たされていた少年が、実力差を覆して勝った。
テオは心を殴られたような衝撃を受けた。
気付いた。
自分がやっていたことは、何かと理由を付けて現実から逃げていたに過ぎなかった。
相手がどんだけ強かろうが関係ない。
諦めちゃいけない。
彼の雄姿が、そう気づかせた。
テオは振り返ると、ダンジョンの奥へと潜っていく。
アレクにリベンジしなければならない。
そのためにはやはり強さが必要だ。ステータスだけじゃない、精神力の強さも。
生ぬるい環境に浸かるのでなく、厳しい環境に身を置いて。
気を抜けば死ぬような場所へ。
そして次にアレクに挑むときは死ぬ気で挑まなくてはいけない。
負けたら死ぬ覚悟で。
自らを追い詰めて。
それから幾らか経ってテオは、もはや立つことも無いと思っていたアジトの入り口の前に再び立っていた。
入り口の見た目はダンジョンの壁と同化している。テオの力では空けることが出来ない。
アレクの魔力でなければ、開かない。
「アレクーーーー!!!」
テオはアジトの中にも聞こえるように大きな声を上げた。
返答はなく、まるで壁が音を吸い込んでいるようである。しかし、実際は中にも聞こえていることをテオは知っていた。
「アレク―ーー!! 戦いに来た!!! ここを空けろ!!!」
テオは堂々と宣言した。
言葉には一切の淀みも無く、真っ直ぐと腹の底から発せられている。
その甲斐あってかやがてテオの言葉に応えるように入り口の壁が地面に溶けて、仁王立ちするアレクがテオの前の前に現れた。
「やられるためにわざわざ戻って来たのか、屑がっ」
アレクが底冷えするような声色で、テオに言い放つ。
吐き捨てるように言った”屑が”の言葉には本当に屑だと思っているかのような嫌悪感が込められていた。
しかしテオも言い返す。
「いや 今日こそやられない 必ずその背中の剣を抜かせて見せる」
テオは、見下ろすようにして見てくるアレクの視線を睨み返しながら言った。
その目に宿るのは確固たる自信である。
この日のためにテオがどれだけの覚悟を決めてきたことか。
テオの真っ直ぐな視線を見たアレクは、くるりと踵を返した。
「来な」
背中越しにそう言ってアジトの中へ入っていく。
挑戦することを許された。
久方ぶりに見た背中は相も変わらず大きかった。
テオも後に続いた。
久々にアジトへやってきたテオを見て、モンスターたちはざわめいた。
もう会うことが出来ないとみんな思っていた。だからテオの姿を見た時には皆大層嬉しそうに声を上げた。
「テオ!?」
「テオ坊ーーーーー」
「()&%’Q#&’&」
ヴィーヴルを始めとする何匹かのモンスターは再開の嬉しさに、ボロボロと涙を流していた。
テオも懐かしい顔ぶれを見ると自然と嬉しい気持ちが起こる。
今まで離れていた日々で一日たりとも彼らの顔を忘れたことは無い。モンスターたちも、当然アレクも、いつもいつも頭にあった。それほどアジトは居心地のいい場所であった。
だからこそここに居たかった。いるためにアレクにケンカを売らなければならなかった。
二人は過去にはいつもやっていたように、一定の距離を開けて、向かい合った。
「まさか久々に来てただ戦おうってんじゃないよな」
アレクが言葉を投げる。
「分かってる」
「聞かせてみなよ あんたの何が変わったのか」
「僕は弱い心を持っていた アレクに何度も何度も負け続けて、気付けばそれが当たり前になっていた、敗北に鈍感になっていた そしてその自分の弱さに適当な言い訳を付けて逃げていた」
「それで」
「一人のヒューマンによって僕は気付かされた 自分がどれほど情けないかを それで僕は自分を、心も体も鍛え直した」
「もう逃げないために」
テオはそこで言葉を区切ると懐から透明な小瓶を取り出した。
中には紫色の液体が瓶口まで入っていた。
「これはパープルモス(毒蛾)から採取した毒だ 負けたら、僕はこれを飲む!」
テオがきっぱりと言い切った。
パープルモスの毒。微量ならば遅効性のしびれが訪れる程度。しかしテオが手にもつ瓶いっぱいの分量ともなれば、間違いなく致死量を超える。
呑めば、死ぬ。
すなわち逃げた先は死。
敗北も死。
狂人の発想ではあるかもしれない。
しかしこれが覚悟の現れ。
ここまでして自分を追い詰めなければ、死の恐怖に追い立てられなければ、アレクに一矢報いることは難しいとテオは本気でそう思っているのだ。
全てはアレクに剣を抜かせるため。
だから周りで見守っていたモンスターたちも驚いていた。
ただアレクだけは、にやりと笑みを浮かべた。
「おもしれえ 男に二言はねえな」
「ない」
テオは短く言った。
「ルールは変わらない あたしが大剣を抜いたらテオの勝ち テオがくたばったらあたしの勝ち」
「ああ」
「やるか」
「絶対勝つ」
テオは言った。
意気揚々と言って。
少し経って。
テオは壁に埋まっていた。
アレクに殴りつけられてそのまま埋まった。
自分を鍛え直したところで、すぐに縮まる力量の差では無かった。
分かっていた。
身体はもうズタボロでまるで動かすことが出来なかった。
「もう終わりだな」
そう言って背中を向けるアレク。
だがテオは諦めていなかった。
まだ終わってない。
辛うじて意識がある。
諦めてたまるか。
その背中に向かってナイフを振り下ろしやる。
諦めてたまるか。
諦めてたまるか。
諦めてたまるか。
テオの頭に浮かぶのは白髪の少年の姿だ。
絶望的な状況に追い込まれながらも決して諦めずに向かい続けた少年。
最後の一撃を、たった一撃を狙い続けた少年。
諦めなかった少年。
彼は自分の勝利を信じ続けて勝利を手にした。
僕も、彼のようになりたい。
彼のように、勇ましい冒険者に。
だから。
動け。
動け動け。
動け動け動け。
動け動け動け動け。
テオは脳内で唱え続けた。体に力を加え続けた。命令を送り続けた。
動け動け動け動け。
動け動け動け動け動け。
動け動け動け動け動け動け
動け動け動け動け動け動け動け。
動けぇ!!!!
【
突然、テオの身体が淡い光を纏った。
不思議と痛みが消えた。
身体が動かせた。
テオは地面に降り立つ。
アレクは未だ気付いていない。
今しかない。
テオは全速力で地を駆けた。
アレクの無防備なその背中に接近して、
狙いを定めて、
ナイフを振るう。
「っ!?」
刃先が肌に触れる瞬間、アレクが驚愕の表情を浮かべながら振り向いた。
そのままアレクは驚異的なスピードで身を翻した。
そして。
抜いた大剣を盾にしてナイフを防いだ。
「・・・へへ 僕の勝ち」
テオはそのまま電池の切れたように地面に倒れた。
テオはアレクに勝った。
【
・痛覚の遮断
・発動後長時間気絶
・任意発動
夜になってテオは目を覚ました。
その日の夕食は、賑やかだった。
テオのお祝いと言って、みんなで火を囲んで肉を食べ、リヴィエラの街で手に入れてきた酒を飲んだ。
モンスターたちは酒を楽しむのも好きらしい。
リザードが陽気に踊り、ヴィーヴルが見事な歌声を響かせ、バグベアーが腹太鼓する。
まさにドンじゃん騒ぎ。
みんなで笑いあって、楽しい宴の空気が包み込んでいた。
主役のテオもにこやかに笑っていた。が、そのうちに周りを伺って隙を見ると、こっそりとその場から抜け出した。
向かった先は泉。
熱気に当てられて披露している身体を少し休めたかった。
テオはしゃがみ込んで水面を見つめる。
波紋のないまっさらな水面は心地よい静寂をもたらしてくれる。
暫くすると、後ろから足音がやってきた。
「なにやってんだ」
テオが横を見上げれば、アレクがカップを片手に立っていた。
「休憩」
「そうか」
アレクはテオと同じように隣に座りこんだ。
沈黙が広がる。
別に居心地は悪くない。
ただ何となく言葉を発したくなった。
「アレクは強いよね」
「今日はあたしの負けだった」
「そうだけど、実力で言ったら僕の何十倍も強い」
アレクに剣を抜かせただけであって、力には圧倒的な差がある。
「そりゃ経験だな」
「経験?」
「あたしはテオよりも何十倍も長く生きてる」
テオはいま12の歳。
「何十倍って・・・」
「嘘じゃねーよ」
水面を見ながら疑うようにつぶやいたテオの言葉に、アレクはからりと言った。
「まあ、丁度いいか」
「え」
「あたしの過去を話してやるよ」
テオは顔を上げてアレクを見た。
言い伝えのことが頭に浮かんだ。いつだったかアレクに直接聞いたこともある。
その時は深く掘り下げなかった。
”メルポファミリアの神殺しのアレク”
「ちょっとした昔話だ」
冗談だろうと思っていた。
「神を殺した」
はずだった。
「女の話」
あたしがずっと昔、まだ地上で冒険者をやっていた頃、”メル”っていう仲のいいエルフがいた。
そいつは戦闘狂ばっかりのメルポファミリアとは全く別の商業系ファミリアにいて、ポーションとかを売る薬屋をやってた。
すごく気があってさ、特になんか買う予定が無くてもしょっちゅう店に行って話をしてた。
店ん中、がらがらだったしな。
あいつは自分には向いてないって言ってダンジョンに潜らなかったけど、ダンジョンでの冒険の話は大好きだった。
だからいっぱい話した。
アイツは嬉しそうだった。
あたしも楽しかった。
でも、いつまでも会えたわけじゃなかった。
ある日、アイツはいなくなった。
突然、姿をくらませた。
まあ、行方不明ってやつだ。
あたしは自分のファミリア、メルポファミリの皆に頼んでオラリオ中捜索した。
でもなかなか見つからなかった。
んでさすがにおかしいと思って、彼女のファミリアの主神に問い詰めたんだ。
そしたら、あるファミリアに売ったって言いやがった。平然と。ファミリアの高額な借金をチャラにする条件で売ったってな。
あたしは当然腹が立ってそのクソみたいな主神をぶん殴った後に、急いで彼女を取り返しに行った。
乗り込んだのがヘルファミリアってとこだ。
施設だったな。
一応研究系のファミリアって聞いてたんだ。
でも怪しい実験をしてるとか、冒険者を殺してるとか、前々から黒いうわさが絶えなかった。
だから嫌な予感はしてたんだ。
でも視界に飛び込んできたのは、もっと胸糞な現実だった。
たくさんのモンスターがそこにいた。
それもあたしたちのファミリアと同じで喋るモンスターばっかりな。
そいつらが体を拘束されて、耳とか脚とか腕とか切り取られてたり、電極を付けられて電気を流されたり、身体を生きたままナイフで開かれて解剖されたりしていた。
狂ってた。
あちこち悲鳴が響き渡っていて、血だらけで、現実とは思えなかった。
あたしがよく分からないでただ入り口で突っ立ってると、ヘルファミリアのリーダーみてえなハゲがやってきて、あたしに話しかけたんだ。
「あら、有名人のアレクちゃん うちに何の様かしら」
あたしはメルを出せと詰め寄った。
そしたらとぼけた顔で言いやがる。
「エルフちゃんは知らないけど、エルフちゃん”だった”ものは知ってるわ
そう言ってそいつが指を弾いて鳴らすと、団員の一人と、それに鎖で引っ張られるナニカがやってきた。
上半身はあたしの知ってるメルだった。
でも下半身は芋虫のモンスターの身体つきだった。
緑色のぶよぶよで毒々しい赤い点々がいくつもついてた。
きもかった。
上半身と下半身の境目には痛々しい縫い目がついてた。
無理やりくっつけたんだね。
身体中の血が湧きたつのを感じたよ。
「かわいいでしょ?」
ハゲが笑って言った。
「返せよ」
あたしは言った。
「かわいいでしょ?」
ハゲは言った。
「メルを返せえええええええええええええ」
それであたしは怒りで我を忘れて、狂って、そのハゲの頭を拳で握りつぶして、集まってきたくその団員を殺しまわって、、
気付いたら辺りを血の海にしていた。
その時に頭に角が生えた。
【
そんで、主神ヘルの首にも大剣を突きつけてた。
「戻せよぉ!」
「無理だよん」
「メルを返せええ!!!」
「どうにもならないよん」
「くそがあああああああああ!!!!」
それでヘルも殺した。
神殺しだ。重罪だよ。
でも全く悪い気はしなかった。
そんで光がヘルを中心に天から柱のように差し込んでさ。ギルドの主神・ウラノスの指示だろうね、当時高レベルだった冒険者の幾らかがすぐにやってきたんだ。
あたしは”死ぬな、そりゃそうか”て思ってたんだけど、あたしは殺されなかった。
代わりに、研究で使われてたモンスターを軒並み殺し始めやがった。
証拠隠滅さ。ウラノスはグルだったんだ。狂った研究に肩入れしてたんだ。
その殺す対象にはあたしの”友だった”ものも含まれていた。
あたしは必死に抵抗したんだ、殺すなって、、でも殺された。
それであたしはそいつらに最後拘束されて、ウラノスの前に突き出された。
「お前はダンジョンに封印する」
「お前は罪を犯したが、レベル10であるその力は本物だ その有り余るエネルギーをダンジョンに捧げよ」
意味わかんねえだろ。
あたしもこの時は分からなかった。
でも今ならわかる。ダンジョンは生きてる。エネルギーが必要なんだ。だからあたしはその養分にされた。
都合よく利用されたってわけだ。
まあ、わかんなくても気にすんな。
そんで、あたしはダンジョンの最下層に連れていかれて、そこでウラノスが特別な魔法をかけた剣によって、ダンジョンに生きたまま串刺しにされて拘束された。力も封印された。
そっから何百年さ。
長かった。
長い時が経って。
あいつらが、あたしたちのファミリアを構成する異端児がやってきて、あたしを拘束していた剣を引き抜いたのさ。
恩を返しに来たってな。
ヘルファミリアに捉えられてた時と姿かたちはまるっきり変わってたけど、死んで、新しくダンジョンに産み落とされても、昔の記憶をあいつらは覚えてた。
そんで、今のファミリアをつくることにした。
暇だったしな。
それに、あいつらはその珍しさからいろんな脅威に晒されやすい。
誰かが守ってやんないと。
そうして気付けば今だ。
【
・強い願いにより一定時間発動
・鬼化 全アビリティ能力超高補正
・理性消失
・状態異常無効
テオは言葉が出なかった。
新しい情報が多すぎて直ぐには呑み込めなかった。
口を半開いている。
「そりゃそーだわな」
アレクは笑う。
言葉の出ないテオの代わりに口を開く。
「・・・あたしは怒りに呑まれて神も殺したけど」
「・・・」
「それでも悪いことをしたなんて微塵も思っちゃいねえんだ」
死には死を、というある種身勝手な考え。
しかし、どこまでも本心。
「幻滅したか?」
「しないよ」
ずっと黙っていたテオは初めて口を開いた。
強い言葉だった。
「アレクは僕に、強さと自由と家族をくれた それは僕がずっとずっと欲しかったものだ」
テオはアレクの瞳を真っすぐ見る。
「アレクは僕を幸せにした」
それが事実だ。
「だから、幻滅しない」
「そうか」
暫く二人は黙って泉の水面を見つめていたが、やがてテオがぽつりと言った。
「なんで長い間生きていられる?」
「さあな でも、たぶんあたしはダンジョンの一部になった」
そう言ってアレクが胸元を覆っている布服をたくし上げる。
布の擦れる音がして、テオはなぞに罪悪感を感じて目線を逸らす。
「見ろ」
従うようにして仕方なくテオがゆっくりと視線を向けた。
露わになってる褐色の肌。発達した腹筋を辿ってその上、両胸の間、身体の中心に埋め込まれるようにしてそれはあった。
魔石。
確かに光っていた。
「ダンジョンに力を吸収され続けて、気付けばあたし自身がモンスターになってたってわけだ」
アレクが冗談めかして言う。
魔石はモンスターの証である。
最近はたまに人を襲いたくなる。モンスターとしての性質か、ただ身体が闘争を求めているだけなのか、どちらなのかは分からないが。
「このせいでどういうわけかダンジョンからは出ようとすると透明なバリアみたいなもんに弾かれるが、代わりにダンジョンをある程度いじれるようになったわけだ」
本来はダンジョンの壁がある部分でも、手を触れることでアジトの入り口に早変わりさせられるのはそれが理由だった。
触れれば地面からダンジョンの壁だって生やせる。
「面白いだろ」
「そこそこ」
それからまた少しの間沈黙が続いたが、やがてアレクは真剣な顔つきになって言った。
「テオ、頼みがある」
「え?」
テオは不思議がった。アレクが頼みごとをするのは珍しい。
少しは今までの恩が返せるかもと、若干浮足立った。
「なに」
「あたしがいなくなっても、このファミリアを、あいつらを守ってやって欲しい」
「なんだそれ どっかいくの?」
「行かねーよ?」
「じゃあおかしいよ」
「たとえ話さ」
「たとえ話か、、うん、それなら・・・」
「命に代えても守るよ」
テオは迷いなく言った。
「家族だから、か?」
「家族だから、ね」
「そりゃあいい」
数日後。
アレクは、モンスターが湧かないとある安全地帯に立っていた。
そこは岩壁に囲まれた洞穴のような場所で、地面には草花が生い茂り、煌びやかに発光する虫が宙に光の糸を引きながら飛び回っている。
ここはメルの墓場だった。
緑の絨毯の中に丸石があって、表面には彼女の名前が彫られている。
アレクが昔作った。
彼女は植物が好きだったから。
アレクはいつものように瞳を閉じて祈っていた。
死後でも彼女が幸せであるように。
やがて背後から足音が近づいてきた。
「珍しいな」
そう言うとアレクは振り返る。
立っていたのは一人の猪人(ボアズ)。
鍛え抜かれた肉体は重厚感あるプレッシャーを放っており、強者の風格を漂わせている。
オッタル。
現オラリオにおける最強の男であった。
「アレク、お前に話があってきた」
「なんだぁ? 久々に鍛えてやろうか?」
「それはいい」
過去、アレクがダンジョンをうろついている時にたまたまオッタルに見つかり、一方的に攻撃を仕掛けられたことがあった。
戦闘が好きなアレクは勿論嫌な顔せず、むしろ”丁度良い”と喜んで、返り討ちにしてやったのだった。
「それよりも」
オッタルが表情を変えずに言った。
「ウラノスが冒険者を集め始めた」
「ははあっ そろそろだと思ってたぜ」
「予期していたのか」
「まあな あたしが力をダンジョンにやらなくなって、ダンジョンが癇癪起こして、ちょっとずつおかしくなってたからな じじいも気づいたんだろ」
「おかしく?」
「異端児が増えてきてる」
「ゼノス・・・」
「まあ、くそじじいは自由になったあたしが迷惑だから潰すだけだろうさ」
「加勢するか?」
「いらねー これはあたしの戦いだ 誰にも譲らねえ」
「・・・予想はしていた」
オッタルはほんの少しだが声色を落として言った。
「お前は俺より強い まだ死なれるのは困る 俺が強くなるために」
「死なねえよ あたしは強いからな」
アレクの自信の籠った言葉だった。
オッタルはこれ以上は無駄だと判断したのだろう、”そうか”と呟くと、踵を返して歩いて行った。
その背中を見送ったアレクは再び墓へと振り返った。
「メル、もうすぐそっちに行くかもしんねえ」
アレクの呟きは宙に溶けた。
それはありふれた日だった。
特に変わり映えしない日であって、いつも通りの午後であった。
アジト前、袋小路、一見行き止まりのその場所に、唐突に彼らは現れた。
総勢20名ほど。それはオラリオでも名を馳せる実力者の面々で、レベル5,6到達者がゴロゴロ立ち並んでいた。
テオが彼らを見たのは丁度、アジトのみんなのために夕飯の材料を取ってきた帰りだった。
テオは立ち止まる。
アジト前に群がる冒険者たち。
異様な光景だった。
冒険者は勘が良い。直ぐに振り返り、テオの存在に気が付く。
誰もが目をぎらつかせ、獲物を見付けた目をしていた。
テオの冒険者としての嗅覚がすぐさま警告を鳴らす。
理由は分からない。しかしテオは間違いなく、彼らの標的であるらしかった。彼らから迸る殺気がテオの体内にひたひた入り込み、その心臓に手をかけていた。
身体を冷や汗が濡らす。
「よお、久々じゃねえか」
集団の中から一人、男が前に出てきた。
テオは瞳を限界まで開いた。
「俺のこと忘れたかぁ?」
忘れるわけがない。
「忘れねえよな~ 奴隷君(点々)」
槍を持っていて髭面で眉を寄せて口角を片方上げて、すべての生物を見下していそうな醜悪な表情を浮かべた男。
モレクファミリアのリーダー。
バラム。
心臓が早鐘を打つ。
モレクファミリアでの文字通りの底辺でゴミで畜生だった奴隷の日々が急速に頭の中でフラッシュバックし、テオの思考を埋め尽くしていく。
アレク達との幸せな記憶が上書きされていくようで、どうしようもなく最低な気分だった。
気付けば身体が震えていた。止まらない。
「可哀想になあ!! 震えちゃってさあ!!!」
聞き触りの悪いざらついた声が、ひっかくように鼓膜を揺らした。
「テオ、お願いがあるんだよー 俺たち用事があってよお! ココ、あけてくれよぉ? な?」
気色の悪い猫なで声でそう言って片手に持った槍で、ちょんちょんとアジトの入り口である壁をつついた。
胡散臭い笑みを浮かべていた。
周りの冒険者も、邪悪な表情は浮かべていないまでも、鋭い眼力でテオを睨み、その一挙一動を観察していた。
テオは本能で気付いていた。彼らは僕たちを狩りに来たのだと。
しかしテオは屈しない。
アジトを開けるわけにはいかない。
テオの声があれば、中にいるアレクは現状を知らずにそのまま開けるだろう。
だからテオは動かない。
開ければアレクも、モンスターたちも、みんな危険に晒される。
「テオく~ん?? 開けなければどうなっちゃうか分かるよね~??」
軽々しい口調で発せられた言葉はその実、脅しの意味が込められた重い言葉だ。
”殺しちゃうよ??”
それでもテオは応えない。
自分の命と家族の命、天秤にかけてもファミリアのみんなには生きていて欲しかった。
それほどまでに大切な存在だから。
「開けない」
「・・・あぁ?」
身体が震えているが。
「絶対に開けない!」
はっきりと拒絶した。
「あーあ、生意気なクソガキだぁ、、」
殺ぉぉぉす!!!!
バラムを先頭に、何人もの冒険者がテオに向かって駆け出してきた。
各々武器を構えて迫りくる。
多対一。
しかも一人ひとりが戦闘に手慣れた上級の冒険者である。それが群れで濁流のように押し寄せる。
テオはナイフを取り出して身構える。が、一切勝ち目が見え無かった。
足が震えていた。
一方的に蹂躙される未来が傍に近づいていた。
テオは距離を詰めてくる悪魔たちを見ながらに思う。
せめてみんなにありがとうって言いたかった。
家族として受け入れてもらえて本当に嬉しかった。
ファミリアの温かさを知れた。
居場所を持てた。
全てかけがえのないものだった。
バラムの槍が伸びてくる。
テオが目を見開く。
その時。、
「邪魔ああああぁぁぁ!!!!」
突如として大きな声が響いた。
同時にアジトの入り口側から空気を割るような衝撃波が押し寄せて、すべての団員を巻き込んで吹っ飛ばして行った。
今にも槍を突き刺さんとしていたバラムもまた身体がふわりと浮き上がり、テオの背後へと塵のように流されて行ってしまった。
テオは入り口に目をやった。
そこにはアレクが立っていた。
「よおテオ、またせたな」
アレクがにやりと笑う。
その背後、壁に開いたトンネル状の穴の奥からは、モンスターたちがひょっこり顔を覗かせてこちらの様子を伺っていた。
呆けた顔のテオはそれを見てはっと我に返る。
「アレク! 皆を連れて早く隠れて!」
早くしないと皆い魔の手がかかる
せめて自分一人で時間稼ぎして、、
考えている間に、背後から気配がする。
「ひゃああああっほおおお」
奇怪な声。
振り返れば、バラムが高く飛び跳ねて、上から槍を突き落とそうとしているところだった。
テオの時間が止まる。
その一瞬。
テオの顔の横をゆらりと風が掠めて、気付けば目の前にアレクが立っていた。
バラムが驚愕の表情を顔に浮かべた。
アレクはテオを背後で守りながら、背中の大剣を引き抜いた。
「失せろ」
振り下ろす。
「カザキリ」
呟く。
すると刀身から凄まじい風圧を伴った斬撃波が飛びだして、空気を横一文字に歪ませてバラクの元へ一直線に向かう。
バラムが槍の柄を体の前に構えて防ごうとする。
ガギィッ!!
一瞬のうちに押し返され、バラムの体は遠くへと飛ばされた。
「アレク!」
「あんたは隠れるんだ」
そう言ってアレクはテオの体に手を回して軽々肩に担いだ。
アレクの元にはたくさんの冒険者が向かってきていた。
「アレク!離してよ!僕も戦うよ!」
「駄目だ」
「何でだよ!僕が助けるよ!」
「駄目だ」
「何で!」
「テオには、、あいつらを守ってほしいからだ」
「っ!」
テオは息を呑んだ。
いつかにした会話だった。
その時は冗談だと思っていた。そんな日が来るわけもないと。
しかし本気だった。
アレクの言葉も本気だった。
誰かに頼み事なんて絶対にしない性格のアレクが、そのアレクが、自分に本気で頼んでいるんだと、感じた。
否定などできようが無い。
テオは、頷くしかなかった。
実際はアレクが一人で肩を付けようとしているに過ぎないが、、
自分で蒔いた種だから。
自分で終わらせようとしているに過ぎないのだが、、
そうしている間にも敵は近づいてくる。
アレクは空気を切り裂くように大剣を横に薙ぎ払う。冒険者が何体か吹き飛び、壁に打ち付けられた。
それでも立ち代わり入れ替わり、冒険者は攻め入ってくる。
相手も実力者だ。
目にもとまらぬ斬撃が次々アレクに襲いかかる。
アレクは時折体に剣先を掠めながらも、直撃を食らわぬように大剣で弾き返していた。
「いけいけいけいけぇぇ!! 天下のアレクさんも引き篭りで雑魚になってるってよおぉぉ!! はっはーーー」
バラムの煽るような激が飛ぶ。
アレクは相手の攻撃を弾いて隙を見ながら、ゆっくりゆっくりと後退していた。
出来るだけアジトに近づいて、テオを安全に逃がすためである。
「逃げんなよお? プレゼントがあるんだからよお!!??」
そう言ってバラムが指を鳴らした。
すると、
ドン ドン ドンドンドンドンッッッッ
凄まじい地響きがアレク達の元に迫ってきた。
「なんだあれ!?」
テオは驚きの声を上げた。
視線の先には何体ものトロールがいた。
天井に届くほど巨体で筋肉質で大きな鉈を持っている。
そして、全身が真っ赤。
「キングトロール・・・!?」
アレクが初めて焦った声を出した。
ダンジョンの最下層に囚われていた時に何体も見たことがあった。
たとえ同族だろうが何だろうが気に入らないことがあれば圧倒的な暴力を以て肉塊になるまで叩き潰しミンチにする、ダンジョン史上最悪の暴君であった。
アレクでも純粋な力では敵わない。
「なぜここにいる!?」
「大主神ウラヌス様からのプレゼントだってよおお!!?? 太っ腹だねえ!!!!」
「あのクソ老いぼれ!!」
「まだあるぜ~ 俺様からの特別プレゼントだぁ」
バラムはおもむろに自らの小指の根元を噛んだ。
ミシミシと圧をかけて行ってそして骨までも砕く激しい音を鳴らして、遂には、、
嚙み千切った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛痛゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛ぇ゛っ゛っ゛」
「「っっ!?」」
アレクもテオも言葉を失う。
「んんんんんnーーーーー!!! 楽しもーーーぜえ!!!!」
「
バラムを中心に黒い霧が広がっていく。
禍々しい気配。
広範囲魔法。
「まずい」
アレクは嫌な予感を本能で察知して、咄嗟にテオをアジトに向かって放り投げる。
「アレクッ!!」
テオが名を呼びながら飛んでいった。
丁度アジトに入ったタイミングでアレクが地面に手を触れて、地面から壁を出現させ、アジトに蓋をした。
黒い霧は冒険者たちにもトロールにも、そしてアレクにも纏わりついた。
「喰らったなあ!? そいつあ全員で痛みを共有する魔法だ!! 嬉しいねえ!?楽しいねえ!?
まっとうな冒険者ならば会得しようのない類の魔法。モンスターは痛みに鈍い、実用性が皆無に等しい。
しかしバラムは勿論まっとうではない。
バラムはファミリア内外問わず冒険者を痛めつける事ばかりしてきた。
弱きものをいじめるのが大大大好き!!!
二つ名は”
名に恥じぬ異常者。
その末路。
冒険者を苦しめることに特化した魔法を手に入れることになった。
「さあああ!!パーティイイの始まりだああああああ!!!」
【
・広範囲呪詛
・痛覚共有
・痛覚四倍
・行使中は罰則(ペナルティ)により、使用者のアビリティが大幅に下がる
・発動には供物を必要とする
外とアジトは壁によって完全に分断されていた。
テオは壁の前に立っていた。周りを取り囲むようにモンスターがいる。
壁の向こうからは、壁が揺れる程の激しい振動と刃物がぶつかり合う甲高いと音と、時折の悲鳴が聞こえてくる。
みんな不安そうに壁を見つめていた。
「テオ・・・」
ヴィーヴルが静かに言った。
「大丈夫 アレクは強い」
テオは壁を真っすぐ見ながら言った。
自分にも言い聞かせてもいた。
大丈夫だ。アレクは強い。アレクは死なない。
それは祈りにも似ていた。
その時は唐突に訪れた。
壁が液体のようになって、どろりと地面に溶けた。
アレクが力を解いたのだ。
今まで見ることの出来なかった戦場の景色が一気に広がる。
沢山の冒険者とキングトロールの死体が転がっている。
死の床。
誰も立っていなかった。
一人を除いて。
「「「アレク」」」
中心では、大剣を地面に突き刺してソレを支えにして寄りかかるようにアレクが立っていた。
全身から血を流し、身体中傷だらけだが、それでもアレクは駆け寄ってくるテオ達を見るとにやりと笑った。
「かかかっっ 手応えの無え奴らだったぜ」
いつものように冗談めかして言うアレクに、みんながほっと息を吐いた。
「はやくはやくはやく!泉に沈めよ!!泉!!」
アルミラージが急き立てるように言う。
確かに治療が最優先の体だ。
アルミラージの言葉をきっかけにみんなが近寄って手を伸ばそうとした。
その時だった。
アレクの背中にナイフが刺さった。
「ううっ・・・!?」
アレクは口を開いて何か言おうとしたがうまく喋れずに、そのまま地面に倒れ込んだ。
「あ゛あ゛・・・ あ゛あ゛あ゛あ゛・・・」
目をかっと開いて、眼球に血管を浮き出たせて、身体中を掻きむしるようにして苦しんでいた。
喉から言葉にならない濁音交じりの苦しみの声を上げている。
テオは急いでナイフを引き抜こうと、手を伸ばした。
「おおーーっと、そいつに触んのはやめといた方がいいぜぇ?? 毒が感染っちまうからなあだはははははっ」
遠くから声がした。
テオは顔を跳ねさせるように上げて、声のした方向を見た。
「なん・・・で・・・」
バラムが立っていた。
先ほどまで確かに誰もいなかったはずなのに。みんな死んでいた筈なのに。
そこに立っていた。
「良い顔するじゃねえかぁ てーおくん」
「何で死んでないんだ!」
「死んでたぜ~? ダイダロス通りのばばあに薬をもらってな? 一時的に仮死状態になれる薬だってよ 良い買い物したぜー」
バラムは死んだふりをすることでアレクの手から逃れていたのだ。
「ああああーーー 毒が体に回る感覚はたまらねえなああっっ!? 苦しいなあ!? なあ!?」
バラムが白目を向いて気が狂った形相で叫ぶ。
その声ではっとアレクを見れば、その体は紫色に染まっていた。
「そいつは下層の蛆虫:ポイズン・ウェルミスの毒がどっぷりと塗り込まれてるからなぁ」
もう死ぬぞぉ~
”だははははははっっ”バラムが悪魔のような笑い声をあげた。
「アレク! 泉に連れてくから!今すぐに!」
モンスターもテオもアレクを担ごうとする。
が、それを止めたのは他の誰でもないアレクだった。
「もういい、、やめろ、、」
声は弱弱しく震えていた。
「自分の・・・くたばるときくらい、分かる あたしは・・・死ぬ」
途切れ途切れに言う。
「「「アレク!」」」
モンスターもテオも皆が呼びかける。
嘘だと言って欲しかった。
しかしアレクは確実に弱っていった。
「テ、オ」
アレクが力なく腕を上げて、テオを呼ぶ。
もはや吐息のような言葉だ。
テオはその口元に耳を寄せた。
「生、き、ろ」
掠れた声。
アレクは目を閉じた。
「アレク! アレク!」
テオは必死に呼びかけた。
目を開けて欲しかった。
冗談であってほしかった。
死なないでほしかった。
生きててほしかった。
返事をしてほしかった。
アレクはやがて全く動かなくなった。
テオの瞳からこぼれた涙が、アレクの頬を滑り落ちていった。
モンスターたちもみな咽び泣いていた。
悲しみが包んでいた。
「だっははあああ! 死んだ!死んだぞ!そこの怪力女!」
「・・・だまれ」
「体がちぎれるような痛みを受けながら、苦しみながら、もがきながら、なーんもできずに、毒でこ・ろ・り」
「だまれえ!!!」
「あ゛ー゛あ゛、、」
「雑 魚 だ っ た」
「た゛ま゛れ゛え゛え゛え゛ぇ゛ぇ゛」
テオが駆け出していき、ナイフをその体に向かって連続で突き出す。
しかし悉く、槍で弾かれる。
憤怒の形相を浮かべるテオに対し、バラムは余裕そうな、人を見下すような、いつもの笑みを見せていた。
「まさか、テオのゴミにナイフを向けられる日が来るなんてなぁ」
「黙れ黙れ黙れ」
バラムの全てが憎くてしょうがなかった。
言葉も顔も存在そのものも憎くて憎くてしょうがない。
「レベル4くらいか 随分強くなったじゃねえか」
「うるさい!」
ナイフをその顔面に伸ばす。
バラムが顔を逸らして避ける。
「あぶねえなぁ」
「死ねぇ! 死ねぇ!」
「こっちは怪我人だぞ? 分かるか? そこの死体女は、俺たちの頭掴んでちぎって放り投げて、大剣で細切れにしてちぎって放り捨てて、風飛ばしてぐしゃぐしゃに引き裂いて血の雨降らせたんだぞ?」
「それに比べて・・・」
「お 前 は 雑 魚 だ な あ」
防戦していたバラムが、とうとうテオの腹に一発めり込むほどの重たい拳を食らわせた。
それに続けてもう片方の腕で、テオの首を掴みこみそのまま地面に叩きつけた。
「ぐはあっ」
テオが目を白黒させて怯んだ隙に、バラムの槍がその腕に振るわれた。
肉が千切れる感触がする。
貫通した。
「おらあ、痛えかぁ~? 奴隷の時は下から俺たちを見上げるのがルールだったよなあ?」
「んぎぎいいい」
テオが歯を食いしばって痛みに耐えている。
バラムは中腰でそれを見下ろしながら、さぞ愉快そうに、槍をぐりぐりと動かして肉を抉るように矛先をいじる。
「ぐぐぐがああああ」
「分かるか 槍の先には毒がある 筋肉を溶かして、骨を食べ、お前の全身を壊していく」
「ああああああああああああ」
「さて問題ですぅ なぜ、俺はお前のくそゴミカスな心臓を一突きしなかったでしょうか?」
テオが痛みで悶える。
それを見るとバラムは楽しそうに口角を上げた。
「そう、それが正解だ お前の苦しむ姿が見てえからだよ~」
「くそがああああああああ」
「だははははははは」
バラムが高笑いする。
「ほらほらほらほらどーするよお」
バラムの槍が腕ごと地面に刺さっている限り、テオは自由に動けない。
腕は既に紫色に染まってた。異様に膨れている。中に爆裂魔法をぶち込まれ続けているような千切れ飛ぶ様な感覚。
気が狂いそうだった。
いや、既に狂っていたかもしれない。
このまま毒が体に回るくらいなら。
テオはナイフを手に持って、自身の腕に突き刺した。
「く゛う゛っ」
「ああん??」
そのままテオは迷いなくナイフを動かしていった。
「い゛き゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛」
テオはまるでステーキの肉でも切るように、自らの腕を切断した。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ」
痛みで獣のような咆哮を上げる。
自由になったテオはそのまま飛び出すようにして、ナイフを持った腕を伸ばし、バラムの心臓を狙った。
身を挺した奇襲。
全力を込めた突き。
その一発。
しかし、、不発。
「おっと」
バラムはナイフが刺さる寸前のところで身体をずらし、ぎりぎりで避けて見せた。
そのままバラムは立ち上がって、足を引くと、
「しつけえよおぉ」
っと呟きながら、テオをボールのように思いっきり蹴り飛ばした。
テオは地面に転がったっきり、動けなくなっていた。
視界が霞んでいる。
身体が麻痺している。
失くした片腕の断面からの大量出血と、既に身体へと行き渡っていたらしい毒の影響が出ていた。
テオはを横に向ける。
たまたまアレクの亡骸があった。
身体は毒が完全に食べ尽くし、肉も皮膚もなくなり、骨だけが残っている。
唯一胸元の地面の上には、毒に侵されなかった魔石だけが光っている。
手を伸ばす。掴む。
元はアレクの心臓だったもの。
冷たかった。
テオは霞む思考で考える。
ここでくたばれば、自分だけが死ぬのではない。今遠くで見ているモンスターたちも間違いなくやられる。
あの槍で順番に串刺しにされる。
彼らは為す術なくやられるだろう。
だから僕が、頑張らなくちゃいけないのに。
動けない。
ああ、ごめん。アレク。約束守れない。
みんなごめん、守れない。
ごめん。
テオの意識が暗い水の中に沈んでいった。
「おい」
声がして、テオが瞳を開けた。
目の前にアレクが立っていた。
テオも立っていた。
周りを見渡せば、何もない真っ白な空間だった。
「アレク・・・?」
「ぼけっとしてんな」
「アレク!? 死んだんじゃ!?」
「ああ、死んだな」
「・・・」
「でもテオはまだ生きてる」
「・・・でももうすぐ死ぬ」
「でも生きてる」
アレクは真っ直ぐな瞳でテオを見つめていた。
テオは何だか耐えられなくなって目を逸らす。
アレクはテオの両頬を指で挟むと、無理矢理に自分に顔を向かせた。
「生きてるよな」
「でも、もう・・・」
「だー、もうっ うじうじすんな!!」
アレクが額を指で弾いた。
「痛っ!」
「あたしの頼み事忘れてねーよな」
「家族を守る」
「そうだ」
「でも、体がもう、、動かないんだ」
「あたしの魔石を食え」
「え?」
「あたしの魔石を食え そうすりゃあんたはまだ動ける」
アレクはテオの頬に手を添えた。
「あんたはまだ戦える」
ひんやりした感覚を感じた。
「もうひと踏ん張りだ」
アレクが優しい声で言った。
テオがはっと目を見開いた。
それは死の瀬戸際に見えた幻覚だった。
頬の冷たい感覚は涙だった。
ただその言葉は確実にテオに力を与えていた。
テオは手を開く。
魔石が光っていた。
綺麗だ。透き通る赤。アレクの猛々しさと強さと真っ直ぐさを象徴するような赤だった。
テオはそれを口に含んだ。
アレク、力を貸して。
飲み込んだ。
「んんんっっ!!」
身体中に電気のような刺激が走り回る。
それはやがて熱に代わり始める。
血が滾って、エネルギーが沸き上がる。
テオはゆらりと立ち上がった。
「守らなくちゃ・・・」
「おいおいおい しぶてえなぁ 虫かよ」
バラムが心底嫌そうに言った。
「守らなくちゃ・・・」
「それになんだぁ、角まで生やして 成長期かあ?」
テオの頭に角が生えていた。アレクと同じ。
身体には湯気を纏っていた。
バラムを真っすぐと睨みつけていた。
【
それはかつてアレクが発動させたスキル。
「みんなを守るんだ!」
想いを果たすためのスキル。
テオのステータスは飛躍的に上昇する。
テオは駆け出した。
「くたばれえええええええ!!!!」
全ては家族を守るために。
「はあー、勘弁してくれよ」
バラムは死んでいた。
身体中をナイフで滅多刺しにされ、絶命していた。
テオが打ち勝ったのだ。
しかしテオもまた、その命が尽きようとしていた。
テオは地面に仰向けに倒れていた。
モンスターたちが囲んで、泣きながらテオを見つめている。
「みんな、、守れて良かった」
テオはもはや何も映らない瞳でつぶやいた。
想いは果たされた。
身体は限界を超えて、その体は営みを止めようとしていた。
「「「テオ!!!」」」
アルミラージが体に縋り付いて大泣きしていた。
ヴィーヴルあ麗しい声を震わせて泣いていた。
ゴーレムが体格に似合わず子供みたいに大粒の涙を流していた。
ヘルハウンドが、
バグベアーが、
ハーピイが、
ファイアーバードが。
泣いていた。
「テオまで死なないでよ!!!」
「死なないよ」
「イキロ、テオ」
「死なないって」
「テオ、置いていかないで」
「傍にいるよ」
「・・・ごめん」
テオは死んだ。
モンスターたちはしばらくこの場所に立ち尽くしていた。
大切な存在を、家族を、二人失った。
みんな大好きだった。
愛していた。
かけがえのない二人を。
失った。
「復讐しよう」
誰かが言った。
「オラリオ、ニクイ」
誰かが言った。
「ウラヌス殺せ」
誰かが言った。
「殺せ」
「「殺せ殺せ殺せ」」」
「「「殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ」」」
共鳴が起こった。
怒りが彼らを飲み込んだ。
憎悪が彼らの身体を黒く染め上げた。
魔石が黒くなった。
彼らはまず地上に落ちているトロールキングの魔石を食らった。
次いで人間。
最後に身体が小さく潜在的に戦力にならなそうな者は、自らのかけがえのない魔石を強い者へと差し出した。
共食いをした。
スキル会得。【
スキル会得。【
スキル会得。【
スキル会得。【
スキル会得。【
【
・思いが果たされるまで発動
・狂化 体が黒く染まり変異種となる
・同じ思いを持つ者が周囲にいる場合、互いに全アビリティ能力高補正
・同じ思いを持つ者を食らうと、全アビリティ上乗せ。
次期に彼らは地上へと繰り出すことになる。
黒き怪物の群れはオラリオに厄災をもたらし、黒龍の再来と謳われた。