「次の勝負で難陀が勝てば、なんでも言うこと一つ聞いてやる」
はたして勝負の行方と、難陀龍王のお願いとは?
時刻は丑三つ時。ある仏の部屋から、蠟燭の灯火と苦しそうな声が漏れている。
「おい。……広目天、そこはっ」
フッと嘲笑が返ってきた。
「なんだ? もう音を上げるのか」
「そんなことは……っ!」
パチン
「王手」
「何故だァァァ!!」
四天王の一角、帝釈天の左腕、広目天とその部下、難陀龍王は夜もすがら将棋に勤しんでいた。
そして現在、難陀龍王は三十戦中、二十九敗一引き分けという地獄の様な記録を更新中である。
「難陀、さすがにそろそろ終いにしないか。眠いんだが」
「広目天、貴様! 勝ち逃げする気か!」
「いや。そうではなく明日も早いしそろそろ寝ようと……。あと夜だから静かにしてくれ」
「オレはぜったいに認めんからな! 貴様が手加減なんぞしてわざと引き分けに持ち込んだこと。忘れるものか! あの恨みを晴らすまで、貴様を部屋には帰さん!!」
「嘘だろ……」
サングラスを持ち上げて目をこすり、一つあくびをした。広目天は思い出す、なぜこのような事態になってしまったのか、と。
事の発端は日付が変わる前に遡る。
夕食後、火天と風天が将棋で勝負していたところにたまたま通りがかって、「お前さんも一戦どうだ?」と風天に誘われたのだ。特に急ぎの用事もすることもないので、その誘いに乗ったところ、偶然にも風天に、さらには火天にまで勝ってしまった。風天に「お前さんやるな!」と背中をバンバン叩かれていたところに――難陀龍王がやってきてしまったのである。
本来の目的は知らないが、広目天を呼びに来たらしい難陀龍王は、まんまと風天に捕まり「広目天がなかなか強くてな。お前さんも一回やっていくかい?」と半強制的に座布団の上に座らされていた。難陀龍王自身は最初、しぶしぶといった感じだったのだが、一度だけのつもりで広目天と対戦したところ――案の定、負けた。
『な、な……!』
『難陀?』
『なんだこれは!! オレはぜったいに認めん!!』
負けず嫌いな彼は、まさか負けるとは思っていなかったのであろう。本来の目的を忘れ、広目天に突っかかり、勝つまで何度も勝負を挑んできた。そう、勝てるまで。
そして今に至る。彼が一度でも勝てれば広目天はこの将棋地獄から解放されるのだ。しかし、もう何度も戦って疲弊しきっている広目天相手にすら、難陀龍王は勝てない。ゆえにこのような時間まで延長されている。
いい加減うんざりしてきた広目天は、心の隅に思っていたことをポロっと口にだす。
「なあ……難陀お前」
「なんだ!」
「弱すぎないか?」
図星である。
「引き分けの時に手を抜いたのは確かにわざとだ。しかし今の俺は疲れて正直、自分でも雑な駒の配置になってきていると思う。とくに策も考えず置くこともしばしばだ。なのにお前、何故一回も勝てないんだ?」
「ふざけるな! このオレが弱いわけないだろう!! お前が強すぎるんだ!」
「いや、そんなことは」
「ええい、つべこべ言っている暇があればもう一戦、さっさとするぞ!」
駒を最初の配置に戻しながら、考える。この作業もいったい何回目だろうか、と。じゃらじゃらと音を立てる駒も、もう見たくなくなってきた。
さっさと終わらせたいのだが、手を抜くとすぐにバレてしまうので、難陀龍王が自然に勝ってくれるのを待つしかない。なのにその難陀龍王本人は弱すぎる。さて、どうしたものか。
「よし、良いことを思いついたぞ。難陀」
「良いこと?」
「次の一戦で最後にしよう。俺がもし勝ったら、潔く負けを認めてもらう」
「はあ? 早く終わらせたいだけだろう」
「まあ話は最後まで聞け。もし難陀が勝ったら……なんでも言うこと一つ聞いてやる。」
ぴく、と難陀の耳が動いた。
「なんでも?」
「ああ。なんでも、だ。不毛な戦いをいつまでも続けるより、賭けをした方が楽しいだろう?」
どうだ、と難陀龍王の顔を窺うと、なにやら真剣な顔で思案していた。
「……その誘い、乗った。」
パチパチと駒を打つ音が暗い部屋に響く。
そして三十分後。
「か、勝てた……!」
難陀龍王は三十一戦目にして、ようやく「王手」と言い渡すことに成功した。
「あーあ。負けてしまったか」
「こ、広目天。手抜きは……」
「してない。正真正銘、お前の実力で勝ったんだ。難陀」
寝不足で疲れた難陀龍王の目が、パッと輝いたのがわかった。いつもこれぐらいわかりやすければ助かるのだが。
「さ、勝ったんだし願いを言え。それで早く寝よう」
難陀龍王は顎に手を当てて、しばらくして言った。
「では、一緒に寝ないか」
次の日、二人はなかなか部屋から出てこなかったという。