私の名前は新城霞(しんじょうかすみ)。24歳、フリーター。現在は親元を離れ、米花町でひとり暮らしをしている。大学卒業後、就職した会社の社長が新人研修中に殺され、副社長が犯人だったがために、会社が倒産。仕方なく職安に行ったら、そこでも何故か嫌味な職員のおばさんが刺される殺人事件。
生活のためにしょうがなく遊園地でアルバイトを始めたら、ジェットコースターで乗客が首チョンパされるというまさかの殺人事件が発生。遊園地はしばらく休園となり、バイトは初日でおしまい。呪われてるのかな?と思ったのだけれど、東都ではよくあることらしい。こっわ、東都こっわ。
ああお母さん。娘の都会行きに反対していたあなたは正しかった。私は今、またも事件に巻き込まれています。バイト帰りに乗った電車。まさかそれが、止まらない暴走特急になるだなんて。いえ、暴走しているわけではないのだけれど、緊急事態発生により停車することができなくなったらしい。
緊急事態とは一体何なのだろう。近くの優先席に座っていたおにぎりみたいな頭と体型をした子供たちが、爆弾だなんだと騒いではいるが、ははまさかそんな、ハリウッド映画でもあるまいに。それよりも私は今、もっと緊急の事態に見舞われているのだ。そう、オシッコしたい、と。
正直に言えば、電車に乗るちょっと前から思っていたのだ。だが、どうせたったの数駅だし、米花駅についてから行けばいいやと思った数分前の自分をぶち殺してやりたい。あの時引き返してトイレに行っていたならば、今頃こんな停まらない電車の中でひとり悶絶する羽目にはなっていなかっただろうに。
人生とは得てしてそういう運命のいたずら的なものなのかもしれない。通過する駅のホームで驚いた顔をしている人たちが羨ましい。あの人たちはたった一本の差でこんな緊急事態に巻き込まれずに済んだ人たちなのだ。私もできるならばそちら側がよかったと心から自分の選択を後悔する。
しかし汚い話で申し訳ないが、催しているのが大きい方でなくて心からよかったと思う。電車内で脱◎した女と電車内で失禁した女では、その評判の落ち具合は天と地ほども違うだろう。もし前者であったならば、私は即日東都を引き払って速攻で田舎に帰るであろうこと間違いなしだからだ。
なんでもいいからとにかくその緊急事態とやらを解決してほしい。でないと私は24歳にもなって電車の中でお漏らしした女として二度と環状線に乗れない女になってしまう。そうしたら今のバイト先ともおさらばだろう。せっかく見つけた殺人も強盗も起きない職場なのだ。なるべく長く続けたい。
ああしかし、こんなことならせめて駅のホームで待っている間にコーヒーなんか飲むべきではなかったかもしれない。ただひたすらに尿意を我慢していると、次第に先頭車両の方で騒ぎが起き始めた。そりゃあそうだろう。ただ緊急事態発生の一言だけで、停まらない電車から降りられなくなったのだから。
トイレに行きたいと泣いている子供とそれを訴える母親がいるが、気持ちはわかるぞ少年。私も許されるなら泣きたい。むしろ涙よりも先にオシッコの方が溢れ出してしまいそうなのだ。君の場合はまだ子供だから許されるかもしれんが、成人女性の場合だと結構厳しいかもしれない。
いやそういうのが大好きな男も世の中にはいるのかもしれないが、電車内放尿なんてマニア向けのプレイに走るのは御免だ。最悪の場合は車掌さんに訴えて、車掌室でコッソリ今持っているバッグの中にさせてもらうよりないだろう。ああバーゲンで買ったお気に入りのバッグだったのに!!
今度から携帯トイレでもバッグの中に入れて持ち歩くべきだろうか?いや、それもどうなんだ。いやしかし、異常な事件発生率を誇る東都ではそれぐらいやらないと生きていけないのかもしれない。ああ駄目だ、トイレのことを考えたらなおさら気になってきてしまった。なんでもいいから早く早く早く早く!
結論から言おう。私の尊厳はなんとかギリッギリのところで守られた。噂の名探偵の名推理のお陰で、事件は無事解決されたらしい。なんでも最近都内で流行っていた連続放火だか爆破テロ事件だかの一環であったらしく、最悪の場合私はトイレに行く前にあの世に行く羽目になっていたであろうことを後からニュースで知った。
ほんと、物騒すぎるだろ都会。都会はおっかねえとこだあ、なんて上京前は冗談めかして言われてたけど、ただ電車に乗っただけで死にかけるとかほんとクレイジーだなと実感する。田舎にいた頃は退屈すぎて死んでしまいそうだなんて思ってたけれど、まさか退屈では本当に死にかけはしないのだし。
いや、すぎたことを愚痴ってもしょうがない。今は生きていることと、無事トイレに駆け込めたことを喜ぼう。あまりにもオシッコを我慢しすぎた結果、膀胱炎になったりしなければよいのだが。とにかくだ。私はもう二度と、ほんのわずかでも尿意を催している状態で電車に乗ったりはしない。絶対にだ。
とりあえず、無事にトイレから出てこられた私は、なんだろう、トイレッティングハイにでもなっていたのだろうか。緊張感と尿意から解放され、24歳のお漏らし女にならずに済んだという安堵感から、ちょっと気分が高揚していたのは確かだ。だからかもしれない。
今から帰って夕飯の支度をするのも面倒だし、気分転換に外食して帰ろっかなーなどと思ってしまったのは。今日は嫌なトラブルに巻き込まれてしまったわけで、じゃあ、ちょっとぐらいいいレストランで、なんか美味しものを、食べようと、そう...思って...しまったん...ですよね...
拝啓、お父さん、お母さん。私は今、本格的に死にかけています。米花シティビルのちょっとお高い洋食店でリッチなお夕飯を楽しんで、どうせ明日はバイトも用事もないし、せっかくだからレイトショーで映画でも観ていくかなーなんて思ってしまったのがよくなかったのでしょうか。
いえ、私はまだ運がいい方です。突然の爆弾により、爆風に吹き飛ばされてしまった人たちや瓦礫の崩落に巻き込まれてしまった人たち。その人たちに比べ、まだ生きているわけですから。でも、でも、こんなのって、あんまりじゃないですかあ!!やだあ!!
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫なわけないでしょ!?なんであたしがこんな目に!!」
停電して崩壊した映画館の中で膝を抱えて蹲りながら泣いていると、声をかけられたので、咄嗟に怒鳴り散らしてしまってから、はっとする。そこにいたのは、赤い服を着たまだ若い女の子だった。私よりも年下だろうに、毅然としていて、私のような他人を心配する余裕まで持っているらしい。
「あ!!ご、ごめんなさい!!あなたが悪いわけじゃないのにね、ごめんなさいねほんと!!」
「いえ、いいんです。こんな状況ですから、取り乱してしまってもしょうがないですよね」
なんか、涙を拭う用のハンカチまで差し出してくれたんですけど。超いい子なんですけど。なんだかこんな年下の子に当たり散らしてしまうだなんて、無性に自分が恥ずかしくなった私はハンカチを遠慮し、服の袖で涙を拭うと、何故か私の隣に座り込んだ彼女と並んで黙り込む。
同じように事件に巻き込まれた人たちがまばらに救助を待っているのだけれど、私みたいに泣いている女の人もいた。いいわね彼氏に慰めてもらっちゃってさあ。私なんか一昨年彼氏と別れたばっかりだっていうのに、なんてとりとめもないことを考えていると、ちょっとだけ落ちついてきた。
「早く助けが来るといいですね」
「そうですね。きっと、すぐに来ますよ」
「私、新城霞っていうの。もし私が死んじゃってあなたが奇跡的に助かったら、田舎の両親に娘が愛してるって言ってたって伝えてもらってもいい?」
「そんな縁起でもない...私は毛利蘭っていいます」
「そう、毛利さんっていうの...あなたも何か誰かに言い遺しておきたいことはある?」
なんてまだ微妙にパニックになりながら話をしているうちに来たのは救助じゃなくて、一本の電話だったのだけれど。
「爆弾!?」
「はあ!?」
いきなり電話が鳴って、隣に座っていた彼女がなんとなく受話器に向かっていって...どうやら電話の相手は知りあいらしい。10分ぐらい何やら喋っていたようだけれど、なんだかちょっと雲行きが怪しくなってきたような...?
「ねえ、どうしたの?何かあったの?」
「いえ、その...私が、今からこの爆弾を...止めなくちゃいけないみたいで」
「はあ!?できんの!?」
「た、たぶん!!」
まさかの、素人女子高生による生爆弾解体ショーがこれから始まるらしい。ちょっと待って冗談でしょ!?いやでも彼女が成功しようが失敗しようが、どの道時間が来たら私たちは全員爆弾で死んじゃうわけで...
「お、おいあんた!!余計なことすんじゃねえよ!!失敗したらみんなまとめてお陀仏だろうが!!」
「うるっさいわね!!どの道あと15分以内に助けが来なかったら私たち全員爆発して死んじゃうのよ!?だったら少しでも助かる可能性に賭けた方がマシでしょうが!!文句があるならあんたがこの爆弾なんとかしなさいよ!?」
「そ、そりゃそうかもだけどよ...」
ビビって彼女を怒鳴りつける男の人の気持ちもわからなくはないけれど、だからといってただ死ぬのを待っていても頭がおかしくなりそうだし、それなら彼女がミラクルを起こしてくれる可能性に賭けた方がまだマシかもしれない。そう思って、私は涙目になりながらその男の人に怒鳴り返す。
どの道、あと15分以内に奇跡的に救助が来たところで、爆弾が爆発する前に建物の外まで逃げられるかもわからないのだ。こんな大きな爆弾、爆発したらきっと建物がガラガラ倒壊して落ちてくるだろう。だったら、私は少しでも生き残れる方に賭けた方がマシ!!
「が、頑張ってね、毛利さん!!」
「あ、ありがとうございます」
幸い、爆弾の解体を始めた彼女の電話の相手は、知りあいの警察の人かなんからしく、爆弾の設計図を持って扉の前で来ているらしい。だったら悠長なこと言ってないで早く扉を開けてよと言いたいところだけれど、彼はひとりで先行してきたらしく、本隊が来るのはまだ先なんだとか。マジか。
いや、今はその人を責めてもしょうがない。その人のお陰で1%でも助かる可能性が上がるのならば、感謝すべきだ。恐る恐る遠巻きにみんなが見守る中で、女の子が最初のコードを切る。爆発は...しない!!セーフ!!
「あの、そんなにじっと見つめられるとやり辛いっていうか...」
「あ、ご、ごめんなさいね!!」
毛利さんに言われて、自分がかなり身を乗り出して覗き込んでいたことに気づいた。危ない危ない、爆発したら頭が吹っ飛んじゃうところだったじゃん!!一気に麻痺していたはずの恐怖心がこみ上げてきて、でもこんな若い子が気丈に頑張ってるのに私が取り乱すわけにもいかないし。
どうせ私たちみんな死ぬんだー!!とかなんとか叫びながら泣き喚きたいのをぐっと堪える。毛利さんに賭けるとさっき大声で宣言しちゃったのは私だ。だったら、最期まで彼女を信じる義務がある。これで死んじゃったらあんたのせいよなんて見苦しく思いはしまい。その頃にはどうせ死んでる。
「し、新一?黒いコード切ったけど、止まんないよタイマー」
「え?」
「それにコードがまだ2本残ってるよ?赤いのと青いのと」
終わった。どうやら残っている2本のコードはどちらかが罠らしく、間違えた方を切った瞬間即爆発するらしい。タイマーの残りは3分。今から救助隊が扉を壊してくれても、確実に避難は間に合わないだろう。救助隊共々倒壊したビルに潰されて終わりだ。私たちの間に静かな絶望が広がっていく。
そうこうしているうちに、0時を告げる時計の音が瓦礫寸前のビル内に鳴り響いた。爆弾、0時ちょうどに爆発するのかと思ったら、違うんだ。でも、なんで0時3分なんて中途半端な時間にしたんだろう?テロリストの考えることなんてわかんないし、わかりたくもないけど。
「新一。ハッピーバースデー、新一。だって、もう...言えないかもしれないから...」
項垂れる私の目の前で、毛利さんが呟く。扉の向こうにいるのは、恐らく彼氏さんだったのだろう。やりきれないだろうな、と思う。本当は今日、お誕生日デートするつもりだったのかもしれない。彼女が大事そうにずっと抱えていた紙袋は、プレゼントだろうか。
それがこんなことになっちゃって、ふたり揃ってこのまま死ぬかもしれなくて...無関係な私にだって、毛利さんが痛いぐらい扉の向こうの彼氏さんのことを想っているのが、その声と表情からひしひしと伝わってくる。爆弾魔め。絶対に許せない。このまま死んでしまったら、絶対に呪って祟ってやる。
しかしまあ、不覚にもだ。いいなあ、と私は思ってしまった。私には、駆けつけてくれるような彼氏も、旦那もいない。このまま両親へ育ててくれた感謝を伝えることもなく、24歳の身空でここで死ぬのだ。環状線の事件だけでなく、まさかのビルの爆破事件なんてものに巻き込まれて。
頭の中に、多くのもし、がよぎる。もしあの時駅のホームで、電車に乗ることよりトイレに行くことを優先していたなら、私は今頃ここにいなかったんじゃないか。普通にタクシーで帰って普通に自宅で夕飯を食べて、テレビでニュース中継を他人事のように見ていたんじゃないか、なんて。
そんな意味のないもしもが、グルグルと頭の中で渦巻いていく。
「切れよ」
「え?」
「好きな色を切れ」
「でも、もし外れてたら...」
「フッ...構やしねえよ。どうせ時間が来たらお陀仏だ。...だったら、オメーの好きな色を」
「でも...」
「心肺すんな。オメーが切り終わるまで、ずーっとここにいてやっからよ。...死ぬ時は一緒だぜ」
「新一...」
そんな私のことなんて関係なく、毛利さんたちは青春してるなあ、と、おばさん臭いことを考えてしまった。まだ24歳だけど、でも、女子高生か女子大生ぐらいの年頃の毛利さんに比べれば、幾つも年上だろう。可哀想に。
彼女たちだって、まだまだ青春したい盛りだっただろうに。もっともっと、これからだっただろうに。爆弾魔への怒りが沸々とこみ上げてくる。死んだら絶対呪ってやろう。でもその前にせめて、どうか死ぬなら一瞬で死ねますように...
「...止まっ...た?え?止まったの?マジ?」
いつまで経っても、死は訪れなかった。恐る恐る目を開けると、目の前には肩で息をしている毛利さんと、残り2秒のところで止まった爆弾。
「やっ、たあああ!!」
「きゃっ!?」
思いっきり、毛利さんに抱き着いてしまう。もうバックバクいってた心臓がこれ以上ないぐらい高鳴って、このまま心臓が破裂して死んじゃうそうなぐらい、一気に脳内麻薬がドバドバ出てる感!!
「ありがとう!!ありがとう毛利さん!!あなたは命の恩人よ!!本当にありがとう!!」
「いえ、その、苦し」
「あ、ごめんなさい!!」
後ろで大喜びしている人たちに負けないぐらい、私も毛利さんの手を取りブンブン振り回しかねない勢いで感謝する。生きてる!!生きてる生きてる生きてる生きてるっ!!死なずに済んだ!!よかったー!!
それから程なくして、救助隊が到着した。私たちはそれぞれ救急隊員や警察の人たちに先導されながら、軽い聴取のために振り分けられていく。毛利さんはなんとあの名探偵の毛利小五郎氏の娘さんだったらしい。道理で胆が据わっていたわけだわ。
しかしまあ、本当に今日は散々な一日だった。人生で一番の厄日だったかもしれない。でも、まだ生きてるだけマシか。あの爆発で死んじゃった人たちの遺体が搬送されていく。死んじゃった人たちにだって、家族がいるのだろう。その人たちは、きっと悲しむ。
植え込みに座りながら、ぼんやりと墓標のように建つ米花シティビルを見上げる。遠巻きに毛利さんと目が合ったので、深々と一礼しておいた。彼女は命の恩人だ。彼女と彼氏さんがいなかったら、私はきっと死んでいただろうから。
まあいいや、とにかく今は、うちに帰ろう。この上、帰り道に殺人事件や強盗事件にでも巻き込まれたりでもしたら、いっそ私が犯人を殺しかねない。いい加減にしろ米花町!!と。