いつも通りの日常を送っていたかのように見える幻想郷と、博麗神社。そこに、一つの異変の報せが舞い込んできた……

 知人からのリクエストです。普段書かないジャンルのため、拙い部分等あると思います。その際は感想などにて教えていただければ幸いです。

追記:pixivにも同じ内容のものを投稿しています。
追記2:ご指摘いただいたため、入れ忘れていたGLの警告を入れました。申し訳ありません

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苺味の口づけを

 わずかに湯気の立つ湯飲みを両の手で包むように持ったまま縁側に腰掛ける少女が空を見上げる。紅白の少し変わった巫女装束とは対照的に、白い雲と青く澄んだ空がどこまでも広がっていた。そばに立てかけた箒が風に揺られて縁側とこすれ、音を立てる。そんなことは意に介さずに少女、博麗霊夢は空を見上げたまま、今日のお昼は何を食べようかなどと考えていた。ついこの間春一番が駆け抜けていったことだ、何か春らしい物を、とまで考えたところで彼女の目つきが突然鋭くなる。

「む……そこ!」

 刹那の隙も見せずに懐から取り出した数枚の札を投げつける。吸い込まれるように気配に向かって飛んでいった札は標的を捉え、驚いたような声を上げてその標的は落下する。大したダメージではないのか、シャツや黒い大きな翼についた汚れを落としながら立ち上がって、霊夢に苦情をぶつける。

「いきなりすぎません? いくら烏天狗でも、博麗の巫女の札は痛いのですけども」

「投げつけられるようなことをしなけりゃいいでしょ」

 悪びれることなく言った霊夢が再び湯飲みを手に取る。口をつけるわけでもなく、その湯飲みを持ったまま一度中へ引っ込んでいく。撃ち落とされた彼女はというと、それを見てどうするというわけでもなくただ待っていた。

 

「ったく、普通に訪ねてきなさい普通に」

 新たにもう一つの湯飲みを持ってきた霊夢が一つを差し出す。たはは、と苦笑いを浮かべながら受け取って、礼の言葉とともに口を付けると、目を見開いて霊夢を見やる。

「……何かありましたか霊夢さん。この神社で出されるお茶が一番煎じなんて」

「文、あんた喧嘩売ってるのね?」

 睨みつける霊夢に対して、慌てて冗談ですよと文が弁明する。だが実際、お茶というよりお湯と呼ぶ方が正しいようなものを出されるのが一種の恒例と化したこの神社で、よもや一番煎じが出てくるとはと驚きはあった。

「あのね、私だってたまには茶葉を変えるくらいするのよ! で? 今日は何の用?」

「用というほどのものはないんですけどね、取材で近くを通りかかったので寄って行こうかと。新しいネタでもないかなぁと」

「神社の近くを通りかかった、ねぇ」

 幻想郷の端にあるここの近くにあるもの、といって思いつくものはほとんどない。目の前の射命丸文という存在は、根も葉もない嘘は吐かないが、信頼のおける言動をするかといえばそうではない。霊夢はどこまで本当なのかを疑りながらも、縁側に立てかけた箒を手に取って物置へ向かう。

「あや、掃除をしていたのでは?」

「終わったのよ。お昼前の小休止」

 暗に邪魔されたことを非難し、同時に昼を食べるのだからさっさと帰れと告げる。しかしそれは、文にさらに霊夢との会話を続けさせる要因となった。

「それは丁度良かった。実は知り合いからイチゴを頂いたのですが、食べきれる量じゃなくって。よろしかったらもらってください」

 そう言った文はどこからか小さな包みを取り出して、いかにも警戒していますという顔の霊夢に差し出す。霊夢は文が何か企んでいるのではないかというその警戒を数秒で捨て置いて、貰えるものは貰っておこうと素直に受け取る。とはいえ、このまま帰すのも気分はよろしくなくなってしまうし、この後何を要求されるか分からない。その要求は大抵取材なのだが、その取材がよろしくない。先手を打つに限る、と霊夢は打算する。

「ありがたく貰うわ。そうねぇ、代わりというのもなんだけれど、お昼くらい食べていく?」

「あやややや、それはそれは。それではお言葉に甘えましょう」

 やはりというか、いつの間にか取り出していた手帳とペンを一度しまった文は、霊夢に続いて一本下駄を脱ぎ、神社に上がる。勝手知ったる、とでもいわんばかりに慣れた足取りでいつも霊夢(とその客人と言えない客人)が食事をしたりくつろいだりする部屋へ辿り着き、そのまま霊夢は文からのイチゴの包みを持ったまま厨へ向かう。文はこの部屋に残って、いつもより静かな部屋に視線を巡らせる。

「今日は随分静かなのですね」

 一つ扉を挟む程度の距離にある厨目がけて声をかける。霊夢からの返答は曖昧なもので、その理由というのが文にも分かり切っていた分すこしだけ皮肉めいた返事に聞こえた。

「あー……そうねぇ」

 嵐の前の、というと少し違うが、今日は取材をしてもメモに書くのは後にまとめて、という方が良さそうだ。そんな決定を内心で済ませ、そういえばと話題を変える。何とない世間話だった。やれ紅魔館の主とその親友の馴れ初めを取材しただの、人里で食い逃げした不届き者を捕まえた外来人がいただの、最近彼女が取材した事柄や噂などを交えて話してくる。霊夢はそれを興味があるのかないのか分からないテンションで受け答えして、卓袱台に料理を並べていく。

「そういえば、近頃人里で不穏な噂を聞くのですよ」

「……詳しく教えてもらえる?」

 不穏な噂。いつもならまた尾ひれが五十本ほどついているのだろうと聞き流すところだが、文の雰囲気と霊夢の勘が、聞きのがしてはいけないと全力で警鐘を鳴らし、霊夢も今までののほほんとした「霊夢」の雰囲気から異変解決を本業とする「博麗の巫女」の雰囲気へと変える。

「あくまで噂ではあるのですが、最近作物が異常なまでに荒らされるんだそうです」

「そうまで言うってことは、妖精の悪戯、というわけでは……」

 はい、と静かに文が頷く。曰く爪痕などが残っていたり大きな足跡がついていたりするらしく、とても人里の人間達だけでは太刀打ちできるか怪しいというものらしい。なるほど博麗の巫女の出番か、と霊夢が納得しかけたその時、ふとした疑問が浮かぶ。二人とも食事に手を付け始めていた中での会話だったがその会話は真剣そのものだ。

「噂、ってことはその荒らした主を見たわけでもないわけ?」

「そこが奇妙なのですよ。私も畑を少し見たのですが、爪痕や足跡からは生き物の気配を感じないのです。作り物の疵とも違うのですが……」

 そう言って懐から手帳を取り出していくつか頁をめくり、目当ての頁を探し出すとペンで軽く叩きながら目を滑らせる。今回の噂に関する事柄をメモしてあるのだろう。いくつかかいつまんで文が読み上げる。いつごろ、どこの畑が荒らされたか。どんな畑か。そのほか諸々、とにかく文は色々と調べてきたらしく珍しく霊夢を感心させる。文の情報を二人で噛み砕くように整理しながら食事を平らげ、今後の行動について二人が話し始める。イチゴをつまみながら、霊夢が人里に行くとしてまず何をすべきか、そこから二人の会議は始まる。

 

「まず第一に、人里の安全を確保するのを考えなきゃいけないわね……あむっ」

「そうですね、いつ畑じゃなくて人里そのものを襲い始めるかは分かりませんから。もぐっ」

「となるとまず広い種族に効く防御結界と、種族なんかを特定するための追跡用の霊力を付加するトラップを併設するか……ん」

 ふと目の前を見ると、文が何の気なしにとでもいう風にイチゴを霊夢の方に差し出していた。意図は分からないがそれを受け取ろうとして、直前に霊夢に悪戯心が湧き上がる。差し出されたイチゴを手でとるのではなく直接頬張ってやると、予想外だったのか文は一瞬目を見開いて顔を赤くする。今まで飄々とした余裕のある態度だっただけに、霊夢は大いに満足したらしい。今度は霊夢が余裕綽々という表情で文を見据え、主導権を握っていると言わんばかりにイチゴを差し出してやる。少しばかり戸惑った様子を見せた文だが、意を決したのか意趣返しのつもりなのか、ぱくっと勢いよくイチゴを霊夢の手から受け取る。しかし霊夢の方を見やるとそれに動揺した様子は全くなく、むしろ勝ち誇ったような笑みを浮かべている。やられたか、と気づいた時にはイチゴは既に噛み砕かれ始めており、甘酸っぱい味が口内に満たされていた。

「ずるいですよ全く」

「なぁにがずるいってのよ……釣られたのはそっちじゃない。しかしまぁ、面倒くさいわねぇ」

 新たに持ち込まれた異変の種。直接相談されたからにはぐうたらしているわけにもいかず、その重い腰を上げるしかない。湯呑のまだ熱いお茶を一口啜ってため息を吐くと、ようやく立ち上がって結界用の札や対妖怪用の針を用意し始める。文もそれを見受けて嬉々として写真機にフィルムを突っ込んで巻き上げ、手帳の書き込む余地を確認する。

「さて……ここまで首突っ込んでるんだから、手伝ってもらうわよ、文」

「もちろん喜んで!」

 

 人里の近くで二人は飛ぶのを止めて辺りを見回す。流石に何か変わりがあるわけではないが、人里の雰囲気がいつもと違うような気はする。異変をお祭りとも捉える人が出てくるほど異変というものに慣れてきた様子を見せる人里ではあったが、直接命を脅かすことを感じるものともなるとそうも思えないらしい。二人はそんな雰囲気を感じ取り、どちらからともなく顔を見合わせて頷き合う。

 人里に入ってみると、いつもは人々が行き交う時間帯であるにもかかわらずほとんど人が外に出ていない。そんな事態を目の当たりにして固唾をのみ込んだ霊夢は、文と共にとりあえずと人里の賢者、上白沢慧音の下を訪ねた。二人の来訪に安堵の表情を見せた彼女は、そのわけも含めて事情を説明し始める。

「……ふぅん、つまり全くの原因不明で、外に……というか私のところに助けを求めようにも人里の自衛力がなくなるから動けなかった、と」

「そんなところだ。で、お前達がここに来たということは」

 こくり、と霊夢が頷く。そうか、と返した慧音の表情から僅かに安堵を感じることができる。文と霊夢は一度顔を見合わせ、慧音に詳しい情報を促すと、慧音の知っている範囲での情報を提供された。

「まず私が知る限り、あれは人間でも妖怪の類でも作ることが出来る疵であり、出来ない疵でもある」

「形的には可能、けど痕跡的には。そういう話ね」

 文の口調は記者ではなく天狗としての彼女の口調だった。手帳を見てこそいるがペンは取り出していない彼女は、霊夢の思っているよりずっと今回の事を危惧しているらしい。

「今のところ里への直接的な被害と言えば作物が荒らされる程度……だが続けば人里は食糧難に陥る危険もあるし、何よりその田畑で作業している者にとっては危険極まりない。出来る限り早急に原因を究明、解決する必要がある。が、こちらも得ている情報が少なくてな。射命丸の、お前も人里で情報収集をしていたそうだが、恐らくお前が知っている以上の事は私には分からん。何せ情報源は同じだからな」

 そういうと慧音は湯呑に口をつける。霊夢と文は顔を見合わせると、受かんだ意見が大よそ同じであると察する。そう、とにかく動いてみよう、だ。幸いにして、霊夢には「策」がある。それを慧音に相談してからでも損はないだろう。その策を慧音に伝えると、慧音の顔は若干明るくなったように思う。察知と追尾、二種の結界を利用した作戦に全面的に賛成した彼女は早速準備を進めるように言ってくれた。

 

 慧音の家を出て少しすると、人が数人固まって通りを歩いているのを見かける。身を寄せ合うようにして歩く彼らは怯えを見せており、霊夢と文に気付くと軽く会釈をして話しかけてきた。

「あの……もしかして今回の一件を聞いて?」

「ええ。文が報せてくれてね。とりあえず敵の正体が分からないことにはどうしようもないから、対策用に結界を張りに行くところよ」

 ほんの少しの安堵を見せた彼らだったが、文はその表情から微かに「疑心」を感じた。妖怪である自らに向けられたものではない。その疑心はあろうことか、助けに来たはずの博麗の巫女である霊夢に向けられている。しかしここで問い詰めても雰囲気を悪くするだけであるし、そもそも問い詰めたところで彼らがそれを認めるはずはないだろう……そう考えて、文は彼らと別れた後に霊夢にさり気なく目を向ける。霊夢は特に気にした様子はなく、いつも通りの表情だった。

「気付いていないのかしら……」

 ぽつりと漏らし、少し考え込む。こちらの視線に気づいた霊夢がどうかしたかと尋ねてくるのを何とかはぐらかすかのように、とにかく仕事を済ませてしまおうと提案する。しかし仕事を済ませると言ったって、情報収集を終え、結界を張るだけなのだから文にできることと言えばその作業を見ているくらいのものである。ぼうっと眺めているだけでも、テキパキと結界の準備を進める霊夢の手際の良さは流石と思うものがあった。人里をぐるりと囲うように一定の間隔で札を配置していのを歩いて追いかけていく文は、ぼうっと見ている中で先程の疑心に考えを奪われていた。

「うーん、勘の鋭い彼女に限って気付かないとは……」

 博麗の巫女として霊夢は誰とでも付き合い、誰とも一線を越えたのを見たことがない。しかし感情が無いとはお世辞にも言えず、むしろ表情も感情も豊かでそれが彼女の魅力の一つでもある。褒められれば照れたり嬉しがったりするし、嫌なことを言われれば傷ついたり怒ったりする。そして彼女は職業柄なのか偶々なのか勘がすさまじく鋭い。人の感情に対しても例外ではなく、彼女の前で嘘を吐くと覚妖怪ほどではないが高確率でバレる。運も合わさって口が滑ったり、手掛かりになるものが出てきてしまったり色々であるが。そんな彼女が、文が明確に気付くほどのソレに気付かなかった、というのが気になって仕方なかった。しかし直接聞くというわけにもいかず、どうしたものかとまとまらない考えが頭の中を文もびっくりのスピードで駆け巡る。

「あ、文? どうかした?」

 それは思い切り顔に出ていたらしく、いつの間にか目の前にいた霊夢に声をかけられて素っ頓狂な声を上げてしまった。霊夢は霊夢で先ほどから様子のおかしい文を気にかけていたらしく、熱でもあるのではないかと額に手を当てる。神社を出る前の出来事を思い出したのか、文は顔を真っ赤にして否定しながら飛び退く。

「ね、熱はありませんて! それより早く結界を張って――――」

「とっくに終わったわよ。声をかけても反応が無いんだもの。ほら、一度慧音んとこ行くわよ?」

 言われて文が周りを見渡すと、なるほど出発点に戻ってきたらしい。今度は霊夢と横に並ぶように歩いて慧音のいる寺子屋を目指す。と、その途中、ふと思いついたように文が霊夢に尋ねた。

「そういえば、私は何で駆り出されたのかしら? 手伝えることってないと思うんだけど」

「ん? あー、そう言えば情報収集以外何もしてもらってないわね……まあ本命は見つけてからよ。ついてきてもらってるのは後々のため」

「後々?」

「実力行使のとき。私一人でもどうにでもなるでしょうけど、相手が分からないってなるとね」

 不安や恐怖というより、仕事をこなせなくなっては困る、という表情でそう言った霊夢になるほどと文が相槌をうつ。そんな会話をしているうちに寺子屋に着くと、数人の男らが通りかかった。それらからもやはり、文は疑心を感じ取る。明らかに霊夢に向いているそれでも、文がうすら寒さを感じるほどだ。それを霊夢はやはりなんとも思っていないふうに寺子屋へ入っていく。戸惑いをおぼえた文は、少しだけ男らの方に威嚇の意を含めた視線を送り、霊夢に続くように寺子屋へ入っていった。

 

「そうか、結界の展開は済んだか。大体被害が出るのは夜中のようだ。日が沈むまであと少しだが、少しでも休んでくれ」

 慧音の言葉に素直に従うことにした二人は、一度神社へ戻ることにした。その途中、文が霊夢に先ほどから感じていた疑心について問いかけた。

「霊夢さん……いえ、霊夢。一つ聞かせて。さっきから人里で人に会うたびに向けられていた感情……」

 そこまで言うと、霊夢が振り返って前へ進むのを止め、滞空した状態になる。つられて文もその場で滞空し、表情は今までと同じながら、雰囲気が全く別の目の前の少女に固唾を呑む。

「私はね。人里じゃ都合の良い防衛方法、それくらいの認識なのよ」

 霊夢の言った意味を、文はいまいち理解できなかった。そしてそのあと、理解したくなかった、という感情に襲われることになる。

「文も知ってるでしょう? ウチはお賽銭が極端に少ないわ。お賽銭っていうのは言わば信仰心の一番分かりやすい形ともいえる。つまり、今の博麗神社の信仰はほぼないと言っていい」

「でも、先代の頃は沢山入っていたと」

「そうね。それには理由があるわ。私と違って先代は、あえて人前で妖怪退治をしていたの。人里前で、じゃなくて偶然を装ってね。器用な人だわ、襲われる直前まで気配を悟られず尾行して、怪我はさせない。そんなんだから、人里の人間からしたら先代の時の博麗の巫女はまさにヒーローよ」

 肩をすくめて言った霊夢からは、皮肉と尊敬双方の感情が感じられた。そんな器用なことをすることには尊敬しているのだろう。その努力も。だが、そんな姑息なことをして信仰心を集めていたことには、あまり快く思っていないらしい。文の背筋に僅かに悪寒が走った。この後、どんなことが霊夢から発されるのか、先は読めないが、嫌な予感だけは感じ取れる。

「でも博麗の巫女って言うのは、人間の味方じゃないわ」

「え?」

「結果として人間側に立つことが多いけど、正確には幻想郷の味方。人間が異変を起こせばその人間を退治するし、妖怪を保護することだってある。妖怪から信仰心を得ても何の問題もないのは、あんたも守矢を見てるなら分かるでしょうけどね。そんで、まぁ……私は先代と違って、人里に見えるように仕事はしないし、妖怪とも交流があるし、ね。妖怪からも人間からも、少なくとも恐怖されてるでしょうし」

 再び肩をすくめて言った霊夢は、表情こそおどけて見せているが、声色は全く別の感情……恐怖や哀しみで染まっていた。妖怪からにせよ人間からにせよ、嫌われ役ともいえる博麗の巫女という立ち位置は、目の前にいる小さな少女の肩には重すぎるのだろう。そんな霊夢に、一拍考える間も置かず半ば反射的に叫ぶように宣言する。

「だったら! 誰に嫌われようと、私が嫌いにならない! 天狗として、記者として、霊夢のそばにいるから!」

 悲痛なものとも感じるその宣言の意味を、理解が一瞬遅れた霊夢は、ぽかんとした表情を一気に朱に染める。意図せずして昼間とは逆の状況になったとも言えるが、文の顔もまた朱に染まり始めていた。自分で言ったことの意味をようやく理解したらしい。

「あっ、いや、その、今のは……!」

「……ぷっ」

 軽く吹き出した後ひとしきり笑った霊夢は、どうにか笑うのを収めながら、文の方を見据える。

「ふふっ、ありがとう。これでも嬉しいのよ? あんな風に言ってもらったのは初めてだったから」

 そんな余裕を見せる彼女の顔はまだ赤い。笑ったのは照れ隠しなのだろうが、文はそこに気づく余裕はなかった。

「ほら。神社に戻るわよ。少しでも用意しないと」

 

 霊夢と文が神社にたどり着く頃にはすっかり日も傾き、今にも沈もうとしていた。霊夢と文はそれぞれ顔を朱色に染めたまま、それぞれの用意を済ませていく。しばらくすると、ほとんどすることがなくすぐに準備が終わってしまった文のところへ、霊夢が声をかける。振り向くと、お茶とすこし大きめのおにぎりを差し出された。

「夕食を食べる時間はなさそうだからね。でも空きっ腹で行くのも頭が働かないでしょ?」

それもその通りである。感謝しつつ受け取ると、霊夢が隣に腰掛ける。縁側に並んで座っているというだけだが、つい先程のことを意識してしまい、おにぎりの味がよくわからなくなってしまっていた。

「あ、昼間のイチゴもまだあるけど、食べる?」

「せ、折角だから食べちゃいましょ」

 笑顔がぎこちないのが、文自身分かった。そんな彼女を見た霊夢はクスクスと笑いながら、イチゴを用意しに厨へ戻る。ほどなくして戻ってきた彼女と共にイチゴに手をつける。甘酸っぱいその味は二人の気持ちをリラックスさせてくれた。それで余裕が出てきたのか、霊夢が再び悪巧みを思いつくと、イチゴを口に加えて、文の肩をトントンと叩く。振り向くとそこには、口に加えたイチゴを文に突き出している霊夢の姿。思わず吹き出した文が呆気に取られたのを見た霊夢が更に笑みを深め、ほれほれと言わんばかりにイチゴを揺すってみせる。

「あー、もう! 誘ってきたのはそっちだからね!」

 ヤケクソ、とも言えるものだった。勢い良くそのイチゴを霊夢の口に押し込むような勢いで、霊夢の唇を奪う。その勢いに若干驚いた霊夢も、すぐに文の腰に手を回してがっちりと抱き合う。二人の口を徐々に噛み砕かれていくイチゴが行き来して、香りと味が満ちていく。唾液と細かくなったイチゴがたてる音だけが二人を支配し、ほんの数分が永遠のような時間に感じる。ようやく、名残惜しむかのように銀色に橋をかけながら唇どうしが離れると、二人はそのまましばらく見つめ合って、どちらからともなく小さく笑いあった。

 

「もう一個イチゴいる? と訊きたいところなんだけど」

「ははは……帰ってから?」

「そうね。そうだ、今の文はどっちの文なのかしら」

「どちらの文がお好きかしら」

 記者としての文か、天狗としての文か、ということだろう。そうねぇ、と少しばかり悩んでみせた霊夢は、仕事が終わったら答えると返して人里の方へ飛び始める。予想していなかった返し方に苦笑いした文は、霊夢のあとを追う形で神社を飛び出し、太陽の代わりに空へ登っていた月の下で並んだ。昼間は暖かかったが、今は少し肌寒さを覚える。それでも文の方を見ると霊夢の感じている肌寒さなど微塵も感じていないように見えた。少しだけ天狗という種族が羨ましくなる。その視線に気づいた文が霊夢の方に振り向いて声をかける。

「あれ、どうかした?」

「え? あ、うん。何でもない。寒くないのかなって」

 ああ、と文は納得したように頷き、懐から紅葉をあしらった大きな布を取り出して霊夢に差し出した。

「私が冬の間マフラーにしてるやつだけど、よかったら」

 月明かりでは分からない程度に顔を赤らめて差し出されたそれを、やはり月明かりではわからない程度に顔を赤らめた霊夢が受け取る。冬は流石に天狗でも寒いのか、などと考えながら羽織るように首に巻くと、幾ばくか寒さは気にならなくなった。柄のせいか少し山にいるときのような匂いがする気がして霊夢は心地良さそうである。そんなやり取りで和んだ二人であったが、しばらくすると、突然霊夢の雰囲気が変化する。博麗霊夢のそれではなく、博麗の巫女としての雰囲気であると即座に察した文も、それが何を意味するのかおおよそ検討がついて目つきを変える。

「霊夢」

「かかったわ。ちょうど人里とここの間……追うわよ!」

 一気に加速して飛ぶ霊夢の斜め後ろをキープして、文が追従する。真後ろと真横はお互いカバーの効かない位置である、というのは曲がりなりにも天狗で、集団戦の心得のある文は理解していた。文に止まるように目と手振りで示した霊夢。続けて彼女が指差した方を見ると、暗い畑で蠢くソレがいた。霊夢にはあまり見えていないが、文には黒みがかった灰色の体毛と四足、鋭い犬歯がはっきりと見える。狼のようにも見えるが、もっと別の気配がした。背筋に悪寒が走り、自覚できるほど体が力む。そんな文を見た霊夢も警戒を強め、針と札を構える。

「文。私に一歩遅れて出て。私が背後に回り込んで気を取られた隙に確実に仕留めなさい」

 普通なら危険すぎる、と止めるところだが発言したのは誰でもない博麗の巫女たる博麗霊夢だ。文が頷いたのを見て、蠢く影のようなそれをしっかりと見据える。軽く地を蹴ったかと思うと、その軽さからは想像もできない瞬発力で一気に草影から飛び出し、対妖怪用の針を投げつける。そのまま狼のようなそれの頭上を飛び越えて着地した霊夢を見て、文も音を立てることなく飛び出す。背後をとられた名もない妖怪が烏天狗に抵抗することができるわけもなく、首を一気に圧し折られる。その時感じた明確な違和感を伝えるより早く、札を額の部分に当てた霊夢が霊力を込め、完全にとどめを刺す。

 

「……これは、霊?」

 霊夢がもらしたのを聞いて、文の感じた気配に合点がいった。

「なるほど。だから妖怪的な力を感じなかった……」

 文がそう言って霊夢の方に振り向いた瞬間、文は自らの血の気が引く音を聞く。

「霊夢!」

「なっ……しまっ……!」

 霊夢の背後に見えた黒い影は、今自分らが仕留めたものとは比べ物にならないほど大きく、強い。軽く腕を払うように叩かれ、霊夢は体を丸めて少しでも威力を削ぐことしかできず、太い木に叩きつけられる。怒りや焦りを感じるより先に、追撃しようとしていた腕を蹴り上げる。肉や骨が断たれる音とともに腕が千切れ飛んだ。背後の霊夢を見ると、さしたる外傷はないようだ。肺から空気が出たのか身動きはとれないようだが、意識を失っているわけでもない。ほんの少しの安堵とともに、目の前の存在に明確な怒りを向ける。腕を千切り飛ばされたにも関わらず痛がる様子を見せていないが、それは特に驚くべきことではない。妖怪退治は肉体的なダメージを与えればいい、というものでもなく、きちんと対処法がある。

「天狗舐めないでほしいわね」

 それでも肉体的なダメージを受けすぎれば、いくら丈夫でも命はなく、実体さえあるなら霊体だとしても変わりない。文の怒りを具現したような団扇での一撃は、辺り一帯ごと嵐が吹き荒れたかのように薙ぎ払った。体をいくつものパーツに切り裂かれ、頭部がゴロリと転がる。その頭部以外に見る者がいれば背筋が凍るような冷たい目つきで、転がった頭部を蹴り飛ばす。硬いものを蹴ったとは思えないほど軽い音と共に頭部は弾け飛び、見る影もないほどであった。

「……! 霊夢!!」

 怒りから我に返って、文は背後で倒れているはずの霊夢の方へ振り返る。幸いにして先程の自身の攻撃で傷つけた形跡はなく、僅かに安堵の息を吐く。そばに寄ると、霊夢が咳き込んだのを見て文が慌てて屈み声をかける。

「大丈夫!? 永遠亭行く方がいいかしら?」

「大丈夫、けほっ。背中をちょっと打っただけ。けほっ。それより手……ごめん、やっぱ肩貸して……」

 ソレを聞いて安心したように苦笑いしたあと、文は手を倒れている霊夢の背中と膝裏に回す。予想外の手の位置に霊夢は一瞬呆気にとられ、その一瞬の間に文に抱え上げられていた。俗に言うお姫様抱っこの格好だった。顔を真っ赤にして下ろすように言う霊夢に対し、文は今日おちょくられた分の仕返し、と言わんばかりにニヤニヤと笑いながら神社を目指す。その道中、ふと思い出したというように霊夢が文に話しかける。

「あ、文。神社に戻る前に慧音のとこにいかないと」

「ああ、それもそうだわ。でも大丈夫なの?」

 確かに体のダメージは大きい、と思い少しだけ考え込んだ霊夢。しかし、報告に行くだけだから大丈夫だと答えると、文は頷いて進路を変える。そして少しだけ霊夢を抱く力を強くすると、ニヤニヤ笑う文を見て意図を察した霊夢が慌てはじめる。

「あっ! ちょっと、もう大丈夫だから下ろして!!」

「いーや。何かあってからじゃ遅いもの」

 文の建前は間違ってはいない。悔しそうに唸って顔を赤らめる霊夢の、悲鳴のような叫び声が月夜に木霊した。

 

「そうか……助かったよ、博麗の。それから射命丸。里の皆にも安全は確保したと報告しておく」

 寺子屋に戻り、報告を済ませた彼女らに慧音が感謝の言葉を告げる。出された茶を啜りながら、彼女らはしばし雑談を楽しんだ。夜が更けてきたころ、霊夢がそろそろ、と神社に戻ろうとする。泊まっていくように慧音が提案するが、霊夢はそれを辞退した。何となく理由に察しがついた文はそれに口出しせず、自分が霊夢を送っていくから、と一緒に寺子屋をあとにした。

 

「あー。なんか久々に神社見た気がするわ」

「さっき出たばっかりなのにね」

「で、そろそろ下ろしてくれると嬉しいんだけど。これはこれで恥ずかしいわ……」

 流石にお嬢様抱っこは嫌だ、と文から逃げようとした霊夢は、どちらかといえばマシ、ということで文に神社までおんぶされていたのだ。事実、寺子屋から出発するときに霊夢のダメージが大き過ぎて、単独で飛ぶには危険だと二人とも判断はした。それでもこの歳になって、というのは霊夢にもあったらしい。とはいえ文からしたら折角ここまで来たのに、ということで、その願い入れが聞き入れられることはなかった。しっかりちゃっかり神社の中まで送り届け、燭台に火を入れ、布団を敷いて寝間着に着替えさせた霊夢を寝かせる。ふと、なぜ文はここまで布団と寝間着の位置を把握しテキパキと準備できたのか、と気づいた時にはすでに掛け布団をかけられていた。

「あ、そうだ。イチゴ、腐る前にちゃんと食べちゃってね?」

「え? あ、あー。今食べちゃおうかしら」

「こらこら、今の時間からなんて体に悪いわ。これで我慢」

 そう言って、一つ小さなため息を吐いたかと思うと、霊夢の前髪をかきあげて、額に軽く口付ける。

「じゃ、じゃあおやすみ!」

 恥ずかしさが爆発したらしく、顔を赤らめて文は部屋を出て、飛んでいったと思しき羽音が聞こえてきた。その羽音から数十秒して、ようやく何事かと把握した霊夢が、腕で軽く目を覆ってやはり顔を赤らめる。

「……やられたわ」

 明日からイチゴを見るたび食べるたびに今日のことを思い出してしまいそうである。それが嫌だというわけではないが、明日以降仕返ししてやらねば気が済まない、という感情もまたあった。とにかく、今日は色々な意味で疲れてしまったことだし寝てしまおう……霊夢はそう考えて、蝋燭の火を軽く吹き消して、辺りが静寂に包まれたのを確認して瞳を閉じた。


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