ようこそ姉弟至上主義の教室へ   作:ピト

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 先日の大掃除で消えた原稿を思い出せる限り復元しました。
 またしばらくは間が空くと思いますので気長にお待ちください。


第10話 はなれたくないぃぃ!

 うっすらと意識が浮上してきた。ベットの上で温かい感触を覚えながら瞼をゆっくり開く。暗い室内。カーテンから差し込んでくる光も見えない。暗闇に慣れた目の先では規則正しい寝息を立てる姉様がいた。特有の甘い香りが鼻腔をくすぐってくる。ツリ目から醸し出される普段の凛とした雰囲気は鳴りを潜めており、安らかな寝顔についている淡いピンクの唇が姉様を煽情的に見せていた。愛おしく感じるその存在と密着して眠れる環境に感謝が湧き出てくる。このままずっとこの時間が続けばいいのにと思う。しかし、現実は非情である。今朝はやらねばならぬことがたくさんあるのだ。おもりを付けたような鈍い体に鞭を打ち、ナメクジのような速度で姉様から離れた。

 姉様のお体が冷えないように薄い夏用掛け布団を掛ける。ベットの近くに落ちている姉様の上の下着やらネグリジュやらを回収して洗濯ネットに包んだ。洗濯機にその他の洗濯物を入れ、姉様のお気に入りの洗剤と柔軟剤を投入してスイッチオン!任せろとばかりに音を鳴らす洗濯機に洗濯物を預けた後は洗面台に足を運んで顔を洗う。シャキッとしたらタオルで顔を拭いてキッチンへ。お米を洗い、出汁を入れたお湯に味噌を溶かしながらBCAAを飲む。青ネギをトントンと刻んでいた時、ふと視線を感じた。

 

「おはよう、姉様」

 

 姉様は横になったままで目を開けて俺を見ている。声を掛けると返事はなかったが、柔らかく微笑まれた。優しい笑みから感じる確かな愛情に、俺はなんとも言い表せない幸福感を覚える。これがあれば俺はなんだってできる気がしてしまう。

 

「起こしちゃった?」

 

 姉様はゆっくりと首を小さく横に振った。それを確認して作業を再開させる。みそ汁にネギを入れ終わると、今度は冷蔵庫から卵を二つ取り出す。フライパンを手に取って目玉焼きに取り掛かった。姉様も俺も目玉焼きは半熟派だ。いい焼き加減を経てお皿に盛りつける。彩と健康のためにサラダを添えた。これらを終えるまで、姉様はずっと静かに俺を見たままだ。テーブルに用意していく。

 

「やはり、この光景はいいものだな」

 

 ポツリと姉様が言葉を零す。

 

「そう?簡単な物しか作ってないのに?」

 

 俺は首を傾げる。すると、姉様は苦笑いを浮かべた。その表情に僅かに悲し気な雰囲気があるのが少し気になった。

 

「姉様?どうかした?」

「いや、なんでもないさ」

 

 姉様は俺を手で招いた。近くによると首元に腕を回される。姉様の背中と足に腕を添えて抱き上げた。慎重に姉様を立たせた後、洗面所に向かう姉様を見送り、俺は姉様の服を準備する。椅子に座って姉様を待つ。三分と経たずに姉様は戻って来た。ショーツ姿の姉様は服を置いた場所ではなく、そのまま俺に近付いてくる。

 

「???」

 

 姉様が俺の目の前に。姉様の綺麗な形をした双丘が眼前に広がっている。姉様は俺の両肩に手を置き、腰を曲げて俺の目を捉えた。魅惑的な紅い光彩が俺を覗き込んでくる。姉様の瞳が俺を離さないまま距離が近付く。やがて唇に柔らかい感触を覚えた。一瞬の後に姉様が離れ、小さく舌なめずりをしていた。

 

「食事にしよう」

「………うん」

 

 姉様が服を手に取り着替えた。俺の対面に座り、二人で手を合わせる。この世の全ての食材に感謝を込めていただきます。

 

 

 

 

 

 食事が終われば食器を洗った。姉様はシャワーを浴びている。外は段々と明るくなり、出発の時間が迫ってきた。今は乾燥をかけた洗濯物を畳んでいる。やがて全ての洗濯物をタンスにしまい終えるタイミングで姉様がバスタオルを体に巻いて出て来た。姉様が椅子に腰掛けると俺は用意しておいたドライヤーを手に取って向かう。丁寧に丁寧に乾かしていく。もうこの行為が二週間程度出来なくなると思えば悲しくなる。

 

「どうした?今日はえらく丁寧じゃないか」

「んー、しばらく離れちゃうから」

 

 チラリと視線を二つの大きなトランクに向ける。一度手放して再度手に入れた蜜ほど失いたくない物は無い。少しでも長く手元に置いていきたいと考えるのは当然だろう。

 

「一年は太平洋にバカンスだったか?」

「………バカンスだけならいいんだけどね」

「世の中美味い話はそうそうないさ」

 

 姉様はクツクツと笑った。

 

「去年はどこだったの?」

「去年か?去年は、どこだったか…」

 

 姉様が手を顎に添えて思い出す仕草をする。

 

「山に行った記憶はあるんだがな。つまらなさ過ぎてよく覚えてない」

「ふーん」

「どうして私とお前は学年という壁があるのだろうな?」

「母上が赤ちゃんを産める周期にも限度があるからね」

「母や父に文句は無い。だが仮に私とお前が双子であれば、少なくとも昨年の夏に退屈せずに済んだ。まあ、タラレバをいくらしたところで変わらんとなれば、何兆分の一の確率でお前と出会えたのを喜んだ方が有意義か」

「そう思うよ。姉様と姉弟であることが奇跡だから」

「奇跡とかいうまやかしは好かん」

「姉様はいつも合理的だよね。俺は全然許容できるけど」

「この世は因果関係で成り立っているからな。無からは何も生まれない。もしそこに何かがあれば、それには必ず理由が存在するはずだ。だからこの世の一切合切は自分の手で勝ち取らねばならぬ」

「姉様らしいね」

 

 ドライヤーで姉様の髪を乾かし終えた。全体的にしなやかかつ艶やかに仕上がった姉様の髪。はぁ、この中に顔を突っ込んでハスハスクンカクンカしたい気持ち悪い俺がいる。そいつの気持ちも分からんでもないがな。

 

「着替えたらアイロンするね」

「ああ」

 

 二人で制服に着替える。そして、再び先程と同じ構図になった。

 

「巻く?」

「いや、完全にストレートでいい」

「分かった」

 

 セットの要望を聞き、丁寧にアイロンをかけていく。遊び心を入れて巻いた髪型の姉様もいいが、純粋な綺麗さで真っ向勝負のストレートも素晴らしきことこの上ない。最後にカチューシャを着けて完成。

 

「できた」

「ん、ご苦労だったな」

 

 姉様から労いのお言葉を頂戴する。えへえへ、えへへえへへ。

 

「もうこんな時間か」

 

 時計を見れば俺がそろそろ出発してもいい頃合いだった。今日は全学年が一斉に旅立つのだが、出発の時間はそれぞれ異なる。姉様たち2年生は俺たち1年生の2時間後に集合だった。荷物を確認して玄関へ向かう。

 

「忘れ物は無いな?お前が準備したのだから私は確認しかできんぞ?」

「無いよ。姉様こそ忘れ物は無い?」

「私が何度荷物を準備してきたと思っている?心配は無用だ」

 

 二人して目を合わせて微笑んだ。

 

「じゃあ、行くね」

「ああ」

 

 最後の挨拶をして玄関に手をかける。

 

「…待て」

 

 後ろから呼び止められた。

 

「どうしたの?」

 

 振り返って疑問を口にした。姉様が手招きするので近寄る。

 

「忘れ物だ」

 

 姉様はそう言うと、俺の背中に腕を回して抱き着いてきた。あら皆さん!聞きまして!?これが姉様の忘れ物だそうですよ!ふふん♪

 

「姉様ぁ」

「ん」

 

 俺も姉様を強く抱きしめ返した。ぬいぐるみのような柔らかな感触、獲物を誘き寄せるような甘い香り、男を惹き付けて止まない艶美な漏れ出る吐息。それら全てが極上だった。

 

「圭介」

 

 姉様が顔を上げて俺の頬を両手で包んでくる。スズメバチのような鋭いツリ目に見つめられ、蕩けるような気分に陥ってしまう。ゆっくりと姉様の尊顔が距離を詰めてきた。

 

「後悔などないさ」

「え?」

 

 姉様の唇が深く重ねられた。すぐさま口内に姉様の舌が捩じ込まれる。少し前とは比べ物にならない程濃厚なキス。不意をつかれたタイミングによって姉様のなすがままに蹂躙される。酸素が薄くなり、思考が集中できなくなってきた。息継ぎの為に一瞬離れる。

 

「dolce」

 

 寒気がしてブルリと体が震えた。姉様は嗜虐的な視線を保持したまま、再度口付けを落としてきた。頬に添えられた姉様の手が首を伝い、その腕が俺の首に回される。俺たちは事前に打ち合わせをしたようなタイミングで息継ぎを行う。しばらくして唇を離す。銀色の橋がプツリと切れた。

 

「行ってこい」

 

 姉様は最後に軽くキスを落として俺を促した。姉様の感触を名残惜しく思いながらも体を離す。荷物を再度手に取って姉様を見た。

 

「行ってきます」

「うむ。行ってらっしゃい」

 

 

 

 

 

 ──────

 

 うーみーはーひろいーなーおがさーわーらー。

 見渡す限りの青い空、青い海。そして遠目に見える小粒の島々。俺たち一年生を乗せたクルーズ船が波に揺られて大海を航行している。潮風が吹き、デッキにいる学生たちが気持ちよさそうに受け止めた。俺は一緒にいるBくらすの男子諸君等と共にテンションアゲアゲで会話を楽しんでいた。日除けのパラソルの下でビーチチェアに寝転びながらトロピカルジュースを飲む。そばの小さな机にドリンクを乗せて大きく背伸びをした。息を思いっきり吸い込む。

 う〜〜〜ん!海のにおーい!!

 

「気持ち良さげだな」

 

 隣にいた神崎が俺の様子をそう表した。

 

「ああ。いつもの休日の日課に良いアクセントが付け加えられた感じがする。ゆったりとした時間はいつ過ごしても良いものだな」

「それは同感だ」

「おや?神崎もゆったり派だったのか」

「ゆったり派?まあ、忙しくしているよりかはゆっくりしている方が好きだな」

「ほー。神崎なら超生真面目にキッチリとした生活を送るのが好みだと思っていたよ。こんな穏やかな流れが好きだとは意外だなー」

「俺のことをそんな風に思っていたのか」

「偏見だよ、偏見。まだ知り合って半年も経っていないんだ。憶測の比重が大きいのは仕方ないだろう?」

「まあな」

 

 カモメの鳴く声が頭上から聞こえた。

 

「期末テストはAクラスに及ばなかったな」

 

 神崎は別の話題を切り出した。

 

「んー?まあ、星之宮先生が言ってた現時点での自力の差ってのが出たんだろ。前回の中間テストが特殊なだけ。過去問と内容も全然違うし仕方ないさ」

「お前も前回より低かったからな」

 

 あら?神崎ちゃん、貴方って人を茶化すこともできたのね?もっと硬派なイメージでしたわよ?

 

「馬鹿言え。Bクラスではちゃんとトップを取ってるじゃないか。それに、学年全体でも一点差で二位。これ以上を常時望まれても困る。だいたい俺が間違えたのは国語の記述だけだった」

「間違えた個所は?」

「ヒロインの名前の漢字表記を写し間違えて全体で一点減点。なんだよ、ウチの姉様と名前が似てるって。『ふうか』って名前の漢字は楓に花の一択だろ。どう考えれば風に花ってなるんだか」

「回答の出来は?」

「ほぼ模範解答だってよ」

「意外と抜けてるんだな」

「うるさい。完璧な人間なんてこの世に居ねえよ。まあ満点だろ、とか思って油断したりとかしてないから」

 

 終わったら姉様と何しようかとか考えたりしてないから!姉様が今食べたいものはなんだろうかとか考えたりしてないから!姉様用のあれやこれやが切れそうだったなとか試験そっちのけで心配したりしてないから!

 

「………油断したんだな」

 

 俺はプイっと神崎から顔を背けて目を閉じた。

 

「俺の話はともかく、期末テストのクラス平均は悪くない。今はそれでいいじゃねえか」

「いや、………ああ、まあ、………そうだな」

 

 反応の鈍い神崎。

 

「どうした?歯切れが悪いな」

「………いや、何でもない」

 

 誤魔化し下手くそか。それとも何?ツッコミでもして欲しいのか?

 だが俺はこれ以上踏み込むことはしなかった。憶測ではあるが、今の神崎は原作中盤に生じていた不安が種として出現した状態なんだと思う。クラス内の地位で見ると神崎は一之瀬の次にリーダー的な存在だ。クラスを引っ張って行く存在なのだ。しかし、四月のクラスポイントの存在、中間テストの過去問、CクラスとDクラスの間の事件において表向きBクラスで猛威を振るったのは一之瀬ただ一人。一之瀬の裏に俺がいると知らない神崎は、一之瀬に完全におんぶに抱っこの結果に何かしらの危機感があるのではないかと思う。それでも、クラスポイントが大きく変動するような特別試験は本格的に始まっていないのだから、学校に入学してまだ間もない時期であるし、心配のし過ぎだと言葉を飲み込んだに違いない。それに付け加えて、クラス内での俺の立ち位置に関しても神崎が言い淀んだ原因の一因となっている。それは、俺が少々特殊な立場にいることだった。簡単に言えば、俺はクラス抗争に深く関わろうとしていないと思われているのである。最低限の義理事は果たすが、それだけであり、自身の結果は残すけれども、終始自己完結で終わらせる。自発的にクラスのためになるようなことはしない。例えば、勉強会において質問自体には答えているが、聞いてきたクラスメイトの学力向上を目指していない。詳しく説明すれば、勉強を教えるということにはクラスメイトの分からない所がなぜ分からないかを理解して解説する必要がある。したがって、学力の芳しくないクラスメイトの現状を打破させる為に、弱点となる思考プロセスを改善しなければならない。だが、それが分かっているにも関わらず、俺はそれをしない。最たる例を挙げるならば、知識の定着を図って派生した類似問題を提示することをしてこなかったことだ。人の価値観、物事に対する考え方は様々であるけれども、クラス単位で評価すると学校から周知されていることを鑑みれば俺の行動が不可思議に見えてもおかしくはない。神崎はその疑惑を抱いている。しかしながら、俺がBクラスで誰よりも結果を残していることから、神崎は俺に対してこれ以上の向上を望むことができない。なぜなら、万が一俺がその事に対して不満を抱けば様々な支障をきたしてしまう可能性があるからだ。

 そして更に、神崎の悩み所の最大種はクラス会議の時の俺である。上記の中に俺が自発的にクラスに貢献しようとしないと述べたと思うが、それを裏付けるように会議への参加をしていないのだ。しかしこれは物理的に参加していない訳ではなく、積極的な参加をしていないということであり、自発的な発言はせずにただ聞くに徹しているという意味が正しい。四月五月の時期は俺の様子を窺ってくるクラスメイトが多かったが、終始ニコニコとした表情を浮かべる俺を見ると次第に気にしなくなっていった。そんな中で神崎は未だに俺の意見を度々欲しそうにする。それは神崎が俺をクラスの中枢メンバーに据えたいからだ。学力及び運動においてクラストップの実力の俺がクラスから手を切ってしまう懸念を持ち、そうならないように少しでも鎖を繋いでおきたいのだろう。だから今の神崎はこう思っているはず。素直に相談してもいいものか、と。それは俺が信用に値するかという意味でも、中枢にいて欲しいがそれが火種となるかもしれないという意味でもある。つまり、迂闊に俺へ踏み込めない状況ができてしまっているのだ。

 もちろん、俺の見立てではこのような思考をしているクラスメイトは神崎ただ一人である。決して貶す意味ではないが、Bクラスのムードメーカーである柴田や会話上手の浜口であればここまで複雑に思考を巡らせることはないだろう。神崎には性格的に一人を好む傾向がある。クラスの和を大事にする筆頭的な存在であるけれども、元来の性質は人付き合いを程々にするタイプ。原作と合わせて、三ヶ月間直接神崎を観察してきてもそれは当たっていると思う。こういう要素は神崎の思考回路を深く複雑にしてしまう最たる要因だった。すなわち、今の神崎の問題は自らの思う重要事項を真っ先に相談できる相手がまだ作れていないということである。神崎のようなタイプは自分から関わっていこうとすることが少ない為、そういう相手を作るのにどうしても手間と時間が掛かる。行事ごとがあればその限りではないのだが、それは学力テストだとイベントとして少し弱く可能性は低い。そうして、完全に信頼できる相手がいない神崎のようなタイプが今の状況でどう動くか。そう、一人で抱え込むである。

 え?俺が神崎の竹馬の友になればいいじゃないかって?ハハ、何言ってるんだよぅ!そんなことしたら意図的に作り出したこの状況が台無しになるじゃないか!何のためにクラス会議で言葉を発さなかったと思ってるんだ?何のためにクラスの勉強会で神崎をなるべく自力でやってもらう枠に入れたと思ってるんだ?何のために俺が教師役をしている時に神崎がなるべくクラスメイトから頼られないようにしたと思ってるんだ?何のために女子たちから話しやすい存在と認識させて、男子たちからも頼れる存在と思わせておきながらも神崎にだけは一度も俺からは話しかけなかったと思ってるんだ?

 ねぇ、知ってる?最初から信頼していた相手よりも、最初は不審に思っていて、それが完全に自分の思い違いだったと認識した奴の方が心を許しやすいってことを。昔から障害のある恋は燃え上がるとよく言われるけど、普通の人間関係にだってその理論は当てはまる。ほら、よくあるじゃないか。いがみ合っていた二人がガチ喧嘩を通して大の親友になるって話が。そう、全ては俺の掌の上なのだ。

 しばらく潮風を感じながらゆったりしていると船の放送機器からポーンという音が大きく鳴った。

 

『本船は間もなく目的地に到着いたします。高度育成高等学校の生徒様につきましては、本船デッキ左側にて是非とも島の景色をその目でご覧くださいませ。これからの皆様に非常に有意義なものとなることでしょう』

 

 出航前に挨拶をしていた船長からのお言葉でした。そうか、やっと着いたか。

 隣にいた神崎が身を起こした。クラスメイト達も、他のクラスの生徒たちもパラパラと移動し始めている。

 

「行かないのか?」

 

 俺は横になったままだ。

 

「あとで嫌という程見ることになるさ。今は遠慮するよ。よかったら俺の分まで意義のあるモノとやらを見てきてくれ」

 

 神崎にひらひらと手を振った。見に行くのは強制ではないし、見なくても今からの行動に支障は無い。

 神崎を見送った後、俺は人気のない船内に戻った。一足先に準備を進めるためだ。それにトイレも混むだろうしな。

 割り当てられた部屋を目指していると、通路の合流地点で鼻歌を奏でながら陽気に歩く生徒とばったり出くわした。

 

「~~♪──ん?」

 

 げっ!高円寺じゃないか!

 思わぬ遭遇に足が止まる。目線がかち合い、俺だけが一方的に気まずくなった。

 

「私に何か用かな?」

 

 初対面である俺たち。一方的に知っている俺に対して、高円寺は不思議そうに首を傾げて問いかけて来た。

 

「いや、初めて見る顔だと思っただけだ」

「ん~、そういうことだったか。私の名前は高円寺六助。高円寺コンツェルンをいづれ継ぐ者さ。以後覚えておきたまえ」

 

 原作に違わず尊大な態度で自己紹介する高円寺。

 

「そうか、覚えておくよ」

 

 高円寺をまともに相手していたら疲れると原作から学んでいる俺。理解不能の変人には触らぬが吉だ。さあ、もう自由にどこへでも行ってくれ。

 

「………」

「………」

 

 ………いや、どうして動かない?

 

「なんだ?」

 

 今度は俺から高円寺に問いかけた。

 

「まだ名乗り返してもらってないのでね、ボーイ?」

 

 どうした?コイツが世間一般の会話をするなんて?まさか、偽物か?

 

「それは悪かったな。お前は別に俺に興味を持たないから必要が無いと思っていた。Bクラスの鬼龍院圭介だ。覚えなくても構わない」

 

 素直に名乗る。すると、高円寺はニヤッとした笑みを浮かべた。悪寒がして思わず後ずさる俺。

 

「君の名前はよくよく耳するよ。子猫たちからもさぞ人気だそうじゃないか」

 

 高円寺は船内の壁にもたれかかって前髪をかき上げた。

 ん?よく耳にする?え、じゃあわざわざ名乗る必要はあったか?あ、そっか、名前を知ってるだけだったか。

 

「そりゃどーも。ところで、放送にあった有意義な景色は見なくてもいいのか?」

 

 わざわざ会話を続ける奴でもない。何かあるな。

 

「それは君にも言えることだよ、デーモンボーイ」

 

 デ、デーモンボーイ?

 

「おや?デーモンボーイでは不満かね?しかし、それは困ったねぇ。ドラゴンボーイは既に使ってしまっているのだよ。デーモンで我慢してくれたまえ」

 

 龍園が既にドラゴンボーイの名前を拝命しているらしい。だから俺は鬼でデーモンか。

 

「………呼ぶなら普通に呼んでくれ」

「君が麗しの姉君を紹介してくれるのならば改めようじゃないか」

 

 あ?今コイツなんつった?テメェ、それが今まで会話してきた理由じゃねぇだろうな?俺の前で姉様を引き出すとか正気か?ヤンのか?やってやろうじゃねえか!

 

「デーモンっていい名前だな」

 

 まず俺は迷わずデーモン呼びを認めた。姉様の御身に比べれば、俺の呼び名など焼却炉に捨てて当然。だが、目の前のコイツは敵だ。苦戦は免れないだろうが、どうにか料理してやる。まあ、とりあえず太平洋に沈めるか。

 

「ハッハッハ。安心したまえよ。私は女性は年上に限るが、君の姉君は範疇外さ」

 

 俺の剣呑な雰囲気に高円寺が豪快に笑う。高円寺よ。俺はお前を信じていた。姉様を狙うような不届き者ではないと分かっていたよ。ああ、そうさ。お前は変人などと呼ばれているが、俺だけはそんなことを気にしない。話の分かる奴だと疑ってもなかったさ。やはり、俺の目に狂いはない。

 でも、姉様が範疇外って言われるとちょっと複雑だな。まるで他の女性より劣っているみたいに聞こえてしまう。

 

「私は賢い女性は好きだが、賢過ぎる女性というのはどうも苦手でねぇ。そういう女性たちは子猫みたく可愛がれないのが玉に瑕なのさ。それに、そもそも君の姉君の心には一片の隙もないからねぇ。いくら私が天才といえど、分を弁えることはあるさ」

 

 あ?お前、その口振りだと俺を介さずに姉様と会ったことがありやがるな?しかも、あろうことかちょっかい出しやがったな?残念だよ高円寺。お前のことは友達だと思っていたんだけどな。あとお姉様?俺、姉様がこの変人に会ったって聞いておりません事よ?ま、取り敢えず明日の夜に高円寺の部屋が爆発すればいっか。そのまま船が沈んでもまあ大丈夫だろう。そこまでの被害は出ないだろうし、重要なのは確実にコイツを殺──

 

「それに、私は美しくないことは嫌いなのでね。他所の物に手を出すのは私の美学に反する重大事項。君の姉君には大変失礼をしてしまったようだしね。そこでどうだろう。卒業後に二人を高円寺コンツェルンの所有するリゾートへ招待させてはくれないかね?もちろん費用は私が持とう。最高のスイートを用意するさ」

 

 ──やはり、今日の俺は正しかった。生かしておいて正解だった。

 俺の頭の中は卒業後のことでいっぱいになった。ビーチで優雅に寛ぐ姉様。姉様に飲み物を飲ませたり、食べ物を食べさせる俺。ふむ。悪くないアイディアだ。純粋な海水浴。ダイビングにクルーズ、その他諸々。夜は二人で浜辺を散歩したりして、いつものように一緒に寝ちゃう?ふヘへへへへ。おっと、やばいやばい。トリップしかけた。

 

「姉様に伝えておくよ」

「そうしてくれたまえ」

 

 この日、俺と高円寺の間には確かな交友関係が結ばれた。実際に会う前は高円寺のことを理解不能の変人と揶揄していたが、今はヤツのことを好意的に捉えている。いやはや不思議なことだ。

 高円寺は再び鼻歌を奏でながら離れて行った。おや?いつの間にか船が徐行し始めている。

 

 ポーン!

 

『一年生諸君に連絡する。今から三十分後に体操服に着替え、荷物を忘れずに持ち、下船場にいる教職員の元まで集合。それまでにトイレ等は各自済ませてくるように。以上だ』

 

 さてさて、トイレトイレっと。

 

 

 トイレを済ませて荷物をまとめた。同部屋の連中に声を掛けて先に部屋を出る。廊下を歩いているとまたも人に出くわした。

 

「あら?鬼龍院くん、早いわねぇ」

 

 生徒と同じく体操服に身を包んだ星之宮先生だった。白い大きな帽子を被っている。

 

「星之宮先生」

 

 俺たちは並んで歩き始めた。

 

「どう?今から君の予想通り始まっちゃうけど上手くいきそう?」

「それは白波ちゃん次第だな」

 

 軽く俺を見上げながらこれから始まる試験について聞いてきた。

 

「ふーん。その様子なら君の下準備は上手く行ってるようだね」

「まあ条件さえ満たせば扱いやすいからな」

「でも無茶はさせちゃダメよ?」

「分かってるさ」

「ホントに分かってるの~?」

 

 知恵は立ち止まって小さく頬を膨らませながらジト目を作った。俺に触れるくらいに体を寄せて顔を近付ける。俺は周囲を見渡し、誰もいないことを入念に確認した。そして知恵に顔をさらに近付けて微笑む。

 

「お気に入りは長く楽しまないと勿体ないだろ」

 

 姉様譲りの嗜虐的な笑み。それを受けた知恵は可愛らしい表情で口角を上げた。

 

「そういうところはお姉さんにそっくりだね」

「最高の誉め言葉だな」

「何かあったら私のテントにおいで。バレないように」

 

 知恵が人差し指を俺の唇に当ててウインクを落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 ────────

 

 生徒たちの下船が完了し、各クラスごとに列を作り終えた。学校の仕組みを理解し始めた生徒たちは指定時間に遅れることなく集合した。自分たちの行動一つ一つにポイントが、つまり自分たちの生活費がかかってくるのであれば当然かな。小さく騒めいてはいるものの、そこまでの喧騒ではない。

 

「は~い。じゃあ、Bクラスの点呼を取るから名前を呼ばれたら返事をしてねぇ」

 

 知恵がクラスの点呼を行う。

 

「うん。全員いるね」

 

 知恵はBクラスの面々を見渡して頷いた。そして、一年生全体の前にメガホンを持った真嶋先生がやって来た。

 

「それではこれから、本年度最初の特別試験を行う」




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