3月。卒業の日。別れの日。『さよなら』の日。

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Good Luck

 

「――失礼します」

 

 コンコンと扉をノックして、どうぞと言う声が返ってきた。それから俺は扉を開けた。

 夕陽が差し込む部屋。そこに一人の少女が佇んでいる。窓を見ていた彼女が振り返ってこちらを向いた。伴って美しい黒髪が揺れる。

 

「……ま、待ってました」

 

 白金燐子はにこやかに、だけど少しぎこちない表情で言った。俺はその部屋に踏み込む。 生徒会室。彼女の居場所だった場所。

 

「すみません。お待たせしました、白金先輩」

 

 白金燐子さんは俺にとって先輩に当たる。共学化された花咲川学園の生徒会長をしていた。共学化されたこの学校で生徒会に入った俺は彼女に何度もお世話になった。恩人だ。

 俺がそう言うと彼女はくすりと笑った。

 

「ちょっと、だけですから……」

 

 彼女のその言葉に少し安堵。そんな俺を見ると彼女はまたしても笑った。

 

「……座りましょうか?」

 

「ですね」

 

 白金先輩に促されて、俺は椅子に腰をかける。彼女も同じように腰をかけた。いつもの生徒会長の席じゃなくて、俺と隣同士になるような席に。俺は驚いてしまう。

 

「……もう……こういうのも……最後、ですから」

 

 寂しそうな声。彼女の言う通りだった。

 今日はこの学校の卒業式だった。そして今日を持って白金燐子先輩は卒業する。……もう、気軽に会えなくなる。

 

「それとも……嫌ですか? ……私が、隣にいるのは……」

 

 先輩の表情が曇る。窺うような視線が突き刺さる。

 

「いやいやいや、むしろ嬉しいです」

 

「……そう、ですか」

 

 彼女はほっとした表情を見せた。

 ……思い返せば彼女が俺の近くに座るなんて出会った頃は想像できなかった。最初の頃は敬遠されていた、となんとなく俺は思い出す。

 

「不思議、ですね……」

 

「えっ」

 

「……こうして近くで、座るようになるなんて……最初は考えられませんでした……」

 

 どうやら彼女も同じことを考えていたらしい。それだけのことが妙に嬉しく思えた。

 

「確かに。最初は嫌われていましたもんね」

 

「ち、違いますっ……私、そんなつもり……」

 

「冗談です。わかってますから」

 

「……も、もうっ」

 

 彼女の少し怒った表情に俺は笑ってしまった。彼女にしてはなかなか珍しいことだと思う。少なくとも俺が見る分には。他の人の見る前じゃどうかは知らないけど。

 生徒会室に先輩一人っきりだったことで、少し気になることがあった。

 

「他の人たちは?」

 

 俺は金髪ツインテールの彼女のことを思い浮かべながら言った。今は他の面々がいて欲しくなかった。二人っきりがいいので、できれば下校してくれてるとありがたいのだが。

 

「もう……下校、しました」

 

 彼女の言葉で一安心してしまう。その反面、ちょっと申し訳ない。彼女らも先輩と話す機会は最後だったろうに。

 

「ふふっ……大丈夫、ですよ。たくさん……お話しましたから……」

 

 俺の思考を読み取ったかのような発言。

 

「顔に……でてますから」

 

 俺の疑問に彼女は微笑しながら応えてくれた。お恥ずかしい限りだ。

 

「そんなに恥ずかしがらなくても……大丈夫ですよ?」

 

「いやそれは無理です……」

 

「可愛い、ですよ……?」

 

 そっかならいいや……とはならない。男の子が女の子に『可愛い』と言われるのは微妙な心境だ。彼女から言われると特に。

 先輩はそんな俺を見てくすくすと上品に笑った。ちょっと悔しい。

 

「今日で本当に、最後……なんですよね……」

 

 先輩は確かめるように呟いた。

 

「貴方と、こうして……会って、話して、笑い合うのは……」

 

 寂しげに俯く先輩の姿に胸が締めつけられる。ただ今を俺ができるのは自らの拳を強く握り締めることだけ。彼女と俺の関係は先輩と後輩なんだから。

 

「……偶には遊びに来てください」

 

「……そう……ですね。はい……時間があれば……」

 

 でもそれは難しいんだろうなって、彼女も俺もわかっていた。卒業して新しい場所に行ってしまう彼女に恐らくそんな時間はないだろう。しばらくは忙しいはずだ。やるべきことがたくさんあるはずだ。

 だから彼女の顔色は晴れてくれない。こんな取ってつけたような、お世辞みたいな言葉じゃそんなことはできないみたいだ。

 

「是非、来てください」

 

 我ながら無駄に力に入った言葉だと思う。俺はまだ受け入れられていないのかもしれない。

 

「………………」

 

「………………」

 

 言葉が途切れる。言いたいことはたくさんあって、だけどなんだか上手くまとまってくれない。まとまらないまま口にすると、とんでもないことを言ってしまいそうで怖い。なんて言おうか、もちろん事前にある程度は考えてきた。けれど、いざ彼女を目の前にするとその言葉を言っていいものかわからなくなってしまう。

 

「……あの」

 

 沈黙を破る声を発したのは彼女の方からだった。

 

「その……ごめんなさいっ」

 

「えっ」

 

「……湿っぽくなっちゃいましたね」

 

「先輩のせいじゃないですって」

 

 どちらかと言えば俺のせいだ。最後に話がしたいって誘ったのは俺の方で、そうすれば湿っぽくなるのはわかりきったことだった。この場を設けた俺がこの場を明るくすべきだと思う。

 

「俺のせいです」

 

「いえ、私の……っ」

 

『…………』

 

 お互いに自分のせいにし合って、自分を責めていた。あんまりにもお互いに言うタイミングが同じで、二人して目を点にして視線を合わせた。それで同時に笑った。滑稽な光景だった。

 

「……二人とも、悪い……ってことにしましょうか……?」

 

「……はい」

 

 そう言ってから今日初めて笑ったことに気が付いた。今日ずっと彼女にもう会えなくなるという事実に翻弄されて笑うどころじゃなかった。

先輩の笑顔を見て、改めて気付かされた。彼女が綺麗だということに。……鼓動が速くなっていることに。

 

「……っ」

 

 衝動的に言葉を発しそうになる。それは不味いと思い、阻止する。その言葉は俺と先輩の関係を変える、そんな力を持っている。

 

「……どうかしましたか?」

 

 先輩は訝しんでそうやって聞いてくる。言葉を発するのはなんとか阻止した。が、表情や仕草に違和感があったのだろう。

 

「いや、なんでもないです」

 

 極力平常どおり、それを心がけて彼女に言った。

 関係を変えてしまうような決定的な言葉を先輩に言わないことはもう決めていた。

 上手くいったとしても距離が離れた関係は続かない。上手くいかなかったら気まずいお別れになる。どちらにしたって悪い未来しか思い浮かばなかった。

 それならば、いっそ言わなければいい。消極的な選択肢を俺は選んだ。

 

「そうですか……」

 

 先輩の声が妙に寂しげに聞こえた。それは俺の気のせいだろうか。それとも彼女は俺が飲み込んだ言葉に気付いていてそのせいなのか。

 ふっと風が吹いた。少し開いた窓の隙間からそれは室内に入って来る。まだ少し冷たい春の風。頬を叩かれた気がした。

 

「あの」

 

 その風に背を押された気がして、俺は気がつけば声を上げていた。

 

「……なんでしょうか……?」

 

「……最後に握手、しませんか?」

 

「握手……ですか?」

 

 俺は声を上げた勢いのまま、そんなことを口走っていた。なにか明確な考えがあったわけではない。しいて言うなら最後に先輩に触れたかったのか。なんというか、チキンというか、ヘタレというか、どうしようもないな俺。

 先輩はやっぱり困惑した表情を見せていた。さもありなん。

 

「ええっと、その、あ、先輩の手綺麗だなって思ってて、それで最後にちょっと触れてみたいなって……あ、いやこれ違う違います」

 

 当然理由なんて何にも考えていなかったから、俺の口から出てきたのは自分の欲求そのままだった。

 

「……ふふっ」

 

 先輩に変な風――具体的に言うと気持ち悪い奴に見られていないか、ちょっとびびっていた。しかし当の本人は笑っていた。そんな彼女に呆気に取られて、そして見惚れてしまって、俺はぽかんとしてしまう。

 

「握手……しましょうか」

 

 俺の視線に気がついた先輩がそう言った。俺はその言葉で我に返る。

 

「いいんですか?」

 

 食い気味になりそうなのを必死に抑えた。そんなことすれば先輩を引かせてしまう。引かせるどころか怯えさせるまである。

 

「……その、私も……最後に、握手したいですから」

 

 先輩はそう言ってくれた。その優しい顔が大人びて見えて、余計に胸が締めつけられる。

 

「先輩、ありがとうございます」

 

 手を差し出そうとして、引っ込める。汚れていないか、気になってズボンで拭ってしまう。

 くすりと先輩が笑った。ちょっと恥ずかしかった。

 

「それじゃあ……お願い、します」

 

「……は、はい」

 

 お互いに手を差し出す。彼女の手に触れる。俺の手より小さな手。自分とは違う、手のひら。少し、震えていた。

 

「……せ、生徒会のこと……お願いしますね」

 

 声だって震えていた。

 

「はい……頑張ります」

 

 俺だって、そうだった。

 目と目が合った。見詰め合った。恥ずかしくて逸らしそうになったのを堪えた。先輩も多分、同じ。

 こんなに近くで、こんなにも長く、彼女の顔を見るのは初めてだった。思わず息を飲んでしまいそうになるぐらい、綺麗だと思った。

 

「先輩も頑張ってくださいね」

 

「……はい」

 

「応援、してますから」

 

「はい……っ」

 

 彼女の瞳が震えていた。それを俺はどうにもできなかった。

 どちらともなく手を離す。手に残る、自分のじゃない熱。手をぎゅっと閉じて、その熱を閉じ込めようとする。

 遠くからの、この町の喧騒がよく聞こえた。……俺は口を開いた。

 

「……帰りましょうか」

 

 先輩は何も言わず、こくりと頷いた。戸締りと身支度をして、生徒会室を後にした。

 

 

 校舎を出た。校門をくぐろうとして、歩みを止める。隣に先輩がいない。彼女は立ち止まっていた。

 一度振り返って、彼女は校舎を見た。その横顔を眺めていた。かける言葉は見つからなかった。

 

「……お待たせ、しました」

 

 十秒ぐらいして申し訳なさそうにこちらを振り向いた。気にする必要ないのに。大丈夫です、と俺は返した。今度こそ、二人並んで校門を潜り、通り抜けた。

 

「あの……私は、こっちなので」

 

 俺の帰り道とは逆方向を彼女は指さす。

 

「それじゃ……」

 

「……はい。さようなら」

 

「……ええ。気をつけて」

 

 彼女が俺に背を向けて、歩き出す。その背中に思う。笑っていてほしい、と。彼女の姿が見えなくなるまで見送り続けた。

 言葉にできない言葉がいくつもあった。その思いを背負って俺も歩き出す。

 上を向く。茜色の空が見えて。桜の木が視界に入った。

 

 




お目汚し失礼致しました。
ありがとうございました。

遅ればせながらガルパ4周年おめでとうございます。

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