「ほらシンジ、頭と身体洗ってあげるから、早く来なさい」
「う……うん」
風呂場からアスカが呼ぶと、シンジが恥ずかしそうに前を白タオルで隠しながら入ってくる。中で待ち構えるアスカは、髪をアップにして頭にタオルを巻き、堂々たる全裸で立っている。まろやかな肢体はあくまでも白く、なだらかな女の曲線を描いていて、若草のような金色の翳りさえも、すべてが、シンジには気恥ずかしく、眩しい。
夜中じゅう、抱き合って泣き通した二人だ。それぞれの目許に赤く泣き腫らした色が残っている。しかし、アスカの声は努めて明るかった。
「今更、何を隠してるの。アンタとアタシの仲でしょう? タオルなんか取りなさいよ」
「だ、だって……」
「どうせ大したものが隠れてないのは知ってるわよ。ほら取った取った」
「ううう……」
「手で隠すのもだーめ」
風呂場とはいえ、白昼さらけ出される自身の裸身の羞恥に、シンジは身を揉む。
ふふん、とアスカは鼻で笑い、
「それでいいのよ。第一、女のアタシが堂々としてるのに、なぜアンタが恥ずかしがるのよ。アンタの裸とアタシの裸じゃ、価値が一万倍ぐらい違うのよ。間近で
「いや、アスカの裸が目に入るのも恥ずかしいんだけど……」
と、シンジは目のやり場に当惑するばかりだ。
しかし、アスカは、それ以上にはシンジをからかわず、バスチェアに座らせて背中を流してやる。
身体のあちこちに、昨夜ついたと思しき、打ち身や擦り傷が目に付く。
「痛む……?」
「うん……すこし」
「アタシが傷付けたんだよね……」
アスカはそのうちの背中の傷に唇を押し当てる。自身で爪を立てた傷痕だ。
「あ、アスカ……」
「ごめんね……シンジ」
唇を離すと、それから決意したように、言葉を継ぐ。
「あの……ゆうべのこと。シンジはもう思い出したくはないだろうけど、これで最後にするから、素直な気持ちを言っておくね」
シンジがその言葉に少しだけ、びくっとなった。そこにアスカは、手を添えて背中をポンポンと叩いてやる。
(シンジ。ちょっとだけ我慢して、聞いてね)
「アタシ、半年間の苛立ちとか寂しさとか怒りをシンジにぶつけて酷い事しちゃったけど。でも、ずっとシンジの事が欲しかったのは本当なの。じゃなきゃ、あんな事しない。シンジは、アタシのこと、もう嫌いになった?」
シンジは俯いたまま首を横に振る。
「そんなこと……」
「……ありがと。本当はそう答えてくれるのを期待してた。だからアタシ、ズルいんだ。シンジにあんな事をしたのに、アレもまた一つの絆だとか思っちゃってる。だって、結ばれたのはどんな形でも本当だから。ひどいでしょ?」
アスカはけっきょく、どこまでも自分の事を乙女だと自覚せざるを得ない。
「ううん……ボクとのこと、いつも……考えてくれてありがとう……」
「時々思うんだ。シンジが女の子で、アタシが男の子だったら、アタシたち、もっと上手く行ってるのかな、って。でも、普通はそんなの想像してもしょうがないじゃない?……だけど、ゆうべのアタシには少しそういう気持ちがあったのかも。男のようにシンジを抱きたいって。だからって、シンジの気持ちや同意を無視して良い訳じゃなかったのにね」
「…………」
と言ったところで、アスカの手のひらにポツポツと涙が落ちた。シンジはそれには気づかない。
「あの、アスカ。僕はもう本当に気にしてないから……ね。昨日の夜は確かに混乱して……情けなくて……だから滅茶苦茶だったけど、逆に、もっと男らしくしなくちゃって思ったんだ」
「偉いね。男の子だもんね。でも、いいのよ、別に情けなくてもいいよ。もう二度とあんな事はしないから」
アスカの涙に呼応するように、いつしか、シンジはすすり上げている。
「……僕だって、半年間、アスカを無視して拗ねてた。捨てられたと思って、自棄になってたんだ。だって、僕にはアスカに優しくされる理由が分からないままだから。いつかアスカが僕を置いて出て行くのが自然だと思ってたから」
「アタシの優しさの理由、ね。……それは碇シンジクンの人生にとって、解き明かすべき永遠のテーマかも知れないわね」
あは、とアスカは、シンジの後ろで泣き笑いの表情を浮かべている。
「あの、今ここで聞いてもいい?アスカはどうして僕に優しくしてくれるの?」
「それは駄目。カンニングは禁止です、シンジクン。宿題はちゃんと自力で解きましょうね」
と、アスカは、おどける。こればっかりは、譲れない。シンジが自分で考え出した結論こそが必要なのだ。
シャンプーで泡立ててやった頭にお湯を掛けてやった後、アスカはシンジの下半身へとスポンジを持って行くが、
「あ、あの……その辺は……」
「遠慮しなくていいのよ」
「遠慮とかじゃなくて……」
(やっぱり昨日のことがショックで、アタシに触られたくないのかな)
「その、先っぽがヒリヒリするから……自分で」
シンジが顔を真っ赤にしている。アスカも顔をカッと紅潮させた。
◆
「さすがに高校生二人には狭かったわ……」
殆ど水が溢れてしまった、湯船に体育座りの二人が膝を突き合わせるようにして入っている。
「……」
「にしても、半年ぶりの再会なのに、なんか切ないのよねぇ」
自分の抱えた膝の上に、顔を乗せて、アスカは正面のシンジをちらっと見やる。
「切ない……かな」
「だって、アタシたち、……けっきょく、喧嘩とセックスしかしてないわよね」
そもそも付き合っている訳でもないが、あの赤い海の浜辺からずっとそうなのだ。セックスをして一歩だけ近づき、傷付け合ってまた立ち止まる。
「そうかも知れない……」
「アタシはアタシで時々、アンタに酷いしね」
そして、シンジの頭に手を伸ばして、
「シンジ、いい子いい子。ゆうべはよく我慢したね、偉い偉い」
と頭を撫でてやる。昨夜の蛮行は、シンジが屈辱に耐えてくれなければ、破局となっても不思議ではなかった。
「……は、恥ずかしいよ」
「ま……アタシたち、たぶん、ボタンを掛け違えちゃってるんだろうね。好きって言ったりもしてないのに、身体だけ結ばれて。単なる友達なのか、親友なのか、それ以上なのかもよく分からなくなっちゃった」
そして、アスカは、重い雰囲気にならないような明るい口調で提案する。
「だから─いっそこの辺で、別れるとかじゃなくて、一回リセットしてもいいんじゃない?
「ほ、本気なの?」
「いや、まあ普通に提案だけど。実際、半年間は別に
と、アスカは笑いかける。
「……僕は嫌だ」
「いやなの?」
アスカは、それに反撥するでもなく、興味深げにシンジの反応を観察している。
「うん、自分でもよく分からないけど、そんなのは嫌だ。親友でもいいけど、僕はアスカと繋がっていたい。もう元に戻ったり、無かったことにはできないよ……身体の関係だって。無いのは寂しいよ」
「……」
(だって、僕らの中にある確実なものは、身体の関係だけだから……)
シンジはアスカの白い首の下辺りに目を落とす。
「と……アタシのおっぱいをガン見されながら、言われましても」
アスカは、その豊かな胸を両手を交差させるように覆って、じと目でシンジを見やると、ハァとため息を付く。
「ち、違っ……僕は首を見てて……」
「そうかそうか、前々から薄々そうではないかと推測していたけど、シンジはやっぱりおっぱい星人だったのね……。そこまでアタシのおっぱいにご執心なら、可哀想だからプラトニックラヴ計画は勘弁してやりますか」
「だから違うって……!」
ニヤニヤと笑い始めるアスカに、シンジの顔はみるみる赤くなっていく。
◆
首にタオルを掛けただけの全裸のままで風呂場から冷蔵庫に直行し、アスカはペットボトルを取り出して、ごきゅごきゅと水分を飲み干した。
「寝汗かきまくって、その後お風呂だったから、生き返るわね…‥」
(昨夜のアタシとシンジはどんなに寝苦しくても、抱き合って離れなかった。アタシにとって、それは贖罪の気持ちだったかも知れない。シンジにとってはどうなんだろう……?)
今のシンジは消沈するように、下着姿のまま、居間の床にへたり込んでいる。他愛もない行為を弄り、弄られる日々は二人にとって貴重だ。そんな精神の余裕がない日の方が多いのだから。アスカは、そう思いながら、シンジの背中に回る。
「別に、そんなに大袈裟に否定することも無いじゃない。ドン引きするような性癖でもあるまいし。むしろノーマル過ぎて、安心したぐらいよ」
「いや、実際に僕はいたって普通だから……。おっぱい星人でもないし、完全にアスカの誤解だよ!冤罪だっ!」
しかし、シンジはいつになく、多弁で必死だった。もしかしたら、本当に性癖について図星を突いたのかも知れない。実を言えば、アスカにとって、そんな事はどうでもいい話だ。二人の間で完結し、尾籠でない性癖であれば別に問題ないとアスカは思っていて、要はお互いの趣味に合わせて挑戦していけばいいだけの話だ。だから、これは単なるシンジ弄りというアスカの趣味に過ぎない。
「ハイハイ。てか、さっき改めて、あんたのベッドでの行動を思い出してみたんだけど、別に、誤解でも冤罪でもなかったから。やっぱアンタ、おっぱい星人だわ。特に高校入って、アタシの胸が大きくなりはじめてからは完全に有罪」
「うう……もうダメだ……今日は厄日だ……アスカにそんな誤解されるなんて……」
「まあまあ。生きていればそのうち良いこともあるわよ。強く生きなさい。……ぷぷっ」
ポンポンと背中を叩いて、慰める格好だけしてみせるが、アスカは、途中で吹き出してしまう。
「ま、真面目な話」
アスカは、シンジの後ろから首に手を回し、裸の胸を背中に押し付ける。押しつぶされた二つの球の感触が、その先端の両の突起が、背中からシンジの官能を刺激する。
「ア、アスカ……」
「……いいよ、シンジがこれからもシたいなら。……身体の繋がりも確かに大切だもんね」
「……う、うん」
「半年間、寂しかった?」
「うん……」
「アタシの身体が恋しかった?」
「うん……声も聞きたかったけど。怖かったから……連絡できなかった……ごめん……」
日々の連絡が怖かったのは、アスカが自分の知らないところで、変わってしまうのが怖かったからだ。単なる日常であっても、アスカの時間が動いてるというのを知りたくはなかった。なぜなら、シンジの時間は止まっていたからだ。そして、自分が居なくても進む、自分の存在が不要だと感じさせるアスカの時間が怖かった。
だから、耳を塞いで、目を閉じていた。
「ヘンなこと想像しちゃった? 他に男を作るんじゃないか、とか」
「少し……だって捨てられたと思ったから」
「信用ないのね、アタシ」
「だって、全部遊びだとか言うから……」
それはシンジがいつだって恐れていた言葉だったのだ。アスカの本心が分からなくて、アスカが身体を与えてくれたことが同情とかお情けとかあるいは何か手の込んだ復讐なのではないかと頭の片隅で考え続けているシンジの日々においては。
誰かと何も交わらなくてそれでさよならするのではなく、自分を受け入れてくれてその後でさよならされるのは恐ろしくてたまらなかった。消えない傷を心に刻み込まれる気がした。いつだって、その不安で心が壊れそうだった。
「そうとでも言わなかったから、アンタ引き下がらなかったでしょ?」
「そう……だけど」
「引き下がらなかったら、今頃こうしてまた、逢えなかった。アタシはアンタと一緒に死ぬのは真っ平だと言ったけど、それは、アンタと一緒に生きるのは真っ平だと言ったのではないのよ。それをよく考えてね」
シンジは静かに頷いた。考えてみようとは思った。アスカは、身体をそっと離す。
「ところで……あの、アスカの、たすけてっていうメールは……」
今になって聞くのは申し訳ないという気持ちが、シンジの語尾を小さく、曖昧にする。
「ん……それは、明日、起動試験場に行けば分かるわ」
アスカの視線は、急にシンジから逸れてしまい、窓から遠くを見て厳しい。
「まあ、エアーマンが倒せない、といった話かしらね」
と、言葉の内容は冗談めかしているのに、口調も声も地獄の底からのように、昏かった。