大人のエヴァンゲリオン   作:しゅとるむ

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二十話 新司令部の蹉跌

 けっきょくの所、巨大組織の指揮命令系統や意思決定プロセス、軍政と軍令の分離、そういったノウハウレベルでの組織運営にかかるアタシたちの知見が未熟だったとしか思えない。何しろ、シンジ、マリ、アタシ、子安、優秀な筈の四人が揃っていたのに、完全に間違えた決断をしてしまったのだから。そして、その一番大きな責任はアタシ自身にあった。

 

 丁度、三十歳になり、肩書きに「心得」付きとはいえ、既定方針通りのネルフ司令になった碇シンジ。アタシ、惣流・アスカ・ラングレーと作戦部から技術部に転籍した真希波・マリ・イラストリアス(マリ曰く、姫と同じ部じゃ出世がかち合うじゃん?とのことだった)は、それぞれ作戦課と技術課の課長に就任していたが、両部の部長はシンジが兼務しているので、実質的には部長と言っていい(給料はもちろん、課長級だけど)

 

 年齢を考えると、アタシとマリはかつての葛城ミサトらには少し遅れるが、三人とも異数の出世と言って良いだろう。そして新生ネルフの顧問から理事長にスライドした子安ハルヒト。他に書記役として司令部から上級オペレーターの北上ミドリ。これがこの場に同席する全員だった。シンジと北上はいつもの黒とベージュの制服。アタシはミサトのおさがりの赤い制服に、マリは白衣を着込んでいる。こざっぱりしたダブルのスーツ姿の子安は早くも髪の薄さが目立ち始めていた。

 

 司令に着任したシンジが早速取りかかったのが、「ニューEVAプロジェクト」。エヴァ三機の新造再建を目指す前に、よりパイロットの安全性が高い、新しいエヴァの為の技術要素を開発するという取り組みだった。今日はその予算計上に関する検討会議だ。

 

 その中核となる技術としてシンジが熱っぽく力を入れているのが、「リモート・エントリープラグ」という新技術で、エヴァ外部に設置したエントリープラグからの遠隔操作を利用する事により、パイロットの少年少女たちが安全な後方に居たまま、エヴァンゲリオンを操縦することが可能になるというものだ。

 

 シンジが力を入れる理由がもちろん、エヴァパイロットとしてのアタシたちの悲惨な戦いの記憶にあることを、アタシはよく分かっている。

 

 リモート・エントリープラグの計画はまだ初歩段階で技術的には緒についた段階だが、その点で作戦部を実質的に率いるアタシには大きな懸念があった。

 

 使徒の再来寇の時期が皆目分からないということである。もちろん、裏死海文書の内容を全て記憶しているシンジは知っている。しかし、シンジがそれを明かすことは一切ない。なぜなら、それを明かさない事がシンジの権力の源泉であり、安全の要だからだ。使徒の来寇時期が大まかにでも推測されることはシンジにとって非常な危険を意味する。少し大袈裟に言えば、正確な時期を明かしてしまえば、シンジの「自殺体」が芦ノ湖に浮かぶ日が、1日近づく、という懸念さえあるかも知れないのだ。どこでゼーレがシンジを切ろうとするか不明だが、裏死海文書の重要な部分がオープンになればなるほど、シンジは用済みに近付くからだ。

 むろん、裏死海文書の全てを自白して、ゼーレに事を預ければ、シンジは只の一般人として厳重な監視下のもと、命を拾う事も出来るだろう。だけど、シンジがそんな事を出来る筈もない。それに、裏死海文書の全貌が分かりようがない、というのはシンジにとって明らかに有利な点だ。全ての情報を吐き出しても、まだ隠し玉があると装えば、身の安全は保たれる。いずれにしても危険な綱渡りではあるが。

 

 だから、シンジは欺瞞用のプロジェクトを複数走らせている。使徒は明日、来寇しても不思議ではないし、五十年後になっても不思議ではない。全てがあり得る状態として外部、とりわけ、ゼーレからもそう見えるようにしているのだ。

 

 アタシはかつてネルフ再建に至るやり取りのあらましをシンジからベッドでの寝物語として聞いた事がある。その日だけはいつもとは違うホテルに投宿し、盗聴されていないことを確認し、ベッドで事に何回も及んだ後に、それをシーツの中にくるまって愛人への甘い耳元への囁きとして聞いたのだ。

 

 シンジはその時のやり取りを、危うい賭けで自分の捨て鉢のブラフが図に当たったのだと説明した。しかし、アタシには詳しい説明を聞かなくても、違うことが分かった。どう考えても、ゼーレは駆け引きに引き込まれた時点で、シンジに負けている……!

 

 何故ならば、たとえシンジを拷問に掛け、裏死海文書の内容の自白を引き出したとしても、シンジには対抗策がある。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なのだ。すべての予言が裏死海文書の内容通りに進んでも、シンジは一つだけ嘘を混ぜ込ませる事が出来る。それ以外の全てがシンジの自白どおりに進んでも、次の瞬間に、決定的なタイミングで、ゼーレはシンジの嘘に裏切られるかも知れない。人類補完計画が成就する直前に、シンジの欺瞞情報により人類は使徒に敗北し皆殺しにされるかも知れない。少なくともその可能性を排除できない時点で、ゼーレはシンジを生かしておくしかないのだ。なぜなら、シンジは─このアタシの男は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()男だからだ。

 

 自分が拷問で死に、アタシの生死も幸福も確認できない状況では、むしろそうするのが当たり前だと思わせる前歴と迫力がある。だからゼーレはシンジを司令にするしかない。シンジが裏切る直前まで、彼を監視し、彼に欺瞞混じりの使徒対抗作戦を遂行させて補完計画発動までの人類を守らせつつ、彼と彼が大切にするアタシの命や幸福を現世における人質とすることで、シンジの暴発や人類への裏切りを防ぐ担保とするしかない。シンジはその事がちゃんと分かっていたから、一見無謀な賭けに出たのだ。確かに左手の指を全部折るなどはどぎついブラフに過ぎないだろう。しかしそれがたとえ失敗したとしても、その次の手はちゃんとあった。キール・ローレンツの余裕ある態度はシンジに敗れた事への、苦し紛れのごまかしに過ぎない。

 

(自分の過去の不始末を逆手に取った訳なのね……頭のいい男だ)

 

 しかし、シンジの頭の良さは大学で既に織り込み済みだったが、それだけでシンジのような本来善良な人間が簡単に思い付けるような奸智ではない。きっと何十時間、何百時間と死ぬ思いで考えたのだろう。「アスカが生きる道」、「アスカが助かる道」として。たとえ全ての人類を裏切る前提でも、アタシだけを救うための道を。

 

 それは震えるほどに感動的だった。シンジのアタシへの裏切りは完全に別の話として、アタシはシンジの自分への愛を感じることが出来た。そして、それは新たなる不安の始まりだった。ネルフの司令になったシンジにはいつだって、アタシと全人類を秤にかけた選択が出来るのだ。それでは碇ゲンドウが妻ユイの為に歩んだ道ではないか……

 

 ともあれ、シンジはそのような経緯で、使徒の再来寇時期をアタシにさえ伝えることは出来ない。だから、アタシには、「リモート・エントリープラグ」とやらが間に合うのかの判断が出来ない。これは現状、どこにも実物が存在しないもので、技術開発の進展はまだ見通せない。あるいはシンジには間に合うという目算があるのかも知れないが、アタシは作戦部の実質的責任者として保険をかけない訳には行かない。

 

「作戦課から提案があります。リモート・エントリープラグの実現可能性には不安があります。今送る資料の部材の開発についても積極的に検討して頂きたい」

 

 と手元のタブレットから、参加メンバー全員のタブレットに資料を飛ばす。

 

「な、これは……!」

 

 シンジが絶句する。

 

「こんなの絶対に駄目だ!」

「どうしてですか、碇司令」

 

 アタシは普段とは異なる敬語で殊更、丁寧にシンジに反問する。

 

「だ、だってこれは……これだけは認められない」

 

 シンジが頑なに首を左右に振り、北上が意識してか知らずか、アタシの作ったポンチ絵を読み上げる。

 

「ダミーシステム2?これが絶対、駄目なんですか?」

「……当たり前だろっ!」

 

 シンジが立ち上がって、珍しく怒鳴り声を上げ、北上がそれに眉を顰める。

 

「だから、どうしてなんですか?」

「……それはね。昔、姫の乗った弐号機が、量産型エヴァに痛めつけられたからだよ。その時に量産型エヴァを動かしてたのがダミーシステムなんだ」

と北上の疑問に、マリが応じた。博覧強記のマリは、サードインパクト以前の旧ネルフ史にも通じている。

 

「そんなもの、絶対に認める訳にはいかない」

「合理的に考えて欲しいわね。別にダミーシステムに問題があるわけじゃない。それが敵の手にあることが問題だったのよ。量産型エヴァと同じくね」

 

 シンジはアタシと量産型との経緯など無視して合理的に事を進めればいい。そう思うのにシンジは何故か頑なだ。アタシは普段のプライベートの口調に戻して、顔色の悪いシンジを見つめ、

 

「ダミーシステム2には、三重の安全機構を施す。暴走や乗っ取りや敵性団体による操作を封じる安全機構を。だからシンジの心配してるような事はもう無い。これならベースは既存のシステムであり、パイロットの損耗を防ぐ一番近道の手段になる。使徒が再来寇しても比較的すぐに対抗できる。リモート・エントリープラグなんていつ完成するか見通せない。用兵サイドとしてはそんなものにだけ頼る訳にはいかないわ」

 

と言った。しかし、シンジはむずがる子供のようにその合理的結論を受け入れない。首を左右に振って、否定するばかりだ。

 

「いやだいやだ、いやだっ!」

「シンジ。皆が見てるわよ。冷静になりなさい。アンタ、司令でしょ。第一、アタシがまたエヴァに乗る訳じゃない」

 

 シンジの心配は自惚れるわけではないが、けっきょくアタシの身体だろう。しかし、アタシもシンジも三十路になったのだ。エヴァのパイロットとして再搭乗する可能性は皆無に等しい。

 

「……姫、これはアタシも悪手だと思うけど。量産型エヴァは姫の弐号機とは全然パフォーマンスが違った。S2機関が無ければ、完全に負けていた」

「そ、そうだよ。ダミーシステムなんか、結局頼りには……」

 

 今朝から止まらない頭痛のせいか、なぜだか、マリに乗っかって批判してくるシンジのその物言いがアタシには酷く癇に障った。その頼りにならない量産型エヴァのせいで、アタシはどんな目に遭ったのか。

 

「は。アタシの所に来てもくれなかった無敵のシンジ様の初号機よりは、ダミーシステムの量産型の方がよっぽど強かったわよ。逞しくて痺れる程にね!」

「姫っ!!」

 

 マリが眦を吊り上げて、立ち上がり、対照的にシンジががっくりと膝を折って席にくずおれた。

 

「今のは酷すぎる。わんこ君に謝りなよ」

「事実なんだから謝らない」

 

 アタシはどうしても素直になれず、そっぽを向いてしまう。だって、量産型エヴァは本当に強かったのだ。だからあの時、アタシはシンジの助けが欲しかったのに。アタシはもうその事は納得し、シンジを責める積もりなんて無くなっていた……その筈だったのに、身体的不調がアタシの理性の働きを弱くしていた。

 

「少しは甘やかしを止めたと思ったら、今度は不毛な過去の糾弾?本当に男との距離感の取り方の分からない女。……懲りないね、惣流さんは」

 

 北上の糾弾は図星過ぎて、アタシは最低の反論をしてしまう。

 

「オペレーター風情が黙ってなさいよ。アンタは書記役で、この場は、各部代表だけが発言が許されるんでしょ」

 

 権威と職責を傘に着た、卑劣な反論。そんな事は自分でもよく分かっているのに。言葉が止まらなかった。

 

「姫!」

「いいよ、越権行為なのは惣流課長の仰る通りだ。でもね、アタシは友達として言った積もりだったんですけど?」

 

 北上の表情に初めて軽蔑が混じる。それが耐えきれなかった。

 

「うるさいっ、もう休憩っ!」

 

 話を強引に断ち切り、アタシはタブレットを机に置く。うなだれているシンジの元にマリが駆け寄り、心配そうに声を掛け、シンジの頭を撫でてやっている。

 

「気持ち悪いことしないでよっ!」

 

 アタシはマリに向かって怒鳴る。マリは親友だと思ってたのに、泥棒猫みたいに人のものに手を出すなんて。見損なった。

 

「姫がわんこ君を粗雑に扱ったんだよ。今日は姫がわんこ君に酷いことをしたんだ」

「気持ち悪い……なんなのよこの空間は。碇司令。アンタ、ここを女護島かハーレムにでもするつもり?」

 

 何をしたわけでもないシンジに八つ当たりをして、アタシは部屋を出て行く。

 

 

「姫は、今朝は随分とご機嫌斜めだね」

 

 シンジはもう一人の男性である子安を憚り、マリにだけ聞こえる小声で言った。

 

「……アスカ、二日目なんだ」

 

 ゆうべ、誘いを断られたシンジが少し言いにくそうに言った。

 

「ああ……にゃるほど」

 

 シンジは、子安の方に向き直り、

 

「すみません、子安理事長。お騒がせして……」

「いえ、碇司令。ところで、リモート・エントリープラグとダミーシステム2の件、これは当然、ネルフの研究機関としての側面に属する。さらには軍事組織としても軍令ではなく、軍政に属する事柄だと理解してよい筈ですね」

 

「あ、はい。理事長の仰る通りで、研究開発や軍政面については理事長の最終決裁が必要になる事柄です」

 

 シンジは直ぐに理事長の言わんとする所を察して、回答する。司令であるシンジだけで決める訳にはいかないのだ。

 

「惣流課長を呼び戻してくれませんか。民主的に四人の採決で決めましょう」

 

 

「まず、リモート・エントリープラグの開発経費の計上ですが……」

 

 司令心得のシンジが進行を勤める。

 

「技術部として異存はありません。将来的にも必要な技術ですから」とマリ。

 

「私も異存はない。いや、作戦部として、賛成します」

 

 アタシは、決してリモート・エントリープラグ自体に反対な訳ではない。それが間に合わない可能性も考慮すべきだと言っているだけなのだ。通信の輻輳や反応の遅延など技術的課題も多く予想されている。

 

「私も碇司令も賛成ですね?……ではこちらは全員一致ですね」と理事長の子安は頷いた。

 

「では、次はダミーシステム2についてです」

とシンジは言った。

 内心は不服なのだろう。気乗りのしない口調だ。

 

 マリが立ち上がった。

 

「技術部として反対します。ダミーシステムは人間の意思決定を軽んじる思想が組み込まれています。技術部として、非合理的な物言いに聞こえるかも知れないが、いささか危険だと思うのです。それに、何より碇司令が気乗りではない。戦士として、用兵家として(つと)に知られた実績のある碇司令の直感を私は信頼します」

 

 マリのいう用兵家としての実績というのは、シンジが新生ネルフ設立当初から戦略自衛隊との間で実施している模擬戦で、これまで高い勝率を収めていることをいうのだろう。

 マリがこんなにも多弁に、シンジの擁護をするのをアタシは初めてみた。

 

 マリを軽く睨んで、アタシは立ち上がる。先ほどのシンジへの態度が不快だった。シンジはアタシだけのものなのに……。今日のこの場は、北上もマリもアタシの敵に回り、アタシの孤独感はいや増していた。

 

「私はリスク分散の必要性を訴えているだけです。使徒がいつ来寇するかは分からない。間に合うかどうか不確定な未来技術にだけ賭けるのは危険です。ダミーシステムは必要な保険です」

 

とアタシは言った。

 

 子安理事長は頷いた。

 

「私も惣流課長に同意です。リスクヘッジは必要でしょう。リモート・エントリープラグの開発が行き詰まったら、ニューEVA計画は暗礁に乗り上げる。これで一対二ですね」

 

 シンジは反対なんだから、二対二か。膠着状態ね、と思っていると、シンジが立ち上がった。

 

「僕は……アスカに賛成する」

 

と、いつもの伏し目がちな態度だが、キッパリと言った。

 

「んなっ」

「えっ」

 

 マリと北上が同時に驚きの声をあげた。

 

「ど、どういうことなのよ、わんこ君」

「僕はいつだって、アスカの味方をしてあげたいんだ」

「こりゃまた、見事に梯子を外されちゃったにゃ……」

「そんな決め方、どうかと思うんだけど……」

 

 二人ともそれぞれに戸惑いを隠せない。

 

「それって、アタシへの同情?孤立したアタシへの思いやりってわけ?」

「……そんなんじゃ」

「全世界が危うい時に、自分のオンナの色香に惑わされてるようじゃ、話にならないわね。それこそ、長恨歌じゃないけど、アタシを切れって話にもなりかねない。少しは考えて発言しなさい」

「ごめん……」

 

 アタシはシンジに常々、政治的意味を考えながら発言しろと言っている。公の場で「愛人」のアタシの肩を持つような発言は、むしろアタシの立場を危うくするのだ。そういう甘さを見ていると、ゼーレに対峙して新生ネルフを設立せんとした時にシンジが見せた凄みは、やはりアタシを救いたいという絶望的状況に追い込まれた故の智恵であり、迫力だったのか。

 

「まあ、良いでしょう。これでダミーシステム2への賛否は三対一だ。多数決の決定に、真希波課長も異論はないですね?」

 

 子安が水を向けると、マリは肩をすくめた。

 

「そりゃ碇司令が姫に寝返っちゃったらね。アタシだけが頑張っても意味はない。技術部も賛成でいいですよ」

 

 しかし、それは結論としては誤りだった。実のところを言えば、当初想定より遥かに開発は難航したが、当時懸念していたようにダミーシステム2に本質的な問題があったのではない。そうではなく、限られた研究開発リソースを二つに分散した事に問題があったのだ。つまりは「どちらも間に合わない」という虻蜂取らずの状況がシンジを追い詰めていく事になる。

 

 

 会議が終わり、ロビーの喫茶コーナーでアタシとシンジは二人きり、カップのコーヒーを手に休憩している。緊張感が薄れたせいか、頭痛や生理痛もいくらか安らいだ気がしていた。シンジがそれを気遣い、アタシは残っているしんどさをこらえて頷き返す。

 

 最近のアタシは、今日のような情緒不安定は時折あるものの、概ね心の中の嵐も収まり、シンジの愛人というほの暗い立場を受け入れつつある。どうせシンジとはもう結ばれないのだという諦念と今のままの曖昧な関係に安住する気持ち、こうなれば、もうシンジは事実上の夫だ、などと開き直る気持ちなどが複雑に入り混じっている。

 

「で……なんで、けっきょくはアタシに賛成したのよ。アンタにはアンタだけの計画があったんじゃないの?」

「もういいんだ。きっと何とかなるよ。確かに保険は必要だしね。さっきも言ったでしょ。僕はアスカの味方になりたいんだ」

「そんな態度、司令の仕事をしている時は捨てなさい。甘さは命取りよ。多数の命とアタシの命なら迷わず前者を選んで」

「僕はいやだ」

 

 シンジは引きつった表情の顔を左右に振った。

 

「僕はどんな時でも、アスカを選ぶ」

「籍も入れてない只の愛人じゃないの」

「僕にとっては世界で一番大切な人なんだ……」

 

 前に一緒に寝たときに、ネルフの仕事で悩み苦しんでアタシに逃げ道を探していた時の表情が思い浮かぶ。確かにシンジの重圧たるや、想像を絶するものがあるだろう。ネルフの運営と作戦はゼーレに対する欺瞞だらけだが、シンジはそれを誰にも明かす事は出来ない。もちろんアタシにさえも。独りで孤独に立ち向かわなくてはいけないのだ。だから、シンジはアタシに逃避したくなる。

 

「アタシに甘えてるだけなんじゃないの。お母さんに付いてくる子供みたいに」

「前にアスカも、お母さんになってくれるって言ったじゃないか」

「……本気で言ってるの。それなら今すぐ別れるけど」

「もちろんそういう意味じゃない。でも、僕にだって無条件に同じ側に立ってくれる人は必要なんだ。だって、苦しいんだ。情けないけど、独りじゃ耐えられない」

「だからアタシをとっとと嫁にしておけば良かったのに」

「……」

 

 今更の後悔にシンジも臍を噛む。妻ならば、アタシはずっとシンジを支えてあげられただろう。でも、そういう話はあれから一度だって出たことはない。アタシは常に一歩引いて、愛人のような、日陰の立場から見守ることしか出来ないのだ。

 

「身の丈に合わない苦労をしてくれてるのは、全部アタシの為なんだよね」

「うん……」

「シンジにとっても、アタシは疫病神みたいなものだねえ」

「こんなに優しい疫病神は居ないよ」

「可哀想なシンちゃん。いつもアタシにいじめられてるから、たまに優しくされるとそんな風に錯覚してしまうのよ」

 

 アタシはちょんとシンジの額を突っついた。

 

「……生理が終わったら、またエッチしようね」

 

 たぶん、これはたまに優しく、の一環だ。優しさなら、妻であろうと愛人であろうと、シンジにあげることができるのだから。

 

 でも、アタシはその時まだ、シンジが連れてくるあの娘の名前を知らない。

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