大人のエヴァンゲリオン   作:しゅとるむ

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二十八話 エヴァンゲリオン

「アイ、今日は寒いそうだから、マフラーしていきなさい」

 

 テレビで流れている天気予報の情報を元に、アタシ、惣流・アスカ・ラングレーは玄関に出て、今まさに出かけようとしていた制服姿の同居人、六分儀アイの首にマフラーを巻いてやろうとする。

 

 しかし、アイはアタシの手を煩わしそうにはねのけ、今巻いてやったばかりのマフラーを首から外して、アタシに突き出した。

 

「アイ……?」

「これ、誰のマフラー」

 

 アイがアタシに握りしめながら突き付けたマフラーは紫色のマフラーだった。

 

「……」

「……お義父さんの……なんでしょ」

「そ、そうだけど。でもシンジがしたのなんて一回ぐらいで。アンタがしても……」

 

 そもそも、そんな言い訳自体が不要だった。シンジのだろうとなんだろうと寒いのだから、保護者としてマフラーをさせるべきだった。しかし、アタシはアイに言い訳をしてしまい、そして、その稚拙な言い訳はアイを納得させられなかった。

 

「……要らない」

 

 アイはマフラーを押し付けると、アタシに背中を向け、閉まったままの玄関の金属ドアをじっと見つめている。

 

「お母さんごっこなら、シンジさんとやればいい。いつだって寂しい人だもの。アスカ……さんが、かまってあげたらきっと喜ぶよ」

「ア、アタシは、シンジの母親じゃないわよ……」

「だったら、ボクに対してもそうでしょ!」

「……アイ」

 

 数分の沈黙が続いた。アイは身じろぎもせず、アタシはそのアイに掛けるべき言葉が一つもなかった。

 

「ごめん。ちゃんと応援するって決めてたのに。やっぱり簡単には出来ない……」

「え?」

 

 何をおうえん……するって?アタシは、アイの言葉を聞き返そうとするが、アイはその間を与えてはくれなかった。

 

「学校、行ってくる」

 

 ドアが軋んで開く音がし、アイが出て行き、すぐにパタンと閉じる音がした。アタシは、アイを送り出す言葉を最後まで、口から出せなかった。

 

 

 アタシはしばらく玄関先で、突き返されたマフラーを握り締めたまま立っていた。

 

 アイの示したシンジへのあからさまな嫉妬については何も言えることがなかった。アイの気持ちは分かっている。でも、アタシの心は今さら、それでざわめいたりはしなかった。

 

 それよりも、アタシはなぜシンジにこんなマフラーを選んだのだろう。むしろその事が気にかかった。

 

 アタシはリビングに戻って、食卓の椅子に掛け、じっと手元の紫色のマフラーを見つめた。

 

 確かにこのマフラーはシンジのものだ。いや、シンジは別にそうは思っていないだろうが。高校の時、松代に来るシンジのためにアタシが探し求めたものだ。

 

 もちろん、その後、アタシとシンジの関係は一旦、破綻を迎え、マフラーどころではなくなった。アタシの手元にそのまま残ったマフラーは、大学生になって再会した後は、なんとなく渡せる気分でもなく、いつまでもアタシの部屋にあった。だからシンジはこのマフラーの事を覚えていないかも知れない。

 

 それはアタシの赤色のマフラーとペアになっているもので。アタシの赤色好きはエヴァとは関係なく元からのものだが、シンジにまで紫色を探してやる、となると、明らかにその時のアタシはエヴァのカラーリングを意識していた。アタシたちの関係を滅茶苦茶にしたのがあのエヴァンゲリオンと呼ばれる奇怪なロボット……いや、巨大な人造人間なのに。あの松代にいた時でさえ、アタシは量産型エヴァ打倒シミュレーションに苦しみ、地獄を見せられていたのに。

 

 それなのに、余りにも幼かったアタシは、自分のマフラーに弐号機の、シンジのマフラーに初号機の色を当てはめたペアマフラーをやっとこ見つけ出して、それを自分が巻き、シンジに巻いてやる場面を想像しては、無邪気に乙女心を弾ませていた。むろん、実際の二人の再会の場面はもっと寒々しいものだった。アタシが乙女みたいな夢想をしても、状況やシンジの鬱屈した態度がそれを許さない事は多い。

 

 しかしなんでまた、そんなチョイスをしたのだろうか。アタシは、その時はまだ、やっぱりエヴァンゲリオンというロボットの操縦に男の子みたいに夢中になっていて、いつか再び戦場でシンジと二人、守り、守られて戦う、男女の姿を夢に描いていたのかも知れない。あるいはユニゾンを練習した時のような、シンジとの甘く優しい戦友関係を夢想、懐旧していたのかも知れない。それは、もう叶わなかった事が確定している、子供の時の夢みたいなものだった。そう、世界を救うヒーローになりたいとか、王子様に助けてもらうお姫様になりたいとかそういうやつだ。そういうアタシの夢は叶わなかった。シンジが叶えてくれなかった。

 

 現実の中に生きながら、まるでロボットアニメのような非現実的状況に夢中になるヘンな女の子。それが当時のアタシだった。男の子が好きになる物を好きになって、それをもっと上手になって、男の子に勝ちたかった。シンジに勝ちたかった。当のシンジはエヴァンゲリオンなんかずっと嫌いだったのに。たとえシンジに勝ったって、その先に王子様に助けて貰うお姫様の夢は待っていないのに。

 

 もちろん、アタシにとってエヴァンゲリオンは昔も今も紛れもない現実だ。大人になって、アタシはその運用を仕事にしている。別にやりたかった仕事でもない。アタシの男であるシンジが、アタシにやれと言ったからやっているまでだ。今は特別にエヴァンゲリオンに思い入れがあるわけではない。アタシは飽きてしまった子供時代の玩具に注ぐような醒めた視線でエヴァを見ることができる。その操縦能力を巡ってシンジと角突き合わせた事が信じられない。シンジの方がエヴァより大事なのは分かりきっているのに、分かりきった事が分かっていなかった、かつての自分が今となっては信じられない。

 

 あんなにも拘って、大切だった筈のエヴァ操縦者としての角逐が、今のアタシには全く理解できなくなってしまっていて、アタシは幼年期と完全に切り離された。昔の自分の気持ちに迫りきれないから、アタシは何を間違えて、何をやり直せばいいのかも分からなくなっていた。シンジとアタシの恋が、どこで何を間違えたのかも、分からないでいる。

 

 時々、アタシはシンジとの寝物語に、話題が尽きると昔の思い出を語る。コンフォート17というミサトのマンションに三人で住んでいた頃の思い出を。夫婦になれなかったアタシとシンジがまだ家族で居られた頃の幸せな思い出を。大半が当時の日常の話で、シンジも普通に応じているが、たまに使徒との戦いに言及すると、シンジの口は途端に重くなる。

 

 ガギエル戦やイスラフェル戦ならば、シンジにとっても会話の支障はない筈なのに、むしろ、アタシとのロマンス溢れる思い出として語れる筈なのに、シンジは乗ってこない。アタシの豊かな裸の胸に顔を埋め、押し黙ってしまう。シンジにとっての使徒とは、過去においては忌まわしく血なまぐさい悪夢であり、現在においては現実の仕事において差し迫る恐ろしい納期のようなものであり、未来においては自分の愛人の幸福に仇なす影のようなものだった。

 

「大人になっても、エヴァンゲリオンか……」

 

 人間が自分の影からは決して逃れられないように、アタシたちも決してエヴァンゲリオンからは逃れられない。エヴァパイロットを卒業して、エヴァへの強い執着を無くした今も、アタシはエヴァンゲリオンそのものからは逃れられないでいる。その一つが新たなエヴァのパイロット候補であるアイの存在だ。そしてアタシの職場である新生ネルフだ。エヴァが望まなくても否応なくついて回る人生、それはシンジもきっと同じだろう。

 

「エヴァンゲリオン……あんたらって一体、何なんだろうね」

 

 エヴァンゲリオンはいつだって、答えを返してくれる事はない。

 

 

 アタシは、その週の週末、シンジと強羅にあるカフェで待ち合わせた。趣味のよい調度品に囲まれた落ち着いた雰囲気の、人気のお店だ。これは、毎週のセックスのための逢瀬とは違う。

 

 アイの事を話し合うためだった。養父として、育ての仮親として、二人でアイの事を定期的に相談しようというのがアタシが提案する口実だった。

 

 そう。アタシは、有り体に言えば、アイの養育問題を半ばダシにしてシンジに愛人以外として逢う必然性を手に入れたのだ。……嬉しかった。これできっと大学生の頃の二人に戻れる。身体の繋がりだけでなかった頃に戻れる。これを足掛かりにしてシンジをもう一度ちゃんとアタシのものにしたかった。

 

 ダシにしているアイに対する後ろめたさはそれほどでは無かった。養育方針の相談が必要なのは嘘ではなく、事実だったからだ。アイのアタシへの気持ちを知っていたが、それに正面から応える義務があるとはアタシには思えなかった。それは単なるシンジの気持ちのコピーに過ぎず、例えそれが真剣なものでも、アタシには応ずる事などとても出来なかった。曖昧に誤魔化して、やり過ごすしかないものだった。アタシにはアイの気持ちが、中学生の頃から残酷、冷酷に引き裂いてごみ箱に放り込んできた無数のアタシ宛てのラブレターと同じようなものに思えていたのかもしれない。

 

 あの無数のラブレターを寄越した男子の中には、シンジよりも格好良い男、素敵な男の子が何十人だって居た筈だ。それらの想いをアタシは煩わしく、無用で、邪険に扱っていいものだと信じて疑わなかった。それを捨て去った後にアタシが手に入れた男であるシンジが、それを寄越した連中より客観的に見て劣っていると他人から見なされても、あの中の一つにでも応じておかなかった事を全く惜しいとは思わなかった。

 

 アタシは、選ばれたかったのではなく、アタシの意志で選びたかったのだから。ラブレターを寄越すような相手は論外だった。エヴァンゲリオンのパイロットとして選ばれるという事が、エリート意識に支えられたアタシに誇りを与えると同時に、その裏で、アタシを深く傷つけていた。アタシは本心では他人に評価などされたくはなかったのだ。アタシ自身は確固として存在しているのだから誰にも評価などされたくはなかった。賞賛は評価の結果だから嫌いだった。賞賛し求愛してくる相手など、自分でアタシに対する敗北を認めているようなもので価値がないとさえ思った。

 

 むしろ、誰かをアタシ自身の気持ちで選びたかった。それもアタシだけの風変わりな独特の基準で。その相手にはアタシに対する在り来たりの賞賛や憧憬は不要だった。なるべくアタシの価値を理解していない相手が良かった。もちろん、アタシの想いを断りそうもない相手であることは大前提だ。加持さんのような大人の男性でなければ、その気遣いはないはずだった。才色を兼ね備えるアタシが愛を示せば、拒否する同年代の男の子など居やしない、いくらか傲慢に、しかし、確信を以てそう思っていた。

 

 普通の男の子で、アタシにあまり強い関心がなく、しばしばアタシ相手にムキになって突っかかって来て、それでいてアタシを到底拒絶しようがない凡庸な相手。そういう相手を選んで、そいつに全部を与えてしまいたかった。だから実際にそうした。そういうシンジだからこそ、アタシの価値を理解して欲しかった。そして矛盾するようだが、そういう相手であるシンジとなら、アタシへの評価など気にすることなく、アタシはアタシのままで、ずっと幸せでいられる筈だった。しかし、シンジはそれでも度々に亘って、アタシの想いに正面から向き合う事を拒絶してきた。

 

 アタシはシンジの価値を見くびって、シンジの事が好きなのに小馬鹿にし、シンジの自由意志を軽んじていた。自分の心の中の柔らかい、素直な気持ちを裏切って、シンジを好きだという気持ちをそんな傲慢なマウンティングの中に閉じこめてしまったから、神様がアタシに罰を与えて、アタシの恋心はどうしてもハッピーエンドにたどり着けないようになってしまっていた。

 

 アタシの恋にとってのお邪魔虫は、そこらの女ではなかった。いつだって、シンジ自身がアタシの恋の最大の妨害者だった。シンジの心がいつもアタシの恋の邪魔をした。アタシが好きなシンジの価値を否定するのは、いつもシンジだった。シンジ自身がシンジのことを大嫌いだった。それが悔しくてたまらなかった。アタシは、シンジがシンジ自身のことを愛してくれないことに気付く度に、心の中で何度も何度も泣いた。時には声を上げて泣いた。シンジを一番愛しているのはシンジ自身ではなく、アタシだった。でも、それは本当はよくない事で、おかしい事なんだ。

 

 唇も純潔も身体も優しさも……アタシが何を与えても、シンジから思い通りのものが返ってこないと、アタシはそのたびに深く傷付いた。アタシの懊悩はそれから収まる事がなく続いている。

 

 

「来てくれてありがとう、シンジ」

「うん……アスカ」

 

 アタシは約束より三十分も早くたどり着き、そんな事を考えながら待っていた。男のために着飾ったアタシは、年齢を重ねてもまだまだ美しいらしく、異性の目を引く。どれほどの男が待ち合わせの相手なのだろう、と興味の視線がたびたび注がれる。大抵は女連れの男たちの不実な視線だ。また、同性からも純粋な興味の視線を感じる。そこにシンジがやって来る。ある種の失望か落胆を視線に感じる。あんな男と待ち合わせなのか。そういいたげな視線がアタシにはかえって心地よい。この男の価値がアンタらには決して分かるまい。アタシだけの宝物だから、アタシにしかその価値は分からない。アタシは凄腕のキュレーターの気分で、秘蔵の美術品のアタシだけに分かる価値を堪能する。

 

 この男は頭が切れ、仕事も出来るし、世界を一度は完膚なきまでに破壊し、きっと次こそは世界と人類を救う運命を背負った男だ。路傍の石のような外観だが、アタシだけがこのダイヤの原石を見つけた。アタシだけがこいつの価値を知っている。アタシだけの男で、シンジにとってもアタシだけが女だ。だが、頭脳とか地位とか功績とか、そういう万人にも理解できる属性ではシンジは語れない。アタシはシンジが愚かで卑屈で卑怯で何事もなし得ない時から、シンジの事が好きだったのだ。むしろそういうシンジの方が余計に好きだったのかも知れない。

 

「そのジャケット、格好いいね、シンジ」

 

 シンジが着ているあきらかに仕立ての良いそのジャケットは、最近の流行のデザインではなかったが、高級なブランドものだと一見してわかった。その下に黒のインナーを着込んでいる。

 

「父さんのなんだ」

 

 かつての碇ゲンドウと今のシンジは長身の背格好も少し痩せぎすな所もそっくりだ。ゲンドウはなかなかの伊達ものだったのだろう。服装のセンスも良かった。

 

「遺してくれた遺品も遺産も殆ど何もなかったけど、服だけは助かってる」

「後はネルフ……そして裏死海文書だけが遺産ね」

「うん……そちらはアスカは気に入らないかも知れないね」

 

 シンジがちょっと後ろめたさそうに笑った。

 

 シンジが席に着いたので、アタシは、ウェイターを呼んだ。アタシがケーキセット、シンジは紅茶を頼んだ。

 

「ケーキ、分けてあげるわ。半分こしよう」

「え、いいよ」

「全部食べると太るから。ね?手伝ってよ」

「うん……それなら」

 

 それからアタシはしばらく十分ほど雑談に興じながら、シンジの顔を眺めていた。別にアイの話題にすぐ入る必要を感じない。

 

 ケーキセットと紅茶が来た。ラズベリーとブルーベリーが載ったケーキだ。アタシはちょっとケーキを味見して、酸味と甘味が程よく調和した評判に違わぬ出来だと知る。

 

 味見はそこそこにアタシが舐めたフォークのまま、ケーキひとかけらをシンジの前に差し出す。

 

「ほら。シンジもあーん」

「え、でも…‥」

「あーん!」

 

 再度強く促すも、周囲の視線がシンジには気になるのだろう。アタシも年甲斐もなく、という言葉が一瞬頭を掠めないでもない。でも、アタシたちには思春期にそんな事をする余裕があまり無かった。思春期に奪われた青春を今ここで演じて何が悪い。シンジも、最後にはアタシの睨みに屈服して、おずおずと口を開いて、アタシのフォークを受け入れる。

 

 アタシとシンジの釣り合いに疑念を抱いて視線をチラチラと向けていた周囲の一部の連中にも、これで間違いなく、アタシとシンジが、単なる仕事上の付き合いとかではないことが分かっただろう。アタシがこんな男と付き合うのはそんなにおかしい?だが、釣り合いなんか知ったことか。美人に生まれついたらシンジに恋する資格を喪うなんてそんな馬鹿げた話はない。

 

「ね?美味しいでしょう」

「うん」

「しかもアタシとの間接キスだよ」

「はは……」

「アタシとはしょっちゅう直接キスしてるから、今さら間接キスでもない?」

「いや…‥嬉しいよ。間接キスそのものよりも、アスカとまだそういうやり取りが出来る関係で居られる事が…‥」

 

 そりゃそうだよね。間接キスなんて、本物のキスやセックスに較べれば、大した意味がある行為ではない。でも、それらに至る前の初々しい年頃の子たちにとっては重大事で、その大げさな認識の仕方こそが、微笑ましくて眩しいのだ。本来はばっちいかも知れない赤の他人の唾液でも好きな人の者なら、そうは感じない。そういう恋愛感情による、ある種の他者の美化の過程を経て、最終的には夫婦、すなわち家族ともなれば、同じものを一緒のスプーンやフォークで食べても何らの忌避も感じないようになっていく。

 

 私たちの恋という心の動きは、けっきょく、赤の他人から出発して、家族へと至る道なのだ。

 

 だから、家族になれないままでいるアタシとシンジの恋は、ゴール地点を告げられないままに出発してしまったオリエンテーリングみたいなもので。戻るに戻れず、進むに進めず、アタシとシンジは夜毎にテントを立てて二人で抱き合い、身を横たえながら、いつも途方に暮れている。

 

「あの、アスカ……今日はアイの話があるんじゃなかった?」

 

 シンジはむろん呼び出しの口実を忘れてはいなかった。アタシは、小さく溜め息をついて、ようやく本題に入る。

 

「……あの子、友達が出来ないのよ。たぶん一人も」

 

 言葉に出して、それも毎日確認してる訳ではない。訊ねたって、本当の答えが返ってくるでもない。最近のアイとは朝の会話もすれ違いが多い。夜は仕事が忙しいから帰宅すると、大抵アイはもう寝ている。でもそんなに簡単に友達が出来るとは思えなかった。だから一週間前の様子と同じく、未だに友達が出来ていないという前提でアタシは話をする。

 

「……そう」

「だから、アンタならアドバイス出来る事があるんじゃないかと思って」

「友達の作り方?……そんなもの僕が教えてほしいよ。僕だって一人も友達なんか居ないのに」

「鈴原、相田、渚……その辺はどうなのよ」

 

 深刻な話をしたいわけでもなかった。アイの参考になる、最初の声の掛け方や、仲良くなり方を少し聞き出して、あの子に伝えてやろうと思っただけだ。そういう具体的な成果があれば、休日にあの子を置いて、シンジに独り、会いに来た事への言い訳が成り立つという幾らか浅ましい打算もあった。

 

「どうかな。トウジには妹さん、つまりは鈴原一尉の怪我のことで僕が殴られたのがきっかけだった」

「そうだったの?」

 

 それはアタシの来日前の話だから、初耳だった。

 

「僕がエヴァの戦闘に一尉を巻き込み大怪我をさせた。トウジは兄貴としてそれを本気で怒ってた。僕はエヴァのパイロットだってクラスでバレて、みんなにちやほやされていい気になってて。だから殴られて当然だった。殴られたから仲良くなれたんだ。でもそういうの、男だけだろ」

 

 アイの参考にはならないよ、とシンジは首を振る。

 

「まあそうかもね、ドラマとかではよく見るけど。何で女みたいに、普通に話をして仲良くなれないのかな。妹のことを責めるにしたって、別に殴らなくてもさ……」

「男に課せられてるのは克己だから」

 

 シンジは静かに言った。アタシにはその単語の意味が分からなかった。

 

「こっき?」

「自分に打ち克つ事。痛みや軽蔑に耐える、自分の中の恐怖を克服する、自分の行為の責任を取る、そういうの諸々だよ。……僕の苦手なことばかりだ。そういう男の証明が出来なくちゃ本当に親しい友達にはなれない」

 

 シンジはちゃんと男としてすべきことは理解しているのだ。ずっと前からそれは分かってはいるのだ。

 

「でも、それを克服してアンタはアイツらと友達になれたんでしょ?」

「……それだってどうかな。トウジには大怪我をさせた、ケンスケには電話で、何故今さら逃げるのか、と詰られたよ。二人とはそれきりだ。僕には男の証明は出来なかったんだ。だから、本当に親友と言える存在だったのかは今となっては分からない。僕なんかを好きになる人は居ないんじゃないかな……」

 

 またそうやって、アタシの想い、気持ちを無視している……。それに、鈴原や相田だって、アンタに期待してた筈なんだよ。そうだからこそ、拳も出れば、キツい言葉も出るんじゃないか。そんなのアタシがシンジをいつも叱りつけてるのと同じだよ。どうして、そういう事、分かってあげられないのかな。みんなシンジがちゃんと出来ると信じてたし、好きだったんだよ。そんなの十八年も経って、いい加減大人になっているのに、まだ分かってあげられてないなんて、哀しいじゃないか、余りにも。鈴原や相田だって、LCLの中できっと悲しんでいるよ……

 

 でも、アタシはシンジにそんな事を言えなかった。シンジが他人に愛されてるなんて実感、アタシでさえ与えてやれないのに、他の友達の事で、説得なんか出来る筈もない。

 

「……渚カヲルという子とはどうだったの」

「彼はそもそも人間じゃない、彼はシトで、僕らヒトとはこの星の未来を賭けて争う相容れない存在だった」

 

 その話はもちろん聞いている。彼は人型の使徒、第17使徒、タブリスだった。でも、シンジにとってはそれだけの存在ではなかった筈だ。

 

「でも、友達だったんでしょ」

「うん、僕のことカヲル君はよく理解してくれていた、過ごしたのは短かったけど、優しかったんだ」

「そう…‥」

「ちょっとアスカに似ているよ。僕に優しくしてくれて。いつも一緒にいてくれて。でも、僕はカヲル君を殺して、アスカも同じように……」

 

 アタシはさすがに話の展開にまごつき、もっと違う場所を選ぶべきだったかと後悔した。しかし、シンジの告白は、それぞれの会話に集中する周囲の人たちには届かなかったようだ。アタシは安堵する。

 

「だから僕にはもう誰も友達がいないんだ……‥」

 

 シンジは鈴原、相田との友情を自分の行動で喪い、渚カヲルはシトとして、ヒトの代表であるシンジが彼を葬った。そして、ネルフ本部決戦とサードインパクトで、ミサトや父ゲンドウ含む旧ネルフ本部の知人や肉親を喪った。確かに彼の周りには遂に誰もいなくなったように見える。

 

 だけど、違う。

 赤い海の、波打ち寄せる浜辺には、シンジともう一人が生き残った。

 シンジと惣流・アスカ・ラングレーという他者だ。シンジが殺そうとしてもけっきょくは殺せなかったアタシがいる。その後、LCLから皆が戻り始めたが、あの瞬間には、世界は、地球には、アタシとシンジが二人だけだったのだ。

 

 だからアタシはちょいちょいと自分の鼻を指差す。

 

「一人いるわよ。シンジの友達。シンジの親友。アンタの大好きなお友達でしょ?」

 

 もちろん、アイの友達作りの参考話としては、アタシとの馴れ初めなんか話題にしてもしょうがない。でも「一人も友達なんか居ない」と言われると、大事な存在を無視されたようでカチンと来る。アタシは友達でしょ?と指摘したくなる。

 

「そうだけど……アスカは特別だから。僕はアスカに友達になってもらうために何かを頑張ったわけでもないし……多分また人生を一からやり直して、アスカに出会ってもきっと仲良くはなれない。仲良くなんかしてもらえない」

 

 アタシは、シンジの顔をじっと見つめる。はぁ、相変わらずの自虐っぷりだけど、こいつ何言ってるんだか……。

 

「自信、ないんだね。アタシと行くところまで行ってる仲なのに」

「……自信持ちたいよ。アスカとのこと、全部」

 

 まあ将来を誓った訳でもない。将来なんて何もない。そんな関係ならば、心細くて当然か。でもさ。

 

「アンタも知ってるでしょ?……アタシ、自分で言うのもなんだけど、中学でも高校でも大学でもすごくモテた。でも、そんなの一人も相手にしなかった。ただの一人もよ?でも、アンタは違う」

 

 アタシは流されるのではなく、誰かに選ばれるのではなく、自分からシンジを選び取ったんだ。それだけはシンジには理解しておいて貰いたかった。

 

「今はこんな訳わからない関係だけど、一時は結婚寸前、みたいな仲だったでしょ。少なくともアタシの方はそう思ってる。自信なさげなシンジの発言……否定待ちでワザと言ってるんなら、幾らでも否定してあげるよ、それでシンジが気分よくなるなら。自信がつくなら」

 

 シンジのネガティブな発言の半分ぐらいは、アタシに否定してもらいたくて、否定してもらえるという希望込みで、アタシに構ってもらいたいから言ってる所もあると思う。コイツはなんだかんだ言って、アタシからの愛情に飢えていて、甘えん坊だから。でも、残りの半分は本気で自信がなくて、自分の存在がイヤでたまらなくて、どうしてアタシがいつまでも自分の側にいてくれるのかも分からなくて、苦しんでいるんだと思う。

 

「うん……でも、僕らがエヴァのパイロットでなかったら、アスカと僕が結ばれることなんかきっとなかったよね」

「それは……そんなこと想像して何の意味があるのよ。出会いのきっかけはどんな男女でもそれぞれじゃないのよ」

 

 そう言いながらも、アタシは先日、マフラーを抱えて物思いに耽っていた時の事を思い出す。

 

 アタシとシンジの間にどうあったって、立ちふさがるエヴァンゲリオンの影。アタシたちの母親の影であり、だからこそ、アタシたちが親離れ出来ない、いつまでも子供みたいな存在で、大人になりきれていない事の象徴のようでもある。

 

 ボウリング場で出逢ったカップルにとってのボウリング、図書館で出逢ったカップルにとっての恋愛小説。そんな風にはアタシたちにとってのエヴァンゲリオンは語れない。出会いのきっかけはそれぞれだからなんて軽く笑い飛ばせる筈がない。

 

「想像の意味は無いよ……でもエヴァなんてない方がきっとみんな幸せだった。もしかしたら僕らを除いては。いや、僕らも幸せとは言えないんだし……」

 

 たぶん、シンジは今でも自分の価値がエヴァにしかないと思ってる。嫌いなはずのエヴァにまつわる場所にしか居場所がないと感じている。そのエヴァに乗ったことで、シンジは自分も他人も世界もアタシもみんな不幸にした。少なくともシンジはそう思ってるのだ。つまり、シンジはこの世に、他人を不幸にするような居場所しか自分にはないと思っている。アタシを幸せにできる居場所があるとは思えていない。

 

「エヴァがアタシたちや人類を不幸にしたかどうかなんてどうでもいい。今もアタシたちはエヴァに関わってるけど、それは仕事だから。別にシンジとアタシの関係はエヴァが無くたって成り立つよ。それがどんな関係かはアンタとアタシが別にちゃんと考えるべき問題だけど。シンジがそろそろ結論を出してもいい問題だけど」

 

 アタシはそれだけ言うのが精一杯だった。だってそんなもの、嘘だもの。アタシとシンジの関係はエヴァンゲリオンがなければ成り立たない。そこが出発点で、ずっとそこに囚われている。

 

 アタシたちは、ずっとエヴァンゲリオンを引きずって生きていく。これはきっと、そんな大人のエヴァンゲリオンの物語なのだ。

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