翌週にクリスマスを控えた師走の夜は気ぜわしい。山積する業務を抱えるも、常に人材不足に悩むネルフの夜も、まだ終わらない。
理事長の子安臨席のもと、司令のシンジ、技術部のマリ、作戦部のアスカの両部長による幹部会議が、職員が定例業務をこなし終えた後の午後8時から開始された。
「それでは、私、技術部真希波からエヴァンゲリオン再建造計画の現状をご報告します。現在、再建エヴァンゲリオンとして予定されているのは、ご承知の通り、ステージ2エヴァである初号機F型、弐号機F型、そして零号機F型の三機となります。開発進捗率は手元のデータをご覧ください」
ステージ2エヴァというのは、サードインパクト以前に建造されたステージ1エヴァとは一線を画す、次世代設計思想のエヴァンゲリオンのことで、
席から立ち上がって説明する技術部長、真希波・マリ・イラストリアスは参加者各自のタブレットに開発進捗率のデータを表示する。
「……ほぼ横並びだね」
「まあそうですね」
とシンジの率直な感想に、マリも、ポリポリと頬を掻く。これだと、不確定要素はありつつも、六年ないしは七年後にほぼ同時に三機がロールアウトする事になりそうだ。
ネルフの予算は基本的には毎年度予算を要求、計上していく単年度主義だが、単年度では完成し得ないエヴァの建造費については、日本政府の予算でいえば、戦自の建艦費などに適用される複数年度予算が認められていた。
「予算要求のテクニックとして三機、横並びで完成見込みというのはどうだろうね…‥もう少し完成時期に差が付くと思ってたんだけど」
司令であるシンジが懸念の声を上げる。
「一気に三機が完成した後、急激に予算の縮小を余儀なくされますからね……上手くありませんよね」
と書記役として同席する上級オペレーターの北上ミドリが指摘する。
ネルフの予算の財源は、米英仏独日中露の列強を中心とする国連各国政府からの拠出金だ。各国国民の税金を財源とする貴重な拠出金(とりわけサード後は各国とも破壊された都市とインフラ、困窮する貧困層を抱え一層だった)ゆえ、いちど縮小した予算を取り戻すのは大変だ。故に予算の平準化、平年度化が必要なのだ。要は、年度ごとの予算額がデコボコしないように、均す必要があるということだ。
シンジはミドリの言葉に頷くと、マリに向かって言った。
「うん、だから完成時期が少しずつずれるよう、メリハリをつけてもらいたいな。優先順位は、初号機F型、弐号機F型、零号機F型の順番だ。弐と零はこの際、後ろ倒しでいい。予算の空白は困るんだ」
アスカは内心でこれは上手いと思った。シンジの本心は、とにかく初号機を最初の使徒来寇に間に合わせること。アイのパイロットとしての仕上がり状態からなんとなくその時期は近いと見通せるが、じっさい差し迫っているのだろう。だからアイの乗る初号機F型だけを兎に角、間に合わせたい。その欺瞞すべき完成時期への希望と本音をシンジは、予算額の平年度化という予算要求のテクニックの話に紛れ込ませる事に成功した。つまり弐F、零Fを遅らせた分、初Fに予算を集中、上積みして、開発を前倒しにするということだ。これはやはり使徒の来寇は二、三年以内だろう、アスカは確信した。
「分かりました。技術部予算の組み替え案を至急作成します」
マリは頷いて、席に着いた。
「惣流さんの兵装の方はどう?」
シンジはアスカの方を向いて尋ねる。惣流さんというシンジの呼びかけは、惣流部長よりはくだけた言い方で、仕事モードとしてはごく普通のものだが、日頃、身体同士を繋げている相手からの呼びかけとしては、くすぐったいし、未だに少し気恥ずかしい。
「ん。作戦部としては、元々、弐用刀装のビゼンオサフネ、零用銃装の天使の背骨についてはそれなりの予算はつけてもらいたかったんだけど、今の話があるなら、弐Fと零Fの進捗に合わせるわ。なんならマゴロクスとパワードエイトに重点化する」
アスカは最近はもう内輪の会合ではシンジへの敬語を省いていた。元々、日本人ではないし、同じ相手なのに、場面に合わせて日本語の敬語を使いわけるのは煩わしい。みんながシンジと自分はそういう仲だと知ってる場面では普通に喋ることにしていた。
アスカの言及した開発中のマゴロクス&カウンターソードステージ2は、ATフィールドを刃全体に展開する事で、使徒のATフィールドを相殺・粉砕する事が期待される初号機F型用近接武器だ。
そして、パワードエイトはエヴァステージ2以降用に開発中の、パレットライフルを代替えする新型レールガンだ。その名称の由来は8の字型に特徴的にデザインされた電磁レールであり、これにより低反動と弾丸加速の両立を実現するものだ。
いずれにせよアスカの意思表明は、初F優先方針に全面的に同調し、兵装においても初F一点集中を叶えるものだった。アスカとしてもリモート・エントリープラグとダミーシステム2におけるリソース分散の敗着の思い出が苦々しく、その愚を再演する積もりはない。
「うん、そうしようか」
シンジはアスカに向かってにっこりと微笑んだ。うん、アスカそれでいいよ。皆の前だから言葉に出してこそ言えないが、無言でそう言ってくれてるようだ。よかった……正解だった、シンジの役に立てている。それがアスカには嬉しい。普段は主に寝台の上などで、お互いに甘えあってはいるが、強いて言えば、アスカが落ち込みがちなシンジの頭を撫でてやることが多い。でもこういう場面ではアスカはシンジに頭を撫でて欲しかったし、褒めて貰いたかった。人前ゆえに、たとえ本当はそうして貰えなくても、微笑みなどから、擬似的にそういう満足感を得ることが出来ていた。
「そうすれば、マゴロクスとパワードエイトの開発結果を、ビゼンオサフネと天使の背骨にもフィードバックできるわね」
「確かにそうだね」
刀同士、銃同士の技術フィードバックも、重点化、前倒し化で期待される所だった。
「それから、ここで僕から提案がある。リモート・エントリープラグは一旦中止して、ダミーシステム2に傾注したいんだ」
「ふうん……?」
アスカの見るところ、どのみちその2つのシステムは初来寇に間に合わない。だからいずれかを重点化しても喫緊に備えるものとはならない(つまりゼーレに喫緊の来寇があるとは取られない……まあアイのパイロット候補登録で既にある程度感づかれているとはいえ)が、どうせ間に合わないなら、二正面開発を継続していても構わないようにも思えるが?
それとも初来寇の後にやはりかつての使徒来寇のように連続して使徒が到来し、かつ、それがある程度長期間に及ぶ可能性があるということか。それならダミーシステムに注力する理由もあることになるが。あるいは、これは全てシンジお得意の欺瞞や迷彩かも知れない。
「まあ、現状、アイちゃんしかパイロット候補が居ないなら、ダミー優先はしゃあないか、にゃ」
ダミーとリモートはパイロット保護の機能としては類似しているが、リモート・エントリープラグにはパイロットが必須だという点がやはり違う。アイ以外のパイロット候補は見つかっていないし、二人目のアイを作り出す……というのには、流石にシンジも及び腰だろう。
「もちろん、ダミー2が完成したら、リモートの開発も再開するよ、技術と人員維持のための最低限の予算はリモートにも張り付け続けるし」
しかし、これで、リモート・エントリープラグは次世代技術確定かな、とアスカは思った。日の目を見るとしたら、アスカたちの子の世代になるのだろう。もちろん、子どもなんて居ないし、それまで人類が存続し続ける根拠なんて無いのだけれども。
◆
十五分ほどの休憩に入り、アスカは喫茶コーナーで自販機のコーヒーを淹れる。
そこにシンジがやってくる。
「おつかれさま、シンちゃん」
「……アスカもお疲れ様。さっきはありがとう。兵装のこと、助かった」
「うん。間違えてなくて良かった」
「間違える筈なんてないよ。アスカだもの。僕が分かることなんて、全部正解できる」
シンジは確信を持って言う。自分のことではなくアスカのことになら、その信頼がこんなにも揺るがないのが、彼女には不思議だ。
もちろん、その信頼は、アスカの胸をいつだって温かくしてくれる。シンジが落ち込みふさぎ込みがちで根暗な男の子でも、アスカへの無条件の信頼が底流でずっと変わらないから、アスカは側にいてつらい時でも我慢が出来る。いずれ、優しいシンジが戻ってきて、他の連中のようにアタシをミーハーに外見だけで仰ぎ見るのではなくて、ちゃんと一人の女性であり人間として、その才幹を尊敬し、尊重してくれる日がまた来るのだ、と。そう信じられるから。
気ぜわしく、挨拶もそこそこに幹部会議は始まっていたが、こうした休憩中などでも、折に触れ、ちゃんとした挨拶を差し入れることも大切だ。最近、アイを間に挟んで、擬似的な父母として関係が小康状態だったアスカとシンジは職場でも優しく挨拶を交わせるようにまでなった。まさか─シンジがあんなにアスカの怒りを恐れて、別れまで覚悟した─アイのおかげで、シンジとの状況が改善するとはアスカも夢にも思わなかった。
(こういうシンジとの関係のリハビリ、だいじだよね。身体ばかり重ねてたって少しも状況改善しないんだし)
「アイはどうしてる?」
「うん、少し元気になったのかな。友達の作り方の話をしようとしたら、もう友達なら居ると怒られちゃった」
「アイは僕じゃないから、ね……。女の子には女の子の世界があるんだろうしね」
それに中年男に友達がいないケースって結構多いんだよ、とシンジは続ける。ケースが多いからって、僕がちゃんとしてない言い訳にはならないけど……とこれは、シンジが一言多い。
ってか三十二が中年か?同い年のアタシまで中年ってことになるからやめてよね……、心中ぼやきながら、アスカは眉を顰める。段々、中年という言葉が、縁遠いものではなくなりつつあるので、乙女の気持ちは敏感だ。
「……でもいいんだ。仕事以外にする事ないからね」
「うーん、趣味でも作ったら?アンタ、暇なときは家で寝てるか、アタシと寝てるか、どうせそのどっちかでしょう」
「……まあ、確かに……」
「ええ!?本当に、寝てばっかりか……呆れた」
アスカはまさか図星ではあるまいという予測が的中し、さすがに眉を顰める。前に宅飲みでシンジの官舎に行ったときは部屋は綺麗に片付いていた。元々家事などにはマメな男だが、それ以外の事に今は無気力なのかも知れない。さいわい、官舎にはお手伝いさんが来て、平日の家事をやってくれているとは聞いている。(念のため確認したが、初老の女性だそうだ)、だから男やもめに蛆が湧く、みたいな生活にはなっていないのだろうが……。
「そういえば大学の時も寝てた印象強いわね、だったら、えっとそこから……十三、四年ぐらい寝続けてる感じ?」
「いや、起きてたって。遅くまで勉強してたんだよ。アスカも知ってるだろ……」
もちろん知っている。猛勉強をしていたからこそ、その反動で居眠りをしていた印象が強いのだ。
アスカはふふっと小さく笑ってから言った。
「……ま、流石に本当に十四年も寝てたら愛想尽かすかも知れないけど。でもあんたはその間、実際にはアタシの為に頑張ってくれてたんだよね。このネルフが全部、アンタの頑張りだ、シンジの贈り物だ」
そう言って、アスカは愛おしい人に触るように、喫茶コーナーのテーブルや壁にそっと触れる。それから、シンジの片方の手に視線を投げかけた。
「シンジ、その左手……まだ痛む?」
「え、うん……まあほんの時々だけど。寒い日とか雨の日だけ。毎日じゃないよ」
心配させまいとしてか、シンジは先回りして、痛む日の限定条件を説明してみせた。
寒い日と雨の日……それじゃ今も結構しんどい季節なんだよね?自分で自分の指を折るなんて事、正気の沙汰じゃない。でも、シンジはそれをやってのけた。どんな気持ちでそんな事をやったのだろう。辛かったろうに。アスカは、もしその痛みが肩代わりできるのなら、今からでも半分引き受けてやりたい程だった。
「ごめんね……」
そして、言葉の不適切さに気付いたように、アスカは改めて言い直すのだった。
「いや、ごめんねじゃない。……ありがとう、シンジ……今さらお礼なんて遅すぎるし、あの時は別れ話と重なってたから、そんな気持ちにはなれなかったけど。アタシの為に本当にありがとう。シンジがアタシのために、傷ついて、アタシの居場所を作ってくれて感謝してる。ずっとずっと感謝してる……きっと一生感謝してる」
アスカの声が少し震えた。改めて感謝の気持ちを言葉にしてみると、心が揺れる。シンジの卒業間際の裏切りはとても許せない事で……、でも一面ではアスカを想う気持ちは正しくて、その後、彼女が政府に酷い目に遭わされる事は一切なかった。ネルフはシンジが作ってくれた、新しい居場所だった。アスカのためだけに用意された居心地のいい場所だったのだ。それなのに、アスカは今の今まで、一度も言葉にして感謝した事がなかった。─きっと意地を張っていたのね、アタシ。
「うん……」
シンジは小さく頷いた。でもすぐに顔を横に振った。シンジにとって、それはアスカへの贖罪の一環。もしかしたら、そんな風に思ってるのかも知れない。
「でもね、アタシはいつかこの感謝を、そんなの当たり前の事だって思えるようにしたい」
「え?」
唐突なアスカの物言いに、シンジは思わず息をのむ。
「夫が妻を、家族を守るのは当たり前のことだから─アタシはいつかこの特別な感謝を、シンジがやって当たり前のことだったと思いたい。恩知らずなんじゃないよ、言ってる意味、分かるよね」
「……うん」
「一生感謝してるような状況はいやなんだからね。そんなの絶対アタシとシンジが一緒に居られない状況なんだから。アタシに、アンタのこと、一生感謝なんかさせないで」
シンジは無言だった。無言だったけど、じっと俯き加減で考えている。
「ま、今すぐどうこう言わない……アンタがあくまでアタシを拒むのならしょうがない。アンタにとっては今のままの方が楽なんだろうし」
「ごめん……今はまだ……でも」
「今はまだ、なのね?でも、の先に続けられる言葉がアンタの中には、何かあるのね?」
「……うん。たぶん」
「たぶんって、あのねえ」
曖昧なのはけっきょく決断の先送りで。そうしたい、逃げたいシンジの気持ちをアスカは理解しながらも、やっぱり落胆は隠せなくて。
「シンジは子どもの頃、エヴァが嫌いだったんだろうけど、アタシはあの頃、エヴァンゲリオンに夢中だった。エヴァは子どもだったアタシの全能感の象徴だった。アンタという『本物の天才』に出会って、自尊心を完膚無きまでに打ち砕かれるまではね」
アスカは十四のシンジと自分を子どもの頃、と表現した。
─だって本当にアタシたちはその頃、子どもそのものだったのだから。そして、アタシはシンジがアタシとは違う本物の天才で、アタシの自尊心を打ち砕いたから、シンジが嫌いだった。そして、だから同時に、シンジの事が好きだった。アタシは無能で凡庸なシンジに憩えたし、苛立った。無二の天才のシンジに反撥し、憧れた。アタシのシンジへの想いはいつも相反する二重の想いが重ね合わされていて、矛盾しているようでも、二つの想いが捩り合わさってより堅固な想いに昇華するようでもある。
「そして、アタシは女だから、いつまでも男の子みたいにロボットに夢中では居られない。アタシのエヴァへの関心は純粋に職業上のもの。だから、今、アタシはエヴァではなくて、別なものに夢中なの。それが何か分かる?」
アスカはそう言って、シンジの瞳をじっと見つめる。─さすがに鈍感が服を着て歩いてるみたいなシンジでも、アタシが今、夢中なものが何かぐらいは分かってくれるだろう。分かってくれなきゃおかしいよ。─彼女はそう期待して。
「うん……その、何となくだけど……分かる」
シンジは目許を少し紅潮させている。朴念仁であっても、シンジは女を知らない童貞ではない。むしろ年季と回数だけで言えば、アスカという女を相当知っているとは言える。ならば、アスカがシンジに注ぐ真剣な眼差しの意味ぐらいは分かっていい。それは情欲とかよりも、もっと気高い関心で。
「女がけっきょく最後に夢中になるのは、それよ。だって、自分の人生が掛かってるんだもの。自分と自分の子どもの幸福が掛かってるんだもの」
自分の人生を最終的に誰に委ねるのか。それが掛かっているから、女は恋に夢中に、そして必死になるのだ。むろん、そこには将来性などの冷静な計算もあるだろう。でも一番大切なのはやっぱり気持ちだ。一生そいつと一緒にいることになるんだから。妥協なんて出来ない。スペックや打算なんかでは決められない。
「シンジはその、アタシが夢中な物をいつも貶している。そういうの、良くないよ。人の好きなものを嫌いだ嫌いだといつも言っている。要するにアタシへの意地悪だよね。そろそろ大人になろうよ……」
「……意地悪だなんて」
自虐がその人を愛する他人を痛めつけるなんてことは、確かに、本当に孤独な人間ならば理解できないのだろう。でも、シンジは本当は孤独ではないのに、自分は孤独な人間だと思い込んでいるから、たちが悪いのだ。
「エヴァのステージ2もそりゃ重要よ。アタシたちが─人類が生き残れるかどうかがそれに掛かってるんだもの。でも、アタシには違うステージ2だって重要なの。アンタがちゃんとそのステージ2に連れて行ってくれるのか。二人でステージ2に行けるのか」
アスカは静かに思う。
……人生のステージ2に、アタシとシンジの二人が手を携えて進めるのか。
アタシには、それが一番の問題なのだ。
(補足)
ステージ2エヴァや関連兵装の設定は、エヴァンゲリオンANIMA準拠ですが、こちらではサードインパクトが発動して人的、経済的、技術的、インフラ的被害が甚大となったため、十五年以上遅れて登場しているという解釈です。