大人のエヴァンゲリオン   作:しゅとるむ

65 / 73
六十五話 それぞれの戦い・前編

「今日は楽しかった──」

 

 布団に入って目を瞑っていたのだが、思わず口を突いて出てしまった自分の言葉に、アイは慌てて目を見開いた。

 

「──うん、楽しかったよね」

 

 そう静かな声を返してくれたのは、隣に布団を敷いて横になっているアイの親友の大井サツキだ。

 

 サツキたちは泊まりがけで遊びに来てくれて、アイたちの引っ越しを祝ってくれた。彼女に新しい家族が出来るのを、──アスカとシンジだけならまだしも、アイの身体のことは教えてないから、サクラまで同居することなど──仔細に考えればおかしな組み合わせとしか思えないのに、何も聞かずに見守ってくれている。

 

 日中に行われた転居祝いのたこ焼きパーティは盛況で、「変わりたこ焼き」の中身に阿鼻叫喚する悲運の客に、アイたちは声を上げて笑った。子供っぽいお遊びだけど、それはアイに束の間、自分に突き付けられた運命や切ない想いを忘れさせてくれるものだった。

 

 夜になると、風呂上がりに和室にゲーム盤を広げて、女子だけの宿泊客同士それに興じた。サクラが引っ越し荷物としてわざわざ持ち込んだ「人生ゲーム 関西版」だった。吉本興業とのタイアップで、コテコテの関西ネタが盛り込まれているバージョンだ。

 

 あんたどんだけ関西推しなのよ、とアスカがサクラにツッコミを入れるも、乙女たちはそれなりにアナログなゲームの懐かしさとベタな関西ネタに盛り上がった。ゲームの中のアイは運にも恵まれて、漫才師として財を成し、東京でうどんツユの濃さにショックを受けたり、「アメリカ村」でのガレージセールで二百万円(!)も儲けたりしながら、子宝にも恵まれて、幸せな一生を送った。

 

 ──本当に、そんな風な人生だったら良かったのにな。

 

 物語の主人公になんかなれなくてもいい。世界を救わなくてもいい。ただ、好きな人と一緒にいられて、子供が沢山いる家族を作って、うどんツユやたこ焼きの味に一喜一憂する。そんな、平凡な一生を過ごせるだけで良かったのに。

 

 ゲームでは大笑いして、その後、皆が床に就いて、一転、静かになってからは、少し寂しくなった。

 

「あのね──私、アイに言ってなかったことがあるの」

 

 サツキは板張りの天井を見つめたまま言った。同室の他の二人、阿賀野カエデと、最上アオイが寝てしまったかは分からない。まだ起きているのだとしても、二人とも無言だった。

 

「少し前から、付き合っているんだ。前に話した、バイト先の大学生の先輩」

 

 アイは横を向いて、サツキの顔を見つめた。サツキは顔を正面にしたまま、言葉を続ける。無口だけど、優しい男の人だと言っていた。今、彼女はその彼の顔を思い浮かべているのだろう。それをアイに対してこれまで言い出せなかったのは、アイの想いが、同性の誰かに対する苦しい恋だと知っていて、きっと、自分だけが幸せになろうとしていることが後ろめたかったからだ。

 

「ずっと先輩には好きな(ひと)がいるって知っていた。時々、お店に来る同じ大学の同級生のひと。そうと言われなくても、態度や表情で分かる。同じように恋をしてる女の子なら──」

 

 その先輩が好きだという相手は、同性から見ても非の打ち所のない素敵な女性で。容姿だけではなく、友達への気配りと明るさが魅力的な人だった。だから、サツキは到底敵わないと、一生その想いを胸に秘めておくつもりだったのだ。

 

「でも、ニュースで使徒の話を見たんだ。世界が本当にもうすぐ終わってしまうなら──また使徒が攻めてきて、フォースインパクトってのが起こって、人間がもう人間ではいられなくなってしまうのなら、想いを胸の内に収めていても仕方がないと思ったの。だから──」

 

 サツキは思い切って告白したのだろう。その先輩が、想い人のことをどの様に吹っ切ったのかは分からない。彼もまたサツキと同じように、フォースインパクトの不安を前にして、もしもこれが人生の最期──それが一年なのか、数ヶ月なのかは分からないが──となるのならば、人間らしく恋愛をし、今の自分に出来ること、人として生きてきたことの証を立てようと思ったのかも知れない。

 

「私はね──やっぱり生きていたいよ」

 

 少女の声は震えていた。

 

「想いが叶ったから欲が出たんだと思う。でも私、今がすごく楽しいの。先輩とデートすることも、お話しすることも、皆と遊ぶことも、将来に向けて勉強することも。今日もアスカさんたちの話を聞いて、女性でも立派に社会で活躍できるんだと分かった。今は大変でも、そういう未来を見たいと思えたんだ。それなのに──私たちはまだ中学生で十五年も生きていないのに、これで終わりだなんてあんまりだと思う。今まで何千万年と生きてきたご先祖様たちにだって、こんな残酷な運命に向き合った人たちはいなかったと思う」

 

 サツキの声は涙混じりになり、いつの間にか大きくなっていた。ふすまを挟んで、隣のアスカたち大人が眠る部屋から、身じろぎ、鼻をすするような音が聞こえた。少女の率直な想いが、世界を守る最後の砦である組織の女性たちの心を間違いなく揺さぶったのだ。

 

 だから、アイはそっと手を伸ばし、布団と布団の間でサツキの白い手を握る。

 

「サツキは幸せになれるよ。カエデも──アオイも。未来もきっと来る……。みんながちゃんと大人になれるって、ボクは約束する」

 

 アイの戦う理由がまた一つ増えた。──やっぱりボクの人生ゲームでは、子沢山のナニワの漫才師になるのではなく、世界を救わなくちゃいけないみたいだ。

 

 そのアイの約束の言葉が、単なる友達への慰めではなく、神聖な誓いだと気付いたのか、隣室からはもはやハッキリとすすり泣きだと分かる声が幾つも聞こえてくる。

 

 アスカも──マナも──サクラも──マリも──大の大人たちが、こぞって、アイの誓いにむせび泣いていた。アイの覚悟に比べて、子供一人を救えない、無力な大人である自分たちの不甲斐なさを嘆いていた。

 

 その抑え込むような密やかな泣き声に釣られたのか、こちらの部屋のサツキも、カエデも、アオイも皆、いつの間にか、引き込まれるように鼻をすすり上げていた。

 

 ──もう。みんな浪花節(なにわぶし)過ぎるよ。これも「関西版」の影響?

 

 アイはそう独りごちて苦笑しようとしたが、いつの間にか、両頬から伝うしょっぱい液体が口の中に入る。

 

 ──あれ。ボクもなんだか、止まらないや。

 

 そっとサツキの手を放し、自分の顔を隠すように、アイは布団を頭からかぶった。シンジがよく干しておいて呉れたらしく、お日様の匂いのする布団は温かくて、近くで一緒に寝ている人たちもみんな温かくて。

 

 だから、アイの涙もいつまでも収まろうとはしない。

 

 

 それから二月ほどが経過した。

 

 今、司令室の会議テーブルのシンジの向かい側には、惣流・アスカ・ラングレー戦術作戦部長、真希波・マリ・イラストリアス技術開発部長、霧島マナ戦略自衛隊三等陸佐、そして医官の鈴原サクラ一尉の四人が並んで座っている。

 

 幹部職員数名だけの定期報告会だ。部長たちにも随員はいない。人数が増えると、それだけ準備に時間が掛かるし、今や使徒迎撃を目標に、新生ネルフ設立以来の多忙を極める下僚それぞれが仕事に割くべき貴重な時間も失われる。四人とも、碇司令自らが目を配るレベルの仕事について、部下の助けを借りなくては答えられないような、中途半端な仕事はしていないという自負があった。

 

「では、サクラさんから──いつものように報告をお願い出来るかな」

 

 司令であるシンジが、この場では最年少の鈴原サクラの名を呼ぶと、彼女はすっくと立ち上がった。

 

「ご指名ですので、小官からまず報告をさせて頂きます。──アイちゃんの身体は今のところ急激に悪くなっとる訳でもないですが、少し寝付きの悪い夜が増えとるようです。これは自分の身体のことや、来るべき戦いに備えての不安もあるでしょうね。ただ、insomnia……不眠症とまでは行きませんし、今すぐ心配する必要はありません。休める時には隙間の時間でも横になれるよう、配慮しとってあげてください」

 

 アイの小康状態を告げるサクラの報告に、一同の間に安堵の空気が漂う。特にアスカとシンジは胸を撫で下ろし、医官のアドバイスを心に刻む。

 

「ええ、わかったわ」

「ただ、長期的、根本的には、碇司令が発案された胚性幹細胞による治療しか望みがありません。幸い、人間の胚性幹細胞の入手は、防衛医科大の協力で何とかなりそうです。また、現在までのところ、マウスとブタ、双方による治験でも目立った副反応は出ていません。そして、治療群のクローンマウスとクローンブタのテロメア長は、対照群と比較して有意な改善が顕れています」

 

 エヴァ初号機の唯一のパイロットであるアイの身体的コンディションの維持と、その治療法確立は、全ての作戦の大前提だったから、部長級ではないサクラもこの場に呼ばれて、いの一番に報告をしている。

 

 まずは幸先良しと言って良さそうな見通しに、皆の表情も明るくなる。

 

 だけど、それでも──シンジにはサクラに謝らなくては行けないことがある。ありがとうとまずは報告に感謝を述べてから、シンジは続けた。

 

「ごめん、サクラさん──僕は──僕らは、君に甘えていた。もしかしたら、一人の命にずっと向き合うのは、沢山の命に少しずつ向き合うことよりも辛いことだったのかも知れないのに。すっかり君に頼ってしまっている」

 

 しかし、サクラは首を左右に降って、その、担当患者の養父からの謝罪を否定する。

 

「『自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない』──これはヒポクラテスの誓いゆうて、お医者になる時にみんな誓うもんなんですわ。だから、これはちゃんと、私自身が決めたこと」

 

 ひとたび、医者になったら、誰にも治療法を強要されない。ただ己の能力と判断のみにしたがって、患者の利益を図る。裏を返せば、その誓いを誠実に守っている医師ならば、自分の選択した治療法に起因する労苦を後から誰かのせいにすることなんか決して出来はしないのだ。

 

 アイたちと一緒にシンジの家に住み込み、二十四時間、彼女の主治医として面倒を見る、そして日々、医業と並行して、新しい治療法の治験を監督する──そう決めたのはサクラ自身の選択だ。未だ幼い少女の人生と運命を丸ごと受け止めるような仕事が、辛くてしんどくて、先の見えない不安に日々襲われようが、その先にどんな結末が待っていようが、一旦それを始めた以上、彼女にはそれを最後の最後まで見届ける責任がある。

 

 だから彼女は胸を張って、背筋を伸ばし、いつもにっこりと微笑む。そう心掛けることが毎朝の日課だった。

 

 それに、サクラが医者として、誰か一人の命と向き合わなくてはならないのだとしたら、その一人は六分儀アイがいいと断言できる。

 

 その思いは、皆が泊まりがけで転居を祝いにきたあの夜の、アイによる友への厳粛な誓いを聞いて、一層深まったのだ。

 

 ──うちはアイちゃんを救いたい、その命を助けたいんや。

 

 シンジはサクラの言葉を聞き、その表情の変化も見届けた上で、溜め息をついて言った。

 

「そうか──僕が、サクラさん自身の決断を軽んじるような、失礼なことを言ってしまったってよく分かったよ。僕は謝罪じゃなくて、ただお礼だけを言うべきだったんだね。──これからもアイのことをよろしく」

「ええ、任せとってください。うちも頑張りますから」

 

 サクラが微笑みながら着席すると、シンジからの指名も待たず、アスカが勢いよく立ち上がった。彼女にしてみれば、憂いが一つ薄らいだような心持ちだったのだろう。うっすらと笑みを浮かべて、報告を終えたばかりのサクラと一瞬交錯させた視線も柔らかかった。それは、相手を同居する同性に相応しい、一人前のライバルだと認める視線だった。

 

 シンジのようには言葉には出さずとも、ありがとうとアスカも心の中で思っている。だから、サクラがサクラの仕事をしたように、アスカもアスカの仕事をするのだ。それは確実にアイやサクラのためにもなる。己のタスクとして責任を持つことが幸せだと誇れるような仕事だ。

 

「作戦部からの報告は、武器装備塔──アーミングツリーの設置状況よ」

 

 アスカが説明を始める。アーミングツリーは旧ネルフ時代からある兵装ビルの発展型というべき存在で、タワー状の武器支持架に複数のエヴァ用武器を懸架する。ビル内部の空間に武器を収めるという発想を脱することで、搭載武器の自由度、容量ともに大幅に拡充されていた。

 

「ツリーは既に8基設置完了したわ。複数の使徒侵攻想定ルート沿いに、第3市内の木賀、二ノ平、底倉、大平台、塔之澤、畑宿に一時固定した。2基はネルフ本部に設置して、ジオフロント内でギリギリまで自立駆動系のテストを行うつもり」

「動く兵装ビルか……アスカも大胆なことを考えたね」

「動くだけじゃないわよ。うちの(ツリー)は、ワープもするのよ。──こんな風にね」

 

 アスカは右手の拳を握り、それから空の手の平を開いて見せ、今度は左手の拳を握って、またすぐ開く。左手には握る前には見当たらなかった飴玉の包みが入っていた。アスカは、「はい」と微笑んで、キャンディをシンジに手渡した。

 

「……あ、ありがとう」

「おやつに食べなさい。昼前に食べたらダメよ。ご飯が食べられなくなるから」

「母親みたいなことを言わないでよ……」

 

 シンジは苦笑して頭を掻き、飴玉をいつも着ている上級スタッフスーツのポケットに入れる。そしてその上から「おやつまで食べないよ」と言わんばかりに、ポンポンと優しく叩いた。

 

 真希波・マリ・イラストリアスも、そんな二人の情感細やかなやり取りを見せ付けられて、むふふとつい漏れ出る笑みを噛み殺した。

 

 動く兵装ビルとシンジが表現したように、アーミングツリーの基部にはいずれもN2リアクターによる自立駆動系が組み込まれている。2基を手元に残すのは、オペレーターの操作技量の慣熟が進んでいない駆動系テストのためという理由もあるが、アスカが仄めかしたように、ジオフロント内部からエヴァ用の地下搬送路を利用して、地上に新型兵装ビル(アーミングツリー)ごと射出するという緊急展開も想定してのことだ。

 

 エヴァ初号機は武装を打ち捨ててでも、軽荷になって戦場から戦場へと迅速な転戦を行い、戦闘に必要な多様な武装については、移動先のアーミングツリーで調達する。場所によってはツリーごと、地下からエヴァの移動地点近傍に打ち出す。ツリーの自立駆動能力は武装自らがその使い手に接近するために発揮される。つまりはエヴァの移動速度にその速度を加算するのと同じことだ。

 

 戦理とアスカ自身の経験も踏まえ、彼女にとっては特別な感慨を催させる過去のイスラフェル甲乙のように、複数体に分裂する使徒なども想定した場合、敵方からの外線作戦──包囲の試みに対抗して、数的劣勢にあるエヴァ側が内線作戦──内側からの各個撃破を成功させるためには、その移動速度こそが重要になってくる。

 

 先んずれば、エヴァ一体に過ぎないその戦力は時間差を付けて、異なる空間において二倍、三倍にカウントすることが出来るし──むろん、連戦によりパイロットであるアイの精神的・肉体的負担も相応に重くはなるのだが、エヴァが単機でパイロットも一人である以上、やむを得ない──、遅れれば、どんなに重武装で移動しても、腹と背中に刃を突き立てられ、包囲殲滅されるだけだ。

 

 兵装ビルとN2リアクターとエヴァ用の地下搬送路、それらを基盤としてアーミングツリーという形で実現されるのは、いわば、エヴァの武装の物理的クラウド化である。いずれも枯れた技術、既存設備の組み合わせだが、限られた予算の中、大きく資金を費消せずに、アスカの戦術的構想を実現させるものだった。そして、それは彼女の自負心の充足だけではなく、パイロットのアイの安全にも大きく寄与する筈だ。

 

 もちろん、作戦部の作業進捗はそれだけではない。国連や日本政府からの緊急拠出金を主たる財源として、山麓設置型高射砲群の増強、対空ロケットビルや垂直ミサイル発射ビルの増設などが精力的に行われていて、既に渚カヲルの本部侵入前と比較して平均120%に強化されていることがアスカから報告された。

 

 もっとも彼女に言わせれば、今出せるお金があるのなら、それを一年前、二年前に拠出してくれていれば、もっと飛躍的な増強が可能だった筈だというのであるが。時間を金で買おうとすると、その分、高価に付くものだが、危機は可視化されるまで納税者の理解を得るのが難しいというのも真理だ。

 

「ありがとう。アスカ──」

「いつも言ってるけど、礼は勝ったときでいいわ。まあ負けたら、人類丸ごと滅亡だから、恨み言をLCLの海の中で聞くことになるだろうけどね」

「うん……」

 

 冗談めかしてアスカは言うが、それだけは絶対に避けなければならない結末だとシンジは堅く心に決めている。

 

「次はマリさんの技術部だね──」

 

 進行役であり机上での査閲を行う立場のシンジが促すと、アスカの順調な仕事ぶりを目にしたばかりのマリは、朗らかに自分の部の報告を始めた。

 

「姫、お疲れさま! さーて、私の技術開発部からは、新しく開発した三種類のエヴァ用武器を制式化することを提案するよ」

 

 手元のタブレット端末から、壁面スクリーンに転送した映像を見せながら、マリは説明する。

 

「まず、開発に二年を費やした新型プログナイフだよ。旧プログナイフの侵徹力強化プランでコンペを掛けて、最優秀だった案を採用したの。S2機関の生み出す大出力でマイクロブラックホールを作り出し、そのベッケンシュタイン・ホーキング輻射熱で、ナイフの刃を恒星表面並に高熱化する」

「うーん……理屈は分かるんだけど、それってなんだか、作動原理的には随分迂遠な武器よね──折角のブラックホールを熱源に使うだけなんて」

 

 説明を聞いたアスカがやや懐疑的な声を上げる。実はブラックホールも蒸発する。光さえも脱出できない時空の歪みの檻に蓄えられた質量のうち、事象の地平線付近で、量子力学的効果により対生成された粒子が放出され、その質量欠損は熱エネルギーに変わる。つまり「ブラックホールは暖かい」という──それがヤコブ・ベッケンシュタインとスティーヴン・ホーキングによって予言されていたベッケンシュタイン・ホーキング輻射だ。

 

「兵器の熱源に使えるぐらい、ブラックホールを安定化させるというのがこの武器の技術的に凄いところなんだけどなぁ。しかも降着円盤から質量=エネルギーをほぼ取り出し放題なんだよ!」

「ほぼ、でしょ。マイクロブラックホールが蒸発しきってしまえばそれで終わりじゃない」

「……確かにそれはあるんだよねぇ。ホーキング輻射の計算式でもわかるように、ブラックホールの質量が小さいほど、熱量は大きくなるし。兵器としての寿命と性能がトレードオフなのよ」

 

 マリは課題が残っていることについて、やや悔しそうにそう言って、メガネのフレームを弄る。

 

「そもそも初号機はS2機関を取り込んでるんだから、エネルギーは無尽蔵じゃないの。エヴァ本体から電源供給して、ナイフには電熱ヒーターでも取り付けておけばいいのよ」

「そんなローテク、イヤだにゃ……たぶん生成出来る熱エネルギーも1桁は低くなるし……」

 

 しかし、マリの反論は幾らか弱々しくなってきた。

 

「あんた、英国出身なのよね? だからかしら、この武器には英国面を感じるのよ」

 

 アスカにしても、性能の諸元を確認する限り、確かに優秀な兵器のようだから、ことさら制式化を拒むものではないが、鶏の体温で保温する核地雷といった、他国人なら発想さえしないような、英国人特有の技術的暴走を感じさせるものだ。

 

「じゃあ、こっちなら文句ないんじゃないかな。……こっちは新型ハンドキャノンのKEG46R。別名ヤマトリビルド。これならみんな、英国面じゃなくて、大和魂を感じてくれる筈!」

 

 次の新兵器の紹介に移ったマリは胸を反り返らせて、誇らしげに言った。

 

「ヤマトリビルド?」

 

 なんとなくイヤな予感がして、アスカはその単語の意味を確認する。

 

「うん、海上自衛隊の戦艦やまとの四十六サンチ砲を、エヴァのハンドキャノンに改造したの」

「……怒られる前に返して来なさい」

 

 第二次世界大戦の敗北の中でも、辛くも生き残った大日本帝国海軍の大和型戦艦一番艦──戦後、米軍からの返還後は、海自護衛艦の命名規則に合わせて、ひらがなのやまとで呼ばれていた──の巨砲を、エヴァ用の手持ち銃器にしつらえたというのだ。

 

 捨て猫を拾ってきて、親に返してこいと言われた子供みたいな顔をして、マリは反論する。

 

「いやいや、別にギッてきたとかじゃないからね。やまとの近代化改修で余るっていうから、貰ってきただけで」

「戦自は──国連軍所属の海自とは一応別組織ということになってるから、私もコメントする立場にはないんだけど、ビックリだよね。運ぶのも大変だったんじゃない?」

 

 向こう見ずな放胆さではマリに勝るとも劣らない霧島マナも流石に驚きを隠せない。

 

「それは、護衛艦かしのに載せて芦ノ湖経由で運んだんだよ」

「まだ有ったんだ、樫野。物持ちいいなぁ、海自さん」

 

 それは、第二次大戦中に、大和の主砲を運搬するために建造された専用の砲塔運搬艦のことだ。やまとと一緒にモスボール保管されていたのだろう。

 

「途中で芦ノ湖の海賊船に積み荷を奪われそうになったり、もう大変だったんだから」

「それはウソでしょ」

 

 芦ノ湖海賊船の名誉に掛けて、彼らの無実には自信があるわ──アスカがジト目になって、面倒見良くツッコミを入れてやると、マリは彼女に構って貰えることに対して、いつものように本当に嬉しそうに目尻を下げる。──っとにもう。バカシンジとは別の意味で、こいつも子供なんだから。悪戯娘を持った母親のような気分で、アスカは溜め息をついた。マリからの快活な報告はなおも続く。

 

「3連装砲塔を一つ貰ったから、ハンドキャノンは3つ作ったよん♪」

「お裾分けのカレーでカレーコロッケを3つ作ってみました、みたいなノリで、ほんまにええんやろか……」

 

 基本的な士官教育以外にも、自主的な軍事教練を積極的に受けているとはいえ、純軍事的な技術にはやや門外漢のサクラも、マリのC調なノリに、ついそんな風にツッコミを入れてしまう。

 

 こめかみを押さえて、やれやれとアスカは首を横に振った。

 

 とはいえ、兵器の出どころにまつわる破天荒を別にすれば、技術的に枯れに枯れまくった古典的質量弾兵器だけに──砲弾推進部のラムジェット化などの見過ごせない魔改造はあるものの──基本的な信頼性は高い。ヤマトダマシイとやらには興味はないが、質実剛健という印象の安定感ある兵器には、軍人アスカのゲルマン魂も心惹かれるものがある。

 

 アスカは文句を言いつつも、ヤマトリビルドの制式化には同意して、マリに最後の新型兵器の説明を促す。

 

「真打ちの秘密兵器は、ジャーン!──この、新型ソードの袈裟羅(ケサラ)婆娑羅(バサラ)の二刀のセットだよ。──フィールドスプリッターという開発コンセプトでね。対象フィールドの特性に合わせた浸食型の固有ATフィールドを生成する」

 

 壁面スクリーンに表示されているのは、少し湾曲した山刀のようなフォルムを持つふた振りの刀の撮影画像だ。SRM61a袈裟羅と、SRM61b婆娑羅という型式番号付の名称が表示されている。しかし、アスカの心に引っかかったのは、マリの説明の方だった。

 

 ──()()()()()()()()()()()()()()()

 

 意味深な言葉に作戦部長であるアスカの視線は鋭さを増す。今までに一度たりとも登場したことのない類いの障害を、()()()()()()()()()()()()()()()()この武器の狙いは一体何なのか。それは彼女でなくても気になる所だろう。

 

「つまり、マリはいずれ、フツーのATフィールドでは対抗できない相手が現れる、と。そう予感しているわけ?」

「いや、それは碇司令がね──」

 

 その答えに、ギクリとしてからアスカはシンジの様子を窺う。

 

「……」

 

 無言のまま、表情も変えようとしないシンジの態度に合わせるように、アスカは黙って頷いた。

 

 なるほど。これは、──存命の人間では世界中でただ一人碇シンジだけが知っている──裏死海文書の導きって訳ね。

 

 シンジがいみじくも純粋な推理の力だけで解き明かしたように、裏死海文書とは恐らくは上位世界ないしはループし何度も繰り返しをする世界からの、定められた未来に関する予言の書だ。

 

 アスカはその、シンジが堅く守り通してきて、彼女にさえ容易に明かそうとはしない秘密の一端が、技術開発上の必要性があるとはいえ、自分ではなくマリに示唆されたことに、口惜しさを感じないではいられない。だけど、そんな女としてのジェラシーを仕事の中で感じるのは、子供っぽい公私混同であることも分かっていた。シンジにとっては、誰を通じて実現されるものであっても、その未来への対抗策が、アスカやアイを真に守れるものとなることが重要なのだ。そのシンジの一途な気持ちは流石にアスカも理解している。

 

 アスカがそんな想いに耽る間も、マリは、開発した袈裟羅と婆娑羅の素材であるATフィールド誘起素子の分子配列を変化させることでフィールドのパターンを再調律出来ること、その再調律プロセスを「再焼成」と呼び、そのミクロ構造決定のための莫大な計算量は量子コンピューティング技術である量子焼きなまし法(アニーリング)という計算手法を用いて短縮化を図っていることなどを得々と説明していた。

 

焼きなまし(アニーリング)で再焼成って、ちょっとセンスいいでしょ?」

「はいはい、技術屋ジョーク技術屋ジョーク」

 

 いつものようにマリを適当にあしらうが、それでもめげずにアスカへの好意を維持し続けるマリに対して、アスカはこいつも相当な物好きよねと、不思議な感慨を抱く。

 

 だって、どんな仕事に就いたとしても、要領良く人生を立ち回れるだけの能力と性格を兼ね備えたマリが、まるでアスカを手助けするみたいに、学生時代ばかりではなく、職場まで合わせるように彼女の側に居続けているのは、損得勘定で考えれば明らかに損だとしか思えないからだ。

 

 まあ、きっと前世からの腐れ縁とか、そんなものなのだろう──

 

 アスカはそんな風に冗談めかして、その疑問の答えを適当に結論付けた。

 

「マリさん、本当にありがとう。エヴァの武装開発は定期的に報告や相談も受けていたけど、流石マリさん、期待に応えてくれたと思う」

「いやいやー、それほどでもあるけどね! 夏のボーナスは今から期待してるよん、碇司令。欲しかったブランドバッグを十個ぐらい買おうかな♪」

「流石に買い過ぎでしょ。腕は二本しかないわよ」

 

 アスカは呆れて見せるが、マリ特有の照れ隠し表現にちゃんと突っ込んでやるのも優しさだと思っている。

 

 兵器開発のコンセプトや方向性が、いささか以上に趣味に走っているように見える点については、シンジはあまり問題視していない。それが行き過ぎるようならば、アスカや他の優秀なスタッフが事前に止めるだろうし、マリもそうした忠言を聞き入れないような頑迷さとはおよそ無縁の人物と思えるからだ。元々シンジの第一印象には、マリは剽軽ではあるが、時折、ナイフのように鋭く、警抜な意見を言ってのける頭の切れる女性というイメージがある。

 

 マリは、初めアスカと同じ戦術作戦部に所属したが、途中から技術開発部に転任したという異色の経歴を持つ。その理由は「姫と同じ部だと、出世が被るじゃん」というものだった。現在に至っても変わらない飄々とした性格を示した発言とも取れるが、裏を返せば、部のトップに上り詰められる自信が無ければ出来ない発言だったろう。

 

 まだ青二才で大学時代のシニカルな人間観からも脱し切れてはいなかったシンジは、「マリさんに、発明……いや、技術開発の才や関心があるとは知らなかったな」とつい思ったことを言ってしまったものだが、それに対するマリの回答が意表を突いたものだった。

 

『関心はともかく、才能なんてないよ』

『え?』

技術官僚(テクロクラート)なんて、技術に対する目利きの力が多少あって、予算の配分、執行を適切に実施させるプロジェクト管理の能力があれば出来るんだから。つまりは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだよ』

 

 凡人にとっては容易ならざる前提条件をさらりと告げて、しかも本人は真面目というイメージには程遠い飄々としたキャラクターをその後も維持し続けていたのに、部長まであれよあれよという間に上り詰めてしまった。

 

 なるほど、駆け出し時代のシンジは確かに技術官僚と科学者の役割を混同していたということなのだが、しかし、マリにはやはり人並み外れた才能があったのも間違いないのだろう。

 

 何しろ、現行のステージ2エヴァンゲリオンの基本コンセプト──武器の弾頭や、エヴァの拘束具にまでATフィールド展開能力を持たせることで、武器の侵徹力や装甲を決定的に増強する──換言すれば武器体系(ウェポン・システム)そのもののエヴァンゲリオン化──は真希波・マリ・イラストリアスによって固められたものだったのだから。水際立ったプロジェクト管理能力とはそれほどまでに高い効果を上げ得るものなのだ。

 

 今は、アスカからツッコミを受けながら、おちゃらけている真希波・マリ・イラストリアスではあるが、「頭が良くて真面目なら誰にでも務まる」と言い放った怜悧な顔もまた、相手構わず見せるわけではない、彼女の一つの側面なのだろう。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。