大人のエヴァンゲリオン   作:しゅとるむ

8 / 73
八話 ふたりぼっちの遠い日

アスカとシンジは結局、学校を辞めなかった。

だが、あの日以降、クラスの誰も二人に話し掛けて来ず、視線を合わせようともしない。二人の存在は透明になった。

 

アスカは勝手に席替えして、一番窓側の最後方の机を2つ確保した。シンジとアスカの新しい席だ。席の間を開けずにぴたりと机と机をくっつけている。

教師もクラスメートも誰も文句を言わない。声すら掛けない。転出騒ぎでクラスメートも減っていたし、勝手に作った列なので、同じ列に誰もいない。

 

アスカとシンジは小声で雑談し、その日の気分で授業と違う教科の勉強をし、気ままに読書をし、ノートに落書きをし、交換日記を試し、机の上でお互いの手をそっと握り合った。

 

教師にも一切叱られず、生徒たちからも腫れ物のように存在を無視されている自分たちには治外法権が与えられている気分だった。

 

「ほら、あーん」

「……ちょ、アスカ」

 

今日のアスカは朝買ってきたプリンを小腹が空いたと言って、授業中に堂々と食べ、シンジにも口を開けと促す。さすがにシンジは教師や前方の生徒たちからの視線を気にするが、教師は目を向けようともせず、生徒も誰も振り返ろうとすらしない。

 

(本当に、僕らは居ないのと同じなんだな)

 

そう思うと、寂しさと同時に空虚を満たしたいという食欲のようなものが彷彿と湧き上がってきて、シンジは口を開いた。すかさず、アスカが自分が口をつけたスプーンですくったプリンをシンジの口許へと運ぶ。

 

「美味しい?」

「うん……まあ……コンビニプリンの味わいだね」

「コンビニプリンだからねー。でも美味しかったのなら、もう一口あげる。はい、あーん」

 

そんなやり取りを何回も続けていると、何も聞いてない素振りだった、前方の席の男子と女子の耳が赤くなっていることにアスカは気付いた。

 

「ほら、シンジ」

「な、何?」

 

アスカがあごをしゃくった方向に、シンジが目をやると彼女はひそひそと言った。

 

「あの子たち、耳が赤くなってる」

「そ、そうなの」

「うぶで可愛いわよね~」

「うん……」

 

アスカが訳知り顔で大人の女ぶった批評を述べる。そしてすぐ横のシンジを見て、

 

「そういえば、アンタもうぶで可愛いわよね」

「え?」

「どういう意味だと思う?」

「さ、さあ……」

「色々、上達が遅いって言ってんのよ。ったく

なんで女にリードさせてんのよ」

 

アスカはゲシゲシと隣席のシンジの椅子の脚を蹴る。

 

「そ、そういう話は……ここでは……その」

「あ、シンジの耳まで赤くなった」

 

会話が静かな教室内に浸透すると、初めて静かなざわめきと囁きが起こった。

 

「うわ、生々しい……」

「……マジかよ……」

「やっぱり、ススんでるんだ……」

 

それをよそに、アスカは肘の上に顔を寝そべらせて、シンジの顔を眺める。

 

(初めて会ったときと同じ冴えない顔してるけど、たまにちょっとだけ可愛く見えるのよね。身体を重ねて情が移ったのかな?)

 

─身体と身体の繋がりがあるのは良いことだ、アレが自分のモノだと実感できる。

 

だから、アスカは今日もシンジと寝る。

 

 

その夜の事だったか。いつもの日課の仲良し(セックス)が終わって、気怠さの中、シンジはアスカにしがみつきながら、既にウトウトし始めている。アスカは、まだ熱い息が身の内にある気分で、同衾するこの男の子と話をしたかった。

 

「シンちゃん、ほら、終わったからって、まだ寝ないで」

「ん、んん……」

「ほら起きて」

 

と少年の髪をクシャクシャに弄りながら、無理やり彼を起こす。

 

「ああ、ごめん……すこし眠くなっちゃった」

「男はそういうもの、みたいねぇ。ま、今日は回数、頑張ったから、しょうがないけど」

 

よしよしと、アスカは褒めるように頭を撫でてやる。

 

「う、うん……がんばったよ……僕」

 

シンジは上目遣いで甘えるような声を出して、アスカを見る。

 

「……そういえば、アンタ、気になる女の子がいるって言ってたわね。恋愛相談に乗って欲しいって」

「ああ、うん……なんかそんな話したっけ……」

「じゃあ、今からこの惣流・アスカ・ラングレー様が相談に乗ったげる」

 

とシーツの中で胸を反り返らせるので、シンジは頭を掻いた。

 

(こんな真夜中に? アスカって……女の子って不思議だ)

 

「えぇ……まぁ、いいけど……」

「で、お相手はどんな子なの?」

 

ニヤニヤ笑いながら、アスカは尋ねる。

シンジは一瞬、眉を顰めざるを得ない。

 

(もちろん知ってるくせに。やっぱり、アスカって分からないや)

 

アスカのこのからかいには、その夜の仲良し(セックス)で、珍しくシンジに主導権を握られた事へのささやかな復讐の気持ちもある。

 

「あの……とても気が強くて、しょっちゅう怒ってる。バカって毎日言われる」

「あらまぁ、それは脈なしなんじゃないの。可哀想に。シンちゃんの片想いで失恋かしらね」

 

悪戯っぽい表情をして、シンジのほっぺたをつつく。シンジは恨めしそうにアスカを見る。

 

「そんな事言わないでよ。アスカに言われると、なんだか胸がズキンと痛くて苦しくなるよ……」

「まぁまぁ。あくまで可能性の指摘だって」

 

よしよし、とアスカがまた頭を撫でてやると、シンジはまだとろんとした目を時々閉じながら言った。

 

「でも、そうかも知れない……僕なんかじゃ。それなのに……ずっと優しくしてくれるんだ……だから、これからどうしたらいいのか、アドバイスしてよ」

 

寝台の上に流れるようなアスカの長い金髪に顔をうずめて、シンジは少し甘える。洗髪料の柑橘系のいい香りがする。いつものアスカの匂いだと思った。

 

「うーん、そうねぇ。何かプレゼントでもしてみるとか?」

「アスカは何が欲しいの?」

「アタシは、特に欲しいモノはないわね」

「あの……真面目に聞いてるんだよ? だったら何でプレゼントとか言うんだよ」

「あら、アタシじゃなくて、気になるあの子の話なんでしょ?」

「……」

 

シンジは嘆息して、首を左右に振る。

 

「……モノが欲しい訳じゃないわよ」

 

ボソッと呟いたアスカの声が、シンジの耳を素通りする。

 

「え?」

「何でもないわよ」

 

ニッコリ笑って、シーツの下でジンジと指同士を絡め合うようにして手を繋ぎ、

 

「んで、その子との仲は、どこまで進んでるの? 内緒にしてあげるから、アタシにだけ教えなさいよ」

 

そう、耳元で囁く声がシンジにはこそばゆい。

 

「……時々、いや、結構毎日のように、Hはしてるよ……だって誘われるから……」

「へぇアンタにしては、やるわねぇ。この色男。それなら、アンタの頑張り次第なんじゃないの?ほれ例えば……ココの」

 

と、アスカはシーツの下でもぞもぞと手を繋いでいない方のもう一方の手を動かし、シンジの足の付け根あたりを軽く(つね)る。

 

「ちょ、ちょっとやめてよ、アスカ。変なとこ触らないでって……」

「何よ。潔癖症ねえ、ほれほれ」

「も……もう怒るよ……」

 

アスカの悪戯な手の動きからシンジは身を捩る。

 

「真面目ぶっちゃって。本当はムッツリスケベのくせに。男なら、たまには自分からエロい事でもしてみなさいってーの」

 

アスカはそう言いながら、シンジに軽く蹴りを入れ、寝台の上で身体を動かして駄々っ子のように暴れてみせる。

 

「ちょ、ちょっとあんまり動かないで……このベッドは狭いんだから……」

 

その後、シンジはアスカを宥め、寝台の上のシーツを丁寧に整え直す。横で全裸のまま体育座りをして不貞腐れているアスカの方はなるべく見ないようにしながら。

 

「……やっぱりアスカはエッチじゃないか」

「世の中の男と女は皆、この程度の事はしてるものなのよ。……たぶん」

「そ、そうかなあ……?」

 

シンジにはそのあたりの男女の距離感が今ひとつ分かっていないのか、しきりに首を傾げている。

 

アスカはその様子を見て、頭を膝にもたせかけたまま、フフっと笑った。

 

シンジは自分で思ってるほどコミュニケーション能力が低い訳ではない。女の気持ちに鈍感な事を除けば─それは大抵の男がそうだろう─それなりに会話も出来るし、気分が乗れば気の利いた科白の一つも言ってのける。ただ自己肯定感が著しく低い上に、致命的にメンタルが弱いので、何かのきっかけで落ち込むと塞ぎ込んでしまうだけだ。

 

(……って、それはアタシも同じか。アタシとシンジはやっぱりおんなじだ)

 

「うーん、恋愛相談、結構新鮮で楽しかったわね」

「うん……。当人に色々言うの恥ずかしかったけど」

「え? 今のは、アタシの事だったの?」

「……アスカ」

 

とぼけるアスカの態度に、そんなのわかってるくせに、とシンジは嘆息する。

 

「そっか、シンちゃんはアタシに片想いしてるのかぁ、それは大挑戦ですねぇ」

 

それは明らかにからかいの口調だったから、シンジは首を横に振る。

 

「でも……こんな事を毎晩してても、片想いだと思ってるのは、本当に本当だよ」

 

アスカの真っ白な裸身にちらっと視線を走らせ、シンジは頬を紅潮させているが、淋しげに俯いた様が真に迫っており、アスカは思わず絶句する。

 

「う……なんでよ」

 

深刻そうなシンジの横顔に、遊び気分だっただけのアスカは怯まざるを得ない。

 

「だって、アスカがどうして優しくしてくれるのか、分からないから」

 

分からないから不安になる。分からないから想いが通じ合えている確信が持てない。

 

「それは……りょ、両想いだったりする可能性もあるんじゃない?」

 

慌ててフォローするアスカの言葉に、シンジはあははと詰まらない冗談に応じるように乾いた笑いをして、

 

「本当に、そうだったらいいのにな……」

 

とぽつりと呟いた。それがアスカには本当にひとりぼっちに見えて。

 

「げ、元気出しなさいよ!あ、もう一回『仲良し(セックス)』……する?」

「気になるあの子、に悪いからやめとく」

「むむむむむむ……」

 

 

(こんちくしょう……)

 

ネルフ作戦部長、惣流・アスカ・ラングレーは路肩に車を止めて、目頭を押さえる。昼休みももう終わろうというのに、帰路、運転中にさ迷った心の迷路に動揺が抑えられなくなっていた。

 

過ぎ去った青春の日々は、バカバカしくも、エロくて甘くて、少しだけ切なくて、シンジとの間に、今ではすっかり忘れてしまっていて、もう手に入らないような気持ちの通い合いがあったのだ。

 

(そうだ。別に、ずっとセフレな訳でもなかった。恋人にはまだなれていなかったけど、アタシとシンジは友達で、親友で、お互いに惹かれていて、毎日遊んで、毎日のように同じベッドで寝て、一緒に笑って……仲良し(セックス)をした日もしなかった日も、仲良しだった。……いつか、一緒になれるとどこかで感じていた)

 

あんな事にさえならなければ。そして、あのまま、ちゃんとシンジとずっと一緒に居れたのなら、今頃はきっと……

 

取り返しのつかない過去を悔やむように、アスカはその後の、松代で過ごした苦しく寒い季節を思い返し始めていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。