気怠い体をベッドから起こす。
窓の外を見た。魔法の森らしい湿気た霧雨だ。嫌な天気だ。
私の名前と同じ天気だ。
陰鬱な気分で魔法のとんがり帽子を手に取る。
「今日は、休むか」
霧雨魔法店は、本日は休日だ。
「休日だから、と言って何もしないのは勿体ないな」
このまま二度寝をしてしまいたい。だがそうして仕舞えば、休日はそれでお終いになってしまう。
寝起きの身体を引き摺るようにして身支度をした。外出する予定も、人と会う予定もないのにだ。
台所に立ち、ヤカンでお湯を沸かした。急須に湯を入れて窓辺のテーブルに移った。緑茶だ。渋くて眠気が程よく取れる。
「虹が見れそうだ。眺める分には良い景色なんだがな」
じっと霧雨を見ていると、眠気に襲われる。緑茶より珈琲にするべきだったか。
「あー駄目だ怠いぜ。やっぱり二度寝するか」
席を立った瞬間、ドアをノックする音がした。
「霧雨魔法店は本日閉店だぜ。一昨日お越し下さい」
玄関を開けると、番傘を差した霊夢が目の前にいた。
「だが、雨宿りなら構わないぜ。雨だからな」
「ありがとう。そうさせてもらうわ」
机を囲んで向き合う私たち。霊夢は暫く無言でお茶を飲んでいたので、私から話を振ってみる。
「なあ霊夢、何か用があるんだよな?」
「そうよ」
「じゃあ、その用向きを教えてくれないか」
「霧雨魔法店は休日なんじゃなかったの?」
「お前は客じゃないだろ」
「それもそうね」
「で、何用なんだ?」
霊夢はまた黙り込んでしまった。何かを言い出せずにいる。そんな感じだ。気不味いのか、或いは口に出すのが憚られるようなことか。
「あんたの父親に伝言を頼まれたの。『家に帰ってきて欲しい。顔が見たい』ってね」
「そいつは笑えない冗談だ」
なぜ今更? 疑問だけが浮かんだ。親子の縁は切った間柄だ。私に家族は居ない。
「私の家族だという奴らに伝えてくれ、人違いですってな。私はお宅らの娘じゃないと」
「意固地ね」
霊夢の伝言は、否応なく古い記憶を蘇らせた。私の父親だった人の記憶だ。父はいつも優しい微笑みを見せる人だった。悪しき事を咎め、良く在るように説く人だった。
「気を毒したかしら?」
「そうだな、胸が痛いぜ」
「魔理沙の家族って」
「面白い話じゃないぞ」
「分かってる」
思えば家族について霊夢に話したことはあまりなかったな。
「私の両親は絵に描いたような商人の夫婦さ。良い両親だったと思うぜ」
記憶の中から、在りし日の家族が思い浮かぶ。幸福に満ちていた訳ではなかった。そのかわり、不幸や残酷さとも無縁な日々だった。
「勘当されたのは、私が魔法に手を出したからだ。良し悪しで言えば、悪かったのは私だな」
両親は魔が差した子供を叱るように、怒りと悲しみを綯い交ぜにして私を諭したっけな。
「魔法は外道だ。父は私が魔の道に進むのを良しとしなかった。当然だ。私だって自分の家族が魔法に手を出したらキツく言ってやめさせる」
私が家を出たのち、玄関口で立ち尽くしていた両親の表情を思い出した。
「魔法を修めるなら、人間の里には居られない。幼いガキが家出したって、連れ戻されるのがオチだ。だから、私を勘当したって父が喧伝したのは私への優しさだったんだろう」
当時の私はその優しさに気付けもしなかったがな。
「私は、本当に残酷な事をしたんだと後になって気付いた。娘の夢か、親子の縁か、私は両親に二択を突き付けたのさ」
「それでも、私は魔理沙を説得するように頼まれたわ。例え親子でなくなっても、他人になった訳ではないでしょ」
他人でなし、親でなし。
「しかし気が乗らないぜ。今更お互いどの面さげて会えって言うのさ?」
分からない。顔を合わせたって、何か変わるようなこともないだろうに。
「私も一緒について行ってあげるから、顔を見せにいきましょう」
雨は小雨になっていた。人間の里の霧雨店前に私はいる。霊夢に諭されてここまできたのだ。
「なぁ、霊夢。父は」
「店にいるわ」
「そうか」
どう入店したものか考えあぐねて立ち往生していた。やはり、帰ってしまおうか。逡巡していると、店から高齢の男が出て来た。瞳には驚きの色が見える。
「おかえり」
聞き覚えのない声だった。記憶の声とは様変わりしていた。それでも、彼が父なのだとその一言で理解した。
どう返事をすれば良いか分からず、沈黙した。必死に返事を考えた。だが答えが出る前に、私の口が勝手に動いていた。
「ただいま」
それ以上の言葉は何も浮かばなかった。私たちは無言で別れた。
父が病で亡くなったと聞いたのは、それから数ヶ月した頃だった。私は何も知らされずに、勘当娘らしく爪弾きにされていたようだ。
何故黙っていたのかと霊夢に問うと、彼奴は淡白に言い放った。
「私の口から伝えるべきことじゃないでしょ」
「……確かにその通りだぜ。気遣わせちまってすまんな」
不思議と、悲しみは湧いてこなかった。
切れていた縁がなくなっただけだ。清々していた。だがその清々しさが一層空虚を感じさせた。私の心は晴れやかだったが、だからこそ虚しかった。
顔を伏せて目を瞑ってみた。悲しみを探したがやはり、私の心の何処にもそれは見つからなかった。
目を擦ってみた。泣けそうな気がしたが、涙は出なかった。
空虚だ。何も感じない。それを霊夢に悟られてしまいそうで、私はしばらく彼奴とは顔を合わせられなかった。
父が亡くなってから丸一年が過ぎた。今では魔法の研究に没頭している。私の胸に空いた空虚に、魔法がすっぽりと収まったのだ。
初めの頃には、多くの知り合いが私のことを気にかけて、普段とは違ったギクシャクとしたやり取りがあった。
アリスや成美、霖之助なんかが私の店まで足を運んだりした。あのパチュリーまでもが私の元に来た。
みんなは私の顔を見るなり異口同音に、私には休養が必要だと言った。みんなはそれぞれ、私に向けて何やら色々な言葉をかけてくれたが、それらは全て耳から抜け落ちて頭に入らなかった。
だが、魔法の研究は順調に成果を上げた。自分が夢見た通りの理想の生活を送れている。丸一年経って喪失感も安らいでいた。
「なあ霊夢、頼みがあるんだ」
だからふと、知りたくなった。
「何かしら?」
「私の母に伝えてくれないか。『会って顔を合わせたい』って」
「どういう風の吹き回し?」
「私にも分からん。多分ただの気まぐれだ」
「気まぐれねぇ……まあ、伝えておくわ」
「手間をかけるな、ありがとう」
母は父を亡くして悲しんだのだろうか。もし私みたいに空虚を感じたなら、母はそれを何で埋め合わせたのだろうか?
「素晴らしいと思うわ」
「むず痒い世辞はやめてくれ。アリスらしくないぜ」
研究レポートを一読したアリスは、真顔で言った。
「世辞じゃないわ。こんな研究を見たのは初めてだし、丁寧で面白い内容よ。他とは違う、光るものがあるわ」
帽子を深く被り直して視線を遮る。直球で評価されるのは慣れてない。
「魔理沙、貴女は間違いなく天才の類よ。今はまだ有望な若者に過ぎないけれど、貴女には至るべき将来がある。だからこそ惜しいわ」
恐らくはアリスにとって最大級の賛辞なのだろう言葉が、私の心を揺らした。
「魔法使いにならない? 私に貴女の魔法の続きを見せて欲しい」
私は考えた。魔法は好きだ。家族も捨てた。引き返せないところまで、既に来ているはずだ。
「何か心残りがあるの? 人間であることに執着する何かが?」
「いや、何も浮かばん。だが何故か嫌だ。言葉にはできないが、嫌なんだ」
「どうだった?」
「それが……」
母に伝言を伝えてくれた霊夢が、言い淀んでいた。それで結果は容易に予想できた。
「歯切れが悪いぜ」
神妙な表情で、霊夢が口を開く。
「会いたくないそうよ。魔理沙とは顔を合わせたくないって」
「なるほどな、そりゃそうだ」
葬式も知らされなかったし、霖之助にも口止めしてたんだから、つまりそうなのだろう。
「これから会うたびに何度か説得してみるから」
「大丈夫だ。そこまでする必要はない」
「でも」
「伝言ありがとよ。確か茸酒があったはず。駄賃がわりに持って行ってくれ」
終始歯切れが悪い霊夢に酒を押し付けて、半ば追い出した。
ドアを閉めた時、窓に映った自分の顔が目に入った。母親に顔も見たくないと突っぱねられたのに、悲しくないのか?
自問したが、窓の中の私は無表情だった。
唐突だが、霧雨魔法店には天文台が併設されている。屋根裏を突き破るようにして増設したのだ。
魔法の森の中では光害の心配もなく綺麗な星空が観測できる。普段は天体観測に使うが、今日はそうではない。星空が良く見える場所で酒が呑みたくなっただけなのだ。
ドーム状の天文台の上に腰かけて、酒に口をつける。
星空は美しい。天体観測の記録を読むと、いつだって定まった仕組みに従って運行しているのが目に見える。
残酷なまでの美しさだ。私がどんな感情を持って空を見ても、常に変わらないロジックがそこにある。機械仕掛けか何かのように精密で、それでいて動的で変化に富んでいる。そして尚、根本の原理が変わることはない。
頭上に展開されているこの壮大なシステムを思うと、胸が空くような思いだ。
大いなるものが目に見えるようにあり、私がそれを思うことができるということ。
なんて思っていると、一升瓶が空になっている。これで何本目だったか? 腰を上げようとしてフラつき、また座り込む。
「立てないな」
箒を手に取り宙に浮く。立てないなら飛べば良い。しかし、UFOみたいな吐き気を誘う機動で地面に落下した。落下速度は魔法で減速させたので、衝撃はベッドから寝相悪く転げ落ちた程度だ。
「ああ、畜生」
だが何故か体が動かなかった。新しい酒を取りにいかなきゃならんのに、立ち上がれない。意識が夢のようにぼやけていく……
「ねぇ魔理沙。説教してもいいかしら?」
怒り顔の霊夢に睨まれていた。
「本当に心配したのよ。ボロ雑巾みたいになって意識の無い魔理沙を見つけた時は何があったのかと」
砂利や汚れが洗い落とされ、肩や背中が包帯でぐるぐる巻きにされていく。身に覚えのない傷が身体中にあった。満身創痍だ。
「相当な深酒をしたからな」
溜息が返ってきた。
「にしてもこの有様は……熊と相撲でもしたの?」
「記憶がないんだ」
「でしょうね」
非難めいた霊夢の視線を感じて、目を合わせられずにいた。目と目を合わせてしまうと、私が考えていることがバレてしまいそうで怖かった。
「ねぇ魔理沙、私の目を見て」
残念ながら、目を合わすまでもなく私の心は筒抜けていたようだ。
「あんた、魔法使いになるつもりでしょ」
「バレたか」
私の様子がずっとおかしいこと、急に魔法の研究に打ち込み始めたこと。霊夢は一つずつ指摘していった。
「全て遡ると一年前ね。あんたの父親が死んだ時からよ」
「そうだな。その時からだ。私は魔法使いになる準備を始めた。捨食・捨虫の魔法を研究し始めたんだ。昨日深酒したのは、打ち上げだったからだな」
「打ち上げ?」
「完了したのさ。まだ実行してはいないが、魔法使いになるための準備ができた」
霊夢が私の肩を掴んだ。
「止めるのか?」
「いいえ」
意外にも、霊夢は穏やかだった。きっと断固として反対されると思っていたのだが。
「ただ、理由が知りたいわ」
何故人間ではいけないのか。そう問われた。
「告白するぜ霊夢。私は父が死んだ時に、何も感じなかった。悲しみも何もかもだ。少しだけの虚しさがあったぐらいだ」
そう、虚しさだけだった。
「そんで、自分が心底魔法が好きだって分かった。父の代わりになるぐらいにな」
本心だ。魔法の研究に没頭してからは虚しさも感じない。
「私は魔法が好きだ。ずっと学んでいたい。それだけだ、他意はない」
「ダメよ」
にべもなく否定された。
「ダメダメよ。そんな理由には断じて同意できないわ」
「なんでだぜ」
「魔理沙にはいま魔法しかないから、視野が狭くなっているだけよ。人間の人生は長く、学びが尽きることはないわ。魔法を学ぶために人間を辞める必要なんてないのよ」
「だが、魔法使いになればもっと長い時間が手に入るんだぜ?」
「でもその時間にはきっと価値が無いわ」
霊夢は断じて言った。
私たちは価値をその希少さで感じるのだと。時間を大事で価値ある物に感じるのは、時間が限られた人生を生きているからだと。
もし私が魔法使いになって、無限に近い時間を得れば、時間の価値は無限に暴落する。霊夢はそう説いた。
「魔法使いになりたい、それは大いに結構よ。でもその理由が時間が手に入るからってのは聞き捨てならないわ。それは理由にならないのよ」
「だが私たちが時間に価値を感じるかどうかはあくまで気持ちの問題だろ。十年と百年じゃ得られる成果は実際に異なるはずだぜ」
溜息をまた吐かれた。
「魔理沙が魔法使いになりたい、魔法が好きだって言うのは、魔理沙の気持ちの問題じゃないの?」
ぐうの音も出なかった。
「魔理沙の気持ちから始まった夢を叶えるのに、魔理沙の気持ちを満たせなくて何の意味があるのよ」
何も言い返せない。
「魔理沙が今のまま魔法使いになったらどうなるか予言してあげるわ。無限に近い時間を得て、全てを無意味で無価値に感じて、惰性でダラダラと魔法をこねくり回して、延々と満たされる事のない作業のような人生を送ることになるでしょうね」
凄く、あり得そうだ……。
「そういう訳で、私は魔理沙の決断には反対よ。もし私を納得させられる理由が見つかれば何も言わないわ。でも、そうでなければ私はアンタが魔法使いになるのは認めない」
「認められなくても」
「その時は」
ゾッとするほど冷たい声が、耳を撫でた。
「殺すわ、魔理沙を」
「っ……!?」
「その方が、きっと慈悲でしょうから」
アリスに霊夢との顛末を伝えた。そして私の心変わりも。
「決心が揺らいじまうんだよ。霊夢と話すといつもそうなんだ」
「で、どうするの?」
「魔法使いになるのは暫く保留だな。霊夢の言うことに理がある。魔法の研究は今のまま続けるさ」
「分かったわ」
アリスはそれ以上は何も言わなかった。だから私から聞いてみることにした。
「なぁ、アリスはどうして魔法使いになったんだ?」
アリスは私にとっては魔法の先達だ。先行く者の言葉を聞きたかった。
「理由はないのよ」
「えっ?」
「寝ても覚めても人形を作ってたわ。するうち食事をするのが億劫になって捨食の魔法を身につけていたの」
「え、え?」
「で、歳をとると指が上手く動かなくなったり目が悪くなったりするでしょ。それだと人形制作に支障が出るから捨虫の魔法を片手間で身に付けただけなの」
「いや、あの」
「捨食と捨虫の魔法を学んだ人間を魔法使いって呼ぶって後になって聞いたわ。人間のつもりだったから驚いたわよ」
「……く、ふふ」
耐えられず吹き出した。笑いが止まらない。全く私が滑稽で堪らなかった。目が覚めたような気分だ。
「魔法を学んでいたら魔法使いになっていたんだな」
敵わない。心底そう思った。アリスは魔法使いなのだ。私はまだまだだ。
「見ててくれよな、アリス。私は絶対立派な魔法使いになるからさ!」
「ふふふ、期待してるわ」
手紙を書いた。自分の近況と、魔法の研究内容や進捗についてだ。『文々。新聞』の記者をしている文に頼み込んで、毎月決まった日に人間の里の霧雨店に届けてもらっている。
母が読んでくれているかは分からない。捨てられていても構わない。けど、欠かす気はないし辞める気もない。まずはここからなんだ。
自分が学んでいることに胸を張れなきゃ、魔法使いにはなれない。それに、家族でなくなっても繋いでおくべき縁はある。
認められようだとか、縁を戻そうとは思わない。ただ、私が何をしているのかだけは、知って欲しかった。
窓の外を見る。魔法の森らしい湿気た霧雨だ。良い天気だ。
私の名前と同じ天気だ。