地霊殿でしばらく休んだ後、さとりは約束通り、正午前に阿求を地上へ送り帰した。
火焔猫燐と名乗った火車は阿求を人里まで送り届けるとすぐさま姿を消してしまった。主の下へ帰って行ったのだろう。ひとり残された阿求は、泣き崩れる両親に抱きしめられて困惑している小鈴の姿を発見し、一応事件が解決したことに安堵した。その過程に如何ほどの不満があったとしても、結果としては元の生活を取り戻すことができたのだ。
事件の解決に奔走し始めてからまだ丸一日しか経過していない。未だかつてこれほどまでに長い一日を過ごした経験は阿求には無かった。
疲労とともに不思議な余韻に浸っていた阿求だが、その余韻も長くは続かなかった。里の入り口付近に続々と妖怪が集まって来ていたからだ。そういえば今日は祭りがあるとさとりが言っていたな、と阿求は思い出す。
それにしてもあまりにも急だ。人里の代表として居座っている阿求も祭りをやるだなんて昨日初めて知ったくらいである。
しかしこれらに疑問を抱いているのは周囲を見渡す限り阿求一人だけのようである。里の住人は当たり前のように祭りの準備を進めているし、門番たちも妖怪が集まってきているのが当たり前のように接している。
「怖いかしら?」
突然背後から声を掛けられた阿求は距離をとりながら急いで振り返る。そこにいたのは神出鬼没のスキマ妖怪だった。
「今日このような祭りを催すなど私は知らされていなかったのですが……里を巻き込んだドッキリ企画でもやるつもりですか?」
外の世界にそのようなおかしな風習があることを本で読んで知っている阿求はそう尋ねる。自分だけが何も知らされていない状況になっているのだからこのような考えに至るのは至極普通であろう。
しかし、紫から返ってきた答えは彼女の予想していたものとは随分異なっていた。
曰く、祭りがあることはここの人間たちも今日初めて知ったらしい。
そんなはずはない、と阿求は考える。もし本当にそうであればこのように落ち着いて準備が進められることは無いはずだ、と。
「祭りというものは本来当日に準備が始まるものでない。このように急ピッチで事が進んでいる、ということはつまりそういうことなのです」
「ですが、当日に知らされて『はいそうですか』と当たり前のように準備が進むのもおかしな話でしょう。里の外にいる妖怪たちも、そしてここに明らかに妖怪然としている貴方を誰も見咎めないことも、何もかもが仕組まれていたからなのではないですか?」
昨日まで恐怖と混乱の最中にあった人里がたった一日で落ち着いているのも変な話だ。
「これが、これこそがさとりの持つ特殊で最も危険な能力である洗脳と呼ばれるものです。さとりは催眠と呼んでいたかしらね。ともあれ貴方が地霊殿で眠っている僅か数刻の間に彼女はここの人間を全てこのような状態に変えることができるのです」
阿求は絶句した。
「彼らは今日祭りがあることを予め知っていた、妖怪が参加することも当然だと分かっている、という風に記憶が書き換えられている」
「何故……どうして彼らはそれが異常だと思わないんですか? 妖怪が里の中に入ってくる事の危険性は誰しも知っているはずです」
普段なら人里に住みついている妖怪にさえ猜疑の目を向けるような人々が、今は妖怪がいて当たり前のように接している。赤蛮奇や多々良小傘といった者たちも人間の接し方の変化に何の疑問も抱いていない様子だ。
「それこそが洗脳の効果だから、と言っても貴方は納得しないでしょう。そうね、もし世界が五分前に始まったと言われたら、貴方はどう考えるかしら?」
「有り得ません。私には今生の十余年に加えて千年近く前の出来事も知っているのですから」
当然阿求はそう答える。阿求でなくても全ての生物がその仮定を否定するだろう。この世界に生きるモノのほとんどは五分以上前の事を記憶として、歴史として持っているからだ。
しかしそこに洗脳が活きてくる。超存在によって五分前に作られた世界や生物が、歴史や記憶をあって当然の物だと思い込む。本当は五分前に作られたのに十年前の記憶を植え付けられる。そうすると誰も五分以前に世界が存在しなかったなどとは考えないのである。
「貴方は立派に洗脳にかかる頭を持っているようね。当人が気づけないからこそ洗脳は効果を発揮する。彼らは今、祭りがあることを知っていたが準備を忘れていた、というような認識を植え付けられているのでしょう。自覚できないから誰も真実を知り得ない。この私をして恐ろしいと言わしめる存在はまだ彼女以外いませんわ」
紫の言う恐ろしさ。それは阿求にも容易に理解できるものだった。自分が今本当に自分の意思で行動できているのか、自分の思考は自分自身のものなのか、それすら正しく判断できかねる。アイデンティティの喪失を引き起こすことさえ容易だということだ。
「今回の祭りの事を言い出したのはさとりからだったわ。地上で、地底の妖怪も参加させる祭りを開催する。思わず正気を疑ったけれど彼女の意思は固かった」
さとりは数年前から鈴奈庵にとある本を忍ばせ、それをきっかけにして今回のようなミステリーごっこをする算段だった。紫が守矢神社を勧誘しに外へ出ていた頃から決まっていた計画だ。
「思わぬタイミングで現れた守矢神社の現人神のおかげで祭りは元の計画より盛大になるわ」
いつの間にか祭りの準備は終わっていたようで、屋台に行列ができ始めた。阿求と紫が話している井戸端の周囲にも何故か人が座り込み始めている。人々や妖怪たちが何を待っているのか、阿求にはさっぱり分からない。しかし紫にはわかっているようで、微笑を浮かべながらある方向を見つめている。
「来た」
その声と同時に人混みが割れた。モーセが海を割ったように、奇跡の申し子が人混みを割って歩いてきた。
「さとりが計画し、河童が造り、私が顕現させる。早苗は舞台装置の一部。いてもいなくても結果に一切の影響はないけれど、その奇跡を目の当たりにした民衆の信仰は守矢へ流れる。だから守矢もこれを承諾した。……さあ、今こそ奇跡は成る。刮目しなさい、阿求」
さとりが仕込んだ一冊の本。それは小鈴を誘拐するための一手であり、早苗*1を人助け目的で人里に呼び寄せるための一手となるはずだった。しかしフランドールの想定外の阿求誘拐が発生し、完全に無駄なものとなってしまった。当初の計画からはかなりのずれが発生したとはいえ、最終的な結果はさとりの求めるものとなった。
計画通りに周辺の家を襲って簡易的な魔法陣を描き、それを起動させる。起動のための魔力の二割ほどは紫が賄い、残りは大量に集めた妖怪達が補う。もちろん後者に合意などないが、地上に出るという褒美への対価としてあくまでも正当な量を奪っている。
ある程度魔力を奪っておけば仮に地上で暴れるようなことになっても問題なく対処できる。魔力を奪って急に倒れ込まないよう初めに座らせておく、という変な気遣いも忘れてはいけない。
仮にこれでも魔力が足りなければ紫が自身の魔力からさらに幾分かを補う形となる。
紫の宣言と共に頭上に現れた巨大な魔法陣に驚く者は阿求と早苗以外に誰もいない。
早苗はあくまでもそれらしいふりをしているだけであり、実際には何もしなくて良いと両神から言われている。そんな状況でこのような魔法陣が突如出現したとなれば*2、彼女が知らぬうちに奇跡を起こしていたのだろうと考えても仕方ない。早苗は自身の起こした(と勘違いしている)奇跡に驚いていた。
「顕現せよ……ヒソウテンソク」
膨大な量の魔力が吸い取られ、徐々にソレが形になってゆく。
バタバタと倒れ伏す妖怪たちの頭上に、雑誌で見たことがあるような巨大なロボットが姿を現した。
――――――――――――――
「何故このような騒動を引き起こしてまで祭りを開催したのでしょうか?」
探偵ごっこが終わってしばらく、阿求を休憩室へ案内させた戒が戻ってきて開口一番そう尋ねてきた。
私がここまで祭りの開催をしたかった理由……それは非常に単純なものだ。
「私が引退するためよ」
叛逆してくる可能性のある地底の妖怪どもの力を軒並み低下させる。いずれ力は戻るだろうが、その頃には戒もある程度まともに仕事ができるようになっているはずだ。それだけの教育はしてきたし、それに間に合うだけの力は削ぐつもりだ。
「……あまりにも急ではありませんか? 私にはこれほどまでご隠居を急がれる理由がないように思いますが」
「確かに理由はないわ。でも私はできる限り早く引退したいのよ」
そのために仕込みや準備をしていた。今回たまたま上手くいっただけで、阿求がもっと早くに行動していれば魔法陣は完成しなかった。そうなっていれば私の引退は十年、数十年先になっていたかもしれない。
もちろん引退したからといって完全に何もしないわけではない。現在戒が行っている執務の手伝いもするし、私の仕事の一部もこれまで通り行うつもりだ。
ただ地底の為政への口出しを完全に無くす。それこそが目的だ。私の痕跡を表から完全に排除する。平穏な生活を送ってみたいのだ。
「理解できません。今の私では主人の頭脳の足元にも及びませんよ」
「それで構わないわ。元より貴方が私を超えることは不可能なのだから。それに多少おバカでも貴方は私の式神。そこらの鬼やらとは比べ物にならないほど賢いわよ」
流石に萃香には劣るけれど。あれは私の頭脳よりもさらに先を行く、紫さんに勝るとも劣らない天蓋の化け物だ。彼女とは比べなくて良い。
私と彼女を除けばもう戒を超える者は地底にはいない。守矢の神々と関わらなければならなくなるのは少し酷かもしれないが、それでも何も知らなかった昔の私よりはよほど上手く地底を捌いてくれるに違いない。
「私の仕事はこれでお終い。祭りが終われば正式に引き継ぐわ」
折角上手く事が進んだのだから逃すわけにはいかない。
河童に作ってもらったヒソウテンソクは早苗さんを虜にするのに十分な魅力があるはずだ。
毎年やればその分地底の戦力を削ることができるが、催眠をかける私の精神的、肉体的疲労は過去一番かと思うほどのものであるし、戦力を削りすぎれば今度は地上からの支配に警戒しなければならなくなる。何事もほどほどが一番だ。
河童は今回の制作を活かして新たな技術開発を進めるだろう。
人間も妖怪への対応が多少穏やかになるかもしれない。
守矢も今回のお礼に、地底への干渉を減らしてくれるとありがたい。
紫さん……私は一足先に胃薬同盟から抜けさせてもらおう。いつかただの友人として
「戒、貴方は以前の私のように一人で抱え込まなくて良い。不安な事があれば私たちが支えるわ」
面倒ごとは分け合って、時に押し付けて、貴方なら必ず私より上手く対処できるわ。
リアルの事情に一切関係なく、もう完全に筆が進まなくなったのでここで打ち切り完結にさせていただきます。終わり方は過去最悪の出来と自覚していますが、もう書けないので許してください
本当はもう少し書きたい話もあったりします。さとり様と神子様の話とか。白蓮とも絡ませたくはありました。気が向けば追加する可能性もゼロではないです
何にせよ最悪ここまでは書きたかったので書ききれたことには安堵しています。納得はできませんが、それは私よりも読者様方の方が強いと思いますのでこれ以上は言わないことにします
二年前に始まったこの続編ですが、前作と比べて投稿間隔が非常に長くなってしまいました。ここまでの展開自体は終わらせ方以外初期からあったのですが、如何せん筆が乗りませんでした。毎話毎話本当にお待たせして申し訳ございませんでした
感想やお気に入り、評価もとても嬉しかったです。ありがとうございました