下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話   作:散髪どっこいしょ野郎

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スティルインラブif ハッピーエンドになれなくても極彩の闇を掴んだ話

 

 

《へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも()ち壊して見てえなあ》

 

"葉山嘉樹『セメント樽の中の手紙』

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「さて、と」

 

 

 トレーナー試験の結果発表日になっても、心臓は平調を保っていた。

 

 ベッドから起き上がりシャワーを浴びてから歯を磨く。朝食は食べたり食べなかったりまちまち。まあどうせ吐くのだが。

 

 居住する安アパートの階段は一部が腐食していた。こういう所は大家に報告すべきことなのだが、ここの大家は無気力なヒトだ。伝えても無駄だろう。それに、ここに住んでいてこんなあからさまな欠陥に気づかないことなんてない筈だ。

 

 歩みを進めると到着。合格していればの話だが、今日から俺の命を捧げる場所となる。

 

 

「今日こそ合格……今日こそ合格……」

 

「あぁ~……ドキドキする……!」

 

 

 中央のライセンス取得は非常に狭い門だ。某難関大学並みに合格が難しいとの話も聞く。それでも俺の心臓は平調を保っていた。

 

 辺りにいるのはうわごとのように何事かを呟きしゃちこばるヒトだったり期待と不安をない交ぜにした表情を浮かべるヒトだったりと、かつてないプレッシャーがその場を支配していた。

 

 数分後。

 

 

「やった……!やった、やったよ母さん……!」

 

「……ダメ、だった」

 

 

 歓喜と落胆の坩堝。狂気的なまでの感情群がトレセン学園に満ち溢れる。俺はそんな中でもゆっくりと自分の番号を確認し、手元の紙と照らし合わせた。

 

 

「合格か」

 

 

 高揚感は思っていたほど無かった。まあ、それも当然か。

 

 俺がトレーナーになったことに深い理由は無い。夢を持てない奴が輝ける世界じゃない。ここは、そういう場所だ。

 

 まあ日銭を稼ぐ手段の一つとでも考えればいい。ダメだったら、違う生き方を模索する。人生なんてそんなものだ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「さて、と」

 

 

 トレーナーになった。なら次は担当ウマ娘を見つけなければ。

 

 寮の部屋は中々に広く快適。清潔にしても虫が湧いていた前のアパートとは違い、福利厚生がキチンとしている。

 

 英気を養うために軽く朝食を摂り、吐き出してから俺は自室を飛び出す。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……手厳しいな」

 

 

 何も進展せず数日が経過した。

 

 中央のトレーナーとはいえ、俺はまだ新米。箸にも棒にもかからない男に選手生命を任せようとする物好きはそういない。俺がウマ娘でもこんな男は避ける。

 

 だからこそどうするか、考える。思考は知的生命体の特権だ。考えがてら……昼飯にするか。

 

 カフェテリアに足を運ぶ。流石中央と言うべきか、料理はどれも一級品。内装も広く、多くのウマ娘が談笑していた。

 

 

「いただきます。……ん?」

 

 

 目の前の餃子に手をつけようとする刹那、一人のウマ娘が視界に入った。

 

 

「気づかれてない……?」

 

 

 その子は調理スタッフに何事か声をかけて──おおよそ注文をしているのだろう──いるのだが、一向に反応が返ってこない。声も周りの喧噪に紛れて聞き取れなかった。とはいえ目の前にいるんだぞ?いくらなんでも……。

 

 

「はぁ」

 

 

 仕方ない。人助けなんて柄でもないが、視界に入ってしまった以上放っておくのは憚られた。

 

 

「あの」

 

「はいー!ご注文ですかー?」

 

「俺じゃなくて、彼女です。……何を頼みたいんだ?」

 

「……えっ?で、ではから揚げ定食を……」

 

「かしこまりましたー!」

 

 

 俺が促してようやく気取ったようだ。改めて嘆息し、自分の席に戻ろうとする。

 

 

「あ、あの……ありがとう、ございました」

 

「気にするな」

 

 

 頭に被ったベールが特徴的なウマ娘だった。

 

 

 ──心臓が鳴る。

 

 

「?」

 

 

 ?今俺は、何を……

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 自室は書類の山だった。そのどれもがウマ娘のレースに関係するもの。

 

 栄養学やらスポーツ医学やらトレーニング資料やら、果てには心理学まで、使えそうなもの総動員で事に当たっている。トレーナーになったら勉強しなくていいんじゃない。寧ろその逆だ。

 

 功績が無いなら、まずは手腕でウマ娘を納得させる。

 

 現在俺は学園のウマ娘数名を()()()として指導している。それで上手く走れるようになったら本契約としてトゥインクル・シリーズに挑む、というプランにした。

 

 そのために毎日思考をフルで回し、来たる選抜レースに向けてウマ娘を育てている。

 

 

「くぅう~……」

 

 

 伸びをすると体のあちこちから骨が鳴った。少し疲れたな。休憩ついでに散歩でもするか。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 今日は月が満ちている。夜の外界はちょうどいい気温で、散歩にはうってつけだった。

 

 正直、不安はある。俺のような夢無し男がどこまで行けるか。両親から逃れたい一心でここに来た奴に、頂点まで行ける資質があるのか。

 

 だが、どうせ大した生き甲斐は無い。これでダメだったとしても、悔いは無いだろう。

 

 そんなことを考えながら歩いていると開けた高台に出た。

 

 

「────」

 

 

 そこには一人のウマ娘がいた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

 またやってしまった。意識がようやく正常を取り戻す。寮長に心配させてしまう前に帰らないと。

 

 トレセン学園に入学してから度々こうなることがある。本能のまま、私は夜の道を走り続けていた。

 

 ことレースになると、私はワタシに吞まれてしまう。それ故に軋轢を生んでしまうことが多々あった。だから、抑えたいのに……。

 

 

「はぁ……」

 

 

 ため息をつきながらひとまず来た道を引き返そうとする。すると──

 

 

「振る腕がブレてるぞ。それと、体幹をもっと鍛えた方がいい」

 

「…………え?」

 

 

 音もなく、その方は佇んでいた。

 

 昼食時に助けていただいたトレーナーさん。何故ここに?

 

 

「え……あ……ど、どうしてここに?」

 

「散歩だ。お前は門限があるだろう?そろそろ帰った方がいいんじゃないか」

 

「……は、はい。ご忠告ありがとうございます」

 

 

 以降、無言。

 

 

「あ、あの……」

 

「なんだ」

 

「……どうかなさいましたか?そんなに、見つめて……」

 

「お前が帰るのを待っている」

 

「!し、失礼しました……」

 

 

 昼食の時からそうだった。音もなく、意識に滑り込んでくる。私が気づかぬ間に。しかし不快感は無い。かつて味わったことのない感覚だった。

 

 それからは子供を一人で帰すわけにはいかない、という理由でトレーナーさんと帰寮することになった。

 

 

「お前は」

 

「……はい……?」

 

「いつもここで走っているのか」

 

「……お恥ずかしながら」

 

「何を恥じる必要がある。ウマ娘なら走るのは当たり前だろ」

 

「いえ、私は、その……」

 

 

 二度。たった二度出会っただけの相手に、私は明け透けに自分のことを話してしまった。自己を律する理性と、ありのまま全てを喰らってしまいたい本能のせめぎ合いを。

 

 

「……先程も、私の走りで貴方を怯えさせてしまったのではないかと思い、動揺してしまい……」

 

「……これから」

 

「……はい?」

 

「これから毎日ここに来る。俺の主観だが適切な走り方を教える。お前がよかったらの話だが」

 

「え……え?」

 

 

 何故?そんな、たまたま遭遇しただけの私に、そこまで……。

 

 

「よ、よろしいのですか?」

 

「お前がいいなら、俺はそれでいい。担当もまだいないしな」

 

「…………」

 

 

 疑問符は尽きない。何故、どうして。

 

 

「それと、さっきの走りはまだまだ荒削りだけどよかった。綺麗な走りだった。見させてもらった礼だ。これくらいの時間でいいなら付き合う」

 

 

 ……あんな、はしたない、我欲のためでしかない走りを、このヒトは────

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 非合理だなと自分でも思う。偶然二回遭遇しただけのウマ娘に、ここまで入れ込むなど。

 

 仮契約のウマ娘全員には、よさげなトレーナーを紹介した。俺の頭にあるのは、彼女──スティルインラブのことだけ。

 

 もしも彼女がこの提案に乗ってくれなければこの決断も徒労に終わるが、俺はスティルインラブを担当ウマ娘に据える計画を立てていた。理由は分からないがあの容貌が脳裏に焼き付いて離れない。

 

 曰く、走っている最中に我を忘れてしまうことがあるらしい。もしそうなったら自分の名前を呼んでほしい。彼女はそう言っていた。

 

 

「……ふー……」

 

 

 けたたましい音を立てる目覚まし時計を殴りつけて起き上がる。

 

 担当がいなくても仕事はある。調べ物も無限に出てくる。

 

 

「…………ぅ、えぇっ、」

 

 

 今日も朝食チャレンジは失敗。いつになったら俺は学ぶのか。思えばここも非合理だな。

 

 持ち物をチェックしてから寮を出る。今日も仕事が俺を待っている。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 昼食時。今日もカフェテリアに向かう。

 

 

「あ」

 

「……こんにちは」

 

 

 初めから分かっていたかのように、カフェテリアへ入った瞬間彼女と目が合った。

 

 不可解だ。スティルインラブと会うのはこれでたったの三度目。なのに心……というか自我が彼女に吸い寄せられているようだ。

 

 

『見  ツ    け        タ』

 

「?」

 

 

 脳内に響く声。それに伴うようにして、俺は彼女の隣に座った。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ふっ、ふっ……」

 

「よし、やめ。俺の言った通りちゃんと鍛えてるようだな」

 

 

 反転しかかった意識が取り戻される。……残念。あと少しでワタシが出てこられたのに──

 

 

「──っ!」

 

 

 ダメ……!

 

 

「スティルインラブ」

 

「──ッ、は、い……」

 

 

 トレーナーさんの声で再び正気に返る。不思議だった。こんなにも深層意識まで深く潜り込んでくる彼の響き。そして彼の前では本能を見せたくないという気持ちが。

 

 

「……一つお聞きしたいのですが」

 

「なんだ」

 

「トレーナーさんは……その……担当ウマ娘を誰にするか、決まっていらっしゃいますか?」

 

「……この際だからハッキリ言う。俺はお前に担当ウマ娘になってほしいと思っている」

 

「……!!」

 

「──まあ、なんにせよとりあえずは練習の成果を実践してからだな。選抜レースとお前の選ぶ結果次第ってところか」

 

 

 ……勝てば、勝てばこのヒトとより強く繋がれる。専属トレーナーになってくれる。

 

 

「言っとくが、俺はペーペーの新人だ。任された以上ベストは尽くすがリスクは高い。選ぶなら慎重にしろ」

 

 

 ……私は貴方と出会った時から心持ちは決まっていた。

 

 だって、貴方は、私の──

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 ため息をつく。ここのところ俺はおかしい。

 

 

『来      テ』

 

 

 幻聴が聞こえるようになった。医師に相談してみたが体はいたって健康。心因性の症状なのではとの診断を受けたが、最近の生活は少なくとも両親の扶養内の頃よりはストレスフリーだ。

 

 ただ、スティルインラブの傍にいれば幻聴は収まる。不思議でならないが、あれこれ考えるのはやめよう。

 

 夜になり、仕事もキリがいいので例の高台に向かう。そこには決まって彼女がいる。

 

 

「悪い、待たせたか?」

 

「いえ」

 

 

 ここ最近のスティルインラブはどこか気負ったような印象が見受けられる。選抜レースを控えて神経質になっているのかもしれない。

 

 今日は月明かりが朧だ。目を凝らさねば彼女の姿を捉えられない。それにしても、だが──

 

 

「強いな、お前」

 

 

 彼女に声をかけるトレーナーがいないのが疑問なくらいに強い。もちろん本能の誘惑という不確定要素はあれど、これならトップも狙えるだろう。

 

 

「ハァ、ハァ……終わりました」

 

「ああ。よくやった」

 

 

 加えてよく伸びている。技術をどんどん吸収し、俺の求めるウマ娘像に近づきつつある。

 

 

「いよいよ明後日か」

 

「そうですね。……改めて確認させていただきますが、私が勝てば担当トレーナーになってくださいますか?」

 

「別に負けても意味のあるレースなら構わない。というか、そもそもの話お前が望むなら初めからトレーナーになってもよかったんだぞ」

 

「……!……承知いたしました。練習の成果、必ず出してみせますから。……だから、見ていてください」

 

 

 お、笑った。彼女はいつも控えめに笑う。不可解なことだが、それを見る度俺の心臓は大きく跳ねる。

 

 明後日が選抜レースということで明日は丸一日休み。俺も羽を伸ばすか──と、思ったが。

 

 『何がしたい』かが分からない。元々好きなものは大して無かった。強いて挙げるなら食事か……?いや朝吐くしな……。

 

 まあどのみち好きなものに現を抜かすのはやめにしよう。俺はもう、大人なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 ざわめきが場を支配していた。

 

 

「…………」

 

 

 私は選抜レースで一着になった。そこだけ切り取れば十分すぎる結果。しかし、あの子を、本能を抑えることができなかった。

 

 あのトレーナーさんがお声がけくださったから、私は私でいられた。けど、その枷が外れたワタシは……抑圧されていた分暴走してしまった。

 

 結果がこれ。共に走ってくださった方々には怯えられ、周囲のトレーナーの方々にも怪訝な目つきで見られてしまった。

 

 

「…………っ」

 

 

 レース場の脇、誰もいない場所で蹲る。きっと彼にも、不快な思いをさせてしまった。

 

 

「勝者が下を向くな」

 

「……っ!トレーナーさん……!?」

 

 

 謝りたかった。今日まで真摯に付き合ってくれたこのヒトに、恩を返したかった。それなのにあんなはしたない走りをして────

 

 

「いいレースだったぞ」

 

「え……?で、でも私は……」

 

「出てたな。本能。だがそれ込みでいい走りだった。ナイスファイト」

 

 

 ……そうだ。このヒトは初めからそうだった。

 

 例え世界がワタシを恐れても、アナタだけは傍にいてくれる。嗚呼、貴方が、貴方こそが──

 

 

「改めてだが、俺と契約してくれ、スティルインラブ。俺が、お前の望む世界に連れ出してやる」

 

「──はい」

 

 

 やっと見つけた。私の、運命のヒト。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 スティルインラブと二人三脚の日々が始まった。彼女は俺の指導を素直に聞き、しっかり実践している。

 

 

「ハァ……ハァ……終わりました、トレーナーさん」

 

 

 ──壊したい。

 

 

「……ッ」

 

「トレーナーさん?どうかなさいましたか?」

 

「あー……いや、悪い。少し考え事をしていた」

 

 

 元々懸念していたことだったが、『俺』が再び表面化し始めている。

 

 殴る両親への防衛本能が生んだ『俺』。暴力を好む、第二の本性。

 

 

「じゃ、今日はもう終わりにしよう。お疲れ」

 

「はい。ありがとうございました」

 

 

 彼女の背中を見送ってから、俺も歩き出す。

 

 破壊衝動が実際に起きてしまったことは無い。いや一度だけあったか。あれは確か両親がいつものように俺を殴ろうとして──

 

 

『なんで?』

 

『誕生日おめでとう!』

 

「……ッ」

 

 

 既にトレーナー室に籠もっていたからいいものの、空っぽの胃が痙攣するのを感じ取る。……思考を戻そう。

 

 殴られそうなところをカウンターで二撃程加えた。すると両親は『なんで?』と言った。俺が一番聞きたかったことを、奴らは当然の権利のようにほざきだした。

 

 ──気持ちよかった。

 

 そう、気持ちよかったんだ。肉を殴りつける、あの感触が。

 

 殴られて辛かった時は決まって俺の中にいる『俺』に相談した。破壊衝動と、もう一つの自我が融合した瞬間、それは一人の人格と相成った。綺麗なモノ、美しいモノ、愛する──尤も、誰かに愛を感じたことなんてないのだが──モノを壊したいと、囁く。

 

 大丈夫だ。俺はコントロールできている。これからも平穏に過ごせる筈だ。

 

 根拠のない安心。俺が忌み嫌うものの一つだ。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が眩しい。湧き上がる熱波に溶かされてしまいそう。来年には夏合宿があるから、しばらくトレセン学園を空けることになる。……その時までに、あの子を抑えられるかしら。……でも、ダメだったとしても。

 

 それでも、私の隣にはトレーナーさんがいる。

 

 

「おはようございます、トレーナーさん」

 

「んー、おはよう」

 

 

 トゥインクル・シリーズに出走するにあたって、目標を設定することになった。トレーナーさんは自由に決めていいと仰っていたけれど、手は抜けない。私の中では既に出走レースを決めてあった。

 

 トリプルティアラ。それが自分の天命のような気がした。……三つの冠を獲得すれば、トレーナーさんも喜んでくださるかもしれない。そう思えば普段のトレーニングも苦ではなかった。

 

 

「ふっ──!」

 

「うん、よし。タイムも上々。少し休むか」

 

「……はい」

 

 

 不誠実かもしれない。だけど、最近の私は寝ても覚めても彼のことばかり考えてしまっている。

 

 何が好き?どんな夢を持っている?貴方は今、何を考えている?等々、トレーナーさんに関する全てを欲していた。

 

 そんな風に彼を見ていて、気づいたことがいくつかある。

 

 まず一つ。彼は、決して私と正面から向かい合おうとしない。

 

 もう一つ。彼は、体が触れることを極端に嫌っている。足の具合を確かめるため時折触診してもらうことがあるけれど、見ているこちらが心配になるくらい苦しげにしている。

 

 最後に一つ。これは恐らく無自覚。彼は、私を見ながら笑っていることがある。普段は表情筋が中々動かないトレーナーさんだけど、私の姿を見て笑ってくれる時は言いようのない充足感に包まれる。

 

 以上を鑑みて思ったこと。やっぱり、私がトレーナーさんに応える術は走る事しかない。私はウマ娘なのだから。

 

 トリプルティアラを獲得すれば、きっとまた笑ってくれる。そのためにも走らないと。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 トリプルティアラに集中させるためジュニア期は『溜め』の期間にした。もちろん最低限レースには出したが。

 

 そして迎えた初のGⅠ、桜花賞。

 

 

「フー……」

 

「緊張してるのか?」

 

「はい……少し。あの子が、荒ぶるかもしれないと思うと……恐ろしくもあります」

 

 

 確かに、本能が発現したスティルインラブは異様だ。怖がられるのも無理はない。だが、俺が壊したいと思うモノ、即ち美しいと思うモノでもある。そんな彼女も尊重するつもりでいた。

 

 

「お前がどんなお前になろうと、俺はお前を見ている。だから安心しろ──なんてことは言わないが、思いっきりやってこい、スティルインラブ」

 

「……ありがとうございます。その……二つ程お願いしてもいいでしょうか」

 

「何でも言ってくれ」

 

「……定刻まで、手を……いえ、私を見つめていてください。それと、私のことはスティルとお呼びください」

 

「分かった」

 

 

 ……ふむ。確かに今まではどこか距離感を保っていたが、なかなかどうして。スティル呼びに変わっただけでなんともいえない満足感がある。

 

 正面にはいられない。だが、隣なら大丈夫。

 

 触れるのは恐ろしい。だが、視線は自由だ。

 

 その時がやってくる。彼女は立ち上がった。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 ウィナーズ・サークルに駆け寄る。一刻も早く、スティルを取り戻さなければ。

 

 

「あぁ……ご馳走様ァ……」

 

「スティル」

 

「……あら、トレーナーさん?残念だけどあの子はまだ来ないわよ」

 

「だから呼びに来た。帰ってこい、スティル」

 

「だから無駄よ……って、え?────ッ。……ご心配をおかけして、申し訳ありません。私は、ここにいます」

 

「よし、まずはおめでとう」

 

「……はい。ありがとうございます」

 

 

 俺ができるのは名前を呼ぶことだけ、それ以外何もできなかったが、予想より早く彼女は戻ってきた。本能も想定外だったのか意外そうな声を上げていた。

 

 

「……くだらない」

 

 

 そんな俺たちを眺めながら呟くウマ娘が一人。トリプルティアラを獲るに当たって最大級の壁となるであろう選手だ。

 

 自慢ではないが俺は耳がいい。くだらないと言う声はレース場の喧噪の中でもよく聞こえた。

 

 そのウマ娘の名はアドマイヤグルーヴ。ライバルと呼ぶに相応しい存在……だったが、今日のレースで確信した。

 

 恐らくスティルはトリプルティアラを獲る。アドマイヤグルーヴも強いが、核となる部分がブレかけている。あれでは俺が育てた彼女には勝てない。

 

 忠告してやる義理は無い。それに、俺ごときのアドバイスなんぞに耳を傾けようとはしないだろう。

 

 独りでできることには限界がある。微かに心配しなくもないが、普段の学園生活ではエアグルーヴが気を揉んでいる。元より俺が立ち入る隙は無い。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 ワタシは勝利の喜悦を。私は彼との時間を。

 

 こんな幸せ、初めて経験した。自分を厳しく律さなくとも、彼が私を繋いでくれる。

 

 

「改めて。二冠達成おめでとう、スティル」

 

「ありがとうございます」

 

 

 トレーナー室で二人きり、先日の勝利を言祝がれる。

 

 オークスを勝って、目標まであと一戦。

 

 ……見られるかしら。彼の満面の笑みを。

 

 

「祝勝会ってことで色々調理(つく)ってきたんだ。お前の友達とか眷属も呼んであるから、皆と楽しんでくれ」

 

「……え?」

 

「どうした?」

 

「トレーナーさんは……いらっしゃらないのですか?」

 

「女子同士話したいこともあるだろうし俺がいても目障りだろ?だから──」

 

「ここにいてください」

 

「え?」

 

「……お願いします。私の隣にいてください」

 

「……お前がいいなら、いいが」

 

 

 それからは部屋に来訪した方々と素敵な時間を過ごした。本当に、トレーナーさんには貰ってばかり。

 

 だから、勝つ。

 

 私は、貴方のためならどんなレースでも勝ってみせる。

 

 だって(ワタシ)貴方(アナタ)を──

 

 

『ア   い  しテ    ル』

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 恐らく、だが。スティルは俺のために走ってくれている。

 

 もちろん本能からの喜びもあるのだろうが、いつもの彼女はずっと苦しんでいた。

 

 勝っているのに、走っているのに、彼女はずっと苦しそうで。俺からしてやれることなんて何も無くて。

 

 ……このまま、走らせていいのか?俺が選ぶ責任は、トレーナーとしてのもの以外何も無いのか?

 

 

 ──壊したい。

 

 

 ……まさかだが、俺はこのためにスティルのトレーナーになったのか?今まで走らせてきたのは、そういう理由からだったのか?

 

 自分が分からない。殴られていた俺、殴り返した俺、責任を果たす俺、我欲のために彼女を壊そうとする俺……。どれが主導権を握っているのか分からない。

 

 

「スクワット、終わりました」

 

「……ああ。じゃあ次はプッシュアップだ」

 

 

 破壊衝動は日に日に強くなっている。それこそ、今こうしている間も──

 

 

「……ふう」

 

 

 少し深呼吸をしよう。息を吸って、吸って、吸って……

 

 ……思えば何故俺はスティルを選んだのだろう。

 

 初対面の時、なんとなく初めて会った気がしなかった。

 

 ……。

 

 ああ、そうか。そういうことか。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 悲喜交々の歓声を浴びる。トリプルティアラ最後の難関、秋華賞は無事一着に終えられた。

 

 

「トレーナーさん……」

 

 

 そろそろ彼がやってくる筈。ウィナーズ・サークルで佇んでいると、その通りにトレーナーさんが顔を出した。

 

 

「スティル」

 

「トレーナーさ──っ、え……!?」

 

 

 歓声が爆発的になる。それも当然、彼は、トレーナーさんは……私を突然抱きしめてきたから。

 

 羞恥と高揚感とで頬が染まる。触れることを恐れていた彼がこんな行動をとることなんて予想できるわけもなく。

 

 

「スティル、聞いてくれ」

 

 

 会場の熱気とは裏腹に、その声はどこまでも冷静だった。沈痛さえ感じるぐらいに。

 

 

「なあ、スティル」

 

「は、はい……」

 

「お前、まだ走りたいか?」

 

「……ッ!」

 

 

 このヒトには敵わない。そう思わされた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「……勝ちは勝ち、か」

 

 

 貴方のために走りたい。彼女はそう応えた。

 

 しかしもう、ウマ娘に必要不可欠なハングリー精神が枯渇していた。

 

 迎えたエリザベス女王杯。一着にはなったが、どこか覇気の感じられない走りだった。対するアドマイヤグルーヴは精神的ささくれでも引っこ抜いたのか、強烈な伸びを見せた。

 

 

「あの子が消えてしまったようです」

 

「そうか」

 

 

 それはつまり、今までのような覇を競う走りができなくなったということ。

 

 目標レースは未設定のまま、シニア期を迎えた。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「混んでるな」

 

「そうですね……」

 

 

 正月。俺とスティルは初詣に来ていた。行列に並び、参拝し、手を合わせる。

 

 

「いつも見守ってくださりありがとうございます」

 

 

 スティルの言葉はどこまでも謹直だった。お願いごとを言うのではなく、感謝を述べるとは。

 

 俺にも何か思うことはないだろうか。スティル、スティルが……幸せ、に、なれます、ように?俺は何を考えているんだ?

 

 何が幸せになれるように、だ。それに反する欲望から彼女を求めたくせに。

 

 

「……帰るか」

 

「はい」

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 河川敷の長い道は俺たち以外誰もいなかった。

 

 

「……スティル」

 

「はい」

 

 

 さながら敬虔な信徒にでもなったようだな、と自嘲する。これから俺は告解をする。

 

 

「俺はずっと、誰かに触れるのが怖かった」

 

 

 毒だ。毒を啄む。酩酊させて戻らないような毒を。

 

 それからは包み隠さず話した。両親から虐待を受けていたこと、暴力に魅入られてしまったこと、破壊衝動が常に胸の内で燻ること、虐待の影響で食事が難しくなってしまったこと、正面に立たれたり触れられたりするとトラウマがフラッシュバックすること、等々……。

 

 俺も同じだなどと、思い上がっていた。俺にも、表には出てこないがもう一人の『俺』がいる。同じような痛みを持ったスティルインラブという彼女に、惹かれていた。

 

 

「同じだと思ったんだ。だから俺は、俺は……」

 

 

 勝手に同族意識を持って、何がトレーナーだ。

 

 スティルは粛々と俺の自分語りを聞いていた。失望されただろうか?いやされただろうな。こんな、情けない……。

 

 

「……嬉しい」

 

「え?」

 

「嗚呼……嗚呼……!やっぱりアナタは……貴方は……!ふ、ふふ、ふふふふふふふ……!愛してる、愛してる愛してる愛してる──」

 

 

 彼女が近づく。

 

 意識が暗転した。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「……?」

 

 

 目覚めると自室にいた。ひとまず顔を洗おうと洗面台に向かった俺が見たのは首元にハッキリ残った──

 

 

「……痕?」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「金鯱賞をラストランにして、引退します」

 

「そうか」

 

 

 もうあの子に怯える必要は無い。私の傍にはトレーナーさんがいてくれる。

 

 消えてしまった紅。もう以前のような凄まじい走りができないとなると少し罪悪感を感じてしまうが、このヒトは走らない私も愛してくれる。

 

 好き。私だけに優しい貴方が好き。

 

 好き好き好き好き大好き大好き大好き大好き愛してる愛してる愛してる愛してる──

 

 もう、

 

 抑エられナイ……

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「……これで最後か」

 

「今日まで、本当にありがとうございました。トレーナーさん」

 

「礼……というか詫びるのはこっちだ。……すまなかった。望まない勝負に挑ませてしまって」

 

「いえ、いいんです。今日までのレースも間違いなく、幸せでしたから」

 

「……行ってこい。待ってるからな」

 

「はい。行ってきます」

 

 

 いつかの夜、俺は綺麗な走りだと言った。けどそれは嘘だった。惹かれていたのは彼女の存在に、だった。

 

 初めて出会った時から、綺麗な子だなと思っていた。

 

 走る前の集中しきった表情も好きだし、勝った後の恍惚とした顔もまた美しい。

 

 

『一着はスティルインラブ!スティルインラブです!』

 

 

 なんとも可笑しな話だが、俺は中等部のウマ娘に一目惚れしてしまったらしい。

 

 そしてなんとも可笑しな結論だが。俺は、お前と出会うために生まれてきたんだ。

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 その日は雪が降っていた。純白の欠片が空に舞い、芳醇な月明かりが世界を銀色に満たしていく。

 

 

「なあスティル。お前がよかったらだが、一緒に逃げないか?」

 

「!……本当に、よろしいのですか?」

 

「言っただろう。俺が、お前の望む世界に連れ出すと」

 

 

 そこに栄光は無い。そこに勝利は無い。そこに虚飾は無い。そこに闘争は無い。そこに葛藤は無い。そこに懊悩は無い。そこに苦悶は無い。

 

 だから、スティル。

 

 

「お前は、俺の生まれて初めて愛した存在だ」

 

 

 一緒にどこまでも果てよう。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「何処か、遠い所へ行きましょう。誰にも見つからない程に、遠くへ」

 

「ああ。行くか」

 

 

 彼の破壊衝動は治らない。トラウマも癒えない。それでもこのヒトは私を選んでくれた。

 

 たとえ明日この世界が灰に沈むとしても、私は彼といられた今日を幸せだと思う。恋とはそういうものだ。

 

 たとえ目の前に形ある幸せがあったとしても、私は極彩の闇と添い遂げる。愛とはそういうものだ。

 

 それに、私は貴方を想えるだけで、永遠(しあわせ)なのだから。

 

 電車から見た外の景色が色づいていく。捨て去った栄光を糧に、私たちは永遠を掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「スティル、行こう」

 

「はい」

 

 

 かつての旅路は遠く、淡い輝きを放っている。もう二度と取り戻すことのできない、甘い記憶。

 

 それでも、今日は、

 

 

「今日はいい空ですね」

 

 

 ああ──月が、綺麗だ。

 

 

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