7人目のスタンド使い魔 ~キャラバンAct2!~   作:ローレンシウ

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第十九話 運命の奴隷

 

 ルイズらとフーケとの闘いに決着がつく、少し前のこと。

 

「ウヘヘ、うへ。ウヘヘ、ヘヘへへぇ……」

 

 抑えきれぬ笑いをもらしながら、一足先に戻って帰還の準備をしておくはずだった御者が、馬車を走らせていた。

 

「……手に入れた! マジで手に入ったぜぇ、それもこんなにあっさりと! バカなやつらよのーっ!!」

 

 右手で手綱を握り、左手で少し膨らんだ胸ポケットを、コートの上から大事そうに押さえている。

 その中には、先ほど密かに小屋の中から持ち出した学院の秘宝、『悪鬼の仮面』(と、ついでにくすねてきた数枚の見知らぬ貨幣)が入っているのだ。

 

「あんな話を聞かされて、誰が手を出さずにいられるかよーッ! マヌケーッ!!」

 

 吸血鬼は貴族たちですら恐れる、かのエルフとも並び称される最悪の妖魔。

 太陽の光に弱いという以外には弱点らしい弱点もなく、力も知恵も人間以上であり、概して容姿も美しい。

 加えて寿命も人間より遥かに長いため、表立っては認めないにせよ、心のどこかでそれに憧れている者が少なくないという点でも、エルフに匹敵する。

 その吸血鬼になれる道具などというものがあれば、裏の市場で計り知れない値が付くことは、まず間違いないところだろう。

 

 ただし、男にはこの仮面を誰かに売ろうなどという気はさらさらなかった。

 先ほど馬車の上でリリーの話を聞いたときに、彼は運命の『引力』を感じたのだから。

 

「壊すなんてとんでもねえ、こいつはおれのもんだ……。吸血鬼になるのはこのおれの当然の権利、いや、『運命』なんだッ!」

 

 今でこそこんなざまだが、若かった頃の彼の人生は、波乱に満ちた刺激的なものだった。

 どうしようもない無力感と、神のように全知で力に満ち溢れた感覚とを、幾度も味わってきたのだ……。

 

 

 

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 この男……ドノヴァンという名前だが……は、ごくありふれた村の、職人の家に生まれた。

 

 母親は彼がまだ物心つく前に亡くなっており、家族は父親だけだった。

 小さな頃には図体は大きいのに引っ込み思案で、同じ年頃の子供らに、よくいじめられたりもしていた。

 でも、少し年上の幼馴染の少女がいて、いつも庇ってくれた。

 彼はその姉のような少女に淡い恋心を抱き、もっとたくましくなって彼女にふさわしい男になろうと、体を鍛えたりもした。

 やがて、体を鍛えるばかりで乱暴者になってはいけないからと、父からの仕送りをもらって近くの町に出て、そこにある平民用の学舎で教育も受け始めた。

 

 まあ、嫌なこともあったがかなり恵まれていた、ごく穏やかで幸福な少年時代だったといえよう。

 

 

 

 そんな状況が最初に大きく変わったのは、青年になった頃だった。

 

 急に父が倒れ、帰らぬ人となったのである。

 そのこと自体ももちろん悲しかったが、もっと大きな不幸はその後にやってきた。

 

 葬儀を済ませてからからほどなくして、男は父を資金面で援助していたという町の金貸しからの訪問を受けたのである。

 彼はいわゆる悪辣な高利貸しで、父は半ば以上騙されたような形で、多額の借金を背負わされていた。

 あるいはその精神的な負担も、父の寿命を縮めたのかもしれなかった。

 勉学はほぼ修め終えていたものの、まだ卒業はしておらず、家業はすぐには引き継げない。

 金がないのだから、卒業まで通える見込みもない。

 その上で、この先数十年は働かねば返せそうにもない莫大な負債だけを突然引き継ぐことになった男は、すっかり途方に暮れてしまった。

 

 しかしその金貸しは、出るはずのない金を限界まで絞り尽くして、せっかくの獲物を使い捨てるようなことはしなかった。

 

『なに、返済の件なら心配は要らない。あんたの父親は腕のいい職人だったし、あんたも貴族もいないこんな小さな村の連中に比べたら、学や芸はだいぶあるだろう? それを、私のために少し使ってくれたらいいんだ。そうしたら学校も卒業させてやれるし、借金の返済も免除してあげるよ』

 

 彼のやり方は悪辣だったが明確に法に反してはおらず、訴え出たところで支払いを免れる見込みはない。

 男には、その申し出を呑むしかなかった。

 

 それからは、悪事の片棒を担がされる日々が続いた。

 

 最初のうちは彼は比較的親切で、仕事も決して違法でもなんでもないただの雑用や、表向きのきれいな商売の手伝いから始まった。

 だが、ほっと安堵して油断しているうちに、徐々に法に反してはいないが悪辣な行為の手伝いもさせられるようになり、気が付いた時には紛うことなき犯罪行為にまで手を染めさせられてしまって、もう抜け出せなくなっていた。

 彼がどこかから買い取ってきた盗品らしき金属製品を、生かじりの知識を基に鋳潰して足のつかないインゴットにするだとか、贋金を作るなどということは、そのほんの一例だ。

 

 そんな生活がずっと続くうちに、男も少しはそれに馴染んでいき、時にはある種の愉しみさえ覚えることもあったが……。

 それでもやはり、辛いことの方が多く、次第に耐え難くなってきた。

 

 いつ悪事が露見して自分の人生や父の名誉が台無しになるかと怯えながら、性に合わない作業や計画に奔走する生活などは、もううんざりだった。

 裏では悪事に手を染める日々が続いてはいたが、今では彼も表向きはそれなりの、恥じるところのない職に就いており、金貸しから解放されさえすればすぐにでもつつましく真っ当な生活に戻れるはずだったのだ。

 だが、金貸しの側ではもちろん、有用な下僕を解放してやろうなどという気はなかった。

 金はこれから真っ当な生活をして蓄えた稼ぎの中から返すからと頼み込んでも、そんな稼ぎでは返済に何十年もかかる、そんなに待てないと鼻で笑って取り合わなかった。

 

 そうして男はついに、この疫病神からどんな手段を使ってでも逃れようという決意を固めるに至った。

 

(こいつを殺せば、おれは自由になれる)

 

 そんな殺意を抱くまでに至った第一の要因は、もちろん自身の苦境と、そこから生じた金貸しに対する憎しみだったが。

 もうひとつの要因は、かつて彼が淡い想いを寄せていた、あの幼馴染の少女のことだった。

 

 あろうことかこの金貸しは、十五歳は年下のその少女、マーガレットにすっかり惚れ込んでいたのだ。

 そして、その悪辣さにふさわしい手段で、彼女を強引に自分のものにしてしまっていた。

 つまり、彼女の父親を罠にはめて多額の借金を背負わせ、それをちらつかせることで、父を苦境から救おうとする娘に彼との望まぬ交際と、それに続く結婚とを承諾させたのである。

 男が金貸しに明確な殺意を抱く、数年ほど前のことだった。

 

(そう、マギーもだ。彼女だって、こいつを殺せば自由になれるじゃないか)

 

 そう考えると、自分の行為はいかにも正しいことのように思えて、罪悪感などはほとんど感じずに済んだ。

 あの人の人生に付きまとって離れない、いやらしい害獣を駆除してやるのだと思った。

 自分のために取り返しのつかない罪を犯すことを正当化するための、その言い訳に彼女を使っているだけなのではないか、などとは考えなかった。

 

 それでも、今すぐにでも絞め殺してやりたいという気持ちを抑えて、男は慎重に機会をうかがった。

 

 そうしてある時、ついに行動に出た。

 釣りでも楽しみながら内密な話をしようと言って油断した彼をボートで沖合へ誘い出し、殴り殺して重りをつけ、水底へ沈めてしまったのである。

 

 とても幸福だった。

 

 同乗していた自分に疑いがかからぬよう、彼が船で降りた後にどこそこへ行ったというような作り話をいくつかこしらえ、筆跡を真似た偽の手紙なども出したりした。

 それらはすべて、悪事の片棒を担がされていた間に覚えたことだった。

 その度に、人々がまるで操り人形のように忙しく動き回り、あちらこちらを無益に調べて回る様子を眺めていると、それがまた神のような全能感と優越感とを、男に感じさせてくれた。

 

 

 

 そうするうちに、最初はただ付きまとって離れない疫病神からようやく解き放たれたことに満足していた男は、より大きな望みを抱くようになった。

 

 突然夫が行方不明になったことで困惑し、不満に苛まれているその妻、あの幼馴染だったマーガレットの相談相手になっているうちに、かつて抱いていた想いがより強く燃え上がって、未亡人となった彼女の再婚相手になりたいと願ったのである。

 彼の側では、昔から彼女に対しては少なからぬ想いを寄せていたし、彼女にしても、結婚後も自分にはずっとよくし続けてくれていた。

 だから、きっと同じように望んでくれるだろう、少なくとも受け入れてくれるだろうと信じていた。

 なんといっても、自分こそがあの害獣を始末した功労者なのだから、その後釜に座るのは当然の権利というものだろう。

 彼女にふさわしい男になりたい一心で体を鍛え始めた小さい頃を思い出し、あの時と同じようにもう一度やり直そうと思って、そのためにまだ手元に残っていた悪事の貯えや贋金づくりの道具なども、惜しい気持ちを抑えてみんな処分してしまった。

 

 これですっかりきれいな身になれた、過去を完全に断ち切れたと信じた男は、意を決して彼女に求愛した。

 

 あなたの夫だったあの男は、妻であるあなたに何も言わずに姿を消した。

 何かの事故に巻き込まれて死んだのかもしれないし、どこかで他の女性とでもよろしくやっているのかもしれない。

 いずれにせよ、もう戻っては来ないだろう。

 だから、自分と一緒になって、もう一度やり直してほしいと。

 

 だが、その結果として彼は、今度はどうしようもない無力感に打ちひしがれることになった。

 

 彼女はとても申し訳なさそうにしていたし、目には涙さえ浮かんでいた。

 だが、返事は断固とした「ノー」だったのである。

 

『ヴァン、あなたの愛はとても価値のあるものよ。わたしがそれに値すると思ってくれたことを、光栄に思います。でも、受け容れられないわ。あなたも知っているとおり、わたしの夫は決して人から好かれるような性質ではなかった。でも、父の借金を盾に取った強引な手段だったにしても、彼は彼なりにわたしを愛してくれたから求婚したのよ。あの人は、わたしに対してはいつも献身的だったわ。黙って別の女性と逃げるような人だとは、どうしても思えない。きっと何かがあったのでしょう。だから、一年や二年行方不明だからといって、彼をおいて他の人と結婚するような裏切りはできません』

 

 その通り、彼は愛人と逃げたりはしていない。

 死んで冷たい水底に横たわっているのだ……、とは、もちろん言うことはできなかった。

 それまでずっと優越感をもたらしてくれていたはずの、自分だけがそのことを知っているのだという事実は、今や歯痒いだけのものだった。

 

(せっかくおれが、あの疫病神から解放してやったのに。そのおれを選ぶよりも、あの人でなしを待ち続けるだって?)

 

 男は、そんな内心の苛立ちを努めて抑えて、ならばあなたの気持ちに整理がつくまで待たせてほしい、自分はいつまででも待つからと申し出てもみた。

 だが彼女は、それに対してさえも首を横に振った。

 

『だめよ、ヴァン。それはだめ。待ってもなにもないの、あなたの人生を棒に振ることになってしまうわ。お願いだから、そんなことをしないで』

 

 彼女は苦しげにそう言うと、それまで誰にも明かしたことのなかったであろう秘密を告白した。

 

 今の夫と結婚する前に、彼女には正式な交際はしていなかったが相思相愛だった男がいて、その人は今でも自分のことを待ってくれている。

 だから、夫がもしも二度と帰って来なくて、そのことをいつか自分の中で納得できる日が来るとしたら、その時に行くのは彼の元でなくてはならないのだ、と。

 その相手というのは、昔自分をいじめていた少年たちのひとりだった。

 

 それを聞いた男は、無理に作り笑いを浮かべて物わかりのいい紳士的な態度を繕ってその場を去ったが、心の中は空虚だった。

 

 彼の夢の城は脆くも崩れ去り、明るく輝いていたはずの世界は、瞬く間に埃と灰の砂漠に変わった。

 それまでずっと自分に優越感と幸福をもたらしてくれていたはずの行為は、まったく無駄で空虚なことでしかなくなり、酷い無力感に苛まれた。

 そして、そんな無意味なことのために取り返しのつかない罪を犯したのだという思いが、重苦しく背中に圧し掛かってきた。

 

 少し前までは、自分が何もかもを知って操っている全知全能の存在にでもなった気分でいたというのに、今はこの上もなく惨めだった。

 

 彼女を救うためと自分に言い聞かせて、殺しなどに手を染めて。

 それで、自分の幸福をつかみとれたと思ったら、将来他の男が入るための空席を作ったに過ぎなかったのか。

 ちくしょうめ。

 

(ああ、おれはなんと馬鹿げたことをやっちまったのだろう! 神よ、あんたはおれを、どこまでもコケにするのがお好きなようだ!)

 

 気持ちがすさんで、しばらくは荒れた日々を送った。

 遠くから、彼女が心配そうに見ているのを感じたこともあったが、そんな時は足早に立ち去った。

 同情で話しかけられたくなどはなかったし、お互いに辛い思いをするだけだ。

 

 そうしてしばらく経ったある日、彼女から一通の手紙が届いた。

 

『ヴァン、今日の日暮れ頃に、秘密基地へ来てください。お話ししたいことがあるので』

 

 手紙には、そう書いてあった。

 

 秘密基地とは、昔自分がいじめられた時によく逃げ込んでいた、森の中にある廃棄された小屋の事だった。

 自分と彼女だけが知っていた場所だ。

 

(なんでいまさら、あんな場所へ呼び出すんだ)

 

 大方昔の話でも持ち出して、うまいことおれをなだめようと考えてるんだろう。

 あざとい真似をしやがって。

 そうは思っても、一抹の期待を抱かずにはいられず、結局男はその呼び出しに応じることにした。

 

 そして、それが彼にとっての、最大の運命の転換点となった。

 

 

 

 日が沈みかけたころに件の小屋の扉をノックすると、既に来ていた彼女が扉を開けて、男を中に迎え入れてくれた。

 

 しかし、そこには彼女だけではなく、他にもう一人、別の者がいたのである。

 それは、彼女が互いに想い合っているといった相手ではなく、まだ幼い少女だった。

 おそらくは五歳ほどだろうか、金髪で愛らしい人形のような娘だったが、この村では見覚えがない。

 

 その少女は男の姿を認めると、無邪気げににっこりと微笑んでみせた。

 

『はじめまして、おじさん』

 

 開いた口に、白く光る牙が二本、きれいに並んでいた。

 

 男はそれを見て、ぎょっと青ざめた。

 この娘が、なにか人外のバケモノであることは間違いない。

 あわててきびすを返し、逃げ出そうとしたが、マーガレットが扉の前に立ちはだかっていた。

 

『ヴァン、あわててどこへ行くの? まだ帰らないで、その子の話を聞いてあげて』

 

 彼女はいつもとまったく変わりのない笑顔を浮かべていたが、それがかえって不気味だった。

 男はこの状況の異常さに怯えて、がたがたと震えはじめた。

 

『そんなに怖がらなくてもいいんだよ、おじさん。友だちになろうよ』

 

 少女は牙を引っ込めてにっこり笑いながらそう言うと、男に席に座るように勧めた。

 自分も、その向かいの席につく。

 マーガレットは、扉のところに立ったままだった。

 

『わたし、エルザ。吸血鬼なんだけど、知ってる?』

 

 少女がそう自己紹介をすると、男はひっと悲鳴を上げそうになった。

 もちろん、知っていた。

 無学な村人たちの中にさえその噂を知らぬ者はない、メイジでさえ恐れるという「最悪の妖魔」だ。

 

 その反応を見て、エルザはうんうんと頷いた。

 

『それなら、話は早いかな。わたし、最近両親がメイジに殺されちゃってね。それから、ひとりで旅をしてるんだ。で、こんなところに小屋を見つけたから、一休みして。それから、近くに村があるみたいだからそこでしばらく獲物をとれないかなって考えてたところに、このおねえちゃんが来たんだよ』

 

 そう言って、おいでおいでと、マーガレットを手招きした。

 彼女は扉に内側から錠をおろすと、素直にそれに従って、エルザの傍らに立つ。

 

『だいぶ前に会った旅人を食べたきりで、おなかがすいてたから。この子はすぐに捕まえて、動けなくして、血を吸って。で、グールにしてあげて、いろいろ聞いてみたの』

 

 グール(屍人鬼)とは、ハルケギニアの吸血鬼が犠牲者の屍に自らの血を流し込み、先住の「水」の力で動く操り人形とした存在である。

 

 吸血鬼の操り人形となった彼女は、主人の質問にはすべて従順に答えた。

 エルザとしては、当初はひとまず情報源と村に入り込むための手がかりとして使った後はより有用な従僕と取り替えようかという気であったのだが、話を聞いているうちに、交換の必要はないように思えてきたのだという。

 

『この子は未亡人で一人暮らしだっていうから、家に上がり込ませてもらいやすそうだし……。養子とかでね。それに、なんでこんなところに来たのかって聞いたら、昔のことを思い出してとか言って、おじさんのことを話してくれて』

 

 少女は、傍らに屈み込ませた傀儡の顎のあたりをすりすりと撫でながら、愉しげに話を続けた。

 

『ねえ、取り引きしようよ。おじさんは、この子がほしいんでしょ? いいよ、わたしはもっと小さくてかわいいお人形の方が好きだし、おじさんに使わせてあげる。その代わり、わたしはまだあんまり狩りに慣れてないから、お手伝いをしてくれたらうれしいなあ』

 

 グールは普段は人間と見分けがつかず、陽光の元でも平気で歩ける便利な手駒だが、一度に一体しかもつことができず、その事実も広く知られている。

 自分は予定より独り立ちが早まってまだ狩りの仕方を手探りしている状態だし、二人目の、正真正銘人間の協力者がいてくれればできることの幅も広がるだろう……というのが、エルザの提案だった。

 

『聞いたよ? この子はどうせ、そのうちにほかの男が手に入れる予定になってたんでしょ? そんな男が家に入ってきたりしたらわたしが居辛くなるし、おじさんがもらってよ。そのほうが、お互いに都合がいいから』

 

 と、エルザは牙を見せて笑った。

 

『人間だって、花を摘んだり、牛を食べたりするでしょ? それとおんなじだよ。ほしいものが手に入るところにあるから、それに手をのばすだけ』

 

 そう言うと、男の返事を待たず、傍らにいるマーガレットの耳元に口を寄せて、何事かを囁いた。

 

 吸血鬼の忠実な傀儡は頷いて立ち上がると、生前幼馴染だった男の方に向き直って、にっこりと微笑んだ。

 それから、ゆっくりと服をはだけてゆく。

 そうして、普段生活している中では絶対に人目につくはずのない部分に主の牙の跡がついているのを、ためらうことなく誇らしげに、彼の目に晒け出してみせた。

 

『おもしろ半分だとか、おそなえするためだとか……、そんな人間の事情は、花には関係ないよね。誰に摘まれたって、どうせ死ぬんだから。なら、わたしが摘んで、それをおじさんが手に入れて、なにが悪いの?』

 

 男には、そんなエルザの言葉は、どこか遠くから頭の中に響いてくるような気がした。

 

 ずっと焦がれていた女が、つい先日は夫への貞節と昔の恋人への想いを話したその同じ口で自分への愛を囁き、一糸まとわぬ姿でしなだれかかってくる。

 そんな状況に、男の理性や倫理などは、あっさりと焼き切れた。

 

 吸血鬼は、生きるために人間を犠牲にする怪物だ。

 だが、それがどうした。

 目の前の、あの吸血鬼の言うとおりだ。

 村で飼ってる牛から見りゃあ、人間だって自分たちを飼い殺して、母乳や肉を貪り食らう怪物に見えるはずだ。

 

〝ある人間の不幸は、別のある人間を幸福にする。″

 

 誰かが財布を落として損をすれば、別の誰かがその財布を拾って得をする、そういうものだろう。

 なら、今回たまたまツイてた自分が得をする側に回って、何が悪いというのか――。

 

 

 

 それからの生活は、本当に愉しかった。

 男にとっての、人生の絶頂期だったと言えるだろう。

 

 それをもたらしてくれたのは、自分の頼み、いや命令をなんでも聞いてくれるようになった、忠実な想い人と結ばれたということだけではない。

 男はただエルザの指示に従うだけでなく、しばしば彼女に対して次の犠牲者や、その趣向を提案した。

 過去に自分をいじめていた少年たちへの復讐とか、そういった自分の昏い欲求を、彼女を操ることで満たそうとしたわけである。

 エルザの側としても、そんな彼の思惑がわからないではなかっただろうが、犯罪者の片棒を担いでいた経験のある男の手法は彼女にとってさえしばしば感心するようなものだったし、犠牲者がより深い恐怖や絶望を感じる様子は格好の食事のスパイスになるので、たびたびその希望に従ってやった。

 さらに、彼はかつて町で勉強をしていた頃や、金貸しと関わっていた頃に作ったつながりから、村の人間以外の犠牲者を供給することもでき、それもまた、吸血鬼が同じ場所に長く潜伏するうえでは好都合だった。

 

 それでも、やがて村に吸血鬼がいるのではないかと疑惑の目が向けられるようになり、調査のためのメイジも派遣されてきた。

 それさえも自分の提案でうまく罠にはめて始末してやったとき、男の全能感、優越感は頂点に達した。

 

(見ろッ、メイジでさえ相手にならねえ! 吸血鬼の力だけじゃねえ、半分はおれの手柄だ。他の誰にこんな真似ができる? おれはツイてただけの男じゃあねえ、幸せになる権利のある男だと〝証明″されたぞッ!!)

 

 自分は吸血鬼にとってかけがえのないパートナーで、まだまだこの絶頂を味わい続けられると、男はその時に確信した。

 だが、その日の夜のうちに、エルザは彼に別れを切り出したのである。

 

『わたしはそろそろ、よそへ移ることにするわ。危なくなってきたら早めに見切るべきだって、おじさんも教えてくれたよね。いろいろやり方を教えてもらったから、お礼に生かしておいてあげるよ。食べてもまずそうだし』

 

 驚いて抗議しようとする間もなく、エルザは眠りの先住魔法をかけた。

 男は突然の抗いがたい眠気に襲われて、床に倒れる。

 

『小さい子が一人旅だとうたがわれるから、誰かひとり、頼りになりそうな見た目の子を村から連れていくからね。その子が吸血鬼だったんだってことになるでしょう。あの子はもう要らないから、おいてくわ』

 

 エルザはマーガレットの寝室の方をちらりと見ながらそう言うと、最初に出会ったときと同じように、牙を見せて無邪気げに笑った。

 

『それじゃあ、さようなら。退屈な余生でしょうけど、せいぜい長生きしてね?』

 

 翌朝、男が意識を取り戻したときには、もうエルザの姿はどこにもなかった。

 マーガレットは、寝室で物言わぬ屍に変わり果てていた。

 

 

 

 またしても絶頂から急転直下でどん底に落とされた男は、それきり、もう二度と浮かび上がれることはなかった。

 

 妻の急死で彼女が吸血鬼のグールだったのではないかという疑いがかかり、その配偶者におさまっていた自分も怪しいということで、村にはいられなくなった。

 もっとも、そうでなくとも、もはや故郷に留まり続けたいとは思わなかっただろう。

 

 それまで味わっていたような刺激的な快楽を求めてあてもなく各地を放浪する生活を送り、足りない分を埋め合わせようと、頻繁に酒を飲むようになった。

 一度はメイジでさえ手玉に取ったという歪んだプライドのために真っ当な仕事はうまくいかず、各地で失職を繰り返して、すっかり身を持ち崩した。

 かつてやった悪事に戻ってみたりもしたが、吸血鬼という超常の存在がもつ力の愉悦を一度味わった身では、いつ捕まるかと怯えながら不正な小金を貯め込むような小悪事にはまるで心が躍らず、やる気がわかなかった。

 そんな生活を送るうちに男の態度は、その身分や立場に不釣り合いな横柄さと、相手との油断や同情を誘おうとする媚びへつらった卑屈さとが、歪に混ざり合ったようなものに変わった。

 

 

 

 それでも男は、自分はこれまでの人生で起こったのと同じように、いつかまた前以上の絶頂に返り咲くのだ、自分はそういう運命にあるのだと、心のどこかで確信していた。

 

 けれど、そんなことは十年経っても、二十年経っても、起こらなかった。

 男自身、そんな確信などは所詮、現実逃避の妄想に過ぎなかったのではないかと思い始めていた……。

 

 

 

------------------------------------------------------------------------------

 

 

 

「……よしよし、ここだ。どうどうッ!」

 

 あらかじめ決めていた目的の場所に到着して、男は馬を止めた。

 

 御者として馬車を操っていた彼は来る時の道すがら、森の入り口にほど近いあたりに目立たない、崩れかけた洞窟の入り口があるのに目をとめていたのである。

 こうして近くで見ると、どうやら天然の洞窟ではなく大昔に放棄された廃坑らしかったが、まあそれについては今はどうでもいい。

 男は御者台から降りて、ひとまず馬をそこらにつなぐと、懐から大事そうに石仮面を取り出した。

 

(こいつであの女が言ってた通り吸血鬼になれたら、あとは日が暮れるまで、この洞穴に隠れてりゃあいいわけだ)

 

 うまくいけばもう馬車など用済み、好きなようにどこかへ行かせてしまえばいい。

 自分の裏切りに気付いた連中があわてて探してみても、馬車さえ近くにいなければ、この洞窟の中にいるなどとわかるはずがない。

 その後は日が暮れるのを待って、どこへなりと去るだけだ。

 

 逆に、そんなことは考えたくないが、もしあの女の話がガセでうまくいかなかったなら、馬を一頭荷台から外して逃走用の足として使わねばなるまい。

 だからこの仮面を試してみるまでは、まだこいつらを逃がすのは早い。

 

「これで、おれはついに吸血鬼そのものになれるわけだ」

 

 そうしたら、何をする?

 

 まずは、自分の好みの女でも、威張りくさった気に入らねえメイジ野郎でも、好きなようにグールに変えて這いつくばらせるか。

 その後はそう、何十年前に自分を捨ててどっかへ消えやがった、あのクソガキのエルザを見つけ出して……。

 

 そんなことを考えながら、仮面を顔にあてがった、その時。

 

「……うん?」

 

 ふと、背後の方で物音がしたような気がして、男は振り返った。

 

 すぐ後ろまで近づいてきていた、背の低い犬のような顔をした亜人と目が合う。

 真っ赤な目をしたそいつがコボルドだということ、この廃坑に棲み付いていて隠れて様子を窺っていたが、どうやら男が一人だけだとわかって出てきたのだということに、思い至るだけの時間の余裕はなかった。

 

 どす。

 

 いやな音を立てて、錆びた槍の穂先が、男の胸を貫いた。

 吹き出した血が、仮面に飛び散る……。

 





ドノヴァン:
 本作オリジナルのキャラクターで、ジョセフを襲撃したナチス親衛隊のコマンドーではもちろんない。
割とありふれた名前なので、たまたま一緒なだけである。
作者的にはどちらかというと吸血鬼つながりで某格闘ゲームのキャラクターのほうを意識しているが、いずれにせよ同じなのは名前だけで、中身は何の関係もない。

エルザ:
 ゼロの使い魔外伝『タバサの冒険』に登場した吸血鬼、の過去の姿(外見に変わりはない)。
本人がタバサに語った話を信じるなら、両親をメイジに殺されたのが三十年ほど前だということなので、この話の彼女はまだ一人旅を始めて間もない頃である。
なお、外伝と本編との時系列は明確ではないが、吸血鬼討伐任務の話の冒頭でシルフィードがギーシュとサイトとの決闘についてつい最近見たばかりであるかのように言及する場面があるので、対フーケ戦の時点では彼女はおそらく既にタバサによって殺されていると思われる。
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