2003年 6月 ―
ドーバー
生きていれば眠くもなるしお腹も空く、だから休める時に休んで食べられるなら食べるのが衛士の仕事でもあり。
昼食は飛行中に
目前にドーバーへの帰投が確実なところその頭文字をとって「小分けの嘔〇物」とまで酷評される(その基地の食事にしたって「『地獄門』はメニューも地獄並」とはいわれているが)それらの封を切る仲間は多くはなく。
他方それもしっかり食べたがまだ時間には余裕があるし小腹もねと。
祖国と人類への義務を果たし終え、
「久しぶりに覗いたら
「トミーさんがたも商魂たくましいわな」
「まあなあ…おいどうした暗い顔して、やっと家に帰って愛しの嫁さんに会えるだろ」
「……通知が来てた。
「そ、そうか」「ま、まあ…なんだ、その…頑張れよ」
「ああもう、飲もうぜ今夜は!」
「と言ってもなあ、まだソーホーへ繰り出すってわけにも」
「仕方ねえ、ハンスの奴が出撃前にザワークラウト漬けてたろ、そいつをアテに」
「いやダメだ、どうも漬かりすぎてダメになってた上に容器が破裂して部屋中…だとさ」
「げ…」
方々思い思いの食事に飲み物を前に実に野戦ずれして生の実感を伴う話題でかしがましい中、空いている席を探して就いたイルフリーデが見上げた食堂中央の大型ディスプレイには英国国営放送。
そしてそこには、「The Shogun Yuhi Arrives in London for Historic UK Visit」のテロップと共に今朝方ここドーバーを発ちほどなくロンドンへと到着したという
去る85年の本土防衛戦にて灰燼と化したテムズ川以南、その後ここドーバー基地群も含めて復旧が進められた中では激化の一途を辿る対BETA戦を考慮し軍用に高規格道路等複数経路の兵站線が構築されていて。
それを用いれば陸路を行く十重二十重の警備を伴う迎賓用の長い車列でも90分ほどしかかからないだろう、なにしろロンドン外周の対BETA重層防御陣地はもちろんそれに付随する複数のゲート ― 移民難民向けすなわち対人類用選別遮断設備に他ならない各種検問も完全にフリーパスになるのだから。
「にしても…在英の日本人ってあんなにいたのね」
「ああ、WW2前後はさすがに激減していたらしいが…」
「BETA戦勃発前には4000人近くにはなっていたそうですわ」
調達してきた
ロンドン中心部・バッキンガム宮殿 ― 厳重な警備が敷かれたその手前の大通りをライヒ一行の車列が進む、その沿道両脇には多くの一般人の姿――手に手に持った小さな旗 白地の中央に赤い円・ヒノマルを振る、在英日本人による出迎え。
「さすがにBETA禍でも減ったのだろうが…棄民、というわけではないのだろうな」
「ええ。ライヒへのBETA侵攻は遅かったですし、在外邦人の引き揚げ事業を行う時間的余裕はあったはずですの」
軽食と共に
まったく贅沢ねえとイルフリーデ(公爵家令嬢・次期公爵)が内心でため息をついた時、放送の場面が切り替わり現れた女性リポーターが王城を背に今後のライヒ一行の日程を説明していた。
「――明日明後日と叙勲式、ね」
「ああ。我々も明日午前中にはロンドン入りになる」
言いつつ生真面目なヘルガは乱れてもいない軍服の襟元を少し気にして。
叙勲自体は別にはじめてじゃない、けれど自らへの授与も含めてここまで盛大な式典に参列するのはさすがに経験がない。
「欧州連合ひいては英国を未曾有の脅威より守った」功績を称え。
ユウヒ・コーブインにはガーター勲章が、タカツグ・イカルガにはバス勲章 ナイト・グランド・クロスが。
その他超重光線級討伐に参加した衛士らのうち中・小隊指揮官級には殊功勲章、隊員には武功十字章の授与が決まり。
(元々ショーグンのガーター騎士団入りはなんでももう100年近く前から慣例として行われてきていたらしい、先の大戦で一度剥奪されたもののその後復帰を認められたとか)
そしてそのなかでも白眉となるのがかの黒の中尉に授与されるというヴィクトリア十字章 ― 「敵前での卓越した勇気、極度の危険を顧みない勇敢な行動」を称えたこの賞が、英連邦以外の国民に贈られたのは長い大英帝国の歴史の中でもこれまでには唯一人――
去る85年、大陸欧州を劫掠せしめた勢いのまま怒濤の如く迫り来たBETAの大群から大英帝国を守り抜いた「グレートブリテン防衛の七英雄」の一人にしてその筆頭たる、誰あろう我らが誉れも高き大隊長「黒き狼王」ヴィルフリート・アイヒベルガー少佐のみ。
つまるところ ― あの黒い衛士は「七英雄」筆頭にすら匹敵する勇士だとイギリスが認めたということに他ならない――が。
「そういうの…喜ぶタイプには見えないけどなあ」
「あらイルフィ、悔しいんですの? 我らが敬愛する大隊長に並ばれて」
「そりゃ…そうよ。いくら彼が強くても、ヴィルフリート様とは全然違うじゃない」
「ま、イルフリーデの言わんとするところはわからなくもないな」
品なく空のフォークをかじりそうになるイルフリーデは、ルナの茶化しに素直に応じ。
軽いため息と共に珍しく同意してくれたヘルガを見た。
「リヨン以来で轡を並べて再確認したが、彼を支えているのは言うなれば……執念だな」
「執念…」
「勇気や闘志や…使命感ではない、と?」
「そうだな、いやむしろ……怨念といってもいいのかもしれない」
それほどまでのBETAに対する――尽きせぬ憎悪。
家族恋人の復讐とも聞くがさもありなん、だがそんな立場の人間はこのご時世ではそう珍しくもないはずながら。
彼の場合はその強度といい ― なにより根深さと持続性が明らかに常軌を逸している。
「英雄と呼ぶにはその動機が後ろ暗すぎると…彼の実際を知れば思うのも無理はない」
「…そうよね、やっぱり」
そのヘルガの整理はこれまでうまく言語化できてこなかったイルフリーデの釈然としない部分を説明するに足るものだったが、
「けれども民衆には ― いえ軍人にも英雄は必要ですわ。巨大なBETAをも敢然と討ち倒す、人類の希望となる強い英雄が」
それもまた現実、ゆえにまあそうだな、と。
他ならぬその英雄を長に主にと頂く狼たちが揃って首肯した時、またTVの画面が切り替わった。
「あ。あの時の」
「…なるほど。そのまま流しているのか」
「みたいですわね…」
そこに映し出された光景に ― 軽くながらも凜々しい眉根を寄せるヘルガとやや垂れ目がちで大きな瞳をわずか細めたルナと一緒に見つめる画面の中には「The ‘Samurai Master’ Preaches Dialogue While Pointing to ‘Vital Point’ Evenesk」のテロップと共に――
一昨昨日ロヴァニエミハイヴにてのJIVES演習の直後 ― 降機しハイヴ中央
曇天の下の荒野にて一斉に敬礼する番犬部隊に応じたブラウエス・ブルート――イカルガ閣下は、そのまま揃って強化装備姿のまま実に気さくに内輪で歩きながらの軽いデブリーフィングとばかりに大隊長らと会話を始められ。
そこへ突撃してきたのがPRESSの腕章をつけた英国国営放送のスタッフら、カメラマンとインタビュアーの二人組。
「Lord Ikaruga, is the intent behind this mock battle indeed directed at the Soviet Union?!」
「むっ、We do not respond to unauthorized media inquiries!」
「――よい、真壁」
「は…」
咄嗟に小柄な身体を目一杯に拡げて立ち塞がったマカベ大尉をしかし下がらせたイカルガ閣下は、その代わりとばかりに通訳を命じつつも記者に対しては鷹揚な空気を纏った。
「ありがとうございます閣下、では――」
「今し方の演習は親善の為と聞いておる由」
「しかし貴国なかんずく閣下の武名はいと高く、とりわけAH戦では世界最高とも」
「はは、中々煽てが巧いの」
「先の超重光線級討伐作戦の直後には、ソ連軍部隊とかなりの緊張状態に陥ったと」
「フム。ま、いくさ場で
「――まあ」
常の笑みをやや深めての冗談めかしたその言葉、マカベ大尉の通訳を通してのやり取り。
ゆえに一拍遅れて「たいへん驚きました」とばかりに声をあげ口元を塞いでの西ドイツ軍女性士官 ― ルナの仕草がまさに呼び水となって周囲の衛士らも揃って含み笑いを漏らす。
即興の寸劇としてはよくできていた、ウニオンにおいて知らぬ者などなき鋼鉄の狼王に美しき后狼が、東洋の強国のいまだ謎めく侍王とジョークを交えた時間と場所を共有している光景というのは。
「では ― 今後、インペリアルはここロヴァニエミ
「其れは政が決める事よな。我等は殿下の剣に過ぎぬ故」
「…では、
「我等斯衛は最後の一兵迄も戦うのみよ」
「…しかし。日本本土からここ北欧は非常に遠く、一度撤兵すれば再展開は」
「私は此処に至る一刻前にはまだ帝都城にて殿下に茶を馳走になって居ったな」
「…つまり2時間粘れば閣下と閣下の手勢は…追撃戦になった場合でも?」
「仮定に仮定を重ねても意味はなかろ。とは云え ―
「それは――」
「何れにせよ我が国の対話の窓口は常に開いておる、人類に対してはな。殿下の詔勅ぞ」
「……ありがとうございました閣下、閣下と貴国の連合への助力に感謝します」
そこで映像は終わり、画面はまたライヒ一行の車列へと戻れば。
「――まさに口先介入の典型ですわね」
その完成に一役買って出ておきながら、ルナは軽く目を閉じてのしれっとした表情のままグラスをその時としてよく回り時として毒を吐く小さな口へと運ぶ。
この映像は撮影されるや否やで電波に乗せられ
発信元たる
ついでアジア圏にて日本帝国を後ろ盾とする大東亜連合が支持を表明、ほぼ同時にオセアニアの盟主たるオーストラリアがこれに追随。
さらにBETAの脅威が間近な地中海沿岸北アフリカの国々と避退国家化している中東諸国も支持を表明した一方、後方国たる南米諸国と
そして当然というべきか東側陣営に属する
そして当のソ連からは、一昼夜明けてのちに軍でも外務省でもなく
「かくしてもたらされしは冬の中の春、デタントというよりステータス・クォでしょうか」
「おかげで私たちも退いてこれたんでしょ? ソ連も国境付近の『定期便』を止めたって」
「それはそうだが…」
あえて単純化して卑近の実利をみるイルフリーデにヘルガが補足を加える。
「ウニオンにとっては明らかな借りだ、ソ連に対する楔――」
「アメリカにしても…兵力の展開に時間的な余裕が出たわよね」
「実はソ連にとっても、本来面目丸潰れなところを不問に付してやってもいいと言われてましたの。ですからあの対応を引き出せたのでしょう」
先の武力衝突未遂 ― それもソ連側から挑発を仕掛けたのに実際には先に砲を向けてしまった挙げ句なにもできずに退散させられた ― をそちらの出方次第では公にも外交問題にもせず済ませてやろうという明白なサインでしてよ、敵の最精鋭を新兵扱いして煽り散らした上に閣下のご身分からすれば少々世俗的に過ぎるというか下品な表現もありましたけれど、と。
「でも…さすがにちょっと踏み込みすぎな発言だったんじゃない、
「ああ。だがリッターはあくまでブケの私兵組織、正規の帝国軍とは違う――という建て付けだ。国家全体の意思ではないと明示しつつ、運用は完全なトップダウンで小回りが利き即応性も段違いに高いのだからな…その気になればいつでもやれる、と」
「それはわかるけど…そんな言い訳、ソ連に通用するの?」
「実際にやってしまえばまず通りませんわね」
ルナはその細い肩をひとつすくめて。
「じゃあ、単なる脅し?」
「言ってしまえばそうはなるが…閣下のなさりようはある種極端なマッドマン・セオリーそのものだからな」
「こと軍事面では見た目予測不可能性の塊みたいな方ですの、一国それも大国の指導者が自らTSFを駆ってハイリスクな作戦に参加したり敵対国の部隊と直接戦闘をしようとしたり。普通に考えたら異常以外のなにものでもありませんもの」
「WW3が起きても構わない、みたいなことまで言ってたわよね…」
思い出しただけで背筋が寒くなる、あのソ連軍部隊と対峙した瞬間は。
イルフリーデの口調も我知らず下がる。
「あれじゃ『あのイカルガならやりかねない』と…思うわよね、敵も味方も」
「ただそこが、閣下の巧妙なところでもある」
「え?」
ヘルガは息継ぎに次いでカップを一度口元へ運び。
「少なくともあの時の作戦に関していえば ― 閣下には、ご自身を含めてそれこそ『ザ・シャドウ』やタカムラ中尉にツクヨミ中尉といった規格外の戦力があった。こと超重光線級討伐に関しては我々の戦力もあったろう、そしてソ連軍部隊と相対した際も…何やら連中については情報をお持ちのようだった――つまり」
「無理を通すに足るだけの成算は最初からあった、ということですのね」
「だろうな。そうやって戦術レベルでの驚異的な戦果をレバレッジにして戦略レベルでの交渉のタネにしているわけだ」
「ですわね。事実として閣下の突飛ともいえる決断や行動はほぼ戦術レベルに終始していて、戦略レベルでのそれらは合理的そのもの…ただその戦術レベルでの予測不可能性において個人としての損害許容度が振り切れてしまっている上に権威主義者的なふるまいも時として厭われませんから、戦略レベルでも狂人理論の担保としては十分すぎます」
「さらにこう…確かにギャンブル的な志向というか、刹那的な快楽主義の愉快犯めいた傾向も多分にお有りだしな…」
貴族特有の頽廃性 ― 生来の「持つ者」がそなえがちな破滅嗜好というか。
人の生なぞしょせん死ぬまでの暇つぶしにすぎぬのだから、楽しい方がよかろうが?
そんな底無しの虚無に触れかけてしまったあの一触即発の事態の折のみならず。
まんまと一杯食わされて、偽装を施されたショーグン機に斬りかかるなんて真似をさせられたヘルガはその時のストレスを思い出したのかやや顔を青ざめさせつつ。
「そして実際のところ――もしソ連軍がロヴァニエミ襲撃をし、それへの懲罰だとして閣下が即座にリッターを動かしエヴェンスクを攻めれば ― 例のソ連軍特殊部隊は遠く北欧へ出払ってるわけだから、元から対BETA防御で手一杯の現地部隊ではどうしようもないだろう。占拠でなく破壊が目的ならなおさらだ、あそこはフェイズ2で
「エヴェンスクは島嶼型に要塞陣地化されていますから、前段の外周戦ではレールガン攻撃を一定程度減殺できるでしょう。けれどそれ以降ではハイヴ周辺の狭隘な突撃級誘導路がまともに裏目に出ますわ、よりにもよってあのリッター相手に閉所での接近戦を自ら挑むようなものですから」
「そもそもハイヴ防衛戦力にヒビを入れられるだけでもとんでもない痛手よね。砲火力の類を破壊して回られたらBETAへのキルゾーン戦術が機能しなくなっちゃうし」
つまり、襲撃自体は成功する可能性が相応以上に高い。
そうなると、
「エヴェンスクの反応炉と
「東西の防衛線からもかなり離れたBETA勢力圏のまっただ中だものね…だからもし、エヴェンスクを失陥するようなことになれば」
「間違いなくソ連は報復に出るでしょう、けれど過大な戦力投射はG弾による
「となれば限定的な武力行使 ― たとえば等価交換として電撃的にヨコハマのハイヴを落とす、みたいな?」
「だがヨコハマはトーキョーとは目と鼻の先だ、スクランブルがかかれば最精鋭の帝都防衛隊が10分たらずですっ飛んでくる。それに今や例の
「第一ヨコハマは『国連軍基地』、さらにアメリカ軍まで駐留してますの」
それでは仮に政治的な事情をまるで無視できたとしても。
虎の子を奪うために確実に親虎のみならずより恐ろしい白頭鷲まで眠っている穴をわざわざ選んで入るようなもの。
「ですから代わりにニホンのどこかを攻撃するとしても ― ハイヴに匹敵する戦略目標となるとそれこそ重工業地帯ですとか大都市ですとか――大規模に民間人まで巻き込めば、全面戦争待ったなしですわね」
「ソ連もさすがにそこまではやるつもりはない、と」
「搦手で来るならまあ…ライヒの横腹を刺す形で大東亜連合内の共産勢力を支援する、か」
「それはいかにも
「となると適当な規模の帝国軍基地を攻撃して見せて国内外へのメンツを保つ、というところだが…ハイヴと引き換えにはとてもならないだろう」
「また仮にライヒから報復だとしてペトロパブロフスク・カムチャツキー基地 ― 極東防衛の要を攻撃されでもしたら、ソ連の極東戦略そのものが瓦解しますし」
そしてそんなことになればまさにソ連のみならず世界的な対BETA戦線にも多大な影響が出てきてしまう――それゆえに。
「ですから閣下は、ライヒのトップたるショーグン・ジェネラルはまず対話を呼びかけていると念を押してますの ― 彼女がミコシだなんてのはみんな知っていますわ、ですが同時にその担ぎ手が閣下ということも。その閣下の口から出た言葉ですもの」
「
「そうだ。それに形としてはウニオンへの釘刺しもあった、リッターのみでも無条件に援軍に出るわけではないし何より帝国軍の支援が欲しければ政府間で――まあつまり、見返りを寄越せということだな」
「ハイヴの権益、ね…でも、外交部門ならこっちの方が有利じゃない?」
「普段ならそうともいえるが…」
「今回は閣下ご自身がここまで前に出てきておいでですの。交渉を任されたのがライヒの腰が引けた政治家に官僚ならなおさら、逆にその顔色を伺おうとするとは思いませんこと?」
言い終えたルナに対してうー、とどこか間の抜けた声を出して。
後方国はいいなあと、皿に残った最後ひとつのヴルストをフォークに突き刺したままイルフリーデは唸った。
「だったら…そのイカルガ閣下が担いでる、あの『デンカ』はその……本物?」
仲間内でもずっと囁かれているその話題を、さすがに小声に潜めれば。
しかし応じるルナの態度はあくまでも素っ気がなくて、
「例の
「そうよ、一国の元首にしてはなんていうか…強すぎるし」
「それを言ったらイカルガ閣下本人はどうなりますの、彼も影武者だと?」
「それはそう、だけど…ヘルガはどう? 実際に戦ってみて」
「…私に聞くか…まあ、そうだな、まず――強かったのは間違いない」
先ほどと同じくあまり思い出したい類の記憶ではないからだろう、黒髪のドイツ騎士はひとつ大きく呼吸をして。しかし己の劣後を素直に認めた。
「あの時彼女がフラッグ奪取を優先しなければ、おそらく私はいずれ撃墜されていただろう。だがそこで時間をとられれば追撃隊がメインホールまで間に合った可能性もあるし、突入を支援した帝国軍部隊も殲滅されていた」
「
「ああ。ただ強いて言うなら…少数同士の近接戦に特化している気配はあったな、立場からして集団戦に順応する必要性は薄いゆえかもしれないが」
だがそれにしたってリッター全般に言える傾向だろうし、報道で見聞きしていたショーグンの姿形との差異もわからない。
「だから私には判断のしようがないな」
「そっかあ…うーん…」
「やけにこだわりますのねイルフィ、やっぱり将来的な
グラス片手に冗談めかして告げてくる伯爵家令嬢に次期公爵閣下はそんなんじゃないってと返しつつ。
「私も噂は噂程度にしか思ってなかったんだけど――」
ファーイースト・グロリアーナ ― 国営放送からタブロイド紙までの報道により今やここイギリスの民衆の間ではそう称されているという彼女――ユウヒ・コーブイン。
しかしそれこそこれまで報道で見聞きしていたにすぎないけれど、その印象といえば。
やさしく、ゆるやかに。
それでいて広く大きく民と国とを見守り包みこんでは恩寵をもたらす、照りつける夏の日のそれとはまた異なったやわらかで ― 悠然たる陽光のような。
だが模造されたハイヴの地下でみた彼女の剣の閃きは。
より清冽で、さらに澄んでいて。
想起させるのは深更の空 ― しかし漆黒の闇ではなくむしろ満天の星々が冷たくもどこか優しくまたたいて征く道を示すような――輝きを秘めた冥い夜。
そう、喩えるならまさに昼と夜。
姿形はまるで同じに見えるのに、あまりに対極的ともいえるその印象はとても同一人物のものとは思えなくて――
「――それ単に見た時の服装や環境のイメージに引きずられてるだけじゃありませんの?」
「そうだな」
「そ、そうかもしれないけど!」
現実主義のルナと理論派のヘルガには印象論ではやはり弱く。
それでもすげなく袖にされればイルフリーデも腹は立つというもの ― だが。
「まあ、十分に可能性はあるお話ではあるでしょう」
「えっ。でも、そ、そうよね?」
「ええ。けれどイルフィ、それに関しては、言ってしまえばもうどうでもいい段階に入ってますの」
一度肯定して見せてから。
策士がいつもの不出来な生徒を諭す口調になれば、そこに知的な同輩もまた同調を見せて。
「イギリスが叙勲を決めたからな。影武者の件が事実であるなら彼らは少なくともその尻尾くらいは掴んでいるはず…にも関わらずだ」
「…どういうこと?」
「共犯者になる、というサインでしてよ」
「同時にヘマはするなという重石、か」
もし影武者の件が事実で、その情報を掴んでいるとしたら。
「イルフィ、ガーター勲章の銘をご存知?」
「…嫌味はいいから」
「『
やや楽しげに水を向けるルナにイルフリーデがむくれてヘルガが助け船を出してやれば、今回それをどうとるかはライヒ次第でしてよとジョンブルたちと同じくらいに皮肉を効かせるユンカー子弟。
なにしろ大英帝国最高の栄誉を授けるのだから、万が一にもそれが毀損されるようなことになっては国辱ものだが、
「何にせよ影武者の可能性を指摘されたところでまずライヒ側が公的にそれを認めるはずがないからな。で、今後はイギリスもその限りにおいてはライヒに同調するということだ」
「欧州連合と英連邦の盟主がそうしますのよ、となればつまり西側の多くが『ユウヒ・コーブインを認める』 ということですの。その
「だから今後、もし東側が彼女を偽者だと非難しだしたとしても敵国からの情報戦だとはねつけるだけの話になる」
「そして仮に国内外のメディアが大スキャンダルだと騒ぎ立てても、何か動かしがたい決定的な証拠 ― それこそ本物と替え玉がそろって暴露会見でもしない限りは反動分子による攪乱工作だとして――」
場合によってはその会社ごと厳しい規制や処罰の対象になるだろう。
そもそもBETA大戦勃発以降ほぼ例外なくどこの国でもメディアに対する検閲や規制に加えて国営化も進んでいるのだから、社会のガス抜きとしての範疇を超えて過度に反体制的な発信自体がかなり困難というかほぼ不可能だし、またあまりに強いハレーションを引き起こす可能性のある報道もまた当然の如く控えられる。
「それにライヒ内でのショーグン・デンカとイカルガ閣下の人気は凄まじいと聞く、とりわけ保守愛国的な層においては。だから熱烈な支持者たちにはそんな噂を振りまくメディアは国賊としか映らないだろう、むしろ攻撃対象になるんじゃないか」
「まあそうですわね。それにあのイカルガ閣下でしたら『デンカがお二人いらっしゃったなら我が國の武威と威光も二倍であったな、武家の否定と廃絶が旨の左派の方々もそれをお望みとは実に奇遇な』とか仰って煙に巻くでしょうし」
「あー、言いそう…そうやって議論をすり替えたり論点ずらしたりするの得意そうだもの」
真面目を絵に描いて動かしたようなツクヨミ中尉の諌言…というかお小言に対し言を左右にするが如くでのらりくらりと躱していたのは、自動翻訳が入る前の日本語でのやり取りを傍で見ているだけでも明らかだったし。
「そういえばあの人英語はすごく上手かったわよね? なのになんでわざわざ清十郎に通訳なんて…」
「そこは外交の場じゃよくあることだ、まあ応答のための時間稼ぎとか正確性の担保という意味ではたしかに必要なかったろうがな」
「主権国家の代表――失礼、名代ですわね、である以上母国語で話すこと自体はまったく非礼ではありませんし」
「ホントに衛士にして…政治家ってわけね…」
国内においては民の圧倒的な支持を受けて事実上の舵を取り。
窮地のウニオンに右手を差し伸べつつ左手には請求書を握り。
背後のアメリカとはまあ適当にやっておくよと握手を交わし。
対するソ連にはまず一発殴りつけてからおいどうしたんだ涙拭けよと
あの常に浮かべた妖しげな笑みといい、底知れぬ力と技といい。
さらには古今最強の衛士まで配下に率いる極東の怪人 ―
「…計算ずくだったのかしら、なにもかも…」
「ム…それは…どうだろうな…」
珍しく言いよどんだヘルガはだが時計を気にして時間を見。
そろそろブリーフィングの時間だと僚友たちを促しつつ席を立つ、イルフリーデもやや慌てて皿が載ったトレイを手に立ち上がれば。
「…あまり大きな声では言えんが…」
確かに二手三手先も見ておいでなのは間違いないが。
ただそれよりむしろ、目の前の状況を即興でもって最大限利用する術に長けているような――だとしたらそれは。
政治とは可能性の芸術 ― そして命運を決するのは、ただ鉄と血。
その文句を遺された、我らがハイマートの祖たる方。
「彼も我々にとっては英雄だが」
「他国からしたらきっと
どうもイカルガ閣下はその類らしい、それも相当にタチの悪い――イルフリーデの耳元で、怜悧な知性の有翼獅子と智略に長けた雌獅子の分析結果がそう囁かれた。
― 3日後
イギリス。
ロンドン中心部・ソーホー西。とあるパブ。
時計は19時を過ぎてはいても。
大きな窓のすりガラスの向こうに見える街はまだ昼間の明るさ。
わずかに酔いを自覚しながら、小兵ながらも剽悍な日本帝国陸軍・龍浪響中尉は3杯目の1パイントグラスを重厚なマホガニー製のカウンターで注文した。
「セイムアゲイン、プリーズ」
空いたグラスをバーテンに渡して新しいビールを受け取る ― 1杯目の折には軍服じゃなく楽だからと野戦服で来たせいもあるだろうが「ヘイ坊やすまないねたしかにウチの国は家でなら5歳から飲んでもいいが店じゃ16までは大人の同伴が必要なのさ」とまるで悪意なくそれどころかちょっとすまなさそうに普通に断られてはなはだ傷ついた、なのにそこに通りかかったあのフランス軍のチビエール大尉には「こりゃ大尉さんお元気そうで南部産のスパークリングでいいのが入ってますよスコッチエッグにステーキ&エールパイと一緒にどうです」なんて愛想よく訊ねるもんだから唖然として眺めていたら出てきた高そうな酒となによりとんでもなく山盛りの料理にさらに唖然としていたらそれらを抱えたその金髪の小虎女に去り際フンと鼻で嗤われて憤慨したりした ― が、ともかく。
イギリス伝統のリアル・エールは炭酸が弱くて泡がなく、さらに冷えてもいない。
もう2年前になる最初の欧州派遣の時にはじめて飲んだときにはなんだこりゃと思ったし、今でも正直日本のビールの方が好きだ ― が、それでも合成品でも文句は言えないこのご時世にまぎれもない「本物」だ。
しかも今日は全部イギリス軍部隊のオゴりだとかで。
なんでも援軍の礼と受勲の祝いを兼ねての太っ腹、ホントならビール一杯5ポンドくらいはするはずだが急遽の訪英滞在でもある今回じゃ大隊と大使館給付のものを合計したって手元の英国紙幣は子供の小遣いくらいの額にしかなってない、代わりに軍票を出して店の人にイヤな顔をされずに酒が飲めるわけだから感謝するほかないだろう。
店内は広く、天井も高い。
収容人数は300人を超えるのだとか。
けっこう伝統ある店らしい、それも軍と所縁の深い。
だからか壁や梁にはいろんな時代の ― 主に過去の人類同士の戦争の時の ― 兵士や部隊や戦車だの飛行機だのの写真のほかに部隊章の入った旗やら盾やらが数え切れないくらいに飾られていて、さらに隅に置かれた大きなガラスケースの中にはヘルメットやら砲弾やらはてはガスマスクといった記念品が展示されている。
その一方、店の内装といえば。
オレンジ色の光を放つアンティークな照明が店内にまだ明るい外とは裏腹に夜の雰囲気をもたらし。
モザイクタイルの床の上に敷かれた絨毯、さらにその上のボタン留めがしてある革張りのソファ。それらの他にも大きめのテーブル席やら仕切りのついたボックス席などが多数設えられ。
注文をする長く伸びる分厚いカウンターは濃い茶色に磨きあげられていてその向こうには彫刻入りの大きな木製の酒棚、揃って縁にはこちらも磨きたてられた真鍮があしらわれていて柔らかい照明の光をやや強く反射していた。
つまり日本人の感覚からしたら「純英国風」 ― 妙に格調高げで敷居が高い印象があるが――
「戦友に乾杯!」
「おうとも!」
「そーれイッキ、イッキ!」
広い店内各所から聞こえてくるのは日本語やら英語やらあるいはその他の言語やら。
会が始まって1時間ほど、各国軍まちまちの着崩した軍服やら
それこそ2年前あたりに初めてこのテの店に来たときは正直驚いたものだが、パブはパブであってしかも若い軍人が集まる店ともなればまあこんなもんなのが普通らしい。
だから最初こそ遠慮がちに言葉少なく飲み進めていた帝国軍の衛士たちにしても、共に来た欧州連合の同輩達が遠慮なく騒ぎ出すのを見ていればほどなく ―
「おう龍浪ィ、女王サマから頂戴した勲章サマは置いてきたのかァ?」
「当たり前じゃないっすか、あんなのかけてられないっすよ」
同じくおかわりをもらいに来た同大隊の先任に肩を叩かれ冷やかされる。
カウンターに椅子はないわ注文を取りに来る店員もいないわと日本の飲み屋との違いを最初は散々に言っていた彼らも今やわりとしたたかに酔っているらしい、もうじき「此処は御國を何百里~」とか歌い出すかもしれない。
明後日には日本へ向けて発つ。
その前に、互いの奮闘を称えこれからの武運を祈って。
そして同時に、先に逝った戦友たちの魂を慰めるためにと。
欧州連合軍の衛士たちの方から、まあ要するに「パーッといこうぜ!」と声をかけられて始まった、エラい人はいない気楽なパーティ。
連日の、栄誉には感じるが言ってしまえば堅苦しいばかりの式典やら会食やらに比べたら正直こっちの方がずっと自分の性にはあっている、庶民を自覚する響の本音はまさにそれ。
だがその一方で、主に一身上の都合からして今一つ晴れない気分のせいでせっかくの時間と場所を楽しみきれないのもまた事実だが ―
「龍浪中尉」
「ン。おう、どうした」
呼び止められてゆっくりとだが進めていた足を止めれば、ほどほどの大きさのテーブル席を5人で占有している女衛士ら ― 揃って黒髪に白い斯衛服の白牙中隊古参組。
響にとっては見慣れた出で立ちにはなるがはっきりいってこの場ではかなり浮いてる、テーブル上には酒や食べ物も並んではいるし周りの喧噪に包まれながらもそれでもこの場所だけはややの静けさがあるような。
「やっぱ慣れないか?」
「いえ。賑やかなのにはもう」「でも」
「――ああ、『虫除け』か?」
「はい。少しいいですか?」「千堂少尉は?」
「あー…いいよ、今はちょっと、どこかな」
今一番聞かれたくないことは流して気安く応じてみせながら、響はどうぞと指し示された席に就く。
帝国軍の衛士ならまず、斯衛の女子だけで固まっていれば迂闊にコナをかけてきたりはしないが。他国軍それも多少なりと酒が入っていたりもすれば、やはりというか当然どことなくの気品を纏った彼女たちにも気後れせずに ― むしろ場合によっちゃより好んで突撃してくる。
「篁中尉は?」
「お知り合いと」「瑞典軍の方だそうで」
あああの巨乳の金髪さんかな、と一度覗いたことがある大きくてふかーい谷間を思い出せば、
「下品ですよ」
「なにも言ってねえ」
「わかりますよ」
「心を読むなッ」
そんな実に心温まる会話を交わしつつ。
衛士同士の話となれば、まあおおむね戦術機やら操縦やらの件になるのもまた当然で。
「そういえば…あの中尉殿と篁中尉が模擬戦してるとこって見たことねえな」
「あ、それ聞いちゃいます?」
「隊が発足した頃は…けっこうやってたんですけどね」
わずか遠い目をした彼女は、それこそ開発中隊発足以来の最古参のうちひとりらしい。
「いつだっけ、鉄原のあと…中尉が退院されて来られたあとだったっけ」
「そうそう隊長が『腕が鈍っていないか確かめてやろう』とか言って」
「一対一で始めて、…5分くらいはやってた?」
「そうですね正確には4分48秒」
「最期は隊長が例の零距離抜刀術でもって――」
無理矢理相討ちに持ち込んだらしい。
「相討ち…」
「判定としては隊長の負けでしたけどね」
「でも千分の一秒差で中尉の機体も撃墜確実、初めて見ました中尉が墜ちるの」
「けど半分避けてたのもおかしいって」
「普通というか普通じゃなくてもまず真っ二つのはずだもんね」
「おいおい…」
あの人でもそんな風に負けることあるんだな、いやそれでも勝ったことは勝ったのか。
「ただ問題はそのあとで」
「なんかあったのか?」
「それまでなら隊長、どんなに惜しくても負けは負けだとわりと淡々としてたんですけど」
「敗北・戦死。但し敵衛士も死亡確実」との判定を見た彼女 ― 篁唯依は。
薄く小さく ― 笑ったのだという。
――それも、ひどく嬉しそうに。
「あれ、めちゃくちゃ喜んでたよね…」
「うん…あんな嬉しそうな隊長、初めて見ました…」
「怖かった…」
「たぶん…最初っから
「重すぎ」
さしもの白牙連中でもやや扱いには困る話ではあるのだろうか笑い話(?)ではあってもわずか声を低めてのやり取りになる、一方の響はなんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がしてただでさえぬるいビールがさらにぬるくなった気がした。
誰かに盗られるくらいなら――貴男を殺して終いたい
然すればふたりが生きた此の日にも ― ふたりで生き終えた其の日にも
唯此の血と命の総てを依代に為て――ふたりの証を刻めましょう
うへえ…
あのツェルベルスの二番機すら一刀の下に斬り捨てた超々高速の一撃が、まさかそんな心中目的で編み出された絶技だったとは。
「でもそれで」
「まだあるのかよ」
「面白いのはここからだって」
「それ以降、味を占めたのか隊長は何度も中尉に手合わせしようってせがんだんですけど」
「中尉は『…最初から勝つ気がない奴とやっても意味がない』って」
「あ、似てる似てるw」
「あー、それで二人が模擬戦することはなくなった、と」
自ら避けられる原因を作ったのなら皮肉な話、そんな風に鬼の居ぬ間のなんとやらではあるのだろうが適当に話を弾ませつつもやはり生真面目にも生真面目な連中ではあるのだろうそこからは主には先の超重光線級討伐についてのあれやこれやを問われて語りをしていれば。
「よッ、タツナミ中尉殿。両手に花どころか両手両足に…あとはどこだァ?」
「なに言ってんだ、よせってブラウアー少尉」
やや色の薄い赤い髪、整った顔立ち、黙ってさえいればそれなり以上にモテそうなタイプだが着崩した軍服からしてそうはならないツェルベルス所属のウォルフガング・ブラウアー少尉。
はなはだ軽い調子の声と共にするりと左肩から回されてくるそう太くはないがその実鍛えこまれてしなやかな腕、そのまま互いの顔を近づけてのひそひそ話。
「まあそう言うなって……ファ島で話したろ?」
「……ああ。例の」
「そうそうそうそう、例の」
楽しげにくつくつと笑うブラウアーの呼気には大して酒気も感じない、よほどに強いのかそれともあまり飲まずにいてもこの調子なのか。
「引っ越し済みの『世界で最も罪深い1マイル』、ドイツ裏名物FKK ― ハンブルグ奪還祝いはまだやってるぜ、あんたにゃ世話になったしヤーパンに帰っちまう前にちゃーんといい思い出つくっていってほしいのさ」
「そりゃその気持ちはありがたいけど…」
「心配すんなって、いい店といいコを紹介すっから。間違いねえ」
「いや…その、持ちあわせがな」
「あン? …あーそっかポンドがねえか…いいぜ、そんくらい貸してやるよ」
「貸すったってお前…」
「気にすんなって、返してくれンのはいつだっていいさ」
「いやそりゃいくらなんでも悪いだろ」
「あんたと俺の仲じゃねーか、カタいこと言うなよカタいのはあっちだけにしとけってw」
「おっさんかよ…って、んー……、いや、やっぱ遠慮しとくわ」
「あーん? なんだよツレねえな…あー、センドウ少尉か?」
「あいつは関係な…いや、だいたい、今から行って
「おっとそのへんも抜かりはねぇぜ、ウチの隊で
歴戦のそれもドイツ軍人らしく実に用意周到というべきだろうか、さらには響の外堀を埋めていくかのように、
「実は清十郎の奴も誘ってんだ、でも渋ってやがってよ、興味津々なのは見え見えなのに。要するに誰かが背中を押してやらなきゃ動けねえのさ」
「あー…」
「でも悪い奴じゃねえ。臆病なわけでもねえ、アイツは勇敢な男だ。ただマジメすぎんだよ、そう思うだろ大将」
「それは…そうだな」
「でもヤーパンに帰っちまったらアイツはいいトコの坊ちゃんなんだろ。だったら気楽に楽しむなんてもうできやしねえ」
「そうかな…そうかも」
「だろ? ってことはこのまんまじゃ
「そうだな…そうだな」
「だから…頼むタツナミ。アイツを、清十郎を――男にしてやってくれねーか!」
「よしわかっ――」
――
なにか突き刺さるものを感じて顔を上げれば。
テーブルの向こうから差し込まれる冷たく鋭い目線が5対10本 ―
「最低」「不潔」「無理」「引くわー」「ありえない」
「ちょっ――」
なんで俺だけ、と抗弁しようとしたその瞬間。
響のすぐ脇、ブラウアーとは反対側の右脇を抜けて。
踏みつけるように蹴り込まれたコンバットブーツ、その分厚いソールが大きく重いテーブルの縁に衝突し重い音を立て続けて跳ね上がった机上の食器が着地を決めてさらにハデな音を立てた。
「うわ! ――なん、」
だよと言いかけ振り向けば。
左横すぐのカーキ色のブーツから辿る伸びていく脚、オリーブドラブ色の野戦服ズボン、濃いグリーンの緑のベルトの上には黒色のタンクトップに白い腕とそして ― スウェーデン軍の巨乳さんほどまでではないかもだがかなりご立派な双丘それも組んだ腕の上でさらに強調されててスゴいまた同じく肩口で切りそろえられた金色の髪――フランス軍の、
「エイス少――」
「ちょっとツラ貸してよ、タツナミ中尉」
遮られた。
振り仰いで見たふだんは陽性の美貌にしかしいま表情はほぼなく。
そして低い声にブレない視線 ― つまりめっちゃ怒ってる。
な、なんだよ?
内心ちょっとビビりつつ俺が何かしたかよと聞き返そうとした矢先、
「ちょっと仏蘭西さん」
「それはないんじゃない」
「仮にも上官に向かって」
「そう仮にも」
「あくまで仮にも」
思わぬ援軍テーブルの向かいから白牙の面々が剣気含みの視線を寄越す、その内容には少し思うところはないではないがちらと見やれば倒れて割れたりした酒のグラスはひとつもなくてどうやらエイス少尉の蹴りの衝撃で跳びあがった瞬間に全員掴み取ったらしいさすが篁中尉の隊員だけあるやっぱり怖いなこの連中、それでも。
「
「罵るにせよ通じないと思っている仏語で等と口程には意気地が無いな仏蘭西軍」
組まれていたむきだしの白い両腕が下がるとあえて脱力して戦闘状態に入ったことを示すエイス少尉にまるで臆した風もなくゆらりと立ち上がる白牙小隊、先の物音と放ちだされた剣呑な雰囲気に周り近くの喧噪が一瞬止んだ。
ともかく一体何がどうして――
こんな怒ってんのかと思いかけて。
エイス少尉の向こうにちらと見えたのは、同じく憤懣やるかたないとむしろさらに顔に出しているウェーブのかかった金髪のジョゼット・ダンベルクール少尉と ―
その彼女に肩を抱かれて ― 実際には抑えられているらしい ― 「そ、そんなに大事にしないで」と言わんばかりに逆に焦った様子の長く艶やかな黒髪――柚香の姿。
それを見て取りあー、とおおよその構図を把握した響だったが。
「なによあんたら。中尉がユズカになにしたか知ってて庇ってんの?」
「いや」「別に」「でも」「蹴る必要ある?」「私のお酒」
「この人ユズカを抱いといて、そのあとこっそりベッドから出て。すぐあの年増の狂犬少佐と隠れて逢ってたって言うんだよ」
「――!?」
なんだか事実誤認が甚だしい、たしかファ島のあの時は。
眠っている柚香を起こすのも悪いとそのままにして、考え事をしながら基地を歩いて気がついたら滑走路にいて。そこへたまたま神宮司少佐殿がロヴァニエミから飛んできた ―
というだけの話のはず、見れば「いいから」とダンベル少尉に制止されてる当の柚香も「ちょっ、エレ、そんなこと言ってない――」とか大焦りしつつ衆人環視ならぬ衆人環聴の中で情事の事実までさらっと暴露されてしまったからだろう真っ赤になってしまっている。
要するに。
ここ数日柚香に避けられていたのは事実。
だから今日も一緒にいなかった。
それでそのきっかけが
たぶん、まるきり似たような悩みを柚香も抱えてて。
その相談を受けた二人組が、いわゆる「乙女の義憤」に燃えて突っかかってきたということ――
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
「ハ、言い訳かい?」
「違うって、その、まさかすぐ目を覚ますとは思わなかったし見られてたなんて知らなかっ――」
「はあ!?」
いやマズいこの言い方だとさらに誤解されかねんと後悔した瞬間には時既に遅く柳眉をさらに釣りあげたエイス少尉に胸座をふん捕まれうわ力強い、
「最低」「不潔」「酷すぎ」「死刑で」「異議なし」
さらに味方だと思っていた白牙の面々も一転して敵方に回るそして気づけばすぐそばに居たはずのブラウアーの姿が無い、逃げ足速ェ!
かくして孤立無援、絶体絶命の窮地に立たされた「巨大種殺し」の運命は ―
騒がしい。
重厚なつくりの木製ドア、観音開きのそれの片方を開けた瞬間日本帝国軍・駒木咲代子大尉の耳朶を打ったのは喧噪だった。
帝国軍と欧州連合軍の衛士らが集っての慰労会真っ最中のパブ ― 一分の隙も無く着込んだ軍服、逆ナイロールの眼鏡に整えられた髪の彼女にはまるでそぐわない場所。
それでも一切の躊躇の気配も見せずに知った顔を見つければつかつかと歩み寄り、
「おい、赤松を知らんか」
「はァ?――こッ、駒木大尉殿 ― い、いえ自分は」
「そうか。邪魔したな」
ソファに身を預けて何やら大声で喋っていた赤ら顔の大隊員は立ち上がりこそしなかったが姿勢を正した、それだけで馴染んだつもりの隊内では自分がどういう立ち位置なのかは十分に解る。
ロヴァニエミからドーバーまでの移動中、故障箇所の出た機体の損傷報告書。
明後日の軌道輸送に向け
それくらいなら最初からこちらに投げておけ…
そうしたらそうしたで、無言のまま冷たい視線のひとつも送ったことは間違いないが。
駒木は変わらず騒がしい店内を見回した。
来るつもりは最初からなかった。
まだ片付けるべき仕事は山のようにあって。
それでも、忙しい方が良かった。
なにしろまた――生き残ってしまったのだから。
神宮司少佐は、行き届いた視野と確実な眼力の持ち主で。
ハイヴ防衛戦時の大規模
理由は「部隊の統率にはお前が必要」 ― それは論理的ではあるが。
実際のところは、荷が勝ちすぎるから。
まず生きては帰れない――だからこそ、志願したというのに。
「Hey Stella, get over here!」
一際大きく聞こえた店内奥からの呼び声、ちらとそちらを見やれば視界には見知った色 ― カウンター近くに山吹色の後ろ姿、一緒にいるのは国連軍野戦服姿の白人女性衛士。
「――ああ、もう、仕方ないわね」
「相変わらずの人気者だな?」
「あなたがそれを言うの、
「やめてくれ、
「フフ、似合ってると思うけど」
金髪と黒髪の親しげなそんな会話、そこへまた怒号に近い男の声が。
しかも今度は複数、仕方ないとばかりに肩をすくめた国連軍は、
「元気でねユイ――また会いましょ」
「ステラこそ息災でな――武運を」
ひとつ強めに黒髪の ― 篁中尉を抱きしめて。
篁中尉も頭半分ほどは背の高い相手に控えめながらも触れて応える。
互いに軽く眼を伏せての別れ際、衛士同士の別れ際。
そして去りゆく国連軍を見送った後、振り向いた視線は真っ直ぐに。
「駒木大尉」
「ああ、敬礼はいい ― すまないな」
黒耀の瞳そこに特に驚きはない、酔った様子もなく。
そして以前まであったはずの顔左脇で結わえていた一房もないがたぶん見ていたことには気づいていたのだろう、邪魔をしたことは素直に詫びれば。
「なにか?」
「うちの隊の者を探しにな」
「手伝います」
「いやかまわん、独りで」
「――この中をですか?」
ある程度は各国軍各部隊ごとに固まっているとはいえど。
すでに宴もたけなわ酔っ払った衛士共が3個連隊規模で騒いでいれば目的の者を探し出すのはそう容易であるはずもなく。
正直あまり口を利きたくもなければ手を借りたい相手でもないが背に腹は代えられない、それに妙に固辞するのもそれはそれでと思い直して手伝いを頼み手分けして探すこと5分ほど ―
店内壁際の
高めの板に囲まれた、4人がけのそこにひとりで座る旧知の衛士に駒木は出会った。
「…」
「…駒木か…」
同じ欧州派遣兵団第2連隊所属ではあるが。
第3大隊所属の駒木に対して、その男は第1大隊 ― 帝都防衛師団由来の古参衛士。
あの大逆未遂事件を起こした――大尉と同期の桜。
蜂起に直接参加してはいなかったが ―
「お互い…悪運は強いな…」
その低い呟きと共にゆるく向けられたのは酔眼、それも澱みがちの。
そう遠くはない記憶の中ではもっと精悍だったはずの顔は影を背負って数歳年を重ねたようにすら見え、また常に清潔に整えられていたはずの頬から下顎には無精髭が伸び出していた。
わずかかけるべき言葉を探した駒木が見つけたのは、しかし誰も座らぬ席に置かれた酒の注がれたグラスが3つ。
「……斑鳩公の…流石の御采配といったところだ…」
白木の箱で帰還しようにも骨すら残らなかったがな、と。
「森永には病気の息子がいた…中村には女手一つで育ててくれたおふくろさんが…」
本来なら ― 栄えある帝都防衛師団所属として故郷に錦を飾れもしたはず。
「それを…武家の見栄で始めたこんな戦で…」
「飲み過ぎです、水を持ってきますから」
「――待てよ」
踵を返しかけたところを呼び止められ。
「駒木…お前……沙霧を売ったのか」
「――」
その、低く澱んで沈んだ声に。
駒木は感情が石になるのを自覚した。
「巌谷閣下に尻尾を振って…次は国連からの出戻り女…ずいぶん器用に立ち回ったものだが…結局は俺たちと同じでこんな北辺送りとは…クク…アテが外れたか…?」
低くくぐもった笑い。
しかし駒木の色が失せた瞳は変わらず。
似たような言葉をかけられたのは ― とうに一再ではないから。
大逆未遂の一派その中枢に居ながら独り生き残り――いや、取り残された身なのだから。
それも ― それでも大尉が――生きろといったから。
そこへ、
「駒木大尉、向こうには ― 」
「篁中尉――」
「…篁。ああ」
よりにもよって不味いところに。駒木が間に入る間も無く。
「音に聞こえた剣姫どのか…中山さんと田畑を斬った…」
「……此方は?」
「ああ、――すまん、ちょっと酔っててな」
「…ああ」
する、と表情が一段落ちた唯依との間に。
今度こそ駒木は執り成すように割って入るも、
「…愛しの黒殿の容態はどうだ……王立病院だと? ふざけやがって」
そう吐き捨て大きく酒を呷る男は、
「平民でもお武家様の犬にさえなればお慈悲のひとつももらえるのか…こっちは戦傷ひとつで首くくらにゃならん者だっているってのにな…」
「…ロヴァニエミでも救護所に野戦病院は機能していたはずですが」
「ああ機能してた…重傷なら高給取りの軍医様に出撃を止められるくらいにはな…」
「…では何が」
「フン…譜代の姫には…洗うが如しの赤貧などと…想像もつかんだろうが…」
仮に戦術機への搭乗が困難な程の戦傷を負えば傷病兵として登録はされるも。
「片腕片足潰れて帰ったところでどうするんだ…戦地手当に搭乗手当までなくなれば…雀の涙の傷病手当じゃ
「…衛士には再生医療が優先的に」
「そりゃ
お武家様やら英雄様はと。
それは明らかな怨嗟の声で。
「でも俺たちみたいなのにはその順番が回ってこない…あんたらが割り込んで来れば後回し後回し…半年待たされてる間に家族は日干しだ……持田さんはなぁ!」
男は干した杯を机に叩きつけ。
「このままじゃ一番上の娘さんが身体を売るしかなくなるって言って――自分からBETAの群れに突っ込んだんだよ! …戦死なら…賜金も扶助年金も大きいからな…!」
やり場の無い怒りと恨みと哀惜とが込められた視線を自らの隣の誰も座らない席と減らない酒とにただ注いだ。
客観的に見れば ― 愚行以外の何者でもない。
戦術機一機生産するのにどれほどの資源が費やされているのかを考えれば。
だが食うために、食わせるために。
軍に入る者はこのご時世ではザラだ。
そして終わりの見えない対異星種戦争の中、増大の一途を辿る国防費を賄うため課せられる重税に反して細っていく福祉。
元から経済余力の少ない地方ではさらに顕著で、人口維持と将来的な人的資源の確保の面から出生率を上げるため多産が推奨される一方でそれを担保するための公的支援は十全にはほど遠く ― 年少の弟妹を養うため女衒経由で色街とまではゆかずとも、近場の中小都市でかつての飯盛り女よろしく実態として身をひさぐ女児は後を絶たない。
世界に冠たる帝国軍の ― だが確かに存在する影の部分。
かつて――沙霧尚哉が直視して、正すべきだと糾した社会の暗部。
「…」
だがそれでも。
駒木も唯依も黙って聞いた。
「…中尉、すまないが水を」
「…はい」
酩酊深まり俯いて黙った男、しかし唯依と二人にするのは不味い。
そして使いにやった唯依が水のグラスを携えて戻った時には、しかしほぼ寝息らしき呼吸音が聞こえていた。
「…」
「このままでいい。後でうちの隊の連中に運ばせる」
「…はい」
理不尽な話だ ―
目指すべきものも守るべきものも慕っていた男すらも。
喪って久しく、ただ目の前の軍務の中での死ならば赦されるかと。
もはや屍の如く永らえているに過ぎないだけの己がまだ生きていて。
守るべき者も慈しむべき者もそなえる者がその命を散らしていく ― 無量広大とされる神や仏の慈悲すらも、この終わりの見えない戦争のなか繰り返される悲劇のあまりの多さ大きさに払底したということなのか。
変わらず騒がしいはずの店内、だがこの一画だけはあたかもその音が重みを持って落下を続けているようにどこか遠く――が。
わっと湧く歓声、聞こえてきたそれに駒木と唯依が振り向けば。
店内中央近く、やや遠巻きの人だかりのその真ん中で。
龍浪響が千堂柚香に土下座をしていた。
「――が った!」
喧噪に邪魔されうまく聞き取れないがなにかを叫んでいるらしい、そしてすっくと立ちあがるとやおら自分より少しだけ背が高い彼女をそれでも力強く抱き寄せ抱き締め口づけた ― 一気に静まる店内全体。
そのままたっぶり10秒以上は口づけていただろうか、ようやく離れた二人に今度は一転してのさらに高まる歓声に、口笛指笛やっかみ声。
「よくやった!」
「いい男だよアンタ!」
「くっそバカヤロー死んじまえー!」
「まったく…世話が焼けるね」
「やったぁ! おめでとユズカ!」
見ればその人だかりの最前列あたりには二人のフランス人、腰に手を当てやや呆れ混じりに苦笑風味のエイスに目を輝かせて跳びはね喜びを表すダンベルクールの両少尉 ―
――そしてそれら人の輪の中心でさすがに照れくさそうに頭を掻く響と真っ赤なままやや俯いた柚香の姿を、見るとでもなく見ていた駒木は ―
「…」
同じく無言で隣に佇む、山吹の斯衛のその変わらず表情の抜け落ちた横顔に――強いなにかの感情が、流れて落ちていったような気がした。
こうして衛士たちの束の間の宴の夜は更けていく ―
かけがえのない伴侶を得た者たちも。
とうによるべを喪った女も――求めても得られぬ女も等しく包んで。
― 同時刻
日本帝国横浜。
国連軍横浜基地地下・副司令執務室兼研究室。
十分な光に照らされたその空間は未明にもかかわらず明るく、さらには個人用の空間としては広く――相変わらず散らかっていた。
左右の壁沿いには乱雑に書籍や資料やらが突っ込まれた本棚に書類棚、果ては床にまで散らばる書類に本にメモ書きの類。そして正面奥、壁に大きく貼られたUN徽章 ― オリーブの枝に抱かれた地球 ― の手前の執務机の上までもほぼ積まれた書類で埋まっている有様ときては。
その確認と決裁待ちの書類地獄の谷間で、香月夕呼博士(大佐待遇兼副司令)は革張りの椅子に座ったままで二重の意味で遅い来客を出迎えた。
よれた白衣の下の国連軍の制服のさらに下、本来蠱惑的な肢体にも慢性疲労が蓄積していて偏頭痛も治まる気配がないとくれば、つり上がり気味の目の美貌から声音までも不機嫌さを隠すことなく。
「――ずいぶん遅いご到着ね」
「すまないね。しかし優秀な人間というのは、知らず他人を過小評価しがちなものだ」
君には言うまでもないだろうがね、と。
青基調のスリーピースを身につけた痩身の白人男性、ごく自然なイントネーションの日本語を操るフランク・ハイネマン。
米軍事大手ボーニング社の戦術機開発部門重役にして「戦術機の鬼」の異名を取るスペシャリスト――だが。
壮年を過ぎて老境にさしかかり、陽光を浴びる生活をしていないせいなのか元から白い肌はさらに白く見るからに不健康そう、なで上げた金髪にも艶がないとくれば実年齢より老けては見える ― も。
かつての彼を知る者が見れば、大きな縁なし眼鏡の向こうの眼光は少し丸くなったことに気づいたかもしれない。
「弁解に聞こえるかもしれないが、あまり彼らを甘く見すぎない方がいい」
「解ってるわよ。
国連はアラスカ基地にて進められている
今や夕呼も所属する
原理主義的にG弾戦略の推進と遂行を押す進める最強硬派こそは皮肉にも超重光線級の出現によりその勢力を減じたものの、その他反オルタ4派から米覇権主義派に対日強硬派までも含めたら事実上は敵だらけといってもいい。
「まあ、遅れた理由はそれだけではないがね…」
「なによ?」
「順を追って話そう…座っても?」
どうぞと視線で促せばハイネマンは壁際に適当に寄せてあっただけのいちおう肘掛けこそはついてはいるが安っぽいキャスター付きの椅子を手ずから引っ張ってきて座る、おそらくアメリカの彼のオフィスではおよそあり得ない光景だろう。
「なんか飲みたきゃ自分で煎れて。さすがにピアティフをこんな時間に起こせないわ」
「いや結構だ。まず第一に、妨害があったのは確かだが…ユウヤ君の機体の審査がなかなか下りなくてね」
「呆れた、オモチャと一緒に太平洋上を飛んできたの?」
「イーニァ君には彼が必要だ。そして彼には戦術機が必要だ」
「ホントに戦術機バカね、あいつもあんたも」
「褒め言葉として受け取っておこう、で…第二にこれだ」
まったく何気ない素振りで。
スーツの上着の左胸裏ポケットからハイネマンが取り出したのは、一辺10cmもない程度の半透明の立方体。その中にはさらに灰色の立方体が入れられている。
ことりと静かに執務机の上に置かれたそれを、夕呼が訝しげに凝視したのは半瞬に過ぎず ―
「――!」
「
出来たばかりのプリンストンの試作品だよ、君が提唱していた超伝導量子ビットによる量子回路にはまだ遠く及ばないがね、と。
「君の切り札…これでとりあえずはなんとかなりそうかね?」
「……ええ。礼は言っておくわ、ありがとう」
十全とはおよそ呼び得ないにせよ。
どん詰まりになりかけていたボトルネックがこれでなんとかなる、古びた椅子に腰掛け足を組んだその老人に夕呼は(彼女としてはかなり珍しく)謝意を伝えた。
そもそもXGシリーズと、それを産み出したHi-MAERF計画のはじまりとは ―
今を去ること30年前、1973年。旧中国内新疆ウィグル自治区カシュガルにBETAの手に落ちた月より打ち出された着陸ユニットが落着。
そしてその翌年には北米カナダ領アサバスカに同種と思しきユニットが撃ち込まれた。
これに対しアメリカは前年の中ソ連合軍の敗退を教訓に、先の大戦後の1949年NATO発足時どころかそれ以前より恒久的合同防衛委員会を設立して緊密な安保関係を結んでいた友好的隣国カナダに対して戦略核を集中投下するという果断極まる軍事行動に出た。
これによりカナダはその国土のおよそ半分が放射能汚染により居住不可能な死の土地と化したものの、その代価は第二の落着ユニットの展開阻止と――その後の調査による未知の存在・BETA由来物質の入手として結実した。
これを精査した研究者の名を取り「グレイ・エレメンツ」と呼ばれたそれこそが ― すなわちG元素である。
単離された順にナンバリングされたそれらのうち11番目、グレイ11が備える抗重力反応により提唱されたのが重力制御理論たる「ムアコック・レヒテ(ML)理論」とその応用としての「抗重力機関(のちのML機関)」、そしてそれらに着目したのが――「戦艦クラスの大規模火力を備える巨大機動プラットフォーム」の開発によってBETAに対抗しようとしていた者たちだった。
彼らの構想とは、元は複数の原子炉搭載により月面のような低重力環境での運用が想定されていた巨大機動兵器それを上記理論の実現により地球上での稼働すら可能たらしめ、かつ同理論に基づく重力制御による対レーザー防御及び重力制御時に発生する莫大な余剰エネルギーを電力に変換することで超高威力の粒子加速砲すらも搭載するというもの ―
皮肉にもこの時期、すでに開発が完了していた新兵器「
それすなわち対BETA・絶対無敵の単艦制圧戦略航空機動要塞 WS-110A 開発計画 ― 「Hi-MAERF」が動き出し――
結論からいえば、頓挫した。
その理由は種々あって、ひとつには本計画の副産物ともいえる「サンタフェ計画」 ― ML機関を制御するのではなく単純にその臨界超過反応を用いた兵器とするもの――すなわちG弾の開発と実用化が大きかったが、純粋に本機に関していえば究極的には基礎技術 ― それもML機関が発生させる重力場「ラザフォード場」の制御管制に要する電算能力の致命的な不足があった。
その結果として
これは同機の戦闘機動試験時に通常のラザフォード場の制御に加えて複雑化した機体制御に機器の演算能力が追いつかず、本来逆位相のラ場を展開して安全に隔離されるべき有人区画にまで重力偏差による潮汐変形効果が及んだためだった。
だがそれも無理からぬ話であって、時は1980年初頭、電子演算を可能とする集積回路関連の技術としては、軍事的には50年はじめの統合宇宙開発計画(ダイダロス計画)を皮切りにその後のICBM・
さらにいえば ― その後80年代に入るとBETAの侵攻は激化の一途を辿り遂にはユーラシア失陥という事態にまで発展したため、精密機器なかんずく半導体の供給は対BETA戦主力となりつつあった戦術機へと集中していき軍需民需双方を圧迫。
しかも戦術機関連で高度な集積回路を最も多く用いる箇所といえばその中枢部・管制ユニットであって、そしてそれは米マーキン・ベルカー製のものが全世界統一規格となっていた。
その結果――悪化する戦況を支え補い或いは挽回するため半導体の需給は常に逼迫状態となり、まず第一に優先されるのはその時点で要求されるスペックを満たす製品となり。
一社独占状態となったマ社にしても、その地位にあぐらをかいての怠慢などということはないにせよそもそも割けるリソースには限界があるため関連技術の進歩はややもすれば遅々としたものとなり、65年にとある電気工学者にして実業家が提唱した集積回路の進歩に関する経験則は、もはや戦時下において限界を迎えたと語られて久しく――その中で。
3年前 ― 或る独りの衛士の発案により、とある特殊装置が開発された。
その名はXM3。既存戦術機の性能を飛躍的に高める機器である。
日本を発祥として国連軍横浜基地の協力を仰ぎロールアウトしたこの機器――正確には戦術機操縦に関わるOSとその稼働に必要な高性能CPUを包括したパッケージは、ほどなく世界最強にして最大の規模を有するアメリカ軍への導入が決定 ― これにより該当機器類、なかでも究極的には電子的に複製が可能なソフトウェア部分よりもそれを走らせるための高性能CPUすなわち微細化半導体への巨大な需要が発生した。
そして元々これら高度電子部品生産においてすぐれていた太平洋の東西に位置する二大強国 ― 言わずもがなの超大国でしかも安全な後方国たるアメリカと、統一中華を除いたアジア圏への影響力が強い日本 ― は、相互関係が政軍ともに良好化していくのに財界も引き込まれる形となって、手を取りまた競いあうかのようにその軍費ひいては国費を該当分野に注ぎ込みだした。
結果、限界を迎え破綻したとされていた上述の経験則は復活の兆しを…否、あたかも縮み撓んでいた撥条がより大きく跳ねるが如くにこの3年間で半導体関連技術はその集積率において極めて大きな進歩を見せ――
なにしろXM3用に横浜基地が提供した高性能CPUとは、そもそも「オルタ4」由来すなわち本来00ユニットの量子電導脳に付随するものとして、魔女の異名を取る多才にして異才の天才物理学者・香月夕呼博士が常人をゆうに凌駕する脳機能と異能を有する超能力者・社霞を補佐にして国連予算を湯水の如くに注いでつくりあげたものだったわけで、セキュリティクリアランス最上位にて開示提供したとき最先端を自認していた軍需企業の技術者らをしてすら「10年は進んでいる」と言わしめたそれらがその製造技術と共に一挙に解放されたとなればその飛躍ぶりたるや――
手のひらサイズじゃなくていいってんなら、そんだけの話なのよ。
間違いなく凡人の発想だわ、夢破れた我が身の落ちぶれに嘆きはあれど。
3年前からの半導体微細化技術の進歩誘導についてだって当時はそれこそ00ユニット開発にとっても有益と判断したからだったからで、最初からこの展開を読んでいたなんてのは口が裂けても言えやしない。
ともかく30年前とは比較にならない高性能の演算装置を。
因果律量子論に基づき設計された真の量子電導脳が有するであろう「並列世界の同位体との並列演算」能力にはとてもじゃないがまだ遠く及ばない、それどころかその代替ないしは補助とすべく考案していた量子回路にも及ばないだろう。
そしてもちろん生体反応も生物的根拠も搭乗者を除けばありはしないがBETAが興味を示した「素体」とはまるで関係のない単なる機械にすぎないのだからそれとの対話なんて望むべくもない。
しかも突貫工事でハード側の準備だけは間に合わせてはきたものの、70bですら本来熟練した専門パイロットが12人も必要な複雑極まる機体制御と操縦系に火器管制――おかげで代替性がまるでない
これでよくオルタ5の承認が下りたとも思いはするが ― 成人男性の平均身長が176cm程度(白人に限っても178cm)なのにここ半世紀ほどの大統領には180cm以下なのはわずか1人しかいない、そんな日本人が想像する以上に明確にマッチョ志向なのがアメリカ人。
「そちら様が造ってらしたあの巨砲を完成させて目障りなアカのハイヴを吹っ飛ばして見せますわ」とプレゼンすれば、存外スルッと通った驚きの国。
ともあれこの超巨大な鉄とアルミと合金とシリコンの塊は、贖いの巫女たる00ユニットを運び異星起源種との戦争を終結に導く救いの方舟なんかではなく。
ただの「巨大機動兵器」 ― そしてその一部分。
そしてプライマリパワーユニット兼火力運用プラットフォームと化さしめた70dと連結し、完成時の推算値ではその臨界時の総出力はヨコハマ型G弾60発分超――つまりは敵が超重光線級だろうが
その姿こそ ― 戦略航空機動要塞・XG-70b+d。
神逐により高天原を追放されし機械仕掛けの破壊神。
荒れすさび猛進する神剣の主――真・凄乃皇。
「礼を言うなら私にではないよ、君がロックウィードに発注したものが
「あの御大が…そりゃ、光栄ね」
「君の試案を読んで彼が開発した新型の
「…大丈夫なのソレ…」
「とにかく――君は、君が思っているほど独りではないということだよ。礼は直接ちゃんと伝えることだ」
ハイネマンが背を預けた椅子が軋み音を立てる、組み合わせた指同士の向こうには鬼というにはやはり柔らかくなったように見える眼光 ―
「彼だけではない……やはり、乗らないのかね」
「当然でしょ。あんたは?」
「私の
老人はただ淡々と。
それが本音でもあり本音を隠すための方便だとは夕呼にもすぐ解った。
おそらく ― いや、むしろより高い確率で。
人類は、BETAには勝てない。
あの男が、繰り返し繰り返し見てきた「未来」の通りに。
それはある意味単純極まる話であって、たんに人類がBETAを駆除してハイヴを攻略し潰しその後防衛する過程で損耗する戦力を回復させる速度よりも、一度減らしたBETAが再増殖する速度の方が圧倒的に速いから。
実際のところすでに大陸方面では、拡大伸長しさらに複数方面化した防衛線を、維持することすら覚束なくなりだしている。
それを各国の政府に現実を直視している軍上層はとっくに理解しているし。
前線で戦っている兵士に衛士たちの中にも、おおよそ感づいているものは多いだろう。
そしてたとえこのXG-70b+dが完成したとしても。
10――いや5年その決壊の瞬間を遅らせられるかどうかでしかない。
1機しか存在しない特殊兵器では攻勢作戦には用いることができても全世界的な防衛線すべてを守り切ることなどできるはずもないし、運用とロジスティクス面の異様な高コスト性 ― 交代要員が一切いない操縦士、稼働させるたび極めて高度かつ特殊な点検整備に補修が欠かせずまた動力源たるML機関に必要なG元素供給の細さ ― からすれば、現状では「戦略」と冠したその機種名と裏腹に事実上はまさに決戦兵器としてここぞの場面で投入することしかできない。
ゆえにそうして稼ぎ出したその
だから君は行ってくれと。
星々の海に乗り出して、人類の種を繋ぐと共にその未来を切り開いてくれ――
そう「横浜の魔女」に願う先達 ― 老人たちが、他ならぬオルタ5の中にもいるのだ。
「…厄介払いをしたいだけじゃない?」
「憎まれ口も君の性格だとは思うがね。聞かなかったことにしておく」
「ずいぶん丸くなっちゃって」
そんなに
「
「…さあ、どちらかな」
「両方ってオチでしょどうせ」
そう言いつつ。
茶飲み話をしてる場合じゃない、一刻も早くこのニューラルハブをXGに組み込まないと総員即刻叩き起こしとばかりに夕呼は席を蹴ろうとしたが、
「――待ちたまえ」
「なによ? 下らないことならあとにして」
「まだ話は終わってないよ、三番目の遅れた理由だ――君は、イゴーリ・ベリャーエフという人物を知っているかね?」
「…記憶にはないわね」
そうか、と言いつつ。
脚を組み直したハイネマンに夕呼はやや苛立ち。
「手短にお願い」
「
「!」
出てきた単語に革張りのチェアに座り直せば、
「数日前、
「ソ連の機密中の機密でしょ、よく」
「ン…彼とは少しだが面識があってね。私が言うのもなんだがまあ…
「ああ。気に入らない方向へ計画が行こうとしたからヘソを曲げて出奔、みたいな?」
「さすが、理解が早いね。だから情報を引き出すのは難しくなかった、で――」
ソ連軍がヴェリスクに ― 「繭」を複数個持ち込んだらしい。
「……いつかはやるだろうと思ってたけど…」
さしもの夕呼をして、椅子に深く座り直させ。
「やっぱり――やったのね」
「これはDIAからの要請でもあってね。ハイヴ研究の第一人者でもある君に是非見解を聞いてきて欲しいと」
「……バカ共が…」
大きく仰いだ天井は見慣れたものでしかなかったが。
BETAの巣・ハイヴ。
地球上に建設されたものは26、うち攻略済みのものは22横浜・21佐渡島・12リヨン・20鉄原・26エヴェンスク・08ロヴァニエミ・04ヴェリスクの7つ。
そしてその7つのハイヴにおいて、一ヶ所の例外もなく最深部・
BETAひいてはハイヴ自体がまだ謎だらけの存在であるとはいえ、この「反応炉」が、莫大なエネルギーを生み出していることは判明しておりまた今や列強が血眼になってその権益を争う戦略物資G元素の生産精製とも深い関係があろうことが強く推測されている――
――では。この「反応炉」とは、一体なんなのか、である。
これまでの発見例からして、必ずハイヴと常に在り、またどうやら各ハイヴに1基?ずつのみ存在する ― らしい。
そしてこれまでの探査 ― 78年・05ミンスク攻略を目指したパレオロゴス作戦時におけるヴォールク連隊による調査 ― や、最深部まで到達し「反応炉」の破壊ないしは確保に成功した事例において ― ハイヴ内には、既知未知問わずおよそ生命体と目される存在が発見されたことはただの一度としてない。
つまり ― 強固きわまる
この「反応炉」なるものもBETAなのでは?
との推論に達するのは、むしろ自然のことだった。
それも無尽蔵と思えるほど大量に同種が出現する他BETA(超大型の光線属種・超重光線級ですら複数体出現する事例がすでに明らかになっている)と違い、各ハイヴに1基ないしは1体しか存在しない特殊な ― 他BETAと同じく分類するなら「級」と類推される。
そしてその機能としては、地表方向へ向けて放射状に拡大するハイヴ最深部すなわち建設最初期段階から存在しまたその後は最も防御が堅固となる位置に位置していることから、「他BETAのエネルギー源」以外の役割があるとするなら「司令塔」あるいは「頭脳」に相当する可能性が高い。
そしてかつて「
その理由はきわめて単純 ― 圧倒的な研究資材の乏しさと多すぎる不確定要素である。
オルタ3の成果物たるトリースタ・シェスチナ=社霞を香月夕呼博士が接収したのは去る95年、横浜ハイヴ攻略成功による初の「反応炉」発見はその後の99年。
すなわちその時点で博士の手元には試験に供しうる「道具」と「サンプル」が揃ってはいたものの、双方が再入手の可能性含めて希少というにもあまりに希少であり破損等の不可逆的な変化が発生することだけは絶対に避けねばならなかった。
その数年後にもう1体の「道具」イーニァ・シェスチナも暫時手元に置くことになるものの、他方の「サンプル」は変わらず横浜ハイヴのものだけ(21佐渡島のものは破壊済み)でありまた「道具」の方もボーニング社ひいてはアメリカへの譲渡が早期に決定していたため損傷または能力低下などの損耗という事態も厭うこととなった。
が ― 翻って。
ソ連はオルタ3の中心国にして――すなわち人工ESPの故郷。
そしてその後もプロミネンス計画やごく最近での同国軍特殊部隊にみられるようその量産をある程度の規模で達成しており、またそもそも中長期的な保持は事実上困難な04ヴェリスクの確保にも成功した ―
つまり、
「『通信』と『双方向性』についても考慮してるんでしょうね?」
「ああ。ベリャーエフ氏曰く軍もそのリスクヘッジとしてリーディング成果の具現化精度と勘案して…
「それってどの程度なわけ?」
「すまないが私も門外漢でね」
しれっと答えるハイネマンに役に立たない、と夕呼は毒づきもするが正式な士官過程を経たわけでも従軍経験があるわけでもない頭脳労働担当同士ではある意味当然ともいえ。
「にしても危険性は理解してるはずでしょ、なんでそんなことを」
「それは得られる利益がより大きい可能性があると見たからだろうし…」
ちら、と。
意味ありげな視線を向けてきた老練なる偏屈者に若き偏屈者は苛立ちをさらにかき立てられ、
「なによ?」
「これも私が言えた義理ではないのだがね。君はつくづく組織というものに帰属意識がないのだね」
「…。…ああ、そういう…――くっだらない!」
「だが君ほどの聡明さを備えた人間の方が圧倒的に少ないことは理解しているのだろう?」
「わかってるわよ、それくらい」
まさに吐き捨てた夕呼は目の前の書類の山を突き壊して頭を掻きむしりたい衝動に駆られてもいた。
「
「むろんそれだけじゃないがそういう勢力もいるという話さ。代々のゼネラル・セクレタリーは、軍部が団結して党に反抗するのを恐れて故意に軍内部での派閥争いをさせていたのは有名な話じゃないか」
「バカじゃないの?」
「君の言う通りだ、実に愚かしい ― だがそれが人と人の世だよ。それに――」
実際に04ヴェリスクはその名が示す通りに建設時期が旧く ― つまり01カシュガルすなわちオリジナルハイヴにかなり近しい立ち位置にある上――
仮に複合ピラミッド説が正しかった場合、立地座標と建設順からして ― その04ヴェリスクの西にある05ミンスク・東にある07スルグート・その東10ノギンスク・さらに東進する形で23オリョクミンスク・24ハタンガ・25ヴェルホヤンスクの各ハイヴが04の指揮命令系統下にある形になって――
「04ヴェリスクでのアクセスによりこれら隷下のハイヴの情報が得られ ― また仮にもし…『停止命令』が出せたら――どうなるね?」
つまり05ミンスクは西側諸国の勢力圏に近いため残置ないし破壊するとしても、その他はすべて旧ソ連領内北部を東へと向かう形でソ連がすでに確保済みの26エヴェンスクにまで至る ― いわば一大「G元素鉱床地帯」を形成する。
「さらにいえば――最近提唱されている『相互連携説』 ― この場合でも、序列がまったくの平等になっていれば停止させることができるかもしれない。この場合ならさらに影響範囲は拡がる、つまり非オルタ3派にも実験を推進するインセンティヴは働く」
「ハ、そっちは
「そうなるだろう。エヴェンスクに拘泥する必要も低下するから例の
「そうね、でももちろん本丸は」
「
「まあ怖い。――で」
苛立ちはすでに越えて。
やや身を乗り出した夕呼は魔女の面目躍如たる、実に皮肉げな笑みで。
「……その兆候は見られないそうだよ」
「ハッ! ……それで?」
「ベリャーエフ氏曰く、失敗だったそうだ。彼も笑っていたそうだよ、そら見ろとね」
「…そんな場合で済んでりゃいいけど……詳細は?」
ハイネマンの言に自らを省みたわけではないが夕呼は笑みを引っ込め、同時に身体も引っ込めて椅子へとその背を預けた。
「それがまだわからない」
「はあ?」
「言っただろう、難しい男だと」
人格は卑小だがそれだけに用心深さもある、
「約束の場所には現れなかったらしい。消息は不明だ」
「バカな奴ね…」
KGBにせよGRUにせよ、感情任せで安易に他国それもアメリカのエージェントと接触するような男を見逃すわけがない。
ただ問題は ―
「
「そう、今は彼が遺したそのデータを巡って――『
「…むしろ不安になったんだけど」
「とにかく何か進展があり次第私に連絡が来ることになっているから、その時には頼むよ」
はいはいと応えながら。
手にした装置を一刻も早く取りつけるべく再び席を立とうとした夕呼だったが、
「ああすまない。もう一件」
「なによ? ホントもういい加減にして」
「
「当たり前で――ぁ、いや…チッ」
漏れる舌打ち。
去年の暮れの、オルタ4の中止と5への移行から。
あれこれやることは増える一方なのに人手は削られる一方で。
ここしばらく ― 2、いや3ヶ月ほどにもなるか?
目を通してはいない気がする、なにか緊急事態があるならアラートが出るだろうしとプリントアウトさせた書類は今もこの目の前の机の上の書類の山のどこかに眠っているだろう。
「――で、それが? なにかあったの?」
「いや。なにもない」
「だったら――……
かつて日本語は難しいねと言っていた、米国人男性だが。
「…
「…
古びた椅子で足を組み、肘掛けについた両腕の指先を軽く重ねて虚空へと遊ばされていた老人の視線が机の向こうからつ、と向けられてくれば。
「…L1の
「機能している。
変わらず定期的に何かを太陽系外へと打ち上げているそうだよ――
「……
「…機能している」
「……地球上のハイヴからの打ち上げは……?」
「……ここ3か月で」
ゼロ。
すでに立ちあがったままの魔女はいま明らかに固まっていた。
知っていたとて。
なにができたということはないし。
もちろん前例がないわけじゃないだろう、というよりアーテミシーズの配備が完了したのは84年、73年の01カシュガル・オリジナルハイヴ建設からそれまでに10ノギンスクに至るハイヴが打ち立てられていてその間の観測データはそもそも正確性を欠くともいえて――
だが、それでも。
「――力を溜めてる――」
「ああ。そうだろうね」
崩壊への序曲は、音もなくはじまっていた。
ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございますw
ほぼ政治戦略予想と解説、あとは設定語りになってしまいました
実は前回今回あわせて一話のはずだったんですが、あまりに長くなりそうなので分けましたw
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