湊友希那の父親が若かった頃。彼は音楽にあけくれていた。
彼には才能があった。しかし、才能があることと、売れることは違っていた。

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友希那さんの父親の話を考えてみたくなり、書いてみました。
父親世代がメインです。
※父親の名前は公表されていないはずなので創作です。


Father、Daughter

「え?」

 

ステージを思わず振り返ってしまった。

俺がさっきまでギターを弾いていたステージには、綺麗なドレスを着た女の子たちがいた。

ゴシックロリータ風というのだろうか?

あまり詳しくはないのだが。

まるでロックをやるといった風情ではない。

あぁ、いや、大昔のグラムロックは、こんな風体だったか……。

ぼんやりと、女の子たちを見つめていると、バンド仲間の小谷が脇をつついてきた。

 

「後藤さん、あぁいう若い娘、好きなの?」

「あぁ、いや、違うんだ……」

 

俺は額に指を当てて首を振る。

手に持っていたジントニックを何とか口元に運んだ。

だが、それはほんの少しこぼれてしまった。

 

「うわっ、何やってんだよ、汚いなぁ」

 

小谷が大げさに叫ぶ。

 

「すっかりステージに目うばわれちゃってまぁ。いやま、わかるけどね。なんていうの、ほら、郷愁っていうか。おっさんになってくると、若い頃に抱いたことあるような若い子に妙に懐かしさを感じたりするんだよねぇ」

 

なにやら勝手に納得をしている小谷を無視して、ステージを見つめ続けた。

そこにいるのは……。

 

「湊……」

 

懐かしい、俺の高校時代のバンド仲間、湊恭平の面影を持った少女だった。

もちろん、ステージで歌っている少女は、恭平とは別人だ。

声だって、男と女という根本的な違いがある。

だが。

歌を歌うときのちょっとした独特のアクセント、ブレスの入り方、そして、ステージでの身振り。

明らかにそれは、湊恭平の幻影をまとっているかのようだった。

 

「なぁ、小谷」

 

俺は搾り出すように問いかけた。

 

「今日の対バン相手。あいつら、誰だっけ?」

「フライヤーぐらいきちんと目、通しといてくれよ。Roseliaっていう学生バンドだよ」

「……Roselia」

 

俺は携帯を取り出して、検索する。

Roselia。

最近結成したばかりだが、そこそこ人気があるらしい。

メンバーの名前を見ていくと。

 

〝湊 友希那〟

 

恭平と同じ苗字があった。

 

「……恭平」

 

俺は呟きながら、ジントニックの残りを胃に流し込んだ。

その瞬間、思い出したくもない思い出が、俺の脳裏を駆け巡った。

 

※※※

 

25年前のことだ。

高校1年生の、とある放課後。

カリカリカリ……。

鉛筆の音だけが教室に響く。

その日の俺は、補修を受けさせられていた。

だが、教師の言葉はほとんど耳に入ってこない。

勉強に興味がない俺は、窓の外を眺めるか、そうじゃない時はノートに五線譜を引いて、ひたすら好きな曲の楽譜を書き込んでいた。

 

「おっ。それ、ザ・スミスの曲じゃん」

 

唐突に、隣の席の奴が呟いた。

驚いてそちらを見る。

ハンサムな顔が、俺のノートを覗き込んでいた。

俺は驚いて言った。

 

「よく知ってるな。って、楽譜をちょっと見ただけで分かったのか?」

「ま、俺も好きな曲だし」

 

あっけらかんと答える。

 

「このクラスにザ・スミス聴いてる奴がいるなんて思わなかったよ」

「まったくもって同感だ」

 

俺たちは、互いに見つめあって笑いあう。

ハンサムな顔が相好を崩すと人懐っこくなった。

 

「俺は後藤達治。お前は?」

「俺は湊恭平だ」

「……名前までハンサムかよ」

「そうか? 気にしたことがないが」

「湊ってのもモテそうな苗字だし、恭平ってのがまたカッコつけてやがる」

「ただしモテたことはないがな」

「そりゃお前、音楽に夢中で女の子に興味がないだけだろ?」

「その可能性は大きい」

「このっ。その気になりゃモテるって自覚があるタイプか」

 

俺たちは、いらだった教師がチョークを投げつけてくるまで、そんな感じにしゃべり続けた。

 

 

その日から、俺と恭平はつるむようになった。

授業中は教科書に顔を隠して、音楽の話。

放課後の掃除中も、箒を振り回しながら音楽の話。

帰り道も、もちろん音楽の話だ。

それまで俺は、一人で音楽を聴いているだけだった。

他人との接点なんてなくていいと思っていた。

俺だけが知っている、海外のヒットナンバー。

俺だけは特別。

そんな妙な選民意識が自慢だった。

しかし恭平と出会ってから、同じ趣味を他人と共有することの楽しさを、生まれて初めて知ったのだった。

俺たちは、休日は電車に乗って中古レコードショップが立ち並ぶ通りへと繰り出した。

店内に流れる、ロックンロール。

サイケデリック、パンク、ポストパンク、ガレージ、プログレッシブ、ブリットポップにアイリッシュ。

なんでもござれだ。

新しい音楽を知ることが楽しくてたまらない。

俺たちは、段ボール箱に敷き詰められたレコード盤の一つ一つを確認し、その円盤の中に、どのような音が刻まれているのかを想像した。

 

「インターネットなんかで先に調べるのは邪道だ」

 

恭平の口癖だった。

 

「完全な音楽ってのは、タイトルのロゴからジャケットに至るまですべてが完全なんだ。だから、完全なものを選べば間違いが起こるはずがない」

 

そう言っては、いわゆるジャケ買いをして泣きを見ていた。

 

「あぁ! 俺はロックンロールの神に見放された!」

 

二人で小遣いを分け合って購入したレコードを、恭平の部屋で聴く(彼の部屋にはレコードプレイヤーがあった)。

失敗も度々だったが、それはそれで楽しい経験だった。

恭平の家は、比較的裕福なようだった。

いわゆる山の手の一軒家に住んでいた。

洋風の洒脱な建物だ。

壁が白くて、海外の家のような風貌だった。

ボロボロの下町の路地の俺の家とは大違いだ。

彼の部屋には、ギターがあった。

ある日、俺は前から気になっていたことを訊いてみた。

 

「なぁ、恭平。お前ってさ、好きなだけじゃなくて、楽器、弾けるんだよな?」

「ん、あぁ。まぁまぁだな」

 

ポッキーを煙草のように口にくわえて音楽雑誌を読みふけっていた恭平が答えた。

やはりそうか。

初めて会話をした時、恭平は楽譜が読めた。

ならば楽器をやっていてもおかしくないだろうと思っていたのだ。

 

「お前こそ、できるんだろ?」

 

恭平がにやりと笑う。

俺は答えた。

 

「俺も、まぁまぁだな」

 

兄が学生時代に弾いていたギターをもらったのは、中学生の頃だ。

それ以来、ずっと練習していた。

 

「うちのガレージにアンプがある。そこなら音を出しても昼間ならあまり文句は言われない。今度、お前のギターを持って来いよ」

「あぁ」

 

恭平の言葉に、俺はうなづいた。

 

 

次の日。

俺は自分のギターを背負って登校した。

クラスメイトが奇異の目で見ていたが、気にしなかった。

放課後になると、すぐに恭平と連れ立って帰った。

彼の家へと直行し、ガレージのシャッターを開ける。

広いガレージだった。

だが、車はない。

朽ち果てたと表現して差し支えのない年代物のバイクが一台、時の流れから忘れ去られたように置いてあるだけだった。

 

「親父は、眼の病気でね。車にはもう乗れないんだ。それで売っぱらったのさ」

 

そう言って恭平は手を広げた。

アンプの電源を入れて、ギターを接続する。

 

「さぁ。何か弾いてくれよ」

 

俺は、指を弦にあてた。

しばしの緊張。

だが、一呼吸置くと、自然に指が動いた。

自分でもなぜかわからないが、ニール・ヤングを弾いていた。

Like A Hurricaneだ。

 

「おっ」

 

恭平が目を丸くした。

そして不敵に笑った。

 

「いいねぇ」

 

つぶやいたかと思うと、唐突にギターを弾きだした。

俺がフレーズをなぞると、その後ろに見事に味付けをしてくる。

リズムギター的かつ、実に有機的な絡み。

彼のギターが、音の根底を支えてくれているような気がする。

それで俺は、いつも一人で弾くときの、ただフレーズをなぞるのではなく、冒険がしたくなった。

フレーズを解体し、一小節分の長さの、ひしゃげた音を立てる。

音を分解し、もう一度ブルトーザーのように整地する。

ディストーションをかけ、激しいノイズのフィードバックを作り上げる。

だが、音楽は壊れていない。

ノイズの洪水のようなものは、ちゃんと波打っている。

小節の途切れに沿ってトーンを変え、メロディをなぞりはしないが、しっかりと音楽として成り立たせる。

やがて、恭平が深呼吸をした。

大きく息を吸い込むと、サビに差し掛かった瞬間、彼は歌いだした。

その歌声は、美しかった。

男性的な力強さがあるのに、繊細で、そしてブレない張りがあった。

ニール・ヤングの声とは似ても似つかなかったが、俺文字通りその瞬間、ハリケーンに吹き飛ばされた気分だった。

ほとんど即興のLike A Hurricaneを弾き終えると、どっと汗が噴き出した。

 

「は、はは」

 

恭平が笑っていた。

いつも涼しい顔の彼が、汗を流していた。

俺と同じだった。

 

「いい。いいよ、達治」

 

他に言葉が見つからないといった様子で、つぶやく。

 

「俺たちは今、『音楽』を奏でている。なぁ、今のは確かに、『音楽』だ。『音楽』だったんだ!」

 

興奮して、そうつぶやいた。

俺も、まったく同じ気分だった。

 

「なぁ、達治」

 

恭平が、叫ぶように言った。

 

「お前、今の音楽シーンって面白いと思うか?」

 

息継ぎもせずに、まくしたてる。

 

「俺はいつも思っている。どこかつまらないって。悪くない曲はたくさんある。でも、どれもこれも同じだ。全く違う音楽ってものがない。既存概念をぶち壊すものがない。面白いものがない!」

 

興奮し、肩で息をしながら言った。

 

「お前のギターのノイジーなディストーション! すごかった。お前、曲をぶっ壊してたぜ。なぁ。一緒にやろう。新しい音楽を!」

 

正直、俺には恭平のような高い理想があったわけではないのだが。

単純に楽しかった。

恭平という、安心して音を預けられる相手に向かって、めちゃくちゃなノイジーなギターをぶつけることが。

高揚感があった。

俺は、少し照れて頬を赤くしながらうなづいた。

 

 

「D組に須藤ってやつがいる。手数の多いドラマーだ。ジャズをやっているらしい」

「A組の岡野はいいと思う。軽音サークルのライブで弾いているのを聞いた。リズム感のあるベースを弾く」

「それなら、3年の神崎先輩もすごいらしい。大人のバンドに交じって弾いているとか」

 

翌日の授業中。

また俺たちは教科書に顔を隠して、ひそひそと相談をする。

何人かの名前をピックアップしてリストを作り、放課後、声をかけた。

幾人かに口頭で断られながらも、なんとか、数人に俺と恭平の演奏を聴いてもらう約束を取り付けた。

そして最終的に、普段はジャズをやっている須藤と、かなりファンキーなベースを弾く野木の二人が、バンドに加わってくれた。

初めて、ガレージで4人で音合わせをして、その心地よさに驚いた。

ジャムセッションのようなことをやったのだが、ジャズをやっている須藤が、とにかく自由にあおってくる。

それで、どんどんと一曲が伸びていく。

弾き終えたときには、息が上がってしまうぐらいだった。

ある程度練習を重ねると、俺たちはライブハウスに出るようになった。

はじめは、すでにジャズバンドでプレイしたことのある須藤のツテの紹介で。

そこでの演奏がそれなりに評判になると、別のライブハウスからも声がかかるようになった。

俺たちがやっているのは、基本的には既存曲のカバーだった。

だが、できるだけ音像をぶっ潰したかった。

既存曲というすでに完成された音楽を解体するのが楽しかった。

俺は、ノイジーなギターを弾くことにどんどんのめりこんでいく。

恭平の、ハリがあって美しい歌声と、安定したリズムギターが根っこになった。

彼がしっかりと、原曲の本来の姿をつかみ、それを俺のギターが砕いていく。

縦横無尽な叩き方の須藤と、ファンキーな野木も、原曲を解体するのが得意だった。

俺たちのやっている音楽は、今、確かに他にはないアプローチだ。

そんな誇りがあった。

俺は、ギターを弾くことが楽しくてたまらなかった。

特に、Like A HurricaneのAメロとBメロを徹底的に、溶かした鉄をハンマーで叩くように解体し、しかし、きっちりとサビの部分に来ると恭平が歌い上げるというアレンジは好評だった。

やがて恭平は、作曲にも才能を発揮した。

彼が作るオリジナル曲は、破天荒な音の俺達のバンドに似つかわしくないほどに、哀愁をたたえた美しいものだった。

それこそ、その音楽がもしも、多くの人々の耳に届けば、もしかしたら世界を変えられるかもしれないと思えるほどに。

俺は誇らしかった。

恭平のような凄い奴とバンドをやっていることが。

 

だが。

恭平の、俺たちの中で頭一つ突き抜けた才能は、彼の考え方を次第に変えていった。

 

ある時、ライブ後の打ち上げのラーメン屋で揉めることになった。

明らかに不機嫌そうな恭平が、ラーメンをすすりながら言った。

 

「いつもと同じ客、いつもと同じ感想だった」

 

その言葉に、須藤が反応した。

 

「それは悪いことじゃないだろう?」

「さぁ。どうだろうな」

 

恭平が言った。

 

「それだけ固定客がついてくれてるってことだぜ」

 

なだめるように野木が言った。

 

「でも、それじゃ、これ以上の拡大は望めない」

 

恭平が吐き捨てるように言った。

 

「おいおい、なにをらしくないことを言ってるんだよ」

 

俺は、堪えきれなくて言葉を発した。

 

「拡大ってなんだ? ライブハウスのキャパか? それが目的じゃないだろう? 俺たちは、今の音楽がつまらないから、変えてやろうって意気込みでやってるんじゃないのか?」

「でも、それが伝わらなくてどうする?」

「伝わっている」

「限られたごく少数にな」

 

沈黙。

 

「なぁ。どうして俺たちにはデビューの話が来ない?」

 

そう叫ぶと、恭平は机を小さくたたいた。

 

「俺がやりたいのは新しい音楽だ。だが、届かなければ意味がない。届かない。届かないんだ、今のままでは!」

 

彼は、苦痛に満ちた横顔を見せ、唇をかんだ。

 

「ロンドン・コーリングだって、ジョンの魂だって、エレクトリック・レディランドだって、ブロンド・オン・ブロンドだって、ジギー・スターダストだって。レコードが出たから、大勢の耳に届いたから、世界を変えられたんだ。俺たちの音楽は、その最初のステップにも届いていない!」

 

この時には、バンドを結成してから、もう2年が経過していた。

ジギーと火星から来た蜥蜴たちが、めちゃくちゃになってしまうまで、必要とした年月は何年だった?

あの架空の物語の中で。

 

俺はふと天井を仰いだ。

 

 

それからしばらくしたある日だ。

須藤が俺を音楽室に呼び出した。

何だろうと思って行くと、神妙な顔をした彼が、ドラムセットの前に座っていた。

 

「少し、セッションしようぜ」

「二人だけでか?」

「あぁ」

 

何かを言いたいけれど、言い出せない。

そんな様子だった。

俺は、ギターを手に取った。

須藤が、大ぶりなリズムでバスドラムをたたいた。

俺はそこに音をかぶせる。

珍しく、シングルトーンで軽快に弾いてみる。

やがてハイハットが小刻みにリズムを刻む。

いい感じだった。

7分ぐらい弾いていただろうか。

ジャムを終え、俺たちは息をついた。

額に汗を流した須藤が、俺に言った。

 

「湊の奴。俺たちをクビにするぞ」

「はぁ?」

 

俺は盛大に問い返した。

 

「レーベルから、声がかかったんだ。アルバム制作の。でも条件を突きつけられたらしい。俺たち3人をクビにして、レーベルの言う通りのメンバーと組みなおしたらデビューできるんだとさ」

「どこからそんな噂を」

 

俺は苦笑した。

俺と恭平が始めたバンドだぞ。

いったい何を言っているんだ。

 

「本人だ」

 

須藤が言った言葉は、俺を驚かせた。

 

「昨日、直接言われた。辞めてくれと」

 

そして、ドラムスティックを地面に投げつけた。

 

「畜生! ふざけやがって!」

 

歯ぎしりして叫ぶ。

 

「自分だけアルバム制作? デビューだと? 自分だけ? 俺たちはゴミ扱いか!」

「す、須藤、落ち着けよ」

「落ち着けるか! 俺はな、もともとやっていたジャズバンドを抜けてこちらに来たんだ。あちらはあちらで芽があったんだぞ。だが俺は……湊の才能に賭けたんだ。あいつのずば抜けた才能なら、きっとメジャーにだってなれると、そう思ったからここにいたんだ! それがなんだ。わけのわからんエクスペリメンタルミュージックまがいをやり続けやがって! 挙句がデビューできないから、おさらばだと、自分だけ! ふざけるな!」

 

ここにきて、俺は、須藤が意外なほど、デビューにこだわっている人間だということを知った。

そんな素振り、今まで見せたこともなかった。

そういう欲望をむき出しにすることは、センスがないことだとでも考えて黙っていたのだろうか。

人としての欲をむき出しにした彼の叫びは、だが、醜さと共に悲痛を孕んでいた。

ひとしきり叫ぶと、彼はドラムスティックを蹴り上げ、音楽室を憮然とした顔で出て行った。

教室を出るとき、俺を睨んで言った。

 

「湊には、絶対に復讐する」

 

 

俺は、しばらく音楽室でぼんやりと時間を過ごした。

実感がわかなかった。

唐突すぎて、訳が分からなかった。

感覚が、追いつかなかった。

だが、このままでいるわけにはいかないと思った。

俺は恭平に電話をした。

音楽室にいるから、来てほしいと告げると、すぐに行くと彼は答えた。

 

教室のドアが開き、恭平が入ってきた。

驚くほど平坦な、平然とした表情をしていた。

 

「どうした。急に。こんなところに呼び出して」

「俺たちを、クビにするって、本当か?」

 

俺は問いかけた。

なるべく平然を装いたかった。

だが、俺の声はあまりにも冷え込んでいた。

いつものトーンと変わってしまっていた。

 

「須藤か野木から聞いたのか」

「須藤だ」

「そうか」

 

数秒の沈黙ののち、恭平が言った。

 

「事実だ」

 

俺が返答をしないでいると、もう一度言った。

 

「事実、なんだよ」

 

また数秒間の沈黙がやってきた。

 

「少し前の、ラーメン屋での会話。覚えているか?」

 

恭平が言った。

俺は、曖昧に顎を動かして、わずかに肯定した。

 

「あの時打ち明けた想いがすべてなんだ。俺は、アルバムを作りたい。インディーでもいい、流通に乗せたい。もっと大勢が聞いてくれないと、何も伝わらないんだ」

「お前がやりたい音楽を、か」

「そうだ」

 

その肯定は、俺の心を冷えさせた。

俺たちがいなくてもできる音楽。

お前だけのやりたい音楽。

 

「……そんな考え方、ロックじゃない。ただの迎合だ。ロックな考え方をしなかったら、ロックな音にならない」

「違う」

 

否定する、恭平の声には、強いトーンがあった。

 

「お前はわかっていない。俺は、俺の考えている音楽を、大勢に届けたいんだ」

「それは、俺には無理なのか? 俺が弾くとだめなのか?」

 

情けない言葉だった。

まるですがるような言葉だ。

だが、恭平は、俺を必要としている。

そういう思いがあった。

俺と恭平が始めたバンドだ。

須藤と野木とは違う。

俺にはまだ伝えていなかったのは、きっとそういう理由だ。

だが。

俺の甘い考えは簡単に打ち砕かれた。

 

「なぁ、達治。お前のギターが、一番デビューを阻んでいるんだ」

 

言いにくい言葉を吐き出すように、だが、どこか淡々と、恭平がそう告げた。

 

「須藤や野木以上に。お前の、あまりにも攻撃的なギターは、世間受けをしない」

 

おれは、絶句した。

俺の音はバンドの根幹じゃないのか?

 

「ちょ、ちょっと待ってくれ。恭平。俺は何も、その。ノイジーなギターだけじゃないはずだ。普通に弾くことだって」

 

俺の言葉を遮り。

恭平が言った。

 

「そこそこは弾けるさ、お前は。でも、そこそこだ。普通に弾けばな。俺のほうがもっと上手く弾ける。俺よりも弾けないギタリストを、わざわざリードにさせていられないんだ」

「違う! 俺は、もっと弾ける!」

 

深く息を吐き、恭平が俺に、ピックを投げた。

 

「弾けよ」

 

ギターを指して言った。

 

「もっと弾けるなら、弾いてみろ。俺よりも上手く。お前が弾いたフレーズを、俺はそっくりそのまま弾いてやる。お前よりも上手く」

「ふざけるなっ!」

 

俺は叫んで、ギターを手に取った。

いつもの、ノイズやディストーションで楽曲をぶち壊す弾き方は封印する。

できるだけ、しっかりとメロディを重視して。

即興の、すばやいフレーズを繰り出していく。

が、複雑なコードチェンジを無理に取り入れようとして、途中歪になってしまった。

俺は舌打ちをした。

 

弾き終えた俺を見つめる恭平の目はどこまでも冷たかった。

恭平が歩み寄り、ギターを手に取った。

そして。

さっき俺が弾いた即興のフレーズを、そっくりそのまま弾き始めた。

それどころか、途中で俺が無理にやろうとして失敗したコードチェンジを、もっとスムーズで自然なものに変えていた。

やがて興が乗ってきたのか、俺が弾き終えた部分で終わらず、さらに展開していく。

途中から、まるでブルースのように激しくなったギターの音色は、最後に、静かで美しいアルペジオを奏でて終わった。

すべてが、俺を凌駕していた。

完敗だった。

 

「どうだ?」

 

恭平が、うっすらと汗をかきながらギターを置いた。

 

「お前は、これを超えられるか?」

「……」

「努力、しないのか?」

「…………」

 

答えることが出来なかった。

俺は、踵を返した。

教室を出て行こうとしたとき、恭平が俺の背中に向かって言った。

 

「何がロックか、だがな」

 

俺は立ち止まった。

 

「それを決めることが出来るのは、音だけだ、と思っている。アティチュードも何も関係ない。そいつが生み出す音に、フレーズに、どんな先鋭性や攻撃性があるかだ。たゆまぬストイックな努力をしているかだ。誰と一緒にやるかとか、そういう仲間意識は関係ない」

 

俺は、音楽室の扉を盛大に蹴った。

 

 

扉を破損したことで俺は停学処分になった。

3日間の停学期間が終わって憂鬱な気分で学校に行くと、恭平は教室にいなかった。

下校中に殴られて入院しているらしかった。

俺は、なんとなく、犯人は須藤だろうなと思った。

あるいは野木も一緒か。

復讐のつもりだったのだろう。

気持ちはわかるが、馬鹿な復讐方法だと思った。

正しくない。

音楽で勝負をしていない。

俺は俺で、はらわたが煮えくり返る思いだった。

だが、どうすることもできなかった。

やがて回復した恭平が授業に出るようになると、隣同士の席で、同じ教室にいるのが気まずくてたまらなかった。

それは彼も同じだったのかもしれない。

もしかして、こういう気まずさが嫌で、恭平は俺に告げるのを最後にしただけなのだろうか?

いろいろな思いが頭を巡った。

俺と恭平は、一言もしゃべらなくなっていた。

 

その年の冬休みに、もう、恭平の新しいバンドはアルバムを出した。

レーベル側が、どうしても恭平が学生でいるうちに発売させたかったようだ。

脅威の高校生バンドとして売り込みたかったからだろう。

俺はとてもそれを聞く気にはなれなかったのだが、ある朝ポストを見ると、ビニール袋に包まれた恭平のアルバムが一枚、入っていた。

おそらく彼が入れたのだろう。

俺は、それを手に取って、早朝の軒先でしばらく立ち尽くしていた。

どういうつもりなのかよくわからなかった。

部屋に戻り、かなり悩んだが、開封した。

メッセージも何も入っていなかった。

震える手で、CDプレイヤーにセットした。

音楽が、流れ出した。

アルバムは、全部で8曲。

間に10分を超す長大な曲もはさんでいるから、8曲でもボリュームがあった。

最後まで聞き終えて、俺は。

自室のベッドで悔し涙を流した。

あまりにも素晴らしい出来だったからだ。

 

「これじゃ、俺たちは要らないわけだ……」

 

そのアルバムには、もともと、恭平が持っていた、美しい楽曲を作るというセンスが剥き出しにされていた。

これまでは、俺のノイジーなギターや須藤の手数の多いジャジーなドラム、野木の硬質なベースが絡み合うことで、あえて美しい楽曲に墨を塗るというようなアプローチをとっていたわけだが。

俺たちが抜けることで、曲の骨格がはっきりとし、完璧なポップソングとして完成されていた。

新しいバンドのギターは、俺のように唸るノイジーな音を出しはしなかった。

ドラムも的確でタイトで、とくにハイハットの刻み方が気持ちよく、品の良いセンスにあふれていた。

ベースラインは歌心豊かで、曲につかず離れず寄り添い、野木のような硬くエッジィなものではなかった。

前衛的なバンドのすべての洋服をはがしてみたら、ヴィーナスの素肌が現れたともいうべき様相だった。

俺は、ベッドに身を投げ出した。

歯ぎしりした。

悔しかった。

その時の俺には、恭平が、俺に対して自分の能力を示すために、このアルバムをポストに入れたのだと感じられた。

 

 

その日を境に、俺の人生は、第2章とも呼べるフェーズに突入した。

俺は、ろくに勉強に身が入らず、大学受験に失敗した。

大学へ進学することに興味がなくなっていた。

ただ胸の内には、恭平への悔しさだけが渦まいていた。

ここで、音楽を諦めたらもう終わりだ。

俺は負け犬だ。

そんな気持ちだけが胸中にあった。

武者修行と称して、ギター一本持ってどんなバーへでも出かけていき、弾かせてもらえるならとにかくギターを弾いた。

酔っ払いに絡まれることも、店に騙されることもあったが、かまわなかった。

やがて、俺はいろんなバンドに顔を出すようになった。

トップ40を弾くドサ周りのコピーバンド、パブサーキットばっかりやってるロックバンド、売れそうで売れないファンクバンド。

世の中には、実にたくさんのバンドがいて、そしてメンバーを求めていた。

俺のギターの腕前はそこそこだったから、声をかけられる機会は十分にあった。

だが、時々悪い癖が顔を出す。

そこにある曲を、ぐちゃぐちゃにぶっ壊したくなるのだ。

俺は、我慢できなくると、激しくギターをうねらせ、ノイジーな音を出し、曲を台無しにした。

そして厄介払いされて、新しいバンドへと。

そんな渡り鳥生活だった。

ある時から、ノートに曲を書きつけるようになった。

恭平の影響だった。

あいつは、自分の手で曲を生み出していた。

俺にも、それができるはずだ。

俺は、ノートに五線譜を引き、自分の想いをおたまじゃくしに託して綴り続けた。

気が付くと、ノートはすぐに真っ黒になった。

バンド仲間がある日、俺のノートを見て笑った。

 

「おまえ、現代の吟遊詩人かよ」

 

吟遊詩人、か。

彼は俺を馬鹿にしていたようだが、悪くないなと思った。

ウディ・ガスリー、ランブリング・ジャック。

吟遊詩人を馬鹿にしちゃいけない。

俺は20代半ばに差し掛かっていた。

その頃、恭平のバンドは絶頂だった。

メジャーに移行し、出す曲出す曲すべてが売れていた。

 

時々、俺がラジオから流れる恭平の曲に耳を傾けていると、バンド仲間から問いかけられることがあった。

 

「そういう曲ってお前とは無縁だろ?」

 

俺が素直に

 

「昔一緒にバンドをやっていたんだ」

 

と答えると、決まって嘘つき呼ばわりされた。

誰も信じようとしない。

惨めだった。

惨めな気持ちのまま、俺は相も変わらず、ノイジーなギターを弾き続けた。

いろんな人間に嫌われ、こつき回されながら。

生活も悲惨だった。

逃げるように家を出て、安アパートで独り暮らし。

音楽をやる時間を確保したいから、定職にはつかず、アルバイトをして食いつないでいた。

 

だが、ある日のことだ。

ラジオで流れてきた恭平の曲を聴いて、違和感を感じた。

妙に堅苦しく、詰まらないものに聴こえたからだ。

その時、俺は車を走らせている途中だった。

頼まれて、付き合いのあるライブハウスにアンプを届ける途中だった。

だが、妙に気になった。

俺は車を車道の端に寄せた。

停車し、先ほどカーラジオから流れていた恭平の曲のことを考えた。

よくわからなかった。

何かが違う。

が、それ以上のことはわからない。

今まで遜色のない、美しい曲ではあったのだが。

外は、夕暮れだった。

ふいに、高校生の頃の恭平の言葉がよみがえった。

 

“何がロックか、だがな。それを決めることが出来るのは、音だけだ、と思っている”

 

ふむ……。

音、か。

呟いて、車の運転を再開した。

 

この日から、恭平の音楽的没落が急速に始まった。

彼が書く曲、彼が弾くフレーズ、彼が歌う歌声は、にわかに輝きを失っていった。

今までと同じように、美しくキャッチーであるはずなのに、どこかすべてが似たり寄ったり。

メディアの批評も、徐々に辛らつなものへと変化していった。

彼は、アルバムを出すごとにメンバーを変えるようになった。

まるで俺たちをクビにした時のように。

激しい焦りがあるようだった。

自分が紡ぐ音楽が、なぜ、世間に受けなくなったのか。

それがわからないといった様子だった。

そしてその理由を自分以外の外部へと求めているように見えた。

彼がクビにするのは、技術的に劣っているメンバーだった。

だが、そんなものを突き詰めても、答えはない。

もっと上手いやつを、もっと上手いやつを。

そんな、終わりのないレースだ。

彼が最後に出したアルバムでは、もはやバンドメンバーは弾いていなかった。

名うてのセッションメンが弾いた、つぎはぎのアルバムだ。

完璧な音像ではあったが、魂が抜け落ちていた。

そして、あるフェスへの参加をめぐる揉め事を機に、恭平は一線を退く。

急速に、音楽から離れていく。

彼は、インタビューの一つにも顔を表さなくなる。

俺は、そんなニュースを見ながら、

 

「おいおい、お前、いつからブライアン・ウィルソンになったんだ?」

 

と呟いた。

長い雲隠れをしたビーチボーイズのメイン・ソングライターが彼の顔に重なった。

朝食に食べていたパンをのどに流し込む。

パンは味がしなかった。

なんともいえない不思議な気分だった。

恭平が。

あの、成功だけを追い求めているような恭平が。

人生の岐路で足を止めてしまった。

 

時を同じくして、思わぬ幸運が俺のもとに舞い降りた。

作りためていた自作曲の一つを、歌いたいというシンガーが現れ、彼が歌ったものがちょっとしたヒットになった。

それがきっかけで、俺にも注目が向くようになった。

俺は、とある小さなレーベルから声をかけられて、ほとんど自主制作に近い形だが、アルバムを作る機会を与えられた。

妥協するつもりはなかった。

俺は、自分のありったけの力を出してギターを弾いた。

激しくゆがんだ、攻撃的なディストーション、ノイズの海。

よくよく考えれば、売れるわけはない音楽だった。

事実、売れなかった。

だが。

マイナーな音楽雑誌が、俺の自主制作盤のレビュー記事を書いてくれた。

それが発端となり、インターネットで俺のことを書いてくれる音楽ブロガーが現れたりし始めると、今度はそこそこメジャーな音楽雑誌に取り上げられた。

小さな記事だったが、「オルタナティブ魂が宿る好盤」と題打たれたその記事は、単純に俺を喜ばせた。

これまで、誰にも認められなかったのだから。

小さな認証でも、なんでもいい。

世間が、ようやく俺の存在を認知し始めたのだ。

結局のところ、俺のアルバムはヒットはしなかった。

しかし、気に入ってくれる人は気に入ってくれたらしい。

俺は時々、これまで付き合いのなかったライブハウスやイベントから打診されるようになった。

呼ばれるとどこへでも行った。

必要とされていることが嬉しかった。

行く先々で俺は、「オルタナティブ」だと言われた。

意外だった。

別段そうありたいと思ったわけではない。

ただ、手探りで一人で作り上げていったものが、流行と違っていただけなのだが。

ある時、大学生のバンドと対バンする機会があった。

彼らは、ライブが終わった後、俺に言った。

 

「俺ら、尊敬してるんすよ。後藤さんみたいな、売れ線に喧嘩売ってる人」

 

俺は苦笑した。

 

「それなら、俺は永遠に売れたらいけないということになってしまうぜ」

「そうっすよ。売れちゃったら、ぜんぜんカッコよくないじゃないっすか」

「そうか、そういう考え方もあるのか」

 

俺はつぶやいた。

そしてふと、自分は何をやりたかったのだろうかと思った。

これまで10年以上、俺が音楽を続けてきたのは、ひとえに、悔しさからだった。

バンドをクビになったこと。

売れた恭平を見返してやりたいこと。

それが原動力だった。

だが、今、その目標は成り立つのか?

もう、恭平は音楽の世界にいない。

そしてどうやら俺は、売れなかったことで評価されているらしい。

深い暗闇に、体を投げ出されたような感覚が俺を襲った。

俺はこめかみを押さえた。

大丈夫だ、気にするな。

俺は、今ここにいる。

ここに踏みとどまって、音楽を続けている。

それで、いいじゃないか。

 

こうして、俺は地道なライブ活動と、さほど売れないアルバムを作り続けた……。

呼ばれればどこへだって行く生活だ。

学生バンドとでも、何とでも、競演する。

 

※※※

 

ライブイベントが終わった後、友希那は打ち上げにも何も参加せずにすぐに帰るつもりらしかった。

彼女のバンドはあまり、バンド同志の付き合いやファンとの交流というものを重視していないらしい。

俺は、ライブハウスの出口のコンクリートの階段で、彼女を待った。

メンバーを引き連れて階段を上がって地上に出ようとしたところで、声をかけた。

 

「湊さん、ちょっといいかな」

「あなたは?」

 

不審げな冷たい声。

だが、俺をよく見て、若干声音を和らげた。

 

「私たちの前に出ていたバンドの方よね? 何か用なの?」

 

物怖じしない話し方だ。

俺は言った。

 

「少しだけ、話がしたいんだ。君の父親と、古い知り合いでね」

 

今度は、明らかに顔色が変わった。

父親という存在が、この少女には大きいもののようだった。

 

「わかったわ。みんなは先に帰っていて」

 

友希那がバンドメンバーにそう告げる。

すると、少し派手な格好をした少女が心配そうに言った。

 

「あの、私も一緒に行こうか?」

「いいえ。大丈夫よ」

 

友希那がそう言って微笑む。

 

「通りの裏に、深夜までやっている喫茶店がある。そこへ行こう」

 

俺がそう提案すると、友希那は頷いた。

真夜中の喫茶店は、行く当てのない人々のたまり場だった。

タバコの煙が漂い、雑多な声がうつろにこだましていた。

天井のJBLのスピーカーから、スティーリー・ダンのディーコン・ブルースが流れていた。

また古い曲を、と俺は思った。

だが、その曲は、俺の好きな曲でもあった。

曲が終わると、ラジオDJがおしゃべりを始めた。

その曲でかつてソロを取ったミュージシャンが来日するらしかった。

あぁ、それでか、と思った。

 

「どうしたの。座らないの?」

 

友希那が尋ねた。

俺は立ったままぼんやりと天上のスピーカーを眺めていたらしい。

 

「俺のテーマソングが流れていたんだ」

 

そう言って、近くの席に腰掛けた。

 

「よく弾く曲?」

「違うよ。あんなの、ロックバンドには弾けやしない。内容が俺にぴったりだってことさ」

「そう?」

「夢だけ追って、ずっと勝てない男の歌だ」

 

ディーコン・ブルースはそういう歌だ。

だが、内容に反してその曲が収録されたアルバムはグラミー賞を取った。

結局のところ勝者の歌だ。

世の中の負け犬どもが共感して買えば買うほど、その曲は売れ、勝者になっていく。

弱者に支えられた勝者という皮肉な構図。

だが世の中、そういうものなのだ。

 

「哀れな歌ね」

 

友希那が吐き捨てた。

 

「勝てないやつは嫌いか?」

「嫌いよ。結果を出さないと意味がない。結果が出ないのは、努力が足りないからよ」

 

注文したコーヒーを手にとって、そう断然する。

その瞳を覗き込んだ。

やはり、父親と似ていた。

瞳だけじゃない。

おそらくメンタルもだ。

結果を出したい。

そのためには、必要のないものは切り捨てる。

そうして俺は切り捨てられた。

 

「それで、あなたと私の父とは、どういう関係だったの?」

 

待ちきれない、というように問いかけてくる。

俺は言った。

 

「昔……高校生のときだ。一緒にバンドを組んだ」

「え?」

「でも、俺はクビになった。それだけさ」

 

沈黙。

 

「親子揃ってストイックなんだろうな。勝ちたいんだ。結果を出したいんだ。そのためには、仲間なんてどうだっていいんだ」

 

俺の口だけが、奇妙にぺらぺらと話していた。

年端も行かない少女相手に、行き場のない呪詛をぶつけるかのように。

 

「君とお父さんは、そっくりだ」

 

そう言ったときだ。

友希那が顔を上げた。

 

「私たちのバンドの音は。父に似ているかしら?」

「……」

 

俺は、額を掻いた。

 

「……どうだろう」

 

俺は、つぶやいた。

 

「凡庸だ。ありふれてる。よくあるロックポップスだ。ぜんぜん枠組みをはみ出したようなものじゃない」

「……そう」

 

友希那が微笑んだ。

 

「だったら、もっと努力をしないと駄目ね。みんなで」

 

そう言って、立ち上がった。

 

「私は、父と少し違うわ。確かに私は、完璧でありたいし、理想を追い求めている。でも、だからといって、仲間を締め出したりしない。今は平凡な音楽でもいいわ。みんなで努力して、私たちだけの音楽を作り上げていくから」

 

 

友希那と分かれた後、深夜の街を、一人彷徨った。

どこか居酒屋がバーに入ってアルコールでも取ろうかとも思ったが、それはそれで虚しいとも感じた。

ふらふらと歩き続けると、大きな水路の脇の道に出た。

都心の水路はほとんどが暗渠化されている。

こんな風にむき出しの水路は珍しかった。

真夜中だというのに、人通りはそこそこあった。

酔っぱらいのサラリーマンの一団が下品な笑い声をあげて通り過ぎて行った。

彼らが通り過ぎた後、俺は耳を澄ませた。

すると、暗い水路の底を流れる、薄汚い下水の水の音がごぉおごぉおと聞こえるようだった。

と同時に、俺は、恭平の音楽の音を思い出そうとした。

彼はいったいどんな音を奏でていたのだったか。

それは、娘の友希那の音楽と、どれほど違うものだったのか。

……思い出せなかった。

青春時代をそれとともに生き、一番間近にあった音が、どうしても今の俺には思い出せなかった。

 

 

それから、数日後のことだ。

俺の携帯電話に、見知らぬ番号からの着信があった。

かけ直して驚いた。

恭平からだった。

 

「やぁ、久しぶり」

 

若い頃とあまり変わらない声の恭平が、受話器越しに言った。

それは、長い年月を経た再会というよりは、ちょっと数日間を開けての再会のような気軽なトーンだった。

 

「そんなに驚くなよ。君の番号は、知り合いをたどって教えてもらった。音楽業界の繋がりってのは、便利なもんだな」

「どうして、急にかけてきたんだ」

「どうしてもなにも。娘が君と会ったって言うからさ。懐かしくなったんだ」

「そうか」

 

俺は深呼吸した。

落ち着け。

落ち着くんだ。

恭平が言っていることに、何一つおかしなことはない。

 

「なぁ。会わないか? もう長い間、お前の顔を見ていない。それに、高校の時以来だ。考えてみれば酒を酌み交わしたこともない」

 

 

その日の夜、俺は、高架下の居酒屋へと呼び出された。

大衆的な店だった。

狭い店内の雑踏の中に、似合わない男がいた。

黒いスーツを着込んだ男。

恭平だった。

 

「さきにやってるよ」

 

そう言って彼は、ホッピーの入ったグラスを持ち上げた。

顔が少し赤くなっていた。

何時から飲んでいたのだろうか。

 

「俺も同じものをもらう」

 

俺は、向かいの席に腰かけて言った。

机の上には、どて焼き、枝豆、もつ煮込みが置かれていた。

 

「25年ぶりか」

 

恭平がつぶやいた。

俺はそんな彼を見つめた。

黒いさらりとした髪、痩せた体躯、鋭い目つき。

25年経ったとは思えない。

若い。

俺よりもずっと若く見える。

 

「お前も俺と同じようにと年を取っていると思っていたよ。若いな」

 

俺は素直な気持ちでそう告げた。

 

「遊んで暮らしているからさ」

 

恭平はそう答えた。

やがて、俺のホッピーが運ばれてきた。

恭平は、追加で焼きとんを注文した。

 

「娘と会ったんだな」

「あぁ」

「率直に聞く。どう思った?」

 

友希那と同じ質問。

やはり親子だ。

 

「……正直、詰まらない音楽だと思った。多少ゴシックな味付けをしてはいるが、ちっとも進歩的じゃない。売れ線だ。安定した演奏能力、共感性の高い歌詞、覚えやすくて盛り上がるメロディ。ソロパート一つとっても、型の中で巧くやっている。完全に商業作品のようだ。若い子がわざわざやるような音楽じゃない」

 

机に来たばかりのホッピーを喉に流し込み、吐くように言った。

どうにも俺は、音楽に関しては嘘が言えないらしい。

娘をけなされて怒るか、と思った恭平は、ほくそ笑んでいた。

 

「そうか。その通りだと思うよ」

 

恭平がつぶやいた。

 

「あの子らの音楽は、商品だ。間違いない」

「でも。君の血を受け継いでいるんじゃないのか? シーンを変えたいっていう想いを……」

「目的が違うのさ」

 

恭平が、そう言って、どて焼きを箸でかき混ぜた。

 

「友希那は、世間から認められる音楽を目指している。審査に通って、フェスに出て認められる。それがモチベーションだ。ならば大衆受けを目指すのは当然だ。オルタナティブになるはずがない」

「……そうか」

 

俺は肯首して、ホッピーを口に含んだ。

なにかが引っ掛かった。

あの時の友希那の瞳。

そこには、静かな炎のようなものがあった。

ただ純粋に、高みを目指したいという。

そんな瞳の少女の目的が売れること?

 

「どうして。あの子はそんなに売れたいんだ?」

 

俺の問いかけに、恭平が笑った。

 

「弔い合戦さ」

「弔い?」

「墜落した俺の代わりに飛ぼうというんだ」

 

その言葉に、背筋が凍るようだった。

それぐらい、恭平のその声は、恐ろしい冷たさに満ちていた。

 

「恭平、お前、まさか」

「そうだよ。友希那は、俺の代わりに認められたい、売れたいんだ。売れるはずが、途中で売れそこなった俺の代わりに。飛ぶつもりが、途中で墜落した俺の代わりに。俺はそれが、うれしくてたまらないんだ」

「ちょっと待ってくれ。恭平。そんなのは間違っている。そんな音楽、自然な発露じゃない。そんなロック、初期衝動でも何でもない。売れること、認められることを目標に定めて。フェス向けの音楽を作って。審査員の大人の顔色を窺って。認めてほしいだけの音楽だなんて、そんなの」

「黙れよ」

 

恭平が、飲み終えたグラスを机に置いた。

 

「永遠に売れもしない音楽を作って、業界の底辺でうろちょろしてる雑魚が、知った口を叩くな。お前は評論家か?」

「俺は、ずっと音楽を続けてることを誇りに思っている。途中で逃げたお前よりもよほどな。俺は、自分のロックを追い求めている」

「どこがだ。お前にはわからんだろう。一度売れた人間の苦しみは。一度売れた人間が、落ちぶれて、けなされることのつらさ、情けなさが。お前は、売れたことがないから続けていられるんだ。それ以上落ちることがないから、評論家気取りでロックを語れるんだ」

 

マシンガンのように言葉を繰り出し終えると、恭平は、空になったグラスに追加の焼酎を注いだ。

そしてそれをそのまま飲んだ。

 

「友希那には、他とは違う音楽がどうだ、歴史に残る革新的な構成がどうだなんて考えてほしくない。ただ、高度な売れ筋の音楽をやってほしい。それが俺の願いだ。俺と同じ間違いを、してほしくないんだ」

 

そうつぶやく恭平の頬に、よく見なければ気が付かない皺が刻まれていることに気づいた。

その皺が、やはり彼も年を取ったこと、そして彼が彼なりに悩み続けたことを示しているようだった。

 

「お前、いつもそんな飲み方をしているのか?」

「答える義理はないさ」

 

恭平が、酔いに任せた酒臭い溜息を吐いた。

 

「……家では、今はもう飲まない。ただ、時々こうして、外でめちゃくちゃに飲みたくなる」

「そうか」

 

俺は、グラスの水滴を指で触った。

それは指とグラスの間を伝って消えた。

 

「お前の考え方は、分かった。お前は、友希那に悩んでほしくないんだな。お前の失敗を、モチベーションにして音楽を奏でるのはいい。ただ、同じように芸術を追い求めて、世間が求めるものとの齟齬に苦しんでほしくない。だからお前は、友希那の間違いを止めないんだ。審査員に認められ、フェスで評価を得ることこそが勝ちだという、いわば大衆迎合した単純な勝ち上がるロールモデルを、否定しないんだ。そういう価値観だけが音楽ではないということを教えようとはしないんだ」

 

沈黙。

一呼吸おいて、恭平がうなづいた。

 

「あぁ。そうさ」

 

彼の瞳には、彼独特の確信があった。

だが、親の仇をとれるほどに認められたいというだけのモチベーションは、もしも彼女が、恭平を超えるほどに売れた時、どうなるのか?

それこそ行き止まりだ。

俺は首を振った。

音楽を追い求めるというのは、そういうことじゃないはずだ。

それに。

恭平、お前がかつて求めていたものは、いったい何だった?

 

そう考えたとき、ふいに俺の頭の中で、懐かしい音楽が流れだした。

二人で弾いた、Like A Hurricaneだ。

その音楽を思い出したのは、本当に久しぶりだった。

 

「……達治、お前……」

 

意外な表情をして、恭平がつぶやいた。

俺は、彼に指さされて、頬をなぜた。

うっすらと涙がこぼれていたらしい。

 

「懐かしくなっただけさ」

 

俺はつぶやいた。

 

「実は俺は、ずっとお前の音楽が思い出せなかった。先日、お前の娘の演奏を聞いた時。仕草が似ているんでびっくりしたんだ。でも、奏でている音楽は、実にわかりやすいものだった。それで、ふと心配になったんだよ。俺とお前が昔奏でていた音楽も、実はあんなものだったんだろうかってね」

 

俺は立ち上がった。

 

「でも、今ようやく、思い出した。お前と話していて。俺たちが昔やっていた音楽が、頭の中に流れ出した。……あれは、めちゃくちゃだ。全然売れ線じゃない。むしろ前衛だ。だから、お前は苦しみ続けたんだよな。売れるということと、売れないが新しい音楽を作り上げるということの狭間で」

 

俺は、コートを手に取り、ポケットから2000円を出して机の上に置いた。

 

「帰るよ。まだホッピーしか飲んでいない。それだけあれば十分だろう」

 

その場を立ち去ろうとした瞬間、俺の背中に、恭平が叫んだ。

 

「俺だって!」

 

それは、後悔や怒りなど、様々な気持ちが入り混じった声だった。

 

「俺だって、悩み続けたんだ! あの高校3年生の冬! お前たち、……特にお前をクビにしないと、デビューできないと言われた。お前のギターはノイズだと。あまりにも売れ線の音楽の枠組みから外れていると。

 そうしないと、俺は。俺は、俺の音楽を世界に届けることができなかったんだ。俺は、怖かったんだ。俺の作る音楽が、だれからも見向きもされず、もしかしたらずっとうずもれて腐って死んでしまうかもしれないと思うと。怖くていてもたってもいられなかったんだ。だから、お前を信じることができなかったんだ。

 俺は……お前をクビにしたから、俺は売れた。売れたんだ。だが、ずっと夢を見続けた。お前のノイジーなギターが、俺の美しい音楽をぶち壊す夢を。そしてその美しくぶち壊れた音楽が、とてつもなく素晴らしいという夢を!」

 

俺は足を止めた。

 

「だが、もう遅かったんだ。俺とお前は、全く違う世界を生きてきた! 俺は、もう! もう一度勝つこと、認められることでしか、自己を慰められないっ!」

 

そこまで吐き捨てるように言うと、

 

「畜生」

 

と呟いた。

それは心底から絞り出された声だった。

だが。

数秒、荒い息をした後、顔を上げた彼は、底意地の悪い瞳に戻っていた。

そうすることでしか、自己を保てないかのような雰囲気があった。

 

「なぁ。高度に作られた商業作品は、お前のやっているような自己満足オルタナティブだのプログレッシヴだのよりも、よほど難しいってこと。わかっているのか?」

「わかっているさ」

 

俺は乾いた笑いを立てた。

そんなこと、わかっている。

でも、そんなことが重要じゃないんだ。

 

「恭平」

「……なんだ?」

「お前の娘さん。今にきっと、自分の音楽を奏でると思うぜ。いつまでもお前のお人形じゃない」

 

それだけを告げると、俺は店を出た。

 

外に出ると、暖かい店内と寒々とした外気の温度差が、俺の肌を刺した。

一杯だけ飲んだホッピーのアルコールが、俺の頭の中でぐるぐると回っていた。

酒に弱くなるのは、年を取った証拠だ。

俺の脳裏に、先日の友希那の言葉と、それを言った時の彼女の表情が鮮明に映し出された。

 

“確かに私は、完璧でありたい。理想を追い求めている。でも、だからといって、仲間を締め出したりしない。今は平凡な音楽でもいいわ。みんなで努力して、私たちだけの音楽を作り上げていくから”

 

恭平。

やっぱり、友希那は君の娘だよ。

本当にそっくりだ。

ストイックで、情熱的で、そして、『自分だけの音楽』を探し求めている。

君がいくら、変わってしまったとしても。

君がいくら自分の失敗の反省を押し付けようとも。

君がいくら、彼女にありふれた売れ線の音楽の幻想を与えようとも。

彼女は、自分の音楽を目指していくだろう。

かつての、君と同じように。

……願わくば。

俺と恭平が袂を分かってしまったような失敗を。

あの娘がしないことを祈りたいが。

 

俺は、頭を掻いた。

 

杞憂だ。

きっと。

仲間の大切さを、すでに理解しているあの娘ならば……大丈夫だ。

 

 

その日の夜。

安アパートに帰った俺は、久しぶりに荷物を整理した。

もう20年以上聞いていなかったアルバムを探し出すために。

もしかして捨ててしまったかと思ったが、それは、レコードを詰め込んだ段ボールの片隅にちゃんとあった。

ザ・スミスのアルバム。

高校1年生のあの日、擦り切れるほど聞いていた俺の原点。

俺がノートに楽譜を書きこんで、恭平がそれを覗き込んだ、あの日。

あの頃俺は、授業なんてちっとも聞かずに、楽譜をノートに書いたり、教室の窓の外を眺めたりばかりしていた。

目を閉じると、ずっと忘れていた、25年前の夏の入道雲が、瞼の裏に浮かんだ。

 

 

 

(終わり)

 



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