千年前戦争アイギス 占星術師の昔話   作:青き男

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E25 妃は血に沈む

 複数の僻地に現れた魔神と神獣の報を聞き。出兵し討伐を終えて、帰還する夜。

 怪しく光る、不吉な星が見えた。

 

 「…………」

 

 普段は例え予知していたとしても。それらを優に上回る結果を導き出す。

 英雄王の完璧な采配が曇らせる事のないよう。英雄王に頼まなければ、私は星の導きを積極的に告げるようなことはしない。

 けれど、数日に渡ってまるで私達を監視するように輝く凶星を見ると。

 どうにも心中のざわつきが抑える事が出来なかった。

 

 「……英雄王。また凶星が見えました。何か……嫌な予感がします」

 「ソラスが言うと洒落に聞こえないな」

 「そうだそうだ」

 

 余計な茶々を入れたアトナテスを睨みつけて撃退し。

 そのまま視線を馬上の英雄王へ向ける。

 

 「…………」

 

 英雄王は私が見ていた凶星を見て。そして、思い耽る様に沈黙しました。

 きっと数日前のことを思い出しているのでしょう。

 

 魔神や神獣達が現れた。

 かつては出現しただけで本来なら国家存亡の危機だなんだの、あれこれと騒がれていたのに、今ではいつものことになったので。日常の光景となりました。

 けれど出兵前。

 王国内に幾人かはいる。所謂予知能力を持つ者達が、口を揃えて言いました。

 

 何か嫌な予感がする。

 

 とてもあいまいで、不明瞭な表現。

 普通ならそんなことを言っても、出兵に何も影響を及ぼすことはありません。

 戦場において、不慮な出来事なんて物はいくらでもあり。

 嫌な予感で、いちいち足踏みしているようでは戦えない。

 

 そして英雄王は、そんな不吉な予感なんてものを幾度も乗り越えてきた。

 けれどその嫌な予感と言った人物が多数で。尚且つ大した時間差なく一斉に言い始めたから。不安を呷ると同時に、気味が悪いと。

 大多数の人は否応にも感じてしまうでしょう。

 

 「それでも敵を放置する訳にはいかない。僻地にも私達の助けを待っている人がいる。私達は彼らの身を守らなければいけない。さぁ出兵だ」

 

 多少のざわつきが起きた兵達を英雄王はそうして宥めて、次々とチーム編成して魔神達の出現地へ送り。英雄王もまた魔神達が待つ激戦地へと出兵しました。

 すぐに帰る。

 王妃と、また乳飲み子である息子にそう告げて。

 

 先のこともあり、普段より警戒しながら始まった戦闘でしたが、結局の所戦闘自体は単調でした。

 英雄王という物質界最強の戦力と、私達英傑が力を合わせれば。

 今やどんな敵が来てもあっという間に撃退できる。

 ばっさばっさと敵をなぎ倒し、周辺人物の安全を確認して、必要ならば復興の手伝いをしてそして王国へ帰る。

 いつも通りでした。

 

 「…………」

 

 あぁどうしていつも通りなのに、こんなにも心中がざわついてやまないのか。

 星は凶兆を囁くのに。

 こういう時に限って、どんな災いを引き起こすのかまで。

 正確に星は教えてくれない。

 

 けれども結局は心中の不安をよそに、英雄王と私達は無事に王国に帰還しました。

 魔神と神獣達を討伐して勝利した私達に。夜だと言うのに、王国の人々は手を振って迎え入れる。

 達成感と誇らしさに、私は高揚しながらも。

 英雄王や英傑達がそうしているように、手を振ったり視線を送ったりと人々に対応しつつ。王城まで目と鼻の先になった。

 その時です。

 

 「……ッ!」

 

 何かを察知したかのように、英雄王は馬から降りると駆け出し始めました。

 

 数瞬、私達は英傑はポカンと英雄王を見てました。

 急に何だろう、たぶんそんなことを考えていました。

 ですが、尋常ではない。切羽詰まった表情を浮かべて走り出した英雄王の表情を見て。私達英傑は言葉を交わすことなく理解した。

 

 「敵襲だ!あたしが指揮する!」

 

 トゥアンが叫ぶ。

 

 「アージェ急いで王城内の非戦闘員の避難を!」

 「肯定」

 

 トラムもアージェも。

 

 「念のためアイギス神殿までの道を確保しておきますぅ」

 

 アンブローズも。

 

 「敵を逃さないよう王城内の門を封鎖して回ります」

 

 影の射手も。

 それぞれが自分達の出来ることを行う。

 そして私は。

 

 「英雄王を追うぞソラス!」

 「はい!」

 「私も行きます!」

 

 紫竜に騎乗したアトナテスに相乗りして、サナラ含めた三人で、私達は英雄王を追いかける。

 

 何が起きているんだとでも言いたげな顔を浮かべる兵達を尻目に、私達は王城の一室に向けて急ぐ。

 英雄王が切羽詰まった表情を浮かべながら走り出す場所と言えば、あそこしかありえない。

 それは、頬に冷や汗を流しながら。紫竜を操るアトナテスも分かっていました。

 

 ドッシドッシと紫竜が走る。

 王城内では普段は迷惑をかけないよう、のっそりと歩く紫竜に乗って。

 走る、走る。

 けれども、英雄王の背が見えない。

 たった数瞬の遅れが、こうも致命的な距離を生んでしまうとは。

 

 「…………」

 

 英雄王は、昔から一人で突っ走ることがある人でしたが。

 それでも自分を追いかける者達の、最後尾の人が置いていかれそうになると、英雄王は必ず止る。前だけを見てるようで周囲もちゃんと見てる。そういう人でした。

 

 だけど今日は、追いかける私達に英雄王は止まってくれない。

 まったく背を見せてくれない。

 彼が一切の気をかけることなく。たった一人で走ることになった時。

 一体どれだけ先を走ることが出来るのでしょう。

 何もかもを置いて、たった一人で……。

 

 嫌な予感が、おぞましい程の寒気が止まらない。

 走っていないのに、バクバクと心臓が早鐘を打つ。

 先ほどとは違う。冷たい高揚が身を包む。

 

 「ッ!」

 

 ギリィっとアトナテスから歯軋りの音を鳴らす。

 サナラはもはや確信するしかない、悲惨な光景を思い浮かべて顔を青くした。

 もうあと少しで目的地という所で。

 英雄王と王妃といった王族を守護する近衛兵も、魔物相手だとしても戦えるはずのメイド達の死体が転がっていた。

 全員、真正面から大振りな剣で斬り裂かれたかのような傷跡を残し。

 通路を血で染めていた。

 

 「…………」

 

 英雄王の寝室。この頃王妃と、御子が住まう部屋。

 少し開いた扉が見えたその時、私達は武具を構え。

 ドンと、紫竜が扉を突き破りました。

 

 

 

 寝室に突入すると同時に、赤子の鳴き声が私達を出迎える。

 ……そして漂う血の香りに、予感が当たってしまったことを悟り。

 言葉を失った。

 

 部屋の状況は惨状というしかなかった。

 あちこちに飛び散った血まみれの部屋の中心で。

 一度や二度ではない、ゆったりとした寝衣の下、数多の裂傷を背を晒しながら。

 抱えた大切な存在を守るように、丸まったままの姿勢で固まる王妃。

 その王妃の下から、悲し気な絶叫にも似た泣き声を上げ続ける赤子。

 

 そして……。

 アイギスの神器の一つである剣を握ったまま呆然と立ち尽くす英雄王。

 悲劇としか言い表すしかない光景が、私達の前で広がっていた。

 

 「……羽虫が来たか」

 

 背筋を凍るような冷たい男の声に、私達は弾かれたように武器を構え直す。

 不遜にも、英雄王と王妃のベッドに腰を下ろし、四つの黒い翼を持つ。英雄王と同じく黒い髪を持つ男がそこにはいた。

 

 「っ!」

 

 認識したと同時に、空気が数倍重くなったような感覚が途端に襲い掛かる。

 立っているだけで息苦しくなるような、そんな感覚だった。

 

 「亜神共を束ねる人の子の王と聞いたが、存外その精神は人のままのようだな」

 

 ちらりと、暗い暗い目で男は英雄王を見ると。

 ゆったりと、見ようによってはアイギス様のような超越した存在が持つ、ある種の気品を感じさせる所作で立ち上がり。

 

 「予は『魔王』ガリウス」

 

 私達の最終討伐目標魔王。

 魔王ガリウスは名乗りを上げた。

 

 「予の依り代を手にした吉日だ。貴様ら人の子らが言う、希望の子とやらを摘み取り。愚物共にその思い上がりを知らしめようと思ったが」

 

 またちらりと、ガリウスは丸まったままの王妃を見て。

 

 「……その女が思いの外粘るのでな」

 

 そう呟き。嘲るように笑う訳でも、目的を妨害されて怒る訳でもない。

 ただ何事にも無関心とでも言いたげな、虚無的な表情を浮かべたまま私達に、英雄王に宣言する。

 

 「気が変わった。予が貴様らを葬り。物質界を破壊し魔に染め上げた暁には。予の手ずからその赤子を育てあげ。魔の御子として、貴様ら人の子を支配させよう。永遠なる絶望の象徴としてな」

 

 余りにも身勝手な宣戦布告を終え、くるりとガリウスは背を向けると同時に。

 魔界へ通じるゲートが出現した。

 今までも幾度かゲートを見てきたことがありましたが、開かれたゲートの狭間から溢れ出る魔の瘴気の感覚。

 それはその今まで味わったどのゲートをも圧倒する。

 深淵の瘴気を、私達に浴びせます。

 だけど!

 

 「逃がさない!」

 

 王妃を英雄王から奪った魔王を討つべく。攻撃をしようとしたその瞬間。

 

 「きゃっ!」

 

 まったく予備動作なく放たれた黒い衝撃波に、私と考えが同じだったアトナテス、サナラ共々壁際まで弾き飛ばされる。

 

 「思い上がるなと言った。予に届きうるのは、その人の子のみ」

 

 叩きつけられた影響で霞む視界の中。

 英雄王をガリウスは冷めた視線を送り続ける。

 けれども、英雄王は……英雄王は未だガリウスの存在を無視して、王妃と御子を呆然と眺めていた。

 

 「近々再び相見えるだろう。その時はこの『千年戦争』に雌雄を決すと知れ」

 

 ガリウスがゲートの向こうへ消えていく。

 私達はただそれを眺めるしかなかった。

 

 …………。

 

 ガリウスは去った。けれども、ある意味で一番の問題はこれからでした。

 

 「エレナ……」

 

 魔王という脅威を前にして。辛うじて英雄王に残されていた自衛本能は、王妃の名を呼ぶ声と同時に、神器アイギスの剣と共に床に落ち。

 英雄王はよろよろとした覚束ない足取りで二人に近づくと。

 片手で未だに泣き続ける御子を抱きかかえ。

 もう片方の手で……激痛と確実なる死が迫っているであろう中で。きっと息子に心配させないする為に、微笑みを浮かべたまま。亡くなった王妃を抱きかかえ。

 英雄王は二人を静かに抱き寄せる。

 

 「…………」

 

 ……いっそ。

 激しく取り乱して泣き出してくれたら、どれだけ安堵できたことか。

 私達に怒りをぶつけるくらいの感情の発露をしてくれたら、どれだけ安堵したか。

 英雄王はしばらく、二人を抱き寄せ続けました。

 その間私達は、呼吸することも控え。ただこの悲劇を見て己の無力感を、身に受けるしかなかった。

 

 しかし、時は残酷に過ぎてゆく。

 外がガヤガヤと騒ぎになっている。

 切羽詰まった表情で走る英雄王を見た人物はたくさんいて、その後トゥアン達の報せで、物質界の中枢である王城内に、誰も悟られることなく敵が入ったと聞けば、混乱になるのは当然のことでした。

 

 「英雄王ちゃ……っ!」

 

 各々の役目を果たしたアンブローズを始めとした英傑達も、次々と寝室にやってきて、一人飛び出した英雄王の安否を確認して。安堵すると同時に、そこで起きた悲劇を見て悟り。言葉を無くす。

 英雄王と英傑達が沈黙をし続ける中。おぎゃあ、おぎゃあと御子だけが言葉を発することが許されていた。

 

 嗚呼しかし、それでも時は過ぎていくのです。

 ドタドタと走る音がしたと思えば、扉が開かれる。

 名も知らない一般兵が、場の重さに一瞬言葉を詰まらせるが、それでも尚重要なことだったのか、伝令と声を張り上げる。

 

 「魔王ガリウスに、兄の体を乗っ取られたと主張する少女を王城に来ましたが!いかが――」

 「駄目です早く――!!」

 

 ……アンブローズが言い終える前に、ひっ!とアンブローズから悲鳴が上がる。

 数多の戦場を超えて。実力や名声も伴った称号である。

 英傑である私達が揃いも揃って、情けなく背筋を凍らせ。その圧を前にしてごくりと一斉に唾を飲む。

 足もガクガク震えていた。

 

 「連れてこい」

 

 初めて、英雄王が心底恐ろしく感じてしまうような冷たい声で。

 

 「私の前に連れてこい」

 

 英雄王はそう命じた。

 

 

 

 

 謁見の間に、英傑や臣下達は緊急招集される。

 魔王が王城に侵入し、寝室にいる王妃を殺し、あわや御子までもという重大な事態が起きたことを、今さっき聞いた臣下達は寝耳に水でしたでしょう。

 理解を放棄したような顔をしたものの、すぐさま顔が青くしながら謁見の間へ集まる。おそらく、王国始まって以来の速さで全員が集まり。

 

 そして、誰もが口を閉ざして。緊張で体を固くし。

 怒れる雷霆と化した英雄王から、万が一でも不興を買わないよう視線を逸らし。

 代わりとばかりに、近衛兵に連行される形で謁見の間に現れた桃色の髪の少女を同情の眼差しで見ていた。

 少女もまた、謁見の間に連れてこられる前に事の経緯を聞いてしまったのか。遠めでも分かってしまう程顔を青くして。首を処刑人に委ねるように垂れるがまま、視線を床にしてガタガタと震えていた。

 

 形式など特に気にしない英雄王は、臣下達が集まる前にすでに玉座に座っており。

 最後の一人が、蒼白な顔をしながら列に加わった音を聞くと。

 英雄王の瞳が開かれる。

 

 「……名は?」

 

 英雄王が言葉を発したその瞬間、地震が起きた。そんな錯覚を受けた。

 きっと、今までにない威圧的な英雄王の声に、全員が恐怖故の動揺で床を揺らしたからでしょう。

 

 「シャ……シャディアと言います。英雄王」

 

 ただそのことを言い終えるだけでも。

 長い沈黙と幾度の吃音のやり直しを含めて数分を要しました。

 

 雷雲の真っただ中のように、雷と共に緊張が走り続ける謁見の間において、そのシャディアという少女は。

 ……英雄王の怒りを鎮める、哀れな贄の子羊。

 誰もがそう捉えざる負えなかった。

 

 でも誰もが分かっていた。

 シャディアがただの被害者でしかないことは。

 

 「何故、王城に来た。シャディアよ」

 

 英雄王のやっていることは、ただ問いかけているだけ。けれども、シャディアの脂汗は止まらず。ガタガタと体を震わせ続ける。

 けれど、シャディアは言葉を紡ぐことは止めようとはしなかった。

 それだけでも彼女は十分立派に思えた。

 

 「あ、兄が魔王信奉者に捕まり、その降臨の為の……依り代にされました」

 

 依り代という言葉を聞いてアンブローズに聞いた話を思い出す。

 依り代とは人の身でありながら。

 神をその身に宿しても、死することない希少なる存在。神が神としての力を残したまま、物質界に干渉する為にも必須となる存在。

 ただ、人の身で神を宿すと言う業は人に対して罰を下す。

 

 依り代となる人間は神に成り代わる。

 依り代となる人間は、その容姿を神の姿へと変えさせられる。

 男だった依り代が女神をその身に宿せば、その体は女の体に。

 翼を持たぬ依り代が神をその身に宿せば、その体から翼を生やす。

 そしてそれは……不可逆。

 一度神を身に宿した者は、人としての姿を取り戻すことは出来ない。

 依り代の死以外では。

 

 「……それで君は私に何を望み、王城へ来た」

 

 英雄王からの問い掛けに、シャディアは幾度も深呼吸をしてから。

 意を決したように顔を上げた。

 

 「英雄王。お願いします。兄を……魔王より解放してください。未だに私の耳に鳴り続けます。私と同じ桃の髪が黒に染まり、体から魔の血を流しながら歪に大きくなり続ける最中。ずっと。ずっと声を上げ続ける兄の悲鳴が……」

 「………………」

 「お願いします英雄王。私はどうなっても構いません。どうか。どうか兄を……魔王から解放してください」

 

 シャディアの悲痛な求めが謁見の間に響き渡る。

 その自らの死を厭わない願いに英雄王は、静かに瞼を閉じる。

 普段の英雄王なら、迷うことなく引き受けていたでしょう。

 

 ですが、つい先ほど魔王の手により王妃が殺された。

 英雄王は魔王に一撃を加えたりはしなかったですが、その後確かに怒っていた。

 私達の前で一度として見せたことのない。義憤以外の怒りを見せていた。

 

 臣下達の前だから、畏まった場だからか。今英雄王玉座に座っていますが。

 本当ならもっと暴れて怒りを私達にぶつけても、おかしくなかった。

 でも、英雄王はそうはしませんでした。

 だから……きっと彼は……。

 

 「英雄王」

 

 声を上げると、英雄王の瞼がゆっくりと上がり、視線が交わる。

 長い前髪の向こう、背がひりつくような威圧感を受け。

 言葉を失いそうになる。

 

 けれども、その視線を放つ瞳の奥底に。彼の後悔と迷いを感じ取り。

 改めて言の葉を紡ぐ。

 他の誰でもない、彼の為に。

 

 「……どうか。どうかシャディアに慈悲を。彼女もまた奪われた人ですから」

 「…………」

 

 英雄王は私の言葉を聞くと、再び瞼を閉じる。

 余計なことを言ったのではないか。

 英雄王の意に背くような間違いをしてしまったのではないか。

 英雄王の沈黙に息を呑み、しばらくの間が空いた後。

 

 「……シャディアよ」

 

 開かれた英雄王の瞼。

 シャディアを捉えるその目は、普段と変わらない優しさに満ちたものへと変わっていた。

 

 「その願い引き受けた」

 

 力強く英雄王は頷き。

 

 「そして兄を失った君に必要なものは……温かい湯と食事と寝床。そして、亡き者を想い。悼む時間だ」

 

 英雄王は兄を失ったシャディアを気遣い。

 

 「シャディアに危害を与えてはならない。彼女の血縁から魔王の依り代となる者が生まれたとて、彼女に罪はありはしない。シャディアに危害を加えた者は私の意に背くと知れ。以上だ……皆此度の出兵。そして夜遅くにご苦労だった」

 

 それに加え、シャディアに危害を加えることを大々的に宣言しました。

 その対応にシャディアは何度も何度も感謝と共に、その目から大粒の涙を零し。

 臣下達は、普段と変わらない優しい英雄王に安堵したというよりは、雷霆が落ちる事がなかった事に安堵の息を零した。

 

 「英雄王……あの……」

 

 玉座から立ち上がり去ろうとする英雄王に、私はすぐに追いかけて声をかける。

 何はともあれ、英雄王の精神面が心配だった。

 けれども。

 

 「すまないソラス……エレナが待っているから」

 

 先んじて制するように、英雄王は儚げな笑みを浮かべ。

 赤いマントを翻して英雄王は去って行った。

 その背は普段よりも小さく私には思えた。

 

 

 

 謁見の間の後、私達英傑は誰に言われるまでもなく執務室に集まっていた。

 あんなことがあったあとです。

 一人で部屋に籠るというのは、私含めて皆嫌だったのでしょう。

 ただ、普段ならいるはずの執務室の主がいないことに、今は心を痛めるしかなかった。

 

 「よかったのかよ、あれで」

 

 そして、集まったはいいものの。

 主導者を欠いた空間で沈黙するしかなかった中で。アトナテスが私達全員に問いかける様に声を上げる。

 あれとは、と思い当たることが多すぎて考えている内に、察しが良い者が代わりに返事をする。

 

 「じゃぁアトナテスちゃんは英雄王ちゃんに。血縁かどうかも怪しい罪もないシャディアちゃんを処刑すべきだって言いたいんですか?」

 「…………」

 

 その沈黙は、積極的な肯定ではないけれど。それでも肯定を意味していた。

 十人十色と言えども、私達はいつも英雄王と共に同じ方向へ向いていた。

 馬鹿にしていたわけではないけれど、アトナテスがそんなことを考えていたのか。

 意外というのもありますが、王国の建国以前から。今まで苦難を共にしてきた仲間であり、最古参でもあるはずのアトナテスと。ここにきて意見が、食い違う事が起きるなんて。

 そういった類のショックを私は受けた。

 

 「……怒りってのは理屈じゃねぇだろ。あいつは怒ってたんだ。本当だったら俺達に怒りをぶつけても。文句は言えねぇ。言える訳がねぇ」

 「でも、英雄王はそうしなかったわ。シャディアにも」

 

 トラムが暗に終わった話を蒸し返すべきではない。

 アトナテスを窘めるような口調で言葉を返しましたが、今度は別の口が開かれる。

 

 「それはそれで、一国の王としての沽券に関わるな」

 

 胡坐をかいたままトゥアンはトラムにそう告げ。

 一瞬、バチンと視線が火花が散った気がした。

 物質界そのものを治めている王国とは規模がまるで違うとしても。

 国を治める女王と、天界の一都市を治める亜神。

 同じ支配する者である二人がいる執務室に、緊張が走ったのは言うまでもない。

 

 「……ただ体を魔王に乗っ取られた血縁がいるというだけで、罪もない民を罰を与えるのが正しいと言うの?」

 「あたしなら殺した」

 

 アトナテスですら、気遣い濁した言葉をトゥアンははっきりと言ってのけ。

 いくつかの口がOの字を描く。

 

 「それでは暴君よ!物質界を破壊する。魔王と何も変わらないじゃない!」

 「暗君よりマシだ」

 

 ぐぬぬとトラムが唸る。

 暗君と暴君どっちがマシなのかと言えば、実際後者であり。

 暴君どうこういうのならば英雄王はすでに。千年戦争前の旧来の様式を破壊しているので、一部の人物からはすでに暴君と捉えられている。

 その上で、英雄王が今現在名君と持て囃されているのは。英雄王は魔王軍に蹂躙された物質界を再生し、統治しているから。

 もし英雄王が暗君ならとっくに王国は滅んでいる。トラムもそんなことは分かっています。

 けれども、心情としてはやはり、罪のない者を罰を与えることはあってはならないというのが、トラムの考えであり。

 ……英雄王もそう考えている。その、はずです。

 

 「正しいというのは、とても心地良いです。優しいというのは、紛れもない美点です。英雄王ちゃんはいつも正しい、そして優しい」

 

 その声音は、物語を伝える詩人のよう。

 普段にはない真面目さで語る声の主はアンブローズでした。

 

 「ですが、ただ正しいだけが。優しいだけが人ではないと、あたしは思います。

 だから、あたしがシャディアちゃんの話を、兵士ちゃんから聞いた時。すぐに逃がそうとしました。英雄王にシャディアちゃんが殺されるって思ったからです」

 

 そういえばアンブローズは、すぐに声を出していましたね。

 ……凄いなぁ。

 私は……怒る英雄王の前に、浅い呼吸をすることくらいしか出来なかった。

 

 「でも結果的に英雄王ちゃんはシャディアちゃん殺さなかったですし、それどころか湯と食事と寝床を与えました。本人ではなく。ましてや血縁と呼ぶべきかの是非は置いておいて。自らの妻を奪い、あわや子までという血縁相手にですよ?」

 

 魔王に体を乗っ取られた兄というのが血縁かどうかは別として。

 怒る人間が、何をしても許される絶対的な権力者が。

 兄を魔王信奉者に囚われるような家族が悪いと。そんな話で押し通せる相手に対して、手を差し伸べる。

 他の人でもこんなこと出来るのでしょうか。

 

 トゥアンは殺すと、はっきりと言いました。

 他の、千年戦争以前の支配する者達は?

 もし私だったら……?

 父と母の敵を前にして、自らの手でその命を絶ってよいとしたら?

 

 …………。

 

 想像して、頭を振るう。

 手が血の色に染まったから。

 そして、背に冷たい物が走った。

 

 自分だったらそんなことをしてしまうのに。

 英雄王に私は余計なことをしたのではないか。

 結果としてはシャディアを助けたというのに、そんな気持ちがひしひしと湧いてしまう。

 決定的になったかは分かりませんが、英雄王にシャディアの助命を乞う行為を私はしてしまったのだから。

 

 「殺さないと聞いた時には、あぁやっぱり何だかんだで英雄王ちゃんだなぁと思いましたし。同時に……」

 

 そう考えるとやはり。

 

 「キレイすぎて、あたしは不安になりました」

 

 アンブローズの言葉がすとんと胸に入る。

 キレイ。

 あぁなるほど、英雄王は……キレイです。

 

 「たぶん皆が思っているのは、そういう不安だと思います」

 

 アンブローズの英雄王がキレイという表現に、英傑達面々はわざわざ主なき執務室に集まってまで確認したかった。英雄王のシャディアに対する言動への言い表せない不安の正体を確認する。

 

 「でも今更私達が英雄王にかけあう訳にはいかないわ。かけあった所で一人の女の子を殺しちゃうだけだし……」

 「シャディアの生死は別として、王国はあいつの国だ。そしてあいつが王だ。あいつが臣下達の前で決めたことを、今更あたし達の判断で覆す訳にはいかない」

 

 トラムとシャディアは手打ちのように頷き。

 最初の発言者であるアトナテスは、あーと言いながら頬をかく。

 全部腑に落ちたとまではいかないが、これ以上言うべきではないという顔でした。

 

 「不安どうこう言うなら、私の方も問題ですね。今から遺書でもしたためておきましょうか」

 

 影の射手はらしくもない嘲笑的な笑み浮かべ。本当にそのまま消えてしまいそうな雰囲気をしていた。

 

 「何でそんなことを言うんですか!」

 

 私と同じ印象を受けたらしいサナラが、影の射手に問い詰める。

 

 「王妃様の付近にいた衛兵は勿論。傍に仕えるメイド達も万が一の時戦える者を選出しておいたのですよ私が。まぁ結果は……」

 「それはっ!魔王が相手だったから仕方ないじゃないですか!」

 

 サナラは影の射手を庇うつもりの発言だったのでしょう。

 ですが……私でも分かってしまう程の失言でした。

 

 「……サナラ。それを英雄王の前でも言えますか?」

 「っ!!」

 

 相手が強大だったから仕方ない。で要人を守れないのでは、近衛兵もメイド達も存在する意味がない。

 これに関しては表か裏。守れたか守れきれなかった。という話でしかない。

 サナラも失言だと気が付いて。

 涙ぐみながらも、これ以上言葉を紡ぐのを止めました。

 

 これ以上、例えサナラが影の射手を庇う意図だとしても。

 影の射手の誇りを傷つけるのみならず。実際はそうであったとしても。英雄王が無事ならそれでいいと、王妃を軽視していたと思われかねない。

 物質界に多くの人の視点から見たら、それは事実だとしても。

 言っていい事と、悪い事があるのです。

 

 「アージェは影の射手が、遺書をしたためる必要はないと思います。シャディアを許したマスターが、影の射手を処罰するとは思えません」

 

 サナラの代わりにアージェが影の射手に言葉を紡ぎますが。

 アージェの言葉に、影の射手は小さく首を振るうと。

 

 「それはそれで、結構こたえるんですよ。アージェ」

 「…………」

 

 責任感の強さゆえに、罰を求めている人にとっては。

 何もされないことが何よりの苦痛である。

 影の射手はアージェにそう諭し、二人は口を閉ざしました。

 

 それからもぽつぽつと話は続きました。

 魔王の侵入経路だったり、今後の対応策だったり。

 あれやこれやと英傑達が話をしていく中で。

 私は沈黙し続け。

 

 やがて、再び会話が少なくなってきた頃。

 ポツリと、零した私の言葉に英傑達の視線が集中した。

 

 「……英雄王に何をしてあげられるのでしょうか」

 「「「…………」」」

 

 集中して、そして視線は散り散りになった。

 それこそが、最も難しい問題であることに違いなかったからです。

 

 

 

 帰還してから僅かの時間に色々あり過ぎた。

 最も難しい問題への答えが出ることなく。

 私達は重くのしかかる疲労感を引きずりながら執務室から解散した。

 諸々の後始末を終えて自室へと戻る最中。

 

 「ソラスちゃん……今日は一緒に寝ませんか?」

 「いいですよ」

 

 寝巻に着替え、枕を抱えたサナラが自室の前にいたので、私は快諾する。

 安全なはずの城内に魔王が現れた。そんな不安や、英雄王のこともあったりと。

 はっきり言って、私も人肌が恋しかった。

 ……一人でいるのが嫌だった。

 

 いつもなら、眠気がやってくるまで話をするなりカードをしたりと時間を潰していたかもしれませんが。

 今日ばかりは、サナラはベットに入るなり。

 私を抱き枕代わりに抱き締めてくる。

 

 「英雄王……」

 

 そして本当なら、私よりも傍にいて欲しい人を呼び。

 その頬に涙がスッと伝う。

 英雄王の代わりには到底なれないでしょうが。

 サナラの背を優しく叩いていると。寝息が聞こえてきてことに安堵して。

 サナラの体温で、私も一人ではないと言う安心を感じていると、思う。

 

 英雄王はどうしているだろうか。

 今も王妃の近くで死を悼んでいるのだろうか……。

 こうして、サナラの体温を感じている私と違って。

 たった一人で。

 

 

 

 王妃は……よりにもよって魔王の手によりその短い生を終えました。

 言った所で、歴史にもしという物がないのは分かっています。

 分かっていますが、思ってはしまいます。

 ……もっと私が星詠みとしての力が強く。

 正確であったならばと……。

 

 あの日を境に、英雄王は笑うことが少なくなりましたから。

 後悔なんて、してもしても。しきれないのですよ。

 

 

 

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