現実感のないふわふわとした感覚。
「…………?」
どこだろうここはと、きょろきょろと頭を回すと。
周囲の風景は何かの力の影響を受けたのか、暗い紫に染まり。
肌身に感じる重苦しい空気は、魔界のゲートから零れだす瘴気とまったく同じであることを私に理解させた。
そんなところに唐突に一人放りだされたという状況に、否応にも私の心に不安と、寂しさを齎す。
しかし、気が付くと、私は一人ではなかった。
一人、一人と虚空から、見覚えのある武器を携えた戦士達が現れ。
一点に向けて武器を向ける。まるで、強大な敵を待ち構える様に。
「……誰?」
何となく、仲間なのだろう。そんな気がして私も、彼、彼女らと同じように武器を構えようとして、ふと武器を持つ者達の顔を見ると。
ハッと気が付く。
見覚えのある武器を持つ者達は、私が知っているようで、知らない顔をしていた。
少なくとも、面影のある別人だった。
「…………」
普通なら、人に化ける魔物の類と警戒するはずなのに。どうにも、敵対する気にはなれない。信頼と自信に満ちた表情浮かべるこの者達を見て。英雄王率いる王国軍で戦列を並べる者達の顔を思い出し。私の仲間だという。何かの確信が、私がこの者達に武器を向けるのを妨げた。
なんでだろう?
あれこれ考えていると、ザッザッと歩く音が聞こえ。
聞き間違えることのない、彼の足リズム。
パッと顔が明るくなったのが、自分の事ながら分かった。
敵ではないにしろ、よく分からない人達に囲まれて不安を感じていた私の心に。
差し込まれた陽光のように、影を取り払う。
「英雄――」
呼びかけて、止めた。
違う。
雰囲気は似ているけど違う。
黒ではなく茶の髪色が理由だったのか、白裏地の赤マントではなく。赤裏地の白マントを羽織っていたからか。
何かが、英雄王とは決定的に違った。
だけど、頼もしい。
英雄王に似た雰囲気の人物を見て、そんな印象を抱く。
この人とならどんな敵にでも勝てる。そんな希望を抱ける。
英雄王に似た人物が、これまたどういう訳か、アイギスの神剣を天高く掲げ、合図のように振り下ろすと。
虚空から重苦しい深淵の瘴気を撒きながら、ゲートが現れ開かれた。
一体どんな敵が来るのだろう。
気が付けば私は、この英雄王に似た人の仲間の一人であるかのように。
ゲートから現れるだろう魔神の類に、星天召喚の儀を行い。
天球儀を構えて、今か今かとその時を待つ。
そして、その敵を見た時。
天球儀が私の手から零れ落ちた。
「え……英雄王?」
黒い髪に、黒い翼、黒い剣。
ゲートから現れた敵より放たれる威圧感を前に、私はガリウスが現れたのだと思った。
ですが、顔も体つきも、一挙手一投足を直に見て私が見間違えるはずがない。
紛れもなく、ゲートから現れたのは英雄王だった。
「ッ!!」
威勢のいい誰かが、一番槍をと突撃する。
「だめぇ!!」
無意識に私はそう叫ぶ。
それが英雄王を傷つけてほしくない一心の声か、誰かに待ち受ける末路が分かり切っていたのか。
分からない……。けれど、非情なる現実がすぐさま訪れる。
「…………」
英雄王の剣が放つ一閃により、一番槍の胴が二つに斬り裂かれる。
どさりと、聞き慣れてしまっている。人一人分の重さが地に落ちる音が鳴り響く。
もう手遅れ……もう物になってしまったことを私は、どこか冷めた目で見ていたけれど、本当の仲間ならあぁそうですかと、放置する訳がない。
治癒魔法をかけようと、ヒーラーらしき子やヒーラーを守る為に、重装の子が英雄王の足止めをしようとして。
手に魔力を、火の魔法を発動させた英雄王はまとめて焼き払う。
熱い熱いと言う悲鳴が、ジタバタと全身を焼かれる苦痛に悶える音が聞こえる。
そして、そんな彼らを助けようとして、再び英雄王が放つ剣により次々と動かぬ物へと姿を変えていく。
「あ……あぁ……」
英雄王がこんなことをする訳がない。
これは、夢。そうに違いない。
覚めろ、嫌。覚めてお願い。
そう思っているのに、目はありのまま起きていることを写し、耳は音を拾う。
「…………ッ!」
撤退を促そうとしている仲間の静止を振り払い、英雄王に似た人が英雄王へと斬りかかる。
似たような顔をした両者の剣が、ぶつかり合い。英雄王の剣が止まる。
一瞬、この人なら。そんな感情が沸き上がったが。
英雄王の剣は瞬く間もなく押し返すと、体勢を崩したその人の……。
首がはねた。
「いやぁああああああ!!」
大きくて、深い喪失感。
絶望そのものを見て、くらりと視界が暗くなる。
それは私だけではなかったでしょう。
仇討の為か、無作為に飛び出した者は剣で殺され。
恐れをなし逃げ出した者は、魔法で殺された。
気が付けば、仲間は全員英雄王の手により殺されていた。
仲間の地で出来上がる血の池に、現実感がないまま。
ぺたりと坐りこむ私の前に近づく足音。
分かっている。彼です。
「…………」
私は、どんな顔をしていたのでしょう。
よもや彼が私を殺す訳がないという、媚びへつらうような顔か。
絶対者を前にして、ただ死を待つだけのありしの日の私の顔か。
分からない、顔はただ強張っていた。
「…………」
彼の剣が高く振り上がる。
あぁこの人の剣で死ぬんだ。もはや他人事のような感想を抱きながら。
せめて殺すなら、最期に私の名を呼んでほしい。
そんな身勝手な願いを抱いていると、彼の目と視線が交わる。
「英雄王……」
いつだって前を見つめる真っすぐな瞳はそこにはなく。
暗い暗い諦観を宿した虚無的な瞳をしていた。
振り下ろされる剣が、私に迫る直前まで。
(悲しい……)
死への恐怖よりも。
私の、私達の希望である彼がそんな目をしていることに。
私はひどい悲しみを抱いた。
ハッ意識が覚めて、起き上がり。
無意識に両手が胴と首が繋がっているのを確認していた。
「夢……」
周囲を見て、見知った天井に見知った壁。
というか自室であることに気が付き。
あぁ夢か。そう思い、ホッと息を零す。
けれども、夢で片づけるにはあまりにも現実味があったせいか。
それとも内容が内容なだけに、嫌な汗でぐっしょりと体が湿っていた。
「英雄王……」
あの日。
魔王が王城を襲撃した日より、一月程は時が流れた。
あの日以降英雄王は……いい事なのか、悪い事なのかあまり変わらなかった。
王妃が亡くなったことで、英傑達と過ごす時間が増えた。
アトナテス達とお酒を飲みに行ったり、トラム達と模擬戦をしたりと、ある意味では以前の生活に戻ったと言うべきだろうか。
そんな感じだからだろうか。心無い人達は英雄王は王妃に対する愛情はなかったと、私が現場にいたら引っ叩いていただろう流言の類が出たり。空けた王妃の座を狙ったのか、これ幸いにと美姫を差し出す輩もいましたが。
以前なら積極的に寝室に通していたはずの影の射手が、全員叩き返し。
英雄王も、そんな美姫達と交流をしようとはしなかった。
王妃の座は今も空席のままだ。
ただ英雄王に変わったことは二点ある。
一つは、英雄王と王妃の間に生まれた御子を、英雄王は戦場と政務。
どちらか一方でも、一切の手抜かず全うする合間。
王妃の分まで愛情を注ぐように、子守をする時間が増えた。
そしてもう一つは、ネックレスを身に着けるようになった。
……王妃と交換した結婚指輪を通したネックレスを。
片時も離れる事がないように。
水浴びでもしますか。
まだ夜中、このまま眠ってもよかったけれど、寝汗の気味の悪さと一緒に、先ほどの悪夢もキレイさっぱりと流してしまいたかった。
ささっと浴場へ赴き、冷水を浴びて体を拭う。
不思議と誰ともすれ違う事なかったなーと思いながら。
「今日はよく星が見えますね」
見上げた夜空に瞬く星々が良く見える。
せっかく目覚めたのだから占星術師として、星を眺めようと庭園へと足へ向け。
見間違うはずのない、赤いマントを羽織る彼を見かけて足が止まる。
庭園に咲き誇る物質界から、彼の為にと集められた花々。
神が作り、人の手で整えられた精巧な彫像。
二度同じ景色を見せる事のない、輝きを放つ夜空の背景。
そしてどれもが主役足りえるそれらが、一心に盛り立てる。
彼という芸術品。
これを一つの劇場として見た時。
いったい、先も後世も含めた物質界の芸術家達の中で何人が、これに匹敵する物を用意することが出来るのか。
この劇場のただ一人の観客となれた身に余る幸運に、冷水で冷えたはずの体に熱が回り。
美しい。
私にはそんな感想を零すしかできない。
そして、見ることでさえこの上ない喜びだというのに。
「ソラスか」
息を呑むような絶対の存在。劇場の主が私を呼びかける。
どうしようもなく、胸がきゅうと締め付けられる。
英雄王はキレイすぎる。
ただ美醜を意味する言葉ではないと分かっているのに、夢で見た彼が重なってしまい。猶更今目の前にいる彼という存在が、私達とはかけ離れた存在ではないとか感じてしまう。
あまりにも美しいから。
「座るかい?」
薦めなければ、私は立ち尽くしていたかもしれない。
庭園の備え付けられた椅子に座り、ようやく私は言葉を発することが出来た。
「こんなに夜遅くにどうしたのですか?」
問いかける私に、彼はあぁうんと返すと。
目を細めながら右手小指を見つめ。
「
握られていたのか、それともくわえられていたのか。
穏やかな表情をしながら彼は言う。
「父親していますね」
「そうかな」
「そうですよ」
父親という単語に、彼が嬉しそうに微笑む。
何でもできる彼であっても、父親が出来ているのか。
そんな些細なことでも、不安に思っていたのだろうか。
そんなところもまた愛おしく思う。気が付けば私は笑みを浮かべていた。
「ところでソラスはこそ、こんな時間にどうしたんだい?」
「えっ?あー……そのー……」
あなたに殺される悪夢を見た、なんて言えず。言い淀んでいると。
「怖い夢でも見たのかい?」
「…………」
私の事なら本当になんでもお見通しだなこの人、と思いながら頷く。
すると、彼はよっと掛け声を出しながら椅子を私の隣に運び座り直すと。
「あ……」
彼は私の手を取ってくれた。
繋がり感じる体温に、とくんと鼓動が早くなる。
「大丈夫だよソラス」
明日を見続ける真っ直ぐな瞳に、私が映る。
「悪夢はもうじき終わる」
力強い、人を安心させる魔法の言葉で私に聞かせ。
「『私』が終わらせる。必ず」
力強く手を握る。
いつもの彼、いつもの英雄王。
私達がもっとも信頼する、私の王。
……けれど。
どうして……。
どうして、致命的な。
取り返しのつかないズレを、彼から感じずにいられないのか。
「もう夜も遅い。送ろうか?」
「いえ、大丈夫です」
庭園から去っていく彼の背を見送りながら考える。
あんなことがあったのに。
王妃が亡くなって以降も、私も。誰もが英雄王は変わってない。
そう、思っている。
けれども本当は、英傑である私ですら気が付かない所が、何か変わっていて。
その違いに、私はズレを感じているのだろうか。
それとも……。
それとも……彼は。
それ以前から、何も変わっていないのでは?
ぞわりと、身の毛がよだつ。
夜風の、寒さのせいではない。
気がついては、知ってはいけない英雄王の本質に。
私は感付こうとしてしまったのではないのか?
……決戦は近い。
今にして思えば、あの人。
英雄王を本当の意味で理解していたと言える人は。
王妃と、女神アイギス様……たぶん魔王ガリウスくらいではなかったのかと。
私にはそう思えます。
ガリウスの名が意外に思えますか?そうでしょうね。
けれども、私は確信して言えます。
あの人は……出会いが違えば、ガリウスと手を組んでいたと。
ですがまぁ現実はそうはならず、決戦の時は訪れます。
そこで私は……あの人を……。
…………。
いえ、大丈夫です。大丈夫ですよ、王子君。
全部話すと言う約束ですからね。
けど……泣いてしまうかもしれません。
私。