白雪千夜の美術観   作:maron5650

20 / 25
19.最愛の人

「ささささささ先を譲ってあげてもいいですよ! ボクはカワイイので!」

 

廊下の窓から、月の光が差し込んでいる。

青白く染まった道を、芳乃は歩く。

背中から幸子に全力で抱きつかれながら。

 

「動きづらいのでしてー……。」

 

動作こそ鈍重であったが、芳乃は迷うこと無く真っ直ぐに目的地へと向かっていた。

「あの子」と小梅が先導してくれているからだ。

懐中電灯を持った小梅が「あの子」と共に先頭を歩き、その後ろを芳乃と幸子が。

そしてその後ろを、千夜が付いて行く。

そうやって少女達は、小学校をくまなく探索していた。

千夜が忘れている、何か。その手がかりを得るために。

 

「……後は、音楽室とか……生物室とか……そういう、ところ。」

 

何度目かの突き当りで、小梅が振り向く。

一階から順に教室を見て回ったが、目ぼしい収穫は無かった。

残るは、教室移動で使われるような、科目ごとに用意されている教室だった。

 

「一番近いのは、どこでしょうか。」

 

千夜が尋ねる。

ホワイトボードの上をマーカーが踊り、千夜の前に掲げられた。

 

『美術室』

 

 

 

 

 

「……食べたんだ。」

 

目の前のオムライスを見て、仁奈が呟く。

仁奈は、絵の女性と一緒にオムライスを食べたと言っていた。

私にその記憶は無い。だからそれは、彼女の夢だと思っていた。

しかし、目の前にあるものは、声高に叫んでいた。

 

「杏おねーさん。仁奈、やっぱり食べたんでごぜーます!」

 

仁奈の主張は現実だ。

 

「……この絵は実際に起きた過去。

でも私にその記憶はない。仁奈もはっきりとは覚えていない。

この人は、悲しそうに食べていた……。」

 

仁奈は、感情の機微に敏感だ。

母親と暮らしていた時に、必然的に身についた自己防衛。

少しでもマイナスの感情を持てば、徹底的に隠さなければ露見する。

だからこの人は、確かに何かが悲しかったのだろう。

 

置かれているのは冷蔵庫。

オムライスは腐っていない。

だから食べたのは、遅くても数日前。

数日前の来客を、当時の料理を見ても尚。

思い出せないほど忘れるなんて、あり得るとは思えない。

 

「……《ろぐ》。」

 

飴を噛み砕き、呟く。

私の目の前に、文字の羅列が浮かび上がる。

誰が、何に対し、何を願ったのか。

飴の使用履歴。その記録だ。

 

市原仁奈     "Do not disappear" → 鮟貞涵縺。縺ィ縺 

鮟貞涵縺。縺ィ縺  "Lose"         → 鮟貞涵縺。縺ィ縺 

 

「……これだ。」

 

仁奈が誰かに「消えないで」と願い、この誰かは「いなくなる」ことを願った。

相殺された幸福はこのログからも消失する。だからこれらは、きっと今も効力を発揮している。

 

「仁奈。確か今日、千夜ちゃんと話をしたんだよね。」

 

この人は、この世から存在しなくなることを願った。

しかし仁奈は、この人が消えてしまわないように願った。

そして、それらは同時に叶えられた。

 

「は、はい。そうでごぜーます。

何か忘れてる気がするって。だから芳乃おねーさんに……。」

 

この人は消えず、しかし誰からも認識されない。

誰の記憶からも消え、しかしそれは完全ではない。

消えないことを願った仁奈は朧気に覚えているし、きっと繋がりの深い人間は完全に忘れ去ってはいない。

 

「千夜ちゃんの忘れものは、この女の人かもしれない。」

 

 

 

 

 

美術室は、独特の匂いがする。

油絵や水彩、コラージュ用の糊。

様々な道具の匂いが、入り混じった匂い。

色々な生徒が、色々なものを作るために、色々なものがある。

だからこそ発せられる、他の場所には無い匂い。

 

私は、この匂いが好きだった。

誰もが何かを作ろうとしている、この匂いが好きだった。

自分だけの特別を表出しようとしているこの匂いが、私は好きだった。

 

「……いくつかは、残っているんですね。」

 

足を踏み入れ、呟く。

机や椅子は殆どが片付けられているけれど、絵は何点かここにあった。

新聞紙の上で乾かされている水彩画や、描きかけのキャンバスが。

埃を被りながら、創造主の帰りを待っていた。

 

絵を観ることは、描くことと同じくらい好きだった。

姿も性格もわからない誰かが、何かを表現したくて作り出したもの。

それに込められた想いを、汲み取ろうと頭を働かせることが。

 

……いつからだろう。

随分と長い間、そういう鑑賞の仕方をしていなかった気がする。

ただ美しいものを見て、それで安心していた気がする。

美しいものが生まれているのを見て、ほっとしていた気がする。

 

どうして安心していたのだろう。

この世に美しいものがあると知って。

美しいものが作られ続けているのを知って。

既に世に満ちていると、知って。

 

部屋の隅に、布をかけられているキャンバスがあるのに気づく。

描いている途中のままなのか、完成したけれど見られることがなかったのか。

或いは、誰かに見せることが、恥ずかしかったのかもしれない。

いずれにせよ、隠されているものを無理に剥がす趣味は無かった。

振り返り、私は美術室を後に──

 

 

 

 

 

──ジリリリリリリリ。

 

 

 

 

 

「……え、」

 

非常ベル。火災報知器の鳴らす音。

それが、廃校のはずの、電気なんてとっくに通っていないはずの、この空間を満たす。

一瞬遅れて、ポケットのスマホが振動する。

電話の着信。杏さんだった。

 

「もしもし、千夜ちゃん?」

 

杏さんは、平然と電話を始めた。

まるでこの音が、聞こえていないかのように。

 

「探している忘れものだけどさ。

ちょっと、分かったかもしれなくて。」

 

スマホを耳に押し当て、画面から顔を上げる。

誰もいなかった。

幸子さんも。

小梅さんも。

芳乃さんも。

きっと、「あの子」さんも。

誰もいない美術室に、私だけが立っていた。

 

「金色の、腰くらいまで届く長い髪。」

 

美術室の真ん中に、布の掛けられたキャンバスがあった。

つい先程、隅で見つけたものだった。

端っこで息を殺していたはずのそれは、千夜の目の前に堂々と立ち塞がっていた。

 

「透き通った紅い瞳。」

 

窓は閉まっているはずなのに、部屋に強い風が吹く。

それに揺られて、布がふわりと浮き上がる。

隠されていた絵画が、千夜の視線を受け入れる。

 

「そんな女の人が、きっと探しているものの正体だ。」

 

腰ほどまで届く金色の髪。

透き通った紅い瞳。

椅子に腰掛け、こちらを真っ直ぐに見つめる少女がそこにいた。

 

 

 

 

 

私の描いた肖像画だった。

 

 

 

 

 

「……千夜ちゃん。」

 

背後から、低く、心地良い声色。

振り向くと、そこは美術室ではなかった。

全身が痛み、肺が異物を追い出そうと、私を咳き込ませる。

何かの焼け焦げたにおいが、辺りに充満していた。

 

「ごめん。君しか、助けられなかった。」

 

ここはあの日の美術館だった。

私の全てが焼き尽くされた場所だった。

 

「これから言うことを、よく聞いてほしいんだ。」

 

 

 

 

 

最愛の人を亡くした場所だった。

 

 

 

 

 

information : データが更新されました

 

 

[Tips] 《ろぐ》

 

きいわあどの一つ。

双葉杏のみが使用できる。

飴による幸福の発生元、対象、内容を確認することができる。

表示されるのはあくまで飴を用いたもののみであり、鷹富士茄子による幸福は表示されない。

また、幸福の相殺が発生した際、それらは表示されない。

杏は普段、このきいわあどを所持していることを隠しているようだ。

 

 

 

〔Mission List〕

 

あ??たが成さねばなら????ことは、????から何??あ????せん。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。