同一世界線:『泥血─Purity』 https://twitter.com/if0nh1esemu75vp/status/1384846645725179909?s=21
交流祭:『憎悪の向こう』https://syosetu.org/novel/230734/
死人の方がマシな蒼白の肌、歪んだ骨格、内臓が欠けてるくらい薄っぺらい腹。物理的に青い血が全身に流れていて、唇もディープ・ブルー。口中には肉食の
「本当に僕のこと人間だと思ってたの?ありがとうね」
そう言って笑う男のことを、アズール・アーシェングロットは知らない。目の前に座る男はもっと、ありすぎるくらいに人間味に溢れていて、それからどうしようもなく臆病な人物のはずだった。間違ってもこんな風に支配者層の鷹揚さを滲ますような性格はしていない、はずだった。
アズールの困惑に応えるように青が揺れる。あの青が地下の王に由来するものだと知ったのは、アズール・アーシェングロットが陸に上がってまだ一年が過ぎない、確か春先のことだった。もしこれが彼の本来ならきっと、この世は随分生きにくいことだろう。海と陸。地下と地上。神話の三権。
「そう言えば入学前に協力した卵が幾らか稚魚になったらしく」
毎週火曜の部活動、たっぷり頭を使うゲームを先程終わらせて、もう一回というには最終下校時刻まで間のない、日の落ちかけた夕刻だった。仕方がないので二年生になったばかりのアズール・アーシェングロットは部室に(勿論部費で)常備してあるティーバッグで紅茶を二人分淹れ、イデア・シュラウドは一パック16枚298マドルのチョコチップクッキーを開けた。
「なんて?」
両手のカップを机に置くのと全く同じタイミングでアズールが口にした言葉に、イデアは目を丸くして聞き返した。特定の源系統を持つ全身種の人魚が概ね卵生であることは知っていたが、一つ年下のこの友人の
「ですから、生物学上の子供ができたと。いえ、まあ生き延びられるかどうかはまだまだ予断を許さない段階ですが、一応人魚の人口に数えられるようにはなったらしいので」
そう言うアズール・アーシェングロットが、仔魚の段階を抜けた自分の子供の存在を伝えられたのは、つい一昨日のことだった。数ヶ月前の岩場の影に張り付いた無数の、小指の爪の先より小さな卵から、体長三十センチの幼子にまで成長できたのはたったの二匹だったそうだ。その二匹だって、典型的な
「アズール氏、まさか既婚者だったりするの?え、裏切り者??晒さなきゃ……」
条件反射的なイデアのその言葉に、アズールは慌てて否定した。冗談交じりでもこの男はやると言ったらやるし、その場合ラウンジ利用者が減るだけでは済まない可能性だってある。電子の海ではおよそ他の誰より自在の鰭を持つのが、このイデア・シュラウドという男だった。
「違います!南や浅瀬は知りませんが
人魚、と一口に言っても三種類ある。ヒトの上半身と種別の知れない魚類の下半身を持つ
繁殖期に入った雌は役所に届出をして、そうすると魔法管理のデータベースから年頃と前回交配からの期間(相手が
アズール・アーシェングロットは蛸の
「あ、そういう。
多少の近縁種とは交配可能な例が多い獣人属や、人類種に限らず大概の相手と子供を作れる種の多い妖精種と違い、
「色々気に掛かる発言ですが、まあそうです。雌雄問わず四、五年経たないと次の繁殖はできませんからね、一年でも無駄にできないらしく」
原種の蛸のように一度の交尾で死に至ることはないが、それでもかなりのエネルギーを消費する。受け渡した精莢が回復するまでには短くても三年かかるため、完全に性成熟する十五歳前後から始まって、現実味のあるチャレンジ回数は高々四、五回。その中で確実に二匹以上の子孫を残さねばならないと思うと、学校があるくらいで見送ることは許されなかった。
ちなみにこのマッチングシステム、血の近さは一切考慮されない(幼生の管理がなされない以上、DNA解析を経なければ厳密には判断付かないことも一因)ため、拒否権の無さも合わせて一部陸の有識者からは蛇蝎の如く嫌われている。どちらかと言えば魚に近い種族にそういうことを求めないで欲しい、とアズールは思う。
「なるへそ。うちもそのくらいお手軽だったら良かったのに……」
イデア・シュラウドはお見合いとかいう陸式マッチングシステムのことが心底嫌いだったが、それを彷彿とさせるからといって異種族の繁殖方法に文句を言うほど狭量ではなかった。興味がないだけとも言う。それよりは、準妖精*2に数えられているくせに人間の繁殖方法の悪いところ(単胎妊娠が基本なところとか、排卵日が分かりにくいところとか、一回の妊娠に九ヶ月もかかるところとか、そのくせ生まれた後まで何ヶ月も何年も面倒を見続けないとあっさり死んでしまうこととかその他諸々)ばかり踏襲している自分の一族も、いっそ卵生になってはくれないだろうかと夢想する方がまだ優先だった。
「どういうことです?」
アズールは、意図的にシュラウド家の情報を探さないようにしてきた。魔道工学界の鬼才イデア・シュラウドとの仲を保つのには、どう考えても余計なものでしかなかったからだ。イデアが実家の話を好まない(弟のことは例外事項である)ことは誰の目にも明瞭で、だからアズールが知っているシュラウド家の知識は、死者の国の王の子孫として知られていることと、嘆きの島の行政執行者であることくらいだった。
「シュラウドもだいぶ前から絶滅危惧指定入ってるんだけど、もう限界でさあ。オルトがああ成らなかったらどっちか性転換薬飲んでワンチャンあったんだけどまあ、ね。拙者の代でおしまい、絶滅確定でござる」
今、シュラウドの特徴である青く燃える魔力の髪を持つ生者はたったの三人だった。イデアと父と、父の妻と。性別を置いておくにしても、妊娠に耐えられる年頃なのはイデア一人きり。だから弟オルト・シュラウドの心臓が止まったあの日にはもう、イデアはシュラウドの最後の一人になることが決まっていた。
イデア・シュラウドとオルト・シュラウドは、恋人どうしだ。少なくとも、アズール・アーシェングロットは「番」の他に良い表現を知らない。アズールと双子のウツボのような好奇心が先に立つ関係性(最近フロイド・リーチがセックスフレンドなる言葉を部活で仕入れてきた)ではなくて、もっと重苦しいものだ。
イデアとオルトが、結婚さえ視野に入れている関係だと、この学校で他に知っているのはアズールくらいではなかろうか。けれどそのアズールでさえ、二人の関係が(少なくとも過去の一時期では)一族に祝福されたものだと知ったのは、この時が最初だった。
「……あの、オルトさんのことは」
恐る恐る、という風なアズールの問いに、イデアは一瞬考え込んだ。交配対象になり得る相手が極端に少ない環境下に置かれた人類種(特に魔法を使えるもの)の間に、魅了・誘惑の魔法効果が
「んー、まあ婚約者カッコカリだったのも切っ掛けとしては無いじゃないけど……基本的には関係ないよ。例の閉鎖恋愛傾向はあるかもしれないけど結果は同じだし関係ないでしょ」
「それもそうですね」
アズールは頷いたが、本心からの同意だとは到底言えなかった。アズールは、よりによって自分の心がアンコントローラブルであることに、我慢のならない性質だった。人魚、特に
「ところでシュラウド家があなたの代で終わりという話なのですが、遺産はどうするおつもりですか?いい弁護士紹介しますよ」
二枚目のクッキーを食べようかどうしようかパッケージの成分表を睨みながらアズールがそう言うと、イデアは心底嫌そうに眉を顰めた。アズール・アーシェングロットの言う「いい弁護士」が言葉の通りである気が全くしなかったからだ。
「今からそんな話?拙者まだ十八なんだが」
「もう十八の間違いでしょう。種族平均寿命、馬鹿みたいに短い自覚あります?」
イデアは返答に随分困った。
「あれは夭逝が多いだけだから……。うーん、神殿の管理はしなきゃだし、養子……いやどこから?というか寿命、や、あー……」
夭逝は多い。それは単なる事実だった。一年、三年、七年、十五年。それらの壁を越える前に大勢が死に、そこを生き残れば多くは五十を越える。だがそれでも、
「何かあるんですか?」
繰り返して言い淀むイデアに、アズールは助け船のつもりでそう聞いた。イデアは何度か口を開閉させると、観念したように小声で言った。
「拙者精霊種指定受けてるんだよね。まともな意味で寿命があるのか怪しい」
アズールは初め言葉の意味を掴み損ねて、二、三度瞬いた。精霊種、とは一言で言ってしまえば、後天的に妖精族に変じた存在を指す。かの《砂漠の魔術師》のように肉の殻を捨て魔力生命体に変じたものや、夕焼けの草原における祖霊信仰により《百獣の王》が変じたように他者からの信仰によって(主として死後に)神や聖霊に祭り上げられたもの。あるいは
「精霊種指定って
「うん」
「うん、じゃないんですよめちゃくちゃ大事じゃないですか」
当のイデアがあんまり何でもなさそうな顔をして頷くので、アズールは「推し」とやらのよさを捲し立てている時のイデアのような早口で言い募ったが、どうにもイデアの心には響いていないように見受けられた。
イデアの方からすれば分かりきっている精霊化の原因を、アズールが知らないという可能性はその時に限って彼の頭からすっかり抜けていた。それから、嘆きの島と珊瑚の海の妖精種人口密度の違いも。嘆きの島は生きた人間よりもゴーストや妖精族の方が多い*4が、
「え、でも僕
高祖母と曾祖母が同一人物で
それに、このまま順当に行けばイデア・シュラウドは、
「だけとかいう次元じゃないんですよ。
「いや知らんが……」
アズールの言葉は、イデアの感情を一切揺らすことなく通り抜けてしまったようだった。アズール・アーシェングロットは、海で新たな妖精がどれほど盛大に祝福されるのかを知っている。海流を回し、水温を調整し、海底火山や間欠泉の振る舞いを制御する彼らの働きがなければ、人魚の多くはとっくに絶滅していただろう。
「この野郎。とにかく大事だと言うことは理解してください。さもないと」
「さもないと?」
「理解してくださるまで交代でウツボに解説させます」
「ハイ理解した!理解しました!だからそれは勘弁してクレメンス」
「まあいいでしょう。で、あなたの家の資産の話ですが」
嘆きの島は、鉱物の産出地として有名な場所でもある。かつては鉄や銅、金銀と貴石宝石に始まり、現代では
「ま、そうなったらたぶん地下に返すよ。個人資産の方はなんか適当に始末するんで安心して。あと弁護士は結構です」
嘆きの島の特殊性は誰の目にも明らかだ。
「何も安心できませんが?……はあ、僕より先に死んだらなんとかして毟り取りますから、覚悟しておいてくださいね」
アズールのそれはいつもの軽口ではあったが、紛れも無い本音でもあった。残りの余命分でイデアが生み出したはずの利益を思えば、それなりの額を貰わなければ。寂しい思いをさせる分だけの慰謝料をたっぷり。
「いやアズール氏、寿命何年?」
人魚は三百年生きる、というのは有名な話だ。精霊種指定といってもイデアのはユニーク魔法の神秘強度由来で、実のところ寿命云々は半ば吹かしだった*6。それにオルトも連れていく以上、これ幸いと持って行かれる謂われはない。そんな風に警戒していたものだから、返ってきた答えには随分驚いた。
「長くても六十年くらいですかね」
「あれ、短い」
「三百年生きるのは
イデアのあまりにも率直な感想に、アズールはくすくす笑って言い添えた。アズールの源流である蛸など五年も生きれば相当に長生きなのだから、その人魚が数百年を数えるような生き物だと思う方がどうかしている。
「あー理解。スマソ」
「いえいえ。お互い様でしょう」
海の人類種が互いに大きく混同されるように、冥王に連なる
交流祭、とアズールが言った。二杯目の紅茶にスティックシュガーを開けるところだったイデアは、動揺で半分でやめにするはずの砂糖を丸一本入れてしまった。
イデア・シュラウドは、そのまま何も言わずに紅茶に口を付けた。ナイトレイブン・カレッジとロイヤルソード・アカデミーの二校交流祭において、NRCの各寮とRSAの縦割りクラスはそれぞれ舞台の出し物が義務づけられている。今年のイグニハイド寮は例年のように《死者の国の王》の恋物語を、例年とは違って演劇の形で発表した。イデアは《死者の国の王》役をやらされ(断じてイデアが希望したのではない。こんな時ばかり結束する寮生と、それから弟の目があまりにきらきらしていた所為だった)、オルトはシュラウドの初代にあたるその子供を演じた。
アズールは劇を終わりまできちんと見ていた。他ならぬ
「ねえ、他に方法はないんですか?あなたの技術をもってして、なお?」
「……僕が、そこまでして子供が欲しいように見える?」
そう言ったイデアの瞳は爛々と黄金色に輝いていた。青い唇の内側にはギザついた牙が並び、蒼白の肌は死人のそれにも等しい。
イデア・シュラウドは、自分と寸分違わぬ遺伝子の持ち主がきっと長くは生きないこと、自身のこの生命が魔力に支えられていることを、事実として知っていた。骨も、肉も、臓腑も、イデアのものは心と同じくらいに捻じ曲がった機能しかしないはずだった。
「……いいえ」
肉持たぬゴーストが現世を漂うように、魂持たぬワイトが地上へ彷徨い出すように、イデア・シュラウドの肉体は神秘の力でもって動いている。
人でなくなることは恐ろしくはなかった。親族以外と交配できない時点で、そもそもがヒトではないのだから。永遠の暗がりを寂しいとは思わなかった。例え奈落の奥底でも、オルト・シュラウドが隣りにいるのなら、イデアはそれだけで構わなかったから。