跳べ、ウラヌス ~ウマ娘オリンピック物語~   作:空見ハル

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1932年ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した西竹一とその愛馬・ウラヌスを元にした物語『跳べ、ウラヌス』。
その舞台設定、人物設定資料集をこちらに掲載します!


※これは史実を基にしたオリジナルウマ娘、トレーナーのお話です。
 当作品はフィクションであり、版権元や実在の人物とは一切関係はありません。


『跳べ、ウラヌス』設定資料集

「舞台設定」

<ウマ娘と軍事>

 ウマ娘の人間を超える圧倒的な力の軍事利用は、紀元前2000年頃から考えられていた。ウマ娘はその前から人間と共存して農業や運搬などの力仕事に従事していたが、このころからウマ娘はその速さを活かした機動戦の中核を担うようになり、車輪を用いたバ車を引いて人間との連携・輸送を行うようになった。

 紀元前8世紀ごろには技術の発達によりウマ娘の力に耐える丈夫な弓の開発が行われ、アッシリアはこのウマ娘弓兵を用いて世界帝国に上り詰めた。その歴史から、ウマ娘は人間の女性とは全く別の存在とみなされ、世界中の軍隊でも人間の女生とは別に、男性と同等かそれ以上の存在として扱われた。

 

 一方で、ウマ娘は大飯喰らいで人間の兵士よりも兵站管理が難しく、また軍事利用に値するまでの、その大きな力の制御のために訓練が必要であるという難点があった。そのために古来からウマ娘の訓練や体調管理などを専門とする人間の役職も生まれ、これは後に「トレーナー」と呼ばれることになる。

 ウマ娘兵とこれをサポートするトレーナーはどちらも「キ兵(騎兵)」と呼ばれるようになり、古来からその強さや、ウマ娘とトレーナーの間に生まれる絆の美しさもあり、人々の憧れの兵科となった。

 当然、その軍事的影響は歴史にも多大な影響を与え、歴史上有名な人物の多くはウマ娘と共に歴史を築いていった。有名なトレーナーには、ハンニバルやチンギス・ハンなどが存在する。

 

 キ兵の台頭は、人間・ウマ娘共に「キ士(騎士)」や「武士」といった戦士階級を生み、歴史的に大きな影響を与えていた。しかし15世紀ごろからの火薬・銃の普及などの発展は軍事におけるウマ娘の立場を徐々に変えていくことになる。銃や大砲による遠距離攻撃は、防御力が低いウマ娘にとっては脅威となった。やがて戦列歩兵といった人間の数と技術を活かした戦術が主流になっていくが、それでもしばらくはその機動性からキ兵の重要性は失われず、銃を持って戦うウマ娘兵も現われた。

 

 明確にウマ娘兵の重要性が失われていったのは20世紀前半である。日露戦争からの「機関銃」の主力化は、脆弱なウマ娘にとっては脅威であった。第一次世界大戦の初期ではウマ娘兵の突撃は機関銃によって無力化されて大量の死者を出した。これにより塹壕、戦車といった新技術の発展によってウマ娘が得意としていた突撃は無意味となり、主な軍務は後方での輸送が主になったが、それも自動車の発展によって徐々に減ることになった。第一次世界大戦では、危険な砲弾輸送や、中には人間と変わらない塹壕戦や白兵戦を演じることになってしまい、その過程で唯一無二の相棒であるウマ娘とトレーナーとの悲しき別れが多く起こった。以降、ウマ娘の軍事的な価値は大きく下がることになる。

 しかし古来からあるキ兵への憧れは民衆の間では依然根強く、現代にいたるまで儀典の場で活躍している。

 

 

<バ術>

 ウマ娘は上の通り、かねてから人間の歴史と密接な関係にあり、近代に入る前までは常に軍事における中心的な立場にいた。そこで生まれた、ウマ娘が行う機動戦に必要な動作の一つ一つが、バ術の発祥である。古代ギリシアにはトレーナーであるクセノポンがバ術書を記し、それらは現代にいたるまで通用するものとして継承されている。

 バ術のポイントには、計画通りのコースを素早く走る、戦場の障害物を跳び越える、長距離をペースを乱さずに走る、などがある。これらは歴史を通してトレーナーによる訓練によってウマ娘は洗練させていった。

 そして16世紀ごろ、銃器が発達し鎧が無意味になり、ウマ娘が軽装だが美しい軍服を身にまとうようになると、欧州を中心に、戦場の中でのウマ娘の動作に「美しさ」を見出すようになっていった。それからしばらくすると、イタリアやフランスを中心に、人間のバレエのようにウマ娘が綺麗な動作(華麗なステップなど)を披露し点数を競う「競技バ術」が生まれた。19世紀終わりごろになると障害を跳ぶことを重視した「障害飛越」などが生まれ、バ術の種目はまとまりを見せていった。

 近代に近づくとトレーナーによるウマ娘の訓練法や走法も定まり始め、欧州を中心とした「ブリティッシュ」、西部劇時代に発展しアメリカを中心として広まっている「ウェスタン」などが生まれ、現代にいたるまで用いられている。このように、バ術はレースとは全くの別物として、違う広がりを見せていった。

 

 近代までに競技バ術はある程度まとまりを見せ、バレエのようにその動作一つ一つの美しさを競う「バ場馬術」、ハードル走のようだが飛越そのものを重視した「障害飛越」、これら二つにクロスカントリー(耐久走)を入れて3日かけて競う「総合バ術」の3つが主なものになった。

 

 競技によってルールは様々だが、基本的にウマ娘としてのその姿勢の美しさを競う競技のため、転倒したり力尽きたりして膝をつくと失権となるなど共通点は多い。

 

 バ術競技はその歴史から貴族、その中でも軍人がやるものとして発展し、オリンピック競技に採択された後も、1952年のヘルシンキ大会まで、あらゆる大会における参加権は、トレーナー・ウマ娘共に軍人のみに与えられた。そのため参加するトレーナーは軍服に、ウマ娘は軍服をモチーフとした煌びやかな「勝負服」に身を包んで競技に参加する。

 その煌びやかな競技イメージから、庶民でも参加できて純粋な競争であるレースとはまた違う、ウマ娘の憧れの競技である。

 

 ちなみにウマ娘がホッケーのような道具を持って点を入れ合う「ポロ」というスポーツもあるが、こちらは走ることを命とするウマ娘には馴染まなかったせいか、あまり普及しなかった。

 

 バ術におけるトレーナーは、古来からの関係、そしてレースと同じく、ウマ娘の体調管理やトレーニングなどを専門とする。レースと違うのは、バ術は「人バ一体」の思想がより根強く、トレーナーも競技に出場する点である。

 トレーナーはレース前日に競技場を巡回してコースを覚え、競技当日はウマ娘の隣で適切な指示や声援を送る。ウマ娘はこれらの指示を通してペース配分やステップ、飛越を図るため、地味に見えて非常に重要な役割である。そのためバ術は、最低でも競技の3割はトレーナーの力によるものと言われており、オリンピックにおいてもウマ娘・トレーナー双方にメダルが送られる。

 このように、バ術はレースよりもウマ娘とトレーナーの結びつきが強くなる傾向にあり、この強い絆を含む関係性に憧れてバ術の扉を叩くウマ娘や人も少なくはない。

 

 

<障害飛越競技>

 バ術の競技の一つで、トレーナーのサポートの下、ウマ娘が、決められたコースを、設置された障害を跳び越えながら通過する競技。かつては狩猟をしていたウマ娘同士の腕試しやトレーニング目的で行われていたが、1900年初頭からイタリアを中心に競技化され、1900年のオリンピック パリ大会からはオリンピックにおけるバ術競技の定番になっている。

 障害飛越は他のバ術と同じく、トレーナー・ウマ娘がコンビで出場し、そのトレーニングの成果も競うことになる。

 競技形式は様々だが、国際競技会などオリンピックでのルールは以下の通り。

・障害に触れてバーを落下させたり障害を破壊してしまった場合、減点4。

・障害前で立ち止まって反転したり(拒止)した場合は「反抗」となり、減点4。反抗2回で「失権」。

・タイムを計測し、規定タイムを超過した場合は超過4秒ごとに減点1。

・転倒したり、力尽きて膝をついてしまった場合、コースアウト(経路違反)した場合には「失権」。 

  高得点を狙う場合には、確実に障害を跳びこえて、かつ素早くコースを走破する必要がある。障害には飛越方法が決まっているほか、障害間の移動は45秒までという制限もついている。これらを守れなかった場合は総じて失権となるので、注意が必要。

 トレーナーはウマ娘のトレーニングのほか、競技前にコースの下見が可能で、下見を元にトレーナーは競技計画を立てる。下見にはウマ娘や他の指導者の同伴も許されている。

 競技ブリティッシュの流れを汲んでいるために礼節を重んじるのは他のバ術と同じで、ウマ娘の勝負服も、軍服や礼服を元にしたものと決まっている。

 障害飛越は、バ場バ術と違い制約が少なく、障害を跳び越えるタイムアタック的要素と相まってスポーティな競技として知られており、バ術の中でもその派手さから人気が高い。オリンピックにおいても一時期は現代のマラソンのように、閉会式前の最後に行う競技として注目され、”オリンピックの華”とまで言われる競技である。

 ウマ娘の持久力や身体能力をより重視する一方で難しい小技を多く覚える必要がない点から、レースをしていたウマ娘のセカンドステージとしても注目され、レースから転向して出場するウマ娘も少なくはない。

 

 

<ウマ娘と名前>

 これはレースウマ娘にもバ術ウマ娘にも共通していることだが、アスリートとなるウマ娘は通常、戸籍上とは別の名前を授かることが多く、生涯を通してその名前を名乗るウマ娘がほとんど。その名づけ親はトレーナーであったり親であったり、中には占いで決める者だったり様々。しかし日本のメジロ家など、名家の場合、家から決まった名前がつけられることも。

 

 

<日本陸軍とウマ娘>

 日本の軍事におけるウマ娘、バ術の源流は主に武士にあったが、明治維新前後に欧州からのバ術思想が入ってくると、欧州流のキ兵運用が行われた。

 日本における近代キ兵が大きな発展を遂げたのは、日露戦争において活躍した「秋山好古」の存在が大きい。自身も優秀なキ兵である秋山は、ロシアとの戦争を想定した強いウマ娘とトレーナーづくりに尽力。陸軍全体が普仏戦争で勝利したドイツ式への転換を進める中、秋山はフランスの強くて効率的なウマ娘運用に着目。秋山は自ら部隊を率いて、機関銃を併用した戦法によってロシアのコサック師団を破った。

 以降、秋山がフランス流キ兵を学ぶために留学したソミュールキ兵学校は、優秀な日本陸軍のトレーナーが多く学ぶ場になり、日本バ術の礎を築く場所となる。

 

 そんなソミュールに留学したキ兵の一人に「遊佐幸平」がいる。遊佐は日露戦争で樺太で武勲をたてた後にソミュールでバ術を学び、日本競技バ術の発展に大きな影響を与えている。その温厚な性格から多くの人に慕われた一方で、ウマ娘を見る眼は誰よりも鋭く、遊佐が育てたウマ娘はどれも優秀で、長距離耐久走において2日間で480キロ走破するなど強烈な成績を残す者もいた。遊佐はバ術における日本の世界進出に取り組み、1928年のオリンピック アムステルダム大会では、7人の仲間と共に初めてオリンピックに参加。それからも今村や西といった、「跳べ、ウラヌス」作中にも登場するバ術家を育て、ロサンゼルスにて初の日本人オリンピック審判員を務めるなど活躍した。

 

 

・・・・・・

 

 

「登場人物」

<日本陸軍の人々>

・西 竹一

誕生日:1902年7月12日

身長:175cm

体重:微減(奥さんに注意されているらしい)

 

[跳べ、ウラヌス]

日本陸軍のキ兵将校で男爵。そのため「バロン西」の異名を持つ。1930年にウラヌスと出会い、彼女のトレーナーとなる。

 身長175cmという当時の日本人としては高い身長、整った顔立ち、そしてそのフレンドリーな性格、更に剣道や柔道の有段者であることからよくモテる。本人も天然ジゴロなところがあり、その容姿と性格もあって国内外問わず人気がある。ハリウッド俳優や皇族などとも交友があり、ウマ娘たちからの人気も高い。

 妻子持ちにも関わらず、毎晩同僚と飲みに出歩いたり、街で美女と話して賭け事をするのが日課の遊び人だが、貴族や軍人としての期待を背負い、そのプレッシャーに日々悩まされている繊細な一面も持つ。

 バ術でのトレーナーとしての腕は恩師の今村も認めるほどで、その腕と眼は、イタリアで誰も手をつけられなかったウラヌスの癖や実力を見抜き、オリンピックまで導くほど。西のトレーニングは今村らの自然バ術も取り入れられてはいるものの、実は独自のスパルタ式。

 

[史実]

 男爵で富豪だった西徳二郎の三男として生まれる。のちに後を継いで「バロン西」となり、陸軍士官学校を経て陸軍入隊後、騎兵を志す。1930年にはヨーロッパへ渡り、イタリアにてのちの愛馬である「ウラヌス」と出会う。そこからは今村安と共にヨーロッパの国際競技会に出場した後、1932年ロサンゼルスオリンピックに出場。ウラヌスと共に大賞典障害飛越競技で優勝。2021年現在、史上唯一の日本人馬術金メダリストとなる。

 

 

・ウラヌス

誕生日:忘れたらしい

身長:180cm

体重:増減なし(体重管理はばっちりだとか)

スリーサイズ:B:92、W:65、H:90

 

[跳べ、ウラヌス]

 栃栗毛で、額の髪に白い星のマークがあるウマ娘。実はフランス生まれ。フランスの家から期待をかけられるままにイタリア陸軍に移り、イタリア陸軍の兵舎で孤独に走り続けていたところを西にスカウトされた。それからは日本陸軍のウマ娘としてヨーロッパの国際競技会、そして1932年ロサンゼルスオリンピックに出場する。

 気が強く誇り高い性格だが、常に周りに気を配っている。西の担当ウマ娘になってからは、自身も同じように高貴なる者として恥じることのない振る舞い(ノブレス・オブリージュ)を心掛けるようになった。だが肝心の西が自由奔放なため、日常生活では逆にトレーナーを叱ることも多い。それでも西の方がいつも上手な模様。

 いつも煌びやかな日本陸軍の軍服を着ているがスタイルが良く、西と同じく最近は同じ陸軍ウマ娘からは憧れの的になっているらしい。最近はトレーナーに似てやや天然ジゴロになってきているとか。

 作中での表現はなかったが、実は西よりも身長が高い。が、スタイルが良くて体格だけ見たらやや小柄に見える。身長は西よりも高いがそれでもよく頭を撫でられていて、当人も実はそれを気に入っている。

 

[史実]

 栃栗毛のアングロノルマン種。1930年4月、イタリアを訪れた西によって購入され、愛馬となる。額にある星と体高180cmほどの巨体が特徴で、その性格は激しく、イタリアでの熟練の馬術家しか乗りこなせなかったと言われているが、西にだけはなぜか初対面でも頭を摺り寄せ、懐いたという。しかし、ウラヌスは後肢を伸ばす癖のある跳び方をするため、西はそれだけが気がかりだった。

 ウラヌスは西、そして今村と共にヨーロッパ各地の国際競技会で活躍。1932年ロサンゼルスオリンピックでは西と共に大賞典障害飛越競技に出場。最後の障害では、西とウラヌスは危うく飛越に失敗しそうになる。しかしウラヌスは自らの意志で後肢を横に捻り見事障害を跳び越えたという逸話を持つ。

 

 

・今村 安

誕生日:1890年1月30日

身長:168cm

体重:微増(食事よりお酒)

 

[跳べ、ウラヌス]

 西の恩師にして、日本バ術界の最先端を担う軍人。1929年からのヨーロッパ留学でウラヌスを見つけ、西とウラヌスを引き合わせた張本人。その旅の中で自らの担当ウマ娘となるソンネボーイをイギリス陸軍から連れ出す。

 自由奔放な西や、真面目過ぎるソンネボーイなどに挟まれて色々と振り回される苦労人。とはいえその誰よりも強い愛バ精神からくるバ術の腕は本物で、1930年のヨーロッパ転戦では、ヨランダ王女杯に勝利し、日本人初の国際バ術競技会優勝を果たした。

 バ術においてはイタリアのキ兵学校で学んだ「自然バ術」を活かした独自の「今村バ術」を確立させている。トレーニングは、西に比べると優しめで、ウマ娘に寄り添い毎日のルーティンを重視している。その紳士的な性格も相まって、陸軍ウマ娘にとっては優しいおじさんのような存在らしい。

 実はかなりの酒好きで、ロサンゼルスオリンピックでは、部下であり生徒でもある西の優勝に気をよくして酒を飲みすぎてしまい、帰りの金を使い果たしてしまうという珍事を起こす。

 

[史実]

 元藩士の名家に生まれ、兄にはラバウルの戦いで有名な今村 均がいる。陸軍士官学校を経て騎兵になり、1929年からはロサンゼルスオリンピックに向けた馬術の技術九州のためにイタリアのピネロロ騎兵学校に留学。留学中にはヨーロッパ各国を回り、ウラヌス、ソンネボーイ、ファレーズといった日本オリンピック馬の調達を行った。

 1930年には西と共にヨーロッパ各地の国際競技会を回り、愛馬・ソンネボーイと共にトリノにてヨランダ王女杯に優勝。2021年現在に至るまで、本場・ヨーロッパの馬術国際競技会において日本人が優勝した唯一の例である。

 ロサンゼルスオリンピックにおいてはイタリアでの国際大会優勝経験もあり、実は西よりも注目されていた日本人選手だった。期待の中、ソンネボーイとともに出場するも、障害に阻まれて落馬。失権となる。

 オリンピック後も日本で馬術家の育成に力を注ぎ、今村がイタリアで学んだ”自然馬術”を元に残した「今村馬術」は、戦後に至るまで日本人の馬術家にとって重要な教典となった。

 

 

・ソンネボーイ

誕生日:春(詳しい日付はトレーナーにしか教えていないとか)

身長:159cm

体重:微増(日本の食事が美味しいせいらしい)

スリーサイズ:B:79、W:56、H:80

 

[跳べ、ウラヌス]

 前髪に白いラインがある、栗毛の元イギリス陸軍ウマ娘。1929年の冬、世界恐慌によって家族やトレーナーを亡くし、絶望の淵に追い込まれていたところを今村にスカウトされ、日本陸軍に入隊する。一人称は”ボク”。

 バ術ウマ娘としてはまだ若いながら、性格は静かかつ真面目で、かつてイギリスの仲間とも約束した”世界一のウマ娘になる”という目標を胸にトレーニングを続けている。しかしそこに縛られるあまり周りが見えなくなることもあり、1932年ロサンゼルスオリンピックでは、競技に入れ込むあまり、気づかないうちに自分を瀕死に追い込んでしまっていた。そのために難関の第10障害で膝をつき、失権となる。

 口数が少なく表情の変化に乏しいが、今村に褒められたりしたときには静かに笑ったり照れ隠しをするなど、豊かな表情を見せる。また、今までトレーニング以外に興味はなく同期のウラヌスともあまり話さなかったが、オリンピック後は陸軍内で一緒に行動して話すことも多くなった模様。たまには力を抜いて楽しく過ごすことを学んだらしい。

 最近の悩みは、ウラヌスと身長の差がありすぎること。

 

[史実]

 1929年の冬に今村によって購入されたイギリス産・ハンター種。英語読みだと”サニーボーイ”になる。1930年からはヨーロッパ各地の国際競技会を転戦するが、この時ソンネボーイは7歳で、馬術馬としてはデビューしたばかりの新馬だった。

 しかし今村流の巧みな調教によって若くしてその実力を発揮し、ナポリ、ローマと好成績を残し、トリノのヨランダ王女杯では見事優勝を果たす。「ソンネボーイは飛越が巧みで歩度増減、回転がスムーズ」な良い馬だとイタリアでも話題となり、中にはソンネボーイを譲ってもらおうとするイタリアの軍人まで現われたという。これはのちにウラヌスを今村に引き寄せる大きなきっかけとなった。

 ヨランダ王女杯の際には現地で雇った厩務員が優勝発表前にさっさとソンネボーイを帰してしまったために表彰式に立ち会うことができず、今村は代わりにソンネボーイによく似た馬を借りて表彰式に出た、というエピソードが残っている。

 1932年ロサンゼルスオリンピックでは今村と共に走るも失権。以降、オリンピック参加などの記録は残っていない。

 

 

 

<???>

・アイルランド

[跳べ、ウラヌス]

 ロサンゼルスに滞在中の西の夢に出てくる不思議なウマ娘。かつては”アイリッシュボーイ”という名前だったらしい。

 アイルランドでいう”こっち”の世界では、アイルランドはウラヌスと並んで西の担当ウマ娘として活躍。2m10cmの障害も跳び越えたこともあるという。しかしロサンゼルスオリンピック前に障害に入れ込みすぎるあまり脚に重傷を負い、二度と走ることができなくなってしまった。

 夢の中でアイルランドは西に自分の想いを話し、ウラヌスの傍にいてあげるようにと伝える。

 

[史実]

 癖が強い馬であったウラヌスの前に、西の愛馬として活躍したアイルランド産ハンター種の馬。アイリッシュ・ボーイという名でも文献に登場する。癖の少ない良馬だったが、やや興奮して障害に入れ込んでしまう傾向があった。

 オリンピック前までは西の本命として1932年ロサンゼルスオリンピックに出場予定だった馬で、日本にいたころには西と共に2m10cmという障害飛越の日本記録を打ち立てている。ウラヌスと共にオリンピック予選会を通過するも、オリンピック直前に肢を負傷。以降の競技参加が不可能になってしまう。

 西は愛馬の故障に深く悲しみ、副場だったウラヌスの癖がオリンピックに向いていないとも考えていたために、オリンピックの辞退とまで言っていた。しかし今村らの説得によって西はウラヌスと共にオリンピックに出場。アイルランドの悲しみを乗り越え、見事優勝を果たしている。

 

 

<日本の人々>

・アスコツト

誕生日:?

身長:164cm

体重:微減(トレーナーに食べ過ぎを注意されたらしい)

スリーサイズ:B:88、W:56、H:88

 

[跳べ、ウラヌス]

 東京に来たばかりのウラヌスが出会った、栗毛のレースウマ娘。府中競馬場建設予定地を眺めて、ここで走ることが一つの夢だとのんびり語る。

 トレーニングはもちろん礼節などに関しても非常に厳しい”関東の鬼”と呼ばれる敏腕トレーナーに指導を受けていて大変らしいが、いつも気遣っているトレーナーのことは好きだとか。トレーナーはお酒を飲むと少し優しくなるとの本人談。

 自身の姉も同じ敏腕トレーナーと共に結果を出しており、そんな姉の存在を少しだけプレッシャーに感じているという。

 

[史実]

 1928年生まれ、栗毛の牡で、父・チヤペルブラムプトン、母・種秀、母父・インタグリオーという良血。日本競馬史のレジェンドである尾形藤吉が騎手・調教師を務めた。一歳年上の兄には、帝室御賞典優勝馬で当時最強と謳われたワカクサがいた。

 尾形曰く温順、素直で、口向きが軽い性格だったそうで、調教をよく聞くが根性がある馬だったという。1931年の中山秋開催からデビューして初勝利を挙げ、1933年に至るまで数々の重賞に勝利。当時最高額の優勝賞金記録を打ち立てた。

 

 

・田畑 政治

[跳べ、ウラヌス]

 西たちがロサンゼルスで出会った眼鏡の男性。その正体は日本水泳選手団の団長。猛烈な早口と人の話をどこか聞いていない慌ただしい性格をしているが、どこか憎めない不思議な男。新聞記者でもあり、政治部にも関わらずかねてからオリンピックに関する話を多方面に持ちかけていることから、”オリンピック男”として軽い有名人になっている。

 ちなみにロサンゼルス大会の水泳では選手団長・指導者として宣言通りアメリカを圧倒し、大量のメダルを獲得した。

 

[史実]

 戦前から日本水泳の発展に寄与し、東京オリンピック招致においても大きな役割を果たした田畑政治その人。スポーツ指導、オリンピックの招致活動に全力で当たる一方で、朝日新聞の記者でもあり、大正から昭和への改元や、五・一五事件など、歴史に残る大事件の体当たり取材をいくつも行った。

 政治家・河野一郎とも深いかかわりがあったと言われている。

 

 

・犬養毅

[跳べ、ウラヌス]

 西邸のパーティにてウラヌスが出会った”イヌカイのおじいさん”。その正体は第29代内閣総理大臣の犬養毅その人であり、ウラヌスに世界中の人々が輪になって笑い合えるようなスポーツの尊さを語っている。東京都知事が熱心に進める東京オリンピック招致にも関心を示し、その意向は記者である田畑にも語っていた。

 ロサンゼルスオリンピック壮行歌の発表会に田畑から招待を受けていたが、その直前に青年将校の襲撃を受け、暗殺される。

 

[史実]

 立憲政友会総裁や各大臣、内閣総理大臣などを歴任した大物政治家。浜口内閣で締結されたロンドン海軍軍縮条約によって表面化した統帥権干渉問題を受けて行動を起こした青年将校により暗殺される(五・一五事件)。その際の「話せばわかる」「問答無用」のやり取りはあまりにも有名。

 史実でも同日、東京都内にてロサンゼルスオリンピック壮行歌の発表会がある予定だったが、この五・一五事件によって延期になっている。

 

 

 

<ロサンゼルスの人々>

・イノウエ

誕生日:6月15日

身長:156cm

体重:微増(トレーニングをはじめた筋肉効果らしい)

スリーサイズ:B:72、W:54、H:78

 

 ロサンゼルスで障害飛越ウマ娘に憧れてトレーニングしていた、日系アメリカ人のウマ娘。しかしアメリカ国内で広がる有色人種への差別によってトレーニング場所で白人と走ることができず、空き地を転々としていた。一人称は”俺”。

 今までは憎しみや悔しさで競技に入れ込みすぎるところがあったが、ロサンゼルスでウラヌスと西に出会い、二人の走りを見てからは少しだけ考えを変えて、世界で多くの人々と競い合うことを目標に、プロのバ術ウマ娘を目指すようになる。

 かつては誰にでも強く当たり、外の人間を拒絶していたが、それは差別を背景とした理不尽な現状を”ナメられていたから”と考えていたため。ウラヌスと出会ってからはやや口が悪くも、競技に対して熱い想いを持つようになり、いつかオリンピックに出場することを目標にしている。

 ロサンゼルスの日系コミュニティにいて、幼いころから面倒を見てもらっているらしい。

 座右の銘は「Go for broke!(当たって砕けろ!)」。

 

 

・門番

 1932年オリンピック ロサンゼルス大会中、メイン会場だったロサンゼルス・メモリアル・スタジアムの門番をしていたガタイの良い男。元アメリカ陸軍軍人だったが、紆余曲折あり門番の仕事を任されていた。

 元々真面目な性格で、オリンピックでは規定に従いアジア人の立ち入りを止めていたためにイノウエらと対立していたが、西とウラヌスの走りを見て、人種や国の隔たりのない、美しい走りに感銘を受けてイノウエに謝罪する。その後はイノウエに気に入られて振り回されるようになり、イノウエの練習場所選びやタイムキーパーをするようになる。そしてそうしている内にいつの間にか彼女のトレーナーになる。ウマ娘については勉強中で、トレーナーになってからもいつもイノウエの言う通りに振り回されているため、外から見たらどっちがトレーナーかも分からないらしい。

 元々陸軍に入っていた伝手で、どうにかイノウエを正式な競技ウマ娘にできないかと奔走している。

 実は、本名は「ミラー」。

 

 

・おばちゃん

 ロサンゼルスの小料理店で働くおばちゃん。イノウエと古くから親しく、いつも応援している。職がなく、生活に困っていたところを親切な料理屋の主人に拾われ、今は比較的安定した暮らしができているらしい。いつかイノウエが競技場で走ることができるのを楽しみにしている。

 

 

 

<ロサンゼルスオリンピック出場選手>

・エンパイア

誕生日:11月10日

身長:175cm

体重:増減なし(貴族たるもの、体重管理は基本らしい)

スリーサイズ:B:88、W:65、H:93

[跳べ、ウラヌス]

 ロサンゼルスでのウラヌスのライバルの一人。スウェーデン代表、4番。高貴な家の出で、所作の一つ一つが綺麗で、スウェーデン軍服を元にした美しい王族のような勝負服を身に着けている。トレーナーはクラレンス・フォン・ローゼン中尉で、彼もまた代々バ術に関わる名家の出。家族の中にはオリンピック委員会に深くかかわる者もいる。

 アメリカやイギリスの障害飛越大会でいくつもの優勝を飾っているスターで、オリンピックの優勝有力候補だった。優勝には惜しくも届かなかったものの、難関コースを初めてゴールし、銅メダルを獲得している。

 ノブレス・オブリージュを体現した性格で、誰にも等しく礼節を重んじ、勝負になると手を抜かず全力で相手する。北欧の凛々しい軍服を着た、中性的で王子のような見た目も相まって、ヨーロッパのバ術界では大スターになっている。一人称は”わたくし”、相手のことを”貴公”と呼ぶ。

 トレーナーのローゼン中尉がパイロットのため、よく一緒に乗って空の旅をしているらしいが、やや操縦が荒いらしく本人は正直少しだけ苦手。

 オリンピック後は引退を考えていて、トレーナーからエアショーに出ようと持ちかけられているが、トレーナーを引き止めてもう少しバ術を続けようか迷っているらしい。

 

[史実]

 1932年にクラレンス・フォン・ローゼン中尉の愛馬として1932年ロサンゼルスオリンピックの障害飛越競技に出場し、銅メダルを獲得する。ローゼン中尉とエンパイア(Enpire)は、アメリカとイギリスでの大会で優勝経験もあり、優勝最有力候補の一組だった。

 ローゼン中尉はオリンピック委員会書記長の父を持つ名家出身の軍人で、パイロットでもあった。ローゼン中尉はロサンゼルスオリンピックにて馬場馬術、クロスカントリーにもサニーサイドメイドという馬と共に出場し、個人戦でそれぞれ5位、3位の結果を残している。しかし翌年・1933年に航空機・Sk10でエアショーに出場した際に、飛行機事故で死亡。28歳という若さだった。

 

 

 

・ショーガール

誕生日:5月19日

身長:172cm

体重:ヒミツ!

スリーサイズ:B:93、W:59、H:90

[跳べ、ウラヌス]

 ロサンゼルスでのウラヌスのライバルの一人。アメリカ代表。実は葦毛で、綺麗な白っぽい髪の毛。アメリカンガールらしい陽気な性格だが、バ術選手として様々なパーティに出入りしているためか、所作はとても綺麗。誰にも隔たりなく陽気に接する、沢山の人に好かれるタイプ。その葦毛の美貌と性格から、オリンピック前から注目されていたウマ娘の一人だった。

 ロサンゼルスではウラヌスの前の10番で、僅か12点減点の暫定一位で完走する。

 トレーナーはチェンバリン少佐。1920年のアントワープ大会からオリンピックに出場している大ベテランで、本人も陸軍随一の運動能力を持っているらしい。

 オリンピック後にはトレーナーのチェンバリンと共にバ術を引退する予定だったが、ウラヌスたちの熱意を見て、まだ続けようかトレーナーと相談したいらしい。

 

[史実]

 1932年ロサンゼルスオリンピックの障害飛越競技で、ハリー・チェンバリン少佐と共に銀メダルを獲得した葦毛の馬。目立つその毛並みと美しさから、競技中は特に注目された馬だった。アメリカが障害飛越競技でメダルを獲得したのは、これが初である。

 チェンバリン少佐は1920年のアントワープ大会、1928年のアムステルダム大会にも出場した大ベテラン。第一次世界大戦に第161歩兵旅団の副官として参加した際は終戦後も欧州を視察、イギリス騎兵連隊なども訪問して馬の技術を学び、アメリカに持ち帰った。ロサンゼルス大会では障害飛越競技のほか、総合馬術競技にも出場。団体戦ではアメリカ、フランス、オランダ3国のみの参加とはいえ、見事アメリカを勝利に導き、金メダルを獲得した。ロサンゼルス大会後は騎兵旅団長などのキャリアを積み、第二次世界大戦にも参加。1942年にはニューヘブリデス島防衛の指揮を任されるが、戦中に病を患い、本国に帰還した後死亡した。馬術において多大な功績を残し、アメリカ障害飛越選手の殿堂入りを果たしている。

 

 

・そのほかの参加選手(ウマ娘&トレーナー)→(結果)

1番:エルアス & アンドレ・ボカネグラ(メキシコ)→失権

2番:ベイブ・ウォーサム & ジョン・W・ウォホード(アメリカ)→失権

5番:ガングロ & カルロス・メヒア(メキシコ)→失権

6番:ジョー・エルシャー & ウィリアム・ブラッドフォード(アメリカ)→減点24

7番:(棄権)

8番:ウルファ & アルケ・フランケ(スウェーデン)→失権

9番:ピネロ & プロコピオ・オルチッツ(メキシコ)→失権

12番:コルネット & エルンスト・ハルベルグ(スウェーデン)→減点50

 

 

 

・・・・・・

 

 

 

「年表」

 

<1886年>

・初の近代オリンピック、アテネ大会開催。

 

 

<1892年>

・今村安、生誕。

 兄・振(のち台湾銀行勤務)、均(のち陸軍大将)に次ぐ、名家の三男に生まれる。

 

 

<1900年>

・オリンピック パリ大会開催。

 初めてバ術がオリンピック競技となる。

 

 

<1902年>

・西竹一、生誕。

 

 

<1907年>

・イタリア陸軍、バ術、特に障害飛越においてフェデリコ・カプリッリの新方式を採用。

 「自然バ術」が生まれ、近代障害飛越の基礎が固まる。

 

 

<1912年>

・西竹一の父・西徳二郎が死去。

 西竹一、西家当主の後を継ぎ、幼くして男爵(バロン西)となる。

 

・オリンピック ストックホルム大会開催。

 短距離走で「三島弥彦」、マラソンで「金栗四三」が日本人初のオリンピック選手として参加。 

 

 

<1913年>

・アメリカ、カリフォルニア州にて、日系移民の土地利用を制限する「排日土地法(外国人土地法)」が成立。日米関係の悪化に繋がる。

 

 

<1914年>

・第一次世界大戦 勃発。

 大戦により1916年のオリンピック ベルリン大会が中止に。

 機関銃などの登場により、ウマ娘兵の活躍の場が大きく減る。

 

 

<1918年>

・第一次世界大戦、対戦国の間で休戦。 大戦の終結へ。

 

 

<1923年> 

・関東大震災。

 

 

<1924年>

・西竹一、川村海軍大将のご令嬢と結婚。

 のちに長男、長女、次女の三人の子供に恵まれる。

 

・西竹一、陸軍士官学校キ兵科を卒業。

 見習士官としてウマ娘をサポートするキ兵になる。

 

・オリンピック パリ大会開催。

 日本陸軍、バ術競技を初視察。

 

・アメリカにて「排日移民法(1924年移民法)」成立。アジア人移民の排除へ。

 

 

<1928年>

・オリンピック アムステルダム大会開催。

 近代オリンピックにて、ウマ娘以外で初の女性参加。

 日本陸軍、初のバ術競技参加。

 トレーナー:遊佐幸平、岡田小七、城戸俊三、吉田重友

 ウマ娘:先駆、卓出、久軍、丘山

 

 

<1929年>

・10月、暗黒の木曜日。世界恐慌、始まる。

 

・4月、今村安、イタリアのキ兵学校へ留学。

 冬、今村安、道中のイギリスにてソンネボーイと出会う。

 

 

<1930年>

・西竹一、休養をとり、アメリカと欧州へ遠征。

 道中、ハリウッドのダグラス・フェアバンクスとメアリー・ピックフォード夫妻と知り合う。

 

・西竹一、今村安の電報によりイタリアへ。

 3月、ウラヌスと出会う。

 

・西竹一と今村安、ウラヌスとソンネボーイと共に、ヨーロッパ転戦。

 ナポリ、パレルモ、ローマ、トリノ、リュツェルン、アーヘンなどの国際バ術競技会に参加。

 今村安、ソンネボーイと共に、ヨランダ王女杯にて、国際バ術競技会での日本初優勝

 

 

<1931年>

・満州事変 勃発。

 

・7月、西竹一と今村安、ウラヌスとソンネボーイを連れて日本に帰国。

 ウラヌスとソンネボーイ、正式に日本陸軍のウマ娘になる。

 

・ウラヌス、建設中の府中レース場前にて、アスコツトと出会う。

 

・10月、東京市会にて、「国際オリンピック競技大会開催に関する建議」が満場一致で可決。東京オリンピック開催への機運が高まる。

 

・10月、アスコツト、中山秋期開催でメイクデビュー戦に勝利。

 

・フランス パリにて、1936年夏季オリンピック開催地投票。

 ベルリンがバルセロナを破り、圧勝。

 

 

<1932年>

・五・一五事件。犬養毅、青年将校らに暗殺される。

 犬養毅が参加予定だった、オリンピック壮行歌「走れ、大地よ」の演奏会が延期に。

 

・目黒レース場にて初の「東京優駿大競走(日本ダービー)」開催。

 

・3月、府中レース場の本格的な建設が始まる。

 

・西竹一とウラヌスら、ロサンゼルス大会に先駆けてアメリカ入り。

 ウラヌス、イノウエと出会う。

 

・オリンピック ロサンゼルス大会開催。

 障害飛越競技に西竹一、今村安、ウラヌス、ソンネボーイの日本選手団が出場。

 今村安とソンネボーイ、第10障害に阻まれて失権。

 

 西竹一とウラヌス、オリンピック最後の大賞典飛越競技(グランプリ・デ・ナシオン)にて優勝。

 

 

・カリフォルニア州アケーディアにて、レース場の建設構想がまとまる。

 西竹一とウラヌス、工事現場を視察へ。

 のちの、皇帝・シンボリルドルフも走った「サンタニアパークレース場」。

 

・西竹一、ウラヌスと共にベルリンオリンピックと東京オリンピック参加への意志を固める。




ご愛読、ありがとうございました。
「跳べ、ウラヌス」はRebootし、「跳べ、ウラヌス!」として再始動しています。
ぜひこちらもよろしくお願いいたします。
https://syosetu.org/novel/325883/
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