跳べ、ウラヌス ~ウマ娘オリンピック物語~   作:空見ハル

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 ついに迎えたロサンゼルスオリンピック最後の競技、大賞典飛越競技(グランプリ・デ・ナシオン)。そこに立ち向かおうとしていたのは、「ソンネボーイ」とそのトレーナー「今村安」。一生を賭けた一大勝負に息をのむソンネボーイ。その決意の裏には、かつてのイギリスで誓った想いがあった……。

※これは史実を基にしたオリジナルウマ娘、トレーナーのお話です。
 当作品はフィクションであり、版権元や実在の人物とは一切関係はありません。


#6 ソンネボーイ

 ……”ボク”が。

 

 ”ソンネボーイ”が。

 

 ”走り始めた”のはいつからだっただろうか。

 

 イギリスの草原。

 

 どこまでも続く空。見える地平線ははるか向こう。

 

 ボク以外にあるのは、小さな家と、いつも優しいお父さんと、お母さん、あとはペットの可愛くて大きな犬。それだけ。

 ボクたちだけがいる、長閑で穏やかな世界。それ以外には何もいらない。子供の頃からボクはそんな世界で駆けていた。

 

 ユーカリの木々が時には花を咲かせる、まるで絵本の中のような場所。

 

 そんな世界でのお気に入りは、沢山の草や倒木を跳び越えながらするペットの犬との追いかけっこ。もちろん走ることが大好きなウマ娘のボク。いつも犬に追いついて、勝って、抱きかかえて笑う毎日だった。

 

 ボクと家族しかいない、いたとしても家の近くの道を通る人くらいの、地平線までがボクにとっての世界だったあの頃。

 

 ”あなたは世界は一番速くて、高く跳べる、強い子だよ”

 

 お父さんやお母さんもボクのことを”世界一”と言って可愛がってくれた。

 だから、ボクは世界で一番強い。世界で一番速い。世界で一番高く跳べる。そう思っていた。

 何の不安も心配もなかった。いつもの家のお手伝いの狩りのために走り回るのも毎日楽しかった。素敵な世界。ボクたちだけの世界。

 

 でも、”世界”はそうじゃない。ボクの家から見る地平線の向こう側にもあることをボクは知った。

 

 ある穏やかな晴れの日、やけに洒落た格好をしたイギリス陸軍の将校がボクの家にやってきた。普段は来客もほとんどない、何もない場所。そんな世界には似合わないくらいの貴族のようだった。

 

 ”ここに、良い走りをするウマ娘がいると聞いた”。彼はそう言った。

 

 その人はなんでも、王立砲兵連隊の若い将校で、他の国と戦えるような、”良い脚”を持ったウマ娘を探していたという。

 

 ”他の国と戦える”と言ったから、ボクのお母さんが泣いて止めていたのを覚えている。お母さんは第一次世界大戦で戦場に行ったウマ娘だった。詳しい話は本人もしたがらなかったから聞かなかったけど、学校で習ったから知っている。穴に篭り、自由に走ることができない、いつ撃たれるか分からない戦場。ボクがそんな地獄のような場所に連れていかれると思ったのだろう。

 

 でも、それは誤解だと将校の人は言った。

 

 ボクのその”脚”は、きっと障害跳越……ジャンピングで最高の走りを、跳躍を見せてくれる。だから自分が、彼女のトレーナーになって、”世界一”のウマ娘にする。

 

 その人は、真っすぐな目でそう言った。

 どうやら、家の近くの道を車で走っていた時に、遠くからボクの走りを見ていたようだった。

 

 それを聞くと、お母さんもお父さんも、手を挙げて喜んだ。ボクが”世界一”のウマ娘候補に選ばれたと喜んでいた。

 

 この時、イギリスのウマ娘の多くの憧れはレース場で走って、一着を取ること。でもボクはそこまで足も速くなくて、軽快に走るレースウマ娘向きの体型じゃなかった。

 だからボクはウマ娘の夢、レース場のターフ(芝)を走るという夢は諦めて、考えないようにしていた。ボクはきっと世界で戦えない。そんな”世界”は、きっとボクには存在しないようなものなんだ。家から見える地平線まで、近くの動物が沢山いる森の外側までがボクの世界。

 そんな考えに、ボクのお母さんもお父さんも気づいていたんだろうけど、それについて咎めたりすることはなかった。それでころか、ボクのことをいつも”世界一”だと支えてくれた。

 ボクはそんな優しいお母さんとお父さんに甘えていた。”世界”の外側を見ないようにしながら。

 

 だからそんな時に声を駆けてくれた将校さんの誘いは、ボクにとって”世界”が開けた瞬間だった。

 

 ボクは最初戸惑っていた。この家の近くまでが、ボクの全てと思い込んでいた。いや、思い込むようにしていたから。少し怖かった。それでもお母さんとお父さんの喜んだ顔が見たくて、きっと嬉しくて泣いてしまうほどの姿を見せたくて。

 

 だからボクは、イギリス軍の競技ウマ娘になり、”走り始めた”。

 

 メインの種目は、もちろん障害跳越。誰よりも美しく、誰よりも高く跳ぶ。足が速ければ良いわけじゃない。ただただ障害を跳べばいいだけじゃない。

 そんな競技の”世界一”になるための、”トレーナー”との日々が始まった。

 

 環境は思ったより悪くなかった。軍隊というからには厳しくて嫌になるほどに辛い場所かと覚悟はしていたけど、優しいトレーナーの気遣いもあってか、銃を持ってひたすらランニングしたりとかそういうのはなく、のびのびとトレーニングをすることができた。

 

 沢山並ぶ高くて厚い競技用の障害も最初は怖かったけれど、毎日一つずつトレーナーと一緒に跳び越えていった。一つの障害を跳び越えるたび、ボクにとっての”世界”が広がっていくようで、楽しかった。

 

 周りには、トレーナーがボク以外に見ていたライバルたちも沢山いたけど、そんなライバルともトレーニングを終えれば、分かり合える大切な友達になった。皆もボクと同じで小さな世界から飛び出してきたウマ娘たちだった。

 ボクと同じでレース場を走るのには向いていない。だけどレース場を走るウマ娘にはできない、バ術、”障害跳越競技”だからこそ戦える、ボクと同じようなウマ娘たちが沢山いた。

 

 快適なトレーニング環境、優しいトレーナー、分かり合える大切な仲間たち。

 

 これ以上に幸せはない。きっとこれからも幸せが続いて、お母さんとお父さんにも喜んでもらえるような、”世界一”のウマ娘にだってなれる。

 

 ……そう、思っていた。

 

 

・・・・・・

 

 

 1932年8月14日、午後2時。

 

『これより、馬術大賞典障害跳越競技(グランプリ・デ・ナシオン)を開催いたします!』

 

 ロサンゼルスオリンピック最終日。

 オリンピックの注目だった陸上競技は、多くのメダルをアメリカが獲得する結果に終わった。日本でもニシダという選手が棒高跳びで銀メダルを取っていたけれど、それ以外に日本の姿を見ることはなかった。スポーツ列強である欧米の力強さを見せつけられた。

 

 会場のロサンゼルス・メモリアル・スタジアムを埋め尽くす、陸上競技の熱狂が未だ冷めない人々。

 

 大賞典跳越競技、グランプリ・デ・ナシオン。

 

 ”オリンピックの華”の競技は、そんな大きな期待と興奮の渦の中で始まった。

 

 ボクはトレーナーのイマムラと並んで、スタジアムの待機場所からそんな渦を眺めていた。

 

「凄い、人の数ですね」

「本当に、思ったよりも凄いものだね。10万人の観衆というのは」

「イタリアの競技会よりもずっと、ずっと多いです」

「ああ。大丈夫か、ソンネ」

「当然ですよ、トレーナー。大丈夫、大丈夫です」

 

 ボクとトレーナーはロサンゼルスに来てからここまで、休まずにトレーニングに励んできた。

 

 それはもちろん、”世界一”になるため。シンプルだ。

 

 同じ日本の障害跳越チームには当然ニシとウラヌスもいて、一緒に海を渡ってロサンゼルスに来たけれど、ボクはこの二人と行動を共にすることはしなかった。

 オリンピック馬術には団体戦と個人戦がある。

 団体戦の場合、自分の国の選手が獲得したメダルの数で金銀銅が決まる。個人戦はもちろん金メダルを取った人が金メダル、簡単な話だ。

 しかし団体戦でメダルを獲得できる条件は、最低3人のウマ娘が無事にゴールできること。ボクたち日本に至っては、そもそもボクとウラヌスしか出ていないから団体戦の対象外。ボクとウラヌスは協力する理由もない、ライバル同士。

 練習用のポログラウンドでも、いつも一人か、トレーナーとのトレーニングだった。

 

 改めてスタジアムを見渡す。

 溢れんばかりの歓声。

 この歓声の多くは、期待は、きっと自分に向けられたものではないものだろうことは分っている。バ術後進国・日本。しかも会場はアウェー。そんなウマ娘であるボクの勝利を予想する人なんて、ほとんどいないだろう。

 

 それでも、いやだからこそ、ボクはここで負けられない。負けてはいけないんだ。

 

 ロサンゼルス・メモリアル・スタジアム。

 スタジアムの縦横いっぱいに使われた全長1m、高さ1.6mのものや水濠などの障害が19個。

 イタリアの国際大会の比ではない、長いコースに大きな障害が立ちはだかる。しかもその障害は今まで見てきたどんな障害よりも分厚く、跳躍のタイミングが難しい位置に置かれている。あの障害を跳ぶのは難しく、しかももし躓けばただでは済まないだろう。

 

 ボクはそんな障害に向かおうとするライバルたちを睨んだ。

 

 この競技に参加する選手は僅か11組、4カ国。

 アメリカ3、メキシコ3、スウェーデン3、そしてボクら日本が2。

 

 その中でもひと際目立つのが……

 

「……チェンバレンとショーガール」

 

 アメリカ代表の”ショーガール”と、そのトレーナーの”ハリー・チェンバレン”。

 そして。

 

「ローゼンとエンパイア……か」

 

 スウェーデン代表の”エンパイア”と、そのトレーナー、”クラレンス・フォン・ローゼン・ジュニア”。

 どちらもトレーナーは叩き上げの軍人。しかもショーガールとチェンバレンは前のオリンピックでも結果を出している障害バ術の達人。ローゼンは父親がIOC委員会メンバーのオリンピック家系で、この競技への想いも強い。きっとエンパイアもそんなトレーナーの期待に答えようとするだろう。

 それでもボクだってイタリアの国際大会で優勝したソンネボーイ。相手にとって不足はないはずだ。

 

 必ず勝つ。必ずだ。

 

 アメリカにも、スウェーデンにも、メキシコにも絶対に負けない。もっと言えば、ウラヌスとニシにもだ。そのために死に物狂いでこのロサンゼルスで練習してきた。

 

 ……必ず。

 

「なあ、ソンネ」

「? なんですか、トレーナー」

「そんなに立って競技場ばかり睨んでないでこっちに来て少し休まないか。一杯やりながらでもさ。そんなずっとそっちを見ていても疲れるだろう」

「……何でこんな時にまで飲もうとしているんですか。何ですか、そのスキットルは」

「アメリカは禁酒法とかいうよくわからん法が敷かれているらしくてな、こうしてわざわざ欧州のウィスキーを仕入れて入れているんだよ。西の奴もやっていたぞ?」

「いや、そうではなく。もう競技も始まるんですよ? ボクらは3組目ですぐなんですから、少しでも相手を見て観察を……」

「まあまあ、そんな相手ばかり睨んでもしょうがないじゃないか。べつに一緒に走って競うわけではないのだから。一寸こっちへ来て座ると良い」

「……もういいですよ。ボクはここで見ていますから」

 

 はあ。なんでこんなトレーナーと一緒になってしまったんだろうと思うことがたまにある。それでも、トレーナーは競技中に的確な指示をくれて上手くいくから不思議なものだ。日本のトレーナーというのは、皆こんなものなのだろうか。

 

「一応聞きますけど、トレーナーはこの競技を勝つつもりはちゃんとあるんですか?」

「ああ、もちろんだ。ソンネは?」

「ボクも、当然ですよ」

 

 背中越しに話すトレーナーの声を聞きながら、競技場を見る。

 既に一番目に走るメキシコ代表ウマ娘の”エルアス”とトレーナーの”ボカネグラ”が位置についている。

 勝負の一番目。ボクらも彼女らも、ここで失敗すればこのオリンピックは終わり。大人しく国に帰るしかなくなる。

 彼女らもどうだろう。メキシコに帰って、彼女らはどうする?

 ボクはオリンピックで負けたとしたら、どうしたらいい? イギリスから遥々日本へ来て、このオリンピックのために走ってきた。そのオリンピックで負けたら、ボクに居場所はある?

 

 この競技に勝つつもりはある? 勝てる自信はある?

 いや、違う。

 勝たなければいけない。勝たなければ、ボクの明日はないかもしれない。

 絶対に勝つんだ。

 

 たとえ、この競技を最期に、走れなくなるとしても。

 

 たとえ、死んでしまうとしても……。

 

 

・・・・・・

 

 

 イギリス陸軍のウマ娘としてトレーニングを始めてから、ボクの世界は”始まった”。

 

 イギリスで行われる地方の障害跳越競技に参加したのを今でも覚えている。若い将校ながら的確な指示を出してくれたトレーナー。小さな大会だったけど、それでも競技ウマ娘としての初めての勝利。しかも減点も少ない圧勝だった。

 優しいトレーナーは沢山褒めてくれた。寮にいた友達やライバルたちも自分のことのように喜んでくれて、イギリス陸軍内でも評判のウマ娘になった。

 そしてトレーナーは言ってくれた。

 

 ”今回の走りで確信した。必ず君は、世界一のウマ娘になれる!”

 

 だから、一緒に世界を目指そうと。他の皆もそれを応援してくれた。

 優しくて強いトレーナー。最高の仲間たち。これ以上ないほどの幸せ。ボクは世界へ出る。そうすれば、きっともっと強く、幸せな日々になるに違いない。あの時はそう思っていつもわくわくしていた。

 

 

 ……けれど、そんな幸せな日常は一瞬にして全て崩れ去った。

 

 

 1929年、世界恐慌。

 

 

 ブラックマンデー。暗黒の木曜日。呼び名は何でもいい。

 遠いアメリカで起きた株価の大暴落。それでイギリスは、いや世界中が滅茶苦茶になった。

 

 ”ごめんね、私、もうここにはいられなくなっちゃった”

 

 陸軍寮で同室だった、一緒に競っていたライバルが1929年の終わりにそう言った。悔しさに拳を握りしめ、涙を流しながら。

 不況の影響で実家が倒産し、競技ウマ娘として活躍することが難しくなったという。それは彼女のトレーナーも同じだった。

 

 イギリス陸軍も軍縮の中でも政局の不安から植民地の治安維持などに部隊を割く方針に転換し、”余分な部隊”を維持する余裕がなくなったらしい。陸軍は競技ウマ娘の削減に動き出し、大会などで目立った活躍がないトレーナーは原隊に返され、そのウマ娘も当然退役になった。

 

 ボクと同室だった彼女は、たしかに大会で目立った成績はなかった。

 それでも彼女は、ボクに負けないくらいに頑張り屋で、入着まであと一歩という隠れた実力を持っていたはずだった。あと一年走れば、それこそ彼女もオリンピックに出ることができるくらいの力を秘めていた。そしてそれが彼女の夢でもあった。

 それなのに……。

 

 それからボクの周りのウマ娘とそのトレーナーたちの多くが姿を消し始めた。

 ウマ娘の行き場はなくなり、トレーナーはアイルランドやインド、アフリカなどに送られるか、除隊になっていった。

 

 今まで沢山のライバルと仲間たちに囲まれていた陸軍の練習場も、随分と寂しくなってしまったのを覚えている。

 

 でも、それだけでは終わらなかった。

 

 ある日、ボクを担当していた優しいトレーナーがいつもの練習場に来なくなってしまった。

 

 ”ボクのトレーナーを知りませんか?”

 

 いつも練習場にいた砲兵隊の将校にトレーナーの居場所を聞いた。

 

 “いや、知らないな。彼の家はそこまで遠くないから、迎えに行ってあげたらどうだ?”

 

 恐慌が起きてから仲間も皆どこかへ行ってしまい、良いこともあまりなく、トレーナーも何だか元気がなかった。折角だからこの将校が言うようにトレーナーの家に行って驚かせてあげようと思い立った。

 

 その日は練習を休み、外出届を出して言われたトレーナーの家に向かった。繁華街の隅にあるアパートの一室がトレーナーの家だった。

 

 インターホンを何度か鳴らしても出なかった。きっと寝過ごしてしまっているんだろうと思った。

 だからボクは、トレーナーの名前を呼びながら扉を開けた。

 けれどそこには、机だけのあまりにも綺麗すぎる部屋があるだけだった。部屋の机の上には、紙がただ一枚置かれているだけだった。

 

 ”私は家族の後を追う”

 ”ごめんな”

 

 綺麗すぎる部屋、別れの手紙。その二つでボクは嫌でも察した。

 アパートの前で呆然と立ち尽くしていると、砲兵隊の将校が急いでやってきたことで、ボクの察したことは現実であることを知らされた。

 

 ボクのトレーナーは、死んだ。

 いや違う。恐慌に殺された。

 

 トレーナーは、家族が失業と不況による不安から自殺したのを見て、それを追って自ら命を絶ったのだという。

 

 あんまり。

 あんまりだ。

 もう声を上げて泣くのもバカバカしくなるほどに、あんまりなことだった。

 

 夢を持った沢山のライバルのウマ娘やトレーナーたち。

 バ術に関わっていたあらゆる陸軍の人たち。

 そしてボクの優しいトレーナー。

 

 皆いなくなった。仲間も、トレーナーさえも。

 残ったのは、行き場を失ったボク一人。

 

 ボクが。仲間が。トレーナーが。

 一体誰か、何か悪いことをしただろうか。

 こんな仕打ちを受けなければいけないほどのことを、ボクらの誰かがしただろうか。

 こんなのバカげている。

 幸せだったボクらの”世界”は、”夢”は、一瞬にして崩れ去った。

 

 何かを考えるのも嫌になり街から離れてとぼとぼと歩いていると、ふと見た先にウマ娘のトレーニング施設を見つけた。グランドナショナルがどうと言って笑いあっているから、どうやらレース場で走る民間のウマ娘たちのようだった。

 

 ああ、きらきらしているなあ。

 

 貧しい中から夢を掴もうとする選び抜かれた沢山のウマ娘たち。どん底に落ちて一人だけになったボク。全くの逆だ。

 

 そうか。

 きっとバチが当たったんだ。

 きっと元々いたボクの家。”小さな自分の世界”から出ようとしたから。神様から大きな大きな天罰が下ったんだ。

 

 でも。

 それならなぜ?

 なぜバ術で夢を掴もうとしていたボクら陸軍のウマ娘には天罰が下って。

 今ボクが見つめている、レースで同じく夢を掴もうとしているウマ娘たちはあんなにも笑顔で走ることができている?

 

 確かにボクらは軍人。彼女らのようなスターとは違う存在。スタート地点も、走る競技も違う。それでも、皆が夢を追いかけていたのは同じじゃないか。皆が一生懸命に頑張っていたのも、皆が笑いあっていたかったのも……。

 

 そう考えていると、その日が終わるころには、悔しさを超えた、憎しみのような感情を覚えていた。

 

 それはレースに出場するウマ娘にではない。ましてやライバルのウマ娘たちを追放した陸軍や、トレーナーの家族にでもない。

 

 それはボクの運命。

 この世界。

 この不条理な歴史に。

 

 そのために、ボクは……。

 

 

・・・・・・

 

 

 

 

 もう二度と、”負けない”と決めたんだ。

 

 

 

『3番、ソンネボーイ、ヤスシ・イマムラ!!』

 

 

 10万人以上の人々が見守る、歓声で満ちたコロシアムの真ん中に立つ。

 

 1番、メキシコのエルアスとボカネグラ大尉は2つの障害を落下させて、第8障害で3度障害を前に反転……つまり拒止してしまい失格。

 2番、アメリカのベイブウォーサムとウォフォード中尉も4つの障害を落下させ、第10障害で3度拒止、更には転倒してしまい失格。

 障害跳越競技では3度の拒止はもちろん、一度でも地面に膝をついたら経路走行不能と判断され失格となる。

 ここまでメキシコとアメリカの代表選手が一度もゴールにたどり着くこともできない。困難なコースであることを思い知らされ、会場は緊張の空気に包まれていた。

 

 今回のコースに置かれた障害は、通常の大会では考えられないような、跳ぶタイミングが難しいように置かれていて、しかもその障害はどれも幅が広い巨大なものばかり。

 もしかしたらこのまま誰もゴールにたどり着くことさえないままこの競技は終わってしまうのではないか。そんなことさえ思えてくる。

 

「なあソンネ、行けるか? 昨日までトレーニングづくめだっただろう」

「行くしかないですよ、トレーナー。それにさっきも言ったように、大丈夫です」

「相変わらずちょっと冷たいな、ソンネは」

「トレーナーはもっと緊張感を持っても良いと思います」

「ソンネが大丈夫だというなら私も大丈夫。私は君を信じるだけだよ」

「……そうですか」

 

 それに、イギリス陸軍時代のトレーナーとは大違いとはいえ、これはこれでも色々と考えてくれている愉快なトレーナーとの”約束”もある。

 

 

「……さあ、行こう!」

 

「はいっ」

 

 

 ボクは走り出した。

 

 障害跳越のはじめはまず駈足(かけあし)。

 軽く走りながら競技場を一周する。一周を終えると審査員がタイムスタートの合図の旗をさっと下ろす。それが競技開始の合図だ。

 

 競技場を走りながら、コースの障害を眺める。

 

 信じてるとは言いつつも、ボクを心配そうに見つめるトレーナーの目線を受けながら。

 

 このグランプリ・デ・ナシオンは、4カ国のみの参加。バ術強豪国であるイタリアやイギリス、フランスやドイツすら参加していない。それはヨーロッパから遠く、食事や健康バランスの維持が難しい競技ウマ娘のコンディションを維持しづらいのもある。

 しかし何よりも、競技に用いられる障害が巨大で太いためにウマ娘の脚がひっかかって転倒したら無事では済まないことから、欧州のトレーナーたちが出場を辞退したから。

 

 

 つまりこれは、それだけに、文字通り”命を賭けた”競技なんだ。

 

 

 一周を終える。

 

 走る。

 

 まずは第1障害を跳んでいく。

 

 高いポールの障害。これなら跳び越えられる。イタリアでも似たような高い障害を越えた。

 

 ああ、その先にも多彩な障害がずらりと並んでいる。まるで今までの障害跳越人生を辿っているかのようだ。

 

 コースの事前下見をして、跳ぶタイミングも必死に研究して、それこそ前日の夜まで頭に叩き込んだ。

 

 第2障害。

 

 これは命を賭けた戦い。絶対に止まってはいけない。絶対に障害を前に震えても、地面に膝をついてもいけない。

 

 第3障害。水溜まりを超える水濠障害。

 

 汗が噴き出す。なんだか視界がふらふらとしてきた。それでも止まってはいけない。絶対に。こんなところに落ちてびしょ濡れになって失格なんて格好もつかない終わりは絶対に嫌だ。

 

 第4障害。

 

 くそ。

 跳ぶ高さが足りなかったせいか、ポールに少し脚をひっかけて落としてしまった。

 ああ、くそ。本当に視界がくらむ。一体何なんだ。

 

 ……まあ、そんなのは分かり切ったことか。

 障害を跳び越えながら走り続けるというのは、見た目以上に大きな負担がかかること。一つの高い障害を跳び越える旅に全身から汗が吹き出て身体が異常に熱くなるのを感じる。レースでも障害はあるが、ボクらはバ術という競技の性質上姿勢を崩さないで綺麗に跳ばなければいけないし、跳ぶ障害も大きい。

 

 本当に、全てを諦めて何も考えずに寝転がってしまいたいほどに辛い競技だ。

 

 

 第5障害。

 障害に少しひっかかり、また落とす。

 ああ、くそ。何でだ。何で視界がかすむ。何でもっと高く跳べない。

 

 ここで負けたらボクはどうなる? ボクはもう他に行くところはないのに。

 

 

 第6障害。水濠。

 落ち着け。

 このコースを完走できたウマ娘は一人もいない。

 ここまでこのペースで来れば、あとはゴールだけでもすれば勝ったも同然だ。

 

 

 第7障害。

 障害を落とす。

 もういい。止まるな。止まらなければ勝ちだ。

 

 ボクは誓ったはずだろう。世界一のウマ娘になると。

 家族と。ライバルと。イギリスのトレーナーと。そしてイマムラ……このトレーナーと!

 

 そうだよ。

 イギリスに、世界に見捨てられ、ボクはトレーナーに、日本に拾ってもらった。ここで負けたら……世界一になれないウマ娘になってしまったら、ボクはいよいよ終わり。死んだも同然に違いない。

 

 そんなことになるのならボクはもういっそのこと、この綺麗な競技場で死ぬまで走り切ってやろうか。

 

 

 第8障害。

 バンケット。長い高台になっていて、跳んで高台に跳び乗り、ある程度のところで跳び降りなければならない。地味に苦しい障害だ。

 

 辛い。苦しい。

 でも走らなきゃ。

 

 

「…………!!」

 

 

 何か聞こえる。

 

 ……トレーナーの声か。

 

 でもごめん。何だか意識が朦朧としてきて、何を言っているのかよく分からない。

 

 バ術は人バ一体。ウマ娘7:トレーナー3の力で勝敗が決まると言う。ただ立ってボクらウマ娘に指示を出しているだけに見えるトレーナーも、必死になってコースを読み、ウマ娘の状態に合わせた指示を出さなければいけない大切な役割がある。だから本当はボクも、トレーナーの声に耳を傾けなければいけない。

 

 でもごめん、トレーナー。

 

 もうよく分からなくなってきたよ。トレーナーと競技前までどうやって打ち合わせをして、どうやって勝とうと話していたかさえ。

 

 

 第9障害。

 また障害を落とす。もういい。

 走れ。走れ。

 

「…………れ!!」

 

 トレーナーの声がぼんやりと聞こえる。

 ごめんトレーナー、聞こえないよ。走って、跳ぶのに精一杯だ。

 心の中で、バ術ウマ娘失格だと笑う。

 

 でも絶対に約束は果たすよ。世界一のウマ娘になるって約束は、きっと。

 

 でも。なんだろう。

 

 あれ、おかしいな。

 

 ボクは何で、世界一のウマ娘になると言ってここまで来たんだっけ。

 家族のため。イギリスの皆の期待のため。それもあった。でも、そんな皆と離ればなれになってしまってもここまで走ってこれたのはなぜだったっけ。

 

 拾ってくれた日本の期待のため?

 

 いや違う。確かボクには、もっと大切な……。

 

 

 

 第10障害。

 

 沢山の枝が大量に積み重ねられた上に、更に巨大な横木が置かれている異様な障害。

 アメリカのベイブウォーサムがついに跳ぶことができなかったのはこれだ。

 

 

 ……あの華は……?

 

 

 異様な障害を前に視界の動きがスローモーションのようにゆっくりになる。

 横木の隙間から小さな華が咲いていた。赤くて綺麗な、小さな華。

 

 ……ユーカリ?

 

 

「危ないっ! 止まれ、ソンネ!!!」

 

 

「……っ!」

 

 

 朦朧とした意識が少しだけ戻り、トレーナーの声が聞こえた。

 

 ボクはすぐに反転する。拒止1だ。あと2で失格。

 

 

 ……でもなんだろう。ふと思い出して、ぼんやりとした頭の中に一つだけ浮かんできた。

 

 

 そう、トレーナーとの出会い。約束を……。

 

 

・・・・・・

 

 

 走る。

 

 跳ぶ。

 

 走る。

 

 跳ぶ。

 

 1929年冬、誰もいないイギリス陸軍の練習場。10個くらいのポールと柵の障害が置かれた広い草原。少しだけ雪が積もり始めている。足場が悪い。それでもひたすらにダッシュとジャンプを繰り返す。

 

 ああ、ばっちり。こんな雪の中でもばっちりの飛越だ。

 

 トレーナーとフォームを研究して、ライバルの皆と沢山のコースを跳んできた。その経験もあって、今ならどんな障害飛越コースでも走り切ることができる。そう思えた。

 

 ただ、ここにはもう信頼できるトレーナーも、大切なライバルたちもいない。

 

 残されたのは、ほぼお情けで選ばれて一人ぼっちになったボクだけ。

 

 ライバルたちがいなくなったイギリス陸軍のバ術チーム。

 

 ”今回の走りで確信した。必ず君は、世界一のウマ娘になれる!”

 

 そう言っていた、トレーナーすらも……。

 

 ああ、ボクは一体何のために走っていたのか。何のために跳んでいたのか。

 

 どれだけコース読みや飛越が上手くなっても、ただただ空しいだけだった。

 

 トレーナーがいなくなっても、新しいトレーナーを探す気にもならなかった。陸軍の競技ウマ娘人口が減った今でも、もちろんボク以外にも競技を続けている将校やウマ娘はいる。探せば見つかるだろう。

 

 それでも、あれだけにボクに真摯に向かい合ってくれて、一緒に高め合える仲間を見つけることができるなんて、到底思えなかった。

 

 はあ、もういい。疲れた。

 

 今日このコースを跳んだら、実家に帰ってまたあの”小さな世界”に戻ろうか。そうではなくても街をふらふらしようか。それともいっそのことトレーナーの後を追ってやろうか。

 

 そう思い、一通りコースを周り終えた後、連隊の司令部に向かうことにした。

 

 連隊長に辞表を出せばきっと認められるだろう。その後はどこにでも行ってやる。そう決めていた。

 

「……ユーカリの木」

 

 隊舎の窓から見える、練習場の草原を囲んでいたユーカリの木。皆と笑いあっていた頃には、綺麗な花を咲かせていた。色んなユーカリが植えられているのか、季節になると多彩な色を見せていたユーカリの花。それを見ると、皆との日々を思い出して悲しくなる。でももう皆のことを思い出して泣く気力さえもない。

 

 トレーナーが死んだときも、ライバルの皆がいなくなったときも、一人でコースを周っているときも涙は出なかった。

 

 すべてが理不尽な話。バカバカしい話。涙なんて出るはずもなかった。

 

「失礼します」

 

 ……だから。

 

 これで終わりにしよう。そう決めた。

 

 姿勢を正し、連隊長室に入る。

 

 もう誰もいなくなり、走る意味も、跳ぶ意味も分からなくなったボクだ。

 

 でもこれから帰るにしろ生きるにしろ死ぬにしろ、せめてお世話になった陸軍には迷惑はかからぬよう、けじめをつけてからにしようと決めた。

 

 決めたのだけれど……。

 

「おお、よく来たな」

 

「…………誰?」

 

 

 この男に、ボクは出会ってしまった。

 

 

「単刀直入に言おう。私と、世界を目指さないか?」

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