跳べ、ウラヌス ~ウマ娘オリンピック物語~   作:空見ハル

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1932年ロサンゼルスオリンピックの最後を飾る”オリンピックの華”、大賞典障害飛越競技(グランプリ・デ・ナシオン)。その11番として競技に挑もうとするウラヌスとトレーナーの西。しかし競技前から西の様子がおかしいことに気づくウラヌス。ウラヌスはライバルたちに背中を押され、”世界一”を決めるスタートダッシュを迎える……。

※これは史実を基にしたオリジナルウマ娘、トレーナーのお話です。
 当作品はフィクションであり、版権元や実在の人物とは一切関係はありません。


#8 We Won.-前編-

『アイルランド、すまない、君は……どうして……』

 

 いつもの軍服を着て洒落た軍帽を被った長身の男、西竹一は一人のウマ娘に寄り添い、そして涙を浮かべていた。

 寄り添われているウマ娘は下を向きながら右の脚を抑えている。

 

『トレーナー、ごめんなさい、ごめんなさい、私……』

『もう良い、痛むだろう。喋るな』

 

 ウマ娘は大切な右脚を負傷していた。彼女は障害飛越のバ術ウマ娘。走り、跳び、誰よりも美しく勝利するのが生きがいの存在。そんな彼女にとって、脚というのは一つの命とも変えられないほどに大切なものだった。

 脚を悪くしたウマ娘はバ術の世界はもちろん、軍にいられるかどうかも怪しい。

 

『ごめんなさい、トレーナー。私、もうオリンピックに出られなくなってしまった』

 

 ”アイルランド”と呼ばれるこのウマ娘は、西にとっての生涯を賭けた相棒になるはずだった。彼女は生涯に入れ込みすぎる性格だったものの、その飛越力は素晴らしく、西とも意気投合していた。

 アイルランドとは2m10cmという日本の障害記録に共に挑戦したりと、西はアイルランドと共に突き進んでいた。

 しかし、そんな中の、大切な大会前での負傷。華々しい舞台で共に戦い散っていくのなら軍人としてトレーナーとして慰めてやれる余地もあった。しかし、西にとって華々しい舞台を前にした挫折というのは、到底受け入れることができないものだった。

 

『ああ、良いんだよ。アイルランド、君が出ないくらいなら私は……』

 

 愛バと共に走ることができないというのは、トレーナーにとっても同じくこれ以上の悲しみはないというほどのものだった。愛バ精神を重んじる生粋のトレーナーだった西にとっては特に重くのしかかる苦痛となった。

 

『西君。私だが、良いかい』

 

 失意の西に歩み寄ってきたのは、上官であり恩師の今村だった。しかし愛バを失ったにも等しい衝撃を受けている西は、尊敬する恩師の顔を見る余裕もなかった。

 

『今村さんですか。何ですか』

『こんな時に再三言うのも酷だがね。アイルランドがオリンピックに出られなくなった今、”彼女”と出るしかない。頼むよ、西君』

『もう嫌なんです。今村さんには分かりますか。愛バと共に走ることができなくなった悲しみが』

『私だってトレーナーとして長くやってきた。だから愛バを失ったことはある。……その、君ほど入れ込んでいたかどうかは分からないがね』

『……やっぱり私はもうオリンピックには出ません。遊佐さんや大島さんにもそう伝えてください』

 

 西と今村は、”ウマ娘の神様”とも言われる遊佐や大島といった名だたる軍人から指導を受けていて、ロサンゼルスへも共に向かうはずだった。そう、アイルランドと、もう一人のウマ娘も共に。

 

『頼むよ西君。大島さんから君を”彼女”と……”ウラヌス”とロサンゼルスに出すように説得してこいと言われているんだよ。だから君は』

『ウラヌス? ウラヌスですか……』

『そうだ。ウラヌス君だって良い飛越をするじゃないか。癖はあるが、君も熱心にトレーニングしていただろう。だから……』

『彼女は確かに大きな癖がありますが良いウマ娘ですよ。でも、アイルランドに変わるウマ娘はどこにもいないんです』

『分かっている。でもオリンピックはすぐそこなんだ』

『オリンピック、オリンピックと……』

『西君、まだウラヌス君が……』

 

『あんなクセ者と走るくらいなら! 私はオリンピックなんか——!!』

 

 全てが嫌だと言わんばかりに叫んで西は振り向いた。

 

『……と、トレー……ナー……?』

 

 そこには、悲しそうに見つめてくるウマ娘がいた。

 高身長の栃栗毛、星型の模様がある前髪。”ウラヌス”だった。

 

 目の前が真っ暗になる感覚……いや、本当に真っ暗になっていくのを感じる。

 

 自分の発言の意味を。トレーナーとして、彼女にどんな思いをさせてしまったのかを。

 

 そして、そうなっても相談する相手も、一緒に走ってくれるウマ娘がもういなくなってしまうことを。

 

 重く、ぐさりと、空間が捻じ曲がるかのような感覚と共に身に感じていた。

 

 ウラヌスの眼が語る。

 

 自分は役立たずだったのかと。自分はもういらないのかと。

 

 ああ、違うんだウラヌス。

 

 ただ、私は、もう疲れたんだ。なんでこんな辛い思いをしてまで、トレーナーをしているんだと。

 

 このオリンピックさえも、きっと私は、お情けで選ばれたに違いない。

 

 身勝手だと笑ってしまうだろう。

 

 でも信じてくれ、ウラヌス。私にはもう君しか……

 

 …………。

 

「……っ!!」

 

 目覚める。

 

 ロサンゼルスの選手村の一室、ベッドの上。

 

 夢。

 

 ウマ娘のトレーナーにとっては残酷な夢だ。

 

 愛バの故障、そして愛バからの失望。

 

 オリンピックに出ると決まってからは、悪夢が鮮明になっていった。

 

「アイルランド……か」

 

 覚えはない。覚えはない名……のはずだ。

 でもその名前を心の中で唱えると、どこか胸が苦しくなるような感覚を覚える。

 ”ウラヌスと一緒だったウマ娘? 私の、トレーナー?”

 そんな思いを巡らせるのは、今に始まったことではなかった。

 何度も繰り返す、夢。悪夢に他ならない。

 

 何よりも苦痛だったのは、夢の外で見たことがないような、ウラヌスの悲しむ顔。トレーナーが愛バに絶対させてはいけない、悲哀の顔だった。

 

「……と、いかんいかん。また時計を持ったまま寝てしまっていたか」

 

 アメリカ製の銀時計。これはストップウォッチの機能も付いた優れモノだ。

 いつも身に着けている物の中でも高価で長く使っている物というのもそうだが、これはトレーニングの時にウラヌスの競技タイムを測る時に使っている。いわばウラヌスとの努力を刻んだ大切な時計。

 トレーナーとしてイメージトレーニングをするときもあるが、その際も無意識にこの時計を弄っているのだった。

 

 しかしこの時計はヨーロッパ転戦どころかウラヌスと出会う前から持っているもので、どこで手に入れたものか西本人も把握していなかった。アメリカ製だが、ロサンゼルスに来てからは一度も時計を買ってはいない。いつの間にか手にして、ウラヌスと時間を重ねている内に大切なものになっていた。

 

 不思議な時計だった。

 

「……しかしもうこんな時間か。トレーニングに行かなければな」

 

 しかし、時計のことを一日考え込むほどの余裕はオリンピックに出るトレーナーにはない。

 

 西はいつもの日課通り七三分けの髪型を鏡の前で整え、お気に入りの軍服と軍帽で彩る。気分は優れなくとも、毎日欠かさない日課だ。愛バに醜い姿を見せるわけにもいかない。トレーナーとは常に、担当ウマ娘に信頼を置かれるような存在でなければならない。

 

 頑張るウラヌスの顔を思い浮かべてご機嫌な朝を迎えようとするが、どうしても毎朝見る悪夢が脳にこびりついていた。

 若干の情けなさに、笑う。

 

「(まあ、一つ言えるのは……)」

 

 改めて持っていたアメリカ製の時計を、軍服のポケットにしまい込む。

 

「(愛バにあんなことを言っているようでは、良い死に方はしないだろうな)」

 

 そんなことを思いながら、西は無理やり笑って外に出た。

 

 

・・・・・・

 

 

 1932年8月14日。ロサンゼルス・メモリアル・コロシアム、大賞典障害飛越競技(グランプリ・デ・ナシオン)。快晴。

 

 ソンネボーイとイマムラの第3回目の競技は、第10障害での拒止により失権。長大なコースに分厚く困難な障害を前に倒れた。

 

『跳べ、ウラヌス!!』

 

 それでも、彼女の、ソンネボーイの勝負の炎は消えてはいなかった。

 ぼろぼろになろうとも、あと少しで死ぬことになろうとも、彼女は”それ”を諦めずに、私に託した。

 

 それは、”勝利”。

 

 競技場の真ん中で語られたソンネボーイの勝負への執着とその理由。

 

”バ術で日本を、世界を明るくする”

 

 そういえばあのオリンピック男も言っていたな。

 

“それに日本でも盛り上がればさ、きっと戦だなんだなんて馬鹿らしくなるかもしれないじゃないか”

 

 このロサンゼルスオリンピック、大賞典障害飛越競技での勝利は、それだけの意味がある。

 そしてその勝利のハードルは、競技場に置かれた大障害コースのように高く、険しいものになっていった。

 

『4番、エンパイア、トレーナー・クラレンス・フォン・ローゼン・ジュニア、ゴール!! 減点16!!』

 

 会場が大歓声に沸く。

 それはソンネボーイとイマムラの相棒劇に匹敵するほどの大歓声だった。

 

 一時はクリア不可能かと思われたこの大賞典飛越コースをついにゴールしたのだから当然。しかも北欧の障害飛越界では注目の星だったローゼン中尉が成し遂げたというのだから更に当然だった。

 

「さすがスポーツ家系のローゼン中尉。そしてその愛バのエンパイア。唯一の欧州勢としてここは譲れないか……」

 

 大会の出番を前にして並んで観戦していたトレーナーが思わずといった具合に呟く。

 トレーナーの言う通り、この大会に出場している欧州勢はローゼン中尉らスウェーデンのみ。バ術強豪国であるドイツやイギリス、そして私の故郷のイタリアすらも参加していない。

 欧州から遠いために、繊細なウマ娘をサポートするための体制が整えづらいこと、今回のコースの障害が従来のものよりも分厚く困難になっているために伝統を重んじる欧州チームが嫌がり、またウマ娘の怪我を恐れたことなど理由は様々だ……とトレーナーが以前言っていた。

 でも理由はどうであれ、古くからのバ術強豪である欧州勢として唯一の参加。しかもローゼン中尉は古くからのスポーツ家系。エンパイアもローゼン中尉と深くかかわる欧州バ術界のスターウマ娘。負けられないはず。

 

 ”期待”だ。

 彼女らはその期待に答えたというわけだろう。

 

 それだけじゃない。

 

 私は思わずトレーナーを見る。

 

「…………。」

 

 どこか険しい顔をして見つめるトレーナー。

 

 思い出す。

 

 ”私は、少なくとも君と世界一になるまではずっと一緒に走り続ける。約束だ”

 

 トレーナーはそう言って、私が必要以上に背負っていた重荷を取り除いてくれた。だからこそ私は今ここに立ち、胸を張って競技に挑むことができている。

 

 でも、トレーナー。

 

 あなたは……?

 

 

・・・・・・

 

 

 時は戻り、オリンピック本番前の週。練習用のポログラウンド。

 

”勝ってやる。日系人だとか白人だとか関係ない”

 

 あの日系のウマ娘……イノウエにそう断言した日から、私とトレーナーのトレーニングは本番に向けた仕上げに入っていた。

 

「いいかウラヌス。良い飛越ウマ娘は障害を見ながら跳ぶ。辛いから怖いからと言って顔を上げるな!」

「怖くなんてないわよっ」

「違うっ! もっと手前で跳べぇ!」

「うぅ……了解っ!」

 

 ちなみに、東京の邸宅で話し合ってからはより遠慮がなくなったせいか、元々厳しかったトレーニングは厳しさを増していた。普段はあんなのだけど、トレーナー・ニシによるトレーニングの厳しさは日本陸軍のバ術トレーナーの中でも随一だ。

 いつもポログラウンドの隅で自由に練習しているソンネボーイを羨ましく思うくらいだ。

 

「(まああの娘はあの娘で、自分に一番厳しいみたいだけど)」

 

 ソンネボーイはイマムラとのトレーニングが終わった後も、ずっとトレーニングを続けている。観光をするでもなく、しかもたった一人だけで。

 勝利だけを見て一直線なのは凄い事だが、同時に心配になる。

 

「どこを見ているっ! もう一周行くか」

「あーもう行く! 行ってやるわよ!」

 

 まあ、他人を心配している余裕はあまりなかったわけだけど。

 ただそんな過酷な練習を終えると、トレーナーはいつものややふぬけて陽気な西竹一に戻る。少なくとも、ロサンゼルスに来たはじめの週まではそうだった。

 

「はぁっ、はぁ……トレーナー、もういつものセットは終わりじゃない?」

「………そうだな。よし、今日はここまで。お疲れ様」

 

 ほら。優しく駆け寄ってきてこちらを見る。……でも最近は気になることもある。

 

「なあウラヌス、脚は大丈夫か?」

「え、脚? まあ、ええ、大丈夫だけど」

「そうか。それなら良い」

「何か跳び方とか変だった?」

「いや、私がただ気になっただけだった。私は他のトレーナーと話してくるから、ウラヌスは好きに休んでいると良い」

 

 そう言ってトレーナーは私のタイムを測っていた時計をじっと見ながら、どこかへ歩いていった。

 

 オリンピック本番まで一週間を切ってから、どこかトレーナーは素っ気ないというか、遠慮がちな反応を見せている。

 

 少し前なら”よし、ロスの街に繰り出すぞ”とか言って私を連れ出してくれるはずなのに。

 オリンピック直前になって遊ぶ暇があるかと言われたらもちろんトレーナーとして色々あるのだろうけど、そんな時にでも外に出てぼんやりしているのが私のトレーナーだ。

 

「(いったい何を考えているのやら……)」

 

 あのトレーナーが変な挙動をしているときは碌なことを考えていないときだ。

 

 まあでも、このグラウンドでは他国のウマ娘とも交流しながら休むことができる。ここでのんびりするそんな体験も、なんだか”オリンピック”といった具合で、私は好きだった。

 

「お疲れ様、ウラヌス殿。そちらの練習は相変わらず過酷ですね」

「エンパイア、あなたもお疲れ様。どう、ロスの障害はやっぱりスウェーデンとは違う?」

「ええ、そうですね。貴公は欧州遠征帰りとのことでしたが、スウェーデンはまだでしたかね?」

「ええ、北欧はまだね。いつか行って跳んでみたいわ」

 

 スウェーデン代表の一人にして北欧随一の飛越ウマ娘のエンパイア。貴族のトレーナー、しかもバ術と社交界に出入りしていた家系のウマ娘なだけあって、その所作はまるでどこかの国の王子様のようだった。

 ……同じく貴族のトレーナーを持つのに、私にはそんな所作が見につかないのはなぜだろう。

 

「やっぱり、スウェーデンの大障害よりも難しそう?」

「ええ、故郷の競技会で使われているものよりも確かに険しいです。が、わたくしにとって不足はありません」

「流石、北欧の貴婦人。北欧の意地という、大きなものを背負っているのね」

「そんなことはありませんよ。わたくしもトレーナー殿もたしかにスポーツ家系ですけど、それを重荷だと思ったことはありませんから。それに、言うなら貴公もではないですか。見ましたよ、前のあのウマ娘との会話」

 

 例の、イノウエとの会話だろう。練習前でかなり目立っていたから、きっとエンパイアも知っているはず。

 

「見ず知らずのウマ娘のために勝負を賭けるとは、やはり大したものですよ。貴公は」

「それこそそんなんじゃないわ。だって……」

「だって?」

「どちらにせよ、私たちが勝つもの」

「はは、凄い自信だ。これは負けていられませんね」

 

 私は、欧州で活躍してきたソンネボーイとも幾度も勝負してきたし、勝率も良い感じだ。それにトレーナーだって……

 

「それなら、貴公のトレーナー殿にも同じ意気込みを聞かせてあげたら良いと思うよ」

「……え?」

「貴公も気づいていると思うが、最近の貴公のトレーナーはどこか様子がね。大会前になるとそわそわするのは競技者の常だけれども、一応、ね」

 

 たしかに、最近のトレーナーはどこか心配性で素っ気ないところがある。何を考えているのか分からない。大会前の緊張化と思っていたけど、確かに話し合っても良さそうだ。

 

「トレーナーがた男性は選手村にいるはずですから、様子を見に行くと良いかもしれませんね」

「……う、うん。ありがとう、エンパイア」

「いいえ、お互い、悔いのない戦いをしたいですから。それに……」

 

 エンパイアは立ち上がって言った。

 

「勝つのは、私たちですよ、ウラヌス」

 

 

・・・・・・

 

 

 ロサンゼルスオリンピックは、”選手村”というものが初めて開かれたオリンピックだと聞いた。ロサンゼルスを見下ろせるボールドウィンヒルズにその選手村はあったが、宿泊可能なのは男子のみであり、私たちウマ娘のような女子は近くにあるチャップマンパークのホテルに泊っている。正直陸軍の寮生活に比べると快適でありがたかったけど、トレーナーと離れてしまうのは難点だった。

 

「しかし、大した場所ねえ……」

 

 選手村というものは陸軍の寮のようなものかと思ったが、まるで一つの町のように賑やかな場所だった。食堂がいくつかあって郵便局や歯科、ラジオ局や病院、映画館まである。何なら習志野のキ兵学校よりも随分と立派。それに世界各国の国旗が立てられていてとても華やかだ。

 

「トレーナーの部屋はたしか、ここね」

 

 選手村の角にある小さな家のドアを叩く。

 

「む、ウラヌスか。どうした」

「あら、結構良いところで寝泊まりしていたんだ」

「ああ、ロスは良いぞ。居心地が良い」

 

 選手たちはこの2人1部屋のポータブルハウスに住んでいる。

 部屋はベッドと椅子が2つずつ、ドレッサーに洗面所、シャワー室もある。ホテルのそこそこ良い一室くらいに充実していた。私たちもホテル泊まりだから悪くないけど、この部屋も良い。……と、そんなことはどうでも良い。

 

「どうしたウラヌス。何かトレーニングに問題でも?」

「いえ、問題と言うか……どちらかというとトレーナーのことだけれど」

「私?」

「ええ、最近様子が変だったから、どうにも気になってトレーニングに集中もできなくてね」

「……そうか。それはすまなかったな。相棒の担当ウマ娘を困らせるとは、私も落ちたものだ」

 

 トレーナーが困った顔をして帽子の上を撫でる。困ったときはいつもこう。トレーナーの癖だ。

 

「だから聞きたいのは……」

「あ、そうだウラヌス。それなら詫びに映画でも見ないか? 気分転換にでもさ」

 

 そうしてトレーナーは”行こう行こう”と言って私を押す。

 確かに選手村に映画館があって面白そうだとは思っていたけど……。まるで自分のことを詮索されたくないとでも言いたげに私を映画館まで引っ張っていった。

 

 トレーナーは私のことはいつも気にかけつつも色んな事を聞いてくる癖に、あまり自分のことを話したがらない。最後にトレーナーについてよく話してくれたのって……。

 

”私と君は似ている”

 

 イタリアで出会ったときか。

 

 そんなことをぽわぽわと思い出しながら、トレーナーと二人映画館に入る。どうやらオリンピック選手は全員無料で観ることができるらしい。が、トレーニング時間の昼間ということもあって観客は私とトレーナーだけだった。

 

 二人だけの映画館。

 

 フィルムはトレーナーが持ち込んだらしく、映し出されたのは”ロビンソン・クルーソー”という、フェアバンクスという俳優の新作映画だった。

 所謂トーキー映画で、フィルムで映画を映してレコードで音楽が流れる。音はがさがさだけど、随分と映画も進んでいるものなんだと感心した。

 

「フェアバンクスとはウラヌスと会うためにイタリアに行ったときに知り合ったんだ。行きの船で意気投合してね。この前会って、この映画も新作だけど特別にフィルムとレコードを貸してくれたんだ」

 

 ”ちなみにチャップリンやピックフォード婦人とも”と、得意げにトレーナーは言った。

 ダグラス・フェアバンクスと言えば映画に疎い私でも知っているくらいのハリウッドスター。いくら日本の貴族とは言えそれは絶対嘘だろうと聞き流した。

 

 ロビンソン・クルーソー……船乗りに憧れたロビンソン・クルーソーは家出をして海に出る。しかし嵐で乗っていた船から投げ出されてしまい、なんやかんやあって無人島に漂着する。そしてそこで何とか生活し、ある日無人島にやってきた船の船長を助けて故郷へ帰るが家族は死んでいて、最終的に旅の途中で会った仲間と一緒にビジネスに成功した後また船に乗って冒険に出るという長いお話。

 

 海に投げ出されて大冒険。故郷には帰る場所もない。まるで誰かさんのようだ。そしてそんな誰かさんを幸せにしてくれるだろう別の誰かさんは、今何やら様子がおかしい。

 

「……ねえ、トレーナーはさ。」

 

 どうせ二人きりの映画館。並んで座り映像を見ながら話す。

 

「うん?」

「どうして私を選んだの」

「え? 出会ったときに言ったじゃないか」

「”私に似ている”ってやつでしょ。そうだけど、そうじゃなくて……」

 

 よく考えたら、余程のことがなければそもそもあんな町はずれの陸軍寮に立ち寄るなんてそうそうない。トレーナーは最初一緒に世界一のウマ娘を探すため……とか言っていたけど、それならあんな辺鄙な寮じゃなくて、それこそウマ娘学校に行けば良いはずだ。なんであのとき、わざわざ私の飛越を見るためにあんなところまで来たのか。

 

「……私があの時はるばるイタリアに訪れたのは、ウラヌス、君のためだった」

「え、イタリアに来たのも?」

「ああ、言っていなかったか?」

「世界一になるためのウマ娘を探しているとは聞いたけど、最初から私に会うためだったとまでは言っていなかった!」

「はは、そうだったのか」

 

 どういうこと? どういうことよそれ。

 トレーナーがたまたま通りかかって、そしてたまたま私を見つけたのだとばかり思っていた。だって、トレーナーはイタリアに半年間休暇で来ていて、オリンピックに出るウマ娘を探しているとしか言っていなかったから。

 

「最初に教えてくれたのは今村さんだった。イタリアに、フランス生まれの大した飛越ウマ娘がいると」

「最初に見つけてくれたのは、イマムラ……!?」

「もっと言えば、ソンネボーイだった。ソンネボーイが今村さんと共にイタリアを巡りながら走っているうちに、ある将校から話を聞いたらしい。恐らく、君のトレーナーだろう。そして小さな陸軍寮でひたすら跳んでいる君を見つけた。それで今村さんがすぐに私に電報を寄こしたんだ」

「……どんな? どんな風に言っていたの?」

「”あのイタリアでも手が付けられないウマ娘がいる”ってね」

 

 何よ、誉め言葉ではないじゃない。それ。

 

「実は君と会う前から君のことは”買っていた”のさ。領収書は切っていないから忘れたが、契約金数千リラ。君と会う前日にはポケットマネーでもう支払い済みだった」

「なるほど、私が何と言おうと、私は最初からトレーナーと一緒になる運命だったってことね。……でも、それでもわざわざ見たことのない私のためにイタリアまで?」

「不思議と、”行かなければいけない”と思った」

「行かなければいけない?」

「そう。面白そうな娘だと思ったのは確かだけどなぜだろうな、会ったら気が合うと思ったんだ」

 

 トレーナーはポケットからいつも私のタイムを測っている時計を取り出し、大切そうに撫でた。

 

「はは、何でだろうな。君とは本当に、初めて会ったはずなのに。不思議とな。オリンピックで一緒に走るウマ娘を探そうとか色々言ったけど、本当はそんなのどうでも良かったのかもしれないな」

「え?」

「なんだろうな。君にはどうしても会いたかった。不思議と、どうしようもなく。ただ、君と会ったときに世界一になると言っていたけど、それはだんだん分からなくなってしまったよ」

「……ねえ、本当にどうしたの。前までそんな弱気な男じゃなかったわよ、トレーナーは」

 

 ”参ったな”と困ったかのような笑みを浮かべて自分の頭をなでるトレーナー。トレーニング中は見せないが、オリンピックを嫌がるではなくても、どこか憂鬱な表情をするときがある。

 

「……偶に思うんだ。私の家で君と話し合っても、私は本当にこのまま進んでも良いのかと。このまま君とオリンピックに出て突き進んでいも、何だか取り返しのつかないことになるんじゃないかって。私はとにかく、君に悲しい思いをさせることになるんじゃないかって」

 

 トレーナーの言っていることの真意はよくわからない。まるで夢の中のようにぼんやりとした不安なのだろうか。

 分からない。分からないよ、トレーナー。

 

「それに私は陸軍の中でも大の変わり者だ。金持ちの海外通。私を疎んでいる上官も少なくはない。しかもずっとバ術に明け暮れている。オリンピックが終わった後にも私を理解してくれる居場所があるのか……」

 

 しばらく下を向いて話してから、トレーナーははっとし、”すまない、つまらない話をしてしまった”と苦笑いをした。

 そして……

 

「そう思えば、私はお情けでこの大会に選ばれたのかもしれないな」

 

 と、また苦笑いしながら話した。

 

 ……ねえトレーナー、なんでそんな悲しそうな顔をするの? 一体、何に苦しんでいるの?

 

 聞きたいことは沢山あっても、トレーナーに私、なんて言えばいいのか分からない。




オリンピック中にロサンゼルスオリンピック編を終えたいと思っていましたが、かなり遅くなりいつの間にかパラリンピックが始まってしましました;;
今後も仕事の関係で遅くなったりするかもしれませんが、この作品は必ず終わらせようとは思っているので、温かく見守ってください。

さて、西とウラヌス物語、ロサンゼルスオリンピック編もフィナーレが近くなってきました。彼らが史実通りの道を歩むのかどうか、最後まで見届けていただけたら嬉しいです。
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